ミシガン州のヒューロン湖に流れ込むサギノー川沿いに展示された
駆逐艦USS「エドソン」の艦内見学、前回は
CPO室、通称ゴートロッカーまでを紹介してきました。
■艦内ランドリー
続いては乗組員全員の衣類とリネンその他を全て洗濯する、シップズ・ランドリーです。全員、つまり士官たちの制服のプレスも全てここが引き受けます。
ここに備えられた巨大な洗濯/脱水機および乾燥機の容量は
50 ポンド 、22〜3kg(乾燥重量) でした。
ところで、アメリカ合衆国の洗濯機は、とにかく大容量を難なく洗い上げ、
乾燥機は、布団であろうがクッションだろうがガンガン乾かしてしまいます。
それもこれも洗濯機乾燥機が巨大だからこそなせるわざです。
家庭用でもホテルのコイン式のランドリーであっても大きさは同じで、
むしろ家庭用の方が容量も大きいのが標準仕様。
日本のように「置き場所に困る」という家はほとんどないので、
(集合住宅はほとんど共用のランドリーがある)
洗濯機と乾燥機は必ず独立したものが備えられていて、
「洗濯乾燥一体型」なんてのは今までお目にかかったこともありません。
ところで、大きな乾燥機の何がありがたいかと言うと、大抵のものは
ポンと放り入れるだけでほとんどシワが伸びて仕上がること。
ちなみに我が家の洗濯乾燥機はドイツ製のミーレです。
(スペース的にビルトインできる国産タイプがなかったのでやむなく・・)
最初、備え付けにきた業者が、
「ドイツ人は乾燥機で乾かし切らずに、最後の仕上げとして干して仕上げる」
と言っていて、そのときは、ふーんさすがドイツ人、マメなのね、
と思っただけでしたが、実際使ってみると、その意味がわかりました。
自動乾燥にすると、終わっても僅かに湿りが残っているので、
すぐに干さないとシワが伸びないまま生乾きになるということだったのです。
もちろん乾燥時間を延ばせばそれなりにカラカラに乾きますが、
なにしろドラムが大きくないのでシワが刻まれてしまいます。
それなら生乾きのまま干したほうが綺麗に仕上がる、という・・。
最近の日本製乾燥機がどうなのかは知りませんが、
アメリカのは乾燥から出してそれを干すという作業をしなくていいし、
なにしろどれもこれも気持ちよくぱりっと乾いてくれるので、
「乾燥機って本来こうあるべきだよなあ」
とあらためて思ったりします。
が、その話はともかく。
各コンパートメントでは、汚れた洗濯物は 2 つの容器に集められ、
1 つは白用、もう 1 つは青 (カラー) 用でした。
また、清掃員が集めた洗濯物を持ち込んで洗濯を行う指定日があります。持ち込まれた洗濯はその日に仕上がりますから、
1日の終わりに各部門の代表者はきれいな洗濯物を受け取り、配布します。
■ 艦内シャワー
「エドソン」の展示にあたっては、そのために水兵や下士官の人形を
オーダーして製作するような予算はなかったと見えて、
各部署に配置された人員は、明らかにファッション用のマネキンです。
せめて、ギャレーのスキンヘッド二人組のように、
イケメンの男性ばかりで揃えることもできなかったのか、
それともあえてウケを狙ったのか、艦内ショップに
LGBTQな香りを漂わせる色っぽい水兵さんを配置していたり、
シャワー室ではこれは完全にアウトな女性がシャワーを浴びていたりします。
タオルを巻いているからシャワーは終わった模様
もちろん「エドソン」の現役時代、女性は乗り組んでいませんでしたから、
彼女は乗組員たちの「願望」を具現化した夢の存在ということで。
さて、軍艦のシャワーについては何度も同じことを書いていますが、艦は水量が限られているため、シャワーの湯は少ない上、
厳しく使用量を時間で制限されていました。
時間にして3分間が限度だったので、最初に体を濡らしたら一度止めて、
石鹸を体と頭になすりつけ(おそらくシャンプーは使わなかったと思われ)
石鹸を流し切るのがせいぜいだったに違いありません。
幸い?アメリカ人は、バスタブに肩まで浸かるということに対して
日本人のように切実な欲求を感じない人種なので、これで十分ですが、
基本的欲求の4番目に”入欲(浴)”があると思われる日本人は、
シャワーだけで下手すれば何ヶ月もなんて、精神的にかなり来ます。
というわけで、自衛隊の艦には湯船があるそうです。
わたしは昔、ある護衛艦の艦長室に一人用のバスタブがあったのを見て、
アメリカ海軍の人が見たらさぞ驚くだろうなと思った記憶があります。
まあもっとも、その艦長ご自身にうかがったところ、
「ゆっくり入浴なんてしたことありません」
というお返事だったので、「4大本能」のひとつより任務遂行の責任が勝る、
というのも日本海軍の末裔らしさかなと感銘を受けたものです。
ちなみに自衛艦風呂の湯船の湯は海水を沸かしたものだそうですが、
天然のバスソルトだと思えば、むしろ贅沢ですよね。
アメリカでは入浴剤というと「バスソルト」で、
皆風呂用のエプソムソルトなどを使います。
■ベトナム時代の「エドソン」写真
「エドソン」の記録写真コーナー。
これを一枚ずつ見てみましょう。
ベトナムにて 1968年
手前二人は士官と下士官。
1968年5月3日DMZで艦砲射撃により撃墜された南ベトナム人パイロットを発見
(画面中央上の水上) USSエドソンは救出に向かっている
これってまじなやつ・・。
「エドソン」右舷前方海上に南ベトナムのパイロットがいる
ヘイローが彼を救出しようとして上空にきましたが、
「エドソン」は、自分たちが前進して救出を行うので、
そこから退いてほしいとヘイローに要請したそうです。
ヘリの立場は一体・・・。
「エドソン」からホエールボートを海上に下ろしている
要救助者に近づいてあとはホエールボートで収容する作戦
その後、海上から救出された南ベトナム海軍のパイロットはストレッチャーで手当てのために「エドソン」のシックベイに運ばれました。
写真ではオレンジ色のメンバーが担架で運んでいます。
1968年6月
非武装地帯で海兵隊員を支援している間、
海軍の快速ボートが弾薬、食料、淡水(プラス一杯のアイスクリーム!)
を補給するために「エドソン」に横付けしてきたところ
1968年ベトナム
トンキン湾のヤンキー ステーションにて
「エドソン」が給油を受けた空母。
給油の間人員を受け渡ししているところ。
(運ばれている人の遠目に見ても不安そうな様子よ)
■ 1988年11月 ある日の「副長からのお知らせ」
まず、掲示板の下の「ペイントについて」からみていきます。
【USS 「エドソン」 DD-946 の塗装】
「エドソン」のすべての金属表面をコーティングするには
約 14,000 ガロンの塗料が必要でした。
当時の海軍グレードの塗料は平均して1ガロンあたり重さ約7ポンドでした。
つまり、最初の海上試験で、「エドソン」は
塗料だけで 98,000 ポンド(49トン)を運んだことになります。
(これらの数値は USS「フォレスタル」のデータから推定されたもので、
排水量 1 トンが必要であると記載されています)
「エドソン」の排水量は進水時2800 トンでした。
さて、その次は右上の「Long Beach DISPATCH」ですが、これは「エドソン」がベトナムから帰還したことを報じています。
戦績目覚ましかった「エドソン」を、タイトルで
「トップガン デストロイヤー」と呼んでいますね。
さて、最後に右上の「本日の通達」です。
これは「エドソン」副長の名前で出されたお知らせとなっています。
【お知らせ】
1、カロリーカウントコーナー :
土曜日
ランチ:ホットのツナとスイスのバンズ添え 415カロリー
クレオール風マカロニ 350カロリー
ディナー:ベイクドチキン 300カロリー
日曜日
ランチ:フィッシュウィッチチーズ添え 520カロリー
夕食:ベジタブルベイクドミートローフ 315カロリー
月曜日
ランチ:コールドカットプラッター 435カロリー
夕食:シリアンビーフシチュー 545カロリー
1988年といえば、アメリカでもフィットネスや健康志向が高まり、
ジムに通うのがステイタスみたいな風潮になった頃ではなかったでしょうか。
軍艦でもカロリーを意識して食事をしていたということですね。
2. 艦スケジュール:
以下1988年11月11日から30日までの期間の改訂されたスケジュールです。
1988 年 11 月 11 日から 30 日 - ニューポート入港
3. ヘッドデューティの割り当て:
(1988年11月7日から11月20日までの期間)
11月7日、11月13日: B&M ヘッド
11月14日、11月20日:第 1 部門ヘッド
ヘッドデューティとはトイレ掃除のことです。
4. サンクスギビング フードバスケット プログラム
「幸せな感謝祭」にするための取り組み
困っている家族のために、チャペル・オブ・ホープは
感謝祭の食料バスケットを準備しています。
乾物や缶詰、お金の寄付受付はチャペル・オブ・ホープで11月20日まで。
このプロジェクトへのご支援を心より感謝申し上げます。
5. NOTE
廃止措置手順 (機器、資材など) に関する質問がある場合は、
ヒギンス大尉または CW02 ジュリアーニに問い合わせてください。
いかなる状況においても、廃止措置問題に関して
NAVSEA、INACSHIPSPAC、CNSG-4 など、
外部機関に連絡する権限は誰にも与えられません。
「廃止措置」というのは、ほかでもない、
この「エドソン」が退役することを指しています。
民間業者などの介入などを阻止するため、阻止問題に関しては
絶対に上官の頭越しに上と話をするな、と言っているようです。
6. NOTE
新しい CINCLANTFLT はカーター提督です。
彼は1988年11月2日にフランク・B・ケルソー2世提督を解任しました。
CINCLANTFLTというのは、
Commander-in-Chief, U.S. Atlantic Fleet
大西洋艦隊司令
のことです。
「彼は誰それを解任しました」という言い方は穏やかではありませんが、
普通にポスト代替わりの時にはこのような文言を使用します。
7. DECOM(退役式) への招待
艦は「エドソン」 の DECOM への招待状を郵送します。
参加に興味のある人をご存知の場合は、1988年11月15日までに
管理事務所の YNC (SW) WHITE まで名前と住所を提出してください。
参考までに、日付は 12月15日 13:00、
USS 「エドソン」ピア II で設定されています。
悪天候の場合はNUSCジムを使用します。
DECOMというのは、「エドソン」退役の式典のことです。
「エドソン」が海軍を退役したのは1988年12月15日でした。
乗組員がこれに参加するのは当然のことですが、
このお知らせでは、退役の式典に参加する知人や関係者がいれば
手続きをすれば招待できますよということを告知しているわけです。
おそらくこの「お知らせ」は、「エドソン」副長が配布した最後の連絡で、
それが今日に至るまで外されることなく掲示されているのでしょう。
8. パトリック・ホールでの食事
1988年11月19日 から、下士官乗組員は
パトリック・ホールで食事をできるようになります。
「エドソン」ステッカーの付いたIDカードを提示する必要があります。
ステッカーが必要なメンバーは、ヘルゲーソン大尉 までご連絡ください。
9. 補給下士官会議
1988年11月14日月曜日、午前9時に
メッセデッキで補給下士官会議が開催されます。
この会議はすべての補給下士官に義務付けられています。
10. 礼拝スケジュール
日曜日、1988年11月13日
09:00 - USS「エドソン」(プロテスタント)ロジッド牧師
09:00-SS「アイルズ」(プロテスタント)レイツォ牧師
09:00-055「 クラーク」(プロテスタント)マリヤ牧師
10:00- USS 「カポダーノ」 (プロテスタント) フォントルロイ牧師
1030-SMA 会議室 (ラナン カトリック) スミス牧師
聖書研究、1900水曜日 - 15 コロンビア サークル、
グリーン レーンハウジング / デイビス牧師
グループ牧師事務所の支援が必要な方は、デービス牧師、フォントルロイ牧師、または RPC ローガン までご連絡ください。
D.A.ナップ
(Knapp) エクゼクティブ オフィサー
続く。