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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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お帰りなさいエドソン〜USS「エドソン」

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USS「エドソン」の艦内展示をクローズアップした前回は、
「エドソン」の退役式についてのお知らせを含む、
最後の艦内報をご紹介することができました。

今日もその続きです。



1988年12月にその兵役を終え、退役したUSS「エドソン」。
その後、各方面の尽力で博物艦として保存されることになりました。


「お帰りなさいエドソン」というシリーズは、
ここベイシティの地元紙のヘッドラインだったようです。写真は1974年当時撮られたもの。波を切る舳先が完全に宙に浮いた状態なのに注目です。



退役後、フィラデルフィアの海軍工廠で保存されていた「エドソン」は、
その名も「カーネル」という名前のタグボートに曳航されて
ここまでやってきたといいます。
「現在USS エドソンは、フィラデルフィアの停泊地から
3,000 マイル以上離れたベイ・カウンティへ向かっています。

タグボートが老朽化した全長418フィートの海軍駆逐艦を
サギノー川の河口まで曳航し、そこで水上博物館となる予定です。

艦の到着は間もなく予定されていますが、
彼女について知っておくべきことは次のとおりです。

USS「エドソン」は、
メリット "レッド マイク" エドソン少将にちなんで命名された、
アメリカ海軍の「フォレスト シャーマン」級駆逐艦でした。
1988 年に退役しました。
進水は1958年1月4日、最初の配備は1960年1月の西太平洋でした。
冷戦中に活躍し、ベトナムに 3 回配備され、
その間に複数の有功部隊賞を受賞しました。」


セントローレンスシーウェイの閘門を通過するUSS「エドソン」。

セントローレンス シーウェイは上の部分。
実は「エドソン」は、退役後1989年から2004年までの間、
ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館で展示されていました。
ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館にいた頃の
USS 「エドソン」

イントレピッドで展示されていた頃の「エドソン」シックベイ
昔「イントレピッド」に行った時には「エドソン」はおらず、
その「代わり」に展示されたという、航空機コンコルドがありました。
コンコルドの機体の下はその日陰にテーブルが置かれ、
フードトラックで買った軽食を食べる場所になっていたものです。

とにかく、コンコルドに展示場所を奪われた?「エドソン」は、
2004年に一度ブルックリン海軍工廠で艦体の修理を行いました。
まだイントレピッド博物館にいた頃の「エドソン」に、
ある日、ベイシティから来た人々が乗り込みました。


彼らは、ニューヨークのイントレピッド水上航空宇宙博物館を訪れた
単なる観光客ではなくサギノー・バレー海軍艦船博物館のメンバーでした。

「私たちは彼女が『それ』であることを確認するために来たのです」

サギノー・バレー海軍艦船主催のマイク・ケグリー氏は語りました。
全長418フィートの退役海軍駆逐艦は、まさに彼らが探していた船でした。

このころ、「エドソン」を引き取って展示艦にしようと名乗りを上げたのが、
ウィスコンシン州の海軍艦船協会と、ケグリー氏たちの
サギノー・バレー海軍艦船協会だったのです。

その結果、サギノー・バレー海軍艦船協会が権利を勝ち取りました。


ところで、さきほどの現地の説明によると、
「フィラデルフィア海軍工廠から曳航されてきた」
となっていますが、二つの海軍艦船協会が手を上げて選考されていた時期、
「エドソン」はブルックリン海軍工廠で修復を行なっていたとあるので、
フィラデルフィアではなくニューヨークから曳航されたことになります。



フィラデルフィアからにせよ、ニューヨークからにせよ、
セントローレンスシーウェイを通過したということは、
「エドソン」は曳航されて川を北上して行ったということでしょうか。

しかしそれだとどうしてもカナダ国境を越えることになるんだけど・・。

謎だ。
再び「エドソン」を地元に迎えるベイシティの新聞の記事です。

この5月、海軍はUSS「エドソン」の所有権を博物館に正式に移管する。

「エドソン」は現在、タグボート「コロネル」の乗組員7名によって
エリー湖を曳航されているところである。

「エドソン」は今週初めにサギノー川に到着すると、
一時的にワート・ストーン・ドックに係留され、その後は
インディペンデンス公園のボート乗り場近くで
恒久的に係留するための設備を完了させる。
ボート乗り場から400メートル下流にある
ワート・ザ・ストーン・ドックスのダグ・ワート社長は、
USS「エドソン」に一時的な住居を提供することによって
博物館を支援できるのを大変うれしく思っていると語った。

そしてベイシティのサギノー川河畔に到着。


以降、「サギノーバレー・ナーバルシップ ミュージアム」として、
かつての姿を後世に伝えるとともに、軍事にかかわるイベントや
その他のコミュニティの場として地元の人たちに支えられ今日に至ります。
■「エドソン」での退役軍人支援イベント


「退役軍人に対する正しい認識を」
と書かれたこの記事。

写真の男性は1952年にMP(ミリタリーポリス)の任務に就いていました。
この日「エドソン」で行われた退役軍人の日のセレモニーに出席するため、
わざわざポーツマスからここまでやってきたそうです。

この日のセレモニーに参加した地元のベテランたち。

USS「エドソン」は過去の軍事遺産の保存・継承のみならず、
観光資源として、また退役軍人の顕彰の場として、
今日もサギノー側のほとりにその姿をとどめています。
■ アワード受賞記念パーティ招待状


第 1 回 造船業者主催 パーティ
 後援 アメリカ海洋造船労働者産業組合
49地域、C. I. O. 
'43年2月20日土曜日夕 ウェノナ ホテル ボールルーム 午後10時から午前2時まで


ウェノナホテルはベイシティの格式あるホテルでした。
その後、ホテルを廃業してアパートになっていましたが、
1977年10人の死者を出すという歴史的な火事によって消失しています。


デフォー造船会社 

アメリカ海軍船
U.S.S「バルダック」Balduck

進水式を含む海軍記念日の式典にご出席いただくよう、
あなたのご家族やご友人を心よりご招待いたします。

1944年10月27日金曜日、午後3時30分

主催: メアリー・ダーブンストラクト夫人

進水式とその後のヤード内見学ツァーに伴う海軍記念日の記念品は、
2番ゲートを入門した際にお受け取りいただけます。

今日は「従業員の日」です。
ゲート番号 2. 「フットオブジェファーソン」は
3:20 P.M に開門しますのでご利用ください。

入門証は必要ありません。

USS「バルダック」(APD-132)は、ガダルカナル戦死した海兵隊伍長、
レミ・A・バルダック(1918-1942)にちなんで命名された、
アメリカ海軍の「クロスリー」級高速輸送艦です。

バルダック伍長は、ルンガでの日本軍との戦闘で、
小隊の先頭に立って日本軍の陣地を正面から攻撃し、
敵に手榴弾を投げつけた瞬間に致命傷を負い、戦死しています。

「バルダック」はミシガン州ベイシティのデフォー造船会社で
1944年10月27日に進水しました。
この招待状はそのときの進水式に参加する人に向けたものです。

1945年5月7日にニューオーリンズで就役した「バルダック」は、
沖縄に到着後、朝鮮と中国の青島占領に参加し、就役1年で予備役に。

1953年再就役し、横須賀とサンディエゴを往復し、1958退役しています。

アワード 
アメリカ海軍の「E」ペナント に対して
受賞者 デフォー造船会社
海軍長官ワシントン1942 年 3 月 6 日
親愛なるデフォー氏:

この度、海軍生産賞委員会が、デフォー造船会社の生産功績に対して
海軍「B」賞の受賞者に指定したとお知らせできることを光栄に思います。

1966 年以来「B」は卓越性を表す伝統的な海軍の象徴であり続けています。それは、あなたと同僚諸君によって大切にされるべきものです。
海軍長官として、そして同じアメリカ人としてこの栄誉の達成を祝福します。

そうすることで、あなた方の会社の貢献は他の愛国的同胞の貢献とともに、
始まりに過ぎないことを思い出していただきたいのです!

これらの製造品の層はこれからも勝利の流れとなるに違いありません! 
敬具
 H.J. デフォー氏、デフォー造船会社社長、ミシガン州ベイシティ
デフォー造船は、1905年にベイシティに設立された小さな造船会社です。

第二次世界大戦中、戦争のため操業は絶頂期で、
同社は154隻の船を建造する盛況を見せましたが、
1976年、アメリカ海軍との契約更新に失敗し、操業を停止しました。

第二次世界大戦後、米海軍向けに護衛艦、誘導ミサイル駆逐艦、
オーストラリア海軍向けに誘導ミサイル駆逐艦などを建造し、
またRV「メルヴィル」とRV「クノール」という調査船も建造しました。

RV「クノール」Knorr は、1985年、サイドスキャンソナーを使ってRMS「タイタニック」の沈没地点を最初に発見した船です。

また、1960年代に沈没した行方不明の原子力攻撃型潜水艦、
USS「スコーピオン」とUSS「スレッシャー」が、
深海の莫大な圧力によって爆縮した破片を発見しています。

■セイラーズ クリード 船乗りの信条



私は合衆国水兵である

アメリカ合衆国憲法を支持し擁護し、私の上に任命された者の命令に従う

私は海軍のファイティング・スピリット(Bluejacket)を代表し、世界中の自由と民主主義を守るために先陣を切った人々を代表する

私は、名誉と勇気と献身と誇りを持って我が国の海軍戦闘チームに奉仕する

私は、卓越性を持ちすべての人の公正な処遇に全力を尽くす

「セイラーズ クリード=水兵の信条」の「水兵」とは
新兵から提督に至るまで、すべてを表すものです。
海軍全体の規律を維持するためには、
文書化された基準(規範)が不可欠である、ということで、自尊心、
他者への敬意、名誉、勇気、献身といった基本的価値観に重点を置いた
「水兵信条」など、海軍に特化した規範があります。

海軍に所属する水兵の存在の事実上すべての側面を支配するもので、
これは海軍文化の定番であり、忠誠の誓いのように暗唱され、
すべての軍人に自分たちが何者であるか、
なぜ任務に就くのかを思い起こさせるためのものです。

セーラーズ・クリードができたのは意外と最近で、1993年、
海軍作戦部長フランク・ケルソ提督の指示により作成されました。

1994年、海軍作戦部長のジェレミー・ブールダ提督は、
「ブルージャケット」という言葉を「ネイビー」に置き換えることで、
この信条をよりすべての兵士を包含するものにするという
マイナーチェンジを承認しました。

今日、「船員の信条」は新兵訓練所で全隊員が暗記し、
士官訓練にも取り入れられていますし、
曹長の任命式には、曹長の信条と水兵信条の両方が唱えられます。

海軍の制服に身を包むすべての職員は、まず水兵であり、士官、曹長、
下士官、飛行士、海兵隊員、水上戦士、潜水艦乗組員、
加えて、ボートマン、ヨーマン、クォーターマスター、ラジオマン、
医務士官、看護士官、チャプレン(従軍牧師)など。
これらも全ては「セイラー」と包括されます。

これは団結とエスプリに影響する重要な点です。


水兵という言葉は、米国海軍の隊員(将校または下士官)を表す場合は、
常に大文字で「SAILOR」と表記され、米国海兵隊の下士官、
または将校を表す場合にも、同じように大文字で表記されます。


続く。


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