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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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”Dit-Dit-Dit-Dah-Dit-Dah”最後の通信士〜メンフィス・ベル 国立アメリカ空軍博物館

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2005年10月1日、第二次世界大戦中、ヨーロッパで
25回の爆撃任務を遂行したメンフィス・ベルの最後のメンバー、
ロバート・ハンソンが、心不全のためアルバカーキで死去しました。

享年85歳。

のちに有名な爆撃機の無線オペレーターになったハンソンが
陸軍に入隊したのは1941年、真珠湾攻撃の起こる3ヵ月前のことでした。


通信士として、ワシントン州ワラワラでの訓練を経て、
彼はメンフィス・ベルに配属されることになります。

フライング・フォートレスと呼ばれたこの巨大爆撃機と10人の乗組員は、
1942年9月に戦時中の拠点であったイギリスへ飛びました。

そして、11月7日から1943年5月17日の間、148時間飛行し、
ドイツとフランス上空に60トン以上の爆弾を投下しました。

■ 軍で給料をたくさんもらうための”裏技”

メンフィス・ベルの10人は、映画でも描かれたように、
その出生や育ってきた環境は様々です。

基本的に社会の上流階級?しかなれない士官は、その多くが
裕福な会社経営者の息子だったり、アイビーリーグを出ていたりしますが、
(メンフィス・ベルに兵学校卒士官はいなかった)
下士官兵には家が貧しいので入隊したという若者も多々いました。

映画「メンフィス・ベル」にも、シカゴ出身のチンピラ、
ジャック・ボッチ(イタリア系)と腰部砲手としてコンビを組むのが
よりによって信心深いアイリッシュのユージーン・マクヴェイで、
二人は何かと最初おりが悪く衝突しますが、戦いを経て和解するという設定。
左ジャック(ニール・ジェントリ)、右ユージーン(コートニー・ゲインズ)

メンフィス・ベルの通信士、ロバート・ハンソンもまた、
兄弟とともに孤児院に預けられていました。
ロバート・J・ボブ・ハンソンは1920年5月25日、
モンタナ州ヘレナで生まれました。

3人の息子と1人の娘を持つボブの父親は建設労働者であったため、
大恐慌に見舞われると、わずかな仕事を追い求めるようになりました。

ここで、伝記作者?としては情報が錯綜することになります。

子供たちが孤児院に入っていたのは幼い頃に母親が死亡したから、という説と、
両親が離婚し、ボブは弟のセシルとハロルド、妹のバイオレットとともに、
ワシントン州ガーフィールドに住む叔父に引き取られた、という説があります。

どちらかはもう確かめようがありませんが、
彼が実の両親ではなく叔父に育てられたのは事実であり、
その叔父の家で彼は豊かでないながらもちゃんと育てられたのは確かです。

彼は実際高校生の時には陸上競技のスターだったというくらいですから。

子供を引き取って育てたといっても、叔父の家も裕福とはいえず、
高校卒業後、彼はすぐに就職して父親と同じ建設労働者となりました。
その後、彼は徴兵も始まったことだしと軍入隊を考えました。
「1941年5月、戦争に行くことが分かっていたので、志願することにした。でも、募集の軍曹のところに行って、入隊したいと言ったら、
『お前はどうかしている。まず徴兵されろ。
それから、引き返して再入隊するんだ。
そうすれば月給30ドルになる』と言われた。

これはシアトルのリクルート事務所の軍曹から聞いた、

「陸軍からもっと給料をもらうためのちょっとした方法」

つまり陸軍の一等兵の月給の21ドルが30ドルになって
 (゚д゚)ウマーな裏技だったわけです。
数ヵ月後、彼は徴兵され、ワシントン州タコマ郊外のキャンプに送られます。
そして軍曹の助言を素直に実行すべく、3日間だけそこで過ごし、
除隊しました。

(なんか昔、郵便局に毎日預け入れと降ろしを繰り返したら
預金が増える、と言っていた人がいたけどそれを思い出した。)

3日間の兵役給として2ドル10セントを受け取った彼は、
即座に空軍(航空隊のこと)に再入隊。(ここで歩兵は諦める)

基礎訓練のためにミズーリ州ジェファーソン兵舎に送られました。


■ 軍隊生活〜いきなりキッチンポリス

初日、軍曹が入隊者を整列させ、怒鳴りました。

「兵役経験のある者は外に出ろ!」

出ましたよ。彼は外に出ていきましたともさ。

他の下士官兵が外で行進し、汗を流している間、ハンソンは兵舎に戻り、
のんびりし、食べ、眠り、楽しい生活を送っていました。

彼のそんな生活が終わりを告げたのは、基礎訓練が終わったときでした。
パレードの行進に出ることになり、軍曹の一人がハンソンに向かって

「おい、ハンソン、分隊の指揮を執れ」

と命じ、そこですべてが明らかになったのです。

新任の "リーダー "が、隊員をどう率いるべきか、
これっぽっちも知らないことがばれたのですから、
さあ大変、上から下への大騒ぎになってしまいました。

上層部は、彼が基礎訓練を避けるためにズルをしたと判断し、
軍法会議にかけるところまで話は進んでしまいました。

しかし、実際、彼は嘘をついたわけではありませんでした。
「兵役経験がある者」という軍曹の呼びかけに素直に答えたまでです。
たとえ三日でも、兵役経験には違いないのですから。
・・・・という言い訳をされてぐうの音もでなくなった上層部は、
(こういうとき”問答無用”という言葉のない国の軍隊は不便)
軍法会議にかけるような事案ではないと結論づけましたが、勿論のこと、
何のお咎めもなしでこのふざけた男を放免するつもりもありません。

そこで彼は「落とし所」的にキッチンポリスに回されました。
要は炊事当番兵のことで、KPデューティともいいます。

なぜポリスなのかですが、米軍では"police "という単語を
"秩序を回復する "から"掃除する "という意味で使うことがあるので、
キッチンポリスは、厨房の秩序を回復する、厨房を掃除する、
という意味が含まれているのではないかと言われているようです。

とにかく、そのポリス仕事は、週6日、毎週毎週、
来る日も来る日もジャガイモの皮むき(これがKPの象徴)をし、
その間に基礎訓練もこなすという素晴らしく面白くない任務です。

しかし、この男は最初から最後まで、何とついていたのでしょうか。
キッチンポリスとなってわずか2日目、彼は皮剥きから解放されました。
2日目というのでまだ基礎訓練は一度も受けていません。

イリノイ州スコット・フィールドの無線学校への転勤命令を受けたのです。
■ 無線学校

しかし、こんな男が、無線学校で何も起こさずにいられるでしょうか。

案の定スコット・フィールドで彼はまた問題を起こしました。
動機は『ルーティンが簡単すぎて退屈になったから』。

その日、訓練生は、モールス信号を受け取り、
それをタイプライターで打ち出すという訓練を行なっていました。

要領のいい彼は1分間に30ワードを打つことができましたが、
他の訓練生はせいぜい1分間に5、6ワードのペースです。
彼はすっかりいい気になって、新聞を読みながらコードを打っていました。

何日か経ったある日、教官はイヤフォン越しにメッセージを送ってきました。

「ハンソン、新聞を読むのをやめろ」

しかし彼は新聞に夢中で(というか、どうせすぐ打てると思い甘くみて)教官の送ってきた電文をしばらく見ませんでした。

お断りしておきたいのは、このメッセージは彼だけではなく、
訓練生全員に送信されたものだったということです。

当然クラスの全員の目が彼に注がれます。

部屋中のタイプライターの音が止まって、彼が気づいた時には、
全員が彼に注目していました。


■ 拘束された父ちゃん

無線訓練を終えたハンソンは、マクディル・フィールドに行き、
そこで初めて飛行を体験し、1942年5月16日、
無線オペレーター兼エアガンナーとして戦闘任務に就くことになります。

グループが1942年6月にワシントン州ワラワラへ移ったとき、
彼も一緒に転勤しましたが、当時はまだ空軍基地がまだ完成しておらず、
滑走路のコンクリートの打設工事の真っ最中でした。

そして驚くことに、空港のコンクリートの一部を打設していたのは、
建築現場で働く彼の父だったのですが、勿論彼は知る由もありません。

しかし父親の方は、自分の工事現場に息子の部隊がやってくることを知り、
フロリダからの一行が到着したとき、息子がどの飛行機かまで突き止めて
一目会うために、ピックアップトラックをエプロンに走らせたのでした。
轟音を立てて走る父ちゃんのトラック。

トラックはすぐ後ろにMPを乗せたジープを何台も従えていました。
そしてMPはすぐにピックアップトラックをを取り囲み、
あっという間に運転手を拘束して連れ去ってしまいました。


当時は開戦したこともあって、軍設備での警戒警備はマックスでした。
今でもそうでしょうが、そんなときに無許可の民間人が
爆撃機の近くまで押しかけることが許されるはずはありません。
結局父はそのまま息子には会えずに終わりました。
その後、彼はそのことを聞かされて知りますが、
息子は父の非常識を責めることは生涯一言も言わなかったそうです。
「父さんはただ息子に会いたかっただけだったんだ」
いい息子を持ったな、トーチャン・・・。

■ メンフィス・ベル

ワラワラで彼はメンフィス・ベル乗組が決定し、
1942年9月、戦時中のイギリスまで飛行するベルに乗り込みました。

そこから1942年11月7日から1943年5月17日の間、
彼はメンフィス・ベルの爆撃ミッションに通信士として参加。

ベルが行ったミッションの飛行時間は148時間にのぼり、
投下された爆弾の量は60トンを超えます。

前にも書きましたが、ベルはロリアンの潜水艦基地攻撃中、
機体の尾翼が戦闘機によって撃ち落とされたことがあります。
この時のことをハンソンはこう語りました。


「尾翼を撃ち落とされた時、モーガン少佐は機をすごい急降下させ、
2、3千フィートも落ちて頭を天井にぶつけた。
このまま墜落するならベイルアウトすべきかどうか悩んだ。

その後、機長は再び機を引き上げたので、私は仰向けに床に叩きつけられ、
上から弾薬箱と周波数計が落ちてきた。
何が起こっているのかわからなかった」

このとき機が立て直せたのは、運もありましたが、
ロバート・モーガンの操縦技術によるところが大きかったかもしれません。

映画「メンフィス・ベル」の腰部砲撃手の二人は、
ジャック(シカゴの不良)が相手ジーンのお守りを拾ったのに隠して、
それにジーン(信心深い)がパニックを起こすのに、
通信士のダニーが手に巻いていたゴムバンドをお守りだ、
といって渡し、納得するシーンがありましたが、
ハンソンもまた「ウサギの足」のお守りを携帯していました。



映画で通信士のダニーを演じるのは、エリック・シュトルツです。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で最初にマーティ役に抜擢され、
撮影も進んでいたのにマイケル・J・フォックスに交代されてしまった、
という話が有名ですが、その後の俳優活動は輝かしいものでした。

映画では、おそらくベルの乗組員一のインテリであり、
詩人でもあるダニーを演じており、このダニーから映画では
「ダニー・ボーイ」がテーマソング的に使われています。
最後のミッションで重傷を負う唯一のメンバーという設定でしたが、
実際の通信士、ハンソンは、そのお守りのおかげだったのか、
日誌を書きながらくしゃみをしたところ、その瞬間、
弾丸がそれまで彼の頭部が占めていた空間を通り抜け、
日誌を直撃した、という命拾いをしています。
ちなみに「メンフィス・ベル」は最初から最後まで誰も傷つかず、
無傷だったというわけではありません。

実際にメンバーが時々変わっているのは、彼らがミッション中の
大砲や機銃掃射で戦死しているからです。
現に最初の乗組員のうち4人は戦死し、補充されたメンバーが
25回ミッション達成者としてツァーに参加したというだけのことでした。

ハンソン軍曹の無線オペレーター席の窓の横には、
恋人のアイリーンの名前が書かれていました。
万が一、彼が戦闘中に死亡した場合、真っ先に連絡すべき人物として。

アイリーンとは、帰国してツァーを行った後すぐ結婚し、
63年間、死が二人を分つまで添い遂げました。

■ 戦後の生活と映画「メンフィス・ベル」

戦後、ハンソンは基地のあったワラワラに住むことになりました。
ナリー・ファイン・フーズのセールスマンとなり、
後に地域マネージャーに昇進、
また、スポケーンのキャンディー会社で働いた後、
アリゾナ州メサに引退し、最後はアルバカーキで余生を送りました。
1989年、映画「メンフィス・ベル」が制作されることになり、
ハンソンはパイロットのロバート・モーガンをはじめとする乗組員たちと
イギリスに渡り、ビンブルック空軍基地で撮影中の現場を訪ね、
そこで出演していた俳優たちと記念写真を撮りました。


真ん中近くの水色のシャツ=ハンソン シュトルツの肩に手を置いている

ハンソンは、このとき感想を聞かれて冗談混じりに答えました。

「彼らはかつての私たちほどハンサムではないけれど、
若くて熱狂的で、まさに私たちそっくりだよ」
映画が公開された後、孫の高校のクラスでスピーチをしたハンソンは、
映画に描かれたのは実際に起こったことなのかと質問されて、
こう答えています。

「すべてがメンフィス・ベルで起こったことではないが、
映画の中のことはすべて、どこかのB-17で起こったことだ」


■"dit, dit, dit, dah, dit, dah "

彼が2005年にこの世を去った時、彼の昔からの友人が、
「最後のメンフィス・ベル乗員」の彼を、良き友人であり、
良き夫、良き家庭人でアメリカの英雄だったと褒め称える弔辞の最後に、
このようなことを付け加えました。

「無線通信士がモールス信号を終了する際、
次のようにキーを打ってサインオフします。

Dit-Dit-Dit-Dah-Dit-Dah。
そして、ロバートは電話をこれで終わらせるのが常でした」

▄ ▄ ▄ ▄▄▄ ▄ ▄▄▄ 

これはSK(上バー)であり、意味はOUT(終了)です。

その良き人生の終了に敬意を表し、彼を愛した人たちは、
皆でこのプロシージャをもって彼を見送ったのでした。

続く。

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