メンフィス・ベルの搭乗員とその配置についてお話ししてきましたが、
最近appleTVでスピルバーグのこんなドラマが始まったのを知りました。
なんたる偶然、なんたるタイミング。
まさにわたしがこのシリーズで取り上げていく米陸軍爆撃隊、
そしてヨーロッパにおける爆撃任務がテーマです。
第二次世界大戦が題材 スピルバーグ&トム・ハンクス製作総指揮 「マスターズ・オブ・ザ・エアー」予告
ドラマシリーズ『マスターズ・オブ・ザ・エア Masters of The Air』
海外版予告編
始まったばかりで今第二話までしか見られませんが、
appleTVを契約している方、ぜひご覧ください。
当ブログがこれからこのシリーズで取り上げるミッション、
そして武器なども、実にリアルな映像で登場して一軒の価値ありです。
さて、今日は、メンフィス・ベルに、トップ・ターレットガンナー、
兼フライトエンジニアとして乗り組んだ軍曹についてお話しします。
冒頭写真はメンフィス・ベルのトップ・ターレットです。
トップターレットはボールターレットの反対で、飛行機上部の砲座です。
戦闘配置の時にだけそこに立てばいいので、
飛行時はパイロット二人の後ろにいる感じです。
万が一、上部砲塔の砲手が機外に脱出しなければならなくなった場合は、
爆弾倉のドアから脱出することになります。
それが可能ならば、パラシュートをつけてここから飛び出したでしょう。
ターレット単体はこのようなもので、砲手は足置き場に登り、
エポキシガラスのドームに頭を入れて、発射桿を握り、
自分の足場ごと回転してターゲットを狙います。
空軍博物館所蔵の実物
装備されているのは二連装のブローニングM2 50口径機関砲で、
それぞれが1秒に14発発射します。
上部砲塔からに限ったことではありませんが、
銃撃するターゲットが航空機の場合、対象の速度を計算し、
さらに砲弾が自重で落下する位置と相手の飛行機がくるように撃ちます。
これは実際のB-17の操縦席ですが、こんな感じに
二人の間から顔を出して、指令を受けます。
こちらは映画「メンフィス・ベル」の一シーン。
上部砲手兼技術軍曹のバージ(リード・ダイアモンド)は、
操縦席の後ろから指令を受けたり、話しかけたりしています。
上の「マスター・オブ・ザ・エアー」ももちろんこのシーン満載でした。
■ 上部砲手/ 技術軍曹の任務と責任
重爆撃機プログラムの様々な段階における訓練は、
各搭乗員がそれぞれの職務に適するように設計されているのですが、
機関曹/上部砲塔砲手は空軍の専門技術学校で高度な訓練を受けます。
上部砲塔の位置がコクピットのすぐ後ろということから、
砲手でありながら高度な訓練を受けることによって
パイロットや副操縦士と密接に協力し、エンジンの作動、燃料消費、
すべての装備品の作動をチェックするという重要な役目をこなし、
かつ砲手としても技術を持つ人材がここに配置されることになりました、
この図で、ノーズの先端から下を見ているのが爆撃手です。
上部砲手はこの爆撃手と連携して爆弾投下を補助する役割を負うので、
爆弾倉のコック、ロック、装填の方法を熟知していなければなりません。
それから、爆撃手のすぐ後ろにいるナビゲーターとも連携します。
無線機器に関する一般的な知識を持ち、
送信機と受信機のチューニングを補助できること、
燃料のマネージメントにも責任を持ちます。
そして、他の配置に増して航空機識別には専門的な知識が問われます。
パイロットや副操縦士を含め、乗組員の誰よりも
飛行機について詳しくなければならない。
それが技術軍曹たる上部砲手が持つべき資質なのです。
そして、砲手でもある彼は、当然ですが、兵装、
特にブローニング機銃に精通していなければなりません。
ただ撃てればいいというのではなく、銃の取り外し、清掃、
再組み立ての方法、銃の整備方法、ジャム(つまり)や停止の除去方法、
銃と照準器の合わせ方を誰よりもよく知っていること。
兵装だけでなく、エンジンについても熟知していることが求められます。
これには乗員全員の命、装備の安全、任務の成功がかかっていますから、
上部砲手がその鍵を握っていると言っても過言ではありません。
■ 上部砲塔砲手ハロルド・ロッホ
左端:ハロルド・ロッホ
ハロルド・ロッホは1919年11月29日、ウィスコンシン州生まれ。
ハロルド・ロッホは12人兄弟の一人でした。
父ジョセフはウィスコンシン州デンマークで居酒屋を経営していましたが、
禁酒法が施行されてしまったので、海洋建設会社に就職しています。
ハロルドは1937年に高校を卒業してから、時給75セントで
パルプ、セメント、砂糖の船に荷を積む労働をしていましたが、
1941年12月、第二次世界大戦が始まると、陸軍航空隊に入隊。
若い二等兵は基礎訓練終了後マクディル飛行場に向かい、
航空砲手、無線技師、航空機技師になるための訓練を受けました。
1942年5月16日、航空機関士兼航空砲手として戦闘任務に就く許可を得て
伍長に昇進し、8月1日には軍曹になっていました。
メンフィス・ベルには最初第2機関手として配属され、後に砲塔砲手に転換。
ロッホは戦闘地域に入る前に殉職しそうになったことがあります。
しかも、究極のフレンドリー・ファイアーで。
ある日彼がテクニカルサージャントとしての任務として
翼の上でガスタンクをチェックしていたら、
尾部砲手のジョン・クインランが(写真の前列飛行眼鏡、フライトスーツ)、
本来のロッホの職場であるトップ・ターレットにもぐりこんで、
ふざけて銃座に着き、翼の上にいるロッホを狙って撃つ真似を始めたのです。
トップ・ターレットの銃にはそのとき実弾が1発残っていました。
クインランが引き金を引くと、弾丸はロッホの頭をかすめました。
「クインランはこの一件で地獄を見たよ」
当たっていたら軍法会議行きだったかな・・・。
■ ヨーロッパ戦線へ
メンフィス・ベルはその後大西洋横断をしてヨーロッパ戦線に就くのですが、
途中、補給のためスコットランドのプレストウィックに立ち寄りました。
そのとき給油を手伝っていたスコットランド人のかわいい女の子が、
彼に名前を尋ねてきました。
「ロッホLOCHだよ」
「ロッホ・ローモンド」というスコットランド民謡をご存知でしょうか。
スコットランドはアイルランドの一部、アルスター地方とともに
スコットランド語を話す地方です。
英語とは近い関係ですが、分類としてはゲルマン語派に属する言語で、
「ロッホ」Lochは湖とか入江という意味になります。
余談の余談ですが、「蛍の光」も原曲はスコットランド語の歌詞で、
タイトルの「Auld Lang Syne」から、海軍兵学校ではこの曲を
「ロングサイン」と呼んでいました。(発音的にはラングサインが正解)
ただし、英語に変換すると「Old long Since」なので、
もう一つの日本語題「久しき昔」が意味としてはより正確です。
余談の余談ついでに、ロングサインこと蛍の光の曲は、五音音階による旋律で、
固定ドでいうファとシがない「ヨナ抜き音階」の曲となります。
ヨナ抜き音階は明治時代特に軍歌(嗚呼玉杯に花うけて)や
童謡(どじょっこふなっこ)民謡(木曽節)に多用されました。
その流れから現代の演歌はほとんどがヨナ抜き音階でできており、現代のポップスも「千本桜」「恋」(星野源)などヨナ抜き多数です。
閑話休題、話を戻して。
ロッホという名前がスコッチ由来だったので、スコットランド人の女の子が、
「スコットランドの名前のアメリカ人飛行士に会ったことを喜んでくれた」
ため、彼はとても楽しい気分になったということです。
そのとき、飛行場の周りには、小さな子供たちが遊んでいたので、
ロッホは、乗組員が食べなかったサンドイッチの箱があったことを思い出し、
それが古くなって廃棄するくらいなら、と小さな子供たちに見せると、
子供たちは大喜びで、
『白パンだ!白いパン!』
どうも彼らは白いパンを見たことがないようでした。
アメリカ人の目から見たら、白いパンは豊かさの象徴で、
スコットランド人は白いパンを知らない=貧しい、だったのかもしれません。
言わせてもらえばアメリカの白パン、砂糖などの白い食べ物至上主義、
安易な加工品を便利で先進とする大企業優先のコマーシャリズムは、
現在のアメリカに肥満人口世界一という不名誉なタイトルを与えていますが、このころのアメリカ人には知るべくもないことでした。
ただし、ここで金持ち国のエリート搭乗員という選民意識から、
貧しい子供に施しをしてちょっといい気分になっていたロッホには
のちに手痛いしっぺ返しが待っているのです。
■ Cレーション窃盗〜イギリスでの生活
とにかく、彼はそのとき「かわいそうな子供たちに」
サンドイッチを分け与えてしまったわけですが、
その後イギリスに上陸し、配給として与えられる食料の多くが
野菜(キャベツと芽キャベツ多め)であることをもし知っていたら、
決してそれをしなかったでしょう。
アメリカ人の芽キャベツ嫌いは異常。
お腹が空いているなら大人しく芽キャベツ食っていればいいものを、
ロッホや仲間たちは空腹に耐えかねて、ついに倉庫に忍び込み、
非常用に保管されていたCレーションのケースを盗むに至りました。
その箱を隠し持ち、誰もいないときにこっそり食べていたら、
盗まれたのが発覚し、大がかりな捜査に発展してしまいます。
捜査のためにMPが数人出てきて、ベルのメンバーも取り調べられましたが、
結局最後まで犯人だとはバレずにやり過ごすことができました。
バレずにすんだのはよかったけど、戦時中の窃盗は重罪だぞ。
しかもその理由が「芽キャベツ嫌いだから」て。
また、イギリスは寒く、宿舎を暖める石炭は全く足りませんでした。
おまけに支給された「まるで馬の毛でできたような」英国製の毛布で寝ると
「多くが"兵士の呪い "にかかった」。
兵士の呪い、それは疥癬に冒されるという恐ろしいものでした。
そこでロッホは毛布を使わず、フライトスーツで寝ることにしました。
フライトスーツはムートンで裏打ちされていたので、
快眠とはいえないまでも、少なくとも疥癬の痒みからは逃れられたのです。
給料日には、飛行場のあちこちでポーカー大会が繰り広げられました。
給料のほとんどは数人のギャンブラーの懐に入っていきました。
ハロルドはそういうゲームには参加しようとしませんでした。
両親がトラクターを買うため、給料のほとんどを家に送っていたからです。
■ 結婚と戦後の人生
最初から最後までのベルのメンバーとして任務を完遂し、
帰国して国債ツァーに参加した、というところまで他のメンバーと一緒です。
そのように仕組まれたので当然とはいえ、ベルのメンバーは
士官から下士官まで全員がツァー中絶賛モテ期到来だったため、
調子に乗って女性に手を出しすぎた人がいるかと思えば、逆に
昔からのガールフレンド以外目をくれず生涯添い遂げた人もいました。
彼の場合はそのどちらでもなく、ツァー中に知り合った女性と結婚しました。
戦時国債でテキサスに出会ったのはエグジー・アン・ミラー。
二人は1944年に結婚し、8人の子供と15人の孫に恵まれました。
仕事は戦後住宅建設業、H P Loch & Sons Construction社を立ち上げ、
そのかたわらブラウン郡登記官を連続14期務めました。
1974年にリタイアしてからは、鹿や鳥の猟を楽しみ、毎週カジノに通い、
2004年11月12日、愛する人々に囲まれ、豊かな生涯を閉じました。
映画「メンフィス・ベル」のキャストと
後列右から3番目前列右から2番目が上部砲塔砲手、TSを演じたリード・ダイヤモンド
”敵の領土に入る時には張り詰めた一種の期待感がある。
そこで何が起こるかは誰にもわからない”
ハロルド・ロッホ
続く。