アメリカ空軍博物館の展示から、爆撃機関連を取り上げていますが、
今日は連合軍の攻撃を受けて立つドイツからの視点でお送りします。
■ アングリフ-バイ ターク ウント バイ ナハト
ここに展示されているのは、数千枚単位でドイツに投下された
小冊子で、そこにはこのような「警告」がドイツ語で書かれています。
昼夜攻撃
イギリス空軍の巨大爆撃機、スターリング、ハリファックス、
ランカスターは、夜間作戦で激しい攻撃を行っている。
そして今アメリカ空軍が特殊な航空機を昼も夜も繰り出している。
S.29 ショート・ブラザーズのスターリング、
ハンドレイ・ページのハリファックス、
A・V・ロー(アブロー)社のランカスター、
そしてアメリカの特殊な航空機とはB-17のことでしょうか。
絵に描かれているのはB-17とランカスター?
この小冊子とやらがドイツ国民に何を訴えたかったかというと、
つまり昼も夜もお構いなしに爆撃してくる連合軍は悪い、ってことかな。
ごもっとも。
■複合爆撃機攻撃
Combined Bomber Offensive
さて、ドイツが警告しているところの米軍と英軍の昼夜爆撃作戦は"Combined Bomber Offensive "として緩やかに連携体制を取り、
この計画により、「24時間体制」での敵爆撃が確立されていきます。
ドイツにしてみれば、昼間米軍、夜間RAFで切れ目なしに来られた日には
もうちょっとお手上げなんですけど、ってなるでしょう。
コンバインド・ボマー・オフェンシブ=CBO
は、この頃の連合軍が採用した作戦名であり、最優先として
V兵器施設(1944年6月)と石油、潤滑油(POL)工場(1944年9月)
に対する攻撃を行うというものです。
繰り返しになりますが、RAFの爆撃作戦は銃爆撃機による夜間、
アメリカは日中の爆撃を受け持ち、切れ目なく攻撃を行いました。
この計画は1943年、”ハップ”・アーノルド将軍によって
アメリカから情報の共有が提案され、同年6月から実施されました。
攻撃目標は、1944年のDデイまでは、ドイツの戦闘機部隊と
ボールベアリングおよび石油産業が優先目標とされました。
■ ルフトバッフェ
CBOを迎え撃った当時のルフトバッフェの戦闘機です。
高速かつ重武装のドイツ空軍のフォッケウルフFw190ヴュルガー
は、爆撃機乗組員にとって手ごわい相手でした。
ちなみにヴュルガーとは鳥の百舌鳥のことです。
超余談ですが、この機体、日本陸軍に輸入されたことがあって、
黒江保彦陸軍少佐が試験飛行しています。
それによると、
旋回戦;三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」に完敗
高度6,000mにおける速度競争;1位 P-51C2位3位 同率:Fw190A-5&四式戦「疾風」
4位 三式戦「飛燕」5位 P-40
だったということです。
P51とP-40は鹵獲機。
このレース、出足ではFw190がリードしていましたが、
3分後にはP-51に追い抜かれて最終的にこの順位になりました。
メッサーシュミットBf109
改良が続けられ、ドイツ空軍は開戦から終戦まで使用していました。デビュー当時はハインケル51の代替として歓迎されましたが、
航続距離が短いのが欠点で、爆撃機の護衛で同行しても
どうしてもロンドンを通過することができず、そのためイギリスは
諸島に点在していた訓練地や生産拠点が無事でした。
こちらは国立博物館所蔵のメッサーシュミットBf 109-10です。
最後の主要シリーズで、連合軍の爆撃で生産が滞り、
この機は2,000機未満しか生産されませんでした。
この展示機は、連合軍の爆撃機からドイツを防衛した部隊であるJagdgeschwader 300の機体を表す塗装が施されています。
JG300、別名ヴィルデ・ザウ(イノシシ)は夜間戦闘機部隊、
のちに昼間戦闘機部隊に改編された部隊で、指揮官は
275勝を挙げ、史上3番目に高い得点を挙げたエースである
ギュンター・ラール空軍大将が戦争最後の指揮官を務めました。
Günther Rall, 1918- 2009
いい人そう
ルフトバッフェトップエースで連邦軍大将に上り詰めた数少ない例
メッサーシュミットBf110
ドイツ空軍はまた、重爆撃機から身を守るために
同機のような双発戦闘機も採用していました。
■ 死線のヨーロッパ上空
ドイツ空軍はアメリカ空軍の戦略爆撃に対抗するため、
それなりに高度な防衛システムを構築していきました。
敵の戦闘機と対空砲「フラック」は連合国側に壊滅的な被害をもたらし、
アメリカ空軍は、通常10人の乗員を乗せた重爆撃機、
8,000機以上を、ヨーロッパ上空での戦略爆撃作戦中の戦闘で失いました。
このポスターは、まさにその時の連合国側の心境を描いています。
しかし、当初は無敵だったルフトバッフェの戦闘機も、
戦争後半に導入されたP-51マスタングやP-47サンダーボルトなど、
アメリカ空軍の長距離護衛戦闘機が出現すると脅威ではなくなっていきます。
連合軍の爆撃機攻勢を守るこれらの飛行隊に対し、
第三帝国空軍は制空権をめぐる決戦に誘い込まれ、その結果、
連合軍はその戦いを制し、西ヨーロッパへの侵攻を進めていきます。
■ドイツ空軍グッズ
いくつかのルフトバッフェグッズが展示されています。
ルフトガウ コマンド・ベルギー-ノルトフランクライヒ
(ベルギー-北フランス航空方面本部)隊旗
先ほどのイラストは、まさにこれだったんですね。
ハーケンクロイツを持つワシ(ドイツ軍のシンボル)が
敵機を墜落させているという意匠です。
この組織はベルギーと北フランスの対空防御と早期警戒担当でした。
米空軍の重爆撃機はこの地域の目標を攻撃し、
対独空襲では定期的にこの地域を通過しなければなりませんでした。
ドイツ空軍対空砲手のユニフォームバッジ
ホーチャー(音響探知機オペレーター)制服バッジ
ドイツ空軍は、巨大な聴音機を使用して、
エンジン音によって飛来する爆撃機の位置を特定していました。
ドイツ空軍B-17戦勝記念標章
この戦勝標は、1943年2月4日の日中、
Bf110夜間戦闘機パイロットのハインツ・グリムという人が
第8空軍B-17に勝利したことを記念したものです。
グリムは1943年10月に戦死するまで、
アメリカ空軍とイギリス空軍の爆撃機を20機以上撃墜しました。ドイツの戦歴サイトを当たったところ、1943年10月13日死亡とされ、
はっきりした状況はわからないまでも夜間戦闘機に撃墜され、
墜落して戦死したということになっていました。
Bf 109の尾翼と空襲警報ヘルメット
ヘルメット
ボランティアの空襲警報サービス(Luftschutzwarndienst)の市民は、
爆撃機の攻撃が迫っていることを住民に知らせる役目でした。
この任務は、爆撃機の攻撃が増加するにつれて、
すべての市民に義務付けられるようになっていきます。
Bf 109の尾翼
メッサーシュミットBf 109は、爆撃機の乗組員にはMe 109として知られ、
ナチス・ドイツで最も数の多い戦闘機でした。
ここにある尾翼がどういう由来のものか説明はないのですが、
明らかに撃墜されたもので、ハーケンクロイツには銃痕が残っています。
続く。