映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」三日目です。
本日扉絵左上の百武晴吉陸軍中将ですが、昭和17年、
ガダルカナル島奪回のために派遣された第17軍の司令官でした。
ところでこの百武という変わった名前に覚えがありませんか?
当ブログでは入手した海軍兵学校の遠洋航海記念アルバムをもとに
シリーズとしてここで紹介したことがあるのですが、
練習艦隊司令官としてこの年(淵田美津雄が在籍していた)の
遠洋航海を指揮したのが、晴吉の兄、百武三郎大将でしたね。
兄なのになぜ名前が三郎なのかというと、百武家は5人兄弟で、
三郎の上に二人(おそらく一郎か太郎、二郎という名前の)兄がいたからです。
百武家は三郎、源吾(海軍大将)そして晴吉と3人の将官を輩出しており、
三郎と源吾は海軍史上唯一、兄弟の海軍大将となりました。
晴吉陸軍中将は、兄三郎に似て眼鏡の細面ですので、
映画の百武役はあまり、というか全く似ていません。
これは三郎の弟海軍大将の五男、百武源吾ですが、
不思議なことに?こちらにそっくりです。
映画の配役担当がこの人と写真を間違えていたのではないかと思うくらい。
そして、左下の栗田健男ですが、これはもう全く、
誰がなんと言おうと似ておりません。
「全く似ていないで賞:海軍部門」を謹んで進呈します。
逆に、「そっくりで賞:陸軍部門」を差し上げたいのが今村均陸軍大将。
佐々木孝丸という俳優は多才でプロレタリア作家、翻訳家などの面を持ち、
スタンダールの「赤と黒」の翻訳(フランス語)も行っています。
さて、続きと参りましょう。
ここは岩国海軍航空隊。
現在は米海兵隊が運営しており、軍民共用の岩国錦帯橋空港となっています。
訓練を終了し、これからおそらくは南方の戦地に送られる
新人航空兵たちを前にしているのは、あの木村中尉でした。
今日は山本長官が岩国基地に視察に訪れていました。
一人一人の前に立ち、前列の航空兵に飛行時間を尋ねる山本。
「220時間であります 」「230時間であります」「210時間(略)」
零戦以前のパイロットは、総飛行時間300時間でどうにか操縦がまともにでき、
500時間で列機が務まり、7〜800時間でようやく一人前、
1000時間でベテランだったそうですが、それらのベテランは
ミッドウェーの後くらいになると多くが戦死してしまい、
200〜300時間クラスが戦争に出されることになりつつありました。
■ガダルカナル攻防戦
下矢印は、エスピリッサント島に進出するアメリカ艦隊、
上からきているのはラバウルに進出した日本軍の第2、第3艦隊です。
そのちょうど間にあるのが・・・ガダルカナル島です。
両軍の凄惨な争奪戦が始まる、ということを説明しているのですが、
この図がわかりやすくて、感心してしまいました。
昭和17年8月24日の第二次ソロモン海戦の大戦果を報告するのは
大本営の平出(ひらいで)英夫報道部長。
実物
ここで余談です。
2020年の朝ドラ「エール」でも扱われた戦時プロパガンダの一つに、
「音楽は軍需品なり」
というのがあり、この言葉の生みの親が平出大佐でした。
当時の音楽家にとってはこれは贅沢品と迫害されないための錦の御旗となり、
多くの音楽家がいわゆる戦意高揚のための協力を行いましたが、
彼らのほとんどは、戦争が終わるや否や慌てて?アリバイを主張したり、
あれはやむなく、などと保身のために言い訳しました。
わたしの知る限り「空の神兵」の高木東六氏はその典型だった気がします。
時世と価値観の変化を思えば、それを責めようとも悪いとも思いませんが。
その頃、陸軍部隊はガダルカナルに進出したものの、
米軍はすでに三本もの滑走路を完成させ、そこから猛攻をかけてきました。
ここトラック島の旗艦「大和」司令室では、黒島&渡辺参謀をラバウルに送り、
陸軍との話し合いを行うよう要請が行われました。
テーマは補給のための物資輸送です。
連合国軍が8月7日にガダルカナルに奇襲上陸したのを受けてのことでした。
海軍側がこのとき提案したのがいわゆる「鼠輸送」でした。
夜間、高速の駆逐艦を用いるしかなかったので、輸送量が限られ、
貨物クレーンも搭載していないことから、大型武器の運搬はできませんし、
月が明るい時期には駆逐艦が発見されやすく実行できませんでしたが、
それでも述べ350隻の駆逐艦が投入され、2万人が輸送されました。
駆逐艦で輸送を行うことを非効率的だというのは、辻政信参謀。
トラック島に戦艦がゴロゴロ「遊んでいる」のだから、
大船団を組んで輸送してくださいよ、とつっかかってきます。
渡辺参謀が、駆逐艦を輸送に出すのは海軍にとっても大変な犠牲である、
少しは海軍の立場も理解してもらいたい、というと、
「しかし、ミッドウェーの失敗は海軍ですよ?ガダルカナルだって先に手を出したのは海軍だ」
と、(海軍側にとって)ムカつくことをズバリ。
険悪になる雰囲気を宥めたのは流石の百武司令でした。
「どうか陸海心を一つにしてこの難局を乗り切っていただきたい。
それがこの百武の願いです!」
本物への似ていなさもあって、わたしもそうだったでしょうが、
この一言がなかったら、この司令官が誰だかわかる人はいなかったでしょう。
よっぽどこの時代の戦史に詳しい人でもなければ。
いよいよ「鼠輸送」が決行されることになりました。
駆逐艦は昼間敵との接触を避け、北方航路を30ノットで進みます。
駆逐艦には本格的な上陸用舟艇も積めないので、
手漕ぎの小型上陸用舟艇に物資兵員を移して、
駆逐艦の内火艇で曳航する方式が基本でしたが、時としてこの映画のように
ドラム缶に入れた食料や弾薬を縄でつないで海上へ投棄しました。
「これで一体どれくらい味方の手に届くんだろうな」
「いいところ5分の1さ」
水雷戦隊を自認する駆逐艦乗員が、自らの任務を自嘲しつついうと、
たちまち先任が、
「ガダルカナルで飢えて物資を待つ将兵のことがわからんのか!」
と怒声混じりに叱咤し、皆は(´・ω・`)となります。
物資の受け渡しのために陸軍の兵たちが海岸に集結しました。
「作業かかれ〜!」
隊長が怒鳴ると、なんとびっくり、皆海岸で服を脱ぎ出すじゃありませんか。
実際の鼠輸送では、海に流したドラム缶などの物資を、
現地部隊の大発が回収するという方法がとられていましたが、
この映画では大勢が泳いで物資を集めに行くということになっています。
大発でもしばしば回収に失敗することがあったというのに、
人が・・泳いで?
駆逐艦では物資の投下が始まりました。
まるで夜間遠泳大会。
本当にこんな生身で物資を拾いに行っていたんでしょうか。
その時、駆逐艦が連合軍に発見され、空襲が始まりました。
夜間は敵戦闘機の飛行も限られていたので、この映画のように
夜間の作業中敵飛行隊の空襲がどれくらいあったかは疑問ですが、
輸送に向かう日中の往路復路は見つかるたびに空襲を受け、
この結果、聯合艦隊はガダルカナル作戦中の半年で駆逐艦を14隻喪失、
損傷は述べ63隻におよぶ被害を出しています。
またWikiによると、駆逐艦がこれほど損害を受けた理由は、
当時の聯合艦隊の艦隊型駆逐艦が、
「缶室か機械室のどちらかに浸水すると動かなくなる」
という弱点を持っていたことでした。
たまりかねて海軍は鼠輸送専用の輸送艦、
第一号型輸送艦
二等輸送艦(第百一号型輸送艦)
を作ったほどです。
ちなみに第一号型は日本で初めてブロック工法で建造された艦でした。
必要は発明の母?
それから、鼠輸送の最中に、つまり夜間、敵水上部隊がやってきて
夜戦になだれ込んでしまうことが数回ありました。
ルンガ沖夜戦、ビラ・スタンモーア夜戦、クラ湾夜戦などがそれです。
日本の駆逐艦は夜戦が得意だったので、これら艦隊戦には勝ち気味でしたが、
もちろん本来の目標である輸送に支障をきたしたことは否めません。
この映画でも物資どころではなくなり、輸送任務を行っていた
「叢雲」は航行不能、「夏雲」は沈没した、という設定です。
実際の「夏雲」はサボ島沖海戦に「衣笠」と合同で戦闘に当たるため、
「叢雲」は海戦で沈没した「古鷹」の乗員の救出のために出動し、
空襲によって「叢雲」は航行不能、「夏雲」は沈没しています。
司令官室の連合艦隊軍艦名簿に赤で❌をつける渡辺参謀でした。
無言で司令官室に戻り、スローテンポの「佐渡おけさ」を唸る山本。
そんな山本を心配気に眺める従兵の近江三曹。そんな近江に、山本は、これから二種軍装を着用するから用意してくれ、
とさりげない調子で命令しました。
そのとき、「大和」に陸軍の船が着舷しました。
陸軍の船だから大発?と思いましたが、妙にモダンです。
ラバウルにこんな近代的な船があったのか?
やってきたのは陸軍参謀本部の辻政信でした。
ガダルカナルでの輸送作戦が実を結んでいないこと、
なんとしてもガ島を奪還したいことを語ります。
「後続部隊として第二師団がラバウルに集結しております。
百武司令官は『これ以上海軍に迷惑かけては』と、自ら輸送船に乗り込み、
裸の船団でガダルカナルに乗り上げるとまで申されております!」
これはどの程度史実に忠実かは少し疑問があります。
ガダルカナルの実情を無視して攻撃を強行した本人でありながら
失敗に対する対応策を迅速に行わなかったのもまた辻であり、
ここまでガダルカナルにこだわりながら、具体的な策を出しませんでした。
この誤った作戦指導が多くの人命を失う結果となったという説もあります。
そして本人はというと、現地でマラリアにかかり、
鼠輸送のため到着した「陽炎」に便乗して撤退しています。
「毀誉褒貶が激しく歴史的評価は真っ二つ」
という辻政信ですが、石原莞爾のようなキレ者というわけではなく、
戦後のCIAは、この人物について、
「政治においても情報工作においても性格と経験のなさから無価値」
「機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男」
と断じています。
軍人としての資質がなければ、真の意味での道徳心もないってことですか。
山本は、辻に
「百武司令には、乗るなら駆逐艦に乗って行くように」
と伝言させました。(意味不明)
そして、ゆっくり飯でも食っていきたまえ、などと言います。
これは実際にあったことで、辻が「大和」に山本長官を尋ねた際、
物資統制にもかかわらず山海の珍味が食卓に並んでいたのを見て、
「海軍はゼイタクですね」
と皮肉を言ったそうですし、その少し前、
トラック島泊地で第四艦隊司令長官井上茂美中将の接待で
海軍専用料亭(料亭小松)の宴席で芸者がいたことなども、
同じく不快と違和感を感じていたことを自ら書き遺しています。
料亭小松の「お国を思う覚悟の出張」(空襲による芸者の犠牲も出た)や、
山本長官のせめてもの「心づくし」など知るよしもなかったからですが、
のちにそれらのことを聞かされた辻は、
「下司の心をもって、元帥の真意を忖度しえなかった、恥ずかしさ。穴があったら入りたい気持ちであった」
と、自分の言動を反省したそうです。CIAからは酷評でしたが少なくとも自省できる人物ではあったようです。
ついで山本は本作中似ていないで賞大賞の栗田健男(左端)を呼びました。
「ガダルカナルの戦局を打開するために、『金剛』『榛名』で
泊地突入し、艦砲で敵飛行場(ヘンダーソン基地)を叩いて欲しい」
ヘンダーソン基地艦砲射撃
「やらせていただきます」
この映画では草鹿の反対を圧して栗田がこう言っていますが、
実際は、作戦に当初及び腰だった栗田が、山本の
「ならば自分が大和で出て指揮を執る」
という言葉でやむなく?引き受けたという経緯がありました。
そして「金剛」を旗艦とする第三戦隊が出撃しました。
このとき「金剛」「榛名」は合わせて966発の艦砲を発射し、
ヘンダーソン飛行場は半分強の飛行機が被害を受け、
個別の戦果で言うと「日本軍の勝利」となりました。
泊地艦砲攻撃を命じた第三戦隊出撃を見送る山本を、
従兵の近江兵曹は心配気に見つめ、藤井政務参謀(藤木悠)に、
なぜ長官はいつも目立つ白い第二種軍曹をしているのかと尋ねます。
山本は「大和」艦上で、
「あと百日の間に小生の余命は全部すりへらす覚悟に御座候」
と言う手紙を故郷に送っていますが、次にその手紙を書くシーンが挟まれ、
白の二種軍装が山本にとっての「死装束」だったことが示唆されます。
続く。