奈良から帰ってきてすぐ、MKが帰国した時の重要な任務である、
デンタル関係(普通の歯科と矯正歯科)に行ってきました。
矯正に関しては高校生の時と遅い時期になってしまったのですが、
噛み合わせの調整も含めて結構大変なその治療を、
「アメリカの大学に行ったり、もしアメリカで生活するのなら
多少大変でも絶対に矯正はやっておいた方がいいと思います」
と始めさせてくれた矯正歯科の先生には大変感謝しています。
矯正は無事に終了し、今は帰国のたびに歯並びをチェックして、
ナイトガードを調整してもらうために一度訪れることにしています。
矯正歯科のある代官山は、東京でも特にお洒落な雰囲気のエリアで、
建物も、その中に入っている店舗も来るたびに変わっています。
歯科のあるビルの一階には無印良品が絶賛開業準備中でしたし、
このブルーボトルコーヒーも冬に来た時にオープンしたばかりです。
車はいつもTSUTAYAのパーキングに停めるのですが、
買い物をしてサービス券を貰ってもまだ高い駐車代にいつも唖然とします。
東京都心は間違いなく世界で一番駐車料金の高い地域でしょう。
ここに来ると、つい頼んでしまうスモークサーモン付きのプレート。
アボカドが付いてくるのは嬉しいのですが、アメリカとは違い、
コンディションのいい(黒くなったりしていない)ものはまれ。
アメリカでは店頭でその日に入ったものの熟れ具合を目で確かめて、
一番美味しい時にいただくことができるのですが、輸入品に頼るため、
日本では難しく、このときのアボカドも果肉が黒ずんで苦くなっていました。
最近は日本で美味しいアボカドを食べることはほとんど諦めていて、その分、アメリカに行くとその分もせっせと摂取しています。
クリーニングとチェックアップの歯医者は汐留にあるので、
お昼は日テレ近くのブラウンライスカフェ、銀座通りのファンケルビル、
あるいは銀座三越のレストラン街になります。
三越にはいくつか中華レストランがあり、これは
その中でわたしが一番美味しいと思った四川飄香(ピャオシャン)。
中華100名店2021にも選ばれたそうです(今知りました)。
麻婆豆腐大好きのMKが、美味しいと感嘆し、
単品で注文した鶏(よだれ鶏)も最高でした。
わたしが頼んだあっさりスープの鶏麺は、お店の方が、
「味変にどうぞ」と持ってきてくださった薬味でこちらも大満足。
■ 稚内に到着
さあ、恩返しツァーも後半戦に差し掛かりました。
何日か横浜に滞在した彼らと、羽田空港で集合し、
1日に2便しかないという羽田ー稚内便に乗って1時間半後、
飛行機が下降してくると、緑地の尾根に風力発電の風車が見えてきました。
広い土地利用の一つの方法としての風力発電開発です。
ところで、稚内にはTOの仕事関係の知人が提携業務をお持ちで、
兼ねてからいいところだからぜひ、とお勧めされていたので、
アメリカから帰ってきてから行ってみようと検討していました。
ちょうどその頃、MKの恩人GBくんが日本に来てくれることが決まったため、
一応本人に北海道に興味はあるかとと尋ねてみたところ、
ぜひという返事だったので恩返しツァーの一環として計画したという経緯です。
この海岸線はもしかしたら日本の最北端?
眼下に円形の緑地帯が見えますが、これは宗谷公園の多目的広場、
「宗谷ふれあい公園」で、「ふれあいゴルフ場」「ふれあいオートキャンプ場」
「ふれあいキャンプ炊事棟」「ふれあいロッジ」などがあり、
やたらとふれあっている一帯であることがわかりました。
一角に位置する「サハリン友好の森」は、サハリン州との連携を通して
民間レベルでの日露友好を深めようとしている運動の賜物のようです。
空港のレンタカーで一番セレナ(ミニバン)を借りて、
迎えにきてくださったTOの知り合いの知り合いの後を付いて走りました。
この日は晩までこの方のご案内で行動することになっています。
ちなみに空港駐車場は無料で、その気になれば何日でも停められるそうです。
世界で一番駐車場の高いところからやってきたわたしは軽くショックでした。
お昼を食べていないわたしたちのために、案内の方は、
(有名牧場の社長、つまり牧場長)レストランに連れて行ってくれました。
クロユリ群生地にいきなり現れたのは風車のついたサイロ風建物。
ここは宗谷丘陵上に立つ展望&休憩施設です。
後で知って驚きましたが、4月29日から11月3日の間しか営業しないそうです。
今年にもうあと少しで営業終了するということですね。
牧場長さんが連れて行ってくれたのはここの食堂。
もう2時になっていたせいか、客は私たちだけでした。
それにしてもテーブルとテーブルの間が広い。
迷いながら選んだ塩ラーメン。
北海道の食事はどこに行ってもハズレなし、とは知っていましたが、
プリプリと弾力がありかつ柔らかいホタテ、あっさり目のスープ、
コシのある麺が混じり合って絶品でした。
最初いくら丼を頼んでいたのに、皆が「ラーメン」と言うので
ふと気が変わって結局ラーメンにしてしまったわけですが、
お店の人がミニ丼もあると提案したので、TOが追加で頼んでくれました。
このイクラが他で食べるものと全く違ったのは、
この写真からもお分かりいただけるでしょう。
■日本最北端の地に立つ
そしてここに来る観光客が全員そうするように、最北端に到達。
宗谷岬の「日本最北端の地の碑」は日本の「てっぺん」にあります。
ふと横を見ると、間宮林蔵の像が。
身体を微かに捻り、その視線はサハリンの方向に注がれています。
この日は沖にサハリンが見えましたが、間宮はこれが島であることを発見し、
ついでに島と大陸の間に海峡があることも発見し、間宮海峡と名付けました。
それまでサハリンが島だと誰も思わなかったのかい、
とつい思ったのですが、これをご覧ください。
展望台にあった間宮のサハリン探索コース
これを見ると、宗谷から見る限り、サハリンが島なのか、それとも
大陸から生えている?半島なのかは不明だったのがわかりますね。
これは、間宮が実際にサハリンに行って、大陸との間に
海峡があることを確かめて初めてわかったことでした。
ところでわたしはなんとなく間宮林蔵はスパイだった、
という噂というか都市伝説めいたことを聞いたことがあったのですが、
wikiにより、実際樺太探検が終わってから、幕府の隠密として
全国各地を調査して、地方の犯罪を検挙していたということを知りました。
「スパイ」という言葉が的を得ているかどうかはともかく、
職業欄も「御庭番」「探検家」となっているので、探検より隠密が主任務で
噂?は本当であったということになります。
■ 牧場見学
TOの知人の紹介ということで空港まで迎えにきて下さった牧場長には、
最北端観光に続き牧場の見学もさせていただきました。
まず牧場事務所で、会社(牧場)案内のビデオを観覧。
その後車で牛舎に連れて行かれたのですが、
事務所を出たところで全員防疫のための青い靴カバーを渡されました。
まず連れて行かれたのが仔牛の生育ブース。
生まれた仔牛はすぐに母牛と引き離される運命ですが、
成長にとって大切な免疫を含む初乳は飲ませてもらえます。
ここでは実際に母牛から直接もらうのか、それとも初乳を搾乳するのか、
そこまでは聞けませんでしたが、この話を聞くと、いつも
「♩僕が毎日牛乳飲むから それを仔牛が知っているから
怒っているのか 牧場の仔牛 知らない顔して遊んでいました」
という歌を思い出します。
小さい時には、なぜ僕が牛乳を飲むと仔牛が怒るのか、
自分も飲んでるんだからいいじゃないか、と思っていたのですが、
仔牛が牛乳を飲めるのは初乳だけで、あとは母と引き離されて人工乳、
と知ってなるほどと思いました。
動物の子供は何でも可愛いものですが、黒々とした目の仔牛の可愛さは異常。
しかし、牧場の牛が何のためにここにいるかを考えると、
彼らを「かわいい」と思うことにすら、心の何かがストップをかけてきます。
いや、いいんですけどね。「可愛い、そして美味しい」で。
可愛いに「そう」がくっついてきさえしなければ。
「命をいただく」ということに関しては、当牧場のHPを見ると、
他の同業種同様、定期的に彼らを慰霊する「獣魂祭」を執り行っています。
当牧場の牛には黒毛の和種からできた「和牛」と、
黒毛と「ホル」(ホルスタイン)を掛け合わせた「黒牛」の2種類がいます。
ホルスタインの血が入ると、どこかに白い模様が入るそうです。
ブースの中には、干し草、水、ミルクの3点が備えられています。
大人牛がいる牛舎にも案内してもらいました。
車を前に停めると、中から鹿が二頭飛び出してきました。
時々忍び込んで、牛のご飯を食べるのだそうです。
忍び込むといえば、牧場のニュースを見ていたら、かつて
ヒグマが「散歩していたのでハンターが捕獲した」という記事がありました。
捕獲されたヒグマ
「銃器を使用して捕獲」って・・・つまり射殺したってことですよね。
鹿がご飯を盗むくらいなら大目に見られても、ヒグマはなあ・・。
何かのはずみで牛を食べて、そのおいしさに目覚めでもしたら大変だから、
もう、問答無用で「捕獲」なんだな。
社長がこの牛さんたちを指さして、
「ここにいるのは今年のクリスマスには食卓に上がります」
それを聞いて全員、
「・・・・・・・・・・・」し〜〜〜〜ん
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)
その後は牧草地を一望にできる高台に案内していただきました。
ここを宗谷岬ウィンドファームといい、
風の強い丘陵地帯一帯に57基の発電設備が並んでいます。
当然のことながらこれが日本最北端の発電所です。
発電の風車は三菱重工業製。
2005年からここで作った電気は稚内全体の電気の6割を賄い、
全量を北海道電力に売電しているということですが、
20年目となる2025年からは新しい風車に建て替える計画だそうです。
丘陵地帯の道を進んでいくと、タイヤの感覚が「滑る」感じになり、
同時に「白い道」と呼ばれるちょっとした名所に差し掛かりました。
「白い道」は産廃となるホタテの貝殻を廃物利用して敷き詰めた
ロマンチックな自然のウォーキングコース(11キロコースと5キロコース)。
ですが、遮蔽物が一切なく、常に風が吹くこの丘陵地を、
2時間歩くために来る奇特な観光客は果たしているのかしら。
おそらくほとんどは、車で通過して途中で写真を撮るだけだと思います。
■波除ドームの壮麗
ホテルに近い、稚内港にやってきました。
ここには、名所の一つ、北防波堤ドームがあります。
北海道遺産、土木遺産に指定されたこの構築物は、文字通り防波堤ですが、
どうしてここだけこんな立派なものが唐突に、と思ったら、
昭和6年、北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船が就航していた頃には、
このドームの左端まで国鉄の線路が延長されており、
船から降りた人たちはドームを通って波にも雪にも濡れず、
「稚内桟橋駅」から電車に乗り込むことができたのだそうです。
今、遊覧船が就航していますが、別のところで発着します。
設計したのは北海道帝国大学を卒業した、
若干26歳の北海道庁技師、土谷実という人でした。
(今この名前で調べてもオウムの人しか出てきませんでした)
防波堤なのにエンタシス状の柱が並ぶ様子は実に壮麗というか、圧倒的。大学を出たばかりの一公務員である土谷技師のセンスの賜物です。
どうしてこの人がその後の建築界で有名にならなかったのか不思議ですが、
おそらく、彼はその人生を北海道庁に奉職することで満足していた、
ある意味「足るを知る」人物であったのではないでしょうか。
ドームは上に乗ることはできませんが、横には遊歩道ができています。
■大鵬幸喜上陸の地
ドームは今改装中で、右から順番に補強をし直しているようです。
そしてドーム前の広場の一角にあるのが「大鵬幸喜上陸の地」の碑。
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が表す通り、
昭和の人気力士と言われた大鵬ですが、
実は父親がウクライナ出身の白系ロシア人でした。
コサック騎兵、マルキャン・ボリシコと日本人の母親の間の三男で、
納谷幸喜という本名の他に、イヴァーン・ボリシコという別名を持ちます。
出生地は南樺太、当時は日本でしたので、大鵬は日本生まれとなります。
第二次世界大戦後、ソ連が侵攻してきたため、大鵬は母と共に
小樽に向かう引き揚げ船「小笠原丸」に乗り込みました。
小笠原丸
終戦の8月15日、「小笠原丸」は稚内にいましたが、
樺太の引き揚げ任務を要請され、8月20日、租界者1514人を乗せて出航。
翌日、稚内に到着し、半数強の878人が下船します。
悲劇はその翌日、22日に起こりました。
稚内港を出港して小樽に向かう途中、「小笠原丸」は、
増毛(留萌の下)沖5浬でソ連の潜水艦L-12の雷撃を受け、沈没したのです。
L型潜水艦
その時、潜水艦は「小笠原丸」を沈没させると、浮上して、
波間に漂う人々に機銃掃射を加えているのが離れた監視台から目撃されました。
沈没による死者641人、生存者61人で、収容された遺体は468体でした。
そこで大鵬の話に戻りますが、この時、大鵬母子は稚内で下船していました。
「小笠原丸」を降り、波除ドームの下を歩いて行ったことでしょう。
だからこそ、ここにそれを記念する碑が立てられたわけですが、
これがただの話でないのは、彼らの下船は当初の予定になかったことです。
元々彼らは樺太から小樽まで行こうとしていました。
しかし、母親の納谷キヨが出港後、船酔いで気分が悪くなってしまい、
我慢できずに稚内で途中下船したことで、翌日の難を逃れたのでした。
言うまでもありませんが、このとき母親が船酔いしていなかったら、
後の大横綱、大鵬幸喜はおそらく生まれるべくもなかったのです。
このことは大鵬自身も深く心に留める人生の転機の地として、
生前いくども稚内のこの場所に足を運び、
「ここ稚内で降りたことで今の自分がある。
横綱になれたのも、稚内が原点となっている」
という言葉を残しているのだそうです。
そのあとは、稚内港を臨む地に立つホテルにチェックインしました。
旧ANAホテルということで内装は都会のシティホテルと同じ。
驚いたのは、いつも駐車場(もちろん無料)が満車であること。
そして、一度、大人数の中国人観光客のグループが大挙していたことです。
彼らの会話を聞いて、チャイニーズ・アメリカンであるSAさんが、
「彼らはカントニーズを喋っていた」
と言うので、
「ということは香港から来たっていうこと?」
と聞くと、おそらくそうだろうとのこと。
はー、こりゃ驚いた。
何のために中国人が稚内なんぞに観光に来るのか。
東京も京都も見飽きちゃった、という通なリピーターなのか。
それとも、北海道が珍しいのか、最北端に立ちたかったのか。
いずれにしても、10年前ありえなかったことが今日本で起こっているようです。
その日は、社長さんのご案内で、ホテル近くの居酒屋で親睦会。
さすがは北海道の居酒屋、何を食べても普通に新鮮、普通に美味しい。
「ところで御社の黒毛和牛はここでも頂けますか」
と聞き、早速注文して出てきたのがこれ。
伺ったところ、ここでお皿に乗ってくるためには、
やはり2、3ヶ月前に出荷されたものだということでした。
わたしたちは、命の恵みに心から感謝して、これを美味しくいただきました。
続く。