バッファロー海事軍事公園展示の巡洋艦「リトルロック」。
上甲板のファンテイル部分から階段を一階降りて、艦内郵便局を見ました。
見学路をそのまま艦首側に向かって進んでいきます。
第二次世界大戦時の道具を展示しているという説明がありました。
展示のオープン時間を書く欄がありますが、使われた形跡はありません。
「ディスプレー」というのは、これらのことだと思われます。
水兵の制服、真鍮のランプ、そして軽巡時代、
ミサイル巡洋艦になってからの「リトルロック」の様々な写真。
右は、「リトルロック」が就役した時のパンフレットです。
第二次世界大戦終了直前に最初の就役をした「リトルロック」は、1957年、
ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船公社のヤードに到着し、
1957年1月30日に誘導ミサイル軽巡洋艦への改装を開始しています。
CL-92からCLG-4への分類と船体番号の変更は1957年5月23日に発効されました。
ニューヨークシップビルディング公社における改装中の「リトルロック」
1959年12月10日撮影
改造後のUSS「リトルロック」(CLG-4)の全備重量は15,142トン、
艦隊旗艦として構成されました。
艦砲は従前通りオリジナルのディレクタ・システムによって制御されましたが
ミサイルシステムには新しい武器制御装置とレーダーが組み込まれました。
こうしてタロスミサイル巡洋艦となったUSS「リトルロック」(CLG-4)は、
1960年5月6日にフィラデルフィア海軍造船所に引き渡され、
1960年6月3日に就役したのです。
左側のパンフレットは海軍艦船に乗るともらえる記念でしょう。
上の写真はマッチケースのカバーにプリントされたエンブレムですが、
「リトルロック」のインシニア、文字通りの「タロス」
(ギリシア神話に出てくる意思を持たない青銅の巨人)が、
タロスミサイルを投擲しようと構える瞬間を捉えたデザインは秀逸です。
こちらは「リトルロック」が1972年ごろ使っていたパッチです。
なぜこの時期だけこれが使われたのかは不明です。
このエンブレムに書かれたロゴは、
PRIDE IN ACHIEVEMENT
(達成する誇り)
この文言も簡潔かつ明確で大変よろしいですね。
古い入隊募集ポスターですが、タロスミサイルがあしらわれているので
おそらくミサイル搭載艦がデビューした頃のものだと思われます。
就役中、「リトルロック」が採用していたプラークは三つありました。
左から、初代の改装前軽巡時代のもの、
タロスの描かれた1965年までのもの、
そしてワシのデザインの1965-1976までのものです。
なぜ1965年にマークが変わったかは謎、と先ほど書きましたが、
あえて想像してみると、この時期、「リトルロック」が
NATO軍部隊に参加することになったことと何か関係あるかもしれません。
これも想像ですが、タロスミサイルの搭載を強調するマークより、
アメリカ海軍の一員であることを強調するデザインの方が
国際部隊の中では受け入れられやすかったからと考えられます。
三つのプラークと共に展示されている水兵の像ですが、
アメリカで軍事博物館を回ると、もうお馴染みというくらいよく見ます。
これは有名な、
「孤独な水兵」LOAN SAILOR
というブロンズ像のレプリカです。
■ローン・セイラー
アメリカでは「孤独な水兵」というと、有名なこの像を指します。
彫刻家スタンリー・ブライフェルド作のこの水兵像は、
ワシントンD.C.の海軍記念碑として建造されたものなのですが、
この水兵像がもう今は現役でない海軍艦を使って作られていると聞くと、
なかなか感慨深いものがあります。
そして、その海軍艦は一つではなく、
USS「コンスティテューション」CONSTITUTION
USS「 コンステレーション」Constellation CV-64/CVA-64
USS「メイン」Maine ACR-1
USS「 ビロクシ」Biloxi CL-80
USS「ハンコック」Hancock CV/CVA-19
USS「シーウルフ」Seawolf SSN-21
USS 「レンジャー」Ranger CV-4
「ハートフォード」Hartford steamer
帆船、航空母艦、巡洋艦、潜水艦、そして蒸気船などの艦船、
つまり海軍艦船の歴史を網羅しているということです。
そして、この「孤独な水兵」とは。
大体25歳くらい、早くもベテランになりつつある二等兵曹、
ほぼ等身大の「孤独な水兵」は、誰か特定のモデルがいるのではなく、
できるだけ「どこにもいそうな」人物の再現を目指しています。
全くプライベートな、軍の規律から解き放たれた一人の時間、
かたわらに水兵用のダッフルサックをおいて、
ピーコートの前をはだけ、ポケットに手を入れて立つ姿。
そこには、気負いも衒いもない、素のままの一人の平凡な男がいます。まさにアメリカ海軍水兵の等身大の図と言ってもいいでしょう。
彼は英雄のように描かれているわけでもなく、かといって、
無論、人生を堕するような失意にあるわけでもなく、
これから故郷に帰るのか、それとも単なる休暇中なのか、
期間が明けて名誉除隊をしたのか、何も読み取ることはできませんが、
この像の前に立つアメリカ人は、おそらくそれぞれが、
この水兵のストーリーを、それこそ人の数だけのバリエーションで
さまざまに思い描くに違いありません。
あるものは父や叔父、親戚を、あるものは息子を、
そしてあるものは自分自身を重ね合わせて。
孤独な水兵像はアメリカ国内だけでなく、上陸作戦のあったノルマンディー、
そして当然のようにハワイのパールハーバーにも置かれています。
各地に立つ孤独な水兵像
孤独な水兵像を就役したばかりの新造艦に寄贈する活動は、
ネイビー・メモリアルがスポンサーを募って行われています。
(寄付金は17,750ドルより)
艦船据付用は高さ30センチほどの小型のものとなります。
現在この像が設置されている海軍艦船は、
ミサイル駆逐艦「トーマス・ハドナー」「ズムウォルト」、
空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」などの現役艦のみならず、
この海事公園に展示されている「ザ・サリバンズ」など記念艦もあります。
■ 🇺🇸49星条旗
孤独な水兵像の後ろに掛かっているのは、U.S.S.「リトルロック」が
1960年6月3日に誘導ミサイル軽巡洋艦CLG-4として再就役する前、
1959〜1960年に航行中に掲揚されていた49スター・エンサインです。
国旗の星の数はアメリカの情勢により変わってきましたが、
この49星条旗にはこんな話があります。
1912年からしばらく星条旗は48個の星でした。
そして、1959年1月にアラスカ州が増えたときに49星となりました。
しかし、同じ年の8月にハワイ州が加わったため50州となりました。
これはどういうことかというと、49スター星条旗は、
アメリカ史上たった7ヶ月だけのアメリカ合衆国国旗だったのです。
隙間に取り留めもなく展示品が並んでいるコーナー。
左右に「ケルビンのボール」を持った形のビナクル、
日本語だと磁気コンパス、アメリカではナビゲーターズボールがありました。
ところで、以前調べた時には存在していなかった
「ビナクル」のウィキがいつのまにかできていたことがわかりました。
ビナクル
ありがてえありがてえ。
先日ジミー・ウェールズさんからまたしてもメールが来てたけど、
今度はビナクルに免じてちょっとだけ寄付しておこうかな。(独り言です)
ピナクルにはテプラのようなシールに、
DO NOT CHIP OR SCRAP↑テプラを再現
と注意書きが書かれています。削ったり欠けさせたりしないでくださいという意味だと思いますが、
これが現役時代からあったのかどうかはわかりません。
タロスミサイルを模ったものですが、
品質から見て誰かが艦内のワークショップで作ったのではないでしょうか。
おそらくこれから見学コースで見ることになると思いますが、
ご存知のように、大きな軍艦には、艦のために必要なものならなんでも、
大きかろうが小さかろうがその場で作ってしまう工場があります。
■タロスミサイル艦はなぜ巡洋艦だったのか
ところで、いまさらなのですが、どうして「リトルロック」など、
巡洋艦にタロスミサイルが搭載されたのだと思います?
ミサイルを搭載する艦船の条件は非常に限られていました。
とにかく、艦体が大きくなくてはいけなかったのです。
その理由は、タロスミサイルそのものが小型飛行機くらいの大きさであり、
これまでミサイルハウスを見てきた我々にはもう明らかなように、
ランチャーや46発の弾倉等、システムに膨大なスペースが必要となります。
したがって巡洋艦クラスがこれに最適とされたというわけです。
続く。