ミサイル巡洋艦「リトルロック」艦内に入り、
セカンドデッキ(メインデッキの一階下)を艦尾から見学しています。
今日はチーフ・ペティ・オフィサーズ・クォーターズです。
Chief Petty Officerとは日本語だと上等兵曹でしょうか。
米海軍では、この階級の略称はCOとなります。
チーフ・ペティ・オフィサーについては、
「時間と訓練を経てE-7以上の階級になった下士官」
とこのコーナーには書かれています。
Eというのは下士官の階級のことですが、英語では「レート」と言います。
「レート」とは、入隊した水兵が指揮系統のどの位置にあるか、
どれくらい給料をもらっているか一目で指し示す指標となります。
アメリカ海軍の階級は「ランク」と「レート」で表されます。
日本語ではこれが一律「階級」で括られますが、アメリカ海軍では
基本的に「ランク」という言葉が使われるのは士官だけで、
下士官兵には「レート」が適用されることになっています。
ご注意いただきたのは、アメリカ軍についてご存知の方なら
一度は耳にする言葉、「レイティング」との違いです。
「レート」”rate" は、海軍の下士官の職業専門分野を指す
「レイティング」”rating"とは全く別の意味を持ちます。
「レイティング」とは、整備士とか管制官とか、写真家とか料理とか、
暗号とか爆発物処理とか音楽とか、ともかく専門の技術のことをいいます。
アメリカ海軍のレイティングリスト
↑バッジの意匠を見ているだけで楽しめます
話を元に戻して、Eランクは1から9まであり、
大きく3つに分けることができます。
E-1からE-3 兵卒・一等兵・上等兵
Seaman
E-4からE-6 伍長・三等軍曹・二等軍曹Petty Officer
そしてこのクォーター(コーナー)には、Eクラスの最上級である
E-7からE-9 一等軍曹・曹長・上級曹長
CPO/ SCPO/ MCPO/CMCPO
がいたというわけです。
ちなみに、士官と下士官兵の間には、准尉、
ウォラント・オフィサーがいます。
よく艦を一つの会社に喩えるなら、チーフというのは部長に当たる、
と言われますが、以前「曹長に聞け」という項で紹介した、
いわゆるCPOジョークを見る限り、この人たちの存在感はすごい。
自らを海軍のスーパーマン、神、と称しており、その自己肯定感、
万能感においても凄まじいものがあるということもわかります。
彼らは士官と下士官兵の間に立つ「仲介役」であり、
その階級における技術専門家であるので、文字通り「要」の立場です。
ここはCPOの寝台設備があるところで、これまで当ブログでも
「バーシング」Berthingとして説明してきましたが、
元々「BERTHING」バーシングという言葉は、ラテン語で「運ぶ」という意味を持っており、それから派生して、
船や列車の2台、または港、港湾設備にある、
船舶を係留するために特別に使用される停泊所を指す言葉です。
つまり下士官の「停泊所」ということですが、
この用語が海軍だけで使われているのは当然のことです。
この周囲が「CPOの停泊所」であるわけですが、
グレーの扉の向こうには何があるのか「開かずの扉」となっています。
で、その「立ち入り禁止」の手書きの紙の下に見えているのが、
有名な「CPOの誓い」The Chief Petty Officer's Pledgeです。
ここではその半分しか見ることができませんが、
有名なものなので検索すれば全文が出てきます。
下士官の誓い
私は米国海軍の下士官です
私は、誇りと名誉をもって、祖国とその国民に奉仕します
私は特別な便宜を図りません
私は物事を成し遂げ、自分にできる最善を尽くします
私は、世界でも類を見ないリーダーシップを任されています
私は下士官を育て、水兵を育てます
私は全ての水兵の行動に全責任を負います
なぜなら、これら水兵は将来の下士官の”種”だからです
私は、名誉、勇気、献身という海軍の基本的価値観に従います
私が模範を示します
私が行動基準を定めるのです
水兵は生徒であり、私はその教師です
私は、若い男女の人生を導き、影響を与えます
最終的には、私が船員たちの資質を決めるのです
彼らが私を尊敬するのは私が彼らに威厳と敬意をもって接するからです
彼らがリーダーを必要としているからこそ私は彼らのために存在するのです
なぜなら、
After all...
私はアメリカ合衆国のチーフ・ペティ・オフィサーなのですからI am a Chief Petty Officer in the United States Navy.
After all は「結局」と訳すより、こちらの方が適切かと思いました。
大きなパネルに展示された舫結びの数々。
寄贈したのは写真の元CWO(チーフ・ウォーラントオフィサー)、
マーヴィン・カレー元准尉です。
バッファロー・ネイバルパークの公式が、
この人の記念碑をインスタに挙げていました。
Marvin ”Joe"Curry、CWO
マーヴィン・"ジョー"・カリーは退役軍曹(CW2)であった。
海軍のハードハット(サルベージ)・ダイバーで、
朝鮮戦争とベトナム戦争に従軍し、兄のウィルバーは戦死した。
ジョーは1969年から1972年までUSS「リトルロック」の乗組員だった。
海軍を退役後、1977年から1995年まで、
ここバッファロー海軍軍事公園の初代監督官を務めた。
ジョーはセネカ族のスナイプ・クランの一員で、
カッタラウガス準州で生まれた。
彼はイロコイポスト#1587のメンバーで、いくつかの役職を歴任した。
セネカ・ネーションは、ジョーと他の先住民の退役軍人を称えるために、
毎年ニューヨーク州サラマンカで
マーヴィン"ジョー"カリー・ヴェテランズ・パウワウ大会を開催している。
後半はいかにもアメリカですね。
カリー准尉は、イロコイの一族であるセネカの出身だったようです。
後半に出てくる「パウワウ大会」は何かというと、
ネイティブインディアンの踊りによる集会、祭りを指します。
パウワウ
コミュニティでカリー准尉の名がよく知られているわけは、
ネイティブアメリカン出身の海軍軍人として、
インディアン出身の退役軍人にカウンセリングを行ったり、
セネカ族の伝統、習慣、文化を伝える役割を果たしたからでした。
「リトルロック」クラスの艦内には5〜60人のペティ・オフィサーがいて、
ここは彼らの生活空間でした。
このテーブルで彼らは食事をし、コーヒーを飲んだり、
時にはボードゲームに興じたりしたのでしょう。
テーブルの上方に立てかけてあるこの部分は、テーブルと同じ素材で、
なんか無理やりマークを彫ったのでえらいことになっています。
このマーク、最初はわからなかったのですが、たまたまこの項前半で
「レイティング」のページを見ていて見つけました。
オペレーション(作戦)スペシャリスト(OS)のマークです。
米海軍の戦闘艦に所属する作オペレーション・スペシャリストは、
戦闘情報センター(CIC)や戦闘指揮センター(CDC)、
別名「コンバット」と呼ばれる艦の戦術中枢にいる人です。
OSは、多種多様な装置や装備を駆使し、戦術的戦闘情報を組織的に収集、
処理、表示、評価し、指揮管制ステーションに迅速に伝達します。
CICの物理的空間を維持し、操作する機器の保守管理を行うため、
この等級には、身元調査を経た上でアクセスするステータスが付与されます。
ヘルメットは本物ではなく、おそらく幼児用?のレプリカ。
テーブルには落書きが残されています。
下はちょっと読めませんが、上には、
「AIDは無くなった 1976年11月22日」
と書いてあります。
AIDかどうかは、ピントがボケていて正直よくわからないのですが、
Sも付いていないので後天性免疫不全症候群のことではなく、
(そりゃそうだ)普通に「援助」の意味だと思います。
1976年11月22日。
この日、「リトルロック」は海軍を退役して除籍処分となりました。
うーん・・・もしかしたらAIDって、何か海軍の専門用語?
もしお分かりの方がおられたら教えてください。
にしても、最後の日、艦内に落書きをしたくなる気持ちはよくわかります。
続く。