エリー湖沿いに位置するバッファロー・ネイバルパークの展示、
タロスミサイル巡洋艦「リトルロック」内部を見学しています。
やはり巡洋艦なのでメスデッキは大変広いです。
一日3回、このスペースでは1,200人の下士官兵が食事をとりました。時差を持たせても、同時に700〜900人がテーブルに着けたそうです。
乗組員に与えられた食事時間は30分。
食事が済んだらすぐさま職務に戻ることが決まっていました。
アメリカ海軍も、他の軍隊に比べれば食事が美味しいのが相場だそうですが、
だからといって食後ゆっくりコーヒーを、なんてのはナシです。
ただ、ここに来ればコーヒーもスナックもいつでも潤沢に用意されており、
好きな時にさっと取って楽しむことができました。
ここは映画館も兼ねており、毎晩のようにエンターテイメントがあり、
乗組員は自分の時間に応じてそれらに参加しました。
ちなみに1972年ごろの同じメスデッキの様子。
左奥に見えるかべが、上の写真の左壁だそうです。
内装は随分変わっていますが、柱は全く変わっていません。
チェック柄のテーブルクロスが可愛いですね。
1974年のメスデッキ。
テーブルクロスは白に変わったようです。1972年の写真の真ん中に低い仕切りがありますが、これにはありません。
この間の改装によって設置たもので、それは現在もそのままです。
ほとんど上の写真と同じ位置から撮られているように思います。
ここで食事をするのはエリステッドを意味するE1からE5まで、つまり、
E1「シーマン リクルート」水兵
E2「シーマン アプレンティス」一等水兵
E3「シーマン」上等水兵
E4「ペティオフィサー サードクラス」三等軍曹
E5「ペティオフィサー セカンドクラス」二等軍曹
のみなさんです。
紙ナプキンのケースがちゃんと中身付きで置いてありますが、これは
現在でもこの場所がキャンプなどで食事に使われているからです。
メスデッキの隣には、ペティ・オフィサー・ファーストクラス
(上級下士官)専用のメスがあります。
クルー用と違うのは、椅子の材質と、テーブルにボードゲームあること、
それからちょっとスペースに余裕があることかな。
ここに入ることができるのは、E6の
E6 ペティオフィサー ファーストクラス
これは「シェブロンが赤い階級」の中の最先任です。
で、ここから上の人(黄色いシェブロン)たちは奥に各々の部屋があります。
海軍の階級差は厳密です。
この艦内図でいうとV1のところです。
クルーズメスは10と記された場所です。
残されていたクルー用のトレイ。
この窓から見える向こうは下士官厨房です。
入ろうと思ったら、立ち入り禁止になっていました。
というわけで、これは博物館公式のビデオからキャプチャした内部の写真です。
E-6以下の下士官兵の調理を行うのは、当時は
メス・マネージメントスペシャリスト、
食堂管理スペシャリスト
と呼ばれる乗組員でした。
この名称は現在では
キュリナリー(調理)スペシャリスト
となっています。
食事は全てこの場所で調理され、すぐさま提供され、
また、パンやペストリーも定期的にここで一から作っていました。
「調理スペシャリスト」という名前になってからはどうか知りませんが、当時、調理は専門の乗組員が行うのではなく、
ほとんどの下級下士官乗組員(E-1からE-3)が、少なくとも90日間の
"TAD"(Temporary Assignment of Duty)期間、"Mess Cooks "として
ギャレー/スカラリーに勤務することが義務付けられていました。
つまり皆が順番に請け負っていたのです。
調理場勤務の乗員は、次の食事の計画や準備、後片付け、皿洗いはもちろん、
掃除など雑務の大半をこなすことが求められていました。
これもまた艦隊生活への教化の一環という位置付けです。
ギャレーでの任務は地味で目立つ仕事ではありませんが、
軍隊で最も重要な仕事の一つであることも確かです。
艦艇の乗組員が清潔な食器を使い、十分な食事を取れるようにすること。
さらにその食事がおいしいことは士気を高めるためにも必須ですからね。
その仕事の重要性は強調してもしすぎることはありません。
下士官兵はトレイを手前のラックに乗せて左から右に滑らせていき、
食べたいものをトレイに掬って乗せてもらいます。
自分ですると時間がかかるし、取りすぎたりこぼす人がいるので。
フードサーバーに氷が溜まっていますが、おそらくこの日、
すでにここで食事が行われたのだと思われます。
おそらく大人数のキャンプがここで朝ごはんを取り、その際、
サラダ、果物、ヨーグルト、ジュースなどがセットされていたのでしょう。
飲み物はコークよりペプシ派らしく、ペプシと書かれたラックが見えます。
この鍋つかみ、対象になるものがないのでわかりにくいんですが、
子どもの頭ならすっぽり入りそうなくらい巨大です。
親指のところに小さな手なら全部収まってしまいそう。こんなものをどうやって使っていたのか・・・・。
ギャレーの隅には年季の入っていそうな星条旗が立ってしました。
絶対これは何か歴史的に意味のある旗に違いない。
その横のプラークですが、直接は「リトルロック」とは関係ありません。
The U. S. Navy Space Surveillance System
アメリカ海軍宇宙監視システム
を意味するものです。
文字通り宇宙を監視するシステムで、そのステーションは
米国南部を横断する大圏経路上に7つ存在します。
決して最近できたものではなく、1961年中央の560kw送信機が稼動し、
4つの受信サイトすべてにナローバンド受信装置が設置されました。
システムは1日に約700回の観測を行い、
100個以上の軌道天体の軌道要素を作成しています。
2つの連続したパス、軌道の2つの側からのパス、そして最後に
数日間の観測を使った差分補正コンピュータプログラムによって精緻化され、
世界中のどの場所でも使用可能な軌道要素というシステム出力が得られ、
その精度は、現在、
安定した衛星の通過を1週間先まで1秒以内に予測できる
ほどにまで高められているということです。
こういうのを海軍がやってしまうあたりがアメリカですね。
ちなみに、つい最近聞いた話ですが、アメリカ全軍は、
今戦闘部門の規模がどんどん縮小されていく傾向にあり、
拡大しているのは宇宙軍だけだということです。
続く。