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市谷・防衛省見学〜栗林中将の絵手紙

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安倍新内閣になって名前を呼ばれるとつい注目してしまう閣僚が
二人います。
小野寺五典防衛大臣と、新藤義孝総務大臣。


中国との関係が緊張を加える中、この一軒物腰穏やかな、
しかし真に強さを秘めた清廉な人物を防衛省のトップに据えたこと、
そして先日からも問題が噴出しているようにNHKを筆頭とするメディア、
ことにテレビの暗部に踏み込んでいくことが喫緊の課題になっている
政権運営において、この「栗林中将の孫」である新藤氏と、
女性保守の筆頭である稲田朋美議員を総務の担当にしたこと。

このことは安倍内閣の「覚悟」を見るような人事であると思っています。




栗林忠道大将(死後昇進)は陸海軍硫黄島守備隊を総指揮し、
硫黄島の戦いで昭和20年3月26日、
総攻撃を下命したのち戦死しました。


戦史家などには非常に評価の高かった栗林中将ですが、
ほとんど個人的なエピソードが伝わっていなかったところ、
クリント・イーストウッド作品「硫黄島からの手紙」で渡部謙が演じ、
その名が世間に知られることになりました。

この市谷には、極東国際軍事裁判の法廷である市谷記念館があり、
そこにはここに伝わる軍資料などが展示されています。

その中に、栗林中将が硫黄島から送った絵手紙が多数ありました。




この栗林中将と言う人は非常に愛情こまやかな人物で、
さらにアメリカに駐在武官でいた経験からスマートな紳士でもあったようです。
写真に残る中将はピカピカに磨かれた長靴を付けた長い脚を
じつにエレガントに組み、軍服を素晴らしくかっこよく着こなしています。

新聞記者志望であったほどで非常に文章がうまく、また絵も達者でした。


そんな栗林中将の絵手紙。

イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は、もともとこの
栗林中将の手紙から着想を得たのではないかと思っています。


この市谷の記念館は、基本的に映像以外写真を撮っても構いません。
展示物を傷めるため、フラッシュだけが禁止されていますが。

と言うわけで、この絵手紙、全部撮ってまいりました。

とても読みにくかったですが、文章も抜き書きしてみました。



2月16日 お父さんより

こちらは大変暖かだから
子供たちは皆外へ出て大騒ぎをして遊んで居ます。
これは道の真ん中でスケートをやっているところです。
(アメリカの道は皆コンクリートだから)
太郎君は渋谷で見たスケートを覚えているかね


どうもアメリカ駐在中の手紙のようですね。


この子供の服装は
夏、太郎君にはごくよろしいと思ったから、
念入りに前、後を見せるように書いて
お母さんの参考にする


なんと、「絵を参考にお母さんに同じ服を作ってもらいないさい」と。
何たる細やかな心遣い。
こんな旦那様を持った奥様は幸せ者ですね・・・。

子供のセリフは

「そら行くぞ そらそらそら」
「やってこーい!」

まあ、アメリカの子ですから

「ヒアアイカム!」
「ヘイカモーン!」

って感じでしょうね。

左のラインは

「ああもうすっかり腕を出した女もあらわれたな
夏気はい(気配?)だ もー」

この頃のアメリカ女性も「腕剥き出し」だったんですね。
日本女性のつつましい夏服を見た目には
アメリカ人の露出は少し刺激的に見えたかもしれません。



太郎君へ 12月9日 父より

これはお父さんが ある寒い晩
自動車の機関部を凍み割られて
しまったところなんだよ

「や、や、や・・・・・ついにやっちゃった
こりゃどーも でかい損害だ
100ドルくらいで済めばいいがな

早く50万出してアルコールさしておけば
こんなことはなかったにな
ほんとに しゃくだな・・・・・

壊れたところは太郎君も知っている
「あわいよー」の中なんだよ


息子との会話で何かこの部分について語り合ったのですね。
他人には全くわからないけど、家族にはすぐ通じる、
そんな言葉がこの家族にもあったようです。

因みに栗林中将が駐在武官でアメリカにいたのは
昭和2年から三年間のことです。

左上

お父さんは 外がどんなに寒くても
元気に運動しているよ

(ぴゅーぴゅー)

寒いからって家の中にばかり居るのは
よくねーことだ
それに歩くのはなかなかいー運動だ

寒い日が来ると新兵教育を一生懸命
やったころを思い出すな

栗林中将、「よくねーことだ」とか「イー運動」とか、
割と面白い文章を書いておられます。
子供さんに宛てているのでわざとでしょうね。



お父さんは夜になると日本から持ってきた浴衣を着て
勉強するんだよ

「この点が少しおかしいな・・・・」

セリフ入りです。



お父さんより

太郎君へ

お父さんは今度こんないい自動車を買ったの

外出したたんびに坊に買ってやったのと違うだろ
もっとも、高いのだよ

お父さんは今自動車を自ら運転しているの

坊がいればいくらでも乗せてやるのだがな

どーだ? 乗りたいかね


最新品、四人乗り、色も形もこの通りです
(この絵は見本図から切り取ったの
坊に見せようと思った)


栗林中将、とてもかわいいです・・・・。(萌)

今なら「カタログ」と言うところですね。
カタログから一生懸命車の形を切り抜いてノリで貼って。

坊に見せたい、乗せてあげたいというのは勿論ですが、
どうやら栗林中将、このピカピカの新車を運転できるのが
心から嬉しかった模様。

子供のようにはしゃいでおられます。

そして、中将は太郎君とお出かけするたびに、
おもちゃの自動車を買ってあげていたのですね。
親子そろって車好きだったんですね。

あ、上で「凍み壊れた、しまった」って言っている自動車は
これだったのか!



太郎君へ お父さんより

お父さんが今度来た女中の角刀とり御婆さんと
話をしています

この婆さんの夫はお父さんが今いる
連隊の下士官です


アメリカ人の太った女性は見かけより若いですから、
栗林中将が「婆さん」言い切っているけど実は同じくらい
だったりするんですよね。
そしてその婆さんいわく。


「キャプテン」は「我が陸軍」(傍点あり)はどう思います?
「キャプテン」は奥さんがありますか?
美しいかね?
なぜ連れてこないのかね?
子供もあるって?まあ二人も?

私の夫は陸軍伍長だよ なかなかいい男だよ(傍点あり)
子供はどーもないね・・・・・・

目方?32貫あるんですよ・・・・

これ?
この刺青は若い時分やったのだよ

女中かね?
軍人さんの家ばかり渡り歩いて
ちょうど30年務めたことになるね

日本はいいところかね・・?

私ダンスはなかなか素敵なんですよ
若いときは全くうまかったんですよ
(時々力を入れて言いました)

お父さん腹の中で
『まるでポンチ絵(漫画)だね
これでも断髪73分けか(当時の流行)
それにまた良くしゃべる婆だ
英語のケーコになったりウサになったり
丁度これはいいわい』


栗林中将、むちゃくちゃ辛辣です。
32貫ある、ってこれ120キロのことですね。
これ、中将が聴いたからこう答えたんでしょうね。

「ハウマッチどぅゆーうぇい?」

って聞いたんでしょうね。

しかし、この御婆さん、この後アメリカが日本と戦争を始め、
自分の旦那がいるアメリカ軍が(もう退役していたでしょうが)
日本と戦うことを知ったとき、あの、
自分の体重をズケズケ聴いたスマートなキャプテンのことを
思い出したりしたのでしょうか。



×月27日 バッファロー 父より
太郎君へ

栗林中将はアメリカから帰国後、カナダにも駐在します。
バッファローと言うのはナイアガラの滝を見に行った方なら
聞き覚えのある地名でしょう。
この名前の空港もあります。


じーさんがこの家の庭の芝に水をやっているところ

お父さんは今それを見ながら
じーさんに日本の話をしてやっているところ



日本語なら
「それ行け行けいけ行け!」

これはアメリカの(傍点あり)子供が遊んで居るところです
このへんは三輪車が大流行です
お父さんは子供がこうして遊んで居るのに出会うと
ちょっとしばらく立ち止まって見ています
太郎君もこうして元気よく遊んで居るかと思って

太郎君へ

御飯をどっさり食べること
近所の子供等とよく遊ぶこと




太郎君へ

11月33日 フォートラーシー 父より

お父さんは体操をしています
外は雨だが家の中は夏も全然だ
(次の一文解読不能)

オイ一、二、オイ一、二
モーたいそうやったからもうよすとしようか
太郎は体操をやるかな?



これはお父さんは何を考えているのでしょう?
『日本酒一升でひと月楽しめ

(この部分も解読不可能)

『これだけはいくら呑みたくても
今しばらく我慢して太郎君の誕生日の分と
しような』

『それにしてもカリホルニヤから醤油来る
カンカン(解読不能)買い込む
どーも我慢はできかねるな・・
しかしそこを一辛抱だ」

このあたり、全く意味が分かりませんが、要するに
「飲みたいけど我慢するために、
自分で自分にいろいろ言っているってとこですか。

雪がどっさり降って自動車の屋根にたくさん積もりました




珍しくひらがな表記の手紙です。

右上から

(近頃帽子はなかなか被らないのだ)
学校へ出かけるところ
「今日も××は熱いなあ」

ポカァーッと町を眺めているところ

太郎君にやろーとして
郵便いれているところ



下宿で勉強しているところ

公園のベンチに腰かけて
ボンヤリ休んでいる

お風呂にはいっているところ





太郎君へ 10月27日 父より フォートライレイにて

アメリカの将校の処のカアチャン達は
乗馬で来ています

あああいつ等は毎日暇なものだから
ああして馬に乗っているんだな

日本の将校の細君などは馬になど乗る者は
まるで無い様だが大いに違っているわい

父さんの食事中です

よくのべつにしゃべる好きだな
全く驚き入るな・・・・
犬もこーしゃべりながら食べるのが本当だな

それだのに日本では余り黙り過ぎているわ
「しゃべりはちょ」の太郎は喋りながら食べているだろーかな
純日本娘のオフクロがだまりやだから
そんな様に一生懸命しつけているのではないだろーかな

これはトウモロコシかまたジャガイモ、
いつも同じものを食べさせるな
まあ考えると日本人の食事は相当贅沢なモノさ


べちゃべちゃべちゃべちゃ

今夜の肉はよいわね
べちゃべちゃべちゃべちゃべちゃべちゃ

むにゃむにゃ
べちゃべちゃべちゃべちゃ



マア日本はモロコシをご飯で食べないんですって?
御芋ばかり食べるのは貧乏人ですって?
ま、また随分ご冗談がじょうずになりましたね
(お父さんが言ったのは冗談だと思っている)


栗林中将、ここでも辛辣です。
アメリカ人がコーンとポテトばかり食べているのは
昔からだったんですね

アメリカでは特に「ディナー」はしゃべるところですから、
無理にでもこうやって口を開くのですが、
日本人の栗林中将にはどうしても
「食事中にしゃべるのは行儀が悪い」
という感覚がぬぐえないようです。

そういえばうちも、食事中は「あまりしゃべるな」
というしつけをされていた覚えがあります。



そのほかにも残されていた栗林中将の写真。
硫黄島の作戦本部での様子です。



右が栗林中将でしょう。
その佇まいからは戦地にあってなお静けさすら湛え、
この人物の高潔な人柄さえも覗える気がします。



玉砕したのが20年の3月。
この頃はまだ米軍も影も形もないころですから、
栗林中将はじめ参謀の表情にも明るさが見えます。



若い士官たちと。
建物のガラスに飛散防止のテープがあることから、
これは内地で撮られたものでしょう。
お利口そうなシェパードの首を抱いています。




「散るぞ悲しき」

この栗林中将の電文は「士気が殺がれる」
と言う理由で「口惜し」と直して発表されました。
遺族にはこの訂正前のものが渡された、というのが
せめてもの慰めでしょうか。


栗林中将、玉砕前総攻撃を記す最後の電文。

一、戦局は最後の関頭に直面せり
二、兵団は本17日夜総攻撃を決行し敵を撃砕せんとす
三、各部隊は本夜正子を期し各当面の敵も攻撃後
後の一兵となるもあくまで決死敢闘すべし
大君(三語不明)て顧みるを許さず
四、余は常に諸子の先頭に在り


以下は日本に向けて打たれた惜別の電文です。



戦局最後の関頭に直面せり
敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭しむるものあり

特に想像を越えたる量的優勢を以てす
陸海空よりの攻撃に対し
宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは
小職自ら聊カ悦びとする所なり

然れども 飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ 為に御期待に反し
此の要地を敵手に委ぬる外なきに至りしは
小職の誠に恐懼に堪えざる所にして 幾重にも御詫申上ぐ

今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方り
熟々皇恩を思い粉骨砕身も亦悔いず

特ニ本島を奪還せざる限り皇土永遠に安からざるに思い至り
縦い魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す
 
茲に最後の関頭に立ち重ねて衷情を披瀝すると共に
只管皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ
永えに御別れ申し上ぐ

尚父島母島等に就ては
同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも
断固破摧し得るを確信するも何卒宜しく申上ぐ
終りに左記駄作御笑覧に供す
何卒玉斧を乞う」


国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ

醜草の島に蔓る其の時の 皇国の行手一途に思ふ

 


この決別の電文は本土最北端の
海軍大湊通信隊によって傍受されました。

通信員は泣きながらこの電文を大本営に送付したと言われています。



栗林中将は突撃決行のその日、同日付で特旨をもって大将に昇進。
五三歳の彼は史上最年少の陸軍大将として
最後の突撃を行ったのでした。





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