土曜日のカレーグランプリイベントの記事を少し検索すると、
「【悲報】横須賀のカレーフェスタに参加する方へ
最後尾が遂に横須賀中央駅に通じる大通りまで伸びました。
カレーはもうあきらめて下さい。
この分だとあと30分ほどで横須賀中央駅まで列が延びます」
などというツィッターが昨日は飛び交っていた模様。
その人の多さは「自衛隊も予想できなかったのではないか」
という わたしの想像通りだったようで、何でも警備の人が
「近隣からの苦情が来ています!」
とインカムで叫んでいたという話も。
この異常現象の理由は、どうやら世のカレー好きが
「海自+横須賀」
のコンボに沸き立ったことと、何と言っても
「艦隊これくしょん」
のブームが過熱化しているということにあると思われます。
ヴェルニー公園横のスターバックス裏に停まっていた車。
今日は「こんごう」の艦船見学もできたからねえ。
他府県からわざわざ自艦でこの日乗り付けた提督の気持ちはわかるよ。
この手のものが今人気であるというのは、自分自身のブログエントリが
「艦これ」関係スレッドに挙がったときの異常な閲覧数からも実感しましたが、
それを「痛車」にしてしまうというこのオーナーは筋金入り。
並んでいる列の周囲からは
「そのときに東郷元帥がさ」
とか
「島風と雪風じゃあどうのこうの」
などという戦後70年経った今日、平成生まれの若者のとは思えない会話が
しょっちゅう聞こえていましたし(笑)
このとき時間は9時半。
向こうにある青いテントがカレーの屋台です。
まだこのころはフェンス沿いに一列だけしか人が並んでいないことに注目。
わたしが帰るころにはこの列は5列くらいになって仕切られた通路を
行ったり来たりという状態になっていました。
そんな人たちに、各護衛艦の宣伝隊が出動して自艦のカレーをアピールします。
はたかぜのカレー、「はたカレー」(しゃれのつもり?)は、豚肉入り。
絵心のある隊員がポスターに東郷元帥みたいなのを描いたようですが、
神風型駆逐艦「旗風」は大正13年の起工ですから確かに伝統はあります。
コンテストは、500円でライスと周りに4種類のカレーが入れられるトレイが貰えるので、
それに自分の好みのカレーを4種類だけ入れてもらって味比べという形式。
4種類の一つに選んでもらわないことには票も入りませんからこうやって宣伝しているのです。
中には一緒に記念写真を撮る人も。
楽しそうで結構です。
しかしわたしはカレーに拘らっている場合ではないのです。
人があまりいないうちに艦船見学をしてしまわねば。
ほら、「あしがら」の乗組員たちも今なら暇そうだし(笑)
というわけで、昨日も書きましたが「あしがら」に乗艦。
脳内ではわたしだけに聴こえるサイドパイプの音色が(略)
因みに人が少なくて注目が乗艦者に集まっていたため、自衛艦旗への敬礼は遠慮しました。
右の方のカメラマンにはラッタルを降りたところで写真を撮られてました(笑)
「あしがら」の舷門からカレーに並ぶ列を望む。
この列を見てげんなりしていたわたしですが、何度も言うように
こんなのはまだまだ序の口だったんですね。
というわけで艦内見学です。
入ってすぐ右側にMk32短魚雷発射管が。
わたしも最初は知らなかったので一応説明しておくと、この短魚雷管は、
発射時にはぐるりと旋回してちゃんと海の方を向きます。
軍運用のものは「兵士が操作する」ということを前提にして、
手動の部分が多いのかもしれないと以前書いたことがあるのですが、
この旋回もまた乗組員が手動で行うのだそうです。
Mk.32は三連装型。
手すり柵には緑の安全ネットが貼ってありますが、これはむろんのこと
今日の一般公開のために対策したものです。
小さい子もたくさん乗ってきますし、親がちゃんと見ていないで何かあっても
責められるのはおそらく自衛隊ですから、念には念を入れて安全対策を行います。
3のついた魚雷に赤いリボンが結んでありますが、これもぶつからないように
安全対策として巻かれたリボン。
躓き防止に、床にある鎖をつけるリングにも赤いリボン。
到底ぶつかりそうにないようなところにまで結んでありました。
「責められるのは自衛隊」で思い出しましたが、プレジャーボートと「おおすみ」との衝突事件、
全くその後の報道が無くなりましたね。
ということはプレジャーボートが悪かった、って考えていいのかなー?
右側の先がカレーのテント。
画面右上に見えている白いテントが手荷物検査ゲート。
左上にも列が見えていますが、ここはすでに自衛隊敷地内です。
左手に地面に書かれた文字は航空機へのメッセージで
WELCOME YOKOSUKA
と書かれています。
通路で見つけた溺者救助用人形と救助用担架。
シャッターが甘くて顔がはっきり写せませんでした。
この日見た「こんごう」の人形も顔がありましたし、常日頃から海自艦艇が
「顔のある救援」を心がけていることがこんなことからも窺い知れます。
この人形に名前がついているのかどうか聞いてみましたが、
「名前はない」とのことでした。
巨大な艦船用のホース。
歩いている自衛官と大きさを比較してみて下さい。
そして、海の向こう側の塀沿いに見える人の列・・・。
このころ、カレーの列はまだ場内でも一列でした。
右側の誰もいない通路が「あしがら」見学用です。
チャフランチャーは4基持っています。
Mk.36SRBOCシステム
のうちのフレアー発射機はMk.137という型番がついています。
ご存じない方のために書いておくと、これは「デコイ」で撹乱用なので、
「兵装」ではなく「電子装置」に分類されます。
これを見るといつもチョコレートバーを思い出す、VLS、垂直発射装置。
対空ミサイルとアスロックミサイルが発射可能です。
アスロックミサイルは遠方の潜水艦を攻撃するためのものですが、
魚雷本体をロケットでまず近距離まで飛ばし、パラシュートで海中に落下した後は
潜水艦の後を追いかけていってヒットする
という・・・・・何それこわい。
VLSの向こうには年配の婦人と妙齢のお嬢様(眼鏡付)とが若い士官をつかまえて
何事かを熱心に質問なさっています。
まさかお見合い?
この幹部さんの様子を見ても、知り合いであることは間違いないように思うのですが。
「あしがら」は「あたご」型の2番艦。
20mm機関砲ファランクス・CIWSは2門装備してあり、このように
艦橋の真正面に設置されています。
なんというか、こういうところに鎮座しているCIWSは有り難みが増しますね。
ご本尊という感じで思わず「はは〜」と手を合わせてしまいそうです。
いつぞやホーネット博物館で見たトムキャットの積んでいた航空魚雷に
「レイセオン」と書かれていましたが、このファランクスCIWSもレイセオン製です。
レイセオン社はボストンにあり、州内の企業の中でも大規模で著名な会社の一つ。
「ファランクス」という名前がもうすでに中2病な響きなんですが、
「重装歩兵による陣形」 を意味する古代ギリシア語です。
実際にも中2だったぜ。
写真を大きくしたのはこの20mm弾のベルトをお見せしたかったから。
何しろ1分間に3,000〜4,500発の発射が選択式で可能、
毎秒50〜75発ですから、おそらく発射時には銃弾を肉眼で確認することも無理。
このベルトも自動車の車輪並みの速さで回っていくのでしょう。
これは「あしがら」の兵装ではなく、隣に停泊していた「ちょうかい」の
オトーメララ127mm砲。
護衛艦は三隻並んで停泊しており、一番向こうは「くらま」でした。
その「ちょうかい」の乗組員が和気あいあいと群衆を見物するの図。
こちらは「あしがら」警備の水兵さん。
風が強く寒い日だったのですが、特に甲板では
このようにセーラー服の襟がめくれてしまうほどでした。
風向計が絵になってます。
それにしても細いケーブルが多いですが、全て電線でしょうか。
「あしがら」は「あたご型」の2番艦で、搭載しているのは
Mk 45 5インチ砲。
5インチというのは127mmですから、直径13センチ弱の砲弾が1分間に16〜20発発射されます。
ちゃんと実物も展示されていました。
火を噴く砲身。
これは名称がやたら長いですが、愛称はないんでしょうか。
ところでこの説明にある
米国が開発中の新型爆薬(ERGM、ICM)を発射可能な唯一の
という一文が気になるなあ。
砲員は6名で作業にあたるそうです。
いかにも手で空けることができそうな小さなハッチが背面についていました。
近くに自衛官がいたので聞いてみたところ、これは内部清掃点検用だそうです。
発砲するたびに砲身の内部は摩耗するので状態をチェックし、
摩耗の度合いに応じて部品を交換する必要があるのだとか。 謎のプレート「X」発見。
というわけで、甲板を後にします。
一人で来て写真を撮りまくるという物好きな女性も最近は珍しくないと思いますが、
やはりわたしの場合熱心度合いがあだになったのか、警備の隊員に見られてます(笑)
中国の女スパイを疑われたのかもしれん。
たしかに兵装を写真に収める人はいくらでもいるけど、
手すりから手だけ出してこんな写真を撮る人もあまりいないかと・・。
護衛艦が並列で停泊するときに間に挟む浮き。
もう少し小さなフネと並べるとき用の小さな浮きも内部にありました。
右舷側のチャフランチャーと扉二つ。
扉に付けられた防水・気密のためのレバーの数が凄い。
二つ向こうに泊まっている「くらま」の主砲、(っていうのかな)
Mk42 5インチ砲。
ここに停泊している「あしがら」始め、「くらま」も「ちょうかい」も
カレーグランプリ参加艦なのでここにいるわけですが、
「あしがら」はフルーツ入りビーフカレー、「ちょうかい」は特製シーフードカレー、
そして「くらま」は
「内閣総理大臣喫食カレー」!
2012年観艦式で総理大臣が食べたカレーというのを売り物にしているようです。
しかしながらわたしの記憶に間違いがなければその総理大臣というのは
民主党の野田佳彦ではありませんでしたでしょうか。
なんだ、野田か。
というか、観艦式でカレーなど食べていたのねあの泥鰌男は。
いやまあ民主党時代のことを無かったことにせよとまではいいませんが、
それをカレーのキャッチフレーズにするのはいかがなものか。
ちなみに「野田カレー」はビーフカレーだそうです。
最後に「ちょうかい」の甲板の日の丸に(心の中で)敬礼し、
甲板を後にしました。
このあと通路で熱心に掃除用のほうきを眺めていたら、
「何か気になることでもありますか」
と警備の自衛官に声をかけられてしまいました。
どうやらまたも不審がられたようです。
通路では「あしがら」グッズの販売もありました。
先日お話しした「先任伍長メダル」のようなものを売っています。
「売店ではこれは決して売っていない」
とエントリで言い切った以上、その真偽を確かめるために
裏側をチェックしたのですが、「マスターチーフ」の刻印はなし。
念のため販売している自衛官に
「これは先任伍長が持っているものとは別ですか」
と聞くと、一般用ですという返事でした。
「あしがら」はこのSSMを2基装備しています。
隣の「ちょうかい」の舷門には見張りが立っていました。
自衛官が行き来するので通行止めにはしていませんが、今日は公開していないためです。
わたしが通りかかったとき目を離した隙にラッタルを渡ってしまった見学者がいたらしく、
追い返されてきていました(笑)
隊司令旗が揚がっています。
編成上1等海佐をもつて充てることとされている隊司令について掲揚される旗で、
代将旗との違いは切れ込みがあるかどうかです。
後甲板に出ました。
173はこの後見学予定の「こんごう」、177は「あたご」です。
「こんごう」のカレーはチキンカレー、「あたご」は「普段のビーフカレー」(笑)
自然体で勝負というところでしょうか。
艦ナンバー102は「はるさめ」。
「はるさめ」の出品は「チキンスープカレー」。なんか技出して来た〜。
いわく
「他の肉類よりカロリー控えめの鶏肉を使い」!
「多めのバターでタマネギを炒め」・・・
カロリーを下げたいのか上げたいのかどっちだ。
そのときヘリの音がしたので上空を見ると、どうみてもOH−1が。
ただし塗装が赤白青のトリコロール。
近くにいた隊員にあれは何かと聞いてみると、
「報道ヘリですね。カレーグランプリの行列を空から撮っているんでしょう」
とのこと。OH−1って民間利用されていたのか。
それにしてもこの日のこのイベントの人の多さは報道になるくらいだったのね。
そういえばこのときTBSのカメラマンを見たけど、自衛隊のイベントをあの局が報道したのでしょうか。
「あたご」型はヘリコプターを搭載するための格納庫があるので、
離着艦のための管制用ブースがあります。
内部はクーラーも効くのだと思うけど、夏はなかなか辛そうですね。
ここにも足元注意用のリボンがつけられておめかし。
自衛官の正帽が外に置いてありました。
まあ、日本だから盗られることはないと思うけど・・。
ここで事件発生。
おそらく早くに来てすでにカレーを食べ終わり見学していた家族の、
小学生の女の子が甲板で戻してしまいました。
そのことが近くの自衛官に伝えられたとたん彼らは即座に状況開始。
それがマニュアルで決まっているかのように行動に無駄がありませんでした。
一人が女の子に駆け寄り、父親と一緒に背中をさすっている間に、
もう一人が走って折りたたみ式のチェアを取りにいき、
女の子をその場で椅子に座らせて、あれこれと気遣っている間にも、
どこから現れたのかもう一人がお掃除のセットを持ってやってきて、
汚物に掃除用の紙をまぶし、あっという間に床をきれいにしてしまいます。
わたしは近くにいて彼らがその「第一報」を受けたときの表情を
目撃したのですが、一人が「あっ」と一言言っただけで後は顔色一つ買えず
全員が無駄な動きももなく全てを迅速に運ぶ様子は見事というばかり。
家族に対しても非常に気を遣う様子が見て取れましたし、
何と言っても「不承不承」とか「事務的に」という雰囲気は全く無く、
「優しさ」という言葉しかそこからは窺えないくらいあまりにも爽やかな対応。
いざというときに全く行動にためらいがない、こんなところも
日頃最悪の状況を想定して訓練を恒常的に行っている集団の胆の落ち着き方というか、
底力の「氷山の一角」を見たようで、わたしは心から感心してしまったのです。
そして、続いてこんなことがありました。
わたしが「あしがら」を降りるとき、車いすで訪れていた参加者が退出するため、
家族を先に降ろし、車いすに乗せたままの人をラッタルに乗せて、
二人の自衛官が慎重に、慎重に、ゆっくりと降ろす作業を始めました。
その作業の間、ラッタルは通行止めになり、ちょうど降りようとしていた客は
随分長い間皆でその作業を見守ることになりました。
ようやく車いすが無事埠頭に降り、ラッタルが通れるようになった後、
舷門の両側に立った二人の自衛官たちは、待たせたことに対するお詫びの意味だったのか、
そこにいた全員が降りてしまうまで、ずっと不動で敬礼をし続けていたのです。
(続く)