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深川製磁と海軍〜「つはもの共の筆の跡」

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さて、艦上レセプションに続き練習艦隊出航と
このブログとしては集中して語らなければならないイベントが
急遽(本当に急遽だったんです)入ってきたため、
有田、そして佐世保の訪問記が中断されておりました。

ただの旅行程度ならばそんな場合わざわざ再開することもありませんが、
ブログのテーマ上なんとしてでも続きをお話ししておかねばなりません。

・・・なぜそこまでいうかは、冒頭の深川製磁資料室にあった
壷の上の名前を良く見ていただければお分かりいただけるでしょう。




古賀峯一、醍醐忠重、宇垣纏、そして山梨勝之進・・・。

海軍と歴史に関心があればどれもなじみ深い名前です。
古賀峯一大将はここ有田のある佐賀県出身です。
「軍人に非ずばひとにあらず」の気風である佐賀県出身の軍人は
多かったのですが、古賀大将もその一人でした。

山本五十六が移動中敵機の襲来を受け乗機が撃墜された事件を
「海軍甲事件」といいますが、古賀大将の殉職は昭和19年3月、
パラオからダバオへ移動中に乗機が行方不明となったもので、
こちらは「海軍乙事件」といわれます。


以前にもお話ししたことがありますが、「ロンドン軍縮条約」を巡って、
大鑑巨砲主義の「艦隊派」と条約締結を進めようとする「条約派」の間で
深刻な対立が起こったときには、古賀大将は大鑑巨砲主義であったにもかかわらず
条約の締結を率先して進める一翼を担いました。

このとき「条約派」だった軍人の中に山梨勝之進がいます。
隣においてある壷には山梨勝之進の揮毫で

「覆育如天 戴養如地」

と書いてあります。

「天のごとく覆い育て 地のごとく養を戴く」

どこを調べても出て来ない言葉なので山梨のオリジナルかもしれません。
学習院大学の学長も務めた山梨の教育者としての一面を見るような文言です。

壷に書かれた日付は昭和38年となっています。
山梨勝之進は昭和43年、90歳で亡くなりましたから、これを書いたときには
すでに85歳になっていたわけです。


宇垣纏海軍中将は先日米軍空母「ランドルフ」についてお話ししたときに触れた
「銀河特攻」である「丹作戦」を指揮し、ご存知のように終戦の日、
沖縄方面に「武人の死に場所を求めて」特攻に出撃しました。

もう一人、醍醐忠重中将は名前からも分かるように公家華族の出です。
開戦後は第六艦隊司令長官として指揮を執りましたが、終戦後、
ボルネオの抗日華僑を安全維持のために掃討したことから戦犯に問われ、
インドネシアの法廷でオランダの「報復裁判」で裁かれ、処刑されました。

古賀大将がこのなかの最先任ということで大きく名を記しています。
古賀は1936年(昭和11年)、中将として練習艦隊司令官に附されており、
海将補が練習艦隊の司令官になるという現在の海自の人事と同じであることがわかります。


先日まで当ブログではかしまの艦上レセプション、そして練習艦隊出航を扱いましたが、



そのとき今年度の練習艦隊司令官である湯浅秀樹海将補の揮毫した
白磁の壷について少し触れました。
この写真や、



これらの壷(この慣習は悪筆の司令官にはなかなか辛いものがありますね。
いや、どなたの字がどうのこうの言うつもりはありませんが) 




これらも、海自の揮毫は

「練習艦隊司令官」

か、あるいは

「第二護衛隊群司令」

の肩書きを持つ将官によってなされていることが分かります。
第二護衛隊群は佐世保に司令部を置く、つまり昔の佐世保鎮守府。
そして、古賀峯一大将の経歴にも

「第二艦隊司令」「練習艦隊司令官」

とあるように、 佐世保に拠点を置これらの艦隊司令は、
就任と同時にここ深川製磁で壷に揮毫するというのが
恒例となっているのです。



練習艦隊との縁も、艦隊が海外に寄港する際、交流行事で
先方に寄贈するこのような飾り皿を作っているからでしょう。
ところで、この模様、見覚えがありませんか?



北斎のオリジナルとは少し変えてありますが、
海から臨む富士山、そして桜花。
これだけで「日本の練習艦隊」であることが一目瞭然です。
現在ハワイに投錨しているはずの練習艦隊も、この皿を携えて行ったのでしょうか。


さて、海軍になぜこんな慣習が始まったかについては後に譲り、
この壷に揮毫するのはそれではどういった役職の自衛官なのかを
写真から類推していきましょう。

まず、壷に書かれた文字を見ていただければ、

「西空司令官」

というのがあるのにお気づきでしょう。
西空は航空自衛隊の西部方面航空隊のことで、福岡県に基地があります。
また、

「西部方面総監」

は陸上自衛隊の九州・沖縄方面の地方隊で熊本に基地を置きます。



別室にはこのようなものもありました。



陸幕長の印のついた陸自からの注文品。



つまり、元々海軍から始まった海自と深川製磁の縁は、
いまや陸自、空自の九州地方の方面隊にまで広がっていることがわかります。



第8師団長の揮毫壷があります。
第8師団は戦前までここにあった熊本陸軍幼年学校を、終戦と共に
米軍が接収し駐留していましたが、米軍引き揚げ後、ここに
北熊本駐屯地が置かれ、その後第8師団となりました。
 
一番右は中央大学の総長によるもの。



勿論かつての佐世保鎮守府、佐世保地方総監の揮毫もあり。

わざわざ三菱マークを器用にも描き込んだのは、
三菱重工長崎造船所の所長。 

椿の花を描き込んだ絵心のある総監は、絵心があだとなって
名前の部分を出してもらっていません。

英語による揮毫がありますが、これはどうも
強襲揚陸艦「エセックス」の艦長によるもののようです。

自分の名前を縦書きにしていますが、フレイカー艦長は
これで日本風の雰囲気を出そうと思ったようです(笑)



海自との関係から、米海軍ともお付き合いのある深川製磁。
ロナルド・レーガンのキャップにパンフ、中央の写真は
深川製磁社長(先代)とパパ・ジョージ・ブッシュ夫妻。
第7艦隊司令からの盾も深川社長個人に対して贈られています。



これはどういうことかというと、おそらく海自の仲立ちで、
深川製磁は第7艦隊のためにこのような製品を納めたからでしょう。
「7」のマーク入りのパンチボウルセット。

艦隊司令フォーリー海将補と夫人の名前がボウルの内側に金文字で入っています。



達筆すぎて読み難いですが(笑)写真中央の第7艦隊司令官
バイス・アドミラル(海自で言う海将補)が深川社長に送ったカード。
司令官の右側は先代社長ですが、一番左の若い男性は、
この日わたしたちを案内してくれた現社長だと思われます。 


  
第7艦隊旗艦であった軽巡洋艦オクラホマ・シティ。
おそらくこの写真は艦上で撮られたものですが、
この礼状の書かれた翌年、オクラホマシティは退役し、その後
合同訓練の標的となって沈没しました。
 




パールハーバーで行われた米艦隊司令官交代式への招待状。

左の写真は先代社長と国連大使時代の小和田恒氏。
息女の雅子妃殿下のご尊父ですから、皇室の婚礼に関する
陶磁御製を請け負っている深川製磁へはその縁で来社したのかもしれません。



そのときの小和田氏の壷。
運輸大臣の左は「無事」と書かれた警視総監の揮毫。
警視総監が書いたとなるとこの言葉は俄然意味深ですね。

上の大皿に寄せ書きしているのは

「衆議院安全保障特別委員会ご一行様」

1981年のもので、自民党の有馬元治(海軍経理学校卒)、
社会党のプリンス()だった横地孝弘などの「呉越同舟委員会」です。

まあ、政治家連中はバックステージにおいては得てして対立はないものらしい、
(つまり国会での丁々発止はプロレスのファイトみたいなもんだから)
とわたしは思っていますので、彼らがここに皆でやってきて、
仲良くキャッキャうふふと揮毫して行ったとしても何の不思議も感じません。



初代社長深川忠次肖像の周りにあるのは、
これも「ある意味呉越同舟」、駐在武官たちの寄せ書き皿。

 

中国、韓国、オーストラリア、インドネシア、アルゼンチン、タイ、マレーシア、
イスラエル、ポーランド、スペイン・・。

PAZ、 PEACE 、PAIX ・・・平和を意味する各国語を添えて。



台湾からの参加がある年には中国からは招聘していません。
この辺がやはり「色々あるなあ」と言う気もしますが、
冷戦まっただ中の1966年の日付であるにもかかわらず、
アメリカとソ連の駐在武官も仲良く一緒の皿に名を連ねています。
ドイツも、ドイツを天敵と見なすイスラエルも両国参加していますし、
駐在武官というのは実は政治を持ち込まず付き合うという意味においては
大使よりもずっと皆さん仲がいいんじゃないでしょうか。

これを見せてくれた深川社長も

「そういうこと(国同士の確執とか)は全くないようで、
皆さん本当に和気あいあいでいつも来られるんですよね」

と感心したようにおっしゃっていました。
国会で「政治プロレス」をしている政敵同士が実は仲が良かったりするように、
国権のぶつかり合いは軍人同士には起こり得ないしその理由もありません。


不幸にして祖国同士が戦火を交えることになったときには敵味方となるのが軍人。
だからこそどこの国の軍人も「平和」を望むのでしょう。

頭の悪い末端サヨクの皆さんには金輪際理解できないかもしれませんが、
日本国に限らず、たとえどんな紛争地域国であっても、
戦争を最も嫌うのが軍人なんだと思いますよ。

最近やたら威勢のいい人民解放軍の某少将以外は・・・・・
もっともあれは誰かに「言わされている」らしいとわたしは思ってますが。



勿論各国大使の壷もこの通り。
「カナダ大使」「英国大使」など、皆さん日本語が書ける人ばかり。
フランス大使は「フランヌ大使」になっていますが、まあご愛嬌。
韓国大使もハングルではなく漢字記述ですし、
(『韓日文化統合の地』ってどういう意味?ってちょっと引っかかりますが)
全く日本語が出来ないらしいオーストラリア大使は絵を描いたり、
「ハンガリー大使」だけを日本語で書いた人もいます。
ブラジル大使は日系でもないのにほとんどの日本人より達筆でいらっしゃいます。

日本語は書けても、感覚的にちょっと違和感のあることを書いている人もいます。
つい声を出して笑ってしまったのがドイツ大使の

「妻同伴」(笑)



戦前の横綱、双葉山の揮毫もあります。
ほとんど学問がないにもかかわらず大変な達筆で、
少年期には大変優秀であったという逸話に違わぬイメージです。

あの大きな体にしてこの小さな字は、案外彼の性格によるものでしょうか。
 


ところで、ここ有田の深川製磁本社にこのような壷があるということは、
かつての海軍軍人、その後戦死したり戦後処刑になったりした軍人たちも
実際にここに脚を運んでいるということでもあります。

かつてこの有田に訪れ、今も残る古い深川製磁社屋の木造の階段を登って、
天皇陛下もそこにお座りになった白いカバーのかかった椅子に腰掛け、
言われるままに筆を取って、そして自分の名前を書き遺したわけです。

その全く同じ空間で、今歴史的人物の筆の跡を見ているという不思議。


それはすなわちここ、深川製磁という一磁器製造会社と、
帝国海軍との古くからの深いつながりを証明するものなのです。


(続く)

 


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