有田での深川製磁本社見学、そしてハウステンボスと、ここ北九州における
「海軍ゆかりの地を訪ねる旅」は二日目となりました。
え?
「何が海軍ゆかりの地だ、ハウステンボスを海軍兵学校後と知らないときは
日本にこんなヨーロッパの街並を再現するコンセプト自体が意味がない」
とかなんとか批判的に思っていたくせに、って?
はい。
「兵学校跡であることと、開発に際して渾身の環境技術が投入されたこと、
そして、その後18年間不振だった事業をV字回復させた現在の経営陣」
この三題噺を知ったとたんすっかりそれまでの見る目を変え、
今やハウステンボス支持派に鞍替えしたお調子者、エリス中尉でございます。
というか、自分で全く知らないうちに「全編海軍ゆかりの旅」になっていた、
これがかつての軍港町を訪ねるということなんですね。
佐世保恐るべし。
さて、ハウステンボスで朝ご飯後一人でタクシーに乗ったエリス中尉。
何しろ初めてのことで、現地の様子は全くわかりません。
従って、セイルタワーと艦艇見学を実地している倉島岸壁が離れたところにある、
ということも全く知らなかったため、タクシーの運転手さんにはとりあえず
「セイルタワーに行って下さい」
と告げました。
ハッピータクシーという実にストレートな名称のタクシー会社の運転手は、
「どちらから来られました」
に始まって、車窓から見える風景の説明や有名な観光地の紹介、
ちょっとした観光のサジェスチョンをしてくれました。
「下を見下ろしたら佐世保を一望でき天下取った気になれる」
という山腹のホテル、「弓張の丘ホテル」も教えてもらったり、
(次に佐世保に来ることがあれば必ずここに泊まろうと思います)
今まで「つくもじま」だと思っていた「九十九島」が 、じつは
「くじゅうくしま」だということも(ご存知でした?)初めて知りました。
楽しく車中でおしゃべりしながらセイルタワー前に着いたのですが、
「倉島岸壁はどの方向ですか?」
と車が止まってから現地の人にとっては全く見当違いのことを言い出す客。
「え、お客さん倉島岸壁行きたかったの?」
「はあ、セイルタワーと一緒になっていると思っていたので・・・」
「歩いて行くのは無理だね。少し戻ることになるけどどうします?」
「・・・・・倉島岸壁行って下さい」
さすがは軍港佐世保、規模が大きい。
歩いて行けるところに全てが集まっているというわけではなかったのね。
まあそりゃそうか。ハウステンボスじゃないんだから。
海上自衛隊入り口で降りたとき、運転手さんは端数を受け取りませんでした。
こちらの勘違いだったのに・・・。
皆さん、佐世保に行ったらハッピータクシーがおススメです。(宣伝)
さて、入り口で入門手続きをして、見学者のタグをもらい首にかけて、
艦艇のある岸壁まで歩いて行きます。
いつもこんなものかもしれませんが、人はまばらでした。
岸壁までの道すがら目につくものを片っ端から撮りまくります。
自衛隊専用の岸壁ではないらしく、海保の巡視船もいくつか見えました。
写真は「ちくご」。
2010年、民主党政権下で尖閣での状況が緊張化したときには、
なんとこの「ちくご」が尖閣に出動してニュース映像にも写ったのです。
当時緊張化が長期化したため、佐世保から急遽ローテーションに組まれ、
現場に出動していたということだったようです。
海保のことについては当方あまりくわしくないのですが、この「ちくご」は
警備実施等強化指定を受けた「特警船」で、
乗員は「特別警備隊員」でもあるらしいことがわかりました。
機会があれば一度海保の船についても乗船見学してみたいです。
こちらの岸壁は海自の・・・・これ、何だろう。
初めて見るなあ。
小さくて、艦番号も二桁・・・。
と思って調べてみると、この艦首のYTというのは
「Yard Tugboat」
つまり曳船(えいせん、で一発で変換できました)です。
見るのは初めて、じゃなかったんですね。
大きな船が出港するときに1隻あるいは2隻でその補助をする艦艇。
いつもこの小さな力持ちはあまり注目されませんが、
操艦にはかなりの熟練が必要なんだろうと、観艦式のときに思いました。
その働きぶりを一度でも見たらきっとあなたも思うはずです。
この曳船や給水、給油を行う水船、油船(あぶらぶね、と呼ぶらしい)、
廃油船(廃油回収)、運貨物船(艦艇への物資補給)、
交通船(人員運搬)、消防船(読んで字の通り)、
起重機船(艦艇に荷物を上げ下ろしする)・・・。
こういった働きをする船を「支援船」といいます。
どれも小さな船ですが、どんな大きな護衛艦も彼女らがいなくては動きません。
まさに縁の下の力持ちというべき大事な役目を担っているのが彼女ら支援船です。
艦艇公開には護衛艦だけでなく、ぜひこういう支援船も対象にしてほしい。
と、防衛省広報課にこの際お願いしておきます。
門そのまま歩いて行くと、グラウンドの向こうに艦艇が見えてきました。
ポールが三本発っていますが、ここで何かセレモニーが行われるのでしょうか。
グラウンドの手前は地面にロープを張った駐車場でした。
・・・・?何かが書いてある。
おお、常時繋留してあるフネの乗組員専用駐車場がある。
これは「あさゆき」用。
そういえば今日見学するのは「あさゆき」だったっけ。
勿論日曜日なので車は一台も停まっていませんでした。
さすがに土地が広いだけに車の通勤が許されているのですね。
おそらく幹部だけだとは思いますが。
「じんつう」JS Jintsu, DE-230
の艦長専用のパーキングロット。
「じんつう」は旧軍の軽巡洋艦「神通」の二代目艦となります。
今まで舞鶴、大湊、そして佐世保と定係港を変えてきたそうです。
フネが引っ越すときには当然乗組員も一緒に引っ越すんですよね。
「2年おきに転勤は普通」
と艦上レセプションで実習幹部に聞いたけど、この人事異動というのは
「組織が硬直しないように人を動かす」ということが目的だったりするんでしょうか。
空が・・・・・広い。
二台の自転車は折りたたみ式のようですが、隊員の移動用でしょうか。
それともこのとき来ていた家族連れのもの?
まずは前面から写真を撮ってご挨拶。
艦番号132が本日見学する予定の「あさゆき」です。
手前の艦を通り抜けて行くんですね。
この週末は「じんつう」が一般公開されていますが、写真によると
さらにこの外側に繋留してありました。
停泊中なので艦首旗が艦首に掲げられています。
ところでこの艦首旗竿の旗を前回練習艦隊の出港時に
「艦首に日の丸が」
と書いたのですが、じつはこの“日の丸”はあくまでも「艦首旗」と呼ばれ、
艦艇の常識では国旗であるものの国旗ではない、という扱いなのだそうです。
軍艦においては艦尾旗竿またはメインマストに掲げられるのが最上位の旗とされ、
一般的にはそこに海軍旗を揚げることになっています。
海軍旗が制定されていない海軍もあるので、その場合は国旗がそこに揚げられます。
つまりこれは
「一見日の丸に見えるが実は艦首旗であり日本国旗ではない」
ということでもあるのです。
なぜこういうことをわざわざことわるのでしょうか。
これは、わたしが海自の慣習である自衛艦旗の扱いを見ていていつも感じる
ある「疑問」への答えが、すなわちその答えでもあるらしいことがわかりました。
艦上レセプションでは、日没前から待機して自衛艦旗を降納していました。
晴海の練習艦隊出航行事の朝は、8時に掲揚する自衛艦旗を見ました。
そこでは自衛艦旗が喇叭譜「君が代」と共に扱われます。
そこでわたしの感じた疑問というのはこういうことです。
「これをしている間、国旗であるはずの艦首旗はどうなっているんだろう」
はたして艦首旗は自衛艦旗のような揚げ下げをするのか。
そもそも、自衛艦旗がこうやって第一義に扱われているということは
自衛隊では国旗より自衛艦旗を尊重している
ということになるではないか・・・。
はい、もうおわかりですね。
いかなる軍隊も、国旗の下にその存在を初めて認められているのですから、
国旗より軍艦旗を優先したり尊重したりすることは許されません。
しかし、艦首には識別のために国旗を揚げねばならない。
つまり
「これは国旗と同じ模様をしているが、艦首旗といって国旗ではない」
と言い張ってしまえば、この矛盾が解消できるというわけです。
・・・・・・と思ったんですが、本当はどうだか知りません。
しかしそれが証拠に、今より国旗に対する扱いに厳正を要求された旧海軍時代には、
国旗と類似の、縦横比が国旗とは異なる、艦首旗たる日の丸が制定されていたそうです。
しかし海自では国旗と同じものを艦首旗と言い張って使用しています。
そのためにわざわざ特別の国旗を用意するほどでなくてもよくなったんでしょうか。
朝日新聞が社旗を「これは旭日旗ではない」と言い張るみたいなもんですかね。
たとえが悪すぎてすみません。
「艦首旗」≠「国旗」は米海軍ではちゃんと具体的に行われており、
星条旗の左上部の青地に星の部分だけを艦首旗として使用しています。
他の艦船から見てアメリカの軍艦であることが分かればいいからですね。
ところで先日、羽田空港が床の皆が通行するところに東京オリンピックの
「ガンバレ、ニッポン!」
というディスプレイを貼付けて、それになぜか高円宮典子女王の婚約者である
出雲大社の千家国麿氏がツィッターで
「何を考えているんだ羽田空港は!」
と激怒し、それが話題になったということがありましたね。
日本の国旗をわざわざ足拭きマットにして入館者に踏ませるという、
大変斬新な意向を持つ抗日博物館もお隣の国には現存するそうですが、
そういった人智の及ばぬ常識を持った国の話はさておき、
文字通りの確信犯でこれをやっていたとすれば、羽田空港は、
世界的常識というものについて少し考え直した方がいいと言う気がします。
アメリカ人という連中は何しろ国旗が大好きで、Tシャツを始め衣類は勿論、
ケーキやクッキーなども特に独立記念日には星条旗柄で作ってしまうのですが、
(紺色と赤のクリームを乗せたケーキです。一応念のため)
その愛国ぶりは身の回りのもの全てに及び、さまざまな身の回り品におよびます。
・・・・そう、つまり、あるのですよ。星条旗柄の足拭きマットも。
しかし、そこはおおざっぱなアメリカ人も羽田空港よりは少しは考えていて、
星条旗の☆の数を変えるとか、ストライプを少なくするとか、
とにかく本物と全く同じ柄は決して使わないのだそうです。
普通の国では国旗に対する扱いは「フラッグコード」という法律で決められています。
国旗は国体や国民の象徴であり、
旗が倒されるということは国を、ひいては領土を失うこを示す。
という理由から、国旗は絶対に地面につけてはいけないというのが基本です。
日本では国旗を日の丸と定める法律が決まったのはなんと1999年のこと。
日本の国旗以外を損壊すれば犯罪ですが、なぜか日本国旗を
破って継ぎ合わせ党旗にしても、落書きしてデモをしても法には問われません。
こういうのをリベラル国家っていうのでしょうかね(嫌味)
それともたまたま隣に普通でない国が3つあるので
日本人は日の丸を燃やされたり破かれたり食われたり(笑)
国際放送でモザイクをかけられたりすることに慣れてしまい、
国旗の誇りを死守しようとする気概が麻痺してしまったんでしょうか。
まあ、教育現場の人間が断固日の丸には起立しないなんてことが
決して犯罪にはならない国ですからね。
海自が艦首旗を「これは国旗ではない」と言い張るだけで、現行の国旗と
全く同じものを使用しているというのも、厳しく言えば国旗に対する
敬意そのものが「緩いから」という気がしなくもありません。
羽田空港の一件にもあるように、自衛隊の、というよりこれは
現代日本人全体の国旗に対する感覚に若干問題があるのではないかととも思えます。
私見を述べるなら、国旗の扱いが無神経なことはリベラルではありません。
それはアナキズムに通じる無秩序です。
まあ、そういいながらわたしも両旗の写真を撮るのに場所がないので
このときは床に置いちゃっているんですけどね。
うちはしょうがないんです。テーブルの上がいつも物満載になっているので。
ちなみに英海軍やロシア海軍は独自の海軍旗が制定されています。
さて、艦首旗の写真を撮りながら、さっきから何か感じる違和感に気づきました。
手前に繋留している同型の護衛艦に、まず護衛艦旗が立っていない。
そして、なんだか変だと思ったら・・・・・・・・・
そう、この部分、艦番号が上から塗りつぶされているではありませんか。
「退役艦」だ。
わたしはその場でiPadminiを出して検索を始めました。
この写真では分かりませんが、塗りつぶされたナンバーははっきり見えます。
127番。
二ヶ月前の2014年3月13日に除籍になったばかりの 「いそゆき」です。
この日付にピンと来た方はおられませんか?
ほら、そこのあなた、ピンと来たでしょ?
あ、そこのあなたって、わたしのことか。
そうです、2014年3月13日、わたしは岡山の三井造船所で
「ふゆづき」の引渡式並びに自衛艦旗授与式に出席したんでした。
そして、その前日、3月12日には佐世保の三菱造船で、「すずつき」が就航。
つまり、この「いそゆき」は、「すずつき」の就役と同時に、
同じ佐世保を母港とするフネとして退役したということなのです。
一日日付が重なっているのは、やはり退役するフネも自衛艦旗返納などの
儀式をしなくてはいけないので、同時の就退役が無理だからなんですね。
自衛艦旗返納のときにも、儀礼曲「海のさきもり」が演奏されます。
それにしても、退役したフネというのは、どうして遠くから見ても
なにか「魂の抜かれた」ような生気のない様子になってしまうのでしょうか。
甲板に人が見えていなくても、就役中のフネというのは「生きている」
という気配がするものですが。
これは細かいところ、たとえば旗の有無とか、喫水線とか、武器とか、
現役とは違う風体になってしまっているわけですから、勿論自衛官には
一目瞭然なのでしょうが、全く門外漢から見ても感じるものはあります。
それを一目で察知できるようになったというのは、わたしがそれだけ自衛艦を
数見てきたということなのかもしれませんが・・。
抜けるような青空の下、男の子二人とあかちゃんを連れた
家族が艦艇見学に来ていました。
こんな小さな子供たちに自衛艦を見せにわざわざ連れて来るなんて、良く出来たご両親だなあ。
まあ、わたしと一緒でお父さんかお母さんがお好きなだけなのかもしれませんが。
さて、まずは接岸している退役艦「いそゆき」の中を通り抜けて行きます。
舷門には一人海士くんが立っていましたが、
「いそゆき」の側には人っ子一人いませんでした。
今気づいたのですが、「いそゆき」から「あさゆき」をつなぐラッタルの下には
ちゃんとネットが貼ってありますね。
これは、一般人が訪れるから念には念を入れて、ということなのでしょうか。
それともときどき乗組員が落ちることもないではない・・・・・・・?
そういえば、こんな話をわざわざ暴露するのもファンとして心苦しいのですが、
この落下防止ネットを見て台南航空隊の笹井醇一中尉の話を思い出しました。
笹井中尉が少尉候補生、今でいう実習幹部、つまり練習艦隊乗り組みであったとき、
「舷門番兵を怒鳴りつけんとし
舷梯を踏み外しぶら下がったりするのは
彼の最も得意とするところであった」
なんてことをクラスメートに書かれてしまっているんですね・・・。
舷門番兵が何をしたのかは知りませんが、笹井中尉、怒りに我を忘れ、
ついでに足元を踏み外してしまったと・・。
さすがあだ名が「軍鶏」というくらい気が強くて、教官とでも
気に入らなければやりあったという人物だけのことはあります。
この話を最初に読んだとき、イマイチどういう状況かわからなかったのですが、
このようなラッタルのことだったとすれば合点が行きます。
舷梯を踏み外してもとっさに手すりをつかみ、海に落下するような無様な姿を
部下や同僚に見せなかったのは、さすが後の戦闘機乗りといえましょう。
まあ、笹井中尉だって落ちたことがあるくらいですから、
猿も木から落ちるように()怒りに目がくらんだり、
二日酔いで上陸から帰ってきた乗組員が足元がおぼつかずラッタルを踏み外す、
という事故も決してないわけではないのでしょう。
というとんでもない話を思い出しながら、いよいよ「あさゆき」乗艦です。
退役艦とちがってこちらはここから見ただけでも活気にあふれています。
舷門では舷門番兵が、じゃなくて、えー、今はなんていうのか知りませんが、
舷門番?が、暗くて分かりませんが、爽やかに微笑みを湛えてお迎えしてくれてます。
しかしなんだろうなー。
舷門番に対してそこまで怒るって、何があったんだろう、笹井中尉・・・・。
というところで、次回に続く。