Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

パシフィックコースト航空博物館〜「ツチブタが鷲を生む」

$
0
0

カリフォルニアはサンタローザにあるパシフィックコースト航空博物館。
この日も何人かのリタイア再就職組らしい年配の人たちが
展示航空機のメンテナンスの仕事に来ていましたが、ここは
常にスポンサーの出資を受け、展示機体にペイントや展示の工夫
(胴体に穴をあけて見やすくしたり)を順番に施しているらしいことがわかりました。

ところで前回お話ししたこのクルセーダー。



公園に置かれてお遊具になるという辱めを20年受け続けた後、
(サンフランシスコに住んでいた頃、家の近くにあった公園らしいのですが、
わたしは全く知りませんでした)
当博物館に引き取られ、塗装を全部はがしてゼロからやりなおした、
というこの機体の経緯を前回お話ししました。

ゼロから塗装しなおすにあたって、修復に当たった人々が
そのモデルにしたのが、これです。



ベトナム戦争に参加したときのF−8クルセイダー。
以前もお話しした「サンダウナーズ」VF−111使用機です。
攻撃母艦CVSイントレピッドの甲板から離陸しているところです。

VF−111部隊愛称サンダウナーズについては日本語の資料がなく、
当ブログの記事がwikiの「F−14」の次に出てくるくらいなのですが(笑)
英語版で調べると、サンダウナーズの使用機は

F4F ワイルドキャット
F6F ヘルキャット
F9F-2 パンサージェット 
F11F-1 タイガー
F-4B ファントムII 
F-14 トムキャット

そしてF−8クルセイダーと、グラマンの猫戦闘機を中心に
次々と変わって行っているんですね。
クルセイダーを部隊使用機としていたときにはノーズはシャークペイントでした。
公園の遊具として朽ち果てていたF−8をレストアすることに決まったとき、
関係者一同が

「それならVF−111のサンダウナーズ仕様にしたい!」

と一決したのも旭日模様がかっこよかったからに違いありません。

 

博物館のホームページにはサンダウナーズペイントについては
特に言及していません。
ただ、この写真を見て気づいたのですが、ちょうど「111」が
わざと塗装をはがして(上から塗ったのではない)見えなくなっています。

VF−111は1993年の「レストアホープ作戦」に参加後、1995年の
「サザンウォッチ作戦」を最後に解散となったのでもう存在しませんが、
仕様を復刻させることについてもしかしたら
元サンダウナーズとのあいだに何かあったのかな、などと
お節介な心配をこんなところからもしてしまうわたしです。



GRUMMAN H-16E ARBATROS

「アホウドリ」の意であるアルバトロス。

1951年から1983年まで、沿岸警備隊に配備されていました。
飛行機や船の捜索に、水上でのプラットフォームとして使用されたり、
要請に応じて排水ポンプを投下するなどの任務に当たりました。



道路を隔てた向かい側の駐機場には現役のアルバトロスがいましたが、
基本的にシェイプは全く変わっていません。



ノーズの先のミッキーマウスの鼻のような部分は違いますね。


水陸両用であることから「アンフィビアン」(両生類)などと
いわれることもあるこの水上艇、旅客機が墜落したときの捜索や
キューバやハイチからのボートピープルを発見したとき、
または漁業パトロールにも投入されます。

1970年後半からは度重なる麻薬密輸に対し、まさに水際作戦で
マイアミ・フロリダ・カリブ海での監視も行いました。



ここに展示されているアルバトロスは,1980年まで
沿岸警備隊の艦隊に所属していました。

当機は1999年に博物館に寄贈されたものですが、その際、
視認性が高いことから採用されていた大変眼を引く
鮮やかな「沿岸警備隊ペイント」に塗装されました。

ちなみにこの博物館のレストアチーフであるコポック氏は
(HPにはクルーチーフとある)元沿岸警備隊で、
「7245」のパイロットであったと書かれています。

もしかしたらわたしに声をかけてきた偉そうな人が
この元パイロットのチーフかもしれません。



しかし、この機体は7245そのものではなく、単に
このペイントはコポック氏に敬意を表してなされたようです。




HPでは

「もしこれをご覧になっている中に、かつて沿岸警備隊で7245機の搭乗員だった、
という方がおられましたら、オペレーションディレクターに是非連絡をください」

というメッセージが書かれています。
もしそうであればコポック氏の同僚ということになりますが、
呼びかけはあったのでしょうか。



翼の下に切り取られたコクピットが置いてありました。
おそらく「コクピットデー」には乗れるのでしょう。



 GRNERAL DINAMICS F−111 AARDVARK

イジェクションシート、つまり射出席だけが展示されています。
この「アアドバーク」というのは変わった単語ですが、

「ツチブタ」

 といってアフリカに生息するアリクイに似た動物です。
何だってこんな変な動物を名称に選んだかね、と思ったら



イメージ的にわからないでもない、
というか誰が言い出したかそっくりですよね。

「これツチブタに似てねえ?」
「似てる似てる!」
「誰がうまいこと言えとw」

という感じで現場から発生した愛称らしく、
アメリカ空軍では1998年に当機が退役する日、
初めてこの名称を公式採用することを発表したそうです。

この機体があまり有名でないのにはそれなりの理由があって、
このツチブタ、戦闘爆撃機という区分で開発されたのにもかかわらず、
コストカットのために空軍と海軍で統合運用しようとし、

空軍・・・低空を音速で駆け抜けることができる機体

海軍・・・大型レーダーを装備する並列複座の機体

という両軍の要求を無理矢理飲まされたため、
請け負ったジェネラルダイナミクス社の機体は重量が重くなり、
その時点で海軍はやる気がなくなって(笑)採用を拒否します。

(あの・・・重くなったのは海軍の要求のせいなんですけど)

結局空軍だけで運用されることになったのですが、重量が災いして、
運動能力が敵機のミグにかなり劣ることになってしまいました。

(あの・・空軍じゃなくてこれは海軍で運用するべきだったのでは)

しかしご安心下さい。
ひょうたんから駒、転んでもタダで起きない、藍より青し出藍の誉れ。

これをはっきりと「失敗」として空軍がその轍を踏まぬよう
開発したのが
あの!F−15戦闘機イーグルだったのです。

まあ、戦闘機と思わなければ優秀な爆撃機だったといいますから
失敗とまではちょっと言い過ぎのような気もしますが。
いずれにせよこれを「鳶が鷹を生んだ」ならぬ

「ツチブタが鷲を生んだ」

といいます。

さて、ここにある射出席はモジュール式脱出装置といい、
コクピットごと機体から切り離されるシステムです。
パイロットだけを射出する方法は、特に高高度を超音速で飛行しているときには
大変危険なので考案されました。

しかしこんな大きな物なので落下速度も増しますし、
レーダーの発達で敵地への侵入は低空飛行するというのが常識となり、
今ではこのモジュール式脱出装置は使われていません。
 

安全のためには、高度0・速度0の状態からでも
パラシュートが充分に開く高度までパイロットを打ち上げられること、
というのが安全性の目安である「ゼロ・ゼロ射出」ですが、
モジュール式ではそれが難しいということでもあったのです。



BLUE ANGELS COCKPIT

フロリダのペンサコーラにある国立海軍航空博物館から
貸与されているブルーエンジェルスのコクピット。
ここに来た当初ははしごを二つつけて、前後のシートに
よじ上るようになっていましたが、それでは乗れない!
と泣くお子様がいたらしく(たぶん)、はしごははずされ、
そのかわりステップから乗り移ることにしたようです。



もともとは実際にヴェトナム戦争に参加したF−4Bのコクピットです。
数年間機体は砂漠地帯に放置されていたもので、
スタッフはこれをレストアしペイントするのに数ヶ月を要したということです。






ダグラスDC−6は、レシプロ旅客機の傑作とされています。
まず何がすごいと言って、このエンジン。
新型である大型エンジン「ダブルワスプ」を採用したことにより
北大西洋を無着陸横断が可能になったのです。

1927年、チャールズリンドバーグ、そして女性では1932年、
アメリアイヤハートが大西洋無着陸横断を果たしたものの、
それはあくまでも小型機での記録であって、大型旅客機は
不可能であるされていた頃でこれは画期的でした。

これで旅客は皆航空機に流れることになり、おかげで
大西洋、太平洋を航行する航路は全て敗退に追い込まれました。


・・・という罪深い、じゃなくて時代を代えた航空機、
それがこのDCー6なんですね。

このノーズ部分はDC−6Bのもので、これは民間の旅客タイプ。
信頼性があるため、何度かエアフォースワンとしても採用されています。
日本航空が最初に導入しようとしたのもこのタイプですが、
ダグラス社に「2年後でないと引渡できない」と(嫌がらせ?)され、
元フライングタイガーの構成員が創業した

「フライングタイガーライン」

のために造られていた貨物用の機体を高いプレミア込みで買い、
わざわざ改造して東京札幌間の運行にこぎつけました。

・・・・なんか、いいように足元をみられてたような・・。
敗戦国の悲哀という奴でしょうか。


ところで、このDCー6Bのノーズ部分展示ですが、
賛助企業がやたら多いです。

たかがノーズ部分に、と言う気がしますが、これはおそらく
スポンサーが皆「小口」であるためでしょう。

不動産、伐採業者、クレーン業者、肉屋、レストラン、
法律事務所、カメラショップ・・・・・。

そういった小売業者や個人事務所からの篤志を
ある程度まとめて修復に使っているのです。


何度もいうようですが、日本でもこういうのできませんか?
たとえば具体的に二式大艇の補修と雨よけの屋根のため、とならば
わたしは当ブログ運営者として喜んで寄付させて頂くのですが。

 



 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>