アメリカからの帰国前日にフィッシャーマンズワーフを訪ね、
そのとき、新しく出来たジャパニーズレストランでお昼を食べた、
というご報告をしましたが、そのときのこと。
海に面した特等席で外を眺めて行き交う船や人を眺め、
好き勝手なことを言い合ったり、
海を渡るペリカンを撮ったりしていたら・・・
いきなり海面にアシカが顔を出しました。
こんなところにアシカがいるんだ、と二人で大変驚いたのですが、
実はこの後もっとびっくりすることになりました。
日本料理の店を満足して出たあと、二階を歩いていると。
何と。
このようなデッキが現れたではありませんか。
何回もここに来たことがあったのに、この一角に
「シーライオンウォッチングポイント」があることを
この日まで全く知らなかったのです。
フィッシャーマンズワーフを、ただ埠頭にあって、
水族館を併設しており湾内観光船が出るだけのモールのようなものと
今までわたしは考えていたのです。
すみませんでした。(←アシカに言ってる)
ここには人間の作ってやったアシカの一大群生地ができています。
多くのアシカたちのオエッ、オエッ、と独特の鳴き声が響き渡っています。
ついでになんともアシカ臭い?匂いも漂ってきます。
アシカたちは大抵大勢固まって、互いの体を枕にして
寝ていたりするのですが、たった一匹でここにいた孤高のオス。
もしかしたらこのなかで唯一雌と交尾する権利を持っている
最強のボスアシカかもしれません。
カリフォルニアアシカはハーレムを形成する習性を持っています。
毎年5〜6月の出産シーズンを控えると、オスは、
陸地や海中の地形を利用して縄張りの境界線を作り、
その中に20〜30頭のメスを集め、ハーレムを形成するのです。
ボスアシカはハーレムのメスが逃亡しないか、他のオスが侵入してこないか、
縄張りを守るために、エサも食べずに終始パトロールを行うそうです。
夏の終わり頃にハーレムは解かれ、アシカたちは再び個別の生活へ移る、
ということなのですが、このフィッシャーマンズワーフでは、ボスアシカが
どうやって他のオスを排除したハーレムを作るのかは謎です。
もしかしたらこの人口のアイランドがハーレムとその他を区別するのかもしれません。
ちょうどこの情報によるとこの写真を撮ったときにハーレムは解かれる頃ですが、
もし、このオスがボスだとして、まだハーレムがあったのだとすれば、
アイランドにハーレムを作ればいいわけですから、ボスとしては
見張りは比較的楽だと思われます。
吹き溜まり、という言葉がふと浮かびました(笑)
下から顔を出しているのは若いメスに見えますが、
好奇心から覗いているだけで登るつもりはなさそうです。
どうやらここの区域がその他大勢のオスのアシカのたまり場である模様。
全体的に活気がなくオス特有の首の太いアシカばかりですが、
表皮が苔むしたようになっている個体ばかりです。
手前にはすっかり出世を諦めたおじさん風のアシカ。
ボスになれなかったオスたちが
仲間と気ままに楽しむエリア(想像です)
ということはこれはメス同士ってことか・・。
たしかにこのあたりにいるアシカたちはみんなピチピチです。
若いので動きが非常に活発。
しかし肌が苔むしたようなご老人もいることはいます。
これはかつてのギャルであると見た。
かつてのイケイケギャルも今やトドのようになってしまって・・
・・・・・ん?
出来心を起こすような元気はとっくの昔に枯れ果てた、
といったアシカはこうやって余生を寝て過ごします。
この幸せそうな解脱の表情。
夜も寝ないでハーレムを見回るボスアシカとどちらが幸せかというと、
圧倒的にこちらだと思うのですが。
枯れていない若いアシカたちはメス同士でも色々大変みたいです。
顔を掻くときは足のひれを使います。
横に「アシカについて学ぶコーナー」がありました。
アシカの骨格。
骨だけいきなり見せられたらアシカとは思いつかない形状です。
この隣にはレクチャールームがあり、ちょうど子供たちが
係員にスライドでアシカの生態について学んでいるところでした。
ここに生息していたアシカで、首にプラスチックの輪がはまり、
そのまま成長してしまったので食い込んでしまった個体を
救った課程を写真に残しています。
パネルの若いオスアシカは、2012年、首にプラスティックの輪がはまった姿を
ここピア39の生息地で発見されました。
当センターのスタッフはこのアシカを救うために
麻酔銃を使って彼を眠らせ、輪を切断することに成功。
輪は肉に食い込み、すごい傷になってしまっています。
酸素マスクを当てられて寝ている顔も心なしか痛そう・・。
彼にはスタッフが「ブロンディ・ボマー」(金髪の爆撃手?)
という名前を付けました。
ブロンディは傷がいえるまで人間の元で暮らし、
今では仲間の元に戻されて暮らしているそうです。
そう言えば、昔うちの母は、小さいころに首輪をしたまま捨てられたのか、
その首輪がずれて脇の下に、斜めにたすきがけになったまま成長してしまい、
首輪がブロンディのように食い込んでいた野良猫を発見し、
わざわざ餌とハサミを持って追い回して捕まえ、切ってやったことがあります。
猫にも恩人だと分かるのか、その直後から感謝されて懐かれていました。
「たすきちゃん」と名前を付けられた猫はその後母が通るたびに
出てきて挨拶していたようです。
たすきちゃんは特殊な例ですが、海に投棄されたプラスチック製品は、
しばしば海洋生物の大きな脅威となります。
漂うビニール袋をクラゲと見間違えて食べてしまい、
胃が閉塞して死んでしまうウミガメやイルカなども後を絶たないのだとか。
このパネルには
「あなたにもボマーのような野生動物を救うことが出来ます」
というタイトルで次のようなことが書かれています。
「海に漂うゴミの90%が捨てられたプラスチックです。
あなたがプラスチックの使い捨てを減らし、できるだけリサイクルすれば、
そしてあなたの周りの道、広場、川辺や海岸に落ちているプラスチックゴミを
拾ってリサイクルゴミ箱に入れれば、それは野生動物たちを
助けることに繋がるのです」
消費は美徳のような風潮をまだまだ引きずっていたころ、
アメリカでは「何をどう捨ててもOK」でした。
仕分けをするのは捨てる人ではなく、ゴミ処理場で働く人たち。
フードコートで何か食べるときには、使いもしないのに
片手一杯の紙ナプキンを取ってきて、未使用のものを
ゴミとして散らかしたまま帰るような光景はモールでおなじみのものでした。
しかし、ここ最近、わたしはアメリカが変わってきたのを感じます。
昔から買い物に自分のバッグを持ってくることを推奨していた
オーガニックスーパーのホールフーズは、もしマイバッグで来た場合、
5セントを
「ドネートorバック?」
つまり、合算から引くか、各種募金運動に寄付するかと聞いていましたが、
アメリカ全体から見るとこの姿勢はどちらかというと特殊でした。
しかし、カリフォルニアではこの7月から、全ての物販店で
プラスティックバッグ、紙袋が有料になったようです。
何も言わなければそのまま品物をよこしてきますし、
袋に入れて、と頼めば5セントですがいいですか?と断ったうえで袋に入れます。
街に設置されているゴミ箱も仕分けしていない方が少なくなりました。
京都議定書を未だに批准しようとしないアメリカ政府ですが、
民間の意識は随分変わってきたと思います。
しかも、このようにゴミの投棄が生物の命を脅かす、などと
と啓蒙されれば、そういうことには特に敏感なアメリカ人は、さらに
ゴミ問題、エコロジー問題に真剣になっていくでしょうし、
この流れは加速しそうです。
まあもっとも、今のところ
「納豆を食べたら紙カップとプラシートを
それぞれ洗って分別してゴミに出せ」
といわれて粛々と皆がそれに従うのが普通の日本人から見ると
まだまだ「甘い」ですけどね(笑)