アメリカ在住の友人と会うことになったとき、
わたしは滞在前に読者の方との間で話題になっていた
日系アメリカ人の資料館を一緒に見学したいと思い、
検索したところ、サンフランシスコとサンノゼにある
日系アメリカ人記念ミュージアムがあるのを知りました。
友人はサンノゼの妹さんの家に泊まっているということだったので、
サンノゼで待ち合わせることにしました。
HPで調べたところ、ここにあるミュージアムはまだ出来たばかり。
資料も大変豊富で展示も凝っているらしく、期待が持てます。
取りあえずこの前で待ち合わせた我々ですが、開口一番
「お腹すいたから先に何か食べようか」
「わたしもお腹空いた。朝ご飯食べてなくて」
「わたしも〜!」
と意見の一致を見たので、レストランに入ることにしました。
ここはサンノゼ・ジャパンタウンとして昔から
日系人が住んできた地域です。
とはいえ、中華街と違って街が清潔でオープンな空気。
最初にアメリカに移民してきた「イッセイ」からの街ですから、
100年くらいの歴史があると思うのですが、街並には
排他的なものは一切感じられません。
車を停めた向かいにあった「スシマル」に行くことにしました。
なんと、小規模な回転寿し。
とはいえ、中には板前が3人いて、日本にある回転寿しよりも
「ちゃんとしている」感じ。
ボストンのヒスパニック回転寿しなどとは全く次元の違うスシ屋です。
おそらく随分昔からここには日系人のために寿司屋があったのでしょう。
流れて来るお寿司をみても、マトモなものばかり。
リッツカールトンのバッフェの不揃いなスシとは大違いです。
中にいる板前さんは完璧に日本人で(おそらく日本から来ている)
わたしたちが日本語で話をしていると、こちらに向かって
「お好みのものがあれば握りますので言って下さい」
と声をかけてくれました。
おお、これこそが日本の寿司屋らしいやりとり。
とりあえず流れてきたイカを取ってみました。
身に包丁が入り、シソの緑が透けて見える新鮮なイカ。
ヒスパニック板前にはおそらく思いつきもしない仕様です。
因みに冷凍イカの見分け方は「切り目の有る無し」ですよ皆さん。
太巻きも、リッツのと違ってノリの端がガタガタではありません。
てかこっちが普通なんですけどね日本では。
しかし、アメリカ人のいい加減なスシを見てきた目には
このきっちりとしたスシのシェイプはもはや芸術に見えます。
しかもこの極限にまで具を詰めた巻き方の美しいこと。
タマゴが大きく、味のバランスも最高でした。
この近くには「サンノゼ豆腐」という有名なお豆腐屋さんがあり、
友人の妹さんもそこでいつも豆腐を買うのだそうですが、
友人曰くここのもそれを使っているのではないかとのこと。
アメリカは豆腐がどこでも買えるのですが、なぜか微妙に美味しくないので
(たぶんニガリの量とかの配分のせいだと思う)
殆ど食べることはありません。
ここなら、と頼んでみた冷や奴。
鰹節、小口切りのネギ、針のように細く切ったノリ。
このようなものと共に供された豆腐は、木綿風でしたが
柔らかくしかも味わいがあって日本で食べる豆腐よりも
もしかしたら美味しいのではないかと思われました。
次の休みのとき、息子をこのスシ屋に連れて行ってやろうと思い、
またサンノゼに来てみたのですが、日曜休業でした。
そもそも、この商店街の飲食店は殆どが休んでいました。
案外知られていないことですが、日曜の午前中、
アメリカ人は教会に行く人が多いため、たとえばボストンなどでも
お昼くらいまでモールですらオープンしていないところがあります。
ここでも飲食店は物販店と共に休むのだろうと思われます。
このブディスト・テンプルには周りにたくさんの車が停まっていて
日曜の礼拝が日系人の間では昔と変わりなく行われているらしいことが
わかりました。
日本ではそのような習慣はキリスト教の信者以外にはないので、
やはりアメリカにおいては日系人の生活はアメリカ風になるのだなと
思った次第です。
唯一?開いていたお店はラーメン屋でした。
息子はラーメンが好きなので全く異議はありません。
お店の前に人がたむろしていますが、これは
外で順番を待っているのです。
もしかしたら「行列のできるラーメン屋」?
じゃなくて他の店がやってないので皆がここに来るんですね。
ここにいる人たちは全員英語をしゃべり、見かけも
どちらかというと東南アジア系の雰囲気でしたが、
どうもこれがサンノゼの日系人の若者である模様。
陽射しが強いところで生まれ育つと、日本人も
こんな風になるんだなあと思いました。
息子は醤油ラーメン、わたしは何となく中華冷麺を頼んでみました。
特に美味しいとかなんとかではなく、全く「日本の味」でした。
神田の古本屋街にひっそりとあって、中国人のバイトが配達している、
そんな店と全く同じ味です。
そしてこの厨房の汚さも全く日本風。
新宿の学生街にありそうなラーメン屋のそれです。
店内に入ったとたん妙な匂いが鼻を突くところも同じ。
お金を払ったその手でドンブリを持ったりチャーシューを触るのも同じ。
おそらく夜中にはゴキブリが運動会しているのも同じでしょう。
ただ、化粧室だけはとても清潔でした。
日本人のかかわるところのトイレは、どこも掃除が行き届き、
街中のスターバックスなどよりずっときれいにしています。
これも国民性かなあと思ってみたり。
さて、友人との一日の話に戻ります。
ごはんを食べ終わり、いざミュージアムに!と思ったところ、
建物に鍵がかけられ、なんとオープンは「木金土日のみ」
であることが判明しました。
「なーんだ」
そこでサンノゼの街を見学することにしました。
サンフランシスコ滞在中、ここに科学博物館があったので、
何度かきたことはあります。
これはサンノゼ大学。
友人の妹夫婦がここで働いているそうです。
彼女の旦那さんは白人でここの数学の教授をしています。
いいカフェはないかと入ってみたサンノゼ美術館。
カフェは建物の割にたいしたことがなかったのでやめて、
美術館を観ることにしました。
この建物も、昔の建物に新しくビルをくっつけて建てる、という
ボストン美術館と同じ工法で建てられているらしく。
今ここに映っている壁はかつて外壁だったところのようです。
で、わたしたち見学中。
後ろのクジャクの羽のついた帚のようなものは、
風の当たり方で姿を変えるというオブジェ。
友人は、ここだけの話ですが絵本作家です。
日本でも彼女の作品は何点か輸入されていて読むことができます。
つまり、アーティストです。
ついでに彼女の夫もアーティストで有名なゲームのキャラデザインをしています。
そのアーティストの彼女がただいま鑑賞中。
「うーん・・・」
彼女、何を言うのか。
「なんかこういうのって、自己満足だよね」
ですよねー。
この作品のタイトルは「空港のショップ」。
「アイデアだけでここまでやっちゃうという・・・」
「これを芸術というなら森羅万象全てのものは芸術だよね」
「何か意味があるんだろうけど。持ってるナイフで髪を切るつもりとか」
「意味を付けてそれを表現みたいなのが現代美術なんだとする風潮って、
意味が無ければじゃーただのがらくた?みたいなのって多いよね」
「これを観て感動する人がいるのかという・・」
「自己満足だよね」
「なんでこれがアートなの?」
「ミニチュアの写真を撮っただけの芸術・・」
「こんなのにお金払ってるんだこの美術館」
「ボストン美術館にもこの手のアートもどきはあったけど、
あそこは何と言ってもコレクションが他にあるからねえ」
「ここはこれだけ・・」
「ここは、だめだね」
彼女が貶すのでわたしも安心して一緒に貶しまくり。
美術館に見学にきた子供たちの作品。
一枚ずつ観ながら
「こちらの方がずっとアートしている気がする」(笑)
子供たちが絵を描くためのテーブル。
「これも作品かと思った」(笑)
というわけで、散々楽しんで美術館を出ました。
(楽しんだのか?)
サンノゼのダウンタウンは荒んだ感じがして、あまり雰囲気が良くなく、
わたしたちはもう一度ジャパンタウンまで帰ってきてお茶を飲むことにしました。
ここは街の中心にあるカフェ。
普通のカフェでしたが、むかし日系人の「ロイ」さんがここで
ガソリンスタンドを経営していた跡地だそうです。
ロイさんが引退したので名前をそのままにカフェにした模様。
街を歩いていて、鋭く「土産物屋」を見つけたわたしたち、
ここに突撃してみることにしました。
ちなみに隣のジャパニーズレストランは中国人の経営で、
スシマルが大賑わいに対しガラガラ。
店の外に立っただけでフィリピン人の店員が飛び出してきて
店に呼び込もうとしていました。
アメリカ人ならこの店でも入るのかもしれませんが・・。
土産物屋は二階にあり、また例の饐えたような匂いが鼻を突きます。
空調もなく人気も無かったのですが、わたしたちが店にいると
店主が出てきてクーラーを入れ、音楽をかけました。
「こういうところって一日どれくらい売り上げがあるんだろうね」
ひそひそ言い合うわたしたち。
しかし、店主には日本語はさっぱり分からないようでした。
日系人というのは案外日本語を全く理解しないようです。
そう言えば「カラテ・キッド」のパット・モリタ氏と話したとき
「わたしは日本語が全く話せないのです」
となまった英語でおっしゃっていたのを思い出しました。
こ、これは・・・。
アルミのお弁当箱です。
中にはおかず用の仕切りケースがありました。
「一体いつからあるんだろう、これ」
「昭和30年ってとこじゃないですか」
「うちにこんなのあったなあ」
「何してるのこの箸置きの二人は」
「おふねーはぎっちらこ、ぎっちらぎっちら♪ってやつじゃない?」
「キッチュだね〜」
「だ、誰が買うのかこのこけしを」
「47ドル出してこれ買う人いるのかな」
「いないからまだあるんじゃない?」
「にしても高い」
「まあ、メイドインジャパンの手作りですから」
ポケモンやその他日本のアニメが積み重ねられた上には、
これも誰が買うのか「子供の遊び」のフィギュア。
コマ回し、羽根つき、凧揚げ、竹馬・・。
「いまや日本人の子供も知らない遊びだよね」
日本でなら懐古ブームで売れそうです。
ここで散々楽しんでちょっとしたカードなどを買い、
出てきた二人の感想。
「サンノゼ美術館よりずっと面白かった!」
ロイの店の斜め向かいに、日本人街のモニュメントがありました。
このカーブを描く柱が何を意味するのかまではわかりませんでしたが、
その柱の中央付近に、
こう書かれているのに気づきました。
「1942年2月というと、開戦後日系人が収容所に送られることが決まった日かな」
調べてみると、この日はルーズベルト大統領が
「陸軍に危険人物を強制的に立ち退きさせることができる権限を与える」
大統領令第9066号に署名した日でした。
3月から強制立ち退きが始まり、最終的に12万人の日系アメリカ人が
強制収容所に送られることになります。
それらの歴史についてはミュージアムの見学記のエントリにゆずるとして。
わたしたちはそこで別れ、わたしはスタンフォードに戻りました。
途中にあるサンノゼの空港は「ミネタ・エアポート」といいます。
「ノーマン・Y・ミネタ」は日系人して初めてアメリカで閣僚となった
ノーマン・ヨシオ・ミネタ(元サンノゼ市長・下院議員・商務長官・運輸長官)。
現在サンノゼ市は、空港のマーケティングのため、名称に
「シリコンバレー」
を入れることを検討しているそうですが、ミネタの名前は残し、
「サンノゼ・シリコンバレー・ミネタ国際空港」
となるようです。