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靖(靖)國神社とは。

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サブタイトルにその名称を使用しておきながら、今まで
あまり?國神社について語ったことがありません。

ところでタイトルが文字化けしてますよ、という(脳内)指摘ありがとうございます。


これは環境依存文字である「靖」を出すためのコードなのですが、
本文にはご覧のように「靖」と出るこの文字が、
タイトル部分だけはコードのままで表記されてしまうのです。

お気づきいただいていないと思いますが、
これを機にサブタイトルも正式名称の通りに変えました。
(が、文字が小さくてあまり意味をなしていませんorz)




それはともかく、先日ある会合主催による靖國神社の昇殿参拝をしてきました。
皆が参拝する拝殿での参拝は今までしたことがありますが、
そこでの参拝後、奥にある本殿で参拝したのは初めてです。

この次の日、史上最高数の国会議員が春の例大祭に参拝し、
それからというものの特アと日本のご注進マスゴミはこれを非難。
先日お話しした徳永エリのように、拉致被害者家族会のコメントを捏造までして
国会で糾弾しようとする民主党議員まで湧くしまつ。

ご存知のように、中韓、そして日本のマスコミだけが大騒ぎしているわけですが、
国民はもううんざり、といった態で、むしろ冷やかにこれを見ている感があります。

それにしても、中国より「侵略されたことのない」韓国の方が激化しているのが面白い。
やっぱり組閣と経済対策で無能認定された女性大統領の「目そらし政策」ですか。




2月ごろ来たときに、大量の白バトを見ました。



木の枝で憩っているのを見たのも初めて。



このときはまだ木の枝に新芽が出ていない状態で、
まるでところどころ白い花が咲いているようでした。

この白バトは、靖國の御霊を慰めるために年一回、
8月15日に放鳩されて現在三百羽いるそうです。

ちなみにこの白いハトが生まれるのは一万羽に一羽だそうです。



さて、例大祭の前日、昇殿参拝したことについて。

現在の本殿は明治5年(1872)の建立と言いますが、その中にいると
年月の建った建物にもかかわらず、清浄でかつ厳かな祈りの気が満ち、
おのずと背筋が伸びるような気持ちがしました。

日本を守るための戦争に散った英霊のうち少なくない人数の人々が、
かつてここで祈りを捧げ、そのあと自身が祈りの対象としてそこに祀られたのでしょう。

徳永エリが「祈る気ならどこでも祈れる」などという、無教養で歴史を知らず、
おそらく靖國について何も知らないのだろうと思われる発言をしていましたが、
「どこでも祈れる」ではないのです。
靖國神社でないと、そこに英霊はいないのです。



タイトルで標榜しながら自分自身あまり知らなかった靖國神社について、
今日は少しわかりやすくお話ししてみることにします。



戦前、神社というのは国家の宗祀(そうし・尊びまつること)とされました。

靖國神社の歴史は明治2年、「東京招魂社」として始まります。

明治2年。

この年号はこの創建に大きな意味を持っています。
明治維新の歴史的大改革の過程には戦いが起こり、
その戊辰戦争において多くの尊い人命が失われました。

明治天皇は国家のために命を捧げたこれらの犠牲者の霊を慰めるために、
九段の地に「招魂社」を創建されたのでした。

この招魂社は山口や京都などにもあり、それらは「護国神社」と改称しますが、
九段の「東京招魂社」は創建後の明治十二年、

「靖國神社」

とやはり明治天皇によって改称されました。
靖國の意味は「国を靖(安)んずる」。
あくまでも世の平安を願い、国家のために一命を捧げた人々の霊を慰め、
その実績を後世に伝えることが目的です。

つまり、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているのです。

今でこそ「宗教法人」という法的位置づけですが、創建時から靖國神社は
「宗教施設」ではありませんでした。

あくまでも国民にとっては民族固有の儀式、礼典、道徳的崇敬の対象であり、
法的にも宗教行政の対象ではない公法人(私法人ではない)だったのです。

これは、「同志を祀る」という観点から陸軍の働きかけによって兵部省の管轄となりました。



そして敗戦。

ご存知のように、昭和20年の12月にはGHQの指導により、神道指令が布告され、
神社の国家管理の廃止が命じられました。
同時に宗教法人令により、ここで初めて靖國神社は宗教法人となります。

そして現在に至るのですが、ゆがんだ自虐史観が
(それもまた、GHQによる日本精神の殲滅を狙った占領政策)一部の言論の肥大を生み、
利権や民族的対立や、特定団体の思想の拠り所となった結果、
先般のように中韓に不当な干渉を許すに至っているというわけです。



神門の扉には中国人が放火し、それを韓国の司法が
「政治問題である」という判断を下したという事件がありました。
対馬からの仏像盗難を「犯罪」としなかった事案においてもそうですが、
韓国という国は「法治国家」ではなく「人知国家」であると改めて表明する事件でした。

国内においては、朝日新聞始めメディアが国会議員の参拝を取り上げては
「中国、韓国の厳しい視線が予想される」などと煽り、火を点け続けて
すっかり「靖國」を政治カードに育ててしまったという経緯があります。


しかし日本国民に責任がない話ではありません。

もし国内の靖國神社に対する認識が、これまで述べたように
「平和な国を護るために、国に命を捧げた人々を神様として祀る」というもので、
世界に対して何の疾しいものではないと特に政治家が胸を張って言明できる社会であったら、
ここまで問題はこじれることはなかったでしょう。

そして、メディアが問題を焚きつけ「ご注進報道」を繰り返すことにこそ
国民の厳しい目が向けられてしかるべきだったはずです。

つまりそのような不条理な言論を許すほど、戦後のGHQの占領政策による
自虐史観は日本人と日本を深く広く蝕んでいたということでもあります。




「靖國は宗教施設ではない」というのは戦前からの認識でありました。
しかし、「手を合わせ額づく対象」をまた神と呼ぶのならば、国難に殉じた人々は
「神になった」ということになります。

靖国に祀られている「御斉神」とは具体的にこのような御霊を言います。


戊辰戦争(ただし新政府側のみで旧幕府側除く)戦死者
明治維新(新撰組含む)殉難者
西南戦争戦死者
台湾出兵以降、大東亜戦争までの対外戦争戦死者




日本にはご存知のように自然の中に神の存在を見るという宗教観のもと、
「八百万(やおよろず)の神」がいるとされます。
貧乏神や、歌にも歌われた厠の神すらいる、という「神の国」なのです。

日本で「神」と認められる対象は次の通り。


造化神・・・・・古代、世界を創造したとされる神
  ex、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) - 至高の神
    高御産巣日神(たかみむすひのかみ) - 征服や統治の神
    神産巣日神(かみむすひのかみ) - 生産の神

自然神・・・・・自然物・自然現象、もしくは神格化された自然
  ex、天空、大地、山、海、太陽、月、星、木々、森、動物、火、水、石

人格神・・・・・擬人化、あるいは人間の人格を神格化した神
  ex、祖先、天皇、現生で功績のあった人物



人格神の中には、本居宣長(国学者)菅原道真などの学者、
豊臣秀吉、徳川家康などの施政者、権力者、
あるいは一揆を率いた指導者や、うちの先祖(笑))のように
「不当な死を迎えたものの鎮魂」から神になるというパターンがあります。

このような「人格神」の延長として「国難に殉じた人々」があり、
靖國神社の歴史はそのような神々を戴いてきた
神道の歴史の延長上にあるということなのです。


日本は戦争に敗れました。
神道をこれすべて「天皇を神として崇める絶対的な一神教」であるという
とんでもない勘違いをしていた節もある占領政府ですが、
案の定「戦死者を崇める宗教」の総本山?である、と靖國を認識する一派が
焼き払ってしまうという案を出してきました。

しかし、腐ってもアメリカは文明国でした。
GHQとマッカーサーは独断でそれを決定せず、オブザーバーに意見を求め、
占領政策に支障をきたすことのないような解決策を模索した結果
靖國は廃止せず存続させるという結論を出したのです。

そのとき、次のような経緯がありました。


GHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、
内外から賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。

そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあった
ブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter)とパトリック・バーン(Patrick Byrne)
両神父に意見を求めることになった。

ビッテル神父は

「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、
敬意を払う権利と義務があると言える。
それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、

「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」

とまで言ったという。
そして次の言葉で締め括った。

「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、
排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。
我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、
いかなる宗教を信仰するものであろうと、
国家のために死んだ者は、全て靖国神社にその霊を祀られるようにする
ことを、進言するものである」

この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。





中国、韓国人に今さらこのような史実を踏まえて理解できる能力など期待していませんが、
少なくとも日本人を自称しながらその成立の経緯も知らず批判している特定日本人の
徳永さんや有田さんは、このような歴史を知り、一度靖國神社に昇殿参拝して、
そのうえで何も感じるものがなければ、いかようにでも抗議なり批判なりをなさればいいと思います。







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