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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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海軍兵学校同期会@江田島~「喇叭譜 君が代」

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海軍兵学校在学中に終戦を迎えたこの学年の、最後の同期会。
一日目の行程「大和ミュージアム」→「呉海軍墓地」を終了し、
一行は呉の大ホテルに全員が投宿しました。

ちょうどこの日、前日に東京で婚礼の披露宴を済まされた
高円宮典子様が我々一行と前後して当ホテルに到着されるとのことで、
バスの中で待機するかもしれないという予告を受けていましたが、
向こうは一足早くお着き遊ばされたため、
バス2台で観光したこの日の60名は待たされずに済みました。

後で聞いた所によると、この観光に全く加わらず、
ホテルに直行して休んでいた元生徒もいたということです。
取りあえずバスに乗って観光できるというだけでも、彼らの中では
元気な部類であったらしいことが分かりました。

ところで、海軍墓地を出たときに旅行会社の人が、

「点検したところ、どういうわけかこのバスの人数が一人増えています。
どなたかバスを間違えた方いませんか?」

とアナウンスしたのですが、どこからも返事はなし。

「全体の人数は合っているんですが・・・・。
幽霊でも乗り込んでるんでしょうか?」

車内はどっと笑いましたが、わたしは密かに

「さっきの海軍墓地から乗り込んできた”海軍さん”だったりして」

とちょっと楽しい想像をしてしまいました。



ホテルで小一時間休憩の後、ホテル内で懇親会が行われました。
行ってみて驚いたのですが、観光参加したのは全体のごく一部で、
この懇親会から加わる組、さらには翌日の江田島訪問だけ参加する組、
と人数が増えていき、最終的にはバス6台(200人くらい?)
でのツァーになっていたことです。



受付デスクには、参加者の名札が各自用意されていました。
立て札は「江田島」「大原」「岩国」の各分校、そして
海軍機関学校を意味する「舞鶴」の分類のために置かれています。

海軍三校のひとつ、海軍経理学校の「築地」はありませんでした。


受付を務めているのも「元生徒さん」で、赤い腕章は「当直」。
受付を訪れるかつての級友との再会に、驚きと嬉しさの混じった表情が見えます。




席は決まっていないので、同行の方が取っていて下さったテーブルに着きました。
司会進行を務めるのは、同じバスで「兵学校数え歌」を熱唱していた生徒さんです。



大宴会場に円卓が12~3は設えられていたでしょうか。
生徒であったとはいえさすがは元海軍軍人、予定時間のかなり前には
全員が席に着いて会の開始を今か今かと待つ状態に。

海軍について詳しくなり、我が家的に良かったことの一つは、

「海軍5分前」

がモットーとして徹底されるようになったことでした。
息子など、アメリカでキャンプに到着する時間ですら

「海軍5分前に(と必ず言う)間に合った~!」

という具合に定時少し前を心がけるくらいです。



さて、最後のクラス会が愈々始まりました。
やはり海軍兵学校の会合ですから、まず最初は何をおいても
喇叭譜で幕を開けます。

参加者が持ち込むのか、会場に喇叭譜「君が代」が響き渡ります。



元海軍は全員挙手注目の礼。
海軍が無くなって69年、その間敬礼をすることなど、
自衛隊に入隊してでもいなければなかったはずですが、
どなたの敬礼もそれなりに海軍風になっている様子。



開会の辞を述べる元生徒。
卒業していない学年ですから「クラスヘッド」(ハンモックナンバー1位)
はいませんが、それに相当する優秀な生徒だったのかもしれません。

このハンモックナンバーですが、知り合いに頼まれて、例の「兵学校変革」
という本で、その方の縁故の兵学校時代の成績を調べたことがあります。
120位くらいで、全体数から見るとかなり上位だったのですが、その方は、

「学科だけならもっと上だったんですが、航空実習で飛行機を墜落させたので」

この順位になった、と残念そうにおっしゃっていました。
つまり兵学校ちうところは、ペーパーテストだけでなく、こういう実習や、
武道などの教科も皆含めてできる、文武両道の超秀才スポーツマンしか、
成績上位になれなかったということなんですね、ええ。

「陸士海兵一高」

と戦前の難易度を謳われ、中学4年でこれらを全部合格したら

「四修パーフェクトゲーム」

と言われ、受験界の頂点に立てたといわれる陸士海兵ですが、
一高との大きな違いは「学問だけが評価されるわけではなかった」
ということで、今にして思えば凄い人材が集まっていたのですね。

さらに陸士の場合は、3分の2が高級将校の子弟や華族などの
「コネ入学」で、残りの50ほどの椅子を一般が受験したということなので、
実質の競争率は100倍くらいになったそうです。



乾杯の前に数人が壇に立って挨拶をするだけ、
非常にクラス会はシンプルで、余興の類いは全くありません。

去年は東京で行われ、皆でスカイツリーを見学した後、
東京音楽隊の演奏会が行われ、同隊所属の三宅由佳莉二等海曹が
「ふるさと」などの歌を歌ったと聞きました。

海軍の後継者である海自に今や女性歌手がいるという事実は
元海軍軍人たちにどのような感慨を与えたのでしょうか。



海軍漫才をしているのではありません。
本日の司会進行役が来賓を紹介しているのです。



本日招かれた主賓とは・・・。

そう、明日訪問する江田島にある第一術科学校と、
幹部候補生学校の校長です。
海兵関係者以外は、この校長ズと彼らの副官、合計4人の自衛官が
来客として出席していました。



こういう場では旧軍の昔も必ずプレーン(背広)を着たように、
海将補のお二人は制服を着ておられません。



来賓の挨拶ということで壇上の術科学校長。

「海自で出世するには話が上手くないとだめ」

とどこかで聞いたような気もしますが、しかも教育部隊の長である海将補、
話が無茶苦茶上手です。

色々とおっしゃっていましたが、

「尖閣で今起こっていることに対し、海保ばかりが、と
海自の活動について知らされていないためにもどかしい思いを
しておられる方がいるかもしれないが、それは間違いです∠(・`_´・ )」

という話と、

「皆さんの後継者としてその遺志を継いで海上自衛隊はこれからも
国民のために頑張る所存なので応援して下さい(^x^)ゝ」

という最後の言葉が印象に残りました。 

さて、来賓挨拶も終わり、幹事が

「今宵は大いに飲み大いに語らって昔に戻って下さい」

と挨拶をしたのを皮切りに、フリータイム・スタート。
というわけで早速わたしとTOは海将補の元に突入(笑) 

しかし・・・・!

わたし「あ」
TO「どしたの」
わたし「また名刺忘れた」
TO「あまり意味のない肩書きだからいいんでない?」
わたし「こんなときに配らずにいつ配るって言うのよ」 



わたしとTOの間で腕章を直している週番生徒は、
今日お昼に「大和を練習艦から見た」と話していた方です。

「大和」をどのフネから見たのかとお聞きしたところご記憶にないらしく
「明治時代にできたフネで・・」とおっしゃるので「八雲ですか」
と聞いてみたのですが、後で調べると「八雲」はこのころ
すでに練習艦ではなくなっていたようなので、もしかしたら
「平戸」のことだったかもしれません。

わたしの横の、前に立っているためアスペクト比が増大している人が
術科学校校長の海将補閣下です。


早速名刺交換するTOと海将補。
わたしもにじり寄っていって名刺いただきました。

「地球防衛協会日本支部の顧問です。
名刺を切らしておりまして」

・・・なんぼのもんじゃ~い(笑)

ところで、「海将補」って英語で"rear admiral"なんですね。
海将補の名刺を頂いたのは初めてだったので初めて知りました。

ちなみにこの写真は、海将補の影のように付かず離れず、
常に様子を窺うのが仕事である副官が、
わたしがシャッターを押そうとしたら背後から音もなく忍び寄り、

「お撮りしましょうか」

とおっしゃるので、お言葉に甘えて撮ってもらいました。


このあとは、幹部候補生学校長の海将補にご挨拶。
自衛隊で偉くなろうとしたら、変わった名前が時として有利、
みたいな話を本当か嘘か聞いたことがあります。
かつて「火箱」、直訳すると「ファイアーボックス」という
名前の陸幕長がいたことからそんな話になっているようですが、 
この海将補も、名前と名字を音から直訳すると(何で直訳なんだ)

「Go! John」

で(ちょっと違うかな(; ̄ー ̄A ) 、一発で覚えてしまいました。
海将補になられた理由の0.0001%くらいに「名前のシンプルさ」が
あったのではないか、などと考えてみる。

それはともかく、わたしたちはこのインパクトのある名前の
海将補にもご挨拶したのですが、このとき、TOと海将補の
息子さんの間に奇縁が(ってほどでもないか)あったことが判明。

ぜひぜひこれからもよろしくお付き合いのほどを、という
状況になり、術科学校校長にも

「ぜひ江田島にご案内いたしますからいらしてください」

という運びになりましてございます。
呉地方総監にも

「潜水艦に乗せて上げますよ」

とお約束いただいたし、(ほんとかしら)自衛隊って千客万来、
来るものは拒まずのオープンな組織だったんですね。
お近づきになるまでは全く知りませんでしたが。

「え、本当に遊びにいってもよろしいのですか」
「勿論です。 我々の大切な任務の一つに『広報』があります。
民間の方に少しでも自衛隊を知っていただきたいのです」

と術科学校校長。

知っていただく、つまり招待されてそこで見たこと聞いたことを、
こうやってブログで世間に広めるのは彼らの望むところ。

このように解釈していいですか。
たとえ社交辞令のつもりでも、相手が悪かったとあきらめるがよい。
本当に行っちゃうよわたし?なにせ地球防衛協会顧問だし。
 

さて、宴もたけなわとなったころ、江田島のご一行様は

帰りの最終フェリーの時間が迫ってきたので

途中で拍手に送られて帰っていきました。<(`・ω・´)<(`・ω・´)

海将補、明日の江田島見学、どうぞよろしくお願いします 。


続く。 

 


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