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平成26年度練習艦隊帰国行事~最後の乗艦

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しばらく平成26年度航空観閲式のご報告を行っていましたが、
晴海埠頭に寄港した練習艦隊について、もう一度お話しします。

前回のご報告は、わたしがこの日是非この目で確かめたかった
ガダルカナルで収容された日本軍将兵のご遺骨の帰国、上陸、
そして引渡式についてまででしたが、それは今回、海軍の直系である
海自艦隊によってご遺骨が日本まで運ばれたという、意義深いできごとでした。

「何よりの士官教育になったと思う」

とある自衛隊幹部が述べたように、この任務は1957年から始まった
戦後練習艦隊の歴史の中でも特に重要な1ページとなった筈です。



遺骨が「かしま」から下ろされ、慰霊のための一連の行事が済んで、
ここで初めて、練習艦隊帰国行事が始まりました。

今回の遺骨返還事業に大きな役割を果たした国会議員、
宇土隆史氏の「練習艦隊への感謝の辞」に対し敬礼する湯浅司令。

元自衛官との間で、湯浅司令官の立ち居振る舞いは大変「カッコいい」
ということで二議一決したことがあります。

百里の航空観閲式で「空自の将官にはタイプがある」と書きましたが、
湯浅海将補の場合、この伝で言うとまさに「海自タイプ」だと思うわけで。

それでは「海自らしい」って何なんだろう、というと、陽焼けした肌とか、
極限まで整えられた身だしなみとか、きびきびした立ち居振る舞いとか、
まあそれはどの自衛隊にも共通したことではあるのですが、
敢えてその上で「海自らしさ」を言うならば「諧謔」に通じる闊達な、
フレキシビリティから生まれる一種自由な空気を纏っていること。

・・・と無理矢理言葉にするとこんなイメージです。



ところで、最近元海自の方と話していて大変印象的な話を聞きました。

海自艦艇で「いじめ」が多発するのは、組織としての
「淘汰」である、という説です。

フネは旧軍の昔から、たった一人のミスが原因で海に沈む
(あるいは敵にやられる)という運命共同体です。
勿論ミスが命に直結するというのは空自や陸自の飛行機も同じ。

しかし、航空機の操縦は「ダメな者」はそもそも携わることも出来ないし、
パイロットになった後もダメならすぐに切られてしまう。

ところがフネの場合、乗員の総数こそ艦の大きさによって差はあれど、
海上自衛官になれたという者が、その能力の如何を問わず、
優秀な者からそうでない者まで一つの艦に混在することになります。

そして一人の失敗が最悪の場合に及ぼす被害は、あまりにも大きいのです。



空自は先ほども言ったように「飛行機」という特殊な兵器は
資格を持ち、さらに訓練を積んだ者だけがそれを繰ることが許され、
陸自にはそもそも「フネ」に相当する運命共同体的な職場がありません。
たとえ落ちこぼれる人間がいても、彼または彼女は去り往くのみであり、
そもそもその方によれば、陸自はそういった者に対しても
極力手を差し伸べて引き揚げようとする傾向のある組織だというのですね。

しかし、フネの場合はそうはいきません。
「下に合わせている」場合ではないのですから。

いじめの原因については、個々に理由は色々あるとしても、
少なくとも(これは想像ですが)能力があって仕事ができる者なら、
そもそも苛めの対象にならないのではという気がします。

「虐められる者にも原因がある」

などというと一般社会では語弊があるかもしれないけれど、
海上自衛隊のフネで発生するいじめは、危険となる要因を排除するという
運命共同体としての防衛本能なのではないだろうか。

まあ、ざっとまとめて、ついでにわたしなりに捕捉すると
こんなお話だったわけですが、妙に腑に落ちた気がしました。



「帰国行事」の段になって、海幕長の訓示が行われました。

「諸君の遠洋航海での行動は高く評価されている。
これは湯浅司令官の卓越した指揮統率のもと、全隊員が自己の使命を
よく自覚し、心を一つにして任務に邁進した賜物であり、
我が国と訪問国との友好親善に大きく貢献したものと確信する」



「また、先の大戦の激戦地であるソロモン諸島において
献花は遺骨引渡式を通じ、散華された英霊たちに想いを致し、
日本人としてのアイデンティティを再認識してくれたものと確信する」



出航行事のときと同じく、艦隊司令と各艦長に花束が贈呈されました。
贈呈者の顔ぶれも5ヶ月前と同じメンバーのようです。



公式の「帰国行事」はここまで。
遺骨引渡式に出席した招待者や国会議員などはここで解散し、
この場から離れてもいいというようなアナウンスがありました。




わたしはこの後何が行われるのか見届けるために、大半が席を立ち、
出口に向かう中、その場に留まることにしました。

東京音楽隊はこの後始まる行進のために待機しています。
彼らの後ろをバスが通過していますが、これは列席者の団体のため?



帰りの車に乗り込むために移動する議員たちの中から
周りに挨拶しながら歩く宇土議員をパチリ。

先日ある元陸幕長の職場を訪問し、お話させていただいたのですが、
この方は、宇土議員を後援しておられます。

実は、この方の紹介でわたしは「地球防衛協会」とはまた別の、
「某国協会」の末端にも名を連ねているのですが、
今度何か機会があれば、そのことをネタに接近してみます。
(実はちょっとファン)



招待者が引き揚げる中、練習艦隊の実習幹部の「かしま」への
「最後の乗艦」が始まりました。

しかし「最後の」ということを、わたしはこの少し後まで知りませんでした。
このときには、このあと「かしま」は実習幹部を乗せて出航するのだろうか、
なんてことを思っていたのです。



彼らがこの帰国行事を以て練習艦隊を終了し、
各自の任務地に向かうのだということを、
現場にいた自衛官に訊ねて初めて知りました。

彼らは一旦全員が「かしま」に乗り込み、その後「艦を降り」るのです。



乗り込んだ彼らは、一旦後甲板に整列します。
そして、「かしま」乗員と別れを交わしつつ下船します。



埠頭に整列していた乗員が乗り込んだ後で、艦長と湯浅司令は
来賓に求められて写真を撮ったり、このように父兄席の前に行き、
皆に挨拶をしたりしていました。

湯浅海将補の後ろに控えるのは阿川副官ですね。

そのお人柄がすっかり父兄を魅了しているらしい湯浅司令。
皆さんが司令官を見る親しみを込めた熱い眼差しをご覧ください。
敬愛を感じこそすれ、決して畏怖しているようには見えません。

こういうのが「海自的将器」というものでしょうか。



サイドパイプの中、最後に乗艦する湯浅司令。



実習幹部の関係者は、彼らが整列している後甲板付近に集まっています。
やはり妙齢の女性が多いような気がしました。



一番最後に儀仗隊が乗艦しました。



デッキで何人かの乗組員が自衛艦旗を持って待機しているのに気がつきました。



わたしはこのとき、柵の前にいた海曹に彼らが全員これから
船を降りるのだということを聴きました。

「降りて何処に行くんですか」
「各自の任務地に向かうんですよ」
「自宅に一旦帰らないんですか」
「この近くに住んでいる隊員なら一緒に帰るかもしれませんが、
 基本的にはまっすぐ任地に行きます。
 横須賀とかならいいんですけどね」
「ということはもしかしたら北海道とか沖縄とかも?」
「いるかもしれませんねー」



練習艦隊の乗員は舷側に全員が整列しています。
これから、5ヶ月間共に航海をし、その成長を見守り手助けし、
ときには叱咤した実習幹部を見送る儀式が始まります。

海幕長が彼ら艦隊の乗員にかけた労いの言葉とはこのようなものでした。

「練習艦隊の乗員諸君。
諸君が長期に亘る過酷な環境の中、任務達成に邁進したその姿は、
若き実習幹部たちの良き手本であった。
伝統ある遠洋練習艦隊は、彼ら実習幹部にとって海洋武人としての経歴を
踏み出す第一歩となるものである。
諸君がこの瞬間に携わったことを誇りとし、自信を持って
今後の任務に邁進することを期待して止まない」



旗旒信号はおなじみの国際信号旗、

「ご安航を祈る。I wish you a pleasant voyage.」

が揚げられました。
彼らは船を降り、各任務へと向かいます。
つまり、皆が船に乗るとは限りません。

しかし、海自ではその行く末を「ヴォワイヤージュ」と称するのです。
なぜなら、海上自衛隊において自衛官となった者は須く、
海幕長のいう、「海上武人」となるからです。



練習艦隊音楽隊が自衛艦旗の元に待機しています。
これから、下艦する幹部たちのために「軍艦」を演奏するのです。



儀式、という固さは見られず、リラックスした雰囲気で
見送りのときを待っている様子。



「軍艦」が始まりました。
2尉から順に、敬礼する乗員の前を通り過ぎて行きます。



見送りの乗員たちは皆作業着です。



気がつけばデッキの自衛艦旗が大きく振られていました。
自衛官によってこのように振られる旭日旗を見たのは初めてです。



敬礼しつつ皆整然と降りて行く・・・・筈なのですが(笑)
顔見知りやお世話になった幹部には言葉を交わしたり礼を言うために
立ち止まってしまうらしく、列はすぐに動かなくなりました。



ところで、先ほどの「護衛艦の苛めは淘汰」説を伺った
元海上自衛官から、彼らについてのこんな話を聞きました。

晴海に入港する2~3日前、それは艦隊が沖縄付近を航行する頃だそうですが、
実習幹部たちは、初めて自分の配置を知らされるのだそうです。

つまり、希望した配置に配属されたかどうかによっては
内心狂喜乱舞、ガッツポーズの幹部もいれば、
がっくり肩を落とすことになった者もいたということなのです。

わたしは艦上で行われたレセプションで、一般大卒の女性幹部と話し、
回転翼のパイロット志望であるという話を聞いたのですが、
彼女は果たして希望通りになったでしょうか。

元から護衛艦を希望している者にとっては練習艦隊は「実戦即応」です。
しかし、航空や他の部署を希望する者にとっての「フネ」というのは
狭いし揺れるし閉塞感があるしその他色々な理由で

「練習艦隊でフネはもう最後にしたい」

くらいに思っていて・・・、つまり「嫌い」ってことなんですが、 
だからこそ他の部署に希望を出したのに、
よりによって嫌いな艦隊勤務になってしまってどよーん、
みたいな人も中にはいたかもしれないってことなのです。


「そういえば」


そのことを元自衛官から聴いたとき、わたしは膝を叩きましたね。
(比喩的な意味で) 

「海幕長が訓示で『どこに配置されても海自の基本は海だから』
みたいなことを言っていたんですよねー。
それでなのか・・・・」 

正確に記載すると海幕長はこんなことを言っていました。
 

「諸君は本日から部隊勤務の第一歩を踏み出すことになる。
海上自衛隊の全ての発想の基本が海の上にある
ことを肝に銘じ、この海上実習で得たものを忘れることなく、

いかなる配置にあろうとも、
いかなる配置にあろうとも、
いかなる配置にあろうとも、

海の上を基本としたものの見方、考え方を持ち続けてもらいたい」


大事なことなので三回書きましたが海幕長は一回しか言ってません。
念のため。



そういう悲喜こもごもも、こうやって見ている限りはわかりませんが。

そういえば、

「フネは大嫌いだった」

にもかかわらず艦乗りになって、それから数十年後、海上自衛隊の最高位に
上り詰めた方も、わたしの知る自衛官の中にはおられます。
たとえ希望通りにならなくても、その後の自衛官人生はその人次第ってことです。

遠洋練習航海は海上自衛官の原点なのです。
海上武人の心は常に海にあることを忘れず、頑張って頂きたいと念じ、
せめてものはなむけに代えさせていただきます。 



ところで、下艦がいつ終わるか見当もつかないのでわたしはこの辺で
失礼することにし、この横に停めていた車に乗り込んだところ、
自衛官が飛んできて

「お花を返却して下さい」

胸に着けていた招待客用のリボン、返すの忘れてた・・・orz
というか、こういうのは記念に持って帰るものじゃないのね。
(残念)



終わり


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