40年前の1941年12月7日に何かのはずみでタイムワープした原子力空母「ニミッツ」。
自分たちの置かれた立場を理解するかしないうちに、零戦を撃墜するわ、
SH-3、シーキングを爆発させてしまうわ、乗員を何人も犠牲にするわ、
バタフライ効果を起こしまくるのみならず、目の前の敵は倒さずにはいられない、
という軍人の習性に忠実に、今度は真珠湾を攻撃する日本軍と戦うことを決意した艦長イエランド。
言わせてもらえば、多くの命を預かる指揮官としてあるまじき判断ではありませぬか。
しかしながら、艦長がこの判断をしなければ「ニミッツ」の出動、
つまり全面協力してくれたスポンサーのアメリカ海軍にとって
この映画でしっかりお見せしたい機動部隊のシーンを描くことができないのです。
このあたりも制作側の「痛し痒し」だったと思われるのですが、
カーク・ダグラスを指揮官として真っ当に描くことと、米海軍の宣伝を秤にかけた結果、
後者を取らざるを得なかったといったところでしょうか。
「ニミッツ」甲板から次々と飛び立った艦載機は、今、眼前の敵に向かっていきます。
真珠湾に向かう大日本帝国海軍機動部隊を邀撃するために。
そう・・・ていこくかいぐんの・・・・。
あの「パールハーバー」では実際の零戦らしきものを、
21型と52型が編隊を組むというお茶目な演出とはいえ、とりあえず実際に飛ばしていたわけですが、
これはひどい。
1980年当時、零戦の写真を手に入れることくらいその気になれば、
いやその気にならなくてもいくらでもできたと思うのですが、
なんなのこのどこの国のものでもない不可思議な模様の飛行機は。
やる気がなかったのかそれとも故意か。
ところでイエランド艦長がダブーである歴史の改変に手をつけたのは、
「40年前の日本軍なら、我々ただ一隻でやっつけられるだろう。
どこまで簡単なのかぜひやってみたい」
という現代人の傲りからきた怖いもの見たさと解釈できますが、(だってそうでしょ~?)
ましてやこの汚らしい日本軍が相手であるならばさらに簡単そうです。
ところがそのとき、気象士官たちが報告をします。
「あの嵐がまたやってきました」
敵を邀撃する時間まであと4分。
これでもう一度この輪みたいなのをくぐればまた元の世界に戻れる、誰しもそう思いますよね。
軍人の本能から思わず戦闘を命じたイエランド艦長、
これを見るなりチャンスとばかり出撃を取り消し、飛行機を戻すことを下命するのでした。
そこでなぜかあくまでも日本軍をやっつけることを言い張る民間人のラスキー。
「絶好の機会です。今後40年に犯す間違いを修正できるのです」
説得力なさすぎ。
真珠湾攻撃が起こらなかった世界が元の世界よりより良いものだと、
どうして言い切れるのかねラスキーくん。
(あれ、これと全く同じことを最近コメント欄で書いたなわたし)
艦長はさっきまで「もう遅い」とか言っていたくせに、
ラスキーを無視してあっさりと攻撃を中止します。
これも巨大空母の艦長の判断としてはいい加減すぎ。
これでは単に時間があったから日本軍と戦ってみたかっただけ、と言われてもしかたありませんね。
だいたいそんな簡単に攻撃を中止できるのなら、ヘリが行方不明になったときに
すぐに攻撃中止してそっちに向かえば、少なくともオーエンス中佐は現代に連れて戻れたのに・・。
すぐさま中隊に命令が伝わり・・・
「基地へ帰れ。任務は中止だ」
「任務中止だって?敵が見えてるのに」
やっぱり皆実際に零戦を叩き落としてみたいんですね。わかるよ。
そしてイエランド艦長は、艦載機がまだ戻ってきていないのに嵐を突破しだします。
またしても皆が頭を抱え込んでそれに耐えている間、真珠湾では歴史通り日本軍の攻撃が始まりました。
つまり結果として歴史がかわることはなかったのです。
そして嵐が終わり、何も確かめてもいないのに元の世界に戻れたと信じて疑わない艦長。
まあ元の世界だったんですけどね。
全艦載機はまだ帰投していなかったのですが、
ちゃんと全機が時空を超えて戻ってくることができました。
パイロットは気を失わずにすんだのか。
彼らが帰ってこれたので満足げに微笑むイエランド艦長。笑ってる場合じゃないと思うんだが。
現代に帰ってきた「ニミッツ」はアリゾナ号に敬意を表し登舷礼式を行います。
「アリゾナ号に敬礼」「注目!」
岸壁に到着するやいなや基地司令が乗り込んできます。
「ニミッツ」はまるまる1日、レーダーから行方不明になっていたのですから当然です。
「マット(ファーストネーム)、何事だ」
「提督、説明は困難です」
「太平洋で空母が行方不明とはなんたる海軍だ!」
いや、なんたる海軍かどうか以前に、真相究明をしなくちゃ。
しかもイエランド艦長、非常に態度が悪い。
提督が通り過ぎた後、いかにも「まいったな」と言いたげにうんざりした顔をしてみせます。
だいたいこの事態を鑑みて艦長の負うべき責任は軽い処分ですむとは思えません。
部下の何人かの命が失われ、シーキングを爆発させて失い、
途中でやめたとはいえ実際に攻撃命令を出して艦載機を全て出撃させているのです。
それに・・・・、
そう、40年前に一人置いてきた乗員もいましたよね。
オーエンス中佐です。
上院議員とその秘書のローレルを、戦闘準備のため無人島に・・・・、
しかも戦闘機隊の隊長なのに、艦長命令で送りに行かされたオーエンス。
この無茶苦茶な判断で過去に置き去りにされ、この日を境にこの世から消えてしまったのです。
ーそれじゃこれは誰が書いたことになるんだろう。
オーエンスの軍オタレポートを感慨深げに眺めるラスキー。
そういえば「ニミッツ」には零戦搭乗員から取り上げた彼の手記というものもありましたし、
・・零戦搭乗員の屍体も確かまだ乗ってたんじゃ?
それに、40年前の犬も連れてきてしまっていますよ。
「艦長、我々は幸せですよ」
「どうしてだ」
「少なくとも同じ世界に戻れましたよ」
「全員ではないがな」
そう、艦長、あんたが捜索隊を出さず置いてきぼりにしたんです。
で、どうするの。オーエンス中佐を。
「オーエンス中佐に家族は?」
「いない」(だから大丈夫の意)
いやいやいやいあやいあやいあやいあy(笑)
つまり死んだことにしてしまうわけ?
戦闘機隊長を戦時でもないのに行方不明中に死なせる、
これだけで十分艦長免職の理由になると思うんだが。
しかし二人は
「君には手を焼いたよ。でも会えてよかった」
「ありがとう艦長」
などとにこやかに言い合い握手を交わして別れます。
こんなことが許されていいものだろうか?と思ったら、
謎の人物「タイドマン」の車から犬を呼ぶ声あり。
「チャーリー!」
まろぶように犬が駆け込んだ車の中を恐る恐るラスキーが覗くと、
あらびっくり。
そこにはついさっき別れたばかりのオーエンス中佐とローレルの40年後の姿が。
40年前に置き去りにされたオーエンス中佐、ローレルの助けで名前を変え、
過去を隠して(彼の場合は未来というべきですが)、タイドマンと名乗り
鉄鋼会社のオーナーになって、ラスキーから見ると一瞬で40歳歳を取ってここに現れたのです。
ここでオーエンス中佐の立場になって考えてみましょう。
結局歴史を変えることはできませんでした。
「歴史は不変である」というのがこの映画のテーマならば、ここに大変な矛盾があり、
結局歴史を大きく変えられた個人、そう、オーエンス中佐がここに存在するのです。
40年前の世界で生きるのは「これから起こる歴史を知っている」
しかも歴オタだったオーエンスにはイージーモードであったことでしょう。
大会社のオーナーに成り上がることができたのも当然です。
しかし、40年後、わざわざラスキーを「ニミッツ」に乗り込ませて
一体オーエンス、いやタイドマンは何をしたかったのか?
仮に歴史を修正し自分が過去に取り残されることを回避すれば、1980年以降のこの世界には、
オーエンス中佐とタイドマンが同時に存在することになってしまうのです。
そこで考えたのですが、その理由とは、
その1 チャーリーを迎えに来るため
その2 自分をこんな目に遭わせたイエランド艦長に復讐するため
40年もの間、ローレルは愛犬に会いたいとずっとオーエンスに訴えていたに違いありません。
そして、40年もの間、オーエンスはきっと、自分を過去に置き去りにした
イエランド艦長を恨んでいたと思うのです。
ローレルには
「君に会うことができたんだから、悪いことばかりではない」
などとはとりあえず言っていたとは思いますがね。
そもそも、部下を救出することを怠り、しかも家族がいないからおk、
と言い放つような艦長を許せるはずありませんよね。ええ。
このあと、タイドマンはどうするとお思いですか?
タイドマン鉄鋼が国防省を通じて視察に行かせたラスキーに、
「イエランド艦長に空母指揮官の資格なし」と証言させ、あとは海軍上層部に圧力をかけてクビにし、
退職後も圧迫をかけて社会的に完全に抹殺してしまうつもりです。(たぶんね)
わたしはこの映画が「パクった」と噂された元ネタの「戦国自衛隊」を見ていないので
こちらと比べられないのですが、20年後の「ジパング」の方が、
タイムパラドックスも含めよく出来た話だと思いました。
「ジパング」では、角松一佐が過去に残ることになった時点で『みらい』の乗員からは
彼の記憶が全く失われ、最初から彼はいなかったことになっていましたが、
この映画では40年前に置いてきた人間のことを全員が記憶しているのがアウトです。
しかもお互い顔を合わしていないだけで、何十年もの間、オーエンス中佐とタイドマン、
つまり同一人物が二人同時にこの世界に存在していたってことになるのです。
この辺の詰めの甘さを解決している「ジパング」は、アイデアを流用しながらも
より深化させているといった感があります。
オリジナルではないが、元のものを改造してより良いものをつくってしまう、
という日本人の特性をここにも見るような気がしますね。(適当)
このようにいろいろと突っ込み出すと、あまりにも矛盾が多すぎて、
よくできた映画とは、お世辞にもいうわけにはいかないのですが、
空母「ニミッツ」と、そこで「働く海軍」の様子が活写されていて、
それだけは観る価値がある映画だといっておきましょう。
というわけで映画をまだ観てない人、ネタばらしてごめんね。
って最後になって言うのもなんですが。
終わり。