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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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ニューヘイブンの大学キャンパスに息子を見送る

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さて、わたしが毎年夏になるとアメリカに滞在しているのは
息子がこの期間米国民に混じってサマースクールに参加するからで、
例年この期間、わたしはいつものキッチン付きホテルでまったりと過ごし、
エントリ制作をしたり買い物をしたり、美術館巡りをする充電期間にしているのですが、
今年は少し状況が変わりました。

というのも、息子が全寮制のサマースクールに初めて参加することになったため、
とりあえず彼の面倒を見るという大義名分がなくなってしまったのです。
しかも今年はいつも行っている勝手知ったる地域ではなく、
ボストンをずっとニューヨークよりに行ったところにあるニューヘイブンという場所。

初めての場所で1ヶ月一人でホテル暮らしというのも如何なものか、と思っていたところ、
ちょうどというかたまたまというか、台湾に外せない用事が出来ました。

というわけで、わたしたち一家は、揃ってボストンに行き、そこから
車でニューヘイブンまで移動して息子を学校に放り込んだら、
あとは夫婦で少しの間滞在してから日本に帰国し、成田から台湾に向かうことになったのです。

ボストンに到着して3日目。
慣れ親しんだ地域からニューヘイブンに移動する日がやってきました。
車で高速を行くこと2時間で到着です。



去年のサマースクールはボストンのウェルズリーカレッジという女子大で行われましたが、
今年はグレードが上がったのでこのニューヘイブン大学(仮名)で行われることになりました。

ここに来るのは実は初めてではありません。
昔、TOが留学のための夏季語学講習をボストンで受けていた時、
志望校の一つとしてこの大学の教授と話をしたいというので、わたしが運転して
ここまできたことが一度あるのです。 

わたし自身のことではないので自慢でもなんでもありませんが(笑)、
その後TOはこの大学からも合格のお返事をいただいております。

大学の事務局から電話がかかってきた時、わたしも横にいて聞いていたのですが、

「オー、リアリー? グレイト!グレイト!」

と彼が興奮して言ったのをよく今でも覚えています。
結局TOはここではなく、ボストン・ケンブリッジにある大学に行くことを決めたのですが、
彼としてはどちらに行くか、かなり悩んでいたようです。

「どっちがいいと思う?」

と聞かれたのでわたしは、

「ニューヘイブン大学(仮名)の方が何だか通っぽくていいと思う」

と無責任な返事をしたのですが、結局この大学のあるニューヘイブン(New Haven)は、
大学を除く地域が「ニューヘブン」というくらい貧困地域に手厚い税制を敷いているせいか、
実はあまり環境がよろしくなく、家族で住むには如何なものか、という理由で止めになりました。

まあその他にも、卒業後のアラムナイ・ネットワークの強さとか、彼なりに考えた理由はあったようですが。

とにかく、今回たまたま息子の学校がここになったことで、それ以来初めて
わたしたちは大学キャンパスを訪れることになったのでした。



ジャケットにレジメンタルタイ、白いコットンパンツにジャケットと同色の靴。
街角を歩いている人もさすがは名門大学と思わせる只者ではなさ。
ちなみに彼はこれもアメリカ人にはどちらかというと少数派のメガネ着用でした。



キャンプのチェックインは、アメリカらしく、ドロップオフ方式です。
車で指定されたあたりを走っていると、目立つオレンジのTシャツをきたスタッフが
歩道に立っていて、車を寄せると窓越しに「ここまで車で行ってください」と書かれた紙をくれます。
車の列に並ぶと、ここがチェックインする場所のようで、女性のおまわりさんが、
(大学警察の警官。アメリカの大学は警察組織を持っている)ロータリーに車を誘導しています。



泊まりのキャンプなので、皆トランクなどを持って降りると、
スタッフがモッコのような手押し車に荷物を載せて、各自の部屋まで運んでくれるのです。



ゴミを運んでいるのではなく、キャンパーの荷物を手押し車に載せています。



息子によると、ドミトリーもこの建物にあるとのことでした。



車から降りていく息子を迎えてくれるスタッフ。

 

後から息子が送ってきた宿舎の内部。
これはどういうことかというと、6月にはこの大学の4年生が卒業していき、
彼らのいた部屋は9月になって新入生が入って来るまで空いています。
大学としては、夏の間もそこを遊ばせないため、こういうサマースクールに
施設を貸し出すというわけです。



さすがは東部アイビーリーグの雄として名高い大学、
米国史上三番目に古い、1701年の創立時に建てられた校舎がいまだに健在です。
1701年ったら、日本では元禄初期ですよ。

クリントン夫妻、ブッシュ、ケリー、チェイニー、フォードなどの政治家、
映画関係ではポール・ニューマン、メリル・ストリープ、ジョディ・フォスター、
シガニー・ウィーバーなどもここの出身です。



街をうろうろしている人たちにアフリカ系が多いのもニューヘイブンの特徴で、
保守的なボストンケンブリッジの人々は、

「あそこは黒人が多いから治安が悪い」

などとさらりと言ったりします。
最初にボストンに行ったとき、MITの教授のお宅に夕ご飯に招かれたのですが、
そこにいた大学関係の人たちも本人たちは差別しているという意識もなく、
「事実だから」といった感じでこのようなことを言っていました。

確かにケンブリッジ近辺には労働階級ですら、驚くほどアフリカ系がいません。 
中華系も、最近の「中国イナゴ」はともかく、西海岸に比べると少数派です。

保守的といえば、全米ナンバーワンの大学といえばハーバードですが、当大学は

「ハーバードが世俗化したから」

という理由でつくられたという経緯があったそうです。
ちなみにここができてしばらくして、「世俗化したから」という理由で
つくられた大学が、プリンストン大学です。

今でもこの順番で後者に行くほどリベラルな傾向があるのはそのせいだという話です。



これは大学の近くにあったアパートメントで、おそらく大学関係者が住むところでしょう。
アメリカの国旗を筆頭に、イギリス、フランス、イタリアの旗ときて、
一番右がなぜか韓国国旗(笑)

おそらくここは昔日本の旗があったものと思われますが、近年日本からの留学生が減り、
大学内での両国の比率が逆転したとき、韓国系が大騒ぎして付け替えたのでしょう。
あんな人口の少ない国なのに、皆国内から逃げ出すようにアメリカにやってきて、
留学ついでに移住もしてしまおうという人間ばかりなのでこういう現象も多々あります。



お腹が空いたので、このアパートメントの向かいにあるヴェジタリアンレストランで
遅いお昼ゴハンを食べました。
ローストベジタブルのひよこ豆添えは、見た目はなんですがかなり美味しかったです。



車を近くのパーキングに入れ、チェックインしたあとすることのない息子を
迎えに構内に少し入ってみました。

キャンプの受付テーブルが外に並べてあります。
この日はアメリカには珍しく、朝からまとまった雨が降る1日で、このときも
実は細かい雨がひっきりなしに降っていたのですが、アメリカ人的には
こういうのは雨のうちに入らないので傘をさす人など全くいません。



「バースデイケーキ」とは?

 

今は海外旅行中でも簡単に電話でお互い連絡が取れるので本当に便利です。
息子に電話すると、今別に何もしていないというので呼び出しました。



大学全体がこのような壮麗な石造りの建物ばかり。
この大学にも出身者が作った「秘密結社」がいくつも存在し、有名なのは

スカル・アンド・ボーンズ

というもので、映画にも時々取り上げられるようです。
秘密結社の置かれている建物は、「窓がない」と言われています。

建物の形がどれも教会風なのは、建造物を寄付する人たちがそれを希望したからだとか。



息子が出てきたので、三人でまず近くの本屋に行きました。
そこで欲しいといった本を2冊ほど買ってやり、スターバックスでお茶を飲もうとしたら長蛇の列。
アメリカ人のスターバックス好きははもはや信仰です。
今いるホテルはいわゆるデザイナーホテルで、いけてる内装とスタイリッシュな雰囲気が売りなのですが、

「スターバックスのコーヒーが24時間飲めます」

というのをセールスポイントの一つにしていました。

それはともかく、息子が「あまり長い時間部屋を空けたくない」というので、
スターバックスは諦めて、こちらでは全米展開しているベーカリーカフェ、
「パネーラ」で休憩しました。
息子はわたしたちと違い何も食べていなかったのですが、

「もうすぐクックアウト(野外でバーベキューのディナー)なのでちょっとにしとく」

と、サンドイッチをTOと分け合って食べました。

「一人の部屋と違ってルームメイトがいるんだから、ちゃんと起きたらベッドをメイクするのよ」

「わかってるよ」

「歯磨きは絶対にいい加減にしないように」

「わかってるって」

「くれぐれもあの日本人は変な奴だと思われるようなことはしないでね」

「たとえば?」

「朝はやく起きて『きえええ!』とか気合いを入れたり棒で素振りしたり、床で瞑想してたり」

「しねーよ。てかどんな日本人だよそれ」

「あああ心配だ」

「大丈夫だって。アメリカ人の中で暮らすのはママよりずっと俺慣れてんだから」 

「そういやそうでした」

そんな「心配するおかんと息子の会話」をしていたと思ったら、きっぱりと

「もう行くよ。トロイ(ルームメイト。ドイツ系らしい)も一人だし」

と立ち上がって、少しだけ緊張した様子でドミトリーに入って行きました。
わたしたち夫婦にとって息子の初めての「独り立ち」だったわけですが、
いつの間にかこんなに成長したんだなあと感慨を深くしながら、ニューヘイブンを後にしました。

こうやって子供は親の元から離れていくんですね。
 


 


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