こちらではインディペンデンス・デイというより「ジュライ・フォース」という
呼び方をするのが一般的なアメリカ独立記念日。
毎年この時期にはわたしはアメリカの東部にいるのですが、キャンプが休みなので
大抵はホテルで1日ゴロゴロして、時々テレビをつけて恒例の
「ホットドッグ大食い選手権」を見るという程度の過ごし方しかしたことがありません。
しかし、今回は7月5日にアメリカを出国することになったので、ジュライフォースの日、
ローガン空港の近くのホテルに移動しながら、おそらく「初めて」この日を肌で感じました。
ノーウォークのおされホテル「ゼロ」をチェックアウトした後、
ニューヘイブン大学(仮名)に立ち寄り、構内の美術館を二つはしごして、
息子を呼び出して様子を聞きました。
洗濯の順番がなかなか回ってこないことと、朝が早いこと以外は
困った様子もなく、楽しくやっているようでした。
サマースクールのイベントは、いくつかの選択肢から選ぶことができるのですが、
息子は「ニューヨークでピザを食べるツァー」「タングルウッド音楽祭鑑賞」
を選んだと言っていました。
ミュージカルを見るツァーもあって、演目は「レ・ミゼラブル」だったそうです。
ニューヘイブンから以前の「ナワバリ」であるウェストボローに帰ってきて、
ここでいつものホテルに一泊だけしました。
1年ぶりに訪れたら、食器、コーヒーメーカーからエキストラベッドのリネン類まで、
皆フロントに言って貸し出してもらうシステムになっていたのでびっくり。
中国人に盗られたから?
次の日は、勝手知ったる地域で台所小物やTシャツなどの服を買い、
いつものホールフーズでランチを食べて名残を惜しみました。(わたしはまたすぐ来ますが)
今年もホールフーズのケーキコーナーには、ジュライフォースのための
星条旗カラーのケーキが多数。
だから青とか赤のクリームは食欲をそそらないんだよ!
といくら日本人が叫んでも、アメリカ人がこれを止める気配は全くありません。
むしろホールフーズだから「この程度」でおさまっているのであって、巷には
ケーキ全面に赤や青はもちろん蛍光色まで駆使して毒々しい絵が描かれたケーキがあふれます。
移動してホテルに一旦荷物を預け、ニューベリーストリートに行くことにしました。
前を走っていた車のマツダマークがミミズクさんに・・・・。
朝から昼にかけて雨が降ったりしたので心配したのですが(実はあまりしてませんが)
この時間にはすっかり晴れ、しかも湿気がなくなって綺麗な青空が広がりました。
ニューベリーストリート沿いの教会、 Church of the Covenantは1865年の建立です。
ここニューベリーストリートではすべてのお店がセンスを競っています。
ものすごく高級感のあるラルフ・ローレン。
隣にはニューイングランド歴史協会があります。
ニューイングランドだけでなく、アフリカンアメリカンの歴史協会も併設しています。
ここは、希望者に「先祖調べ」をしてくれるサービス(有料)もしています。
テレビで宣伝もしていますし、俳優や有名人のご先祖をチェイスして、
本人も知らなかった家のドラマに感極まって泣いたり、という番組もあります。
歴史の短い国ですが、先祖がいつどこから来たかも含め、ルーツにこだわる人も多いのかもしれません。
スペインのキャンパーのウィンドウは、ニューイングランド、独立記念日、
ときてなぜかロブスターをフィーチャーしております(笑)
バルタン星人かとおもた。
中国語と韓国語がない各国語併記って、ここだけの話ですがなんて清々しいんでしょう。
日が暮れてきました。
アートショップのウィンドウを見て歩くだけでも美術館気分です。
おそらくアフリカ系のアーティストの作品だと思われ。
黒猫が青く描かれているのは萩原朔太郎の影響です(嘘)
ホテルに帰る前に軽く夕食を食べておこうということになり、
角にオープンテーブルを出しているインチキずし(多分)、
「スナッピースシ」に怖いもの見たさで入ってみました。
ニューヨークで寿司田のお高いお寿司を食べた後、ここに入ることで、
今年もアメリカ寿司事情についてレポートする用意が整いました。
右手を歩いているカップルは、お洋服のトーンを合わせています。
アメリカ人は熟年夫婦でも愛情表現を惜しみませんが、さすがに
手をつないで通りを歩くカップルは少数です。
ちなみに彼らはかなりの年の差カップルでした。
スナッピー・スシの向かいは、前にも写真をあげたことのある
世界で一番格調高い建物にあるコールハーンです。
アパートを丸ごと買い取って全フロア売り場にしています。
コールハーンはアメリカでもとくに高級ブランドという位置付けではないのですが、
こんなところに入っていると敷居が高く見えてわたしは入ったことがありません(笑)
向こうからおまわりさんの自転車警備隊の軍団が通り過ぎました。
おそらくこの数ブロック向こうのチャールズリバー沿いで
大々的に行われる独立記念日の花火大会の警備に行くものと思われます。
スバッピースシのテーブルの横の植え込みには黄色い山吹のような花が植わっていました。
通りに面したテーブルに座っていると、行き交う人々を観察したり、
大音響でカーステレオを鳴らしながら通り過ぎる車(必ず若いアフリカ系男が乗ってる)
や、上空の飛行体を眺めたりという楽しみがあります。
食事の間ずっと上空をぐるぐると回っていたヘリコプターがありました。
花火の警戒のために出動した州警察のヘリです。
かと思えばこんなアド・プレーンも。
映画「ゲット・スマート」でスティーブ・カレルが飛行機と車のチェイスを行うシーンあって、
その飛行機が「スイサイド・ホットライン」(自殺防止ホットライン)というバナーを
引っ張っていたのが我が家的には大受けでしたが、これは一体?
「DIGってなに?」
「まさか、これも自殺の隠語とか」
「花火大会の客にそんなこと呼びかけるってことはなくない?」
帰って調べてみたら、DIGには深い意味はなく文字通り「掘る」ことで、
庭の芝生でもなんでも、土中にはいろんな管(電気やガスとか)が埋まってるので、
当社に掘る前に電話したら何があるかちゃんと調べてあげますよ、という宣伝でした。
ふわふわと飛行船も飛んでいます。
ジンのアドバルーンですが、この「眼」のせいで大変なアイキャッチとなり、
皆が立ち止まって写真をとっていました。
真っ青な空とレンガの建物との取り合わせはまるでマグリットの世界です。
わたしは豆腐サラダ、TOは野菜ズシと軽く食事を済ませ、駐車場まで
のんびりと歩いて戻りました。
信号待ちの人々は皆チャールズリバーの河原を目指しています。
バドワイザーのビールのケースや、クーラーボックス、シートを持った人たちも。
赤白青の「星条旗ファッション」で来ている人も多数。
この女の子たちは国旗をマントにしてしまいました。
ホテルに帰ってテレビをつけると、花火大会の中継が始まっていました。
挨拶やめんどくさいセレモニーなど一切なく(あったかもしれませんが)
ただ、音楽とともに打ち上げられる花火を楽しみましょうという企画。
メインスポンサーはアメリカのデパート、メイシーズでお届けしています。
陸海空海兵隊、その他軍組織の制服を着た軍人たちが旗をずっと掲げていました。
今年の演奏はアメリカ空軍軍楽隊。
どうも毎年持ち回りで行われるようです。
軍楽隊の演奏するのは国歌的なものをアレンジした曲や、マーチなど。
歌手もカントリー、ポップスと何人かが出て交互に演奏を行います。
チャイコフスキーの序曲「1812年」は、おそらく日中に行われたのでしょう。
軍楽隊の演奏に合わせて、チャールズリバーに浮かんだ4隻の船から、
全くシンクロした花火が惜しみなく上がります。
両岸には人が詰めかけているので、川の上に浮かべた船から花火を打ち上げるのは
大変理にかなっているというか、たくさんの人が鑑賞することができます。
ただ、秋田大曲の花火大会というおそらく世界一の花火大会を見慣れた私たちには
東海岸一規模の大きい有名な花火大会とはいえ、この程度?と思ってしまったのも事実です。
実際にその場にいたら盛大でさぞ盛り上がるのだとは思うのですが。
それはそうと、7月4日の朝のニュースで、こんなのを見てしまいました。
実際に戦闘を体験した退役軍人が、未だにPTSDに悩まされていて、
花火の破裂音でそれが再発し、トラウマを深くするため、近所の人たちに
花火を遠慮してもらいたい、とお願いする家族が現れた模様。
これは、右側の男性が花火の音で思い出す戦闘の時の銃声、爆撃音が
いかに生々しいものであるかをインタビューで語っているところなのですが、
日本人のわたしが聞いていてもあまり知的な受け答えをする人ではないなという印象でした。
だからどうということではありませんが(笑)アメリカにおいてベテランを
下にも置かぬ扱いというか、腫れ物に触るようなというか、尊重の度を越して、彼らに対して
否定的なことを言えない空気があるらしいとわたしなどかなり昔から感じてきました。
それに便乗する「モンスターベテラン」という言葉が嫁の表情からついよぎってしまいます。
しかしそういう発言はここアメリカでは公の場はもちろん、私的にもタブーとなっています。
チャールズリバーのメイシーズ提供の花火ならともかく、地域の花火大会なんて
せいぜい1年に一回、1時間くらいのものなのに、こんな大騒ぎするくらいなら
その間ヘッドフォンで音楽聞いてれば?と思うのはわたしが日本人だからでしょうか。
だいたいそんなことを言い出したらチャールズリバー沿いに退役軍人は住めないってことになります。
「アメリカン・スナイパー」で、ベテランのPTSDが社会的問題であるということが
アメリカではクローズアップされたばかりです。(彼らもそれに便乗したのかもしれません)
確かに当人たちにとってそれは深刻な問題なのかもしれませんが、
自分ひとりのために地域の花火を控えろ、というのは、いかに言ったもん勝ちで、
ベテランの言うことには逆らえない雰囲気のアメリカでも、賛否の分かれるところではないかと思われます。
それよりわたしはやはりこの日にニュースでやっていた
「アメリカ全土で毎年この季節花火が原因で亡くなる人の数」
があまりにも多いので(忘れたけど10人20人じゃない)そっちの方が問題だと思いました。
それこそ、花火で亡くなった人の家族は確実に花火がトラウマになると思うけど、
はたして、
「花火で亡くなった人の遺族が住んでいるので、この地域で花火をしないでください」
なんてことを言い出す家族がいたら、世間はどう思うかってことですね。