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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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われわれはなぜ台湾に行ったのか〜「台湾的扶輪社」会合参加記

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さて、先日から2週間に亘るボストンーニューヨークー成田ー台湾という
無茶苦茶な日程の旅行についてお話ししているわけですが、そもそも
われわれは何のためにこんな日程を組む必要があったのか。

というか、本来ずっとアメリカにいる時期に、わざわざアメリカまで2往復してまで、
台湾になんの用事があったかってことなんですが、あっさり種明かしをしてしまうと、
李登輝元総統の講演に参加し、その前後に一席を囲み個人的にお話しができるという
願ってもないお話をいただいたからでした。


講演会と会談は全く別のところからきた話で、先にTOが講演会への参加を打診されました。

「李登輝先生の講演、アメリカに行っている間だけどどうする?」

「行く」(即答)

「行くって、終わったらもう一回MK(息子)を迎えにアメリカに行かないといけないよ」

「いや、でも李登輝先生はもう今年92歳だし」

「・・・・最後のチャンスかもしれないね」

ということで、我が家は時間的にも費用的にもかなりの無理をして、訪台することにしたのです。
その後、わたしが防衛団体関係の知人に聴講をお誘いしたところ、その方が
講演会の次の日に個別会談を調整してくださるという展開になりました。

李登輝氏についての知識は普通にあるつもりでしたが、じっさいにお会いするとなると
いったいどんな話をすればいいのか・・・。
旅行の準備や教育航空隊訪問など、目まぐるしく忙しい日程の間を縫って、
わたしは何を着ていけばいいかも含めて大変頭を悩ましていたのですが、
読み漁った資料の一つ、小林よしのり氏の「台湾論」における李登輝氏の表現と、
氏と何度かお会いしている方の、

「李登輝さんは話し出したら止まらないほどエネルギッシュにしゃべる」

という話から、おそらくこちらが話さなくても元総統のお話を伺うつもりでいればよい、
と納得したため、あまり会談内容については考えずに当日を迎えたのでした。

92歳とはいえお忙しい方でもあり、別に日を取っていただけるとは思っていませんでしたが、
やはり最終的に「講演前の30分、控え室に来ていただければお会いします」ということになり、
前日にわたしたちは台湾に着くように日程を調整したのでした。


桃園空港近くのノボテルホテルから台北まで車で移動し、講演会場のホテルにチェックインを済ませ、
会談をセッティングしてくれた知人に連絡を取ったところ、衝撃の事実が。

「李登輝元総統は本日体調が悪く、講演会は中止になりました」

「・・・・・・・・・」

_| ̄|◯ ←TO  ◯| ̄|_ ←わたし


いやまあ、92歳ですから、お体のことは全く予測できないこととはいえ、
このためにいろいろいろいろと調整してきたのに、と脱力感でぐったりなるわたしたちに、
その方は

「しかしその代わりに李登輝総統のブレーンであった方が講演されるそうです」

とまだしも立ち直る余地のある情報を教えていくださいました。

確かにがっくりときましたが、実のところかなり緊張していたため、
それがなくなったとたん、少し気が楽になったというか、ホッとしたのも事実。

「あ〜、気が抜けちゃった」

そう言いながらも会場ではどんなお料理が出るかなどといったことに
思いを巡らす余裕も出てきました(笑)



講演は、李登輝氏が名誉会長を勤めている台湾のあるロータリークラブの
年度ごとに行われる会長の交代式で行われることになっていました。

首敲、というのはいかにも「首をすげ替える」といった感じですが(笑)
これが交代式の意味であり、「扶輪社」がロータリークラブです。
音読みすると「ふりん」となり、なんだか不適切な響きでもあるわけですが、
このときに知り合った同志社の台湾事務局で働いている女性の方は

「同志社というと、”何?同性愛?”と言われることがある」

と苦笑していました。
中国語と日本語の違いは時としてこんなことになります。

ところで皆さん、中国語といえば昔少しだけ、
上海に旅行することが決まったので勉強してみた程度のわたしが、
どうして台湾で李登輝総統の講演を聞いたり、現地の扶輪社メンバーと歓談できるのか、
不思議に思われませんでしょうか。

おそらくこのことをいうとほとんどの方ばびっくりするかもしれませんが、
台湾にあるロータリークラブのうちなんと三つの団体は、

日本語が公用語であり、

会合は全て日本語で行われるのが昔からの伝統になっているのです。
台湾に行ったことのある方は、いたるところで日本語が普通に通じるのに驚かれるでしょう。
ホテルなどはほぼ100パーセント、街を歩いていても、わたしたちが空港で遭遇した
親切な男性のように日本語で話しかけてくる台湾の人もたくさんいます。

わたしたち日本人が思っているよりずっと、台湾における日本は密接で大きな存在であり、
日本からの来客を日本語で接遇しようという気持ちに於いてはおそらく世界一ではないかと
わたしたちは何度かの訪台で知ったのですが、さすがにここまでとは・・。

このロータリークラブには、現地の日本企業の社員も参加しているため、
便宜上そういう慣習が続けられてきたのかとも思っていたのですが、
どうやらこれはさかのぼること戦前の、日本が台湾を統治している時代からの流れではないかと
わたしはこんな話を聞いて思った次第です。

それは、このブログでもなんどもお話ししたことがあり、映画「KANO」でも語られた
鳥山頭ダムの設計者、八田與一がロータリークラブの会員であったという事実です。
台湾におけるロータリークラブ活動については今回わかりませんでしたが。




当ホテルの宴会場はこの扶輪社の毎週の会合が行われており、
李登輝総統が私的にも訪れるレストランがあるそうです。



当クラブは台湾と日本の親善をも目的としているわけで、
開始の「四つの誓い」(兵学校の五省みたいなもの)を日本語で唱えた後、
台湾の歌を一曲、日本の歌を一曲歌います。

TOの属するクラブには専属のピアニストがいて伴奏をしていましたが、
ここではカラオケを流して1番を歌ったらいきなり音を切ってしまうというものでした。

日本側の歌は「涙そうそう」でしたが、なぜこの曲なのかは謎でした。



当クラブにはお揃いの緑のジャケットを着て参加するという慣習があります。



このイケメン(もちろん台湾人)が本年度のクラブ社長、つまり会長。
皆日本語でスピーチをされるのですが、日本語の能力についてはいろいろです。
しかし、いずれにしても日本統治下の日本ならともかく、現代の台湾で、
これほど外国語でスピーチをできる人がしかもたくさんいるというのがすごい。

中国語はたくさんの発音の因子を含むため、中国語を母語とする人は
3ヶ国語くらいは楽に話すことができると聞いたことがありますが・・。



このときに配られた、前年度の李登輝総統の講演の様子。
さすがに文章まで日本語で書くのはちょっと無理らしく、すべて中国語ですが、
李登輝先生の講演のタイトルだけは日本語となっていました。

「台湾の主体性を確立する道」

写真は去年の同クラブでやはり会長交代式のときに行われた講演のときのものです。

李登輝元総統の講演の代わりに行われた鄭世松先生の講義も勿論日本語で行われました。

86歳で、生まれてから16年間日本人であり、さらには戦後東京大学に留学して
日本で働き、日本女性を妻にした先生の日本語はほぼ完璧で、後にご挨拶させていただいたところ、

「つまらない話をくだくだいたしまして」

などと恐縮しながら謙遜するあたりも、日本人らしさを感じさせる方でした。

先生の講演については、また項を改めてお話させていただきたいと思いますが、
とにかく李登輝氏の講演が聞けなかったことの無念さは、
その素晴らしい内容のおかげですっかり払拭されたやに思われました。

払輪社の恒例行事が恙無く終わったあとは、お待ちかね歓談タイム。
あたりまえですが、台湾の宴なので中華料理です。


驚いたのはわたしの所属するいくつかの防衛団体に限らず、ロータリークラブなど
日本人の団体が行うパーティのように皆知り合いとだけ話すのではなく、
このクラブでは次々と新しい人が挨拶にやってくるのです。
日本企業を相手に仕事をしている会社の社長などが多いのでそれも当然ですが、
その積極的なのにはびっくりしてしまいました。

わたしなど、あっという間に自分の名刺が無くなってしまったほどです(T_T) 

同じテーブルの台湾人ロータリアンは、一人は弁護士、一人が化粧品会社の社長。
共に次の日の便で日本に行くことになっていて、飛行機まで同じでした。
彼らが日本語での会合を週一回のわりで続けている理由のひとつに、日本での仕事のため
語学力をキープするという意味もあるのではないかと思われます。



わたしの知人はご夫婦での参加でしたが、筋金入りのお酒好き。
奥様はとくに紹興酒がお好きで、台湾では紹興酒の年代物を買って帰られるそうです。
ここで出されたのは三年ものなので、レモンを外から握って中身を潰し、
ボトルの蓋を差し込んで紹興酒に注ぎ入れていました。



会の最後に、李登輝氏の秘書が元総統の欠席を詫びる挨拶をされました。
李登輝氏の秘書、H氏は(何人かいるのかもしれませんが)日本人です。
われわれと元総統の個別面談を調整してくださっていたのもこのかたなのですが、
今回の欠席については体調不良ではあるが今日だけのことであるという説明をされました。


ところで、わたしたちは李登輝元総統にお土産を日本から郵送させていました。
「傘」です。(選んだのはTO)
この傘、ただの傘ではなく、日本の職人技術の粋を集めたとでもいうべきもので、
決して壊れない、そして軽い、一振りすれば濡れた傘も瞬時に水を弾く。
車に濡れた傘を持ち込む時の不快感を軽減する機能なので、例えばレクサスでは、この傘を
車の購入者へのプレゼントにしていて、わたしたちは「L」マークのレクサスバージョンを
一つ特別に売っていただき、レクサスではない車に乗せて使っています。

この会社の社長に、御社の傘を李登輝氏へのプレゼントにしたいからと相談したところ、
社長は張り切って、特に軽さを売りにした開発中のモデルを、
「李登輝モデル」として前倒しして完成させ、台湾まで送ってきてくれたのでした。

これほどの気合の入った渾身のモデル、ぜひご本人に直接お渡ししたかったのですが、
今回は秘書の方に預かっていただくことになりました。


そして、最後にこんなニュースを発表されました。
7月21日から数日間、李登輝元総統が来日するというものです。

【台北=山下和成】台湾の李登輝・元総統(92)の事務所は8日、
李氏が21~26日の日程で日本を訪問すると発表した。
訪日は昨年9月以来で、東京、福島、宮城の3都県を回る予定だ。
東京での講演のほか、李氏がかねてより希望していた東日本大震災の被災地も訪れる。

李氏の訪日は2000年の総統退任後、7回目となる。
東京では22日に国会議員会館、23日に外国特派員協会で講演する。
24日には福島県郡山市の病院で先端がん治療の現場を視察する。
宮城県では25~26日に松島町の瑞巌寺のほか、岩沼市にある震災の慰霊碑を訪れる予定だ。


秘書の方は「明日メディアに発表する」とおっしゃっていたので、
わたしたちはこのニュースを世界で一番早く知ったことになります。

日本側で行われる歓迎レセプションでは、わたしは在米中なので行けませんが、
TOが参加して、元総統にご紹介していただくことになるでしょう。

中止となった講演はまた行われる予定なので、また訪台してでも参加するつもりではいますが、
その前に李登輝氏が日本でされる活動、特に国会会館でどんな講演が行われるのかを、
注視していきたいと思っています。


 

 


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