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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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台湾的現在~ロー・ファームと小籠包

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台湾で李登輝元総統の講演を聞くという予定以外、なにもなしで
台湾に行ったわたしたちですが、計画せずともあちこちからお誘いが入り、
イベントにも食事の場所にも頭を悩ませる必要はありませんでした。

まず、TOが日本ですでにお会いしたことのある女性弁護士、
京都大学の法学部に留学していて日本の法律を勉強し、
現在は台湾の法律事務所で日台の企業法務にかかわっている張先生が、
事務所見学とそのあとの昼ごはんにお誘いくださいました。

張先生は「かおり」という日本名も(仕事上)持っていて、日本人からは
「かおり先生」と、まるで幼稚園の先生のように呼ばれています。 
京都大学に留学したのは実務のためでなく学者になるためだったそうですが、
いろいろあって、’弁護士ではないのに’法律業務をしているということでした。

日本でTOと出会ったのは、彼女が東北大震災のあとのボランティアに、
台湾の扶輪社を通じてやってきて、TOの所属する扶輪社と交流をしたからです。



わたしたちはホテルからタクシーで事務所のあるビルに向かいました。
台湾のタクシー運転手は、日本語も英語もしゃべれる人はほとんどいませんが、
住所を見せるだけで間違いなく目的地をわかってくれます。
ニューヨークのように、タクシーは皆「イエローキャブ」で見つけやすく、
町中を走り回っているのですぐ捕まえることができ、おまけに安い。



大理石の床の、大変立派な金融ビルのフロア4階をその法律事務所が占めています。
テナントはなく、回転ドアのフロアには受付があるだけの典型的なオフィスビル。



エレベーターを降りると受付のカウンターがあり、映画で見るアメリカの法律事務所と
全く同じような作りでした。

「常在」というのは何か意味があるのではなく、単に「常」さんと「在」さんが
創立した事務所という意味だろうと思われます。

ここで「かおり先生」を呼び出してもらいました。



所属弁護士の名前が金文字で記された重厚な名簿。

ジム、ジェニファー、ウェリントン、スティーブ、ジャッキー、ショーン。
ルーシー、ウェンディ、パメラ、イーサン、エディ、モニカ。ケヴィン。
「エイブラハム」なんて名前もあります。

こんなイングリッシュネームがほぼ全員に付けられています。
他の国の国民には発音できない音が多いので、中華系はこのような名前を公式に持ちますが、
上海のホテルで支配人をしていた人から聞いたところによると、ホテル従業員の名前は
重ならないようにいくつも用意されていて、たとえば「ヴィンセント」が辞めたら、
次に入ってきた従業員が「ヴィンセント」となるのだということでした。

この事務所でもある程度そういう配慮の元に、他の人と重ならないような名前を
入所した時に選ぶのかと思われます。
ただし、留学などですでに自分の通名を持っている人はそれを踏襲するため、
同名の人も何人かはいます。

しかし中には断固として通名を持たないという主義の人もいて、
イチェンとかシンヤン、ランヤなどという名前もありました。
かおり先生はこの名札にも「KAORI」と記名されています。



かおり先生は「法学士」というタイトルで雇用されており、法学士だけでも何人かがいます。
この名札の「カリフォルニア・バー」「ニューヨーク・バー」「メリーランド・バー」
は、それぞれの州で行われる弁護士資格試験に合格し、資格を持っている弁護士です。

この中でもニューヨーク・バーは全米で最も難関で、アメリカ人の法学部出身者でも
3~40%が不合格になるというものです。
JFKの息子のジョン・ケネディ・ジュニア(飛行機事故で死んだ人)が受けても受けても通らず、
国民は息を飲んで注目していたということがありました。
結局彼は資格切れになるのを待たず受験をやめてしまったということでしたが。

この後わたしたちは会議室に通され、この事務所の大ボスの蔡先生、そして
かおり先生としばらく歓談に興じました。
法律関係の話は残念ながらよくわかりませんでしたが、話はすぐに政治関係に移りました。
台湾人は、地勢的にも歴史的にも否応でも「国のアイデンティティ」を自ら
問わなくてはいけない国に生まれたものの宿命として、政治に大変関心を持っています。

ボス弁の蔡先生もかおり先生も、お話を伺っている限り民族独立派であり、
大陸よりの国民党馬政権の施策には問題を感じているように見えました。
前回の総統選のときわたしたちはたまたま台湾にいましたが、
民進党の「台湾自治・平和的融和」を主張する蔡英文女史と「一つの中国」を目指す
馬英九氏の対決は僅差で馬英九が勝利し、総統になったわけです。

この選挙の時の投票率は70%以上であったと言いますが、年々減少する投票率、
とくに20歳代の若者のそれが30パーセント代という我が日本と比べれば、
台湾人の政治に対する関心の強さ(というかこちらが本当だと思うのですが)
がお分かりいただけるかと思います。

ところで、この事務所のビルの近くで「ポール」というパリ発のパン屋を見かけました。
昔パリに滞在したとき、朝焼きたてのクロワッサンを食べるために
アパルトマンから散歩がてら30分近く歩いて通った店です。
その後日本にも進出して今やどこでも食べられるようになったわけですが、
台湾にもあるのかと少しばかりびっくりしました。

雑談の中でそのことを言うと、蔡先生は

「ポールはわたしがやっているんですよ。マレーシアで業務を行いました」

この会社の法務を請け負っているということのようです。
ちなみに京大に留学していたかおり先生も蔡先生も日本語は超堪能。
この法律事務所には「日本語チーム」、つまり日本に留学していた関係で
日本語がしゃべれて日本との法務を仕事にしている弁護士・法学士が10人いるそうです。


かおり先生はわたしたちを、そんな「日本チーム」、日本語が喋れる弁護士の中から
若手の二人といっしょにランチに誘ってくれました。

「小籠包の美味しいお店」

ということで、意外なことにタクシーに乗って連れて行ってくれたのはSOGO。
 


なんというお店なのかこれを見ても全くわかりませんが’(笑)
これが台湾人が美味しいと認める小籠包がある店です。
SOGOの上の方のレストラン街にありますのでどうぞご参考までに。



ここから下界を眺めたのが冒頭写真ですが、高層ビルの下には
信じられないくらい広い範囲のバラック屋根が広がっていました。
おそらく庶民的な店の連なる市場だったりするのでしょう。



台湾の食堂というのはどこにいっても人で賑わっています。
皆たくさんで食べるのが好きなようで、ふたり連れより4人かそれ以上で
ワイワイ言いながらテーブルを囲むのを好むようです。



何が食べたいかメニューを見ている時に聞かれましたが、日本人のわたしたちには
何をどう頼むのがいいのかさっぱりわからなかったので、台湾チームにお任せしました。

三角のケーキのようなのは大根もち、蒸し鶏、空芯菜。



チキンスープは生姜が効いていてあっさり、しかし旨味があります。



そしてここにきたからには小籠包は外せないということで、一人二つづつ。


かおり先生が連れてきたアソシエイトの男性の方は、東京大学に留学していたそうです。
日本で知り合った留学生仲間と結婚して、今は「愛妻家」で有名な呉先生。
女性はそのまま丸の内を歩いていそうなおしゃれで可愛らしい独身の王先生。
王先生は留学していないそうですが、そのわりに日本語うますぎ。

中国語圏の人々の語学能力の高いのにはいつも驚かされます。


食事をしながら彼ら若い法律家たちの「今」をお聞きしましたが、
台湾でも弁護士はなるのが難しく、仕事も大変であるのにもかかわらず、
お給料はそんなに高いというわけではないということでした。

もちろんそれはアソシエイトの間だけのことで、パートナーになって
法律事務所でも持てば話はだいぶ違ってくるのかもしれませんが。

さて、楽しくランチを終えた後、わたしたちは仕事に戻る三人と再会を約束して別れ、
暇に任せてSOGOの中をぶらぶら歩いてみました。



上から1731年、1810年、1850年、1875年、1900年、そして1969年に制定された
現在のと同じヘンケルスの商標。
ヘンケルスが創業300年近い企業とは知りませんでした。
ヘンケルスの正式名は「ツヴァイリング・JA・ヘンケルス」で、ツヴァイリングとは双子の意。

1850年の二人はまるで飲み会のあと酔って放吟しながら歩くおじさんたちみたいです。




家具売り場の高級イタリア製の椅子に付けられた注意の札。
高額商品なので損壊しないようにご注意ください、みたいな?
高額商品でなければ壊してもいいのか、って話なんですが、
こういう札を付けておかないと、大陸の旅行者が座って休憩するからなんでしょう。
(それが証拠になんでも日本語表記を欠かさない台湾で日本語がありませんね)

たまたま昨日の記事で、中国本土に何を思ったか(儲かると思ったからでしょうけど)
出店してしまったIKEAの展示品のベッドで寝る中国人のフリーダムな姿を見ましたが、
基本的に中国人というのは上から下までああいう民度の人達なんで、
台湾の人達もかなり以前から手を焼いているのかと思われます。 





わざわざ空港の近くの閑静な住宅街に車を走らせたのは、
台湾に来ることになってから見た映画「台湾カフェストーリー」の舞台になった
カフェがここにあるから是非お茶を飲んでみたいというTOの希望によるものです。

道の向かいには合格者の写真などデカデカと掲げていない小さな学習塾があり、
音楽教室などもあって、見るからに落ち着いた中流以上高級住宅街といった感じ。

 

街路樹が道を屋根のように覆っている光景は南国の台湾では珍しくありません。
蒸し暑く日差しが強烈なので、このような通りは少しだけですがほっとします。

「台湾カフェストーリー」はあの「非情城市」の監督、ホウ・シャオチェンの作品。
カフェで始めた「物々交換」によってオーナーの美人姉妹がいろんな人生模様と出会う、
という一種のロードムービーみたいな作りの映画だそうです。

タクシーの運転手に住所をいうと、「ここだ」と指差したところはカフェではなく靴屋。
おしゃれなトレーニングウェアのブティックです。
TOが中で聞いてきたところによると、三ヶ月前にオーナーはこの店を買ったとのことでした。



映画の舞台をあっさり売却してしまうのも勿体無い話ですが、
そんなことで儲けようともしないのは都会人だからなのかもしれません。 


仕方がないのでその代わりに近くのカフェに入ってみました。
自由が丘にありそうな、洒落た雰囲気の構えで、内部もおしゃれでした。
客層はこれも日本と同じ、近隣のおしゃれな奥さんたちや若い女性のふたり連れ多し。



手書きではないかと思われる作品が壁に飾られていました。



オレンジティーを注文したら、紅茶の中に本当にオレンジが入ったのが出てきました。
なんかこれじゃないってかんじの味でしたが、まあいいや。


続く。 

 


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