ニューヨークはハドソン川に面したピア86に繋留された空母「イントレピッド」。
今は航空宇宙博物館として連日多くの観光客が訪れる名所となっています。
同じ空母博物館でも、サンフランシスコはアラメダの「ホーネット」とは、
その注目度も、動員数も桁違いに多そうですが、それというのもこのピア88は
マンハッタンの中心街からほど近い場所にあり、ハドソンリバークルーズが出港する
観光船の発着所にほど近いという地の利があるからです。
だからこそ大変な数の航空機と、展示をつねに作り変えるだけの資金が賄え、
「ウォー・バード」だけでなくコンコルドやスペースシャトルまで展示することもできたのでしょう。
というわけで、展示機も「ホーネット」とは違って、貴重なMiGなどもあったりするのです。
冒頭写真は、
Mikoyan Gurevich MiG-21 PFM (NATO code name Fishbed F)1959
MiGの”i"だけがなぜ小文字なのか、つい最近まで知らなかったわたしですが、
「ミコヤン・グレーヴィチ」はソ連の公開会社で、ミコヤンさんとグレーヴィチさんが
1939年に作ったためこの名称となったものということで納得しました。
バラライカという楽器(三角形)に翼の形が似ているため、
彼らはこれを本当に「バラライカ」というあだ名で呼んでいました。
(バラライカ型の飛行機って、たくさんあると思うんですが)
NATOのコードネームはフィッシュベッド(Fishbed、魚類の化石が多い堆積層の意)。
MiGと名付けられた「MiG1」が歴史上初めて登場したのは1940年です。
戦闘機としてのMiGはMiG35までがあり、初飛行は2007年ですが、
ソ連はその間崩壊などによる財政難もあって、何度も開発が途切れています。
この21が制作されたのは1955年で初運用が1959年のことですが、
初生産から15年位樹経って一つの完成形を見たのか、このタイプは多くの派生形を生み、
なんと社会主義国を始め60カ国以上の空軍で採用されました。
なんとアメリカ空軍でも採用されて空戦訓練などに使われていたそうです。
ここにある21型は、ポーランド空軍で運用されていたもので、MiG-21PFM型。
ワルシャワ防衛のための迎撃機という役割を担っていたそうです。
ところでどうしてわざわざ視認性の高い虎の絵が描かれているのでしょうか。
皆さんはNATOタイガーアソシエーションという言葉を聞いたことがありますか?
これは、一言で言うとNATO参加国の空軍同士の連携を強めるために、
フランスの防衛大臣が提唱して1961年に結成され、2015年現在に至るまで
存続している非公式な組織です。
参加部隊はヨーロッパのすべての国からと、名誉メンバーとしてアメリカ、
カナダ、インド、スロバキアからの空軍から選出され、彼らは年一回、
TIGER MEET
と称する合同演習を持ち回りの主催によって行っています。
今調べたところ、ポーランドはこの主催になったことも開催国になったこともないのですが、
このタイガー・ペイントは、タイガー・ミートで飛行させるためだけに施されたそうです。
タイガー・ミートのページを見ると、2015年度のタイガーミートは、
5月に初めてトルコのコンヤ基地で開催され、無事終了したということでした。
この飛行機はイントレピッドにポーランド国民から、という名義で寄贈されています。
Mikoyan Gurevich MiG-17 (NATO code name Fresco) 1952
先ほどのトラ柄の隣に仲良く並んでいるこちらのMiGは17型。
トラと反対に、思いっきり視認性を低くすることを意識したペイントです。
先ほどの21から先っちょの三角をとったら21になるという感じのノーズですが、
ノーズがインテイクというこの形(Fー8クルセイダーみたいな)の嚆矢となったのは
もしかしたらMiG-17だったのでしょうか。
ソ連のMiGとアメリカのファイターはお互いに相手に勝つために
開発競争が行われ、その結果機能が向上していったという歴史があります。
この先代であるMiG-15の出現は、アメリカをはじめとする国連軍に衝撃を与え、
第二次世界大戦では無敵だったあのB-29がMiGー15の前に多数撃墜されて、
制空権も一時は揺らいだというくらいでした。
これに対してアメリカ軍が投入したのがF-86セイバーです。
それからというものMiG-15とセイバーはシーソーゲームのように制空権の取り合いを演じ、
実際に制空権の行方は頻繁に南北を移動するほど、激しい戦いとなりました。
セイバーだけで見ればMiG15のキルレシオ(撃墜比率)は4:1というのがアメリカ側の数字ですが、
このセイバー以外の航空機、例えばB-29などは勘定に入れていないので、
アメリカ側のMiG-15による全体の被害は、結構甚大なものであったということになります。
ちょっと面白かったので少し余談を。
MiG-15のためにF-86が投入されたにもかかわらず、実際に会敵する機会が少なかったので、
この両者が朝鮮戦争でガチンコ交戦した回数はそんなに多くないそうです。
しかも、MiG-15が上昇力と高高度での運動性に優れていたのに対し、
F-86は急降下能力と低高度に優れていたため、両者が交戦に入ると、常に
MiG-15は上昇しF-86は急降下して(自分の得意な駆動で空戦に持ち込もうとするので)
戦闘が成り立たなかったこともその理由の一つでした。
「敵機発見!」「空戦用意!」
きゅいいいい====ん(セイバー)↓
くおおおお~~~ん(MiG)↑
「・・・あれ、あいつどこいった?」
「上昇していったらやられるからここにいよう」
「降下したらやられるからここで待つか」
「・・・・・・」「・・・・・・」
「じゃ交戦不成立ってことで!」「帰投!」
みたいなことが度々あったってことなんですね。微笑ましい。
それはともかく、小型・軽量の単純な機体に大出力エンジンを搭載する、
という画期的なコンセプトで衝撃のデビューをしたものの、
これといった戦果をあげていないのがMiG-15でした。
MiG-17はその不備を補う形で開発され、朝鮮戦争に投入されたのはほとんどこちらで、
MiG-15には
「ガガーリン(宇宙飛行士)が事故死した飛行機」
という忌まわしい名称だけが残されているといった状態です。
ガガーリンの事故死も実際の原因は明らかになっていないのだそうですが、
(最新説ではあるソ連の英雄が無断離陸したスホーイとニアミスしたというもの)
MiGー15の機能そのものはそんなに欠陥があったというわけではなく、
つまりパイロットの練度にことごとく問題があったのではないかとされます。
先日お話しした「欠陥機」クーガーで、MiGを何機も撃墜した米空軍パイロットは
機体の不備を根性で跳ね返すだけの技量を持っていたというのと反対で、
その時の軍のマンパワーというのは、時として機体の性能の評価さえ変えてしまう、
ということではないかと思いました。
ところでMiG-17ですが、多数生産され、30以上の空軍で採用されたというモデルです、
ベトナム戦争ではその駆動性と攻撃力は多くのアメリカの戦闘機を上回り、
北ベトナム軍からはMiGー17パイロットに4人のエースが生まれました。
NATOはMiG-17に「フレスコ」というコードネームをつけましたが、北ベトナム軍は
塗装していないシルバーのMiG-17を「銀ツバメ」(シルバースワロウ)と呼び、
カモフラージュ塗装されたものを「スネークス」と呼んでいました。
ここにある機体は2007年にイントレピッド博物館が手に入れたもので(経緯は不明)
北ベトナム空軍のカモフラージュ塗装を施された「スネークス」です。
最後に外国機つながりでもう一つ。
Aermacchi MB-339 1979
デザイン的になにか家電ぽい軽さとえもしれぬ洗練を感じさせると思ったら、
やっぱりイタリア製の飛行機でした。
イタリア国旗の三色があしらわれたブルーは、
フレッチェ・トリコローリつまり「スリーカラードアロウ」(三色の矢)
というイタリア空軍のアクロバットチームのための塗装です。
アエルマッキは高等練習機であり軽攻撃機で、駆動性が良いため、
アクロバットチームに採用になったようです。
ところでアエルマッキではありませんが、フレッチェ・トリコローリで検索すると
恐ろしい航空ショーでの事故映像が出てきます。
1988年8月28日にドイツのラムシュタイン空軍基地で演技中に空中衝突を起こし、
フィアットGー91戦闘機3機が墜落。
墜落した機体のうち1機が観客席に飛び込み、地上の観客と
パイロット合わせて75名が死亡、346名が負傷したという大事故でした。
続く。