さて、MiG2機とエタンダール、外国機をご紹介した後は、
おなじみ(わたし的に)米軍機の残りと参りましょう。
甲板に展示してある航空機の数々。
ここに限ったことではありませんが、外に航空機を展示するということは、
そのダメージの速さを考えると、それ自体がチャレンジです。
その補修を常に行い、展示機の状態をメンテナンスしているのは、
ここイントレピッド博物館においてもボランティアの技術者たちです。
専門の航空機整備とはまた別の技術が必要となるため、彼らはそのために
治金学や航空機内部の化学的反応とその変化などを学ぶことになります。
彼らはダメージの種類を特定し、それに応じてその部分を修復していきますが、
所有機が沢山あるイントレピッド航空博物館においては、
それは半永久的に終わることのない仕事です。
彼らは常に甲板上で仕事に当たっていて、その作業を見せることも「展示」の一種である、
とイントレピッドのHPには書いてありますが、
わたしが行った時には整備中の機体だけがテント内にあって(シコルスキー)
作業をしている人はいませんでした。
Douglas/XBT2D-1 Dauntless II (A-D1Skyraider)
(以下延々とドーントレスではなくアベンジャーの説明がされているわけは
コメント欄にて<(_ _)>)
さて、イントレピッドのHPには、
「アベンジャーからブラックバードに至るまで」
という決め文句が書かれているのですが、アベンジャーがこの中で一番
「古い」という意味だったりするんでしょうか。
アベンジャーを設計したのはリロイ・グラマン(1895-1982)。
グラマン社を創立した実業家でもあり、テストパイロットでもありました。
wiki
ガレージで車の整備から始めた彼の会社は、航空機製造会社として
第二次世界大戦開始時には一定の評価を得ていました。
(大企業とはしかし見なされているわけではなかったようです)
しかしフランスとイギリスが参戦することが決まった頃、グラマン社は
それまでの流れを一気に変えるヒット作品を生み出しました。
F4F、ワイルドキャットです。
ついで名機F6Fヘルキャットを生み出したグラマンと協同経営者が、
戦争の拡大によって最大の大きさをもつエンジンを搭載した飛行機にチャレンジし、
その結果できたのが、このアベンジャー、TBFでした。
因縁というのか、グラマンがアベンジャーのお披露目を行ったその日、
日本軍が真珠湾を攻撃しました。
TBFの愛称が「復讐者」となったのはこのためだという噂もありましたが、
実はこの名称は真珠湾攻撃の2ヶ月前には決定されていたのだそうです。
一体何に復讐するという意味だったのか。
アベンジャーは「雷撃機」です。
日本でいうと「艦攻」にあたり、「天山」とか「九六式」などがあるわけですが、
アベンジャーは艦爆のような急降下爆撃もすることができたといいます。
日本では「艦攻乗り」と「艦爆乗り」は明らかに気性が違う、と、
元海軍の脚本家、『連合艦隊」「大空のサムライ」なども手がけた
須崎勝彌氏が、彼らの佇まいを見て
「艦攻乗りは紳士的、艦爆乗りは気性が荒い」
と分析していたという話を昔したことがありますが、これでいうと
アベンジャーに関してはその「性格分別」はできないということになります。
そうそう、アベンジャーというと思い出すのが「バミューダトライアングル」ですよね。
(そうなのか?)
1945年12月5日にバミューダ海域を5機の本機が飛行し、
遭難事故を起こしたことが消失事件ということになっているようなのですが、
そもそもこのバミューダ海域での事故の多くは、悪天候時に起こったものや操縦ミス、
計器の確認ミスであり、遭難が他の一般的な海域よりも多いという事実はなく、
アベンジャーの事故は、悪天候に加えてパイロットの訓練不足が重なり、
彼らが方向を見失ったことで起きたものだと現在では考えられているそうです。
その他のエピソードとしては、イントレピッドのHPに、
「知っていますか?」
「アベンジャーにはジョージ・ブッシュ元大統領が乗っていました」
と書いてあります。
もちろんパパ・ブッシュの方ですが、彼は海軍に志願し、
アベンジャーのパイロットとして、空母「サン・ジャシント」乗組でした。
パイロット時代、ブッシュは二回撃墜されていますが、二回目は同僚が全員戦死し、
一人で海を漂流しているところを潜水艦に救助されて、命を永らえています。
この時にブッシュが生きのびたことで、その彼がアメリカ大統領になり、
イラク軍のクェート侵攻に介入して湾岸戦争に参加し、その息子がイラクに軍を侵攻させることも、
全て決まったということになるんですが、ふと、
「ブッシュが死ななかったことで直接間接に死ぬことになったアメリカ人は何人に上るのだろう」
などということを、ふと考え込んでしまいました。
このときブッシュが死んだとしても、別の大統領が別の戦争を起こしていたことは、
アメリカという国の成り立ち自体を考えても、間違いなかったとは思いますが。
Vought (F8U-1) F-8K Crusader 1957
このヴォート・クルセイダーについては一度お話ししているので
そちらを読んでいただくとして、このシャーク塗装ですが、
目が変じゃないですか?
前方の男性の立ち位置から見るとそうでもないこの目、この角度から見ると
まるでニヤついているシャークに見えてあまりかっこよくありません。
元々こうだったのか、ここで塗装された段階でこうなってしまったのか。
去年パシフィックコーストで見たクルセイダーは凛々しい顔をしています。
もしかしたら、この角度から見たらカッコよく見えるように描かれているだけで、
真横から見ると皆同じっていうオチ?
さて、以前のエントリでは主にヴォート社の救世主としての面を
あつーく語ってみたわけですが、よく考えたらこの飛行機は
すごいタイトルを持っていたんですねー。
単座で音速を破った最初の飛行機
というものです。
変な形してますが、こう見えてすごかったんですね。
1955年3月25日、クルセイダーは、処女飛行で音速の壁を破りました。
イントレピッドもこのF-8を艦載しており、イントレピッドを飛び立った飛行機の中で
その歴史上一番速かったのがやはりこのクルセイダーだったということになります。
アメリカ海軍と海兵隊がどちらも運用し、ベトナム戦争にも参加しています。
1968年9月19日のこと。
イントレピッドのパイロット、VF-111(サンダウナーズ)のアンソニー・ナージが
サイドワインダーミサイルで北ベトナム軍のMiG-21を撃墜しました。
(あれ、このこと前に書いたな。ナージ大尉ってイントレピッド乗り組みだったんだ)
今ここにあるのは、その時にナージ大尉がイントレピッドから飛び立った、
まさにそのクルセイダーであるということです。
McDonnell (F3H-2N) F-3B Demon 1956
この角度、後ろのビルも含めて我ながらいい構図ではないかと思ったりするわけですが。
ちょっとファントムと似てるなあと思いません?
わたしなど、うっかりこれもファントムだとサムネイルだけ見て思ってしまい、
また部下に面倒をかけるところだったのですが、それもそのはず、
ファントムIIはこの機体のデザインをもとにしているんです。
こちらは当初不良品のエンジンを積んでしまったせいで「ウィドウメーカー」、
後家作りなどと不名誉なあだ名がついたこともありましたが、その件も含め
反省点は全てファントムIIの製作に生かされたうえ、製作台数も400台を超えるなど、
多くの部隊で運用されるだけの実力がある飛行機であったと言えます。
しかしそれにしてもこの名前ですがね。
デーモン。悪魔ですよ悪魔。
余談です。
存在しないアドレスにメールを送った時に来る「Mail Daemon」というのを
「Mailの悪魔より」だと思っている人も広い世の中にはいるかもしれませんが、
こちらは悪魔じゃなくてむしろ「守護神」って意味なんです。
「だえもん」じゃなくてダイモーンって読むんですよ。覚えておいてね昔のエリス中尉。
それはともかく、なんだってこんな中二病的な名前をたかが戦闘機につけたのか。
中二の人たちが「悪魔」いうのとは全く意味的に違い、英語圏の皆さんには
「悪魔」というのは絶対悪として忌むべきものと認識されているはずなのに。
そこで今思いついただけなので、間違っていたらすみませんが、
わたしが間違えた「ファントム」(幽霊・亡霊・アンデッドモンスター)というのは
この「デーモン」シリーズの勢いで付けた名前だったんじゃないでしょうか。
「デーモン」「ファントム」ときたら次は?
それこそ「ダイモーン」とか?
とにかく「ルシファー」とか「リヴァイアサン」が出来る前にシリーズ終了して良かったです。