今年も恒例の秋田県大曲花火大会に行ってまいりました。
雨に降られながら地面に座って耐えた総火演から帰ってきて、
1日の休憩を挟んだのみで、またしても野外イベント。
天気予報は雨(笑)。
実は先日裏米において、
「忘れたチケットを慌てて取りに戻るなど(勝手ながら)事故でも起こしたら?と心配です。
ブログの為ばかりでは無いのでしょうけど、UPなど休んだら如何でしょうか?
花火会場の方も台風が影響して来るのでは無いでしょうか?
余り頑張り過ぎない様に、と思いますが」
というご心配をいただきました。
・・・・自分で思うよりずっと、わたし、疲れてる?
と少しハッとせずにはいられませんでした。
ブログのためというより、最近はお付き合いとかで、今年はしんどいからパス、
というわけでも行かなくなってきたというのが実情です。
この花火大会なんてまさに「お付き合い」(しかも仕事がらみ)
の最たるものですが、だからといって別に嫌々ってわけでもないんですよねー。
まじで。
今更、そんな事を気にする上官では無いのは承知しておりますが(^^)
というこの方のコメントの最後の言葉どおりでございますが、
とにかくご心配ありがとうございます。
さて、2年連続で駐車場がフルのため、飛行機に間に合わず、わたし一人が後の便で追いかける、
という愚をおかした我が家ですが、去年からはさすがにちょっとは学習して、
空港で車を預かって到着したら持ってきてくれるサービスを利用しました。
一泊4千円を高いと考えるかどうかですが、飛行機代と現地までの新幹線代を
無駄にすることを考えれば、傷害保険のようなものです。
9時過ぎの便に乗って秋田まで無事に到着し、駅ビルの比内地鶏の専門店で
親子丼のコースをお昼にいただきました。
しっかりした味の鶏肉とふわトロたまごの丼はもちろんですが、
付け合わせのジュンサイがとても美味しかったです。
秋田駅での集合時間まで間があったので、ホテルにチェックインできるまでの間、
買い物をした後茜屋珈琲店というレトロな雰囲気のお店で休憩しました。
甘いもの好きのTOが頼んだオリジナル手作りテョコレートケーキ。
ブラウニーより粉が少なくて生っぽいケーキでした。
わたしは久しぶりにスターバックスのではない「本格的なコーヒー」を飲みましたが、
このお店は秋田では有名な「老舗」だそうで、チェーンの店に人が流れ、
次々と潰れていくその他の喫茶店の中で唯一生き残っているのだとか。
さて、待ち合わせ場所に集合したのは主催者の家族を入れて全部で8人。
1年前から予約してあった「こまち」に乗って大曲まで30分くらいでしょうか。
「ジャパンレッド」と自称する新幹線の赤が美しい。
やはり日本を象徴する色、それは「赤」ですよね。
オリンピックのロゴも、ボランティアの制服も、なぜそうしないのか。
わざわざ黒で喪章みたいにしたり、青を基調にしたがるのか(棒)
前日、「昼には雨は止んで夜の花火大会には支障なし」と聞いていたため、
それならばと総火演で活躍した「雨の野外イベントセット」、特にゴアテックスのコートと
陸自迷彩の完全防水ポンチョを洗濯して干したまま置いてきてしまったのですが、
その情報と判断は全く間違っていました。
最悪の場合を予想して、「世界一楽な靴」を目指して生体力学的に研究された
ミッドソールを使用しているというのが売りの「フィットフロップ」を、
アメリカで安く(50ドルくらい?)手に入れておきこれを履いていったわけですが、
いかにサンダルでも、おろしたての靴で河原の泥の中を歩くのは心が痛みました。
タクシーの中で、
「あーあ、この靴濡らしたくなかったなー」
とぼやくと、その他2名が同時に
「じゃ履いてこなきゃいいのに」
と責めるので、
「だって昼から止むってデマを流す人がいたんだもん」
と口答えすると、運転手さんが噴き出しました。
これだけコンピューターで天気が予報できる時代になっても、本当に正確に
時刻までを予報することは雲が実際に動く直前までできないんですね。
昼で止むどころか、雨は会場に着いても酷くなる一方。
幸い主催者の方が今回は升席の一番後ろ、審査員席の並びを取ってくださっていたため、
傘をさすのも立ち上がるのも自由。
さすがに自衛隊イベントとは違い、皆傘をさしています。
その間も昼花火の部の打ち上げは粛々と続いていました。
大曲の花火は土砂降りでも中止になったことはありません。
「よほどの場合」、つまり台風直撃とかいう事態にもならない限り。
この1日のために大曲という町は存在しているようなものですし、(多分)
「全国花火競技会」という名目が示すように、これは「コンテスト」、
総理大臣賞などが出される権威のある競技会であり、また、花火会社にとっては
翌年の仕事を獲得するための「宣伝活動」でもあるのです。
雨をざーざーと受けながらも、同行の方がアプリで雲の位値を逐一、
「今雲が右手に動いているからもうすぐ晴れます」
などと報告してくださっていたのですが、なんと奇跡的に
夜花火が始まる寸前に雨は完璧に止みました。
とたんに同行の人々は、黙々とタオルでシートの上を拭いては、後ろの通路外に
絞って捨てるという作業に取り掛かりました。
こんなところでも「最後列でよかった」と思わされました。
どうして主催者の方が今年最後列を選んだかというと、
開始と同時に現れるこの「ナイアガラ」全景が見られるからだそうです。
だてに審査員席と並んでいるわけではないのです。
しかも、最後列なので立ってもOK。
小さなパイプ椅子に座っていても後ろの迷惑になりません。
というわけで始まったのですが、まだ雲が切れていないときに上げた花火は、
上がガスで切れたり(左)下に雲が残っていたり(右)。
花火そのものを評価しようにもこの状態ではわかりませんよね。
例年何処かが行う「小花の散る様子」。
こういうのも実際に見ているのと、写真に撮ったのでは
花火師の「意図」の伝わり方が全く違うことに気がつきました。
大曲の花火大会は「日本三大花火」、(大曲、土浦、長岡)のひとつで、
明治43年に最初の大会が行われてから今年で第89回を迎えました。
三大花火の中でも規模、権威共に日本一の花火大会だそうです。
5年前に「始まってから100年」を迎えており、つまりこれは「よほどの場合」の中止と、
戦争の間中止された大会が15回あったということになります。
戦後大会は再開されましたが、特に戦後の混乱期、わざわざ見に来るのは
地元民、花火業者と、よほどの花火通を自認するような花火愛好家だけだったそうです。
しかし大曲が「町おこし」としてこれを宣伝したところ、近年になって観光客が激増しました。
毎年この1日のためにキャンプで場所取りをする人々すらでる始末。
wiki
付近住民とのトラブルが相次ぎ、抽選での整理券制度にしたり、
対応をしているそうですが、無断駐車の問題を含め、全く追いついていないそうです。
わたしたちはスポンサー会社のご招待の桟敷席という待遇なので
毎年ありがたく利用させていただいていますが、もしこんなことまで
しなくてはならないのなら、まず行こうという気すらおきないでしょう。
ところで、競技会であるこの花火大会、一つの業者は演技に際して
最初に「規定」となる10号割物といわれる10号玉を2発あげます。
真っ芯円に美しく開くこととその形を競うわけです。
見ている人の中には大きな声で「ああ〜残念」「形がどうこう」などと
論評する人が必ず周りに一人はいるのですが、その人たちがいうように、
「残念な花火」は写真に撮るとそれが一層よくわかるのです。
シャッターの解放が短くて開ききっていませんが、たとえばこれ。
明らかに歪んでいるのがお分かりでしょうか。
実は今回、終わってから、新幹線待ちの時間に町が提供している「休憩所」にいると、
「最近の演技者は、小手先の技術ばかりで、10号玉を丸くあげることもできないのが多い」
などと、お怒りの花火愛好家がいたそうです。
去年に比べて、三角や四角、動物といった変わった形を上げたり、
見た目に面白い(が、美しいというわけではない)花火がぐっと減りましたが、
それでもこういう「通」の方には本道を忘れている、と見えたのかもしれません。
写真を撮って初めてわかった、花びらが散る様子の表現。
ともかく、その方の嘆く「年々質が低下している」わけがあるとしたら、
NYの寿司屋の花板さんが嘆いていたところの
「職人を目指す若い人が続かない」「結果が出ないとすぐに辞める」
「怒られたり殴られでもしたらすぐに親が出てくる」
というあたりではないかとわたしは思います。
ブラック企業、などといって企業のモラハラ、パワハラ、労働環境の悪さが
糾弾される現代においては、徒弟制度における職人の扱いなどを、
ブラックそのものに捉えて、これを忌避する若い人が増えているといいます。
さらに、親方から口だけでなく手や脚を出されて鍛えられてきた職人自身が、
辞められるのを恐れて(そして世間的に悪いことになっているため)、
弟子を叱責することさえはばかるような傾向が、どんな職人の世界にも蔓延しているとか。
個人の人権みたいなことを考えると、どちらがいいのかはわかりかねますが、
そういった厳しさで鍛えられることの減ってきた職人の世界から生まれてくるものが、
昔とは変質してきているとしても、それはごく当然のことのように思われます。
ところで、写真について。
わたしは今回いつものNikon1に三脚ではなく、1脚を持参しました。
シャッターをバルブにして、F8から13くらいの間をうろうろ、
その都度いろいろ試しながら撮っていたのですが、何しろ最後の花火の撮影は
ちょうど1年前、という状態なので、悲しいことにすっかり要領を忘れてしまい、
前半これすべて悪戦苦闘でした。
これなんか、形が歪んで色がはみ出しているのもよくわかりますね。
それはともかく、なかなか決まらないなあとイライラしながら撮っていたわけです。
まったく、花火は撮影などせずに、この目で見るものだと毎回思うんですけどね(笑)
しかも、またしてもわたしならではのミスをしてしまいました。
何かの手違いで、充電したはずのバッテリーが充電されてない(汗)
当然早い段階で電池がなくなり、スペアを入れ替えたところ、
こちらも充電したはずなのになぜか(なぜ?)残り三分の一しかないのです。(大汗)
すぐにスペアのバッテリーは切れてしまい、わたしは仕方なく、
ソニーのコンデジRX-100を投入しました。
一脚をNikon1から付け替えて、ほとんどしたことのない
設定調整をマニュアルでしながら撮る覚悟です。
戦艦の砲弾を補給し忘れ、それも尽きて、駆逐艦を単騎敵艦隊に突っ込ませるみたいな?
ところが・・、
これ、Nikon1の画像よりうまく撮れてないか?
これは花が羽の付いた種子を飛ばしている様子を表現していて、
花から放たれた種についている羽の細部まで再現してあるのですが、
明らかにこちらの方がそういった部分をきっちりと捉えることができているのです。
このデジカメのマニュアル設定などいままでしたことがなかったのですが、
急いで確認したところISO感度80という設定ができることに気がつきました。
Nikon1の最低ISO感度は120が下限です。
Nikon1でなかなかうまくいかなかったのはもしかしてISO感度の下限のせい?
自分の不勉強を棚に上げて、そんなことを考えました。
それにしても、花火がどんどん進行する時間との戦いの中で、遂に最後まで「bulb」、
つまり押している間だけシャッターが開く設定を見つけることができないまま、
撮りまくった(しかも絞りの変え方もわからずF5.6のままorz)わりには、
明らかに花火らしい写真が撮れている気がするの。
冒頭の写真など、開ききった先端まで綺麗に写っていて、
自分で言うのもなんだけど、まるでパンフレットの写真みたいでしょ?
これは、今年の流行りというか、中央の光を中心に、花びらがだんだん開いていき、
円になる途中過程ですが、これも・・・・。
このように先端のふくらみの部分まで綺麗に撮れたのはNikon1では一つもありませんでした。
これは確かガーベラの花を再現していたプログラムです。
規定とちがって、自由演技は打ち上げられる範囲が広く、
カメラをあちこちに動かさなくてはいけないので、一脚を使ってみましたが、
特にコンデジだとブレやすいのは否めませんでした。
これはぶれずに三重に開いた花が撮れた例。
1脚はぶれる、3脚は動かすのが大変、手持ちは論外。
本当に花火の撮影って難しいですね。
しかも当方、一年に一度、大曲でしか撮らないので余計に・・・。
企業提供花火は前年度優勝者が請け負います。
今年のわたしたちのツァー主催者の企業提供花火は、同業2団体での
呉越同舟提供花火であったわけですが、
欲目なしで大変素晴らしい演技だと思われました。
演技終了後、主催者の方がつぶやいた一言。
「どちらも300万ずつ、計600万円の花火です」
同業他社で共同打ち上げというのは、金額を競争でエスカレートさせないためにも
いい案なのかもしれません。
うーん・・・・やはりISO感度80設定のあるRX-100の勝利?
あまりのことにショックを受け、帰りの飛行機の中でコンデジを仔細に点検したら(笑)
なんとおまかせシーンに「花火」というのがあったのに気づきました。
そういえば最初の年はこれで撮ったんだった。
それを見ると、たまたま偶然、その設定と全く同じ露出と
シャッタースピード(スピード2”、F5.6)で撮っていたことが判明しました。
まあ要するに、苦心しながら現場で短期間に設定したのが、
まぐれ当たりだったってことです。
仕方なく投入した駆逐艦の照準が敵戦艦の急所を撃破したって感じ?
しかもこの駆逐艦、「島風」か「涼風」なみの火力であったと・・。
弘法筆を選ばずと申しますが、カメラの質ばかりが写真を決めるわけでもない、
とわたしはあらためて思ったのでした><
というわけで特にわたしにとっては全プログラムあっという間に終わり、
恒例の「花火師たちとのエール交換」の時間。
最後の演技で「秋田県民歌」を織り込んだ「いざないの街」は
もうすっかり歌詞も・・・まあ、ところどころ歌えるくらいおなじみです。
いざないの街 /津雲 優
「秀麗無比なる 鳥海山よ
狂瀾吼え立つ 男鹿半島よ
神秘の十和田は 田沢と共に
世界に名を得し 誇の湖水
山水皆これ 詩の国秋田」
本日の観客は去年より1万人も少なかったそうですが、それでも71万人。
1万人の違いは、たとえば終わってから会場を出るまでの時間の短さや、
休憩所でのお手洗いの列の少なさなどに現れていました。
というわけで、今年もこれで「〆」のババヘラアイス。
ババがヘラですくわないといけないので、売り子さんは年齢制限あり。
見たところ「若いババ」より、「いかにも婆なババ」の売り子さんには
長い列ができているようでした。
売り手が老けていれば老けているほどお値打ちが出る、特殊な商品です。
休憩所に花火の資料と共にあった「鑑定士名鑑」。
大曲が主催する講義を受け、ペーパーと実技(映像を見て種類を当てる)の
試験を受け、合格すればこの資格がもらえ、名前を記載してもらえます。
持っていたからといって競技会の審査には全く関与できませんが、
花火大会で蘊蓄を語って周りを感心させるくらいの役には立ちそうです。
何と言っても、知識があれば花火を観る楽しみも一層増すでしょう。
大曲の花火の終了を待っていたかのように台風がやってきそうです。
いつの間にか夏の終わりを総火演とこの花火で迎えるようになった我が家です。