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チカソーとヒューイ・ファミリー~イントレピッド航空宇宙博物館

空母「イントレピッド」航空宇宙博物館の展示機、回転翼と参ります。

Sikorsky (HRS-1) H-19 Chickasaw 1950

最初に「イントレピッド博物館」について書いた時に、このシルエットを
艦外から見て、

「あのおにぎりシルエットはシコルスキー”チョクトー”」

と断言してしまったのですが、とんだ大間違いでした。
「チョクトー」ではなくて「チカソー」だったんですね。

なんだチカソーって。

S-58の「チョクトー」がインディアンの部族名なので、当然ながら
このチカソーもそうであろうと思い調べてみたら、チョクトー族とは
大変似た言語形態を持っているけど全く別の部族であるということでした。

アメリカという国におけるネイティブインディアン出身の人たちが
どういう位置付けでどうみなされているのかということについて
わたしたちはあまり考えることもないわけですが、wikiなどを調べてみると
部族ごとに彼らはコミュニティなどを持っており、部族出身の有名人なども
わかるようになっています。

たいていの場合ネイティブアメリカンは侵略「された方」で、たとえば
このチカソー族なども、住んでいた領地を巡ってフランスからの入植者と
イギリスからの入植者が戦闘を繰り広げた、などという過去を持っています。


回転翼というのは第二次世界大戦中から研究は続けられていましたが、
実際に運用が本格的に始まったのは戦後です。

アメリカ軍は兵員の輸送を目的にヘリコプターの開発を進めていました。
シコルスキー社に対して出された要求はつぎのようなものです。

乗員2名・兵員10名あるいは担架8台を搭載して、
340kmの距離を飛行できる機体

この要求に応えてその前のS-51(定員2名)を発展させた形で作られたのが
このS-55シコルスキー「チカソー」でした。

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「きかんしゃトーマス」のハロルド。
ハロルドの登場はいつからかはわかりませんが、「きかんしゃトーマス」は
1945年から原作が連載されていたというので、ヘリコプターのキャラクターを
登場させる時に「チカソー」がモデルになったというのは時期的に納得できます。

ところで今ハロルドの画像を検索していて、”きかんしゃトーマス”を
イケメン軍団にしてしまった萌えを発見してしまいました。
ハロルドさんは全身白のスーツに身を固め、ヘリだけに”上から目線”のお兄さんに・・orz

話が盛大にそれてしまいましたが、なにしろ子供に絶大な人気のある
アニメキャラのモデルになるくらいですから、チカソーというのは
ヘリコプターの中でもパイオニア的存在であったということでもあるのです。

何が偉大だったといって、ヘリコプターが輸送にどれだけ役に立つかということが
初めてこの機体で証明できたということでしょう。
飛行時間も、床の下に設置された巨大な燃料タンクのおかげで飛躍的に伸びました。


わたしが間違えた「チョクトー」は、「チカソー」の機体を大きくして、
エンジン出力も大きくしたというだけの違いなのです。
間違えてもこれは当たり前ですね!(大威張り)

「チカソー」が製造されたのが1,828機、「チョクトー」はさらに2,261機と、
いわばヘリコプターという航空機の成功を物語る数字です。
「チカソー」の100機以上が軍用され、海軍、海兵隊、沿岸警備隊仕様となりました。
商業用としては一時期ヨーロッパで使われていたこともあります。

ここにある機体は、海軍のレークハースト(ニュージャージー)にあった
ヘリコプター部隊「Two "HU-2"」、通称「フリート・エンジェルス」の仕様機です。

日本では海保が2機を所有したのを始め、三菱がノックダウン生産をして
民間仕様だけでなく全自衛隊が運用していました。

1959(昭和34)年の伊勢湾台風の際に、陸自のヘリが取り残された人々を救い出しました。
この時にヘリコプターの救助能力の高さが世界に知られることになったいう話もあります。

先日の鬼怒川決壊の時にも陸自のヘリがテレビカメラの前で人を救出し、


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こちら、

Bell AH-1J Sea Cobra 1971、

向こうは

Bell UH-1A Iroquois “Huey” 1959。

コブラはコブラでも「シーコブラ」、スーパーコブラでもあります。
シーとついているからにはやはりこれは海兵隊仕様ですね。

チカソーやチョクトーが輸送という点で安定したころ、やはりというか軍関係者から、
ヘリコプターで攻撃もやればいいんでね?という話が出てきました。
(かどうかはわかりませんが状況判断でそうだろうと思います)

そこで「攻撃型ヘリ」というジャンルを、1960年初頭から陸軍が開発しようとしました。
しかし、なぜか空軍は「攻撃ヘリ」という概念に否定的でした。


こういうのの裏にも、「空を飛びなから攻撃をするのは固定翼でないと」、
つまりそれは空軍の仕事だ!みたいなセクショナリズムがあったのかもしれませんが、
それより何より、攻撃ヘリの開発に消極的になる理由というのはただひとつ。
ヘリコプター自体戦場からの離脱が固定翼より容易でなかったからです。

輸送ヘリにさらに銃器類を搭載して「ガンシップ」としたのですから、当然機体は重くなり、
逃げ足が遅くなったことで、ベトナム戦争での当初の損失率は大変高いものでした。



それでもなんとかベトナム戦争中に損害を受けにくい仕様の攻撃ヘリを投入したい、
ということで、陸軍は各ヘリコプター制作会社から候補を選出しますが、
結局その中からベル社の試作品が最終的に選ばれ、エンジンは強力だけど軽いその機体に

AH-1G ヒューイ・コブラ

と名付けられて最初の攻撃ヘリとなったのです。
エンジンはヒューイと同じもので、開発からわずか6ヶ月でベトナム戦争にデビューしました。

今回アメリカから帰る直前にテレビでメル・ギブソン主演の
「We Were The Solders」(日本題”ワンス・アンド・フォーエバー。なんで?)を観ました。
最初にアメリカ軍が北ベトナム軍との間に地上戦闘を行った一日を描いたものですが、

「これが君たちの”ニュー・ホース”(新しい馬)だ」

と、ヒューイが紹介されているシーンが最初のほうにありました。

ふと気づけば隣に置いてあるのも「ヒューイ」なわけですが、
このコブラも、

「ヒューイ・ファミリー」

と言われる一連のベル社のシリーズの一つなのです。
もちろんそれまでのヒューイ・ファミリーとは、タンデムコクピットになり
機体が薄くなったことで(攻撃がヒットする確率を減らすため)形態は一新しましたが。

ちなみに前にもお話ししましたが、「ヒューイ」は、最初に部隊に配備された型番の
「HU-1」の「1」を「I」と読んで、 「HUI」→「ヒューイ」となったという経緯があります。

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今でもヒューイと呼ばれる本家ヒューイ、イロコイ。
アメリカではほとんどがブラックホークに置き換わっていっているそうですが、
自衛隊ではバリバリの現役で、総火演や訓練展示でもお馴染みです。

ヘリコプターで攻撃をすることにこだわった陸軍は当然ヒューイに
重武装を積ませてガンシップにしようとした時期があります。

ちょっと興味深いのが、ベトナム戦争のときに搭載していたドアガンの名前が

「サガミ・マウント」

といったらしいんですね。
サガミったら富士総合火力演習のあるのも相模だったりするわけですが、
この命名は、どうやらこのシステムが

相模総合補給廠

で研究開発されたためではないかということになっているようです。
ガンシップや対戦車ヘリにする試みは長らく続けられましたが、
だいたい先ほどの理由で、コブラにその役割は完全に移行しました。

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日本の誇る偵察ヘリ、 OH-1は武器を搭載しないのだろうか?
という疑問が時々あるようですが(知恵袋とかで質問されているのを見たことあり)、
ヒューイを武装ヘリにするために色々と苦労した経緯を見るに、一言で言うと

「機体が軽くて重い武器を積めないからダメ」

ということなんだろうと思います。
宙返りもできなくなってしまうしね。

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甲板の回転翼、最後はこの

Sikorsky HH-52A Sea Guardian 1961

湾岸警備隊が運用しているだけあって、「シーガーディアン」(海の守護者)。
検索するとHh-52Aは「シーガーディアン」じゃなくてただの「シーガード」なんですが・・。
これ、どちらかが間違っているってことですかね?

このシーガード(どっちでもいいや)、このエントリ的にはたいへん美しく収められるので
たいへん嬉しいことに、「チョクトー」と「チカソー」を土台にして作られました。
この角度からはよくわかりませんが、機体の底が船のような形をしているので、着水もできます。

日本でも海自と空自で救難ヘリとして運用するために輸入し、三菱がノックダウン生産しました。
 

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おまけ*

艦橋にさりげなーくありました。

「トンキン湾」ったら、ベトナム戦争が始まるきっかけになったあれですよね?
調べたらこのマーク、

海軍第7艦隊に1961年の作戦参加から75年の撤収まで使われたニックネーム

であることがわかりました。
「ホーネット」のアイランド・ツァーで案内してくれた元艦載機ドライバー、
「Sさん」ことウィル元中尉が日本に来たことがある、というのは
第7艦隊関係であったことからだったらしいですね。 


背景の黄色にすっかり薄くなっていますが赤線三本が引いてあるのは、
当時の南ベトナムの国旗と同じにしたからだそうです。

日本をやっつけろ!→サンダウナーズ→旭日旗使用、という例もありましたが、
こういうノリ、良くも悪くもいかにもアメリカ人だなあと思います。


続く。 






 


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