今年、シルバーウィークという大型連休があることをわたしが知ったのは、
京都府の海上自衛隊地方隊に訪問することが決まってからでした。
夏の渡米前に教育航空隊基地への表敬訪問&基地見学を果たし、
その最終報告を済ませたばかりなのですが、その訪問のときにふと、
兼ねてから舞鶴に行ってみたいと思っていたわたしは、
畏れながら基地司令に舞鶴へのご紹介をお願いしていたのです。
アメリカから帰ってきたらすぐに連絡して訪問日を決めようと思っていましたが、
何かと雑事が多く、はっと気づいたときには9月の声を聞くことに。
夫婦で訪問を申し込んだからには一緒に行かねばならないのに、TOは
仕事が忙しく平日はすでに予定満杯。
そこで気づいたのが9月のカレンダーの真っ赤な部分です。
もしかしたらここは全部連休なの?(そのとき気づいた)
連休の間、紹介していただいた舞鶴の偉い人が休みなのかどうか、
シフトがどうなっているかわからないままに、
わたしはご紹介いただいた方の副官という方と連絡を取り、
訪問日を決めてから、慌てて舞鶴への旅行の予定を立て始めたのでした。
新幹線はTOが前日に取りました。(前日でもなんとかなりました)
舞鶴では車のほうが便利かと思い、京都まで新幹線、
京都からレンタカーを借りて京都縦貫道を行くことにしました。
昔は京都というのは名神高速以外高速道路の連結のない、車にとっては
陸の「半島」みたいなところだったのですが、1988年に沓掛ー亀岡間が開通し、
それから27年経った今年の7月、ついに最後の部分、京丹波わちー丹波間がつながり、
沓掛から舞鶴まで高速一本で行けるようになったのです。
(というのも車を借りてから気づいたわたしたちでした)
おかげで京都洛西から高速に乗って順調に1時間半で舞鶴に到着。
これもカード会社に依頼してギリギリに取ってもらったのは
マーレという名前の、ビジネスとリゾートホテルの間くらいのホテル。
京都はもちろん、舞鶴までの経路にあるホテルが満室で、唯一取れたのが
このホテルの喫煙可ルームでした。
しかし、この、正直全く期待していなかったホテルは、マーレ(海)
という名前通り、前面に若狭湾からさらに入り組み、まるで
鏡のように波のない舞鶴湾を望む、絶景のオーシャンビューだったのです。
海に面しているため、お風呂には大きく海の見える窓があり、しかもバスタブは
特大で、ボタン式のジェットバスという豪華?さ。
まだ明るいうちにわたしたちは代わる代わるお風呂に入り、ジェット水流を楽しみました。
晩御飯は選択の余地もなくホテルのレストラン。
ホテルにレストランが付いていることすら期待していなかったのに(笑)
ビュッフェの嫌いな我々はメニューから単品も選べるのがありがたかったです。
そこで当然のように(TOが)頼んだ、肉じゃが。(となぜか麻婆豆腐)
ところで舞鶴、とくれば海軍。海軍といえば東郷平八郎ですね。
舞鶴鎮守府の初代長官であった東郷さんが、
イギリスで食べたビーフシチューが忘れられず、
「牛肉とジャガイモと玉ねぎと人参の入った汁っぽい煮物作って。
あれ、うまかったから。艦上で食べるものにもなるし」
「といわれましても、それだけでは作りようがないのですが。
せめてお味はどんなだったとか、何かヒントは」
「甘かった」
「はい。(甘・・・・ってことは砂糖かな。砂糖を入れるのかな)」
「色は茶色っぽかった」
「はい。(・・・・醤油かな?)」
てな具合に海軍主計が悩みながら考案してできたのが、肉じゃが。
ここでも「舞鶴名物」としてメニューにありました。
ところで、今回舞鶴で買ってきた明治27年海軍が発行したこの料理本、
「海軍割烹術参考書」舞鶴海兵団長 西山保吉著
には、肉じゃがはなぜか登場しないのです。
冒頭写真はその見開きのページですが、そこには
命令 五等主計は本書に依り割烹術を習得すること
とあり、右ページの「序」には、
本書は、もっぱら海軍五等主厨教授用として編纂したもので、
他科兵種のための教科書はすでにあり、使用されているものの、
割烹の教科書だけがなかったので教育上方針の一貫を欠いていた。
本書は大体の要領を記しているだけで、もっと詳しいのは巷にもある。
本書は、准士官以上の料理を作る五等主厨のためには十分であろう。
というようなことが書かれています。
つまり、「准士官以上」用の料理本に今さら書くほど、
この時代肉じゃがは特別なレシピではなかったということでしょうか。
ちなみに、東郷さんが食べたかった「シチュードビーフ」は、
この時代にはすでに調理法が「輸入」されており、そのレシピはこう載っています。
材料は、牛肉、人参、玉葱、馬鈴薯、塩胡椒、トマトソース、麦粉である。
フライパンにヘットを少し溶かし麦粉に焦げ色がつくまで煎り、
スープで伸ばし、トマトソースを入れる。
牛肉は3センチ立法の大きさに切りフライパンで焼色をつけソースで煮込む。
人参、玉葱を適当に切って入れ、煮えたら弱火にして馬鈴薯を切って入れ、
煮えたら弱火にして馬鈴薯を切って入れ煮込み塩胡椒をして味をつけ供卓する。
トマトソースがないときは、用いなくても構わない。
夜が明けました。
ホテルから見る眼前の港は朝日に照らされて素晴らしい景色です。
「このホテルにして本当によかったね」
「こんどまた舞鶴に来ることがあったらここにしよう」
などと、ホテルに到着するまではビジネスに毛が生えた程度のホテル、
と勝手に思い込んで見くびりまくっていたのに手のひらを返すわたくしたち。
朝ごはんは外のテラスでいただきました。
全く期待していなかったリゾート気分はお得感倍増。
車が停まっていますが、ここにはカヌーのクラブがあるようです。
ホテルの売店にある舞鶴土産も、海軍色の強いものが多く、
「海軍さんのカレー」はもちろん、「舞鶴連合艦隊カレー」などが。
東郷元帥の肖像にはまるで後光のように旭日旗があしらわれています。
旭日旗でなぜか思い出したのですが、このホテルにも舞鶴の街中にも、
中国語や、ましてや韓国語の表示など全くありませんでした。
レンタカーを借りる為に京都駅に降りたとき、日本語よりも目立つ両国語に、
かなりうんざりした気分だったので、清々しい思いがしました。
旭日旗に文句をつけるような人種は、そもそも舞鶴に観光に来ることもないでしょうけど。
ところで、舞鶴の港は、終戦後、引き揚げ船が到着したことでも有名で、
今回わたしたちは「引き揚げ記念館」(仮設展示)の見学にも行ってきました。
その話はまたいずれするとして、ここには写真に写っていませんが、
「引き揚げタルト」
というお菓子があったのには少し引きました。
広島でも知覧でも「原爆おかき」「特攻饅頭」などがないように、
戦争の記憶の一環である引き揚げは、たとえば「岩壁の母」のような
悲劇も生んでいるわけですから、お菓子の名前にするのは如何なものかという気がします。
自衛隊関係のお土産も扱っていました。
ちゃんと「いずも」を一番上に全自衛艦の描かれた手ぬぐい。
「ひゅうが」「あたご」など、舞鶴所属の自衛艦のグッズ。
そして、連合艦隊の全艦艇名が書かれた手ぬぐいと・・・・
湯のみ。
お土産にこの湯のみを買って帰りました。
あらためて「大和」から始まる軍艦の名前を見てみると、
後ろの方には
「神川丸」「山陽丸」「相良丸」「讃岐丸」「天祥丸」「聖川丸」「君川丸」
などの水上機母艦、
「粟田丸 」「浅香丸」
の特設巡洋艦、
「靖国丸」(特設潜水母艦)、
「報国丸」 「愛国丸」「清澄丸」(徴用船。特設巡洋艦)
「さんとす丸」(徴用船。潜水母艦)
などまでが書かれています。
なぜか「大鷹」(空母)の名前はなく、その代わり徴用された
「大鷹」改装前の「春日丸」の名前が後ろの方にありました。
いきなりおみやげの解説から始まってしまいましたが、
このあと地方総監部を訪問し、広報自衛官や艦長、基地の「偉い人」の案内付きで、
まず自衛艦、そして海軍記念館と東郷邸を見学する運びとなりました。
というわけで、「軍港舞鶴を訪ねて」シリーズ、始まりです。
続く。