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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「しらね」の花道〜軍港の街舞鶴を訪ねて

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舞鶴地方隊の広報の方が指定してきた基地訪問時間は9時。
基地は泊まっていたホテルからは車で5分のところにあります。

海軍5分前に地方総監部の警衛門に車を向けると、まずそこにいた隊員が

 \(・∀・)カエレ!!

というふうに手を振りました。
一般公開の見学者が間違えて車で突入してきたのだと思われたようです。
あれ?段取りのいい自衛隊にしてはおかしいな?と思いつつ名前を告げると、
そこの責任者のような隊員が中に入るように指示をしてくれました。



海軍記念館の前で広報の方の携帯に電話をしたら、まさかの間違い電話。
なんと副官と広報の方の電話を取り違えて登録していたのでした。
あたふたしながら謝り倒して、当確日付のそれらしい番号に電話したら、
こんど掛かったのは空港パーキングサービスの配車係。

何をやっている。わたし。(汗)

しかも今にして思えば、広報の方は、一般の見学が始まる前に艦艇見学をするつもりで、
先に「岩壁に来るように」と言ってくださっていたような気がするのですが、
そのことをすっかり忘れてしまって地方総監部に先に来てしまったのでした。
どうりで帰れ言われるわけだ。


それからなんとか連絡がついて岩壁に向かったときには、海軍5分前の筈が5分遅刻。
岩壁の警衛門前には1時間前にもかかわらず、一般公開の開門を待つ人たちが集まっていました。


今度は帰れを言われることもなく警衛門を通って中に車を停め、エスコートの方と改めてご挨拶。
今日ご案内いただく護衛艦は「あたご」DDG177です。

「あたご」はその名前を持つ4番目の艦で、初代は旅順港作戦で沈没、
二代目はワシントン軍縮条約のため建造中止となり、三代目は「あの」愛宕(さん)。



「痛コブラと痛ニンジャ」のときにこのようなYouTubeを教えていただきましたが、
これが この日見学した「あたご」です。
この日は艦艇見学のために公開していた護衛艦が幾つかありましたが、
「あたご」 は補修作業中だったので、このあとも公開されていないはずです。



とりあえずラッタルを登りきったところで一枚。
これは「あたご」の岸壁側に繋留してある「しらね」。
そう、「しらね」は除籍されたばかりなんですね。

ところで、この画角を見て写真に詳しい方は何か気づきませんか?
そう、今回初めて、超広角レンズを投入してみたのです。

誕生日に望遠レンズをゲットしたわたしですが、やはりこのような場合
広角レンズが欲しいなあと思って探してみたら、なんとNikon1には専用の、
しかもAmazonだと大変お手頃なお値段のレンズがあったので、観艦式に備えて購入しました。

ちなみに、これが、



SONYのコンデジRX100の画像。
冒頭写真は広角レンズによるものですが、比較してみても(撮影位置が違うとはいえ)、
広角レンズは護衛艦の撮影にはもってこいという気がしました。



しかし、ほとんど予行演習なしで当日に臨んだため、こんなこともおこります。
前回お見せしたお風呂の写真。
この右上左下の黒いのはなんですか?
これが噂の「ケラレちゃったのよ」というやつですか?

同じような画像を探したところ、レンズフードが曲がっているせいとのことですが、
同じときに撮影しているのに、これがあったりなかったりなんですよ。
レンズフードだってレンズ純正のものだし、おかしいなー。



という話はそこそこにして、いまや単なる「通路」としてのみ機能している
「しらね」の甲板を歩いて「あたご」に移ります。

「しらね」の除籍は今年の3月25日。
その日、わたしがどこで何をしていたかご存知ですか?
そう、横浜は磯子のJMUで、「いずも」の就航を見届けた日です。

つまり「しらね」の後継艦が「いずも」であり、「いずも」就役と同時に
「しらね」は除籍されるということになったということなんですね。

というわけで同日、「しらね」の後釜として「ひゅうが」が横須賀から舞鶴に転籍してきました。


「しらね」は、その最後の任務も決まっていて、XASM-3、今防衛省が開発中の
空対艦ミサイルの実爆試験用実艦標的となる予定なのだそうです。

XASM-3はF-2戦闘機で運用することを目的に開発されたミサイルで、
従前のものよりも防空能力の向上した艦艇を確実に撃破することができます。
1992年からといいますから、もう23年の間開発が続けられてきたのですが、
いよいよ2016年に完成するにあたり、仕上げとして「しらね」を標的に最終実験をするのです。

XZXM-3のウィキペディアのページにも、

2016年度(平成28年度)
退役した海上自衛隊護衛艦「しらね」を標的艦とし、実射試験が行われる予定


と書かれています。
「しらね」が、三年前の観艦式では「はたかぜ」と共に祝砲を撃ったのをわたしは見ました。



この観艦式が「しらね」の最後の花道となったわけです。
最新鋭ミサイルの標的となって海の藻屑になることも、
国防の艦たる「しらね」にとって以て冥すべしという最後かもしれません。

艦内を案内してくださった「あたご」艦長のお話によると、当確海域までは
燃料を空っぽにされ動力もオフになった目標艦は曳行されるそうです。

ついでにこんなのも見つけました。
誘導弾推進装置と合わせて開発費は40億円也。

平成14年度 政策評価書(事前の事業評価) 新空対艦誘導弾(XASM-3)



人気のない(当たり前か)「しらね」を通り抜け、「あたご」に到着。
乗組員が脇目も振らずかがみこんで床のメンテナンスをしています。

「観艦式に出る予定なので化粧直しをしているんです」

ほー、観艦式のために日本の護衛艦はそんなことをするんですか。

「あたご」は10月5日には舞鶴を出港し、横須賀を目指します。
早めに行くのは、観艦式を盛り上げるための「フリートウィーク」イベントに参加するからで、
10月10日から、艦艇公開、カレーフェスティバル、公開シンポジウム、
そして満艦飾・電燈艦飾や音楽隊による各種コンサートなどが行われるのですって。

なので観艦式にあぶれた人も、イベントに参加して楽しみましょう!

え?まだあぶれたと決まったわけでもないのに縁起でもないこと言うなって?



さて、「あたご」艦上でお迎えくださったのは艦長。
なんと艦長自らの解説による艦艇見学です〜。

さっそうと前に立って格納庫の中を突っ切っていきます。
「あたご」はヘリを搭載することはできますが、連絡など、
必要な場合に降着するだけなので、基本常時搭載はしません。

というわけで、この格納庫には拘束装置は備えていないそうです。
調べたところ、航空用員も配備されていないため、
もし必要とならばベッドを2段から3段に変更して(そんなことができるのか)
対処しなくてはいけないのだとか。



向こうに見えているのは「きり」型のようなので「あさぎり」かな?
甲板では、人がたくさん立ち働いていますが、こちらはどうやら
一般見学のための準備(立ち入り禁止札を立てたり、説明の札を立てたり、
危ないところに赤いリボンを結ぶなどの)をしているようでした。



短魚雷発射管等、武器の説明は基本スキップです(時間がないので)
正式には68式3連装短魚雷発射管HOS-302。



というわけであっという間に艦橋へ(ぜいぜい)
あいかわらずとんでもなく狭い階段をすいすいと登る艦長。
これでは艦艇勤務に太った人がいるわけないですよね。

わたしは一度、階段の上部で頭を打ちましたorz



エスコートしてくださった広報の隊員さんは、カメラマンでもあります。
海自のカメラについてお聞きしてみたら、「やはりニコンが多い」とのこと。

「海のニッコー、陸のトーコー」

は海自にはまだ健在ということなんでしょうか。



この前に立って「いただきます」をするわけ。
ストップウォッチみたいなのが方位環に結びつけてあります。

正面にはいろいろと航海に必要な表などが貼ってありますが、そのうちの一つに

「傘型危険界」の図

がありました。
船は停船のためスクリューを逆回転をして急制動をかけても、慣性で前進するので、
大型船舶や軍艦は、航行中一定の範囲以内には、漁船やフェリーを絶対に入れない、
という規則があります。

その危険範囲がちょうど傘のような形をしているのでこう呼びます。

このわかりきったことをこうやってわざわざ操舵室に貼っているように、
安全第一で規則をきっちりと厳守しているのが海上自衛隊なんですね。


そういえば、「あたご」はまだ最新鋭艦だった頃、漁船との衝突事故を起こしています。
「イージス艦衝突事故」として記録されているものです。

一貫して「あたご」側は過失がなく、漁船(乗員2名とも死亡)が右回頭を行ったことが
原因であると裁判でも主張し続けていましたが、最高裁はそれを支持し、
回避義務は漁船側にあり、あたご側に回避義務はなかったとする判決がでました。


しかし、マスコミのこの事件の報道姿勢は今考えてもひどいものでした。
今ほど自衛隊に理解と関心のなかった当時ですら訝られるほどだったのを覚えています。

事件発生時「ネイ恋」はまだ始まっていなかったので(笑)
マスコミの一方的な報道を検証し、突っ込むということができなかったのは残念です。


wikiには、

マスコミは事故発生当初から、あたご側にすべての過失があると断定する報道を繰り返した。

例えば朝日新聞は海難審判前の平成20年6月26日の社説で
「そもそも双方の位置関係から、衝突回避の一義的な義務はイージス艦側にあった」と断定している。
また、地裁判決後、信濃毎日は社説でイージス艦が漁船より巨大であることを理由に
「危険回避の責任はまず、海自にあると考えるのが自然だろう」とした。
(現実にはそのようなルールは存在しない)

また、あたご側に回避義務があることを前提に、見張りが不十分であった・回避が遅れた・
乗組員に気の弛み・驕りがあった等との批判が繰り返された。
この他、しばしば感情論が先行し、死亡漁師の一部の遺族や漁協関係者の発言も多く紹介された。

このように自衛隊への非難ありきで恣意的な報道をしていたマスコミの有様が書かれています。


どんなに時代が進んで最新鋭のイージス艦になろうと、旧式の護衛艦であろうと、
近距離では基本目視で危険を回避するのが操艦というものです。

そういう意味で、自衛隊側が航行の基礎の基礎である傘型危険界内の目視を
怠っていたとは考えにくく、つまり民間船の急回頭が原因であることは
海事を知る人にとっては明々白々のことであったと思われますし、実際
マスコミが自衛隊を悪者にして騒いでいるときには、匿名で
「中の人」の立場から漁船の過失を指摘した自衛隊OBもいたということです。 


自衛隊にもし反省すべき点があったとすれば、それは予算と人員の削減が進行していて、
艦橋システムや護衛艦と海上幕僚監部との組織内の情報交換システムの近代化が
大幅に遅れていたということ(wiki)だったでしょうか。



ところで、この窓越しに見える山ですが、なんだと思います?
信じられないでしょうが、これ「愛宕山」って言うんですよ。

なるほど、舞鶴の「愛宕山」からあの「愛宕」はその名を取ったのか!

と一瞬考えたあなた、違います。
「愛宕」は愛宕でも、京都市右京区の愛宕山が初代「愛宕」の所以なので、
「あたご」から見る「愛宕山」は偶然としかいいようがないわけですが、定繋港を決める時、

「舞鶴にも愛宕山があるから『あたご』はここに定繋しよう」

という話でもあったんじゃないでしょうか。

ちなみに「あたご」が就役したのは2007年のこと。
名前はなんと部内応募だったため「ゆきかぜ」「ながと」なども候補に上がったのだそうです。
結局「ながと」は時期尚早ということで「あたご」に決まったのですが、
さっきも言ったように、「愛宕」は1代目触雷、2代目中止、3代目はレイテ海海戦で戦没、
といずれも不運だったので、その名前には懸念を表明する向きもあったようです。

でもそんなこと言ってたら、旧軍の軍艦の名前なんて「ゆきかぜ」以外アウトだから(震え声)


続く。



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