というわけで、「静浜」とは、正式な名称であり「浜松基地」とは別のものであったことが
地元民みゆみゆさんの指摘によって明らかになりました。
しかも、秋に浜松基地祭があるという情報までLizさんにいただき、恐縮至極です。
今回の航空祭、息子とTOは初めての経験で、非常に感動していたのですが、
それでも息子は、かなり待機時間の暑さが堪えた模様。
全てが終わり、バスが東名高速の渋滞に巻き込まれ、予定時間を二時間近く過ぎて
解散地に到着したときに彼が言ったのが
「もう二度と行きたくない」
確かにわたしのようなモチベーションを持って臨むわけでなければ
あの状況でああ言うのももっともです。
たとえば去年の秋田・大曲の花火大会の後、わたしも息子もやはり
「もう二度と観なくてもいい」と心の底から思ったものです。
特にわたしは、TOが会場までどれだけ歩くのかを教えてくれなかったため、
当日履いていたサンダルのせいで、足がズタズタになってしまっていましたし、
花火の感動もさることながら、そのために払う労力の辛さだけが記憶に新しいうちは
「楽しかったけどあんなに大変なのだったらもういいや」
という気になっていたのですが、つい最近、去年の主催者からのお誘いがあると、
あら不思議、気がつけば嬉々として「行こう行こう」といつの間にか快諾しておりました。
喉元過ぎれば、といいますが、人間って、肉体的苦痛は時間が経つと忘れるけど、
その時の楽しみや喜びが大きいとそちらの方が記憶として強く残るんですね、
息子にとっての航空祭も、きっとそんな感じになると思います。
さて、これまでのおさらいですが、婆沙羅大将のコメントにより、
RF-4のRはreconnaissanceのRであるということも判明しました。
ちなみに、reconnaissance in force で、英英辞典だと
(an offensive operation designed to discover
or test the enemy's strength (or to obtain other information))
「敵の力を発見あるいは試したりするために(あるいは他の情報を得るために)
企画された攻撃作戦」
となります。
これが
reconnaissance vehicle
となると、情報とは関係なく四輪駆動の装甲車全般を言いますし、面白かったのは
reconnaissance by fire
これは
「敵が移動または応射してその存在を暴露するように仕向けるために、
敵の位置とおもわれるところへ射撃する偵察手段」。
というわけで英語全般だと「偵察」にまつわる軍事的意味合いですが、
実は、この言葉、フランス語では「偵察」という意味より
「感謝」
という意味合いがあるので、非常にこのギャップが面白く感じます。
フランス語ではreconnaître という動詞は非常におなじみで、こちらは
「認識する」
という意味です。
なぜフランス語だとこれが「感謝」になるのかは、エリス中尉、
そこまでちゃんとフランス語を勉強していないので()わかりませんが、おそらく
「他から受けた行為を『認識』すること→『感謝』する」
という流れではないかと思われます。
というわけで、偵察機であるRF-4の展示飛行が終わり、4番目の展示となったのが
F-2戦闘機です。
この戦闘機を語るとき、どうしても「日米貿易摩擦」という言葉が浮かんできます。
(わたしだけかな)
この「日米貿易摩擦」とは、第二次世界大戦敗戦後、
日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、
アメリカに大量の日本製品が流入し、対日貿易赤字が膨れ上がることによって起こった摩擦、
・・・・・・・・・というよりアメリカが一方的に
「てめーら、植民地にもせず独立させてやった恩を忘れて、
ご主人様から搾り取るたあイイ根性してるなオイ」
と感情的なバッシング(『ジャパン・バッシング』ですね)をした、という事案ですね。
1965年以降、その傾向は顕著となり、繊維、鉄鋼、カラーテレビ、80年代に入ると
自動車・半導体・農産物(米・牛肉・オレンジ)が舞台となり、
更に1985年にアメリカの対日赤字が500億ドルに達したことをきっかけに、
日本の投資・金融・サービス市場、すなわち事実上、
日米間経済のほとんどの分野で摩擦が生じるようになりました。
話は、82年にF-1の後継機である「次期支援戦闘機(FXS)」の開発が決まったときに遡ります。
ここでまたもや寄り道ですが、この「支援戦闘機」、
エリス中尉がこの世界に首を突っ込み出してすぐ「なんじゃこりゃあ」と鼻白んだ「自衛隊用語」
なのですが、何のことはない、これは「攻撃戦闘機」のこと。
当時、空戦に特化して開発されたF-86に対して初めてこの呼称がひねり出されました。
「軍隊」=「自衛隊」、「戦艦」=「護衛艦」と同じく、対地攻撃能力を付与された「攻撃機」は
専守防衛を掲げる日本で、「諸外国への配慮」「国内世論対策」から避けられ、
苦肉の策として「支援戦闘機」という名称に定められたわけですね。
「攻撃」はダメで、「戦闘」はOK、という線引きもいまいちよくわからないのですが。
で、この「支援」。
何を「支援」するのか、とかねがねわたしも思っていたのですが、つまり
地上部隊(陸上自衛隊)や艦隊(海上自衛隊)を空から「支援」する
から「支援戦闘機」・・・・・・・orz
こういうのって、いつも思うのですが「自衛隊」という呼称に全てが集約されている、
つまり「言葉の遊び」「建前」に過ぎないんですよね。
全く本質ではないところでつまらんことをやっている、というのか。
これって、戦時中の「敵性語言い換え」みたいでしょう。
ご存知ですか?
英語が敵性語とされたので、いろんな外来語が「言い換え推奨」された時期があるんですね。
余談ついでに、面白いのでこれをいくつか紹介すると
カレー=辛味入汁掛飯
コロッケ=油揚げ肉まんじゅう
キャラメル=軍粮精(ぐんりょうせい?)
噴出水=サイダー
どう考えてもこの類ですよ。「支援戦闘機」。
ついでにもう一つ、音楽関係者として涙なくしては読めない「言い換え」を紹介。
サックス=金属製曲がり尺八
トロンボーン=抜き差し曲がり金真鍮ラッパ
コントラバス=妖怪的四弦
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
コントラバスの言い換え考えた奴、絶対なんか悪意持ってるだろ!
と思わず勘繰ってしまいますね。
まあ、いくら言い換えを推奨したところで、当時とはいえ音楽家が、
特に海軍軍楽隊の皆さんがこんなしちめんどくさい呼称を使うわけがありません
・・・・・・・いや、案外面白がって逆にバンバン使っていたかな。
海軍だし。さらに音楽家だし。
とにかく、この次期支援戦闘機FS-Xの調達に関して、当然のことながら
国内生産か外国機輸入かで大きく二派に分かれて対立が起こります。
・・・・あれ?最近なんだか全く同じ話を別の機でしたような・・・・。
国産においては三菱重工業が大変な意気込みを以てこれに名乗りを上げるのですが、
この三菱の航空機産業への挑戦ともいえる意欲を、
「戦前戦中に零式艦上戦闘機や戦艦「武蔵」を生み、
戦後復興や高度経済成長を牽引してきた三菱は
『日の丸戦闘機』が再び大空を舞うことを夢見ているのではないか」
(ウィキペディア)
とこれを見る向きもあったということです。
輸入派の言い分は何と言っても生産コストが国内では高くつくこと、
そして国内の航空機技術に対して全幅の信頼は置けない、ということでした。
しかしながら国内生産も最終的なエンジンだけは輸入に頼るしかなく、
ここで「日米貿易摩擦」が問題となってきます。
すなわち、
「たった100機程度の飛行機の、しかもエンジンだけ売ってくれる」
アメリカの会社が、この対日貿易に対してピリピリしている時期ゆえ
実際には現れなかったことが、国産への大きな制限となったのでした。
当初、FS-Xについては、「国内開発」「現有機の転用」「外国機の導入」、
この三つの選択肢があったわけですが、そんなこんなで日本は
「国内開発」から「国内」を消し、これらのどれでもない
「国際共同開発」
を選択するしかなくなったのでした。(/_;)
共同開発にあたり、アメリカはまず国防総省から視察団を三菱によこしました。
その際、彼らが最も驚いたのが
主翼を新素材の一体成形で製造する技術(炭素系複合材)
でした。
鉄より強くアルミニウムより軽く、そして整形がし易くて溶接の必要がない。
そのほかにも三菱の研究陣がアメリカ側に示したレーダー技術(フェーズドアレイ)
やその他の最先端技術は、視察チームをして
「日本は『ニュー・ゼロファイター』を作るつもりだ」
とその意欲と志を評価させたということです。
その後、共同開発は「アメリカが日本からの要求に応じて」受け入れる、
という形で決定されます。
ところが。
ここで「日米貿易摩擦」が大きくその企画に影を落としてくるのです。
当時経済は日本の一人勝ち状態で、レーガン政権における「レーガノミックス」
(このころからこんな言い方をしていたのですね)
は財政赤字拡大を生む一方。
アメリカは苦し紛れになりふり構わず、やくざの恫喝にも等しい
「スーパー301条」をちらつかせるなど、日米の経済関係は最悪でした。
この共同開発に対し、対日強硬政策を取ろうとする議員の一派が外圧を掛け、
その決議案にこのような付帯条項を突きつけてきます。
●F-16のソース・コードの供与を制約す
●生産段階での米国の仕事分担率は最大限に確保を目指す
●日本からの技術を必ず提供するとの保証を設ける
その後のブッシュ大統領の声明においても
●アメリカ側ワークシェアが「総生産額の約40パーセント」
●日本側は、アメリカ側が入手することを希望するすべての技術を、
すでに合意された手続きにしたがってアメリカ側に移転する
これはつまり、日本が独自に築いてきた特殊技術を無条件に提供し、
アメリカ側はF-16の核心を「ブラックボックス」化することを許されるという
「不平等条約」のようなものでした。
国産推進派の不満が至るところで噴出し、
日米マスコミも「ジャパン・バッシング」の一環だとしてこの件を報じました。
そんな経緯を経て製作に入ったわけですから、三菱を中心とする日本側の研究陣が
意地でも「実質国産」と呼ばせてみせる、との執念をもって渾身の開発を行ったのも
当然と言えば当然であったでしょう。
機体形状はベースとなったF-16とほぼ同じではあるものの、
「パッと見た形状以外、すべてが違う」というものになったのも、
すべてはそのこだわりと自負の表れというものかもしれません。
なお、この「国産機」は、航空自衛隊の要求を満たすための改造や再設計箇所が
至る所に見られる作りとなっています。
さて、実はそうとは知らず行ってきた浜松基地の「エアパーク」に、
このF-2の開発に関しての展示と開発機XF-2のモックアップががありました。
その写真を撮ってきたので、明日明後日と「ミッドウェー海戦特集」を挟んでから、
淡々とそれをアップしたいと思います。
本日説明した「政治的ウラ」を知ったうえでそれを見ると、日本側技術陣の
執念ともいえるこだわりが垣間見えて感慨深い内容となっています。