最初午前中ということになっていた「ぶんご」入港が、午前どころか
夜の8時30分になるという話には心底驚愕しました。
自衛隊の部隊行動というのは基本きっちりと予定が決まっているようで、
海は広いな大きいな月は登るし日は沈み風は吹くし波が立つものですから、
予定はいかようにも変更される、ということを今回あらためて知ったのです。
この日わたしは、午前中の入港を待って、そのあとは艦内を見学させていただき、
その後美々津にある「日本海軍発祥の地」という碑を観に行こうと思っていました。
神武天皇が大和地方に向かって“東征”を行ったとき、美々津の港から
船に乗り、瀬戸内海を経て紀伊半島に向かったとされていますが、
即ちこれが、天皇のもとで行動をした最初の海軍であったということから、
ここを「海軍発祥」と定め旧海軍時代に建造された碑があることを、
宮崎行きが決まったことを報告した「偉い人」が教えてくださったのです。
このほかにも、お賽銭の代わりに素焼きの「運玉」を、海岸沿いの岩場にある
注連縄を張った霊石亀石のてっぺんの穴に投げ込んで願い事をする、という
日南市の鵜戸神宮や、飛行場近くの海軍航空隊の碑にも行くつもりをしていたのに、
結局「ぶんご」の入港待ちでそれどころではありませんでした。
まあ、計1日半の滞在では最初から無理だったという噂もありますが。
入港が夜の8時半ということにどうやら決定したらしいという報を受けて、
わたしたちは体力を温存するために各自ホテルの部屋で休憩をしました。
さすがに当日朝5時に起きていたので、横になるなりうとうとしたのですが、
何分も寝ないうちに電話がかかってきてしまい、そのままホテルを出ることに・・。
しかし、夜の自衛艦入港作業を見ることができるのは
わたしにとって最初で、もしかしたら最後の機会かもしれません。
期待に眠気も疲れも取りあえずさておいた状態で、車を岸壁に走らせました。
「ぶんご」が入港するのはあの「変な犬」がいたところ、「ひらしま」「ししじま」
「くろしま」などが繋留していた岸壁とはまた別の、「つしま」のいた岸壁です。
岸壁に着くなりさすがはプロ、ミカさんは三脚を設置。
そこで初めて、夜景を三脚なしで撮ろうというのが大間違いであることに気付くわたし。
折しも入港し、岸壁に寄せてきている「ぶんご」を迎えられたのは感激でしたが、
ニコン1でこの写真を撮ってみて「こりゃだめだ」と悟り、
ここからあとはコンデジの「カメラ手持ちで夜景」というモードに全てお任せしました。
おお、なんと幻想的なイメージ写真。
しかしこんなことになると少しでも予想していたら、
ホテルでカメラの設定を研究したのに・・・。
それはともかく、この日1日掃海艇と掃海艦を間近で見てきた目に、
全長141m、基準排水量5,700トンの「ぶんご」は超巨大艦に見えました。
以前このブログでお話ししたことのある2002年の国際潜水艦救難訓練
「パシフィック・リーチ2002(Pacific Reach)」では、旗艦として参加し、
艦橋内の多くの士官居住区を、参加各国海軍連絡士官や取材陣に提供したように、
居住性を備え艦隊での指揮能力を有するのですから、この大きさも納得です。
2011年の東日本大震災発災のときには、他の多くの艦艇と同じく救難活動に参加し、
物資の輸送や被災者に対する入浴支援を行いました。
また、「ぶんご」の水中処分員は、行方不明者の捜索と遺体回収作業を行っています。
このときの掃海隊の初動を記した報道記事を見つけたので掲載しておきます。
今回掃海部隊を指揮した掃海隊群司令の福本出海将補は
発災時、庁舎内にいて尋常ではない揺れに危機感を覚えた。
津波の被害を回避するため直ちに横須賀船越港内にいた
掃海艦「やえやま」に出港を命じるとともに、
シンガポールで実施される西太平洋掃海訓練に参加するため、
すでに沖縄に進出していた掃海母艦「ぶんご」、掃海艦「はちじょう」、
掃海艇「みやじま」を呼び戻すことを決意し、上級司令部に進言した。
また、平成5年の奥尻島地震の災害派遣で得た教訓から、
水中処分員(EOD)の必要性を感じ、
隷下部隊から2チーム(8人)を召集するとともに、
災害派遣の正面ではない、呉、佐世保、舞鶴の
各地方隊所属の水中処分員の応援を要請した。
掃海隊群旗艦の掃海母艦「うらが」は発災時造船所で修理中であったため、
掃海隊群司令部は陸上で業務を行っていた。
沖縄から横須賀に到着した「ぶんご」に救援物資などを搭載するとともに、
司令部を「ぶんご」艦内に移転し、三陸沖に向け横須賀を出港した。
続きは残念ながら、定期購読対象の記事だったのでここまでですが、
この記事から、「ぶんご」が 東日本大震災における旗艦を務めたことを知りました。
しかし、この記事は少し問題があるように思えます。
下線を引いた部分、「水中処分員の必要性を感じ」というのは、まるで
掃海隊司令がこの危急の際にふと思いついたことのような印象ですが、
自衛隊ともあろう組織が、常日頃から地震災害を想定して、津波発生には
水中処分員が派遣されるということを予め決めていなかったはずがありません。
その判断を実際に下したのが掃海隊司令であったということだとしても。
それともう一箇所の下線部「災害派遣の正面ではない」の意味もわかりません。
要するに理解が足りない状態で記事を書いているという感じです。
今回、わたしはメディアツァーの一団に加わる形で見学をしたのですが、
報道のみなさんを見ていて、「なんじゃあこりゃあ」と思うことが少々ありました。
下調べしたり勉強したうえで記事を書いている様子はなさそうでしたし、
実際にこのときの取材が、結局どのような報道となったかをテレビで観ましたが、
はっきり言って、取材など必要なかったのではないかというくらい表層的で、
しかも本質を理解せず、時局柄、政権批判に繋げようとする意図さえみえるものでした。
掃海隊の任務を見学しながらも、わたしはメディアの様子も観察し、
ある「確信」を得たのですが、それはまた後述します。
三脚代わりに港の舫杭の上にカメラを乗せて撮った写真。
「ぶんご」のオトーメララのシルエットが対岸の灯に浮かび上がっています。
「ぶんご」の影から煌々と灯をつけた曳船があらわれました。
「あたご」「むらさめ」「ちょうかい」と、わたしが今回の観艦式で乗った護衛艦は
いずれも曳船2隻で出入港を行いましたが、全長は20mしか違いません。
もしかしたら、搭載している人数が多いと曳船も2隻になるのでしょうか。
それにしても、いつ見ても曳船の無駄のない機敏な動きは惚れ惚れします。
「曳船、かっこいいですよね」
掃海艇が母艦に給油されているのを「ご飯をもらっている~」とキュンキュン萌える、
こんなわたしたちにとって、曳船は鯔背で鉄火肌の粋なお兄いさんって感じ。
岸壁に近づいてくる「ぶんご」を待っている何人かの人影。
もやいを受け取って杭にかける作業をする人員で、こういうときには
隣に停泊している自衛艦から作業する隊員を動員することになっています。
艦が単体で入港するときには、地元の地本が入港作業を手伝ったりするので、
そんなときには陸自の制服を着た人が、もやいを引っ張ったりする光景が見られます。
これは隣の「つしま」の乗員であると思われます。
まず艦尾から一本のもやいが杭に掛けられました。
一つの杭に計3本のもやいを掛けていきます。
作業を行うとき、もやい杭に艦上から探照灯で光をあてるので、
まるで舞台の上のスポットライトのようにドラマチック。
このように、夜間の入港作業も彼らにとっては日常。
全てが無駄なく的確に、笛の音だけが機関の立てるエンジン音の伴奏のように
一定のリズムと規則正しさを持って夜の岸壁を背景に行われます。
粛々と、という言葉が浮かんでくるほど、それは無駄のない一連の作業でした。
今回の訓練参加では、一般の内部公開では見ることのできない
海上自衛隊掃海部隊の日常の風景を見ることができたのですが、
特に夜の自衛艦入港というのは、掃海隊の写真を撮り続けてきた
ミカさんにとっても、そう経験できることではないらしく、
彼女は写真を撮りながら、
「これはとても貴重なシーンに出会えましたね」
と言っていました。
わたしも、入港が遅れて、「ぶんご」の艦内ツァーができなくなったのは
とても残念ではあったけれど、その代わり、こんな幻想的な夜の入港が見られて、
それだけでも長時間待って、わざわざホテルから出直してきた甲斐があったと、
満足していました。
そして疲れもあってほぼ何も考えていない状態で、
ぼーっとミカさんについて歩いていたら、いつの間にか降ろされていた
舷悌から、これもいつの間にか降りてきた海自迷彩の自衛官が
シャキーン! ∠(`・ω・´) と前に立つではありませんか。
ミカさんが艦内ツァーをお願いしてくれていた「ぶんご」の副長でした。
「今から艦内をご案内します」
えっ!? ええええーっ!?
当初の予定である午前中の入港後ならともかく、遅れに遅れた入港の結果、
いまなんじですか?
・・・・はい、9時30分すぎくらいですね。
わたしの記憶によれば、 海上自衛隊ではもうすぐ消灯時間だったような。
「 大丈夫です。乗員は10時から上陸です」
入港が遅れたので、上陸時間も配慮して消灯時間無視で許可されたようです。
ちなみに門限は (帰艦っていうのかな)は12時。夜中の0時です。
こんな夜遅くに、しかもたった2時間上陸するだけなんて、という気もしますが、
ちょっとの間でも陸に上がって「シャバ」の空気が吸いたい、
と思う乗員は結構多いのかもしれません。
それはともかく、そんな貴重な時間に、いくら約束していたからといって、
しかも隊員が生活する艦内をこんな超門外漢に見せてもいいのでしょうか。
「構いませんよ。どうぞ」
こんな時間に、しかも1日波のうねる日向灘で補給作業をしてきたのに
にこやかな笑みを浮かべた副長は、疲れなど微塵も感じさせない様子で
先頭に立って舷悌を登っていきます。
というわけで、わたしたちは「ぶんご」の夜の入港を見守り、次いで
夜の「ぶんご」艦内に潜入(ってかんじ)することになったのでした。
続く。