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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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艦の台所と艦での禁酒~日向灘・掃海隊訓練

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掃海母艦の見学記、続きです。
格納庫の掃海具Mk-15を間近に見学したわたしたちは、もう一度艦内に戻りました。



黒いショルダーバッグがたくさん手すりにかかっているので、ふと

「これ、なんでしょうか」

と聞くと、同行していた隊員さん(もしかしたら給油作業の合間に入港時間を
連絡してくれていた方だったかもしれません。この場をお借りしてお礼申し上げます)
が、わざわざ中を開けて見せてくれました。

「救命ベストですね」



かさばるベストが入っているとはとても思えない小さいバッグだったので、
そこにいる誰も中身が何かわからなかったのです。
そしていっぺん出すとまた元どおりに直すのが大変・・・・・(上写真)

副長は次の見学場所に向かって歩き出してしまうし、後ろを振り向いたら
まだベストを元どおりにする作業が終わっていないし、
ミカさんはそれを見守るために立ち止まっているし・・・・。

うっかり質問したことを申し訳なく思った瞬間でした。



観艦式の「あたご」 艦内では「夜の護衛艦を体験するコーナー」として
この赤い艦内灯が点けられていたのを見てなるほどと思ったのですが、
これは「本物の夜の自衛艦」の赤い灯。

特に潜水艦に顕著ですが、艦隊勤務というのは昼夜の区別がつきにくいことがあるので、
夜には赤い灯を点けるということが慣習として決まっています。



こういうスペースでは赤い灯は使いません。(気が滅入るよね)
夜になって誰もいない食堂。
椅子がちゃんと浮かせて収納されています。



自衛艦の食堂の壁には、写真があったり、賞状やポスターがあったりします。



体験乗艦した小学生から届けられたお礼の手紙と絵。
これは乗員のみなさんも嬉しいよね。
ちゃんと「ぶんご」に見えるなかなかの画力なのだけど、「ぶんご」はともかく
空中の黒い点をさして「やえやま」とはこれいかに・・・。 
もしかしたら遠近法?遠くに見えてたってことかな?

それと、彼の名前がすごい。「いかり」はやっぱり「碇」かな。



説明がないので見たときには何かわからなかったのですが、迎えている人々が
トルコの旗を振っているので調べたところ、1万7千人の被害者を出した
1999年のトルコ大地震(イズミット地震)のときに、派遣されて輸送艦「おおすみ」、
補給艦「ときわ」とともに、仮設住宅の輸送を行っていました。

このとき「ぶんご」は、エジプトのアレキサンドリア港まで無寄港で
平均速力18kt(約33km/h)で連続23日間という、海上自衛隊史上初の
長距離連続航海を行った末、トルコのハイダルパシャ港に入港しましたが、
この絵はその入港のときを(おそらく現地の人が)描いたものではないでしょうか。

有名になったサマワでの国際派遣、ペルシャ湾の掃海だけでなく、このときも
トルコの人々は自衛隊の到着を熱狂して迎えてくれたのです。

余談ですが、サマワには「Sato bridge」と名付けられた橋があります。
自衛隊が架設した最初の橋で、この「Sato」は他でもない、隊長であった
佐藤正久3佐(当時)の名前から取られています。



冒頭写真はこの時の誰もいないキッチン。
あと数時間すれば、170人分の朝食のためにコンロには火が付き、
あたたかい味噌汁とご飯が用意されます。
ちなみに熱源はガスは使えないので、電気と蒸気で調理を行います。

自衛隊の金曜カレーというのが有名になって、一般社会のカレー業界では
「金曜カレー」を定着させようという動きもあるのですが、
昔は金曜ではなく土曜日の「半ドン」(昼から休み)の昼食だったとか。
つまりカレーは「金曜日を知らせる」という意味ではなく、
「明日は休みだよ」と知らせるためのものだということです。

昔の艦隊勤務と今の違うところは「カレー曜日」だけでなく、
夜食のあるなしで、昔は1日4食出されていたのですが、今は
必要に応じて夜食をつくることもある、という感じだそうです。

このツァーのとき、夜食のおにぎりが並べられているところを通りました。
おにぎりは一つ崩れてしまったのを残して(−_−) 全部なくなっていました。
食べ盛りの若い人が多い職場ですから、あっという間に消費されてしまうのでしょう。


ところで、副長によると、現在当掃海母艦の食事は「とてもいい」のだそうです。
今の烹炊長(というのかどうか知りませんが)は大変腕が良く、艦食が美味しいのだとか。

海上自衛隊のご飯は一般レベルから見ても美味しい、というのが定説です。
その中でも、特に食事が重要になってくるのは、楽しみが少ない艦隊勤務ならでは。
何しろ日本の軍艦たる自衛隊の艦船は、戦後アメリカ海軍の真似をして
艦内禁酒に決めてしまったのですから、それだけに切実です。




この話が出たのでまたもや余談ですが、今年の最初に、「機動部隊」という
アメリカ映画についてお話ししたことを覚えておられるでしょうか。
この映画で、主人公のゲーリー・クーパー演じる海軍軍人に向かって、
「アメリカがどこと戦争するってんだ」(軍備など必要ない)とふっかけていた
新聞社の社長で、海軍に口うるさくあれこれいうおっさんがいましたが、あれは
アメリカ海軍の禁酒を決めた新聞社社長で海軍長官、ジョセファス・ダニエルズ
モデルだったのではないかと、今にして気づいた私です。

このダニエルズという人物、白人至上主義でアフリカ系アメリカ人の公民権を
剥奪することを公約して選挙に勝ち、公約実行しているわけですが(><)
もっとも悪名高い業績が、

Prohibition in the Navy: General Order 99, 1 June 1914

リンク先を見ていただけばお分かりですが、

"The use or introduction for drinking purposes of alcoholic liquors

on board any naval vessel, or within any navy yard or station,

is strictly prohibited, and commanding officers will be held directly

responsible for the enforcement of this order."

海軍艦艇上、または任意の海軍敷地内や構内での酒類の飲用の目的での
使用または導入は、厳しく禁止されており、指揮官はこの制定の施行における
直接の責任を負うことになります


あまりいい訳ではありませんが(^_^;)まあこんなところでしょう。
wikiにもありますが、彼がお酒の代わりに推奨したのがコーヒー。

「海軍でもっとも強い(ストロングな)飲み物はコーヒーであるべきである」

といったとかなんとか。

ああ、それでアメリカ海軍の船は艦橋にまでコーヒーメーカーがあったり、
専門のコーヒーカップ台があったりしたのか。

とおもわず納得してしまった訳ですが、今でも「a cup of coffee」を意味する

「a cup of Joe」

という俗語に、彼の名前が燦然と?刻まれています。
でもこれ、どう考えても否定的な意味、つまり皮肉ですよね?

ゴラン高原の「SATO BRIDGE」はご本人にも我々日本人にとっても名誉なことですが、
同じ名前を残すのでも、わたしならこんな否定的なニュアンスでは残されたくはないなあ・・。

戦前はイギリス海軍の薫陶を受けたせいで、艦内ではお酒OKで宴会ももちろん、
だった帝国海軍ですが、戦後になって、アメリカ海軍のする通りに
艦内絶対禁酒の規則を取り入れてしまった自衛隊。

まあ、日本国自衛隊の組織の性質を考えれば、アメリカ海軍とは関係なくお酒は
遅かれ早かれアウトになっていた可能性は高いですが。

それについてはこんな話があります。
あるとき、自衛隊の偉い人がアメリカ海軍軍人と話していてこう言いました。

「アメリカ海軍の軍規を見習って、自衛隊でも艦内は禁酒となっています」

それを聞いたアメリカ海軍軍人、嘆息して曰く。

「それはまた、つまらないことを真似したものだなあ」

(ちゃんちゃん)


さて、「ぶんご」のキッチンに話を戻しますと、艦で出る食事が、
副長が外に自慢するほど美味しいというのを聞いて、わたしが

「それは・・・士気もあがりますね」

こういうと、副長はこうおっしゃいました。

「そうなんです。だから今うちはすごく雰囲気がいいんですよ」

ご飯が美味しい=雰囲気がいい=士気が上がる。

食べ物って本当に人間にとって大切なんだなあと当たり前のことを確認した一言でした。


続く。 

 

 


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