ニューヨーク近代美術館は5階くらいのフロアに分かれていて、皆が最初は最上階に上がり、
そこでゴッホの糸杉やマチスのダンスなど、有名な絵画を一挙に見たあとは、
階段やエスカレーターで降りていきながら現代美術を鑑賞していくことになります。
本当に市街地、ダウンタウンの真っ只中にあり、アメリカの建物としては大きいほうではありませんが、
それでも1フロアにこれだけ超有名な絵画が揃っていると、それだけで
この空間に無限の広がりすら感じてしまいます。
わたしたちに許されたのはたった1時間の鑑賞時間でしたが、
それでも後から振り返ると大変濃密なひとときに思われました。
美術館に行くといつも思うことなのですが、これは、そこで目にするものが、
観る者を時空を超えた想念の旅に誘ってくれるせいでしょうか。
それはともかく(笑)、現代美術です。
こういうのって、いつも思うんですが、いいとか悪いとか誰が判断してるんだろう。
作者名を調べる気にもならなかったのですが、これは中央に金色のくぼみがあるオブジェ。
こういうアイデア賞みたいなのはまあ観ても面白いからいいんですけどね。
視覚のトリックで、まるで鏡の向こう側に人がいてもたれかかっているように見えます。
男性の絵以外は、実際に部屋の様子が映り込んでいるというわけ。
問題はこういう、「観る者を苛立たせることを目的にした訳あり作品」。
タイトルでなんだかんだと説明してなんぼ、な感じがまたいらっとするんだな。
女性のバストだけが立体的で、あとはリトグラフの作品。
絵画と立体的な何かを組み合わせた作品がこのようにいくつかあります。
これはなんだかわかりませんが、鳥の剥製と、正面から見た場合にのみ
鳥が脚で何かを掴んで運んでいると理解される物体がポイント。
観ている人「鳥の剥製の埃は掃除したほうがいいんじゃないかしら」
こういう抽象的なオブジェも小さいうちはいいのですが、ここまで大きいと、
「こんなでかいもの、造った後どこに置くつもりなんだ」
と聴きたくなります。
MOMAに飾られたり、公園に置かれることが決まっていればいいんですけどね。
我が日本からは、草間彌生の『作品』もここでは展示されています。
1957年ごろ、いわゆる「ハプニング」といわれる芸術運動で、街の中に
全裸の女性を解き放っている模様。
草間彌生本人と「ハプニング」のパフォーマーたち。
みなさん体に水玉をつけてますが、この水玉は草間の典型的な「モチーフ」です。
彼女は小さい時に統合失調症であったということで、その病状から繰り返し
幻聴や幻覚に襲われていましたが、それから逃れるためにそれらを描きとめたのが、
芸術家としての最初のきっかけであったということです。
水玉はあたかも「耳なし芳一」が身を守るために体に経を書いたように、
それで自分を覆い隠すことによって幻覚の恐怖から身を守るものであるとか。
最初の個展には、彼女を診断した医学博士が来訪し彼女の作品を購入したそうですし、
日本のゴッホ研究の一人者が、白木屋百貨店での個展を後押しし、彼女のデビューを助けています。
その活動は今や多岐にわたり、2012年にはルイ・ヴィトンとのコラボも行っています。
次のコーナーに行くと、「威風堂々」の音楽のBGMに、二人の男が
槍を持ったりそれをあわせたりというパフォーマンスをしているビデオが放映されていました。
なんとなく音楽が流れているので皆立ち止まって見てしまっている模様(笑)
それがこの二人。
いったいどういったアートなのでしょうか。
They weren't Good Writers
They weren't Bad Writers
But, My God, they were Writers
こんな不可解なキャプションがつけられた(もちろんこれだけではない)
写真がずらりと並ぶケースの中。
「彼ら」とは?
”我々は人間彫刻である”
我々はただの人間彫刻なので、毎朝起きて時々歩き、稀に本を読みしょっちゅう食べて、
いつも考えて普通にタバコを吸い、楽しいことやリラックスするものを観たり(略)
哲学して徐々に死んでいき、神経質に笑い、丁寧に挨拶をして、そしてよがあけるのを待つ
なんとジョージとギルバートという二人の青年は、自分たちを「生ける彫刻」と名付け、
自分たちを「作品」として一生を生きることにしたってことのようです。
ギルバート&ジョージ
二人は1942年と43年の生まれなので、現在は70を過ぎているわけですが、
少なくとも2005年にはビエンナーレにイギリス代表として選ばれているので、
彼らは「まだやっている」のでしょう・・・・いや、「死ぬまでやる」のかな。
ギルーバート&ジョージのモチーフを使った作品の一つ。
ものすごく座り心地の悪そうな椅子ですが、スターバックスが採用するといいと思います(笑)
息子を連れてきてやりたかったなあと思った近代建築のコーナー。
訪れた時には知らなかったのですが、このM0MAの新館は日本人建築家の
谷口吉生(変換候補に出てきた!)のデザインによるものです。
どこぞの某安藤さんと違って、谷口氏はコンペにも出ず、マスコミにも出ず、
完璧な「作品主義」を貫いておられるようです。
こういう建築家に新国立競技場を任せるべきだったと思うのはわたしだけでしょうか。
建物自体はいいとして、ピラピラとついた羽はどうやって作るの、なデザイン。
これは建築デザインの範疇に入るのでしょうか・・。
この「足の生えた家」を作品のモチーフにしている人らしいです。
これは建築作品には入らんだろう。
斜面を利用した建築。
地震のある地域にはお勧めしません。
ど、どこかでよく見たものが、こんなところに・・・!
インダストリアルデザインの代表的なものとして、榮久庵 憲司(えくあんけんじ)
が1961年にキッコーマンのためにデザインした瓶が展示されていました。
ビートルズのポスターなどのポップデザインとその他工業デザイン的なもの。
ラジカセ、レコードプレーヤー、キーボードスタンドにヤマハの電子フルート(ケース中黒)。
世間に普及してすっかり見慣れたこれらの機器も、
この世に出現した瞬間は全く「新しいデザイン」だったのです。
ちゃんと見ていませんが、上のレコードジャケットはいわゆる現代音楽のものでしょうか。
真ん中の不思議なターンテーブルのもレコードプレーヤーです。
さて、MoMAといえばアンディ・ウォーホール。
アンディ・ウォーホールのコーナーは、部屋を丸々一つとって展開していました。
マリリン・モンローは色とりどり8枚セット。
キャンベルの缶は部屋の二方の壁を全部使って、同じものをずらりと並べる作戦。
ウォーホールではありませんが、同じことをしているアーティストがいました。
ただし、この額の一枚一枚には電話帳のページが入っています。
こんなのアイデアだけじゃーん(苦笑)
まあ、「壁の装飾」という感じにはなってはおりますが・・・・って、もしかしてそれが目的?
このように一枚一枚には全く意味のない絵を、壁に意味ありげな形で展示する、
ということ自体をアートにしてしまう人もいます。
昔の画家が額縁もまた絵画の一部としてこだわったようなもんですかね。
映像芸術は、まるで海の中のトンネルを歩いているようでした。
が、先日お台場の科学未来館でやっていたチームラボの「盆栽アート」の方が圧倒的に上だと思います。
Ever Blossoming Life - Gold / 増殖する生命 - Gold
最後の方に冒頭の村上隆の風神図みたいなの(構図が)があり、
相変わらずだなあと思いながらふと上を見たら、こんなのがありました。
木の船がびっしりと矢だらけになっていて、船尾には中国の旗がつけられています。
意味不明。
時間がなくて見られず残念でしたが、このときにはオノヨーコの特別展があったそうです。
これはその一つで、「ホワイトチェスボード」。
実際にチェスをする団体を呼んできてやらせ?でチェスをさせるまでが芸術、らしい。
他には青いリンゴを一つだけ置いて「アップル」とか、上まで登って空を見て
おりてくるだけの螺旋階段とか・・。
あまり興味を持ったことがないのでくわしくしらなかったのだけど、オノヨーコさんは
どうやらこういう「アーティスト」らしい。
ジョンレノンと結婚したのも、もしかしたら「芸術活動」だったんだったりして。
一つ確実に言えるのは、ジョンの嫁でなければ、アクリルのケースの上に置いたリンゴを
芸術作品だと言い張ることはできなかったってことですかね。
さて、見終わって少し時間があったのでミュージアムショップに行きました。
実はTOがチケットを買っている間も少し見て回ったのですが、
入り口のところにいた警備員(だとおもう)のおっさんが、近寄ってきて
ハロー、というのでわたしもハイ、と返事だけしてその後は無視していました。
なんだか後をついてくるなあと思っていたのですが、二度目にこのショップに入った時にも
同じおっさんが後ろから、また声をかけてきました。
気持ち悪いので聞こえないふりをしていたら、おっさん、今度は耳元で「にいはお〜」と・・・。
・・・あたしゃ中国人じゃないっつの(♯)