敵地に突入し爆破工作を仕掛けた(という設定の)隊員を、4人まとめて
エクストラクション・ロープで牽引し、無事連れ帰ることができました。
そのとき、上空に・・・・、
後送する負傷者を乗せるため、赤十字をつけたヒューイがきました。
ストレッチャーに乗せた負傷者、そして捕虜も一緒に運ぶようです。
後送という言葉は「戦場で前線から送り返すこと」という意味です。
大抵は重症で自分で歩けない兵であり、このため実は戦争という状況において、
戦死されるより”厄介”なのがこの後送任務と言われています。
一人の重傷者のために何人かの兵力と航空機がそれにかかずらうことになり、
航空機の操縦者を入れると負傷者一人に対し莫大な兵力が殺がれることになります。
そのため撤退時には非公式な命令ながら、戦線に取り残されて自決を促されたり、
日本軍以外では投降を許可されたりすることも多々ありました(ます?)。
どこからか負傷者がもう一名運ばれてきました。
こちらは軽症ながら歩けないようです。
後手に縛られた捕虜は、ヘリコプターに乗るようにおらおらと追いやられ中。
捕虜の後送にも人手は取られます。
この捕虜も一人に対して見張りは二人ですし、人数が増えれば必要な見張りも増えます。
負傷者の後送以上に”厄介”なのが捕虜の後送かもしれません。
相手が将官や士官だったり、情報を聞き出すという目的がなければ、
ジュネーブ条約、なにそれおいしいの?
とばかりにこっそり処刑してしまったとしても、実際に戦時中では無理もないというか。
大東亜戦争でも現実にそういう捕虜の処刑は、彼我双方で多々起こっていますし、
最近では批准しないばかりか捕虜の処刑を世界に発信するという鬼畜国もあったりします。
当たり前ですが、綺麗な戦争なんてありません。
どっちの方が国際法に誠実だったとか、どっちがひどかったとか、
そんなことを戦争が終わってから言い合うのは、まったく愚かなことです。
そして、大概の場合、それが罪として裁かれるのは敗戦した国に対してだけです。
ちなみに大東亜戦争中の日本のジュネーブ条約に対する見解は、
帝国軍人の観念よりすれば俘虜たることは予期せざるに反し
外国軍人の観念においては必しも然らず
従て本条約は形式は相互的なるも実質上は我方のみ義務を負う片務的なものなり
つまり、条約だから相手捕虜に対しては守るけど、実質うちらは捕虜になることを
「生きて虜囚の辱めにあわず」として許していないから関係ねえ、と言い切っております。
ヘリには先に軽症患者を乗せるようです。
それからストレッチャーに乗せられた重傷者。
積込作業の間、ずっと一人がヘリの前で銃を構えて見張りを行います。
ヘリにはストレッチャーごと入れられ、そのまま運ばれるようです。
しかし、実際の戦闘でこんなに負傷者が少ないなんてありえないわけで・・・。
積込が完了したので彼らは戦闘に戻っていきます。
偽装網で覆った120mmRT迫撃砲を並べていた小隊が砲撃準備を始めました。
RTとは「Rayé Tracté Modèle」のこと。珍しくフランス製の武器なんですね。
トムソン・ブラーントというあまりフランスの会社らしくない名前の会社の製品ですが、
陸自のは豊和工業という日本の会社のライセンス生産です。
よせばいいのに、防衛省ではこの武器を導入するとき愛称を一般公募して、
「ヘヴィハンマー」という名称に決めたそうですが、
他の装備と同様に愛称は部隊内では使われず(Wikipedia)(T_T)
部隊での通称は「120迫」(ひゃくにじゅっぱく)だそうです。
ところであれ?砲口を手で包み込むように持っているんですが・・。
これは一体何の動作?
それはこの動画を見ていただければわかります。
弾薬は砲口から入れるのですが、砲身の先に立つ人は、弾薬を支え持ち、
手を離すと同時に、弾薬は下に落ちて発射されるというわけです。
つまりこの写真は弾薬を砲口から落とし込み、耳を押さえながら屈み込む寸前です。
砲撃の次の瞬間、砲身の前に立つ人はすぐに立ち上がります。
しかしこの作業、むちゃくちゃ危険じゃないか?
ぼーっとしてかがむのが遅かったり、早く立ち上がったら、
もしかしたら大変なことになるのでは・・・。
2射目。こちらは射撃の直後で皆座り込んだ瞬間です。
しかし、瞬間は耳を抑えるとはいえ、かなり難聴になりやすそうな職場だなあ。
さて、その頃空には「空飛ぶ戦車」アパッチが飛び回っていましたが、
地上には空飛ばない戦車がここに至って初めて登場しました。
2年前、ここ習志野では初めて登場したばかりの10式戦車です。
90式ほどごつごつしてなく、かといって74式ほど丸くもない、絶妙のシェイプ。
ここでお目見えした2013年の1月初頭当時、まだ配備数は39台でしたが、
この降下始めの時点でそれから37台増え、ほぼ倍になっています。
とはいえ、すでに生産数のペースはピークを越えたようで、
平成30年までの間に、あと21台しか生産されることはありません。
このヒトマルは、砲塔のマークを調べたところ、
第1師団の第1戦車大隊の第1中隊(全部1だけどこれはたまたま)の所属で、
ということは、北富士駐屯地(山中湖の近く)から来ていることになります。
どうやって来たんだろう。まさか一般道を走行?
このマークですが、HPによると
上半身が人間で下半身が馬という半獣半人であり、
そのケンタウルスに槍と盾を装備させた事により、戦車と乗員の人馬一体と、
戦車の『火力・機動力・防御力』を表現しています。
また、背景は、第1戦車大隊の『1』と、日本の象徴『富士山』を表し、
その白い色は、隊員たちの国防に対する「誠実さ・真摯な心」を表現しています。
ということです。
こちらは74式戦車。
もうデビューしてから42年って、信じられないんすけど。
まあ、こうやって並走しているのを見るとさすがに時代が違うという気がしますが、
それでも、もしかしたら74式ってこの時代のものにしては結構イケてないか?
実はさっき79式戦車という中国軍の超絶かっこ悪い戦車のシェイプを見て、
こんなのと比べれば、超未来的だよね、とか思ってしまったわたしです。
というか、戦車のシェイプって創世記からあまり変わらないのね。
もう一つの「空飛ぶ戦車」ことコブラも飛来。
相変わらず下から見ると薄〜い(笑)
2年前ほどではないとはいえ、周りの人がヒトマルの駆動に沸き立ちます。
「速い!」「速い!」
皆が口々に言うその速さこそがこの戦車の強み。
近くの人の解説によると(笑)ヒトマルの装甲が薄いのは、一撃離脱で
攻撃するなり後退して逃げてしまえるだけの速さを持っているのでそれでいいのだとか。
ちなみに、今回検索していてこんなページを見つけました。
世界の戦車オタクたちがヒトマル式について語っている翻訳ページです。
これによると、ヒトマルはレオパルト2に似ているそうです。
「自衛隊のヒトマル戦車って知ってるか?パネエぞ 海外反応」
ヒトマルは二台で前線に向かいます。
今まで前線で地面に張り付いていた隊員が戦車に向かって手を振っているんですが、
砲塔から顔を出しているのが知り合いだったとか?
ぴたり。ノーズを揃えて敵に相対しました。
戦車の活躍に任せて後ろで経緯を見守るお父さんとお母さん。
じゃなくてペトリオットとNBC偵察車。
NBC偵察車は核・生物・化学兵器に対応する(ヌクレア、バイオ、ケミカル)ための化学車。
偵察用ですが、この諸島奪還作戦になぜ必要とされるのか、いまいち謎です。
というわけで、10式、74式、そして89式装甲戦闘車が2台ずつ前線に進出。
90式先輩は今日はお休みの日です。
これだけの火砲がいっぺんに火を噴いたら、尖閣に上陸した敵など鎧袖一触。
と言いたいところですが、問題は戦車を出さなければならない状態となったとしたら
相手は今回のように装甲車2台ではない、ってことです(笑)
いつの間にか左方には迷彩のヘリ軍団がホバリングしてじっとこちらを注目しています。
戦車隊による攻撃のいかんによってはいつでも出撃できる構え。
・・・・ていうか、チヌークは何のために3機もいるのかな?
ヒューイもガンナーがいるわけでもないし・・・
匍匐していた歩兵が戦車の攻撃とともに腰をあげました。
全力で走っていきます。
もしかしたら・・・ば、ばんざい突撃とか?!
走って到達したのは防衛大臣などが見ている観覧席前。
もしかしたら、来賓席の前で格闘術を披露するグループだったのかもしれません。
こちら側に向かってはヘリボーンで入場してきたギリースーツの二人が走ってきました。
こちらは枯れ草迷彩というか、ここ習志野の草地と全く同色のメイクをしています。
装着している偽装によってメイクも変えるとは、自衛隊、侮れん。
続く。