去年の夏、何度目かの空母「ホーネット」を見学してきました。
艦内ツァーで、元母艦乗りのパイロットであった解説員(元中尉) の
説明を受けて、それなりに交流してきたことをお話ししたわけですが、
今日は、この「海軍博物館」部分の展示をご紹介しようと思います。
たしかハンガーデッキだったと思うのですが、
「ユニフォームを見分けられますか?」
として、海軍の軍服が展示してありました。
例えば襟の部分に付けられた説明は、
「黎明期の1830年頃、士官と下士官の違い、または
士官の位を見分けるための階級章は襟についていました」
軍帽には
「これは少尉少佐までがランクされる帽子です。
1960年までは、士官の位を見分けることができました」
今では見分けられなくなったってことでしょうか。
肩章には、これが「エポーレット」ということが書かれていますが、
このエポーレット、ファッション用語ではおなじみです。
コート肩にベルトみたいなのが付いているデザインがありますが、
あれをエポーレットと呼ぶのです。
そして右側にはセーラー服。
左下の水兵帽は、1880年から1945年まで使われていた「Dixie-cup」
と呼ばれるものです。
ディキシーカップとは、最初に紙コップを作ったアメリカの会社で、
形状が似ていなくもないということから付けられたようです。
左腕のストライプは「釜の飯を食った年数」を表していると書かれていますが、
4年以上いたらどうなるのか。
ちなみにこの制服は、ペティオフィサー・ファーストクラス
Petty OfficerFirst Class(PO1) のもので、
自衛隊なら1等海曹になろうかと思われます。
前に来た時には改修中だったスカイホークが完成していました。
TA-4Jスカイホークは、軽量で高性能の2シート戦闘機で、Δウィングです。
プラット&ウィットニーJ52 P6Bエンジンを搭載しています。
初飛行は1969年。
その駆動性の良さと操縦しやすさから、練習機としても使われ、
設計者のエド・ハイネマンの名前をとって
「ハイネマンのホットロッド」
として知られていたそうです。
ホットロッドとはカスタムカーのことだったりしますが、
この場合は「ホットなロッド」(ロッドはいわゆるありがちなスラング)
にかけたのではないかという気もします。
ところで、ちょっとびっくりしてしまうのですが、ここにあるスカイホーク、
海軍航空博物館から貸与されてここにあるもので、なんと
「現存する最後の生きている機体の一つ」
なんだそうです。
最後に空を飛んだのは2003年の4月。
プエルトリコから、オークランドのアラスカ航空の整備場までで、
整備をすませてからこのアラメダにある「ホーネット」まで飛んできました。
デパートで洋服を着せられているのとは面構えのすこし違うマネキン。
ジム・ダッジ海軍大尉という実在のドライバーの往年のコスチュームなので、
もしかしたら本人に似せたらこうなったのかもしれません。
ダッジ大尉は最後の「ホーネット」乗り組みの飛行部隊、
「バウンティング・ハンターズ」(賞金稼ぎ)の司令官で、
アラメダに海軍基地があった頃の最後の司令官でもありました。
「ホーネット」が廃棄処分を免れ、今現在博物館としてその姿を残しているのは
このダッジ元大尉の尽力がたいへん大きかったからだ、ということです。
ダッジ大尉は「ビジランテ」の偵察ナビゲーターとして海軍のキャリアを始め、
その後、F-14トムキャットのパイロット兼教官をしていました。
アラメダの海軍施設が廃止になったのは1994年のことですが、
(ちなみにその頃の建物などは今ゴーストタウン化している)
最後の司令官として「バウンティング・ハンターズ」を率いました。
これも前回来た時には見なかったような。
F-11F-1(F-11A)タイガー
F-11 A というのはアメリカ三軍で統一した名称です。
もし源田実が空自にF「三菱鉛筆」というあだ名のあったスターファイター、
F104を導入しなければ、この「タイガー」が日の丸をつけていたかもしれない、
という歴史の「イフ」をご存知でしょうか。
そうならなかったのはタイガーよりスターファイターの方がカッコよかったから。
とかいう理由ではありません。
当初、この改良型の F-11Bの企画がアメリカ海軍に売れなかったので、
グラマン社は日本の商社、伊藤忠と組んで、空自に売りつけにかかりました。
アメリカ海軍に売れなかったのにも何か理由があったはずなんですけどね。
この商談は一応内定までこぎつけたのですが、まだそのとき、設計図だけで
本体ができていなかったのと、当時のご時世から「内定は汚職ではないか」
と騒がれたことで、話は白紙になってしまったそうです。
そもそも腹立たしいことに、グラマンは
「空自が買ってくれたら、空自仕様に開発することはやぶさかではない。
でもその開発資金色々は全部そっち(日本側)で持ってね」
という態度だったというのです。
どれだけ舐められてんのよ。というかそんな商売では銭の花は咲きまへんねんで。
そこで源田実を団長として現地に視察団が赴いた結果、あらためてタイガーの
代替案として、スターファイターを導入することに決まったというわけです。
うーん、いろんな意味でグラマンひどすぎ。
まあ、今現在も日米間における武器の購入と開発には、いろいろと、
アメリカ側のジャイアニズムが幅を利かせているそうですが、
特にこのころは「戦争に勝った国と負けた国」の力関係が、一企業の態度にも
この例のように表れることもあったってことでよろしいでしょうか。
ちなみにこのタイガー、アメリカではチャンスボート社のクルセイダーF-8Uと
主力の座を争って敗れたので、日本に売りつけようとしたという舞台裏がありまして、
同じような両社の競合関係としては、レシプロ時代にも
「F8Uベアキャット対F4Uコルセア」という販売合戦がありました。
このときも海軍はコルセアを選び、チャンスボート社の圧勝に終わっています。
ところで、「タイガー」のテストフライトの時、航空史上最も
「奇妙な出来事」が起こったとされます。
「タイガー」は史上唯一、「自分で自分を撃墜した飛行機」になってしまったのです。
1956年、パイロットのトム・アトリッジは、試験飛行で
ダイブしながら2発の射撃を行いました。
自分の撃った弾の弾道と、自分の飛行機の速度と航跡がどうにかなって(笑)
それがちょうどクロスし・・・・つまり、自分の弾に当たってしまったのです。
「松作戦」のときに米潜水艦が自分で自分に攻撃して自分が沈没、というのは
潮の流れということを考えればまあ可能性はなきにしもあらずだと思いますが、
空中で近代戦闘機が、というのは確率的にもものすごいレアでしょう。
操縦士のミスでもなんでもなく、ものすごい偶然の賜物?で、
とにかく、撃墜された機体は無事死亡し、アトリッジを乗せたまま
地面でクラッシュしたのですが、奇跡的にもアトリッジは無事でした。
まあなんというか、テスト飛行のときから「ケチがついていた」ってことなんですね。
さて、ハンガーデッキからその階下に降りると、士官用の各部屋だったところが
今はアメリカ海軍の艦船のメモリアルルームになっており、
当ブログでも幾つかの展示をご紹介してきたわけですが、今回は
前回写真を撮り損ねた部分についてこだわってみようと思います。
空母「フィリピン・シー」のコーナーで見つけた一コマ漫画。
「フィルシー・コミックス」というのがなぜ2002年になって
描かれているのかが謎なのですが、現在でも、元乗組員たちが
機関誌などを発行しているのかもしれません。
「オニオン・スキン、こちらジューングラス!」
と始まる無線通信なのですが、次に続くZero-niner、というのは
いわゆる「手順語」で、たとえば
"Victor Juliet Five-Zero, Victor Juliet Five-Zero,
this is Echo Golf Niner-Three.
Request rendezvous at 51 degrees 37.
0N, 001 degrees 49.5W. Read back for check. Over."
みたいに使われる数字の言い方のようです。
「ナインティ」だと19か90かわからないこともあるからでしょうか。
漫画の場合、機体番号が109なので、「ゼロナイナー」なのかなと。
オチの「Rock the ship!」も正直よくわかりません。
この「ジューングラス」機は、もうランディングギアも降ろした状態ですが、
無線が通じなくなって無茶苦茶焦っていて、
「船を止めてくれ!」(係留する=ロック)と懇願しているのか。
それとも、飛行機のバンクのように船を揺らして(ロック)くれと言っているのか。
どちらの意味だったにしても、わざわざ一コマ漫画にするほどのことか?
と日本人としては思ってしまうわけですが、これを読んでいる方、
もしこのネタの真意がお分かりでしたら、教えていただけると幸いです。
読みにくい方もおられると思うので、漫画の台詞を書き出しておきます。
"ONION SKIN ! THIS IS JUNE GRASS ! ZERO-NINER !
I'M AT THE180. GEAR AND HOOK DOWN! STATE 800 !
HEY! I THINK MY RADIO IS OUT!
IF....YOU...HIAR...ME! ROCK THE SHIP!"
と、妙なところで時間を取ってしまったので続く。