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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「誇らしき偉業!」〜ミスティック・シーポート造船所

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ミスティク・シーポートをぐるりと一周回って見てきたら、
一番最後に造船所を見学することになりました。 

この造船所はスキルを持った職人たちが常駐して、展示船の補修、
展示の用意などを行う、世界でもユニークなものです。



遠くから見てもここに造船所があるとわかります。
正式には

Henry B. Dupont Preservation Shipyard

という名称です。
プレザベーションというのは「保護」とか「保全」の意味があります。

船舶を保全するという意味とともに、昔ながらの造船・修復技術を保全する、
という意味で冠されているのだろうと理解しました。



こういう場所に自由に立ち入っても良いというのはさすがは体験型展示ですが、
とりあえず稼働中に危険はないものなのでしょうか。

この広いスペースには所狭しと木材が並べられています。
レールの上にある緑の車のついた機械には、先に巨大なカッターが二枚ついていて、
木材を加工するためのものであることがわかります。

これは「ソウ・ミル」といって、三枚の刃でそれ自体が動きながら木をカットします。



赤いバツ印がカットする目安というわけでしょうか。
丸太は動かないように白い棒で固定してあります。
ここで縦からも横からもカットできるようですね。



閉園間近だったせいか、船のあるところや民家や店舗のあるところと違って、
人は本当にまばらでした。

たまに歩いている人がいるかと思えばどうやらスタッフのようだったり・・。

この画像の右側にハシゴがかかっていますが、ここから上り下りするんでしょうか。



機械の下部におがくずがたくさん詰まっています。
木を削ったりする木工機械のようです。



木屑が新しいところを見ると現在進行形で使用しているのでしょう。
不思議なのは、機械のあちらこちらに「危険」という札が貼ってあるのに、
観光客に向かっては取り立てて注意を促していないところです。

赤いボックスのオフになっているスイッチをオンにすれば稼働して、
たちまち「危険」な状態になるはずなのですが・・・。

日本ならばこういうところに見物客を入れたりしないし、入れたとしても
機械そのものに触れないようにしてしまうことでしょう。

このようなアメリカの「いい加減さ」を目の当たりにするたび、
日本人の「先回りするおせっかいさ」が時として鬱陶しいものに思われます。



糸鋸のある木材加工装置。
切り掛けで置きっぱなしにしてありますが、その気になれば近くでみることもできます。
糸鋸が錆びているみたいだからもしかしたらこれは使われていないのかな。 



「アミスタッド」。
甲板のうえには乗員が一人乗っています。
「アミスタッド」とはスペイン語で「友情」を意味します。

説明には「80フィートのフリーダムスクーナー」とあります。
「スクーナー」とは、 2本以上のマストに張られた縦帆の帆船の一種です。

最初にオランダで16世紀から17世紀にかけて用いられ、
アメリカ独立戦争の時期に北米で更に発展したということです。

スクーナーという名称は、初めてこのタイプの船を見た人が、

「Oh how she scoons」(おお、氷の上を進んでいるようだ)

といったとかいわなかったとかからきているという噂があります。
ちなみに日本ではこのタイプの帆船が幕末に作られており、

「君沢形」(きみさわがた)

と呼ばれました。
余談ですが、スクーナーが日本に入ってきた経緯というのがなかなか面白いんですよ。

1854年(嘉永7年)、日露和親条約の締結交渉のため、ロシア帝国の
エフィム・プチャーチン提督が乗ってきたフリゲート「ディアナ」が、下田沖で碇泊中、
安政東海地震に見舞われて津波で大破し、沈没してしまいました。

プチャーチンは、すぐさま幕府の同意を取り付け、戸田村で船の建造を始めました。
(このころは船がないと帰れませんから)

設計はロシア人乗員らが担当し、日本側が資材や作業員などを提供、支援の代償として
完成した船は帰国後には日本側へ譲渡するという契約をしました。
日本側に洋式船の建造経験はなかったにもかかわらず、日露の共同作業はおおむね順調で、
起工より約3カ月後には無事に進水式を終え、建造地の戸田(へだ)にちなんでその船は
船名を「ヘダ」号と命名されました。

ヘダ号(wiki)

というわけでプチャーチン一行は無事帰国していったわけですが、幕府は、
「ヘダ」の建造許可のわずか15日後に、同型船の戸田での建造を指示しています。

その後戸田以外、たとえば石川島造船所でもこの君沢形が多く作られ、
ここはのちに石川島播磨、現在のIHIとなったのでした。


さて、これは古い時代の日本の話ですが、「アミスタッド」ができたのは最近で、
1998年から建造が始まり、完成したのは2000年のことになります。
どこで生まれたかというと・・・・そう、このシップヤードなのです。



そして、今まさに建造中のおそらく帆船がここにありました。
実際に稼働する帆船を作るにはおそらく独特の技術が必要でしょう。
当然ながら、船を作り続けていないと技術は途絶えてしまいます。

日本は、例えばわたしが知っている範囲でいうと、今次々に FRP素材のものに
変わっていっている掃海艇は、木造船の時代の技術者がもういないと聞きます。

新素材の艇に主流が移っていけば、古い技術が淘汰されていくのは自然の理といえ、
何かとても残念な気がしてしまうものですが、ここでは、少なくとも、
昔ながらの手法で帆船を作り続けていくことができる技術者が生きています。

帆船の帆に登り、音楽を演奏していた乗員は若い人たちでしたが、
アメリカではそういう伝統を受け継ぐ仕事も、誰かが必ず手を挙げるので、
こんなかたちで技術も残り続けていくのだろうと羨ましく思われました。



現在船を建造しているところからはまっすぐ地面に稼働のための線路があります。
(車が邪魔ですが)



ミスティック河の船の航行を時としてみるための物見櫓。
櫓の前には船を建造するときの支えがある場所があります。

一番手前に横たえられているのはマスト。



まるで鯨の骨のような船の外殻が壮観。

New Mayflower とありますが、これは「メイフラワーII」のことです。
言わずと知れた「メイフラワー」のレプリカで、

「アングローアメリカン(米英)の友情の印として」

1956年にイギリスで建造されたものです。
彼女は完成後大西洋をわたり、「第1号」と同じプリマスから
アメリカのプリマスまでやってきました。

実は2016年、つまり今年の初頭に、この「メイフラワーII」、ここミスティックにきて
造船所で修復をしていたらしいのです。
その後公開もされていたようなのですが、春にイギリスに帰ってしまっていたようです。



セミ-ディーゼルエンジン、と説明があります。
Whichmanなので「ウィッチマン」かと思ったら「ウィヒマン」と読むのだそうで、
ノルウェーのディーゼルエンジンメーカーでした。
今はフィンランドのバルチラ社(船舶エンジン会社)に吸収されているようです。

このエンジンは1930年の作で、蒸気エンジンより軽く小さいのが重宝されました。
ミスティック・シーポートの造船所がこれを手に入れてから、2年間、
3,300時間を費やして稼働を可能にし、現在は動かすことができます。

コードを包んでいるアルミホイルが手作り感あふれていますね(笑) 




あーなんかこれ昔どこかで見ましたわ。
えー・・・・ジェレマイア・オブライエンだったかな?
違う・・・あれは3シリンダートリプル拡張レシプロ蒸気エンジンだったはず・・。

忘れました。orz
勉強があまり役に立っていないと感じる瞬間(笑)
でもこれも一応2シリンダーの蒸気エンジンですよね?

なんでもタグボートに搭載されていたものだそうで、なるほど、
彼女らがあんな力持ちなのもこれを見れば納得です。



この軽量型ディーゼルエンジンも当造船所が手に入れて、
「2013年8月13日についに稼働開始することができた」そうで、

 A proud achievement !

と誇らしげに書かれています。



「キール」という言葉に最近大変馴染みがあるなあと実感するわけですが、
気がついて見れば、英米の船の起工にはかならず

「KEEL LAID」(キール敷設)


と書かれているわけです。
船にとっての背骨、キールを最初に置いた日、それが船の生まれた最初の日。
人間は尾骶骨が最後に死ぬ、という話を思い出しますね。関係ないですが。

このキールの展示されている部屋は、とても長くて、それもキールの長さそのものだからです。
92フィート、つまり30mの長さのキールは捕鯨船「Thames」のものでした。

1818年に建造された二本マストの船で、ここコネチカットで生まれ、
その現役時代には鯨を追ってアフリカやハワイに航行していたそうです。



全てを見終わって帰路に着く前に、ミュージアムショップに寄ってみました。
信号旗が黄色地に配されたTOのネクタイを記念に買いました。
ショップにはハーマン・メルヴィルの「モーヴィー・ディック」も売られていました。

この装丁をみて、なんだか急にもう一度この小説を読みたくなったわたしです。

初めて来たはずなのに何か懐かしいような気がするのはなぜだろう、と思ったら、
それはわたしがこういった世界をたとえばこの「白鯨」や、映画などで
体験した気になっていたからだということに思い当たりました。


そういえば、スピルバーグの映画「アミスタッド」は、「アミスタッド号事件」
(奴隷運搬船上で奴隷が反乱を起こした事件)をテーマにしたもので、
モーガン・フリーマン、アンソニー・ホプキンス、マシュー・マコノヒーなど
名優をふんだんに使った話題作でした、

この事件は、反乱によって行った殺人事件が裁判で結局無罪となり、奴隷となった
アフリカ人たちは結局帰国を許されたという結末でしたが、映画公開後の2000年、
この「アミスタッド号」のレプリカがここで作られたというわけです。

そして現在、彼女は奴隷制、人種差別、公民権の歴史を広く知らしめるために
ここミスティック・シーポートを母港として活動しているということです。







 


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