LST-510というのは、LST-1型戦車揚陸艦の「510番艦」ということになります。
どれだけたくさん造られたのかとびっくりしてしまうわけですが、
510くらいで驚いていてはいけない、なんとこのタイプ、終戦までに
1052隻
が生産されたというのです。
まあよく考えれば戦車と人員を積むのが目的なので、中はほぼ空洞みたいなもの。
(ですよね?)
空母や増して戦艦などより造るのもきっと簡単で楽だったに違いありません。
そのせいなのか、乗り心地というものは一切考慮されていなかったようです。
ここアメリカでは、何かと言うとテレビで「プライベート・ライアン」の
再放送をするのですが、その度にあの上陸作戦のシーンを最初に見ることになります。
先日観たとき、揚陸艦に乗っていた上陸前の兵が、船の中で嘔吐しているシーンがあり、
緊張のあまりこうなってしまう兵もいたんだろうな、と思ったのですが、
もしかしたら船酔いしてたってことなのかもしれませんね。
これはLSTの543ですから、510の「バンコム・カウンティ」とは
造られた時期がほとんど一緒だったということになります。
戦艦「マサチューセッツ」のD-デイ参加船模型コーナー。
手前のSTは陸軍のタグボート、向こうのATF321は海軍のでしょう。
ATFの意味を調べたのですが、
「 Advanced Tactical Fighter (ATF)」(先進戦術戦闘機計画)
としか出てきませんでした。
AUXILIARY だけで「補助艦艇」の意味があります。
向こうの「OCEAN TUG RESCUE」(海洋救助タグ」が、なぜ
『OTR』でなく『 ATR 』なのかも謎です。
これが「浮き桟橋」と「浮橋」。
我らがLST-510、「バンコム・カウンティ」が直接海岸に近づけず、
代わりに輸送してきた兵員を降ろしたのはこのようなポンツーンでした。
おまけ。
画面下が陸地で、沖に造られた「人工港」を表します。
マルベリープランというのは、上陸作戦の10日後に、
物資輸送のために作った人工港を「マルベリー港」と名付けたことからきています。
図解の「プランA」はオマハ・ビーチ、Bはゴールドビーチにありました。
図の一番沖にあるのが人工防波堤、黒い数珠繋ぎが艦艇ですが、
このために「MOORING SYSTEM」、つまり海底にアンカーを打ち込んで、
一つのアンカーから出る2本の鎖で艦艇を繋留し「港」としました。
図には「4隻のリバティシップにつき3つのシステム」とあります。
さて、今は現存する唯一つの元戦車揚陸艦、フェリー「ケープ・ヘンローペン」。
出航してから売店で(意外と)美味しい夕食を食べているうちに、
すっかり陽は沈み、あたりが暮れなずんできました。
わたしが仮眠を取る前に、船内を探検に出かけます。
こちら船首甲板部分。
もちろん乗客は立ち入り禁止です。
もやいがブルーなのが何か新鮮な感じ。
この時には「バンコム・ビーチ」の頃からどんな改装が施されているのか
全くわからなかったので、こういうのももしかしたらD-デイに使われたのか、
と思い一応一生懸命写真を撮ってみましたが、実際は元のままであるのは
船の外側だけであったことが判明しました。
どうやって取り替えるのかわかりませんが、機関部分もそのままではないでしょう。
船尾の国旗は、この直前南部で起きた警官銃撃事件を受けて半旗のままでした。
デッキに出ている人はごくわずかです。
艦尾がわのベンチからフェンネルを臨む。
横から見ればフェリー会社のマークが刻まれています。
救命ブイのかかっている位置が左右対称で美しい。
ライフジャケットが収納されているボックスは甲板にあります。
ボックスの上の「逆”へ”の字」の金具はなんでしょうか。
お金を入れて見る望遠鏡が、これも両舷の左右対称に一つづつ設置されていました。
艦尾甲板、つまりここを降りると車を停めた階なのですが、
航行中は立ち入り禁止になります。
甲板には駐車を誘導していた係員がずっと立っていました。
このあと、わたしたちはこのあとのドライブに備えて客室で休むことにして、
船室に戻りました。
客室キャビンに展示されていた写真。
「ケープ・ヘンローペン」では、1994年にD-デイ50周年記念を行いました。
これはそのときに集まった、かつての「仲良し三人組」。
三人とも若い元気な水兵さんでしたが、このときには全員70歳台です。
ニューオリンズに「D-デイ博物館」というものがオープンした、とありますが、
調べてみると「D-デイ」だけがテーマの博物館があるのはイギリスだけでした。
こちらは、「国立第二次世界大戦博物館」に併設された展示のことであろうかと思われます。
The National WWII Museum
ちなみにD-デイ・ミュージアムは、上陸作戦から56年目の
2000年6月6日にオープンしました。
この写真もそのときのものでしょう。
さらにその4年後、ノルマンジー上陸作戦から60年目にあたる2004年6月6日、
LST-510に乗って作戦に参加した元乗員たちがこのフェリーに集まり同窓会を行いました。
130人の士官と下士官兵で、60年後生存していたのがたったこの9人だけ。
とは思いたくないですが、参加時(1944年)に20歳だったとしても80歳ですから・・。
2014年に「70周年の同窓会」が行われた様子がないのは、
・・・つまりそういうことかもしれません。
さて、写真を撮って長椅子に横になり、しばし目を閉じて仮眠を取っていると、
港が近づいてきたのでみなさん車に戻ってください、とアナウンスがありました。
車に乗り込み、接岸までそこで待ちます。
一番端っこに停めた(だってここに停めろっていわれたんだもの)車の
運転席から見た甲板の様子。
右の階段から皆降りてきて車に乗り込んでいきます。
接岸を見守るクルーたち。
日常的に港を往復しているフェリーの着岸作業は驚くほど迅速であっという間に
ランプを降りる指示が出されました。
このあと、ニューロンドンの港に降りて、ナビの通り走ろうとしたつもりが、
なぜか間違えて高速から降りてしまい、そこがなんと先日訪れたばかりの
コーストガードアカデミーの正門前の道であったことは、お伝えした通りです。
幾つかのフェリーの中からD-デイに参加した船を偶然引き当てたことも、
もしかしたら当ブログで「ネイビーブルー愛」を常日頃節操なく垂れ流している
熱く語っていることに対するちょっとした”ごほうび”であったかもしれない、
とわたしは今もそう思うことにしています。
・・・・・誰からのごほうびかと聞かれると、少し困ってしまいますが。
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70年後のD-デイ同窓会〜USS「バンコム・カウンティ」LST-510
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