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SH−60Jと「出会い系基地見学」

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さて、何よりも列を作って並ぶことが大嫌いなわたしが
対潜哨戒ヘリSH−60Jのコクピットに座ることが出来るという
列に並び出したところまでお話ししました。

前にも言いましたが、この日の陽射しの強さと暑さは
今年一番というくらいで、照り返しの強いヘリパッドの上、
まるでフライパンの上にいるかのように炙られて、
その間何度も列から抜け出したい衝動に駆られましたが、
何とか使命感が打ち勝ってこれに耐えることができたという次第です。

それに、じっと待って並んでいる間にも、周りでは様々な
基地見学模様が展開されていて、全く退屈ではありませんでした。



この列は後部座席に乗りたい人たちの並ぶ列。
短いのでこちらにしようかとも迷ったのですが・・・。



一度に何人かが乗れるようです。
うーーん、こちらも捨てがたいけどなあ。

上写真左側のおじさんはヘリ隊員をつかまえて
ものすご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く長い間、
話し込んでいました。

一般公開当日の自衛官の任務はこういうコアなファンにも
懇切丁寧かつ辛抱強く応対するということにつきます。

本当にご苦労様です。



ちょうど艦首の横だったので、皆がここで記念写真を撮っていました。
お母さんが「けいれいして」と注文をつけ、おにいちゃんと妹は
お互いにちゃんと敬礼できているかどうか確認中。

「兄者!これでよろしいでしょうかっ!」
「ヨシッ!妹っ!いい敬礼だ!」



最初は正面を向いていたお母さん、赤さんの顔も写そうと
横向きになってツーショット写真(のつもり)。
しかし残念ながら赤熟睡中で後頭部しか写ってません。

経験上、本当に赤ん坊の起きてる写真って撮れないんですよね。
本人に写真を撮られている自覚が全く無いものだから。
ニコニコ笑ってレンズを見てくれるようになるには後3年を要します。
うちの子はさらに「カメラ反抗期」でレンズを向けると顔を隠す時期が
たっぷり6歳くらいまで続きました。



トモダチ作戦のTシャツ着用で参戦した男性は、
「てるづき」をバックにお茶「整列休め」を激写。
周りの人は「何やってるの」って感じで見ていましたが
わたしには彼の意図がよくわかる。

探せばこの写真がこの人のブログなんかで出てきそうですね。



「てるづき」と書かれたラッタル、そして向こうに見える「ゆうぎり」。



横でシマシマシャツに「かいきょうじえいたい」の紙帽子をかぶり、
一枚ずつうちわをもらって大喜びの三人兄弟が横で色々と始めたので
彼らを眺めているとさらに厭きませんでした。

わたしの後ろに並んでいた女性2人(一人はミリ子、一人は付き合い)が

「かわいいね」
「あの帽子海上自衛隊って書いてある」

とやはり微笑ましく眺めています。



「弟よ、我が胸に飛び込んで来るが良い!」
「むきゃあああ」

と思ったらお兄ちゃんうちわを落としてみたり。

 


男ばかりの三人兄弟、親御さん、特にお母さんは大変だろうと思います。
わたしの姉が男三人兄弟の母なのでよーく知っていますが。



と思ったらお母さんがもう一人しましまを連れてきました。
なんと、若草物語(男子バージョン)だった・・・。

いやこれはすごい。お母さん立派。
お子たちの大きさから見て、三人目が双子だったのかもしれません。
しかし楽しく子育てしておられる様子。



おにいちゃんが弟をケアする体制も万全です。



と思いましたが、実はボトルを兄に奪われそうになっております。

「この水だけは断固渡せん!」



static portとは、静電気除去のための、つまりアースをつなぐポートかな?



案内&説明係、交代の時間で、代わりの隊員がやってきて打ち合わせ。
彼らの帽子には

「21FS BLACK JACK」

とありますが、これは第21航空隊のスコードロンネームです。

ところで、この男前の隊員を見てふとお知らせをしようと思いついたのですが、
7月27日、館山航空基地で

「海まちフェスタ2014」

というのが行われるのですよ。
ヘリの地上展示に始まって救難飛行展示があったり、
小学生対象で「ヘリと綱引き」というイベントがあったり、
なんと先着順で体験航海が出来たり(1日6回も巡航!)
もちろん護衛艦の見学もできるのですが、このとき配っていたチラシに
自ら

「今年は横須賀地方隊の輸送艇2号を予定しています。
し、しぶい!」

と書いているように普段あまり公開されない艦が見られる模様。
当日は基地内をゆるキャラも巡回します。
7月27日のイベントにゆるキャラの中の人はさぞ大変でしょう。
出演はチーバくん、千葉未来・翔、だっぺぇなど。
千葉衛は?衛はどうしてこないんだ?


で、ここからが本題なんですが、新しい試みとして
「イベントツァー」というのが今年から行われることになりました。

なんと、

「貴女に(女性限定らしい)専属のガイドが付きます!
女性3人1組でお申し込み下さい。
男性自衛官1名が半日、貴女のガイドに付きます」

というものなのです。
こっ・・・・これは・・・・。


どうして女性限定なのか。どうしてそれに男性が付くのか。
男三人に女性自衛官のエスコートバージョンがないのはなぜか。

思い切りましたなあ館山航空基地。
昨今の「国防男子」のブームをまるで汲んだようではないですか。
今までこんな露骨な、いや具体的な女性向け企画があっただろうか。
これはもう自衛隊が仕組んだ「出会い系見学」の新しい形。

国防に対する理解を深めると共に、さりげなく自衛官と
一般女性の出会いを演出するという目的ですね?(確信)

これはエスコートする男性自衛官の方も期待してしまうでしょう。
まあもっとも、女性3人が全員独身とは限りませんし年齢制限もないので、
おばちゃん3人組にソフトなセクハラをされながら半日拘束される
運の悪い隊員も中にはいるかもしれませんが。

みね姉さん、ぜひそんな可能性をすこしでも減らすべく、
綺麗どころを見繕ってこの日館山に行ってあげて下さい。

ちなみにこれは事前申し込みが必要です。詳しくはHPで。



と、自衛隊になりかわりましてイベント情報を宣伝させていただきました。

交代した隊員はコクピットのハッチで荷物を持ってくれる役目。
狭いので持って乗ることが出来ないから、その間
ずっとこうやって預かった荷物を大事に抱えていてくれるのです。
さすがは自衛隊、なんという気配り。



待っている間もヘリを写真に撮ります。
これはホイスト。
救難用でフックを下に降ろします。

このSH−60は護衛艦の戦闘システムの一部とされ、区分も対潜哨戒ヘリですが、
副次的任務としてサーチ&レスキュー、つまり救難ヘリとしての役目も担います。
ヘリのクルーにはレーダーやソナーを操作する「センサーマン」がいますが、
このクルーが降下救助員も兼ねているのだそうで・・・これ、すごい能力ですね。
ハードとソフトを一人でやってしまうという。



コクピットに座るとこんな感じ。
操縦桿を握った手を撮影している人。



順番を待っているときドア内側を撮ってみました。



外から撮ってみます。



これを撮っていると「空調です」と隊員が教えてくれました。
ヘリ内部は冷暖房完備だそうです。
今は当たり前になっていますが、昔は哨戒機でも空調はなかったのです。



めまいがしそうなくらいスイッチの多いテーブル。



ヘリの主操縦席はどちらなのでしょうか。

SH-60Jの副操縦士は、P−3Cの戦術航空士(タコー)と同様の任務も担当します。
操縦の補佐以外にも効率的な任務遂行のため、CICと連携して
リコメンド(提言、進言)を機長またはCICに与える責任を担うので、
もはや主従の関係ではなく、全くの同等といえます。

 

SH−60Jは慣性航法装置といって、外部からの電波による支援を受けず、
搭載しているセンサーで自分の位置や速度を算出する機能を搭載しています。



へりはペダルで推進するんですよね。
これをアンチトルクペダルといい、テールローターのピッチを変化させて
機首方位をコントロールします。

具体的には左ペダルを踏むと機首は左へ回転し、右ペダルを踏むと右へ回転します。

ヘリコプターの操縦で一番難しいのはこのペダル操作だそうで、そういわれてみれば
横浜のみなとみらいにある三菱の科学館でシミュレータをやってみたとき、
この足の動かし方の加減が全くつかめないまま終わってしまったことがあります。

一緒にすんな、って?



天井にもスイッチが・・。
座って上を見た姿勢から読めるように、字が書かれています。 



「海自」がもう少しで「海白」になりそう・・・。
「がんばろう!東北」とも書かれています。

おそらく震災後救援活動で東北に行き、救助に当たったヘリでしょう。



コクピット席のシートの間から後部座席を撮ってみました。
あれ?
もしかして背中を向けて座っているのって、クルー?
乗り込んだ人の質問などを中で受けているようです。
なんだ、それなら後ろに並んだ方が良かったかな・・。



ところで93年の運用開始後、このSH−60の墜落や炎上などの重大事故は9件。
21年の間に5名の操縦員が殉職しています。

運用に当たっては整備は「塩害との戦い」と言われており、それは
海面近くを飛行するからなのですが、その他に夜間飛行も多いため、
搭乗員や整備員は常に練度の向上に務めているとのことです。



出来るだけ急いで写真だけを撮りまくり、(後ろに並んでるので)
外に出ました。
隊員がステッカー、諸元表、そして海まちフェスタのお知らせを
配っています。
わたしに渡す前に

「今日はすぐになくなりそうです」

と笑っていました。
今までになく人が多く、彼らもびっくりしているのかもしれません。

彼の左腕にはスコードロンマーク、左胸に輝くのはウィングマーク。
つまりこの隊員が当機のパイロットということになります。



というわけで、ヘリの見学も終わり、引き揚げる前に恒例の
お土産たーいむ!

前日から息子が友達のうちにスリープオーバーでお邪魔しており、
迎えにいくのに何かちょっとしたお礼をしたかったのです。
そこで売店に向かって歩いていくと・・・




熱心に望遠鏡で見張りをする隊員あり。
凄い望遠鏡ですね。
佐世保の基地に望遠鏡での覗きは禁止!みたいなポスターがありましたが、
確かにこんな代物ならかなり離れた人家の窓の中も見えてしまいそう。

ところでこの隊員は停泊している状態で何を見ていたのでしょうか。



「てるづき」を見学する人たちの列が出来始めました。
皆並ぶ列の途中にある「ちびしま」の写真を撮っていきます。

この後、売店に向かおうとしたときに目の前で思わぬイベントが始まったのです。




続く。

 


いわゆる「セクハラ野次」事件に思う

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「担がれたなあ」

これがこの一連の騒動を見てまず感じたことです。 
今回の野次事件では、まず登場人物が

グラビアアイドル出身でテレビ局の放送作家であり、
過去にテレビ番組で性を売り物にして金銭を得ていた過去を暴露、
同じ都議の倫理委員長と不倫疑惑が持たれる女性都議

に、「自分が結婚すればいい」と野次ったとされる

尖閣に上陸したこともある自民党議員

であったことで、まずメディアが大騒ぎを始めました。
そして、各社が一人の「一般」女性に自社の主張をさせて
その映像を使い回すという相変わらずの仕込みなどを経て 
この件を大事件に祭り上げ、しかも「被害者」はわざわざ
外国人記者を呼んで世界に発信してしまったのです。

「今21世紀だよね」
「議員達は国家を助けるために選出されたのにも関わらず、
自らのネアンデルタール人レベルの意識から抜け出せていない」

こんな海外からの意見が寄せられているようですが、
これは塩村文夏議員が、

未婚女性や不妊女性の話は聞く価値がないとする男性議員の意識を指摘した。
そんな彼らが女性のために政策立案するのは困難であり、
政策担当者が女性の生の声を聴き理解する必要性を強調した。

と、つまり問題を日本の男性社会への警鐘のように仕立て上げ、
外圧につなげようとしたことが一部実を結んだといえます。

しかし、この人一体何のためにこんなことしてるんですか?
世界に向かって日本が「女性の人権後進国」であると、
しかも「生めないのか」という発言をねつ造してまで発信する意味は?



ところで、今回騒ぎになったことで塩村都議は脛に傷、どころか
痛くもない腹、どころか腹も脛もアイタタタな過去を暴かれてしまいました。

「男性と別れるときにいつも慰謝料を要求し、
多いときには1500万円を受け取っていた」

「妊娠したと偽って金銭を要求したこともあった」

「一度に何人もと『婚約』していた」

これらの香ばしい過去の行為は、女性の性を自ら貶め、侮辱するも等しく、
「そんな未婚女性」がいまさら「結婚しないのか」といわれてくらいで
そもそも傷つくような「タマ」だろうかと残念ながら世間は思ってしまうものです。


都議の一見もっともな「女性の人権問題提起」を取り上げた海外メディアは、
果たしてこの女性のこういう過去を知って記事にしたのでしょうか。

それ以前に、今ほど彼女の出自や過去がクローズアップされていたら、
そもそも選挙で都議会に選出されていたでしょうか。

「過去がどうでも今ちゃんと都議として都政に携わっているなら
そんなことはあげつらうべきではない。
それより悪質なのはセクハラ野次をした自民議員だ」

とセクハラ発言の方を糾弾する意見も勿論あります。


わたしはこういう「仕組まれたっぽい騒ぎ」を見るとき、まず、

1)これを利用して政局につなげたい政治関係者

2)問題を大事にして何かを糊塗したいメディア

そして、

3)これを弾幕にして政府ひいては日本を攻撃しようとする層

の暗躍というものを疑うのが最近の習慣になっています。


セクハラ発言があった直後の映像によると本人は笑っており、
これは明らかに本人は結婚を切実にしたがってはいないが、

「相手がいないんですよ〜(笑)誰かいい人いません?」

とかなんとかからかわれて答えるような、彼女のおそらく
日常のノリがそのまま表れていると感じました。
ましてや後になって本人が言うように

「言われたショックで頭が真っ白になって涙をこらえて」

というような深刻な打撃であったようには全く見えません。

つまりこれを奇貨として、あわよくば政権批判につなげようと
いつも自民党議員の失策失言を鵜の目鷹の目で狙っている
マスコミがまずこれを攪拌して波立たせたとわたしは見ます。

「生む機械」発言、「酩酊会見」、「カップラーメンの値段」
「バー通い」「漢字の読み間違え」・・・・。

酷いときには顔に貼った絆創膏までを政権批判のためにあげつらい
マスコミは(とあえて言います)政権交代を成し遂げました。
つまりあの政権交代までの流れよもう一度、というわけでしょうか。

最近、石原伸晃議員が「金目」発言でその失言を責められましたが、
おそらくそれより「セクハラ」の方が「生む機械」のときのように
焚き付けやすく盛り上がりやすいことをマスコミは嗅覚で察知し、
こちらに殺到したものと思われます。

勿論安倍叩きが「社是である」と公言している朝日新聞は
ここぞとばかり

”自民ゆるゆる、失言続き 都議会ヤジ・石原氏・麻生氏…”

というタイトルで過去の発言集までわざわざ引っ張り出し、

自民都議の事務所にも「もう票は入れない」との批判が次々と寄せられた。
ある自民都議は「長引けば来春の統一地方選にも影響が出かねない」
と危機感をあらわにした。


その都議って、実在するの?とつい聞きたくなるのですが、
とにかく朝日好みの結論に結びつけて大はしゃぎ。

そもそも批判を寄せてきたり「もう票は入れない」と言っている人たち
(本当だったらですが)って、今まで自民党に投票してきた人たちなんですか?

わたしはとてもそうは思えないのですが(笑)


だいたい議員の失言というなら、わたしが選ぶ最も酷いセクハラ発言は、
田中眞紀子が子供のない安倍晋三議員のことを指して

「種無しスイカ」

と言い放ったことであり、史上最悪の現役議員による「国益を失う失言」は
鳩山由紀夫の

「トラストミー」「最低でも県外」「温室効果ガス25%削減」

だと思っているのですけどね。


さて、そこで2番についてですが、マスコミの報道が

「最も今国民が関心を持つべき重大な事件」

を得てして全く無視してどうでもいいことを騒ぐ、
という傾向があることは皆さんも薄々ご承知のことと思います。
今のようにインターネットで即座に情報が多角的に確認できる時代、

「ああ、メディアは今これをスルーするためにこちらを騒ぐんだな」

ということもまた検証されてしまうようになったのです。

いまのメディアが大きく取り上げるべきはまず

「河野談話が『河野談合』であることを政府が検証した」

という事案であり、あるいは

「高松市の選管事務局長が、自民党議員の票を300票抜いて
白票で相殺して不正をしていた」

という、日本の民主主義の根幹を揺るがすような大事件でしょう。

「それをお前が言うか」

とツッコミ必至の真っ黒黒子さんが少子化を語って野次られて、
どんなプライドか知りませんが、それがズタズタになったからって
それを女性問題に結びつけ、さらには「産む産めない」をでっち上げ、
「自民党批判」につなげてメディアが騒ぐのは、なぜか。


今世界で「慰安婦の強制連行」を訴え日本を貶めている韓国の
「日本弾劾の根拠」とされてきた「河野談話」が、実は韓国側からの

「これを出せばこの件は問題にしない」

というネゴを受けてのつまり「談合」であったということが明らかになりました。

わたしは安倍政権が当初「河野談話は見直ししない」と表明して、
保守派をがっかりさせたとき、これもアメリカからの圧力だろうか、
と暗然としたのですが、今回の件で

「見直しはせず継承するが、その成立過程を明らかにしないとは言っていない」

とばかりに日本の政府には珍しく開き直ったのを見て、
その権謀術数というか、いい意味での黒さに驚嘆しました。
これは日本に取って、今後の国際的地位を堅持する意味でも快挙であり、
だからこそメディアはこのことをもっと取り上げるべきだと思います。

もう一つの「選挙結果操作不正事件」は、これほどの事件であれば
第一面トップの見出しになってもいいくらいなのですが、
なぜかそれほど取り上げられていないらしい。

わたしは今海外におり、テレビを見ることもないので実感はありませんが、
都議会セクハラ野次について某番組では50分も割いたという話などからも、
報道の中心は全くこれらの案件にはないことは明らかです。



この一連のメディアが「焚き付けたい事件」そしてその反面
「最小限しか報道したくない件」には一つの共通ワードがあります。

それは「自民党」。

「自民党議員のセクハラ発言が問題になっている事件」
「自民党議員の票を操作して落選させようとした事件」
「政府自民党が日本を貶めている談話を談合と検証した件」 

つまり自民党を糾弾非難できる件は大仰に騒ぎ、
自民党に相反する勢力の犯罪は軽くスルー。
日本を窮地に陥れている談話を談合と検証したという快挙には
「日韓の関係を悪くするな」などという理由で不快感を表明。

非常に分かりやすい「反自民」「反安倍」の力がメディアに
こういう不均衡を恣意にもたらしていることがはっきりしています。



というわけで、担がれた塩村都議ですが、おそらくどこか
・・・・少なくとも「みんな」の上層部かメディアの一部から

「誰が言ったかを徹底的に究明させよ」
「海外メディアに記者会見せよ」

などと指示を受け、その通りにしたのでしょう。
冒頭にも言った通り、一定の成果はあったかもしれません。

しかし、マスコミというのは必ずしも一枚岩ではなく、
必ずしも反体制に与するばかりではないとまでセットで考えなかったのは
担いだ側の誤算だったといえます。

さすがに政権交代とまでは空気読んで言い出さないまでも

「自民一党の奢りが失言多発にフンダララ!」

ということにしたい朝日新聞も、売れれば勝ちの週刊誌が
こぞって塩村都議の不倫に始まって過去の痛い発言、
さらには実家の産廃業者である父親の恐喝事件など、
次々と暴露するにいたってはそっちのインパクトが強すぎて
塩村都議一人を「被害者」にしようにもなんとも説得力がなく、
せめて「自民党の失言体質」に落とし込もうとしているようす。

わたしは今回の件に対する非難コメントでは
デビ夫人の

「塩村都議が 日本外国特派員協会で記者会見を行っていますが、
日本の恥を これ以上 晒さなくてもよいのではないでしょうか?  
一体 何の為? 売名行為?」

という部分と、特にタレントのフィフィさんの

「一部議員が起こしたヤジ問題を特派員協会で会見して、
あたかも女性軽視が風潮であるかのように誇張するのも如何と思う。
慰安婦だとか日本のネガキャンに精を出す団体や国も多いんだから
マイナスにしか働かないのに」

「国益を考えて冷静に動けないなら議員失格」

という意見に同感です。

もっとも懸念されるのは、女性の人権問題をわざわざ内部から告発することで

日本=女性の人権を顧みない人権後進国

というネガティブイメージが、河野談話をあくまでも堅持してこれからも
それを根拠に日本の地位を貶めていきたい韓国に利用されることなのですが、
懸念の間もなく、実際に韓国政府はこの件を光の速さより速く受け止め、
さらにそれを世界に再発信し、河野談話成立過程の検証と絡めて
非難の補強に使っている様子。


さらに、憂慮することがあります。

この件にかまけて高知県の選対委員長が自民党議員の票を抜き、
白票を300(選挙用紙を用意できたのも内部の人間だから)混入させる、
という、文明国ではあるまじき犯罪で逮捕されたことを
どのメディアもセクハラ発言ほど騒ぎ立てないという異常な事態。

わたしはこれはこれが行われたのは初めてでもなく、個人の犯行でもない、
つまり組織の関与が疑われる大変な事件だと思います。
それをさしおいて、セクハラをしたのが誰かなどと声紋検査まで持ち出して
こういう状況に置かれた国の議員が、都議会とはいえやっている場合でしょうか。


さらにわたしが塩村とかいう都議が問題だと感じるのは
インタビューで

「被曝2世であること」(だから泣いた)
「苛め問題を思いだした」(だから泣いた)
「わたし一人への野次ではない」(だから泣いた)

などと、明らかに後付けの補強を行い、調子に乗って「告訴も辞さない」
などと言い出したことです。

彼女には、担がれて舞い上がって周りが見えてないのかもしれないけど、
そろそろはしごを外されて自分が落とされそうになっているのに
気づいた方がいい、といわせていただきたいですし、さらには

「さんまさん(テレビ出演のときの司会)に助けてもらえればありがたい」

とか言ったという報道にいたっては思わず

「もしかしたら、ばか?」

と口に出してしまいました。
皆の反感を買うだけで誰の得にもなっていないと思うんですがこの発言。


勿論それとは別にセクハラ野次が褒められたことでもないのも事実です。
女性と見ればセクハラ発言をするのが当たり前と思っているらしい
議員というのも現実問題としてかなりいるらしく、そいつらが今回の件で
身を引き締めて今後の言動を慎むようになれば、
それはそれで意味がないわけではなかったとも言えます。


しかしながら、最初から「自民の席の方から聴こえてきた」などと言っていたあたりで
なんだかなあ、と思わずにはいられないうさん臭さ。

そもそも野次は別に自民党の議員の専売特許ではないのであってだな・・。


 
たった今入ってきた情報に寄ると、現在塩村都議が「お付き合い」
しているのは「朝日新聞記者」で、会見の原稿もこの人物が
書いたようです。

・・・・・・なるほどねえ。わかりやすい。 

日本人を「罪人」にしようという動きなのかもしれませんね。 



主砲動的展示〜よこすかわいわいのりものフェスタ

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SH−60Jのコクピットで写真を撮り、売店に向かいます。
売店の並びには地本のテントが結構大きなスペースで立ち、
こちらはさすがに満員御礼というわけではありませんでしたが、
自衛隊に入隊について資料を受け取っている妙齢の()男子が
親御さんと一緒にテントの下にいたりしました。

噂によると、こうやって資料請求した若者のうちには
その後地本から繁く連絡が来るようになるそうです。

一度興味を示したら最後、精鋭の地本にロックオンされる。
ってことでよろしいでしょうか。



そして、未来の自衛官候補を確保すべく、お子様サービスも。
自衛隊的にはこれが公開の主目的なんですよね。
見学者は「客」じゃないの。
分かる?
日向に並んでいるときに

「客のことをちっとも考えない、やっぱりお役所仕事だよ」

と大きな声で文句を言っていたおじさん。


ここは自衛官の制服に着替え、パネルの前で写真を撮るコーナーです。
セーラー服を着ているペンギンのセリフは

「みんなとーってもにあうYO!」



ペンギンかわいい。
ちゃんと翼の先が制服から出ているのを評価する。



なぜあちこちにペンギンがいるのか。
それは変身コーナーが「南極の石コーナー」と同じところにあるからです。

砕氷艦「しらせ」の運んできた南極の石。
前回は南極の氷も展示されていたのですが今回はどうだったでしょうか。
(急いでいたので立ち寄りませんでした)

ところでこのリアルな等身大ペンギンのぬいぐるみ。
どちらもHITACHIのマーク入りです。

日立製作所と「しらせ」に何の関係があるのか?
調べてみるとこういうことが分かりました。

日立は3年前、国立極地研究所から、

風力発電機利用水素発電システム

を受注しています。

南極昭和基地では、ディーゼル発電機で発電した電力を
各種観測機器の運用および生活用の電力源として使用しており、
南極観測に必要な物資は、南極観測船「しらせ」により輸送されます。

これらの物資のうち、ディーゼル発電や車両用の燃料が
総輸送量の約半分を占めていたのですが、それに限界があるため、
風力発電や太陽光発電など再生可能な自然エネルギーを利用することにし、
その技術を日立が請け負ったということのようです。

だからといって、なぜこんな巨大なペンギンまで日立が製作したのか
それはそれで謎ですが。



さて、じえいかんにへんしん!コーナー。
さすがは気配りの自衛隊、手荷物をバスケットに預かってくれます。

こういうのは広報の仕事らしく、見えている腕章はどちらも
「広報」と書かれています。

で、彼らの被っている所属を表すキャップなのですが、
テント奥の年配の海曹のキャップには

DISTRICT HEADQUARTER

とあります。
直訳すると地区司令部なので、地方総監部という意味でしょう。
子供の前にいる男女2人の自衛官のキャップには

HEADQUARTER  YOKOSUKA  DISTRICT

とあり、これで「横須賀地方総幹部」となります。
さらに、左手の髭の隊員の向こう側に一人いますが、
その帽子には

C.P.O

とあります。
これはCIEF PETTI OFFICERの意で、米海軍なら一等兵曹、
自衛隊であれば一等海曹となるはずです。

ついでに言うと、そのお髭の隊員は海曹長です。
(やはり髭を生やすのは海曹長にならないとだめ?) 

晴海の練習艦隊出航式で目撃したお髭の関先任伍長も横須賀でしたが 
ベテラン海曹は髭を生やすことが暗黙の了解になっているのかも。



そのとき突然、「ゆうぎり」の主砲の動的展示が始まりました。
このときにたまたま「ゆうぎり」の甲板にいた人はラッキー?
と思ったのですが、案外近くで見るよりこの辺りから見た方が
ダイナミックな動きが分かりやすかったと思います。

主砲はオトーメララ76mm砲。


初めてオトーメララが動くのを実際に見ることが出来ました。
なぜか全然初めてのような気がしませんでしたけど(笑) 

しかしこのような角度を砲身が向いている様子は初めてです。

 

こんなに屹立しているのはさらに初めてです。
オトーメララ社のビデオでは実弾を撃っていましたが、
砲身は決して上を向きませんでしたから。

動くのを見ていて思いましたが、巨体なのに意外なくらい
回転や俯仰(←覚えたばかりの自衛隊用語)が速いんですね。


ところでわたしは観艦式で「ひゅうが」の動的展示を見たことがあります。

「CIWSくんとミサイルくん」

という寸劇だったのですが、実際にCIWSがダンスしたりお辞儀したり、
空砲を撃ってみたりというものでした。
(ミサイルくんには萌えました)
ついでに「ひゅうが」のCIWSの動的展示のように、
空砲を撃ってほしかったけど ・・。




ところで「ゆうぎり」について書いたとき、何か大事なことを
書き忘れていたような、さらに昔「ゆうぎり」について何か書いたような、
そんな気がしていたのですが、ここに至って思い出しました。

 


実は「ゆうぎり」は、1966年、環太平洋合同演習(リムパック)参加中、
標的曳航中米海軍のA-6艦上攻撃機、イントルーダーをCIWSの誤射により
撃墜するという事故を起こしていたのでした。

誤射で僚機を撃墜するという事件なら、1995年、F−15イーグルが
アームスイッチが入ったままになっているのに気づかず、
ウィングマンを撃墜してしまったという事故がありますが、
外国機を撃ち落としてしまったのは後にも先にもこの「ゆうぎり」だけ。
そういう意味でthe one and onlyな自衛艦といえます。(意味不明)

しかしものは考えようです。

この件では、実際に訓練で決して撃つことが出来ない実機の撃墜という
得難い経験値を得た上、ミサイルで迎撃するだけでなく航空機には
CIWSも案外有効だったのね、と全世界が知ることになりましたし、
幸いにしてパイロットは無事に脱出し人的被害はなかったので、
・・・・まあいいんじゃないかな。(適当)

特にオトーメララ社なんかは最高のサンプルいただきました!
って感じで内部ではお祭り状態だったのではないかと思います。

因みにF−15の誤射撃墜事件も、ウィングマンは脱出して無事でした。
つまり自衛隊は、その歴史上誤射による殉職者は出していないということです。



おお、「ちびしま」の前にピクルス王子とパセリ嬢が!
畏れを知らぬ子供2人が近づいていっております。
男の子はピクルス王子の両手を握っている模様。
右側のカメラを構えているのはお父さんかな?

ところでこのパセリ嬢ですが、前回登場のときに雷蔵さんが
「先任伍長かな」
とおっしゃっていたので写真を拡大したところ、海曹長で、
先任伍長は間違いありませんでした。

いるんですね・・・女性の海曹長が。

因みにピクルス王子は1等海曹なので、ガールフレンドより階級が下、
ってことになります。

自衛官同士の夫婦では「奥さんの方が上官」というパターンは
結構あるようです。
そういえば、オリンピックでメダリストになったレスリングの選手、
確か夫も自衛官で、奥さんの方が階級が上だったと記憶します。

しかしながら、ピクルス王子の場合、さすがにわざわざ日本に留学に来て
自衛隊で与えられた階級がカールフレンドより下、というのは
プライド的に内心忸怩たる思いではないかと思うがどうか。

それから2人とも、帽子は幹部で首から下が海曹ですが、
この辺は暖かくスルーしましょう。



さて、というわけで、基地内の見学が終わりました。
お土産を購入し、外に向かいます。



先ほど皆の前をノリノリで滑走していたボートが、
任務が終わったのか停泊しています。
海自の水上迷彩ってかっこいいわ。
画像を探してみると、海自では水中処分母船の隊員が
ちょうどこのような水上迷彩を着ていました。

もし水中処分員だとすれば、この隊員たちは

1、25mを潜水したまま泳げる。
2、45mを途中4回までの息継ぎで潜水したまま泳げる。
3、何の泳法でもいいから400mを10分以内で泳げる。
4、水深3mから5kgの錘を水面まで持ち上げられる。
5、足ヒレを使用し背泳ぎの態勢を取り
 胸に5kgの錘を乗せて水面を25m運搬できる。

というとんでもない水中応力検定をくぐり抜けてきた
いわば海自のレンジャー部隊みたいな人たちであるということになります。

ちなみにわたしは小学生のとき潜水は20mまでいきましたが、
それ以上はどんなに頑張っても無理でした。
今ならせいぜい10mでしょう。 

それにしてもこの5番ですが。
ひれを付けて背泳ぎになり胸にものを乗せて運搬って、
・・・・ラッコを想像したのはわたしだけでしょうか。

なぜこのようなラッコのような能力が検定条件になるのか。
まさか爆薬を胸に乗せて運ぶという仮定・・・?




水中処分員かどうか全く裏が取れないままにお話ししていますが、
空自にも救難隊のスーパー隊員がいますし、空挺レンジャーだけが
人並みはずれた体力を要求される部隊ではないってことですね。



ちなみにこの水中処分員のモットーは

適切な判断力、俊敏な行動力で任務を果たして必ず帰還

最後の「必ず帰還」に目標のすべてがあると見た。



門のところまで戻ってきました。
さすがに今から行こうという人はまばらです。



前回も写真を撮った同じ場所から今日も「てるづき」を撮ってみる。
こうして見るとステルスマストはかなり後ろに傾いでいる感じ。



門の前にスクリューがあります。

護衛艦「あまつかぜ」

のスクリュープロペラであると書いてあります。
「あまつかぜ」はあのアーレイ・バーク海軍大将と当時の海上幕僚長が
ターターミサイルを搭載した新鋭艦を海自が持つことを検討し、
そして生まれた最初のミサイル護衛艦でした。

日本初の艦対空ミサイル装備艦であっただけでなく、
現代武器システムの運用について貴重な経験を提供したほか、
船体・機関設計でも後に多くの影響を残した歴史的な艦だったのです。

ここにそのプロペラが飾ってあるというのも、この艦のそういった
海自にとっての重大な役割を思えば当然のことであるといえましょう。



前にもここの写真を掲載したことがあるのですが、
そのときにはこの前にある松の木のうちの一本が
当時横須賀地方操艦であった三木海将補(当時)であったことを
お話ししておいて、もう一本の松について言い忘れていました。

この松は、アメリカ海軍第7艦隊の司令が植えたものだったのです。
あらためてそれに気づいたのは、昔のこの場所の写真を何かのきっかけで見たとき、
ここには二本の松は勿論のこと、この錨もなかったことからでした。

横須賀軍港でずっと使われてきたこの錨をここに飾ることになったとき、
両軍の司令官が共に植樹を行い、第7艦隊と自衛隊の、ひいては
日本とアメリカの友情の証としたということのようです。





続く。








 







 

緊急・尖閣が「今」危ない

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[北京 27日 ロイター] 

新華社によると、
尖閣諸島(中国名・釣魚島)の北方海域で27日午前、
中国漁船が沈没し、 複数の中国人が行方不明となっている。 

新華社が海軍関係者の話として伝えた。 

新華社によると、沈没の原因は不明。
中国海軍の艦船2隻が現場に向かっている。 

ロイター 2014年 06月 27日 18:32



来ましたね。

先日中国の9都市がデフォルトに陥り、傾きかけていた中国経済が
さらに崩れ落ちる予兆となっているわけですが、
経済の危急は人民の批判待った無し。 

というわけで、非常に分かりやすい不満そらしとして、
中国がついに尖閣に仕掛けてきたようです。

以前から、中国はおそらくまず漁民などを上陸させ、
「自国民保護」という名目で海軍を差し向け、陸地であればそこに
軍を上陸させて足がかりにして来るだろうという予想はあり、
本ブログでも、一度そのシナリオについて書いたことがありますが、
今回差し向けてきたのはやはり海警ではなく海軍の艦船。



「沈没の原因は不明」

「複数の中国人が不明となっている」

これはまず間違いなく、

「実際は船員はいない」

「何らかの方法で船を故意に尖閣海域で沈没させた」

のだと思われます。

海域に海軍艦船を侵入させ、沈没海域ではなく
尖閣に武装救助部隊を差し向け上陸させるつもりではないでしょうか。

もしかしたら沈没船すら最初から全く存在していない可能性もあります。

南沙諸島のときのように一時的な避難として上陸し、
いつの間にか小屋、そして瞬く間に基地を作るつもりかもしれません。

実際に過去その通りのことが起こっているので、これは決して
杞憂ではなく(そうあってほしいですが)侵略の第一歩だと思われます。

自国民の保護や救助は侵略の口実として最も使われやすいものです。

そういうことに関しては全く新しい創意工夫をしそうにない
中国という国が、今回おきまりのその手できたとしても全く不思議はありません。

そして漁民のふりをした軍人が救命ボートでいつの間にか上陸、
上陸したら「自国民の保護」を名目に現場に急行している海軍が
尖閣に上陸し、人民解放軍の部隊が尖閣に国旗を立てて実行支配をアピール。

ここまでが囁かれていたシナリオ通りです。

日本政府は現在海保を現場に急行させているようですが、
期待できる最も平穏な決着は、海保の船がこの漁船の乗組員を救出し、
身柄を中国政府に渡すことです。

しかし、賭けてもいいですが、この乗組員を海保が見つけることはまずないでしょう。

いつの間にかその「乗組員」は尖閣に上陸し、海軍艦船に連絡を取り、
海軍は尖閣に急行するというのが、今回の最悪の展開です。




今わたしはアメリカにいて日本の報道の様子を知るべくもないのですが、
皆さん、日本のテレビではこれを緊急で報道していますか?
速報が出てもいいくらいの危急性のあるニュースだと思うのですが。

相変わらずあのセクハラ野次の問題ばかりなのではないですか?
そもそも2日前にわたしがこの件を取り上げたのも、

「セクハラ非難 対 塩川都議の過去とその人格」

の様相を呈しているこの騒ぎそのものが

「何かの煙幕になっている」

のではないかと感じたからですが、もし最悪の予想が当たっていて
これが中国の仕掛けて来た侵略だったとした場合、
それをいつ行うかについては

「尖閣上陸したこともある議員がセクハラ野次で糾弾され、
河野談話検証によって国や政府を叩けなくなったマスコミが
女性の人権蔑視で自民党を叩くことを画策し大騒ぎにした」

事件が、女性議員の彼氏?である朝日社員の火付けで
ぼーぼーと燃えさかっている今でしょ?と機に乗じた可能性もあります。

(国情を常に把握し、こういったタイミングを狙うためにも
中国は恒常的に多くのスパイを送り込んできているのです)


セクハラ野次事件は自民党の揚げ足を取りたいマスコミと
野党、左派が騒ぎ立て、大火事にしてしまいました。
そして国民は皆それに目を奪われています。
特に塩村議員の実態が暴かれ出してからは、もう祭状態、
火事見物は庶民の娯楽の一つだった、という江戸時代から

「人の不幸を喜ぶ大衆真理」

には何の変化もないことがよくわかります。

しかしこの火事の猛煙の影には、マスコミの隠したい
「都合の悪い真実」がまずありきです。

もっと悪いことには、その煙に乗じて日本を侵略しようとする動きが
今起こりつつあるのではないのでしょうか。


「中国は戦争をしたいわけではないだろう」


わたしは書いたことがあります。
しかし、こういう方法で尖閣を領土問題にすることは
虎視眈々と狙ってきていたでしょうし、時が来たと思えばためらいなくやるでしょう。
そして、実行支配を重ねて領有を主張する。


南沙諸島でやってきたのと全く同じ手口です。


「セクハラ野次」?

こんなくだらないことをやっている場合ではないと
わたしは今、背筋を寒くする思いで続報を待っているのですが、
今のところ何の続報も入ってきていません。

2014年6月27日は、中国による日本侵略が実行に移された
歴史的な日になるかももしれないのに。

考え過ぎだよ、と思われますか?
わたしも考え過ぎであってほしいです。
「なんだ、あのときあんなに心配するほどのことではなかった」
と何ヶ月後かに笑っていられればどんなにいいかと思います。

不要不急のアジテーションによって読んでいる方の不安を煽るようなことも
できればしたくありません。

しかし、わたしは昨今の日本が置かれている状況が、
楽観的なものとはどうしても思えないのです。 

入り込んだ勢力に寄ってじわじわと日本が内部から浸食されていった結果が、
いわゆる今回の「セクハラ野次騒動」でもあるからです。
懸念の材料は最近の日本での動きの中にいくらでもあります。 

選挙管理委員会の人間が票を操作していたこと。
(2009年の選挙では中国人留学生を使って不正が行われていたらしい)
「河野談話検証」の真意や真価がセクハラ野次騒ぎで全く世間に伝わっていないこと。
集団的自衛権を中国、韓国と一緒になって一貫して左派、
そしてマスコミが猛反対していること、

そして今回の尖閣での現在進行形の動きをちゃんと報道する機関がないこと。


憲法改正前に中国が何らかの手を打って来ることは予想されていましたが、
「いつ来るか」は過去わたしが聞いた自衛隊の最高幹部たちの話でも
予想しうることではなかったため、触れられることはありませんでした。

それが「今」なのかもしれません。




 

横須賀基地土産〜よこすかYYのりものフェスタ

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護衛艦見学を終わり、買い物もして横須賀地方総幹部を後にしたわたしです。
今日はそのときに基地内で買ったものをちょっとだけですがご紹介。

ところで、わたしが車から降りて基地に向かった時間にはまだこの
ゲートのようなものはありませんでした。
帰って来るとき初めてこういうものがあることに気がついたのですが、
よこすかYYのりものフェスタ、と書いてあります。

実はこのイベントについて書いている一般のブログなどが
おしなべて「わいわい」を「YY」と書いていたので、
どうしてこういう省略の仕方をするのだろうと思っていたのですが、
このYYは正式名称だったんですね。

というわけで本日のタイトルはYY、と正式に書いてみましたが、
せっかく正式名称がわかったとたんに最終回です。



横須賀地方隊の門を出て左側にこんな建物がありました。

「横須賀原子力艦モニタリングセンター」

なんと、ここに原子力艦をモニターする設備があったとは。
しかし、日本の原子力船といえば「むつ」で、それこそだいぶ前に
原子炉を取り外し、「みらい」(三井造船でしたね)として就航させたはず。
それに、この日本語表記の下には英語でこうあります。

Yokosuka Monitiring Center For Nuclair Powered Warships

ワーシップスつまり軍艦ですよ。
我が国はかつて原子力による軍艦を持ったことがないはず。

・・・そういえば前回カレーグランプリの帰りに、
この前に米軍の公用車が停まっていたっけ・・。


ということは、ここは

ジョージワシントンをモニターする施設

ということでOK?

ちなみに、「原子力規制委員会」と書いてあるいかにも上から
貼付けたシールの下には

「文部科学省」

とあります。
ふーむ。
「むつ」が原子炉を撤去したのは1993年。
文科省という名称は2002年以前には存在していませんから、
米軍の原子力艦をモニタリングする仕事を、かつては
ここで文科省がやっていたということになるのですが・・。


ところで、ちょうど後ろを歩いてきているのは、
しましま4人兄弟だったんですね。
この写真を見て初めて気がつきました(笑)



この日のおみやげ、その1、よこすか海軍カレーパン。
カレーグランプリのとき、カレーを食べられなかった代わりに
このカレーパンを買ってヴェルニー公園で冷たいのを食べた、
切ない思い出があるわたしですが、案外この冷たいカレーパンがいけたんだな。

4個入りなので持って帰った残りは暖めてさらに美味しくいただけましたし、
これは息子のお友達家にお土産にするしかない!

というわけでこれを我が家の分と合わせて2個購入。




お土産その2。
なんと全長1m、直系3センチのバウムクーヘン。

バウムクーヘンというのは専用のバウムクーヘン型に
一層ずつ焼き付けて層を増していって作るのですが、
この3センチのバウムクーヘン、せいぜい5層しかありません。
それでもちゃんとほっそーいクーヘン型で作っているらしく、
ちゃんと1センチくらいの穴が貫通しているのが泣かせます。



そんな細さですから、本体を持っただけでぽろりと折れてしまいます。
本体ぴったりの細長い箱に入っているからなんとか形を保っているようなもの。

で、その箱なのですが、どうも巨大母艦のつもり・・・らしい。



なんと艦橋脇にはチヌークCH−47が。
CHは後ろの方にももう一機搭載されております。



アス比がどうもまちまちなのでわかりませんが、
どうやらこれはフライングエッグではないでしょうか。



襟がピンクのセーラー服を着た海士。
自衛艦旗があるので我が海上自衛隊の隊員だとは思うのですが。

このバウムクーヘン、お味は・・・
まあそれについてはいまさらの言及を避けますが、ネタとしては最適。
たとえば「最後の一口を食べたら負けのゲーム」とかにも使えるし、
何と言っても話題性だけはあります。

というわけで、わたしはこれもお友達家へのお土産にしました。

ところで、息子が前日から泊まりにいっていた家庭は
お父さんがインド人。
日本で生まれて日本語はネイティブ、メンタリティも日本人で、
若いときに仕事で来日して以来日本暮らしというインド人の祖父達と
一緒に暮らしています。

お土産を息子に持っていかせてからふと

「インド人にカレーパンのお土産というのはいかがなものか」

と思って、息子にその旨聞いてみると

「あいつカレー嫌いだよ」

なんでも本場インドカレーの辛いのは苦手だとか。
でもカレーパンくらいならべつに大丈夫みたい、とのことです。
ってどんなインド人だよ。

そのときにはやはりクラスメートが何人か泊まりにいったのですが、
夕食のときにはみんなでもんじゃ焼きを食べに行ったそうで、
もんじゃ焼き文化になじみがない我が家で育ち今まで一度も食べたことのない
息子は(わたしも恥ずかしながらまだ食べたことがありません)

「もんじゃ焼きって美味しいよ!
お店教えてもらったからこんど行こうよ」

と帰ってから興奮気味に言っていました。
インド人家庭にもんじゃ焼きを教わるとは、インターナショナルだなー(棒)



ヴェルニー公園にはこの日もさまざまな屋台が出ていたのですが、
前回「三笠」のTシャツを購入したお店が、こんな水を売っていました。



おお、これは萌え絵の海上自衛官!



後ろは・・・きりしま型でしょうかね。
こんな紫色の大きなおリボンを付けた自衛官がいるか!
とおもわずつっこんでしまうわけですが、
こういう萌え絵師のスキルというか萌えさせ術とでもいうか、
極端な話「二次元にしか興味がない」という男性が
現実に多数生息するのもわからないではない、というような
有無を言わさぬ魅力に満ちていると言わざるを得ません。
(大げさ?)

この「千早」さんという(あれ?うしろは救難艦?)
女性自衛官みたいな人が自衛隊に本当にいればいいのにな、
とその手の人たちが思ってくれると自衛隊的には
「思うつぼ」ってやつなのかもしれませんが、まあそういう人たちは
自衛隊には入らなさそうだし・・・・っていうのは偏見でしょうか。



おみやげではないですが、SH−60Jの隊員が配っていたステッカー。
その隊員が付けていた第21航空隊のスコードロンマークは
「ブラックジャックフライト」という右上のものでしたが、
これをよく見ると、トランプのジャックが剣を捧げ持っているデザイン。

キング、クィーンに対してジャックは

「家来・召使い・船乗り・労働者」

を表します。
あくまでも「国民の僕」であろうとする姿勢の表明でしょうか。
・・・さすがにそこまでは考えていないかな? 

ところでこれを打っていたら、向かいでインターネットを見ていた息子が、
いきなり

「フェデックスの社長って、イェール大学の学生のとき、
全財産の5千ドルをブラックジャックで賭けて元手を作ったんだって」

とネタサイトを読みながら話しかけてきたのでびっくりしました。
ブラックジャックなんて言葉、手塚治虫の漫画のこと以外で
話題にしたことなんてここ何年もなかったのに・・・。 



ブラックジャックの隊員に一緒に貰った「海まちフェスタ」のお知らせ。
前回「出会い系自衛隊見学」と評した、あれです。
せっかくなので内容をここに記しておきます。

たてやま海まちフェスタ2014 予定イベント

☆ ヘリコプター地上展示
  今年は一部外来機の展示も予定しています。

☆ 救難飛行展示(午前 館山湾 午後 館山基地内)
  UH−60Jによる救難飛行法の展示飛行です。

☆ ヘリと綱引き ←NEW!
     【引っ張れ 動かせ ヘリコプター】 (原則小学生)
  ヘリコプターは子供何人で引けるのか実験!!

☆ 自衛艦艦内見学
  今年は、横須賀地方隊所属の「輸送艦2号」を予定しています。
  これ→(写真)  し、しぶい!!

☆ イベント・ツァー→NEW!
  (女性限定企画・事前申し込み制)
  あなたに専属のガイドが付きます。
  女性3人1組でお申し込み下さい。
  男性自衛官1名が半日、貴女のガイドにつきます。
  詳しい応募要項は館山航空基地HPをご覧下さい。

☆ こども広場
  今年も楽しいイベント準備中〜〜〜

是非、みなさんで夏の館山にお越し下さい。 



 一応、チラシ制作者の意図を汲んで、ピンクの部分を
同じようにピンクにしておきました。

どうもこのイベントのメインはこのイベントツァーにありそうです。

ところで、「ひっぱれ 動かせ ヘリコプター」ですが、
実際には何人くらいでヘリは動くものなんでしょうか。
航空祭で大人が案外簡単に2人で押しているのを見たことがあるので
案外簡単に動かせそうに見えますが。


わたしは残念ながらまだその時期アメリカなのですが、どなたか
これを見て行く気になった方、ヘリと子供の綱引きを見た方は
ぜひその結果を教えて下さい。






 

空挺レンジャー〜「きもち!」

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「空挺レンジャー」、続きです。

想定は全部で6つ。
基礎的なものから応用想定までが行われます。
レンジャー隊員として必要な設定を想定したものです。



戦闘隊が潜入を開始しました。
ここは敵の勢力圏という設定です。
先頭を歩いているのは「戦闘隊長」。

想定前に皆階級章を取っていましたが、それはこの
戦闘隊長の下に入る、という意思表示でもあります。



部下に指示を与えつつ進む隊長。



任務は敵の勢力圏に隠密に潜在し、補給路の遮断、
あるいは橋梁やトンネルの破壊などを行うことです。



山中に潜在し襲撃する拠点を定め、ここで作戦を確認。



この戦闘隊長もまた襟の階級章を取ってしまっています。
その代わりなのか、右腕に腕章を巻いていて、おそらくこれが
戦闘隊長の唯一の印なのではないかと思われます。

この幹部隊員は長身痩躯、しかし筋骨隆々のイケメンです。
何と言っても引き締まった体躯にきりっとした眼がよろしい。

山中深くとはいえ、隠密に行動するせいか、隊長の声は
つねにひそひそ声で、部下も周りに集まってそれを聞きます。



斥候が偵察を開始しました。
どうやら橋を爆破するため爆薬を仕掛けるようです。



橋の下でマニュアルを見ていると・・・・

「えー、爆薬の仕掛け方は、と・・・・・」

(違うと思う)



仮想敵が視察にやってきました。
なるほど、敵の役をする隊員も随行しているわけですね。

敵が通過する間、息をのんで草むらに身を隠す戦闘隊。



早速爆薬を仕掛けます。
実行は夜間です。
それまでの間、潜伏基地では状況を想定し、計画を立てます。



夜になって仮想敵がまた再び橋を渡るときを見計らって、爆破を行います。

「成功!」「成功!」「成功!」

皆が口々に叫びます。
この爆薬は本物で、一応爆発はしています。
もちろん仮想敵を本当に吹っ飛ばすわけにはいかないので、
おそらく爆薬の量で調整するのだと思いますが、それにしても
どちらにとっても危険な訓練ではあります。



おそらく真夜中だと思いますが、帰ってきて帰還報告。
このときの敬礼は、額にではなく、左手を体の反対側にやり、
掌を下に向ける変わった敬礼をしています。
隊長は普通の敬礼です。



そして、帰ってきたからと言ってすぐに寝られるわけではありません。
さっそく本日の講評が行われます。
隊長も基地に残っていたからといって寝ていたわけではなさそうです。

隊長の前にはたたみ1畳半ほどの大きさのジオラマがありますが、
これはこの宿舎に備えられているようです。
長いレンジャー訓練の歴史の中で誰か有志が製作し、
それ以来ずっと使われ続けているのでしょう。

この映画は至る所で彼らの隊内での会話が収録されていますが、
残念なことに訥々としたインタビューと違って殆どが巻き舌で、
語尾に「おい〜」みたいなのが聴こえるのがわかるだけ。
あとはほとんど何を言っているのか判別不能でした。



さらに居室(板に畳を敷いてある)で想定の調整。
それが終わったら次は装備の手入れなど。
なかなか寝かせてもらえません。



タバコを吸う隊員は多いようです。
スポーツクラブなら「タバコは体力の低下が云々」なんて言われそうですが、
自衛隊ではタバコは推奨とは言わないまでもOKのようです。
まあ、もうここまで来たら吸いたいだけ吸わせてやれよ、って感じもします。

旧軍の昔から兵隊とタバコは切っても切れないもののようですが、
陸自はその傾向を引き継いでいるのでしょうか。



こうやってようやく一日目が終わりました。
誰が作ったか眼鏡をかけたてるてる坊主。
訓練のとき雨が降るのは泣きっ面に蜂というものでしょう。
できれば想定がすむまで降らないでほしい、という切実な願いです。


ところでこの宿舎は全体が写ったのを見ると学校の校舎のようです。
廃校になった校舎を自衛隊が買い上げたのでしょうか。







彼らの最大の楽しみは食事でしょう。
自衛隊の誇る野外炊事機がここにも出動して、管理班員が食事を作ります。

どう見ても手の込んだものではありませんが、これから始まる
山中でのサバイバル訓練のことを考えれば、暖かくて好きなだけ
胃の腑に食べ物を納められるというのはそれだけでどんな豪華な食事より
彼らにはありがたいものに違いありません。

想定から帰ってきた学生にはおかゆなど胃に優しいものが与えられます。



明けて翌朝、生徒隊が整列をしました。
想定出発の挨拶です。
隊長は短く「頑張ってこい」と一言。



迷彩メイクも万全です。
出発に当たっては司令官始め全員が外に出て、車に手を振って見送りをします。
勿論先ほど調理をしていた管理班の皆さんも。



さて、次の想定は?

隊長の説明によると、

1、倒木によって敵の先頭車両を停止する
2、84(ハチヨン)で敵の車両を撃破
3、MGで制圧
4、対戦車地雷を埋設

ハチヨンとはおそらく84mm無反動砲
(カールグスタフM2、スウェーデン・ボフォース社製)
のことであろうと思われます。

MGとは機関銃のことで、戦闘職種、普通科始め施設科、
特に特科や戦車の情報中隊や偵察小隊、偵察隊で扱います。



夜間の想定を成功させ、またまた次の日。
肩までの草むらを歩いていたかと思ったらこんどはゴムボートの移動。



輸送ヘリの誘導も行います。
ヘリに信号を送る紅白の旗を持った信号員は、
後ろにぴったりと教官(先任?)が立ち、二人羽織のようにして
学生に指導しながら誘導を行います。

全部学生に任せて失敗があると取り返しがつかないからですね。

ヘリには学生を含め戦闘隊が皆乗り込みました。
今日はヘリで帰還する模様。



唯一、想定中笑いが漏れた瞬間。
背嚢を真ん中の学生が持ち上げて背負ったとき、付けていた小さな
招集用の鐘が「からんからん」と鳴ってしまいます。

「シマッタ」

そんな顔でにやっとした彼の元に上官がやってきて鐘をつかみ
大々的に鳴らし始めました。



するとにこりともせずに回りに立っていた学生達は何も言われないのに
すぐさま棟の方へ向かって駆け出して行きます。

これは非常呼集の合図でもあったのでした。
鳴らしてしまった学生は、ついでにちょっと叱られたようです。

相変わらず皆巻き舌で上官が全く何を言っているのか聞き取れませんでしたが。



基礎訓練で馬鹿たれ呼ばわりしていた一番偉い人の訓示。

「自分に負けるな!」

これはわかる。

「途中相反する面もあるんだけどね。
たとえばどういうことかというと、生存自活等教育受けて、
現地あるものをね、できるだけ最終両立して、
とにかく体力付けて、任務を完遂しなさい」

うーん、偉い人、わたしにはさっぱり意味が分かりませんっ!
何と何が相反するのか。
「現地あるもの」って?
「現地にあるもの」=つまり生存自活で食べる地産地消もの?

これ、皆はわかっているんだろうか。

「後それとは別にね、最初の皆のその

き も ち ! (両手を出す)

やる気を見せるように、以上!」

まあ、これも、何となくわかる。
きもちだよ、やる気のきもち。(たぶん)



なんて言うんでしょうか。
至る所で巻き舌で発せられる命令なんかを聞いていても、つくづくこの世界では
「言葉」というものが実質あまり意味を持っていない気がします。

たとえば海自などにあるのは海軍伝統に培われた行動基準、
—それを「海軍精神」とでも言うのでしょうが—
で、その規則や慣例、カルチャーはたどって行けば全てそこに帰結するわけですが、
そういった世界が全てきっちりとした明文化が可能であるのに対し、
この山中での訓練においては行動の第一義は何をおいてもフィジカルであり、
精神性においては与えられた試練をやり遂げるための、たとえば「頑張る」とか
「耐える」、これ以外の言葉は全く意味を持っていないやに思われます。


海の上で戦う海軍は、その巨大な艦を人間の力で操作することから始まります。
一人の力ではそれを動かすことすらできないのであり、しかもその共同作業は
言葉を介在させずには何も機能せず何物も成立しません。

しかし、一人一人の肉体を武器の一つとして戦う部隊においては
むしろ言葉は不要どころか邪魔になることすらあるわけです。

大隊長の訓示から小隊長の命令にいたるまで、ここで発せられる言葉が
言っては何ですが「言葉としてあまり意味を持っていない」、
もっとはっきり言うと、口に出した瞬間それが稚拙にすら感じるのも、
彼らが「機能的に言葉を発することを任務に要求されていないから」
ということもできるかもしれません。

「陸自と空自の違い」というのを何度か、あくまでもイメージで語ってきましたが、
もしかしたらここに根源的な相違があるせいなのか、とふと思ったわたしです。 



続く。

 (注・冒頭写真は竹野内豊ではありません)

 

空挺レンジャー〜「生存自活」

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「生存自活」とは陸上自衛隊の用語です。

任務を完遂するためにいかなる状況でも一定期間山野に潜伏し、
そこで「生存」するために「自活」する術のことをいいます。
読んで字の通りですが、この4文字には冒頭写真のような
「蛇の踊り食い」というイメージが人口に膾炙してしまいました。

自衛隊には「生存自活セット」というものがあります。
いかなる場所の生存自活をも可能にするための装備一式を言います。

・仮眠シート(優れた透湿防水性および保温性を備えたポンチョ形式のシート)
・2人用天幕(約4kgと軽量で、コンパクトに折り畳める)
・緊急信号セット(昼間用ミラー、夜間用指向性信号など)
・携帯浄水具(逆浸透膜で2人分の浄水が可能。)
・携帯採暖具(複数の燃種が仕様可能な、携帯コンロ)
・携帯調理具
・水嚢

Rightwingより)

仮眠シートや天幕もセットに入っていますが、この訓練での「生存自活」は、
隊員に極限を体験させるために「寝かせない」というのも含みますから、
レンジャー訓練には必要ないんですけどね(T_T)



山地潜入訓練。

山地の移動に必要な技能を身につけるために行います。
前回、ゴムボートで渓流を移動していましたが、あれはこのなかの
「水路潜入」というものです。



こちらは空路潜入のための降下誘導。
空挺部隊の主力を誘導する訓練です。



下からトランシーバーで航空機に向かって

「用意、用意、用意」
「降下降下降下」

と声をかけます。
大事なことだから三回ずつ言うんですねわかります。 


グラウンドや朝霞のフィールドに降りるのと違い、山中では
落下傘の降下は大変危険なものに違いありません。

おそらく長年積み重ねてきたここでの訓練から、比較的安全な場所を選定し、
誘導のマニュアルもある程度決まっているのだとは思われますが、
誘導が拙ければ降下するのがいくら空挺団でも、事故にも直結します。




要人の救出訓練には、ムード満点の?廃屋が舞台となります。



航空部隊隊長との打ち合わせ。
同じ陸自でもパイロットはやはりレンジャー隊員とは雰囲気が全く異なります。

そういえば岡山で会った元パイロットの1佐も、こういう雰囲気だったな。
具体的に何が違う、と聞かれると困りますが。


これは何を打ち合わせているかと云うと夜間行う飛行場襲撃想定の段取り。
敵の飛行場を襲撃する、即ちこのパイロットは敵の役のようです。




山中を黙々と行く隊列。
紺色のキャップは「気持ち!」と訓示していた偉い人ですが、
一人だけ荷物を持たず、しかも杖をついて歩いております。

とはいえ、この年齢になって30歳は下の隊員達と一緒に
山中を歩いているのですから、やはり腐っても元レンジャーです。



ぬかるんだ崖をすべりながら登り、あるときは倒木をくぐりながら、
あるときは足首まで浸かって沢を渡ります。




こんな重装備で沢で足を滑らせ転ぶ隊員もいますが、
周りは勿論本人も声一つあげません。



わずかに与えられた休息時間には無表情で濡れた地面に座り込み、
ほとんど虚脱状態で過ごします。

彼らはこわばった無表情のままで、ただこの試練が過ぎるのを待ちます。

アメリカ軍なら誰かが気の利いたジョークをかますところですが、
残念ながら日本陸軍ではその手のユーモアは伝統的に継承されていないようです。
逆に下手な冗談を言おうものならまわりから冷ややかな眼で見られるだけでなく、
下手したら上官から叱られそうな雰囲気です。

練習艦隊出航に当たって海幕長がわざわざ「伝統のユーモア精神を発揮して」
と訓示をする海自とは良くも悪くもカルチャーが違います。

まあ、カルチャー以前にやってることも全く違うんですけどね。



この訓練はまだ「生存自活」ではありません。
したがって、食事は携行食料です。
パック詰めにした「ミリめし」を袋から直接。
「砂入りのごはん」ではないことが救いでしょうか。



休憩が終わって立ち上がるときには大抵一人では無理なので、
周りが手を貸します。

この訓練の目的の一つに

「同期との絆を深める」

というものがあります。
二人一組でバディとなり、お互いを助け合って訓練に耐えます。

己が厳しい時に他者を慮んばかるのが真の勇者である。

これがレンジャーのモットーでもあるのです。



音楽がいきなり不気味になりました(おいおい・・・)

いよいよ生存自活の象徴、別名

「蛇やカエルを生で食う訓練」

が始まったのです。




これは勿論いざというときに生存するため、山中で採れるものの
見分け方(食べられるかどうか)、そしてどのようにして食べるか、
ということを実践的に学ぶための訓練なので、山菜やキノコなども食べますが、
あえて蛇やカエルに挑戦させることは、通過儀礼のようにも見えます。

レンジャー経験者に言わせると「虫は御馳走」の範疇なのだとか。

一度こういう体験をしてしまえば大概の状況は耐えられるという効果を
期しての、つまりメンタルの訓練です。

頭を落とした蛇の一端を銜えたまま、盛んに尻尾を動かす胴体から
皮を剥いで行き、それをそのまま食す。

こんな体験をすれば、おそらくどのような食生活にも耐えられるでしょう。
ついでに日々の普通の食事に対する感謝も無茶苦茶深まりそうです(笑)


わたしの知人に元海軍軍人(学徒)を父親に持つアメリカ人がいます。
大戦中、彼の父の乗った戦艦がUボートに撃沈されたあと、
彼はボートで漂流し、南米の海岸に漂着して命を長らえたのだそうですが、
そこで最初に飲んだ泥水は彼に取って

「今まで飲んだどんなものよりも甘く、美味しかった」

のだそうです。
ちなみに彼の乗ったフネを撃沈したUボートは救命筏の前に浮上し、

「やあ諸君、君たちの艦を撃沈して誠に申し訳なかった」

と律儀に敬礼していったとのこと。
敬礼の後にご丁寧にも「水は持っているのか」と聞いたそうですが、
「ない」というとそのまま去って行ったそうです。

てか、くれる気ないのなら聞くなよ。



こんな体験に比べれば、生命の危険のない訓練で鶏を捌いて食べるなど、
極限なんて言ったら罰が当たるかもしれません。

きっと鶏だって農家から盗んでくるわけではないだろうし。 



ここでの調理は「解体調理」。
後ろに火が燃えているのですが、どうも焼かないで喰らうようです。
写真ではかえるさんの頭を包丁で殴って気絶させております。

これは食用蛙なので、たぶん焼いて食べればかなりグルメ的に
イケるのではないかと思われますが、やっぱり原型のまま食する模様。

向こう側にあるのは剥いだ蛇の皮。



「これはチキン、これはチキンの手羽先だ」

自分に言い聞かせながら食べているのかもしれません。
学生は一切を無表情で黙々と口にしています。
もしわたしがこのようなものを食べねばならない状況になれば
やはり同じようになると思います。

余計な感情を一切取り払い、今このときが通過するのを待つ。

これを乗り越えて手にする栄光のためでもあり、これもそのための
試練だと最初から納得している人間の表情です。

これだけ一般人の間にも「生存自活」の何たるかが有名になり、
どんな訓練を経てそこに到達するかを知り抜いてなお、
レンジャーに挑戦する若者がいるのです。

「レンジャー」という存在が表すのは、自衛隊の精強さの象徴というだけではなく、
その高みを目指そうとする若者達がこの日本にいるという事実、
そんな彼らが我が国の防衛を担ってくれるということでもあります。



火があったのは飯盒で白飯を炊いたからであるようです。
ご飯は食べられるのですね。
砂は入っているかもしれませんが、辛うじて暖かいご飯は。

しかし、だからといって

「いや、わたしはおかずなしで結構です」

というわけにはいきません。
とにかくこういったものを口にすることに意味があるのです。

なぜならこれはイニシエーションなのですから。 



そんな皆さんにカメラを向け感想を聞く非情の映画クルー。

「とにかくきついです」

「眠くて、腹が減って、喉が渇いて・・・非情に疲れてます」


まあ、それしか感想はないでしょう。



彼の答えによると、すでにケガ人や体調を壊した学生もいるようです。
全員で卒業したいという彼ですが、果たしてどうなるでしょうか。



彼は学生隊長、つまり幹部で、次代の教官でもあります。
驚くなかれ、彼は辛いと思ったことはないので乗り切って行ける、
と笑みを浮かべて言い切りました。



一番辛いことは、と聞かれて、彼は「睡魔との戦い」だといいました。
空腹と乾きはある程度我慢できるけれど、寝られないのが一番辛い、と。

眠いと判断力が失われ、事故を起こすこともあります。
夜の想定では、前の者のヘルメットの後ろに付けられた蛍光の目印を
目印に前について行くのですが、それが一瞬で掻き消え、
次の瞬間遥か下の谷底からうめき声が聞こえて来る、
などということはしょっちゅうあるのだそうです。



平地では何でもないことも山地では思うようにいかない、
それを身を以て知ったと語る学生。

彼が手にしているのは木切れで作った箸です。

しかし、そんな辛さは彼らにとって「想定内」。
終了後、駐屯地に胸を張って凱旋すること、
そして、胸にレンジャーバッジをつけることを励みに
6想定全てを耐え抜くという決意を言葉少なに語るのでした。



「これ(レンジャー)に憧れて、これになりたくて来ているんだから」



次回最終回に続きます。





空挺レンジャー〜「状況終了!」

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空挺レンジャーシリーズ、最終回です。
今や空挺レンジャーのバッジを獲得するための訓練は最終局面を迎えました。

生存自活訓練で極限下にも生き延びられるだけの術を、
というよりその覚悟を学んだ訓練生たち。
最後の試練に向かって出発します。



赤銅色に陽焼けした顔とはまるで別の体のような彼らの足。
おそらくバディ同士だと思いますが、テーピングをし合います。
いわゆる「サロンPス」状のものです。
ごつごつした軍靴の中で痛めつけられっぱなしなのでしょう。

自衛隊員はほぼ確実に「水虫」持ちだという話もありますが、
彼はバディの足をまるで慈しむように丁寧に包帯を巻いていきます。

そして、汗で流れた偽装メイクを「お化粧直し」してから出発です。



山中をただ黙々と歩き続ける学生達。
明らかに傷みをこらえてか、脚を引きずっている人もいます。


しかしふと思ったのですが、これを撮っているカメラマンは
ずっとこの山中彼らと行動を共にしているわけで・・・。

おそらくカメラのための「やらせ」などは絶対にしないでしょうから、
撮り直しのきかないシーン含め、スタッフは大変な苦労をしたでしょう。



撮影はライトの全く使えない山中の闇の中でも行われます。
眼だけを野生動物のように光らせて地面に座り、休憩する隊員達を
赤外線カメラが追います。

これもまた想定の邪魔をしないようにという配慮でしょう。 






そしていよいよ最終想定が始まりました。

銃の点検をする「〜〜良し、〜〜良し」という確認の声だけが
朝の想定拠点を賑わせます。



腕に赤十字の腕章をした陸曹が、皆にテーピングを行います。
装備の余りの重さに首肩をやられてしまったのか。



もう今やどこかにテープを巻いていない隊員はいません。
膝もやられているものが多く、満身創痍といった様相を呈しています。




そして偵察が開始されます。
偵察員、斥候は4人の模様。



そして途中経過は省略して(笑)夜の飛行場に走る火花、
爆破成功です。

 

画面が明るくなると同時に音楽の調子が変わりました。

「♪ぱっぱぱぱー」(どっどどそー)

というブラスのこれでもかって感じの晴れやかな響き。
そう、これで終わったのです。
全て想定が終了したのです。

このファンファーレ風のかっちょいい音楽は、彼らの健闘と、
そして苦難の果てに得た栄光を讃えて高らかに鳴り響きます。

しかし、山中を行く彼らはまだ表情をこわばらせたまま。

全員で無事に山を下りて初めて想定終了です。
皆さんも学校時代遠足のときに言われませんでしたか?

「家に帰るまでが遠足」

って。
え?一緒にすんな?




群馬から習志野に帰るヘリコプターの中で

「任務終了」


の紙を見せられる瞬間まで、彼らはまだバッジをもらうことが決まっていません。
しかし・・・・。

山から降り、宿舎に向かうトラックに乗り込む瞬間、
迷彩に彩られた学生の頬が緩み、歯が見えます。

 

バディ同士、しっかり握り合う手と手。



こんなときでも、いやこんなときだからでしょう。
あくまでも彼らは寡黙です。
しかし、トラックに乗り込んだ後、

「やっと終わったよ」

そういう隣の学生の言葉に顔を綻ばす隊員。(冒頭写真)



宿舎に帰ってきた彼らを迎えるのは、紅白の煙幕です。
降下始めの訓練展示で「炎」として扱われるあれですね。

「自衛太鼓」のメンバーも来ているのか、派手な太鼓の音も聴こえます。



駐屯地のメンバーに拍手で迎えられ、
今や真っ赤になってしまったスモークの中に整列する学生たち。



状況終了の報告です。

「任務完遂し、異常なく帰還しましたああ!」
「はい、おめでとう、ご苦労さん!」


これだけです。


ていうか、やっぱりこの世界、言葉は要らないよね。

建物の前に女性が二人立っていますが、これは既婚者の学生の妻が
わざわざ状況終了の儀式を見届けるために馳せ参じたものと思われます。



wikiからの転載。
ほとんど黄緑に迷彩メイクを施した隊員は、
アップにすると分かりますが、涙を流しています。



隊長を輪の真ん中にして乾杯。
何の乾杯だろう。
やっぱり水?

と思ったら、後ろに立っている隊員が日本酒の酒瓶を持っていました。
こんな空きっ腹に日本酒飲んで大丈夫なんですか。



「乾杯!」



折りに付けて感動がわき上がって来るらしく、涙をためている者も。
下戸で飲めないらしい隊員は、一口だけ飲んで後を隣の者に注いでいました。

ていうか、空挺レンジャーでもお酒飲めない人がいるとは驚きです。



この隊員は、飲んだ後しばらく空を見つめていましたが、


「やっと普通の人に戻れそう・・」


とつぶやきました。
その言い方が「あまりにも普通の人」っぽいのでそっちの方が驚きです。
ただでさえ体力が常人より優れている自衛官の中でも

「あれは特別」

と言われているのがこの空挺レンジャー。
超人じみた体力の、化け物のような特別な人間だけがそう呼ばれる、
わたしたちはそういうイメージを彼らに持っているのですが、
彼らにも「そうなった瞬間」があるのです。

「最初からプロだった人間はいない」

そんな言葉が浮かびます。

 

そして、第一空挺団の隊歌が流れ、皆が手拍子で迎える中、
想定を終了した戦闘隊が凱旋帰還してきます。

全員自衛隊員なので誰も傘をさしておらず分かり難いですが、
この日の習志野はどうも雨が降っているようです。



♪わが征く空は紺碧に わが立つ野辺は深みどり 

この国に生きこの国を  
守らんとこそ習志野に 誓いて集う空挺団♪




「大空に咲け らっかさん〜」

第一空挺団長はニコニコしながらリズムに合わせて首を振っています。
陸将補可愛いよ陸将補。
こんな陸将補もかつては同じ晴れがましい凱旋をしてきた日があったのです。
彼らに敬礼しながら脳裏にはかつての思い出が過るのかもしれません。 



自衛隊の幹部陸曹の教育は普通は別に行うものですが、
空挺団では全ての過程で一緒に訓練を行います。
同じ訓練を通じて互いの区分を認め合うことが
精強化につながっている、というものだそうです。

後ろにいるのは学生隊長だった幹部。
泥にまみれて眼を血走らせていたのが嘘のように爽やかな顔つき。
こざっぱりとした制服姿もまた素敵ではないですか。
因みに彼は、



「辛いと思ったことはない」

と微笑みながら答えていましたが、想定後には涙を滴らせ
うつむく姿もまたちゃんと映像に残されています。

泣いてもいいんですよ、隊長。


レンジャー訓練が終わった直後から、彼ら幹部は
教官となるための各種教育を受けます。
次回は教官として山に行くのでしょう。

教団に立っているのもかつてのレンジャー訓練参加者であり、教官です。



レンジャー徽章の中央の金剛石は「固い意志」を表し、
これを囲む月桂冠は「栄光」の象徴です。



「空挺レンジャー助教・教官として22回参加する。」

11年間の間レンジャー訓練を見つめてきた杖。




 

 



冬季遊撃レンジャーの訓練風景。

冬季遊撃レンジャーの資格は、冬季戦技教育隊で10週間の
「冬季遊撃課程教育」を修了することによって得られます。

積雪の山岳地帯における戦闘、ゲリラ戦を行う部隊で、
スキー・装具を装着してのリペリング降下訓練や、雪中内の宿営訓練、
フル装備を背負ってのスキー行進訓練、遭難者救出訓練等も行います。

訓練は北海道のニセコ山中で行われ、マイナス40度の体感温度の中、
凍ったレーションを食べるなど、壮絶を極めるものとなります。
常に凍傷や遭難の危険にさらされるため、
教官・助教も含めた教育参加隊員は命がけで訓練を行っているそうです。

ついていけない隊員は、失格となり原隊に送り返されます。



さて、訓練が終了したのち、装備を背負った学生が草原に向かいます。
杖をついて脚を引きずる者も・・。



彼らが待つのは習志野に帰るために乗るCH。
待ちきれないように皆走り出します。
そしてその機中・・・。

 

この一瞬を皆は待ち望んでいたのです。



「任務完遂」

この文字を見る瞬間を。





 

 

何も説明は要りますまい。

彼らレンジャー隊員に取ってレンジャー資格をとったことは通過点に過ぎません。
これ以降、「日本最強の精鋭部隊の一員」という重みと責任が
常に彼らの双肩にかかってくるのです。

しかし・・・。

今は存分に泣き、喜びに酔ってください。

その涙は、自分の手でつかみとった栄光を飾るにふさわしく、
まるでレンジャー徽章の中央の金剛石のように輝いています。






(シリーズ終わり)

 


古都ボストンにて

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Happy 4th!

この時期街に出るとそこここでこんな会話が交わされます。
今日7月4日はジュライ・フォース。独立記念日です。
毎年この日にはアメリカに関することをお話しするのが常ですが、
今年は先週までいた古い町と息子のキャンプのことを書いてみたいと思います。


夏の間、我が家は1ヶ月をボストンで過ごします。
今年も6月下旬から10日間の間ボストンの西部にある
ウェストボローという古くて小さな町に滞在しました。

ここはもう10年以上夏になると訪れており、第2の故郷というくらい
なじみの深い一帯です。



滞在していたキッチン付きスイート。
安いので前半は必ずここに泊まっていますが、
来るたびに経費縮減の痕跡があちらこちらに見え、
なかなかアメリカのホテル業界も大変そうだと窺い知る
基準のようになっています。

たとえばコインランドリーの値段。
最初に来た年はクォーター3つ、75セントで洗濯できたのに、
だんだん25セントずつ上がって行き、今年はついに2ドルになっていました。
洗濯して乾かしたらそれだけで4ドルです。
しかも、3つあるうちの洗濯機の2つは「アウトオブオーダー」
の貼り紙が10日間貼られたままでした。

キッチンに備えられた食器は最初に比べると半分以下になり、
鍋に蓋も付いていないありさま。
キッチンのコンセントから電気は来ないし、インターネットは
無料だけど(アメリカでは必ず無料)異常に遅いし、
1ヶ月いるのなら気が狂いそうなところですが、所詮
何日間と割り切っているので、わたしはそれも含めて楽しんでいます。



車はこのときボルボでした。

当初オンラインで「GPS付きのプリウス」と頼んだのに、
やってきたプリウスにGPSが付いていません。

「プリウスにはGPSは付けられない」

というのが向こうの言うその理由。
そんなこと言われなかったら分からないんだから、
配車のときにちゃんと説明してくれるかな。

「1日14ドルプラスでこれを貸します」

と、携帯用の玩具のようなGPSを持ってきたので、

「いや、GPS付きの車にスウィッチしてください。
アップグレードでいいから」

(こういうときにはチェンジではなくスウィッチというようにね)
と可能な車種を聞いてみると、

「ニッサンアルティマ(ティアナ)、トヨタカムリ、シェビー、
ボルボってとこですかねー」
「ボルボは乗ったことがないから、じゃあボルボで」
「へいボルボ一丁!」

という流れでボルボに乗ることになりました。
インテリジェントキーだし、走りも悪くはないけど燃費が悪い。
1週間でガソリンが無くなってしまいました。
おまけにアメリカでもガス代の高騰は凄まじいもので、
20ドルいれても3割くらいしかタンクを満たせません。

これは失敗だったかも。



ちなみにこれがアメリカのいわゆる「ETC」、
E・Zパスの機械。(一応説明しておくとイージーパス。
先日雷蔵さんに聞いた84=AT−4みたいなノリ)
ゲートを通過するときにはこの引き出しをスライドして
このように開けた常態で通過します。


わたしが最初にアメリカに来た頃には、料金所には
大きな籠があって、そこにクォーターを2枚投げ込むシステムでした。
一度手元が狂って入れ損なったまま通過したとき、
後ろからパトカーが追って来るのではないかと怯えたのは
もう遠い昔の想い出です。




無人ゲートは紫です。
ボルボにスイッチして最初にゲートを通ったとき、
信号が黄色に点滅したので慌てました。

何と、引き出しの中にリーダーが入っていなかったのです。
車をUターンさせわざわざもう一度ハーツに戻し、そのことをいうと係員は
だまってダッシュボードからリーダーを出して取り付けました。

・・・・・・すみません、は?
ごめんなさいもなしですか?
接客業としてどうなのよその態度は。 

まあ、アメリカ人は絶対にこういうとき謝らない、
というのは知っていますが、(本当に謝らないよね)
やっぱりこういうことがあるといらっとせずにはいられません。

でも、取り付けて「これでOKだよ」にっこり笑った係員に、
ついついサンキュー、などと条件反射で言ってしまう、
美しい日本のお人好しなわたしです。



さて、高速に入りました。
前を走っているのは「ペン助」という名前の(漢字は当て字です)
トラックレンタル会社のトラック。
アメリカでは引っ越しのときにトラックだけ借りて
あとは全部自分たちでやってしまう人が多いのです。
 
走っているのはマサチューセッツターンパイク、通称マスパイクです。 



今日は1ヶ月だけ借りられるシステムでチェロをオーダーしたので
それを取りにいきます。
しかし、合流地点で急に渋滞が始まってしまいました。

週末渋滞です。

アメリカでは金曜になると皆午後の仕事を適当に切り上げて
そのまま週末のバカンスに出かけてしまううちが多いので、
この時間(3時過ぎ)になると幹線の高速はどこも大渋滞になります。

もしかしたらアメリカ人は金曜の午後、全く仕事をしないのではないか、
そう思われるくらいこの現象は全米どこにいっても同じで、
サンフランシスコなどは皆が同じ時間にブリッジから外に出ようとするので
街中にまで渋滞の尻尾が出来てしまうくらいの阿鼻叫喚となります。

そんなにしてまでバカンスに行くのかアメリカ人・・。

何時間か走れば保養地や海岸やキャンプ場など近隣にいくらでもありますから、
週末はとにかく町を出てそこで過ごすもの、とみんなが思い込んでいるようです。



合流地点の先はさらに渋滞が激しくなりました。
こんなとき大抵前に追突して事故を起こす人がいるのは
車社会のアメリカでもよくある話。
「脇見渋滞」で対向車線が混むのも日本と同じです。



高速を降りると、ちょっと気になる通りの名前が(笑)



到着しました。
このジョンソンミュージックという弦楽器専門の楽器屋は、
去年まで小さいところにあったのですが、引っ越しして
広いスペースで営業を始めたようです。

雰囲気のあるれんが造りの家は、おそらく築100年は超すでしょう。
地震のないボストンではレンガの古い建築物が多く残っています。
アメリカ人の常として、建物は決して取り壊さず、中だけを
リノベーションして使い続けるのです。

テレビの番組には、古いうちを購入し、全てを取り壊して
まるで新築のように内装を変えてしまう(階段さえも壊す)
「ビフォーアフター番組」が毎日放映されています。



チェスナット通り。
名前もおしゃれです。



商談室や練習室、楽器調整室などがいくつも設けられていました。
チェロは息子が小さくて分数楽器だったときには持っていき、
飛行機ではクローゼットに入れてもらっていましたが、
フルサイズになってそれが不可能になってから、夏の間だけ
月単位で借りています。

 アメリカならばこのようにオンラインで簡単に、
しかも楽器のグレードも「マスター」「エクセレント」「スタンダード」
と松竹梅とお好きなものを選ぶことが出来るというわけ。
こういうのがアメリカと言う国の合理的かつ文化的なところです。

ちなみに日本は文化的な国なので楽器を借りることは出来ますが、
お値段は大変高く付きます。
こちらで2ヶ月上級チェロを借りても140ドルくらいですが、
日本で2ヶ月借りればある楽器屋のサイトによると7万円くらいだそうです。

さて、楽器も手に入ったし、息子を迎えにいかねばなりません。
渋滞も始まったことだし早めに出発せねば。



信号待ちで停まったときの前の車。
よくメッセージを後ろの車に向けて貼っている車がありますが、
この人のメッセージは

「予防注射を強制しないで」

だそうです。
日本でもよくいわれていますね。
子供を持つ親なら一度は悩んだことがあるのではないでしょうか。
予防注射で子供を亡くした親が中心になっているグループと思われます。



この日の渋滞は、対向車線で事故を起こした人がいて、
その脇見渋滞でもありました。



隣の車から視線を感じてふとみると、見られていました。
まさか、シートベルトしている?

 

高速を降りるところにボーズの本社があります。
ボーズはボストンのMIT出身の科学者が作ったそうです。
武器製造会社のレイセオン(ファランクスを作っている)と並んで、
ボストンの企業としては最も有名です。



渋滞していたので道路脇の「不要品ポスト」を
撮ってみました。
アメリカにはところどころにこういうポストがあり、
洋服と靴だけを入れるようになっています。
わたしも過去このポストに買い替えて不要になった息子の靴や、
Tシャツ等を入れたことがあります。

教会等を通じてホームレスや施設の子供たちに配られるようです。



日本でもそうですが、いつも混雑する場所は同じです。
ここはこの先で2車線になるのでいつも混んでいます。





この辺りは湖が多いのですが、湖畔にこんな看板があります。
宗教団体だと思うのですが、自殺志願者に向けて

「自暴自棄ってやつですか?」

と聞いた上で(ちょっと違うかな)あなたの悩みを聞かせて下さい、
わたしたちが聞いて差し上げます、とあるのはいいのですが、
すぐその下で

「ボランティア求む」

悩みを聞く人、足りてないのかいっ! 

「あの〜サマリタンズですか?」
「はいこちらサマリタンズ。声が暗いですね。お悩みですか」
「はあ、いや、仕事を首になって・・」
「気を落とさないで下さい!早まらないで!」
「じゃなくて暇になったからボランティアでもしようかと・・」

同じ電話番号だとこんなやり取りにもなったりして。




はい、というわけで学校に到着。
ここは下級生の送り迎えに使われるロータリー。
息子も昔はここでした。
屋根のあるガゼボのような建物は、ロータリーを親の車が
ピックアップのために通り過ぎるのでそれを待つ場所です。 



遡ること一週間前の写真。

キャンプ開始の前の週末には恒例のバーベキューが行われます。
土曜日のお昼に学校に行けば、キャンプのスタッフが名簿を確認し、
その年の特製Tシャツが配られます。
息子はもうすっかりキャンプのディレクター(校長先生)とも
顔見知りで、むこうから声をかけてきてくれました。



アメリカ人は日向が平気なのですが、わたしたちは
迷わず日陰のベンチに場所を取ります。
日本のように湿気はないので、日陰に入るとひんやりしますが、
陽射しが強烈なので日向にいると肌がいたく感じるほどです。

向こうに見えている建物は、前にも一度このブログで紹介しましたが、
1867年に建てられたもの。
日本で言うと江戸末期ですね。
勿論今でも現役で学校の施設として使われています。




ここはボストンの中でも特に歴史があり、
全米でも最も古い学校の一つです。




この前で生徒達がカウンセラー(バイトの先生)と一緒に
親の車が来るのを待っています。



この学校に行くのは今日が最後。
最後のピックアップになります。
手前のアフリカ系は去年からのおなじみ。
車の中を覗き込んで、親のわたしにも「良い一日を!」
というのを欠かさない感じのいい青年です。



最後なので、息子にこの町の史跡を見せてちょっと歴史の
話(わたしが知っていることだけ)をしてやることにしました。

学校の裏には、この町の創設者の記念碑があります。



1727年にサウスボローは町として成立したという碑があります。
向かいに見えているのは学校の校舎。



これについても前に書いたことがあります。
「ハウイッツァー」と読むのだと思い込んでいたところの
「ハウザー砲」(Howitzer)。
日本語で言うところの榴弾砲です。 

学校と教会の間にさり気なく置かれています。




教会の前には町が出来たときからの古いお墓がそのまま。



アメリカの13独立州の☆がついたの国旗が立てられている墓石は、
独立戦争で亡くなった戦士のお墓で、墓石には
ヴェテラン、と書かれています。
もう字がすり切れて、読めるものの方が少なくなっています。



この一帯には墓所がたくさんあるのですが、そこに
新たに葬られる人はいても、この場所には
死者をふやすことはないようです。

200年前の死者の霊を祀るため、この一角は
おそらく永遠にこのままなのに違いありません。

 

学校のあるところはサウスボローという町で、
アメリカでも古い町の一つですが、この町のヴェテラン(戦争従事者)が
独立戦争の戦死者を顕彰して建てた碑です。 

1778年、というのは独立戦争も終結に向かっていた年ですから、
この近くの「レキシントンの戦い」や「タイコンデロガ」
で亡くなったのではないことは確かです。

こういうとりとめのないわたしの説明を、
実に気のない様子で聞いていた息子ですが、

「じゃ、最後だからウルマンズのアイスクリーム食べて帰る?」

と聞くと、急に元気になって

「食べる食べる!」



学校からホテルまでの道中においしいアイスクリーム屋さんがあるのです。
最後の食べ納めをしたいということで、お金を持たせて買いにいかせました。

この日はミントチョコと無難な選択でしたが、



別の日に買ってきたアイスクリーム。

なんなんだよこのいろいとりどりの物体は・・・。
文句の一つも言いたいところですが、我慢です。
お金を持たせて一人で買いにいかせたからには選択を尊重してやらねば。

ちなみにこれは「キディサイズ」つまり一番小さい子供用で、
4ドル25セント。
サイズも大きいですが(大人用はこれの2倍くらい) 
結構お値段もアメリカにしては高いことに気づきました。

でも、このアイスクリーム屋さん、いつ行っても大繁盛。




ちなみに、現金しか使えないのでATMがあります。
しかしトイレはありません。
テイクアウトも出来ません。



皆、車で食べるか、ここにあるテーブルに座って食べます。
ゴミ箱がホルスタイン柄ですが、



隣の牧場にいる牛はニュージャージー種です。 



町創設以来建っている町の教会。
アメリカの歴史とともに、あらゆる祈りが捧げられてきました。
独立戦争に始まり、あまりにも多くの戦争を戦って来た国。

その度、その戦いに身を投じる「ヴェテラン」を生み、
その度、碑石の言うところの

『Supreme Sacrifice』

最高位の犠牲、つまり命を賭けて戦った者への栄誉が与えられてきました。
その栄誉の影には、常に愛する者を失った涙と祈りがあり、
この古い教会は、200年以上もの間、それらの人々の祈りを受け止めてきたのです。 

それを今現在、目のあたりにしているという不思議・・。
こういう瞬間、わたしは今立っているまさにその場所を行き交う
いにしえの人々の姿を想像し、感慨に耽ります。

そして今、このときも、いずれは誰かの想像の中にのみ存在する過去となるのだ、
という想いに、しばし呆然と立ちすくむのです。



学校の近くの家ですが、去年は見なかったこのポスト、
白地に赤い丸がつけられ、玄関から見えるポーチには
漢字の額が飾ってありました。

新しく越してきた住人は日本人かもしれません。





 

女流パイロット列伝〜パク・ギョンウン「日本人・朴敬元」

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このパク・ギョンウンの情報は今回見学したヒラー博物館にあったわけではなく、
中国女性で初めて飛行免許を取ったキャサリン・チャンのことを調べていて、
ふと「日本最古の女流飛行士は誰なのだろう」と思いつき検索したところ、
何人かの日本人名のなかに彼女の名前を発見したのです。

彼女がパイロットの資格を取ったのは1927年。
日本最初の女流飛行家兵頭精(ただし)は、1921年に日本に航空取締り規制が布かれ、
操縦免許性になった一年後の22年に免許を取っていますから、その5年後です。

当時朝鮮半島は日本に併合されており、パクもまた「朴敬元」という日本国民であったわけですが、
朝鮮半島出身者の女性としては彼女が先駆となります。


パク・ギョンウンは、1901年、日本併合下の韓国、大邱(テグ)で、家具屋を営む家に生まれました。
韓国ではアメリカ人の経営するミッションスクールを卒業し、卒業後の1917年、来日します。

日本に到着したパクは横浜市の南吉田に居を構え、そこから笠原工芸研修所に2年半通いました。
ここで彼女は養蚕についての職業訓練をしたようです。
この期間、横浜の「韓国キリスト教教会」に通って、クリスチャンになっています。

この日本での日々に何があったのかはわかりませんが、どうやらこの間に
彼女は「飛行士になって空を飛びたい」という夢を持つにいたったようです。

彼女はいったん大邱に帰ってそこで看護学校に入りますが、それは、
飛行士になるのに必要な飛行学校の学費を調達するのが目的だったといわれています。
この看護学校は、日本の慈恵医大が大邱に創設していたものです。

1925年1月。

彼女は蒲田にあった飛行学校に入学するためにまた戻ってきます。
同胞である韓国出身の男性パイロットがここで教官を務めており、
彼女はこの男性に指導を受けることを希望していたようです。

もしかしたらこれが彼女の飛行士を目指した動機だったのではないかとも思われるのですが、



この、韓国人で最初に飛行士になった人物であるチャン・ヨンナムもまた、
当時江東区の須崎にあった飛行学校を優秀な成績で卒業し、
非常に卓越した技術を持っていたと伝えられるパイロットでした。

しかし、彼女が戻ってくる2年前に、彼は韓国経由で中国に亡命してしまっていました。

この人物についてのウィキペディアは韓国語と英語しかなく、したがって
亡命の原因を

「関東大震災で朝鮮人の虐殺を目にし、日本と戦うことを決意した」

とし、彼は北京に住んで韓国独立運動をした、ということになっていますが、
この一文を読んだだけで残念ながら本当はそうではなかったとわかります。

そもそも、朝鮮人が虐殺されている現場を、朝鮮人である彼は
どこでどうやって高みの見物を決め込んでいたのか。


とかね。

独立運動家としての彼の名前は無名ですし(おそらく韓国人も知らないのではないでしょうか)
後に墜落死した時には、彼は若干29歳で中国の飛行学校の校長をしていたといいますから、
「独立運動」はあまり現実的なものという気がしません。

これもまた「韓国人から見た」歴史であることを割り引いて考えた方がよさそうです。


さて、蒲田でチャンの指導を受けようとしていたパクの目論見は外れましたが、
彼女の資金を募るために、東亜日報が記事を書き、それによって集まった募金で
彼女は飛行学校に入学することができ、二年後に三等免許、
さらにその一年後に二等飛行免許を取得することができました。


ところでこの東亜日報というのは日本統治時代の1920年に創刊されています。

現在の韓国人というのは日本統治時代を否定しなくては精神が立ちいかないくらいの
峻烈な反日教育を受けていますから、統治によって

「民族のすべての固有の文明が奪われた」

くらいのことを学者であっても平気で言ってしまいます。
実際、2013年9月24日付のニュースで、

「日帝は朝鮮を強制的に併合した際、1911年までの一年間の間に
初代朝鮮総督の寺内正毅が軍警を動員し、全国の20万冊の史書を強奪したり
燃やしたりし、さらにその中から珍しい秘蔵史書を
正倉院や東大秘密書庫のようなところに
奥深く隠した。
つまり日帝は古朝鮮以前の古代史を根こそぎ奪ったのである」 

などという(発言者は正倉院がなんだか全く知らないのではないかと思われる)
都市伝説レベルの発言を考古学者がしているのを知り、
あらためてそれを確信する気になったわけですが。

しかしこのブログを読んでおられるような方であれば周知の事実ですが、
実際は歴然と証拠として残るダムや鉄道のほかに、
ソウル大学はじめ教育機関や(パクの通った慈恵医大の看護学校もそのひとつです)
新聞社、しかも朝鮮人の有力者が後押しして、モットーの一つが
「民族主義」であるような言論機関を朝鮮人は作ることができたということなのです。



というか、百の言葉を尽くさずとも、

「現地民のための学校があり、現地民経営の新聞社があった」

これだけで、日本の統治がどんなものであったか一言でわかるではありませんか。


去年韓国で、統治時代当時を知る95歳の老人が

「日本の統治時代はよかった」

と言ったところそれに激昂した若い男が老人を殴り殺し、
それに対して国民が「よくやった」と喝采を送るという事件がありました。
実際、

「過酷な日本の植民地支配で何万人もの人が虐殺された」

などというトンデモ話を子供のころから信じ込まされているのが今の韓国人です。


今回パクについて書かれたいくつかの記述を見ましたが、皆お約束のように
「偏見」「差別」を跳ね返して、などという文章を必ず付け加えています。

しかし、実際に統治下の朝鮮人が偏見や差別と闘い続けなければ何もできないような国なら、
そもそもパクのような朝鮮半島出身の、しかも女性が飛行士になることなどできたでしょうか。

朝鮮半島生まれの若い女性がわざわざ日本に来て職業訓練を受け、
さらに日本で飛行機の免許を取って、飛行競技大会にも出場し三位になり、それで
陸軍の中古とはいえ、サルムソンを購入することすらできたのです。

つまり、現在の韓国人の言う「峻烈な差別と虐殺」というのは、「被支配」側の被害妄想、
よくて少なくとも何か特殊な事件の拡大解釈に過ぎないとしか思えません。

(当時の日本に差別がなかったとは言いません。
いつの、どこの国にも差別があるように普通にあったことは確かです)


彼女が憧れていた(らしい)朝鮮人のチャン・ヨンナムも、やはり日本で免許を取り、
日本の飛行学校で教官を務めて日本人を教えていたわけです。
これも彼らが言うほどの差別があればありえないことでしょう。


さて「最初に飛行機に乗った自国民」は文句なくその国にとって英雄のはずです。
現在の韓国人というのは、反日から来る歴史認識を拗らせて、
こういう人たちを民族の誇りとすることすらできないジレンマに
自らを追いこんでしまっているように見えます。

彼らを誇ると、「日本」がその「名声」の形成において大きな意味を持ち、
さらに、日本で彼らは必ずしも迫害されていたわけではなかった、
ということを語らなくてはならなくなってしまうからです。

その挙句、日本の総理大臣を殺害したテロリストが自国の誇る
もっとも偉大な英雄になってしまうという歪んだ価値観しか持てないのが、
「韓国という病」における最も憂うべき後遺症だと言えましょう。



パクはつい最近まで「韓国初の女流飛行家」であるということになっていました。
しかし、その「初めての飛行家」が、当時「日本人であった」というのは、
そんな「韓国病」の彼らにとっては耐え難い屈辱であったようです。

そこで韓国は、彼女ではなく、「中国軍で飛行免許を取った」という
キ・オククォンにいつのころからか「初めての韓国人女流飛行家」
のタイトルを与えることにしたようです。

「与えた」
というのはあくまでわたしの想像です。
2005年に「青燕」というタイトルでパクの人生が映画化される前までは
まだ「初の女流飛行家」はパク・ギョンウンであるということになっていたからです。
しかしなぜか「急に」キの方が先であったという説が生まれ、wikiもそうなりました。

そのため映画の興行元は「韓国で初めての女流飛行家」というパクのキャッチフレーズを
全ての媒体から削除しなくてはならなくなってしまったそうです。


もちろんわたしは観ていませんが、どんなに映画上でパクの人生を

「虐げられた民族の苦しみを跳ね返し飛んだ」

と言おうとしたところで、現実にに日本で免許を取り、日本の人たちに見送られて、
日本の国旗を振りながら最後のー彼女が命を失うことになるー
最後の飛行に飛び立ったという事実がある限り、
日本を悪く描くにも限界があったのだと思われます。

そしてやはり「親日的である」の烙印を押され、映画の韓国での興行は失敗しました。
パクの名前もまた、全くと言っていいほど今日に至るまで祖国では無視されています。


1933年。

32歳の彼女は、親善を目的とした訪問飛行のため、羽田を飛び立ちました。
日韓関係なく、成功すれば彼女は初めての日本海横断飛行した飛行士となるはずで、
羽田での見送りは官民多数の大変盛大なものであったといわれています。

ところが、この飛行に関しても、英語(つまり韓国側の記述)によると、

「日本政府のプロパガンダにより計画された、
満州への飛行であった」

となってしまっています。

まったく・・・・・(笑)

満州国をだけ対象に日本がプロパガンダをするのなら、普通に考えて
何もわざわざ韓国人の女性パイロットを飛行させる意味がありますか?


・・・・日本を悪者にするのも大概にしていただきたい。

東京―ソウル―満州をつなぐ線を、朝鮮民族である彼女が飛行することで
政府が「八紘一宇」「五族協和」のシンボルとしようとしていたのは確かです。
尤もどんなことも悪意一本で解釈すれば「プロパガンダ」でしょうけどね(投げやり)


さらに穿った見方をすれば、この件で韓国人は、日本ー韓国間の「親善飛行」、
そして(こちらが主な理由だと思いますが)彼女がこのとき挑戦したところの
「日本海横断」という言葉を何が何でも使いたくないのだと思われます。

韓国は歴史的に日本海は存在せず東海であったと主張しているからですね。


まあ、国民が最も熱狂する国威発揚が「日本に勝つこと」という国ですから
これもまた致し方のないことなのかもしれませんが、
そうやっていちいち自分たちのプライドのために歴史を「修正」していると、
必然的に矛盾が生じ、そのうち歴史そのものを見失ってしまうのに・・。 


さて、パクの話に戻りましょう。

冒頭画像はこのときに見送りの人に向けて日本の旗を振るパク・ギョンウン。
おそらく、これが彼女が生きて最後に撮られた写真であったと思われます。
彼女はこの日のために飛行服も、飛行帽も、すべてを新品に買い整え、
希望に満ち溢れて羽田を発ちました。

その日は羽田から大阪に立ち寄り、そこで在阪朝鮮婦人会や有力者の激励を受け、
ソウルに出発する予定になっていました。
しかし、花束を持って正装で彼女を迎えようと飛行場に詰めかけた人々の前に
彼女の飛行機「青燕」はいつまでも姿を見せませんでした。

そして、翌日の捜索で彼女の飛行機が、箱根山中、熱海の玄岳山に
機首から墜落しているのが発見されたのです。



彼女が身に着けていた時計の針は、彼女が飛び立ってから
わずか42分後に「青燕」が墜落したことを示していたそうです。

内外の新聞はその事故死を大きく報じ、彼女の死の一年後、
1934年の8月7日には、追悼飛行が行われています。
この飛行には、飛行学校の後輩であった正田マリエ(豪州から日本人と結婚し帰化)と、
やはり朝鮮人の李貞喜が務め、正田が空中から現場に花束を投げました。

それだけではありません。

日本と韓国の両国にはそれぞれ女性飛行士の協会があるそうですが、
その韓国側が30年前に

「わたしたちの先輩パイロットであるパクの遭難場所を教えてほしい」


と訊ねてきたということがありました。
しかしあらためて探すまでもなく、彼女の飛行機が墜落した村の人々は、
墜落現場に自然石の碑を立て、ずっと供養を続けていたのです。

それ以来、両飛行協会は姉妹提携を結んで交流しているという話です。


彼女の死後しばらくして、新聞にこんな記事が載りました。

「申栽祐君は 朝鮮女流飛行家朴敬元嬢が 郷土訪問を兼ね
日満間の大壮途を決行せんとし途中 惜しくも墜落惨死したのに発奮し、
法政大学法科を棄てて、昨年八月千葉第一飛行学校へ入校、
亡き朴嬢の意志を継いで 一日も早く内鮮満飛行を決行し
朴嬢の霊を慰めんと努力しつつあったが、去年操縦試験に見事パスし 
次いで学科試験にも合格し 二等飛行士の免状を下付され 
いよいよ念願かない 機材購入の準備のため帰鮮の途に就いた」



「日本の統治は正しかった」

95歳のかつて日本人だった韓国の老人はこう言って殺害されました。

今の韓国人には信じられない、それ以前に認めたくないことでしょうが、
これが、日本の「統治民に対する扱い」だったのです。

同じ飛行家以外には祖国ではその存在すらなかったことにされている朴敬元。
日本軍の兵士となって特攻戦死を遂げた朝鮮人同胞に対してさえ、
「日本の手先となったのであるから敵である」と言い切るような民族ですから
それもむべなるかなというところでしょう。


その後、日本女流飛行家協会が主導して、熱海梅園の中にできた「韓国庭園」に
朴飛行士のレリーフと「思いは遥か故郷の大空」と題した記念碑が設置されました。

その竟の地が日本でなければ彼女はこのように祀られることもなかったでしょう。

勝手に死者の魂を忖度する不遜を許していただけるならば、
当時日本人であった彼女の霊はこの地でせめて安らかに眠っているのではないでしょうか。




 

朝霞駐屯地見学記〜陸海「文化の違い」

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この3月、わたくしこと不肖エリス中尉は、岡山県にある
三井造船玉野造船所にて、護衛艦「ふゆづき」の引渡式を見学しました。

その際、同じテントのちょうど前の席に陸自の一佐が座っており、
周りが座っているのに、一人だけ立って自衛艦旗に敬礼していたり、
あるいは周りの人に傘を勧められて断ったりしている様子を
非常に興味深く観察させていただきました。

その後、祝賀会会場でも近くでお見かけし、さらにはその約2ヶ月後、
元陸幕長を囲む個人的な酒席が持たれた際には、この1佐が
なんと元陸幕長の元副官として出席されていたのにまたもや遭遇。
そのとき、

「お会いしていますよね?」

と聞くと、はい、と普通にお答えになったので、てっきりわたしは
向こうも引渡式でこちらを視界に認めていたのだろう、と
勝手に思い込んでいたのでした。

ところが。

岡山での宴席で名刺交換をし、「朝霞に転勤になったら遊びにきて下さい」
と言われたのを真に受けて、基地訪問の約束を取り付け、
手みやげなどを準備しながら楽しみにその日を待っていた頃のこと。
TOが

「赤☆さんの講演会のときに写真を撮っていた人がこれ送ってくれたよ」

とたくさんの写真を持って帰ってきました。
それを何気なく見ていたわたしは、なんと驚くべきことに、
その中にK1佐その人が写っているのを発見したのです。

「ちょっとちょっと!これ・・・・・Kさん?」
「・・・・・あ、Kさんだ」
「あのときに会ってたんだわたし・・」

つまり、引渡式のとき、わたしはK1佐とすでに初対面ではなかったのでした。
これは、もうなんというか運命の出会い。
今までのご縁はこういうブログをやっている関係上海自関係が主でしたが、
もしかしたらK1佐は、今まで未知だった陸自の中の世界にわたしを誘ってくれる、
迷彩服を着たガーディアンエンジェルかもしれない!


そんな過剰で突拍子もない期待を勝手に抱きつつ、6月のある午後、
わたしは愛車を駆って今しも朝霞駐屯地の門をくぐろうとしていました、
約束は朝霞門との連絡を受けています。

「ここってその朝霞門?」
「はて」

てなことをいいながら車を門のところに入れるような入れないような、
つまりいつでも離脱できるような中途半端な停め方をし、
中を窺う間もなく、光の速さで警備の隊員が飛んできました。

「あの〜、じんじ」
「ここに停めないで、中に車を入れて下さい♯」

取りあえず邪魔だってことですねわかります。
帰りにわかったのですが、ここは陸自の保有する、装甲車だのトラックだの、
場合に寄っては戦車や自走砲が列をなして出入りする門だったのです。

実は帰りにも脇に車を寄せてカーナビに入力していたら、
横をばんばん迷彩色のイカツい車両が通っていくなあと思う間もなく、
またしても光の速さで飛んできた警備の隊員が

「ここは邪魔になるのでもう一度中に入って下さい♯」

とにかく入り口付近に停まっちゃだめ!というのはよくわかりました。
しかし警備の隊員さんも内心

「あーもうこれだからパンピー(一般ピープル)は・・・」

とかイライラしてたんじゃないかしら。すみませんね。

車を受付の横にある駐車スペースに停めたところ、
年配の自衛官が近寄ってきました。

「お迎えにあがりました」

おお!陸上自衛隊、ちゃんとエスコートを用意している。

「すいませんが遠いので一緒に乗せてもらっていいいですか」

なんかわかんないけどエスコートが助手席に乗り込んできたぞ。
というか、それくらいK1佐のいる建物は遠いのね?
それにしてもこのエスコート隊員はここまでどうやって来たのかしら。

「えーそこのロータリーを曲がってー」
「はい」
「そこ左です」
「はい」

などとエスコートに指示されつつ車を運転し、
ビル近くの駐車場に到着。



ここに来て思い出したように初めて写真を撮るエリス中尉。
というか今まで運転していましたのでね。
それにしてもさすがは日本国自衛隊、お掃除しているのは現役自衛官です。

右側にTOが写っていますが、下げ持っている紙袋には
お土産の一升瓶が入っています。

うわばみのように宴席でお酒を吸引していた元陸幕長が

「もう最近はどこそこの何々(名前忘れた)しか飲まない」

とおっしゃっていた(というかTOがさり気なく聞き出した)
その名酒です。

元上司に遠慮してか、控えめとはいえよく飲んでいたので、
K1佐もかなりお好きであると判断してのお土産作戦です。

それにしてもこの陸自2人組、あとから、出席者同士で

「2人ともものすごい飲んでらっしゃいましたね〜」

と感嘆しあったくらいの酒量で、やはり陸自で出世するには
お酒が強いことも条件の一つなのでは?と思ったくらいでした。

現に元陸幕長もそんなことを言ってたしな。




もう一人のお掃除隊員がおもむろに担いでいる装備は、
アメリカ人がよく使う、吸い込むのではなく「吹きとばす掃除機」。
海自艦艇も「掃除ばかりしている」というだけあってどこもかしこも
舐められるくらい綺麗でしたが、この朝霞駐屯地内も広大な敷地の
どこを見ても清浄そのもの。
掃除するところもなさそうなのに毎日掃除しているという感じでした。

何しろ泥だらけで当たり前の戦車を毎回洗車する陸軍だからねえ・・。



エスコート隊員について建物に入っていきます。
そして・・・・・

ー1時間経過ー


あ、皆様すみません。
この間わたしたちは何をしていたかというと、K1佐の執務室で
コーヒーを戴きながら(カップには別に陸自マークとかは無し)
K1佐とすっかり話し込んでいたのです。

お会いして早速手みやげを渡したところ、
K1佐は社交辞令ではない喜びの表情を浮かべたので、
仕事上飲むというより本当にお酒好きなのだと確信しました。

それに、組織の長になったからにはそういう場で皆に振るまう、
ということもしょっちゅうあるでしょうし。

 
再会の挨拶に続き、話題はわたしたちの「出会い」に移りました。

「ふゆづきの半年前に元海幕長の講演会ですでにお会いしていたんですね」
「防衛協会の主催でしたので行かせていただいたのですが、
H社のH社長から(わたしの)お話は聞いていました」

な・・・・・なんだって?・・・・なんて?

「大変防衛問題に関心をお持ちの方だと・・・」

なんだ、その程度か。
変人扱いされてなかったらしくて良かった。

(掃海艇の元艦長とお会いしたとき、その奥方に
思いっきり『変わった人』扱いされた経験がありまして)

その後、話は途切れることなく弾みました。

わたしたちが晴海の「かしま」の艦上レセプションに参加したこと、
K1佐の副官時代の思い出・・・。


「ところで」

やっぱりここは疑問に思っていた点を明らかにしておきましょう。

「陸幕長の副官ってどうやって決まるんですか」

陸幕長は「名簿が回ってきたから一番右を指して適当に」
決めた、とおっしゃっていましたが?

「人事の決めることなので、としかいいようがありません」

ふむ、やっぱり人が人を選ぶのね。当たり前か。
でも勿論優秀な人間が選ばれるんだろうと思う。

ちなみに、海自の副官業務は、わたしもこのブログでお話ししたように
「練習艦隊」「幹部学校」など、「役職に付随する任務」であるため、
場合によっては一人の副官が任期中に2人、あるいはそれ以上の上官に
仕えると言う可能性もあるわけですが、

「陸自では陸幕長ならその陸幕長と言う人に付くので、
2人の上司をまたぐことはない」

とK1佐はおっしゃっていました。
逆に、副官を「2人またぐ」陸幕長はたまにいるそうです。

「そっ、・・・・・それはもしかして」

身を乗り出すエリス中尉。
やっぱりこいつどうしても気に入らんから変えてくれ、みたいな?

「そういう将官も・・・・まあいないわけではありません。
というかたまにはいますよ。
でも、逆に副官業務は1年やれば十分だから、と、
多くの幹部に経験を積ませるため、あえて副官を変えるという方もいます」

それってそういう表向きの理由なんじゃ・・・いやなんでもない。
いくら馬が合わなくても「合わんから変えてくれ」じゃ
言われた副官も傷つくからこう言っているのではないか。
と考えてしまうのはわたしの心が汚れているからでしょうか。




「門の近くの資料館はごらんになったことがありますか」

話が一区切りした頃、K1佐こう提案してくれました。

資料館と言えばレンホーの急襲で有名になった「りっくんランド」。
ここは一度来てみたいと思っていたんですよ。
しかも現役の1佐にご案内いただけるなんて光栄です。

「じゃ行きましょうか」

言われてあわてて部屋の写真を撮り出すエリス中尉。



といってもあまり撮るところもないのよね。
取りあえず面白そうな予定表を。

定期昇任(自衛官)

駐屯地朝礼

セキュリティフォーラム

定期異動(自衛官)

新着任者教育

援護担当者訓練

射撃検定

師団長等会議

このような、一般の会社には見られない予定が書き込まれています。
因みにこれで分かったのですが、7月16日(水)には駐屯地の納涼大会、
(盆踊りとか?)、翌日が予備日であるそうです。

あまり大々的に宣伝していないようですが、
自衛官との綱引き大会や音楽隊の演奏もあり。
日本にいたならぜひ参加したいところです。


 ところでこのK1佐とここまで因縁があるとはつゆ知らぬ頃、
わたしは後ろの席から撮ったK1佐の写真を当ブログに挙げて

「陸将補」

などと階級を間違えて紹介するという無礼を働いたことがあります。

このときわたしは、海自の行事で陸自幹部がどのように振る舞っているか
興味深く観察し、皆様にもそれをご紹介させていただきました。

ご本人にこの日のことをお聞きすると、まず陸自の隊員が
このような行事に出席することは(将官にならない限り)あまりなく、
従って佐官であるK1佐にとっても滅多にない体験であったようです。

「陸自でたとえば戦車ができたって、いちいち式典やらないですからね。
それを海自は1隻船が出来るたびにやるんだなあ、と・・・。
まあ、戦車より護衛艦は作るのに時間も手間もかかるんですけど」

と、ものすごーく基本的なことに感心していたのにこちらが驚きました。

「海の文化だなあ、と・・・」

旧軍の昔から陸軍と海軍は違う成立をしてきて別の組織だったため
文化が違う、ということは言われてきたことでしたが、
同じ一つの自衛隊となって、士官学校である防衛大学では
共通の教育を施されてきた幹部が上に立つ組織であっても、
「海自の文化」と「陸自の文化」は全く違うものであるということですね。


何人かの陸上自衛官が

「海さんのことは本当に分からない」

と言っていたのを聞きましたが、これはたぶんに海上自衛隊が
旧海軍の体質を最も強く受け継ぐ組織であることから来ているようです。

戦後初めて組織された空自はどちらかというと機能的な部分は
陸の流れを汲み、気質的には海を引き継いでいる、
と言った人もいますが、こういった陸空海の「気質の違い」に
こだわって掘り下げていくのを本ブログのサブテーマにしてもいいかな、
とちらっと思わされたK1佐の一言でした。





 

朝霞駐屯地訪問記〜「輜重は要らず」と集団的自衛権

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朝霞には去年の秋、観閲式とその予行演習のために来ています。
わたしにとって最初の訪問だったわけですが、
そのときには駐屯地とを挟んで隣にある演習場で行われたため、
こちらの駐屯地に足を踏み入れるのは初めて。

なんでも埼玉県の朝霞市、和光市、新座市(しんざじゃなかった)
三つの市にまたがっているそうです。
たまたま三市の境目にうまいこと位置するということですが、
それにしてもこれだけでどれだけ広いかがわかろうというものです。

広いだけあって、この基地には陸自の主要な隊が、
Wikipediaの区分によると21も存在しており、その中には

女性自衛官教育隊

中央音楽隊

陸上自衛隊輸送学校

自衛隊体育学校

などもあります。

さて、この日訪問したK1佐と話が弾んでしばし。
K1佐が「表にある広報館には行かれたことがありますか」
と見学を誘って下さったところまでお話ししました。

それでは皆で行きましょう、ということになり、あらためて
部屋の写真を何枚か撮らせていただき、
K1佐にはわざわざ執務机に座ってポーズを取っていただきました。



「仕事しているふりをして下さいー」
「ふりですか・・・」

といって笑ったところを一枚。
仕事をしているふりをしているK1佐を撮るふりをして
(って実際に撮ってはいますが)デスク周りを拡大してみるのだった。

まず机にきっちりと並べられた書類、新聞は日経と読売。
後ろの本棚には「防衛実務小六法」「法令」などが並びますが、
下の段には「スピード人間が成功する」「競争に勝つ条件」。
特に中谷彰宏のハウツー本は少し意外な感じかも。

最初にお会いしたときから気づいていましたが、K1佐も
結婚指輪をしておられます。
奥様も現役の自衛官であるということですが、このK1佐は
物腰柔らかしかも知的、仕事ができて何といっても出世しそうな上
パートナーに対して大変誠実そうで、

「ミスター旦那さまにしたい自衛官」

と呼びたいくらいの逸材(女性から見て)です。

前にも言いましたが、指輪をした自衛官をよく見ます。
素直に考えると愛妻家が多いと言うところかもしれませんが、
全員が皆と同じ制服なのでアクセサリーとしてつけている、
という自衛官もいるかもしれません。

先ほど建物の入り口で掃除をしていた隊員の手首には
OD色の数珠のようなブレスが塡まっていましたが、
制服が絶対にアレンジを許されない分、アクセサリーは
比較的自由に許されているようです。

そこでふと思ったのですが、勿論入れ墨が入っているとだめですよね?
日本においては入れ墨は「はみ出しもの」の証。
自衛官になるなど問題外ですが、韓国ではわざわざ入れ墨を彫って
徴兵を逃れようとする若者がいるそうです。

うーん・・気持ちはわからないでもないけど、その後の人生
ずっと入れ墨を背負って生きていくというのはどうなんだろう。
かの国では日本ほど入れ墨は反社会的と見られていないんでしょうか。


ところで、長らくオではじまってマで終わる県に
単身赴任していたK1佐、関東圏への転勤となって
晴れて奥様と一緒に住むことができたのでしょうか。

「わたしはこの駐屯地内の官舎に住んでいまして、
家に帰れるのは週末だけです」

あらら。なぜですか。

「通えない距離ではないんですが、こちらで色々と
急に出勤等の可能性もあるので」

働く妻にとってはその方がありがたいかもしれません。
K1佐が奥さんのことも考えてそうした、に一票。



K1佐の机の後ろにはロッカーの上にだるまがありました。
写真がぶれてしまってだるまに何が書いてあるのか分かりません。
聞いてみたところ、年末の「目標達成」のときに
目を入れるのだそうです。
何の目標だったのかは・・・・忘れましたorz



ここは「総務部」。
総監部の中の総務部ってことでよろしいでしょうか。
不思議な張り紙を見つけました。

「脱衣許可 

総務部内での脱衣を許可する」

どうして脱衣にいちいち許可がいるのか。
しかもその許可がハンコ付きの貼り紙になっているのか。

これは、自衛隊の被服着用についての規則に関係しています。
K1佐によると、自衛官と言うのは基本的に

「いつも制服を着ていなくてはいけない」

と決まっているのだそうです。
それは公の場ではいつも、と言う意味です。

「しかし街中で自衛官の制服を着ている人なんか
見たことないぞ。やっぱり外では着てはいけないのでは?」

とおっしゃる方、あなたは正しい。
確かに自衛官の制服で電車に乗る人はいませんね。
しかしこれは、Kさんのお話によるとですが、

「私服を着る許可を得ているだけで本来は着ないといけないもの」

なのだそうです。びっくりですね。
しかしながら迷彩服で電車に乗ると文字通り軍靴の足音ガー、
と騒ぐ「市民」がいるのでそちらに「配慮している」ということらしい。
(これはわたしの想像)

「どこにいても制服を着ていなければいけない」
=「脱衣するときには許可がいる」
=総務部内で脱衣することが多いので、脱衣許可が貼ってある

ということなのですね。
自衛官ってつくづく大変だなあ。

でも、朝霞基地周辺では街中を制服で歩くことは常態化しており、
コンビニくらいなら普通に入るし、ときには

「飲み屋にも制服のまま行くこともあります」

だそうで・・。
しかし、その辺りも「この店は大丈夫」とか、「ここはやめた方が」
みたいな申し送りが出来ているといいます。

K1佐は前任地の岡山ではどこでも制服で行ったということで、

「横に女性が座るような店もあった」

そうですから、基地周辺とかあるいは地方などでは結構
その辺がゆるいのかもしれません。
まあ、こちらが普通だと思うんですけどね。


さて、建物から広報館、愛称りっくんランドまで移動です。
わたしの車にK1佐をお乗せし、運転していきました。

最初、基地に訪問するのに車で行ってもいいものだろうか、
と心配していたのですが、もしわたしたちが徒歩ならば、K1佐は
移動のために公用車を出さねばならなかったはず。
そういうお手間をかけさせないためにも、車で行って良かったと思いました。

移動しながらK1佐は基地や建物等を説明して下さいました。
どうやら中を案内するためにわざわざ大回りしたようです。



これは東部方面情報処理隊の入り口。

陸上自衛隊の情報専門部隊で、連隊以下の部隊で収集した情報を
データベース化し、陸自指揮システムを介してリアルタイムで配信しています。

隊員になるにはまず語学能力に長けていることが第一条件だそうで、
地史についての知識も必要となります。
「地理」ではなく「地政学」というものかもしれません。

指揮官である隊長は駐在武官、つまり防衛駐在官の経験を有する
1等陸佐が充てられるそうです。



見るからにオールドタイプの輸送トラックが飾られているのは

「陸上自衛隊輸送学校」。

英語で言うとtransuportion schoolでそのままです。
輸送科隊員として必要な教育訓練の実地を行っています。

輸送科というのは旧陸軍でいうところの「輜重」。
戦闘行動における「兵站」に携わる隊で、水食料・武器弾薬・
各種資材など様々な物資を第一線部隊に輸送して、
同部隊の戦闘力を維持増進することが主任務となります。


ところで「歩兵の本領」という軍歌がありますね。
現在でも自衛隊ではこの軍歌が歌われているそうですが、

この7番の歌詞(別バージョンも有り)は

♪携帯口糧あるならば輜重は要らず三日四日
曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり♪

というものなのです。
前にも書いたことがありますが、自衛隊ではこの7番は歌われません。
その理由とは「輜重は要らず」の部分が

「輸送科に対して失礼だから」

なのだそうで・・・。

さらに、自衛隊的にカットされているのはこの部分だけではなく

♪千里東西波越えて  我に仇なす国あらば 
横須賀出でん輸送船 暫し守れや海の人♪

という、旧軍的には海軍にも配慮した4番なのだそうですが、
これは「波超えて」「仇なす国」が、

「海外派兵を連想させるから」

という理由です。

こちらは「専守防衛」のモットーにそぐわないということらしいですが、
これもどうなんでしょうね。

「我に仇なす国あれば」

つまりここの部分だけなら完璧に専守防衛。
しかし、「波超えて」つまり派兵ということは、

「たとえ我が国を守るためでも海外派兵は許されない」

という、つまり今論議となっている集団自衛権に係っていたがために
自粛されていたと考えられます。


話がそれついでに、この際ですから簡単かつわかりやすく説明しておきます。
皆さんにはもう周知のことかもしれませんが。

集団的自衛権というのは元々日本が国連から認められている権利です。
「個別的自衛権」とともに国連加盟国が権利として持っています。

しかし、日本の場合、この集団的自衛権を行使する権利を有しながら
憲法の縛りでその行使を放棄していたというのが現状です。
念のためにいうと、こんな国は日本以外にどこにもありません。
日本だけが、勝手に自粛して「行使しない」と宣言していたわけです。


よく左翼が「戦争が出来るようになる」というのを
集団的自衛権行使の反対理由にしていますが、実はこれ、
「戦争が出来る国になる」というのは本質として大きく間違ってはいません。

ただ、左翼の懸念とやらと現政権の目的は全くベクトルを異にします。
現政権がもっとも期待しているところは、

「戦争が出来る国になったと宣言することで他国への抑止力とする」

ということなのです。

たとえば、中国・韓国と言う国は日本の集団的自衛権に反対しています。
中国は当然反対でしょう。

逆に中国の脅威にさらされているアジアの国々は
なべて日本の集団自衛権行使を歓迎しています。
これが南沙諸島などにおける中国への大きな抑止力となると
知っているからです。

現在どうなっているのか分かりませんが、尖閣に中国海軍が
軍艦を2隻向けてきたのも、集団的自衛権の行使が可能になりそうだという
予測を受けてのことであろうと思われます。



それでは韓国はどうでしょうか。
この国に関してはわたしも首を傾げざるを得ません(笑)

実際問題として、日本がこれを行使できるということになれば
もし停戦中の北朝鮮が韓国に対し武力攻撃を行ったとき、
本当にするかどうかは別として、
理論上は、日本は同盟国側である韓国を援助することが出来るのです。

日本が援助に出て来る可能性があるとないとでは、北朝鮮に対して
大きな抑止効果の違いとなって来ることが期待されるわけですが、
かの国はただひたすら

「日本が戦争できる国になったら我が国が危ない」

という観点に立って反対を叫んでいるのですね。

彼らが竹島を不法占拠したのは、戦後日本が占領下で武力を持たず、
自衛権もない瞬間を狙っての計画的犯行でした。
現在でも居座って、時に挑発的行動に出るのは他でもない、
日本が九条の縛りで海を越えて来ないと思っているからです。


本来、その行使は自分たちを守ることにもなるはずだから
行使できるようになることは歓迎すべきなのに、
竹島占拠を始め、日頃自分たちが日本から攻撃されるようなことをしている、
という自覚があるから、反対しているわけです。


先日、やらせくさい抗議の焼身自殺が起こりましたね。
借金で首が回らなくなった活動家を生け贄にするつもりだったのかな?
記者会見で「火病」を起こし泣き叫ぶ怪しい市議登場のインパクトで
全て吹き飛んでしまった感がありますが。

これもおそらく「抑止されたくない」国の下部組織が、
成立の動きに焦って、テロまがいの騒ぎを仕掛けてきたのだと思います。
この組織には「脱原発」「米軍基地反対」「河野談話検証反対」
につながっていることは明らかです。

わたしはいつも、こういう世論の対立があるとき、簡単な判断基準として

「デモ隊が日の丸を持っているか」

でそれをはかることにしています。
田母神氏が

「中国と韓国が反対しているから日本に取っていいことだ」

とこの集団的自衛権について発言し、一部ではそれを叩いていたようですが、
それよりもむしろ、彼らが「日本のためを思っている」のならば
デモ隊が日の丸を一本も持たないどころか、ハングルや中国の簡体字の看板を
持って抗議するはずがない、と判断した方が簡単でしょう。


つまり、集団的自衛権の行使はそれだけ日本を侵略したい国に対して
「効果がある」ということなんですよ。



さて(藁)

輸送学校の話が途中でした。
輸送学校は輸送科の任務に必要な各種技能を学ぶ教育機関です。

大型車両などによる人員・装備品の輸送のほか、輸送統制、ターミナル業務、
道路使用規制等を行います。

また、陸上輸送(自動車・鉄道)、海上輸送及び航空輸送全般を担当。

部隊内には自動車教習所があり、各種免許取得のための教習が行われています。
ここでは大型免許もとれますが、自衛隊の車両に限られ、
一般の大型免許を要する車は運転できないそうです。



旧軍時代から、輜重・輸送兵は兵科としても下に見られがちで

「輜重輸卒が兵隊ならばチョウチョトンボも鳥のうち」

などと揶揄される傾向にありました。
輸卒を統括する士官にしても、士官学校の成績が悪かったり
素行に問題がある者が振り分けられる傾向にあり、
決して優遇された地位ではありませんでした。

たとえば各兵科にはかならず「兵科の歌」があったのですが、
輜重兵科だけはその歌が作られることは最後までありませんでした。

士官学校で振り分けられた者の落胆も大きなものだったそうで、
そんなことからデスペレートな雰囲気が満ちていたのかもしれません。

しかし、この兵站軽視の考えは、大東亜戦争において重大な局面、
たとえばインパール作戦やガダルカナルでの補給の失敗に繋がり、
日本の敗戦を後押するという弊害を産みました。


というわけで!

戦後の自衛隊においては決して輜重輸卒、いやさ輸送科を
徒や疎かにしたり軽視することは厳に慎んでいるのです。

「輜重は要らず三日四日」

の一言に自衛隊が敏感に反応し自粛しているのも、
全ては敗戦に繋がった輸送軽視へのふかーーーい反省がこめられているのです。


たぶんですけど。




続く。



 









 


 

朝霞駐屯地訪問記〜殉職隊員慰霊碑

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わたしが車を運転してK1佐が助手席に乗り、
朝霞駐屯地内のざっとした見学が始まりました。
輸送学校の前を通り過ぎたとたん、話が集団的自衛権になってしまい、
そこで終わってしまったわけですが、続きと参ります。



建物の周りをパイプがぐるりと取り囲んでいる実用的すぎるデザイン。
これは給水パイプで、この建物には浴室があるそうです。
たかが浴室と言ってもこの朝霞駐屯地に勤務する全隊員(3924人)が利用する施設、
25mプールみたいな浴槽があるのではないでしょうか。予想ですが。

手前に立っている鍵型の道路標識には

「メディカル朝霞」

という表示と赤十字が書かれています。



と思ったら、東部方面衛生隊の建物がありました。
衛生隊、というのは英語だと「メディカルサービス」で、
いきなりカジュアルな感じになるわけですが(印象です)
つまり医療部隊のことです。

 方面隊直轄部隊の衛生業務を任務とするほか、災害派遣や民生協力、
国際貢献活動も行っています。

海外派遣で、現地の人々の医療に当たる医療隊の姿を見ると
わたしなどつい涙をこらえるくらい感動するのですが、
こういった医療貢献はもとより、たとえば「イラク以前」「イラク以降」
で、それまでの日本に対する国際的な評価が180度と言っていいほど
大きく変わったということを国民のどれほどが認識しているでしょうか。

イラク派遣のときも、左翼はマスコミなどを巻き込んで
大変な反対をしていましたね。
当時の学者が書いた反対声明文の一部です。

「 自衛隊はイラク国民の切望する平和や復興のためよりも、
アメリカ軍によるイラク支配を支援しに行くことも明白である。
このまま自衛隊が派遣されれば、それはアメリカ軍と一体の
軍事組織とみなされることは不可避である。
そして、自衛隊はアメリカ軍支配に反発するさまざまな勢力による
武力攻撃の標的となる危険性はきわめて高い。
また、それに対する自衛手段とはいえ、
自衛隊が現地の人々を殺傷する可能性も大きい。

日本国憲法制定以来、憲法第9条のもと、国家の行為として
他国民を殺傷したことがなかったことこそ、日本人の誇りだったはずである。
この誇りがいまや打ち捨てられようとしている。
小泉政権は、国民の反対を無視し、国民に対する十分な説明もなしに、
憲法を踏みにじろうとしているのである」



んー、なんだか集団的自衛権の反対派と全く同じ論調ですね。
こういう人たちは、イラク派遣において自衛隊が現地の人々を殺傷どころか、
「帰らないでくれと請願するデモ」
まで起こされたほど感謝されたことについて今どう思っているのでしょうか。

なにより、「イラク以前」「イラク以降」で、日本に対する
国際評価が全く変わったという厳然たる事実をどう見るのでしょうか。

現在の集団的自衛権についても、反対しているのは2カ国だけで、
世界中が賛成しているのをどう思っているのでしょうか。

いや、わたしにいわせれば賛成じゃないですね。
世界中の二カ国以外と日本のマスゴミ以外は

「日本ほどの大国が、そんなもん当たり前のことだろJK
(常識的に考えて)」

って論調ですよ。


朝日新聞始め、「徴兵ガー」「戦争ガー」と不要のアジテーションで不安を煽り
反対している論陣を見ていつも思うのですが、

「もし何かあったときにはアメリカ人の若者が血を流し、そして
日本国民を守るため敵国民を殺してくれるだろう。
だが自分は手を汚したくない。絶対にだ」

って言っているだけで、ゴミ集積所が自宅の近くにあるのを

「臭いし汚い!どこでもいいからここ以外の別の場所に移せ」

とゴネる人を見ているような気がするのですよ。
どうして自分の国を自分で守るという基本的な「国際常識」についてだけは
全く知らん顔で触れもしないのか、そっちがフシギ。





話を衛生隊に戻します。

この衛生隊の隊長は医官たる1等陸佐ですが、
歴代衛生隊長の前歴を見たところ、防衛医大出身が
2002年の編成以降7人中2人しかいません。

ときどき、防衛医大卒の医師ばかりが勤務する医院があり、
これは退官後の受け皿として防衛医大卒医師が開業したらしい、
とわかるのですが、逆に、衛生隊の医官になるのには
防衛医大を出ていないといけないと思っていました。



広々とした敷地にさらに広大な緑のグラウンドが広がっていました。
ほぼ全員お揃いの体操服を着た一団がサッカーをしています。

「これは自衛隊体育学校です」

おお、これがオリンピックのレスリングでメダリストを産んだ
自衛隊体育学校でしたか。
でも、自衛隊体育学校って陸自にしかないんですか?

「陸海空の共同組織です」

所属を問わずここで一緒に訓練を受けるということですか。
しかし、学校長等指揮統制は陸自が受け持っているようです。

自衛隊体育学校出身の選手は、

マラソン・ゴルフ・重量挙げ・レスリング・射撃
ボクシング・近代五種・柔道・水泳・アーチェリー 

などの分野に有名選手を輩出していますが、中でも
最近最も話題になったのは、ロンドンオリンピックで金メダルに輝いた
米満達弘3等陸尉でしょうか。



室内で撮ったため画像がブレてしまいましたが、
これは世界選手権にむけた国内予選で、自衛隊体育学校が
4階級を制覇したというお知らせ。


音楽隊の存在は

「音楽によって自衛隊員の士気高揚を図る」

というのが目的の一つになっていますが、この体育学校もまた
自衛隊員の士気高揚が目的となっています。
オリンピック出場は体育学校の最終目標です。

米満三曹は、オリンピックで金メダルを取ったとき、
それが日本がこれまで取って来た金メダルの通算400個目だったことや
現役の自衛官で初めて紫綬褒章を授与されたことで、
自衛隊の士気は勿論のこと、自衛隊のイメージアップにも貢献しました。

体育学校には教員課程、スポーツ科学課程などがありますが、
いわゆるオリンピックに出られるような選手を育成するのは

第2教育課 特別体育課程

というコースです。


ところで、体育学校で給料をもらいながらスポーツをする限りは、
「プロ」のようなものだとお思いでしょうか。

実は違うのです。

彼らの身分はあくまでも自衛官であり、スポーツはアマチュア、
(でないとオリンピックに出られませんから)
となっていますから、彼らはまず教育隊を終えて自衛官になってから
初めて入校を許されるのです。

入校志望者は陸海空全てでこの自衛官の身分となり、
その中から集められて選抜されてのち、
初めて体育学校の生徒となることが出来ます。

元自衛官である作家が描いた漫画「ライジング・サン」では、
自候生仲間の一人が体育学校志望で、選手(ボクシング)になりたいのに
自衛官の訓練をせねばならない焦りと苛立ちから、
周囲に溶け込むのを拒否し孤立する、というストーリーを展開しています。

しかし、これも「ライジング・サン」で語られていましたが、
体育学校に入れたからといってその中で一流選手になれるのは一握り。

「ライジング・サン」によると

「壊れるか 強くなるか どちらかで
 ほとんどは 壊れる」

ということになります。

オリンピックで優勝し、栄光を手にしたのにもかかわらず
その後、国民の過剰な期待に押しつぶされ自ら命を絶った
円谷幸吉選手も、ここ自衛隊体育学校の出身でした。

いずれにしても厳しい世界ですが、自衛隊が
そういう可能性のある若者を育てる組織を有しており、
元々優れた能力の選手が国家公務員として生活を保障され、
その上で練習に励むことが出来るということでもあります。

現在の「国や企業がスポーツにお金を出さなくなった」日本においては
日本のスポーツ界にとって得難い存在であるとも言えるでしょう。




車の中から撮ったので分かりにくいですが、この
駐屯地内にある池を「琵琶湖」といいます。
実際の琵琶湖に形状が似ていることから付けられたそうです。

朝霞駐屯地は、もともと「東京ゴルフ倶楽部」というゴルフ場でした。
駒沢にあったのが土地問題でこの地に移転してきたのが昭和5年。
以来10年間ゴルフ場として使われ、昭和15年になって陸軍省が買い上げ、
陸軍予科士官学校(蒋介石がいた、あれですね)が置かれました。


この池は人造湖で、三番ショートホールの池越えのために造られ、
現在その唯一の遺構として姿をとどめています。

K1佐によると、たまに底をさらったりすると、
今でもときどきゴルフボールが出てくるのだそうです。

勿論昭和5年からの10年間にゴルファーが池越え失敗し
水中に没したものですよね。
これはある意味大変貴重な歴史的資料ではないかと思うのですが、
朝霞駐屯地としてはこのボールをどう扱っているのでしょうか。
気になります。



冒頭写真は「振武台記念館」。
こういうところに展示すればいいんじゃないかな(提案)

振武台記念館は1978年(昭和53年)陸軍士官学校跡から
旧皇族舎を移築して、予科士官学校時代から伝わる資料を
展示・保管している建物です。

ぜひ中を見学してみたいものだけど、今日はダメみたい。
年に何回か一般公開の機会があるそうなので、
まめにHPをチェックして今度行ってみましょうかね。

馬も見たいし。
この日は見られませんでしたが、体育学校には厩舎もあって、
近代五種の乗馬のために馬が飼育されているそうです。

ところで近代5種って、一人の人間が

射撃(エアピストル) フェンシング 水泳(200m)
障害馬術 3キロランニング

をやってその総合点を競うという競技。
自衛官くらいしかこんなのできる人っていないんじゃないか?
障害馬術だけで十分特殊な競技なのに・・・。



さらにグラウンドの横を走っていくと、でた!
芝生の上とはいえ、地味に地面を這っている一団が。

勿論レンジャーや第一空挺団ほどではないにせよ、
このような訓練を毎日毎日毎日毎日、朝日が昇ってから落ちるまで
倦まず弛まず(倦んでるかどうかは個人の感想だけど)
続けているのが自衛隊。

遠くにまるで景色の一部のように見えていたので、
激しさのようなものは全く感じませんでしたが、もしかして
近くに行ったら班長の怒号が飛び交っていたんでしょうか。 


ところで、この日案内してくださったK1佐は、
防衛大卒の幹部ですが(でなければこの若さで1佐にはなれないんですが)
どうして陸自に行ったかというと、

「パイロット志望だったのでとにかく空自に行きたかったのだが、
それがならなかったので、陸自で回転翼のパイロットになることにした」

ということです。
K1佐の名前で検索すると、ヘリ隊長を辞任するときの映像が出てきますが、 

「これほど愛された隊長があるだろうか」

という一言が写真に添えられているのに我が意を得たりと頷く思いでした。 
都合4回もお会いし、何時間もともに語らえば、
この1佐の人格の素晴らしさはおのずと伝わってきます。

前任地で付き合いのあった企業経営者が

「彼はきっと出世しますよ」

と確信をもって太鼓判を押していましたが、わたしがこの人から受けたのと
おそらく同じものを、この経営者も感じ取っていたのだと思われます。



さて、そして車はこの碑の前に差し掛かりました。 



埼玉県、つまりこの朝霞駐屯地も含み、この一帯の
基地駐屯地(陸空海問わず)の所属で、殉職した自衛隊員の慰霊碑です。

朝霞駐屯地で殉職した、と言えば有名な

「自衛隊員殺害事件」

で、警備に立っていた21歳の士長が、幹部自衛官に変装し
駐屯地内に侵入した左翼の大学生によって刺殺された事件を思い浮かべます。

この事件ではマスコミの人間が犯人に協力し、逃走資金を渡していました。
現在に至るマスコミと左翼のなれ合いというか癒着が
最も先鋭化したといえる経緯だったのですね。

もしこの事件が現代に起こっていたら、おそらくマスコミはあの手この手で
犯人を庇ったり、共犯となった記者の正当性をでっちあげたと思われます。


「車を停めてもいいですか」

わたしはそのまま通過することができず、車を降りて
石碑の正面に立ちました。

「一番最近の殉職隊員は、大宮基地のタイヤの爆発事故で亡くなった
女性の隊員です」

K1佐の言葉。
わたしは即座にその事故を思い出しました。

20歳の女性1等陸士が、ダンプから外した直径1メートル20、
重さ約100kgのタイヤに空気を補充していたところ、チューブが突然破裂し、
作業中の隊員2人の頭などを直撃したという事故で、このうち、
女性隊員が事故による「外傷性くも膜下出血」で亡くなったというもの。

20歳。
刺殺事件の士長は入隊して2年目だったそうですが、彼女も
ちょうどそれくらいでしょうか。
希望に燃えて自衛隊に入隊し、すべてこれからというときに・・。

どんなにか無念だったことでしょう。

朝霞駐屯地では毎年10月に駐屯地司令が執行者となって
殉職隊員のための慰霊祭を行っています。
平成25年8月現在、ここに顕彰されている御霊は79柱。

この中には1999年、入間基地を飛び立った後操縦不能となった練習機を誘導し、
河原に墜落させ自分の命を犠牲にして住民を守った、航空自衛隊のパイロット
2人の名前も刻まれています。
(航空自衛隊の開隊以来の殉職者は400名を超える)


わたしもTOも、どちらからともなく碑に向かって手を合わせ、
そして、志半ばに愛する人たちを残し斃れた殉職自衛官たちの
尊い犠牲の上に現在の日本の平穏は守られているということに
深く感謝し、彼らの霊のやすらかなることを願って祈りを捧げたのでした。




続く。


 

アメリカ東部のサマーキャンプ

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ボストンに到着して早くも2週間が過ぎ去りました。
いつもいつも来たと思ったらあっという間に帰る日が来て、
さらに帰国したと思ったらあっという間に次の年が来て・・。

つまり月日の経つのがこのアメリカ滞在によって
さらに早く感じているのではないだろうかと思う今日この頃。

息子のサマーキャンプも最初の週が終わり、
次のキャンプを控えてホテルを移りました。

 

キャンプを行う学校はボストンの東部にあるウェルズリーで、
ホテルは車で20分くらい離れたウォルサムという町にしました。
キッチン付きのホテルというのは、アメリカでもありそうでなかなかないため、
場所とホテルの種類も限られてきます。 

今年はハイアットハウスという、ハイアットリージェンシーのコンドを
初めて利用してみることにしました。
本家のハイアットと比べると長期滞在客をターゲットにしているので
宿泊料もかなり安めです。

部屋は二つのコンパートメントに分かれており、このソファは
シートを取って下部を引き出せばベッドになるというもの。



メインの寝室には大きなキングサイズのベッドがありますが、
息子が大きくなってからはソファベッドを使っています。

日本の宿泊施設ではまず望めないこの広いキッチン付き。
下手したら分譲マンションのキッチンより広かったりして。

レイアウトも大変使いやすく、使いやすいキッチン。
手前のカウンターテーブルは
息子が勉強&パソコン机に使うことにしました。



アメリカのホテルは程度の違いこそあれ、モーテルでなければ
朝食がついてくることが多いです。

ここは、アメリカ式のバッフェ式朝食と、
月曜から金曜日までの毎夕、ちょっとした食事が出されます。
チキンブリトーとか、ピザとかをメインに、スープとサラダ。
どうしてもその日のメニューがいやなら部屋でご飯も炊けますし、
オーガニックスーパーで材料を買ってくれば味噌汁でも何でも作れます。
というわけで、食生活に困ったことはまずありません。

この写真は最初の朝、学校に行く前に朝ごはんを食べているところ。

向こうのテーブルに座っている母親と二人の女の子ですが、
ティーンエイジャーの長女はすらりと背が高く素晴らしいスタイル。
思わず見とれてしまうくらいなのに、お母さんは典型的な
アメリカの中年体型で、前から見ると顎もないくらい太ってしまっています。

でも、よく見ると二人はそっくりで、つまり30年くらい前は
お母さんもこのスタイル抜群の娘みたいだったのだなあと・・。
逆にいうと、この娘30年たてばこうなってしまうのか、と思われます。
ああ諸行無常。
なんともやるせない「ビフォーアフター」です。

アメリカ人ってある年齢から極端に太ってしまうんですよね。
まあ、食生活が食生活ですから、逆に言うとあんなものを毎日食べていて、
この娘さんのようなナイスバディを(瞬間とはいえ)
キープできるというのもすごいなあとも思ったりするのですが。



ラウンジの壁にあった飾り皿。

さて、今日は来週から始まるキャンプを前に、
オリエンテーションが行われるのでそれに参加します。



ホテルの周りは企業が多く、ホテルも乱立といった感じで立っています。
I−95というフリーウェイは文字通りフリー、無料です。
5車線ある広大な高速道路ですが、午後にはよく混んでいます。

高速脇に池があるので、このあたりにはガチョウが住んでいて、
よりによって朝の通勤ラッシュの時間、団体で道路を横切ったりします。

アメリカでは都市部でない限り結構よく見る光景ですが、
リスやタヌキが轢かれているのはよく見ても、
ガチョウが轢かれているのはいままで見たことがありません。
皆ガチョウの行進の時にはおとなしく通り過ぎるのを待つのです。

おそらく、故意に轢けば犯罪として罰せられる州法もあると思います。

かくいうわたしは今までリスが飛び出してきてブレーキを踏んだことが
2回ありますが、なぜか同じ日の20分違いの出来事でした。




冒頭写真は今回のキャンプ会場、ウェルズリーカレッジ。
この名前に皆さん、覚えはありませんか?

そう、あの蒋介石夫人、宋美齢が留学した大学ですね。
東部セブンシスターズといわれる女子大学の名門の一つで、
このシスターズがいずれも1800年代に創立されているように
ウェルズリーも創立は1875年。
いまだに合格率28パーセントの難関大学でもあります。

ちなみに全米最難関といわれているのはバーナード・カレッジで、
コロンビア大学と提携しています。

「ある愛の詩」で、主人公のハーバード大学の学生の恋人は
ラドクリフ卒でしたが、これもセブンシスターズの一つです。



息子には将来も全く関係のない大学ではありますが、
今回興味のある内容を備えたキャンプがたまたまここにあったので、
去年までのキャンプを1週間で切り上げて、こちらに
3週間参加することに決めました。

以前の学校からはボストンに向かって20分ほど戻ったところにあります。

なんといっても、この町はわたしの行きつけのブティックが
2軒もあり、滞在期間必ず立ち寄っていただけに嬉しい(笑)



歴史の古い町なので、町全体が「東部アメリカ」の矜持を感じさせるような
一種いかめしい雰囲気を持っています。
わたしはこういうのが好きですが、息子は西海岸の自由な雰囲気が好きで
こういうところは

「辛気臭くて好きじゃない」

そうです。

この石造りの立派な建物は、大学わきにある消防署。
左に回れば消防車の車庫があります。
昔の設備をそのまま使っているので、消防車はぎりぎりの大きさで、
ここの「ファイアーファイター」は、まずこの車庫に消防車を
こすらずにいれることが試練の第一歩ではないかと思います。



構内に入りました。
このロータリーに車を走らせ、子供をドロップオフ、
ピックアップします。



オリエンテーションの日は、いたるところでスタッフが待ち構えていて、
いちいち大げさな挨拶に始まり、握手をして、
手続きが行われる建物を案内します。



どこまで続いているのか、広大な緑のキャンパス。
どうも向こうの方には湖もある模様。



ホールには、貢献のあった卒業生の写真が掲げられていました。
1930ごろ卒業した日本女性の、着物姿の写真があり、
日本人として感動しました。



キャンプ期間中胸に下げるIDの写真を撮ってもらう息子。
当キャンプのイメージカラーはオレンジと紫のようです。



インターネットでメディカルレポートも送ったはずなのに、
なぜか「スクールナースに話を聞いてください」と
隣の部屋に行かされました。

「アレルギーがあるということだけど、どうやって日ごろ避けてます?」

みたいな当たり前の質問をされたので息子は

「食べない」

と当然の答えをしています。
それから、コンピュータをぱこぱこと叩いて、

「昨年、DPTの予防接種受けました?」

受けていない、というと、

「当キャンプは世界中から参加者がいるのですが、
それぞれの国の予防注射の規定と、マサチューセッツのは
少し違っていることもあります。
それでいうと、これは受けていないといけないのですが」

えー、今更そんなこと言われても。

「ここに、万が一のことがあったら責任を負う、
という文言を書いてサインしたらそれでいいですよ」

万が一って何かしら。
まあ、それでキャンプに参加させてもらえるのはわかった。
しかし、英語で教育を受けていないものの悲しさ、
こういうときに何をどう書けばいいのかわかりません。

「あの、何て書いていいのかわからないので書いてもらえます?
サインだけしますから」

白紙にまずサインをしてナースに渡すと、息子が情けなさそうに

「文章書く前にサインすんなよ・・・」

情けない母親でごめんよ息子。
でも、わたしの英語力でこれは無理だわ。



なんとかスクールナースから解放され、外に出ました。

 

このキャンプはウェルズリーの施設を利用して、オーバーナイト、
あるいは9時半終了のコースもあるのです。
9時半まで何しているんだろう・・・。

テーブルに、それらのコースへの短期参加に必要な
申込用紙が備えてあり、皆取っています。

オレンジのテーブルではスナックやフルーツが振る舞われていました。
小袋に入ったポテトチップスやクッキーなどです。



そして、この円形劇場のようなところで待機。
親はここで説明を聞くようです。
その間、息子は泳力テストを受けに行きました。





日陰に人が集まり、説明開始。
東部の学校なので、西海岸と違って圧倒的に
コケイジャン、白人の家庭が多いです。
西海岸ではうじゃうじゃいる中国人も、さすがにここにはあまり来ていません。

キャンプではどのようなことをやるかとか、ピックアップの方法とか、
だいたいそんな説明でした。

週末も希望すればトリップに参加することもできます。
ニューヨークに一泊して「オペラ座の怪人」を観る、というプランだそうです。

また、独立記念日の前夜には花火も行う、ということで、
息子に「行きたい?」と聞いてみたところ、

「別にいいや。俺アメリカ人じゃないし、どうせしょぼい花火でしょ」

しょぼいって・・。
まあ、世界一と言われる花火大会に毎年参加している我々としてはね。
っていうかそういう問題じゃないんですけど。


説明は早々に終わりましたが、そのあと「質問タイム」になりました。
皆さんにもお見せしたかった。
アメリカの親というのが、こういうときいかに張り切るか。

些細なことでも聞かずにいられないのか、もらった書類に書いてあることも
わざわざ手を挙げて聴く聴く。
一人の人が何回も手を挙げて、しかも手を挙げる人が一向に減りません。

せっかくの機会にできるだけ聴かないと損!という感じでしょうか。
こういうのを見ても、日本人とは違うなあと思います。



これだけ抑えていれば情報としては十分だと思われるのですが・・。
なんと、みんなと朝ごはんを食べるコースもあるようです。

子供のためというより、忙しい親のためにあるコースですね。

さあ、ここで息子はどんなキャンプ生活を送るでしょうか。
初日にピックアップした時、どうだった、と聞くと

「面白かった」

それだけ?ほかには?

「ご飯がおいしかった」

それは・・・・よかったね。 




 

ヒラー航空博物館〜007「女王陛下のジェットパック」

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イアン・フレミング原作「007 サンダーボール作戦」は、
007シリーズの第4作で、ショーン・コネリーの主演によるものです。

原子爆弾2発を搭載したNATO空軍のヴァルカン爆撃機が犯罪組織
「スペクター」に奪われ、身代金として1億ポンドのダイヤモンドを要求。
英国諜報部は「サンダーボール作戦」を発令。
ボンドはバハマに飛び、(女にちょっかいかけながら)核爆弾を捜索する—

というストーリーなのですが、毎回話題になるボンドの秘密兵器のなかで
最も話題になったのが、画像でボンドが背負っている

ロケットベルト(ジェット・パック)

でした。




最初にジェットパックを考案したのはロシアの技術者チームです。
1919年のことと言いますから、航空機も実用化されたばかりの頃です。
しかしこれはアイデアが特許を取っただけで、実用化されませんでした。


時代は思いっきり飛んで1958年。
チオコール社(アメリカ)のエンジニアが、

「プロジェクト・グラスホッパー」

というジャンプベルトの開発を行いました。
推力は高圧圧縮によってくくられた窒素で、それを噴出する二つの小さなノズルが
垂直下方に向けられており、ベルトを着用してノズルの弁を開くと、
その噴出で7mのジャンプができ、前方には時速4〜50キロの速さで進みました。
これは実験だけにとどまりそれ以上の開発はされていません。

そして1959年。

エアロジェットジェネラルコーポレーション

は、米軍との契約によりジェットパックの開発を始めました。

米軍はこの開発に非常な興味を寄せていました。
用途はまず偵察、そして山の斜面に空からアクセスしたり、川を横断したり。
あるいは地雷原を飛び越えることが可能になるからです。

ただ、研究はしたものの結局それは軍の運用には至りませんでした。
なぜかって・・・・危険だったからじゃないかなあ。



ロケットパックの稼働原理は過酸化水素駆動です。
当初は触媒との反応で高温ガスの放出が行われ、
それがノズルから噴射されるというものでしたが、
なんといっても過酸化系推進剤は事故のときに火災や爆発の危険を伴い、
人体にとっても大変危険です。

後にターボジェットエンジンが搭載されたタイプができ、
これは空気を排出するもので、
ロケットパックよりも性能と安全性は増したものと思われます。




いずれも初期の頃のジェットパックです。
上記写真右は

ベルテキストロン・ロケットベルト。

これはジェットパックやロケットパックの最も古い、知られたタイプです。
過酸化水素によるもので、欠点も山積みと言えました。


◎飛行時間はわずか30秒以内(写真にも航続時間28秒とある)

◎噴射剤の過酸化物の高コスト

◎パラシュートを使える高度まであがらないので安全性に欠ける

◎コントロールの訓練でも安全性は保証できない

◎全て手動なのでとてつもなく難しい


これを開発したのは

ウェンデル・F・ムーア。

チャック・イェーガーが超音速を突破した、あのXS−1の開発を行った技術者で、
ベルX−2の開発研究を行いながら(息抜きというやつだったのかもしれません)
ロケットベルトの開発も行っていたそうです。

左は航続時間2時間と飛躍的に機能が改善しています。
これが右の製品からわずか2年後のもので、

LTV Corporation社製。

昔、コルセアやクルセダーを作ったこともある「ボート」社です。

 

LUNAR POGO(1965~68) Bell Textron

航続時間10分 過酸化水素方式 手動

小さなロケット推進のプラットフォーム型。
背景が真っ赤ですが、これはカリフォルニアでよく見かける植物です。
名前は知りませんが。

 

たまたま去年撮った写真が、同じヒラー航空博物館の同じフォルダに入っていました。


 

JET BELT    Bell/Williams Research(1969~1984)

バイプラスタービン式 ジェット燃料 

航続時間10〜30分 手動



REACTION ROCKET  Martin Marretia 1973

窒素ガス デジタル フライバイワイヤ ジャイロ式

ジェットパックは宇宙開発が盛んだったころに現れたので、
宇宙で使うことを期待して開発されたものもありました。



重力がないのをいいことに、本来なら重すぎて持てないものも
こうやって担いでしまえるというわけです。
他のジェットパックより重そうですね。

無重力状態ではジェットを噴出すると宇宙の彼方に飛んでいってしまうので(多分)
おそらく人間の力では推進できない動きを補遺する仕組みなのだと思われます。
 




COMMERCIAL JET PACK  N.TYLER  POWER HOUSE
(1970~)

過酸化水素方式 航続時間30秒 手動




ここにはこの実物が展示されています。
これこそがボンドが「スペクター」のジャック・プヴァール大佐を殺害した後、
脱出用に背負って飛んだ、ジェットパックです。



実用的ではないけれど、衆目を集めるジェットパックは、コマーシャルや
映画の撮影等に大いに活躍しています。



エクソスケルトン・フライング・ビークル

フライ・バイ・ワイヤ方式で簡単に操作できまた安全だそうです。
非常時の電源も供給される仕組みなのだとか。
航続時間は2時間40分。燃料はガソリンです。

これだけの時間飛べるのなら、通勤通学くらいには十分使えますよね。
もしそうしようと思った場合、道交法はどうなっているのでしょうか。



さて、この黒装束は最近の映画に登場したものですが、
皆さん何の映画だかお分かりですか?



トムクルーズの「マイノリティレポート」なんですが、わたくし残念ながら
この映画を見ていないので何がどうでてきたのか全く知りません。

ところで、このジェットパック、映画やコマーシャルしか使われていないということは
かなりお値段もお高いはず。
ここで気になるコストをちょっと調べてみたところ、

Tecnologia Aeroespacial Mexicana (TAM)製の「ロケットベルト」
飛び方と手入れの講習込み価格は25万ドル、約2500万円

ジェットパック・インターナショナル社製のジェットパックH202
講習込みで15万5000ドル(約1600万円)

The Martin Jetpack社のサイトによると、個人用ジェットパック
50000ドル(500万円)


最後のマーチン社のは妙に安いですが、ちゃんとサイトを見ていないので
その理由は分かりません。
これくらいなら買える!と興味を持った方は調べてみて下さい。

しかしどれも、航続時間はだいたい30秒といったところです。
そう、過酸化水素で推進している限り、この30秒というのは絶対の壁なんですね。
まあ、ジェットパックH202は30秒の壁を破った!ということで、
33秒の世界最長航続時間を誇る過酸化水素式ジェットパックだそうですが。


ところで・・・・何に使うのよ、これ。(基本的な疑問)

どう考えてもこれは「遊び」くらいにしか用途はあるまい、と思ったのですが、
調べてみれば案の定・・・・。

Jet Pack Hawaii

過酸化水素とか墜落の危険とかが全く無い、それが水の上のジェットパック。
パックから吹き出すのは水です。
おそらく黒いホースはポンプに繋がっていて、そこから高圧の水を噴射するために
海水が供給されるのでしょう。
たとえ墜落しても水の上、ちゃんとヘルメットもしているし、よほどのことが無い限り
事故は起こらなさそうに見えます。

これは、ハワイに行ったときちょっとやってみてもいいかな、という気になりませんか?

そして、やはりアメリカにはこんな人もいます。




将来は通勤も可能に? 空飛ぶ「ジェットパック」一般販売へ

「10万ドルを払える裕福なアドレナリン中毒者」のために30年来の自分の夢、
ジェットパックの開発を個人でして、販売までこぎ着けた男。

この映像を見ていただければ、ジェットパックを背負ったとき
どのように飛ぶのか非常に分かりやすいと思います。


しかし、プーンと飛んでいるところを狙い撃ちされたり、風に煽られて墜落したり、
そんなリスクを考えてさすがのアメリカ軍も一旦費用は出してみたものの

「やっぱりこれ無理だわ」

と思って開発をあきらめたんだと思うんですが、そもそも軍が介入しなかったことが
結局開発がそこから全くと言っていいほど進まなかった理由だと思います。
航空技術のほとんどは軍の必要性によって発達してきましたからね。

しかし上のYouTubeの開発者グレン氏のもとには、

「国境周辺の警備に使うため5つの軍隊と6つの政府から問い合わせがきて」

いるのだそうで、「軍」組織が相変わらずこのジェットパックにかなりの
関心を持っていることも事実です。

人類は鳥のように飛ぶことに憧れたからこそ、今日まで航空技術を発展させてきました。
乗り物を使って飛ぶことが当たり前になっても、いやだからこそ

「自分の体を使ってまるで鳥になったように飛んでみたい」

という「アドレナリン中毒者」は後を絶たないと見えます。



「ジェットマン」、B17爆撃機と共に大空を舞う

ついにここまで来たか、という感があります。




ところで・・・・・。

ボンドの話に戻りますが、グレン氏の言う「興味を示している6つの政府」のなかに
「女王陛下の政府」は入っているのでしょうか。








 

 


朝霞駐屯地訪問記〜りっくんランド=「テーマパーク」?

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本エントリジャンルを「テーマパーク」にしていいものかどうか、
少し考えましたが、このジャンル欄はgooブログ付属のもので
自分でタイトルを作れるカテゴリーと違って、たとえば

「海軍」「歴史」「自衛隊」「飛行家」

など、当ブログの中核を占めるジャンルに相当する分野がないのです。
(そのわりに『韓流』というジャンルには聞いたこともない
韓流スターとやらの名前はずらずらとあり、一体誰得だろうかと略)

さて、この日朝霞駐屯地に知り合いとなったK1佐を訪ねていき、
1佐自らの案内でちょっとした駐屯地内ツァーをしてもらいました。

基地内をわたしの運転する車で走っていると、2人の自衛隊員が
道を歩いていました。

「女性自衛官です」

2人とも髪を短くし着帽していたので言われるまで女性とは気づきませんでした。
朝霞駐屯地には女性自衛官教育隊があるのです。
女性の自衛官候補生(ライジング・サンのあれですね)、一般曹候補生、
陸曹候補生(陸自の曹昇任予定者)の教育を行う期間で、
ここでは前期教育だけが行われます。

昔は「婦人自衛官教育隊」という名称だったそうですが、
2003年(平成5年)から「女性自衛官教育隊」となったのです。

ライジング・サンでは、ストーリーの都合上、自候生のなかに
女性が2人いて一緒に訓練をするという設定になっていますが、
これは実際にはありえませんので念のため。

ただし、女性教育隊の隊長は女性とは限りませんし、
指導するのが男性自衛官というのはあるようです。

昨夜、たまたまテレビを付けたらディズニーチャンネルで
歌手のマイリー・サイラスが新兵を演じている映画をやっていました。
上官がすなわち恋のライバルともなるという青春もので、
上官に対しては

「Yes,Mom,yes!」

と鬼軍曹に対する返事のSir.を変えた返事をしていたり、
素敵な男性教官に2人で張り合ってアピールしたりと、
時間があったら最後まで観たいくらいだったのですが、
我が自衛隊の女性教育隊でもそんな話
(素敵な男性自衛官をめぐって恋の鞘当て笑みたいな)
ってあるのかな・・・・なんて不謹慎?

さて、わたしたちは広報館、通称りっくんランドに入館します。

勿論無料です。

これについては、あの悪名高いレンホーが事業仕分けの際、
あきらかにディズニーランドを指して

「家族4人で行ったら数万円を超えてもリピーターが後を絶たない」

といって、有料化しようとしたという事件がありましたね。




入ってすぐにある体験型装備展示。
右から防弾用の鉄板の入ったチョッキ、
携行荷物を詰めたバックパック(っていうのかな)、
一番左は・・・・・忘れましたorz

「実際に背負って見て下さい」

勧められて真ん中の背嚢を背負ってみました。



いや、わたしではありません。TOが、です(笑)
TOは決して体の厚みがないわけではなく、
むしろ最近とみに幅が増してきている(特に胴回り)のを
気にしているほどなのですが、そのTOが華奢に見えるくらいです。
それだけこの荷物に厚みがあるということですね。

一番右は「防弾チョッキ2型」という制式名称で、
見た目は普通のチョッキですが、背中と胸に防弾用の
鉄板が入っているため、重さは12キロになります。

イラクではこんなものを着て動き回らなければならなかったなんて、
本当に自衛隊員たちの活動には頭が下がる思いです。



自衛隊の資料館なのに、岩石を模した展示スペースに、
どれも実際に身につけることの出来る装備。
こんなものを背負ってばれないように持ち出すことは出来ないでしょうし
だいたい重いので、まさか持って帰る人はいないでしょうが
盗難防止用にどれも鎖でつないであります。
緩衝剤のようなシートを敷いて、傷つかないようにしている心配りも。

鉄板入り防弾チョッキをガンガン置いたら、本物の岩じゃないので
こっちが割れてしまうからですねわかります。

・・・・ん?それとも装備が傷まないように?



ヘルメットも靴も、イラク用と航空用が並んで展示されています。
右側のベージュの方が砂漠仕様ですが、靴の中に
砂が入り難いように、靴のタン(ベロ)部分に工夫があります。

左は航空靴なのですが、普通の仕様とは少し違います。

その自衛官人生のほとんどを航空靴を履いて歩んできた?
K1佐がまず砂漠用を取り上げて後ろを見せます。




「こちらは普通の仕様ですが、航空靴には
後ろにファスナーが付いているんです。
これは何のためかというと・・・・・・」

はいっ、わたしわかりました!
万が一飛行機が海に不時着した時、
海中でも靴が脱げるようにですね?

空挺レンジャーの基礎訓練でプールにフル装備で飛び込み、
水中で靴を脱ぐ訓練をしていましたが、
ああいうとき靴が脱げないとそれだけで溺れてしまうのです。

軽くおっしゃっていましたが、わたしは

「海に落ちる可能性」

を考えて作られている装備、というものに対して
今更軽いショックを覚えました。
やはり自衛隊というのは常人の住む世界とは考え方が
根本から違っていることをあらためて知らされたというか。




2000ポンド爆弾が展示されています。
詳しい説明がなかったのですが、これは不発処理した爆弾でしょうか。



この爆弾の後ろには、

我々は果たします

地域社会への貢献

我々の組織、設備、力を生かして国民生活の安定に
寄与するため、いろいろな活動を行っています。


と書かれたパネルに、緊急患者の空輸、部外工事への出動、
雪まつりの雪像作りなどの自衛隊の写真があります。



部外工事については今まで自衛隊が手がけ、
施設大隊が出動した各工事が地図で示されています。
これによると、

蔵王エコーライン
桜島避難道路
九州横断道路
幻の道路(小泊〜竜飛線)
白馬村クロスカントリー競技場
名寄ピヤシリスキー場

が自衛隊の受け持った大きな部外工事です。




これらは大きな事業になりますが、
それほど大規模ではない工事もしょっちゅう手がけており、
この朝霞駐屯地周辺で行った部外工事は

和光市、朝霞市の中学校4校
和光市庁舎建設予定地
新座市総合運動公園

などだそうです。
あまり意識したことはありませんでしたが、学校や
公的施設の建設に自衛隊が出動していたんですね。

「子供達の学校を作るのに血に飢えた軍隊である自衛隊が
工事を行うことはどうたらこうたら」

と騒ぐ国籍の怪しい市民団体が今なら湧きそうですが、
この頃(昭和42年〜昭和50年)にはこういうことに対しては
目こぼしというか全くスルーしていたんですね。

学生運動真っ盛りの頃で、今集団的自衛権のデモを組織したり、
何が何でも反対意見からしか報道しないマスコミの現在のトップが
当時は学生だったわけです。
きっと、その頃火炎瓶を投げたり篭城するのに忙しかったのでしょう。




「国民のための活動」

のなかには勿論のこと、不発弾処理なども含まれるわけで、
当朝霞駐屯地には、東部方面隊後方支援下に隷属する
不発弾処理隊である

第102不発弾処理隊

があり、記憶に新しいところでは2013年、品川の住宅街で
住民1150人を非難させての不発弾処理に出動しています。

これを報じるマスコミの論調が相変わらず「旧軍非難」
「戦争をした日本非難」に終始し、処理部隊については
何のねぎらいも心配も見せないという、屑っぷりでしたが、
処理隊が不発弾処理を行った場合の特殊勤務手当は、
出動1回につき5,200円と定められており、この危険な作業が
ほとんど「給料の範囲内」で行われていることを示しています。

しかもこの5,200円というのは「危険だった場合」に限られ、
危険性の低いものについては1時間当たり110円となっています。

つまり、「これは絶対に爆発するようなものではない」と
判断される不発弾の場合は、時給110円で終わるわけです。
ベースの給料というものを全く控除して語っているとはいえ、
ワ●ミでも時給930円の時代に、これはないのではないでしょうか。


先日、非常に不愉快な写真を見ました。


訓練を終え、街中を歩く迷彩の自衛隊員達の列に、
自衛隊に対するありとあらゆる讒言非難の類いを書いた
プラカードを突きつけ、叫ぶ「市民」団体。

写真の、迷彩のフェイスペイントを施した隊員は、
眼差しをまっすぐ前に向け、無表情でしたが、
自分の母親のような中年女性に、面と向かって悪意を向けられ、
内心どんな思いをしているかを考えると胸が痛みました。

あいつらは(もうあいつら呼ばわりでいいよね)、自衛隊が
何をされても決して反撃しないことを知っているから
ああやって安心してやりたい放題なのです。
岩国や沖縄の基地で米軍軍人個人に嫌がらせしている輩も、
それを絶対に禁じられている相手だから嵩にかかっているのです。

相手が人民解放軍や韓国軍の兵士でも同じことができるのでしょうか。
そもそもこの、自衛隊が国民を脅かす!といって嫌がらせしている連中は、
実際に日本を脅かしている中国や朝鮮半島はどうでもいいのでしょうか。


この、「反撃できないからやりたい放題」という構図が、
そのまま日本とこれらの周辺国を表わしているではありませんか。

つまりこの市民団体は、周辺国ないし周辺国民ととメンタルが
(もしかしたら血統も)同じ人たちということです。



爆弾処理や災害派遣でもしかしたら自分たちの命が救われていた、
あるいは将来救われる可能性もあるのに、その自衛隊に対して
ここまで自分たちの主義主張のために、傲慢で理のない振る舞いをするからには、
災害時に一家揃って救出されることを拒否するくらいの覚悟はあるんでしょうね?






さて、このりっくんランド、レンホー仕分けで有料にすることが決められ、
そのことが報道されると、それが宣伝になって見学者が激増しました。
しかしこれは同時に「駆け込み見学」の賑わいでもあったわけで、
実際に実験的に有料化されると、そののち案の定入場者はがた減りし、
実験期間の終了を待たずして元の無料に戻したという経緯でした。

この蓮舫来訪(漫才コンビみたい)のときの自衛隊内の「空気」について、
K1佐からご本人の感想でもあるところの発言を聞いたのですが、
もう少し後のお楽しみとさせていただきましょう。

しかし、あの一連の仕分けパフォーマンスで、蓮舫という議員は
民主党悪政の象徴(のひとつ。あまり多すぎて・・・)として
レジェンドとなりましたね。

だいたい商業テーマパークと自衛隊広報館を同列で語った時点で、
小賢しいだけで実の無い、おつむの内容を披瀝したようなものですよ。



・・・といいながら、当ブログもこのエントリのジャンルを
「テーマパーク」にしてるじゃないか、と言われてしまいそうですけど。



続く。

 

朝霞駐屯地訪問記〜自衛隊の「気配り」

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自衛隊広報館「りっくんランド」の見学が続いております。

よりによってディズニーランドと比較して
「あのような営業努力が足りない!」
とレンホーがしたり顔で言い放ち有料化させようとした本館ですが、
自衛隊の広報施設に平日人が押すな押すな状態になる方が異常なのであって、
やはりこの日も平日の昼間ということで見学者は数組。

わたし思うんですが、平日の昼間なら、
学校単位でこういう施設に見学に来させるべきなんですよ。

何しろ自衛隊は戦後一発の銃弾も撃っていない軍隊です。
展示と言っても、自衛隊の活動に理解を求めるものばかり。
アメリカの航空博物館のように、何千人もの敵国人を絨毯爆撃して
殺害した作戦を「あかつきのなんちゃら作戦」とか自画自賛して
石碑に縷々その詳細を彫り込んでいるような「資料」を展示している
ような国のものとは平和度において対逆に位置する資料館です。

館内で上映されている映画も自衛隊の国防に賭ける
熱き思いを謳ったものだったりで、全く問題ないと思うのですが。

実際は、自衛隊の存在自体に異を唱える日教組先生が一人でもいたり、
9条の会の活動家なんかが父兄に一人でもいたりしたら
大変なことになりかねないので、学校がそういう見学を
決してしないだろうというのはわかっていますけど。


そもそもレンホーは

「自衛隊の努力次第で広報施設に人が来るはず」

というフシギ理論を展開しているわけですが、少なくとも学校単位で
我が国の防衛施設について見学することすら不可能となった現在の日本で、
さらに民主党政権では、自衛隊の施設に興味を持つ国民が増えるような
積極的な施策をなにかひとつでもしようとしていたのかといいたい。
暴力装置とか「俺を知らんのか」は論外として。


最近、自衛隊に対する評価が高くなっています。
明らかに民主政権下からその傾向が顕著になったわけですが、
それは、民主政権下起きた東日本大震災で、自衛隊の災害派遣活動が
人々に強く印象づけられたからではないですか。

吉田茂が昔自衛隊員を前に言った、

「自衛隊が持て囃されるのは国が危機に陥ったときだ」

という理論を当てはめるならば、あの震災を日本人は危機と捕らえ、
さらにその根本の原因である、特に原発関連の対応を
民主党の明らかな失敗だったと認めていたということです。

菅直人が自分の功績を作るためにベントを遅らせて爆発させ最悪の事態とした
福島原発に対し、さらに「対策やってますパフォーマンス」のために、
原子炉にヘリコプターでバケツの水を掛けさせられた自衛官達のことを思うと
わたしは今でも菅政権への怒りと彼らへのすまなさでたまらない気持ちになります。

そして、自衛隊がもし以前より評価され脚光を浴びているのだとしたら、
それに続き、現在日本を取り巻く国際情勢が、防衛を意識せざるを得ない状況に
なっているからでしょう。


しかし、日本における厄介な獅子身中の虫のひとつはマスコミです。

「りっくんランドの見学を学校単位で」

とは書いてみましたが、それが今の日本でいかに非現実的かというと、
このマスコミの暗躍とリードがあまねく日本を覆っている現状があります。

集団的自衛権が閣議決定された日、
ちょうど地本から自衛隊入隊案内の手紙が届いたという高校生が

「徴兵制みたいでこわい」
「戦争することになるから自衛隊への志願が減っているらしい」

といったとする記事がありました。
この高校生(たち)は、そのことを自分で新聞社に電話をして、
しかもその日のうちに知らせたというわけでしょうか。

ちなみに、地本の方に聞いたところ、資料請求もしないのに
そんなものをいきなり送りつけることはない、ということでした。




案内のK一佐が色々と手に取って説明してくれています。
鉄板の入った背嚢には日本の旗が。

この日本の旗は、非常に目立ちやすいので、自衛隊であることを
わかりやすく表明することができると思われますが、
万が一のことを考えて、自衛隊もこの「目立たせ方」に
細心の注意を払って日の丸の色を本物より明るくする、
などの工夫が凝らされているのだそうです。



空挺団の降下始めで、このオート(バイクのこと)隊が
CHから走りながら出て来たのを思い出します。

この写真をあらためて見て、バイクにステップが付けられ、
子供でも簡単にまたがって乗れることに気づきました。
自前でこういうものも作ってしまえるとはいえ、手すりまで付けて
さらにヘルメットも被れるように装備してあります。

見よこの気配り。

それにしても、こんな仕様になっているのなら乗ってみれば良かった。
とはいえ当日スカート、しかもロング丈のを履いていたので
物理的に不可能だったんですけどね。



防護マスク4型。

このガスマスクの形は、第一次世界大戦のころに
開発されたものとほとんど変わりません。
最初に出たこの形、この仕組みが最終型だったようです。

目鼻を覆い、呼吸の必要な口と鼻を覆う部分には
有毒ガスを吸収するための缶を装着する仕組み。

改良を加えるとしても、軽量にするとか、ゴーグル部分に
近視者のためのレンズを装填できるバージョンがあるとか、
まあその程度です。


しかし、度入りのマスクだと、その人しか使えないですね。


ところで、最近どこかで読んだ自衛官告白もの?で
新兵訓練のとき、班長という小隊の教官がこのガスマスクを装着させ、
それで走らせる(たぶん銃を持って)というのがありました。

重いのと呼吸困難で、体力のない者は倒れてしまうそうです。

それを命じる班長も自分がやらされてきたわけで、
このくらいは「苛め」などと呼ばないのかもしれませんが。




勿論本来のガスマスクは、化学科の管理によるもので、
このような検知器で有毒ガスが認められた場合、
ガスによるフォールアウトを防ぐために装着するものであって、
それをかぶってフォールアウトするのは本末転倒です。当たり前だ。

注射器のような用具が見えていますが、この先端を取り替えることにより、
兵器としての有毒ガスのみではなく、都市ガスなども検知することができ、
災害時や、公害の測定にも利用することができるという便利グッズです。

陸自の全部隊に装備されています。



またしても気配り部門発見。

この広報館の中央には本物のAH−1コブラが展示されているのですが、
操縦席と同じ高さにステップが、しかも2列に分けられます。
これは、もしかしたら操縦席に座らせてくれることもあるのでしょうか。

そう思ったのは、ステップ前面のアクリルガラス部分が、
地下鉄のホーム乗降口のように引き戸になっていたからですが、
これはもし体験できるのなら是非一度座ってみたい・・。




陸自の「戦い方」について、広報しているコーナーもありました。
この図面を拡大できなくしてしまったのでorz、
詳細は分かりませんが、赤い矢印が敵勢力。
陸自の戦いというのは、基本水際から上がって来る敵とのものですから、
その敵に対し、戦車自走砲、武装ヘリをどのように配備するか、
ということを基本的なことだけ説明しているわけです。

基本的なので別に秘匿するほどの意味もないらしく、
日本語の説明の横には英語訳まであります。

これも一応、気配りというやつでしょうか。



「戦車導入のときにも陸自は別に式典をしない」

と、海自の自衛官授与式に参加したK1佐は海自と比べて
このようにおっしゃっていましたが、さすがに10式のときには
何かやったんじゃないのかなあ。
だって、こんな大々的に陸自が誇ってるくらいなんですから。

それにしても、この「世界最高性能」という言葉に
敏感に反応してしまうわけですが、そうだったんですか?

因みにこのとき、わたしの兼ねてからの「10式」という
名称に関する推論、

「制式が9年だったのに10式になったのは、
9式=旧式と同じ発音でイメージが良くないからではないか?」

というのを披露してみましたが、あまり賛同されませんでしたorz







さて、このあと、K1佐はAHの近くにある看板にも案内のある

「自衛官に変身コーナー」

で、自衛官の制服を着てみませんか、と誘って下さいました。
そこには広報館に詰めている係の自衛官がいて、わたしとTOに
それぞれのサイズの迷彩服を渡してくれました。



渡されたジャケットに袖を通したとたん、わたしは
それが埃臭かったり、据えたような匂いどころか、
たった今洗濯し終えたかのように爽やかな匂いがしているのに
軽くショックを受けました。

このような資料館で一日に何人来て、そのうちどれほどが
着用するかどうかも分からないコスプレ用の衣装を
ここではもしかしたら毎日洗濯しているのだろうか・・・。


先日の横須賀での艦艇公開の列で、日向に並ばされて怒り心頭、

「だから自衛隊はお役所仕事だっていうんだよ」

と大きな声で文句を言っていた無帽無髪のおじさんなどは、
自分が快適でないことは全て先回りして解決するのが
お役所仕事とは対極にある「サービス」だと思っているようでした。

こういう人たちの言う「自衛隊のサービス」とは何なのでしょう。



広報施設として必要な内容を十分に備えた充実の施設。
その展示には細心の注意が払われ、細かいところには
至るところに気配りが感じられました。

これが「お役所仕事」でも「親方日の丸にあぐらをかいた
おざなりの広報」でもないことは、一度でも実際に
ここに訪れれば、誰でもわかるでしょう。


もっともここを訪れていろいろとはしゃいでおきながら

「ディズニーランドのようなサービス努力をすれば
お金をとってもリピーターはある」

と言い放ち、有料化を命じたレンホーは、ディズニーランドの高額の入場料が
そのサービスの代価となっていることを全く無視して、
自衛隊の広報施設に金銭に値するだけの「営業努力」を要求したわけですが、
何を見ていたんでしょうか。

あるじゃないですか、ここには。
金銭に換算されない、しかし行き届いたサービスが。






 

三井造船資料館〜戦時標準船「ぶら志’’る丸」のこと

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昔の(2010年11月)エントリから絵をリサイクルしてきました。
この絵を出して来るたびに苦労自慢を聞かされた古くからの読者は

「また始まった」

と思われるかもしれませんが、これは靖国神社の図書室で見つけた
40cmX50cmくらいの巨大な画集をそこでコピーしてもらい、
持って帰って模写したものです。

しかもこのころは絵画ソフトをまだ持っておらず、gooブログに付属している
「お絵描きツール」を使い、マウスパッドに指をすべらせて書いたもの。
gooブロガーのみね姉さん、みゆみゆさんならあのツールでこれだけ描くのが
いかに大変なことか、わかっていただけるでしょうか。

本文とは全く関係ないのでこの辺にしておきます。


さて、本稿はカテゴリで言うと三井造船の資料館なのですが、表題の

「ぶら志''る丸」

は三井商船が保有してはいたものの三菱長崎で建造されたもので、
こことは全く関係ありません。
なぜ三井造船資料館での見学が「ぶら志’’る丸」にたどり着いたかと云うと、
それはこの写真がきっかけでした。



写真の説明にはただ

「大量建造の規格型戦時標準船」1943年(昭和18年)

とあります。
名前くらいはついていたであろうに、それも今日では判明しないくらい
三井造船では「大量に」建造されたということでしょうか。


この「戦時標準船」という聞き慣れない言葉の意味から説明しますと。
まず広義には

戦争中の海上輸送力増強を目的に、構造を簡略化し大量建造された船舶

となり、第二次世界大戦に参加した主要国で建造されました。
たとえばアメリカでは

リバティ船

という戦時標準船を大戦中粗製濫造しました。
「粗製濫造」と言い切るのは、あまりにも大量に、迅速に、
とにかく数を稼げばいいとばかりに建造されたためで、これらの船は
案の定就航後事故が多発したからです。

その即製建造ぶりはたとえば

起工後4日と15時間29分で進水

するという珍記録も生まれたほどで、大型船の最短建造時間としての
そのレコードは今日に至るまで破られていません。




リヴァティ船について調べていて初めて知ったのですが、わたしは現在アメリカに
2隻だけ現存しているリバティ船のうちの一隻、

「ジェレマイア・オブライエン」

を実際に目撃しています。
昨年の夏、サンフランシスコの潜水艦「パンパニト」を見学したのですが、
「パンパニト」の岸壁の後ろ側に停泊していた妙に不格好な船がそれで、
こちらもやはり博物館となって一般公開されていたのです。

この「ジェレマイア」某が、どういう人物かは分かりませんでした。
というのも、リヴァティに船は当初『著名な亡くなったアメリカ人の人名」
をつけていたのですが、あまりにもたくさん建造しすぎて名前が足りなくなり、
そのうち外国人名や生きている人や、ルールがぐちゃぐちゃになってしまったからです。

おそらくどさくさに紛れて自分の名前をちゃっかりつけた人もいたに違いありません。


この「ジェレマイア」は世界に現存する3隻のリバティ船のうちの一隻で、もう一隻の
「ジョン・W・ブラウン」はボルチモアに、もう一隻は外国にあって、
なぜかギリシャに「ヘラス・ビクトリー」が動態保存されています。

動態保存、とは船が運用されないような状態において、機械類が本来の用途としての動作、
あるいは運用が可能な状態で保存されているので、機関部は稼働可能です。

映画「タイタニック」の撮影にはこの「ジェレマイア」の機関室がCG素材として
撮影され、加工されて使用されているそうです。
タイタニックは巨大船であったため、そのまま使えなかったのでしょう。


さて、それでは日本の戦時標準船はどのようなものだったでしょうか。

戦時には船腹の需要が平時に比べ増大するのに加え、敵国の行う
通商破壊活動によって船舶が撃沈され消耗するため、いずれの国も
「戦時標準船」なる「簡単にできる規格化された船」が必要となってくるわけです。
「標準」とはつまりこの「規格化」を意味します。

日本ではこの規格化された大量生産の船は第4次計画に亘って造られ、
その大まかな経緯を記しておくと、

第1次・・・戦後にも利用しようとしたため建造に比較的時間がかけられた。
     185隻建造され、終戦時残ったのは11隻だった。

第2次・・・敵の通商破壊活動のため船の消耗に生産が追いつかなくなる。
     粗製濫造は輪をかけて進み、中には「轟沈型」とあだ名されたものも。
     殆どが着工から1ヶ月ほどで進水しており、419隻建造された。

第3次・・・制空権、制海権が失われていたため 、わずかしか建造されなかった。
     
第4次・・・敵の勢力下を強行突破するための速力、防御力の高い船が計画された。
     しかしすでに日本には造船能力がなかったため、計画だけで終わった。


この経緯には日本の負け戦ぶりが如実に表れており、中でも第3次から第4次の実情は、
戦局とともに経済状態の悪化が窺えて、読むだけで涙が出そうです。


さて、戦時標準船がこのように濫造されなければいけなかったのであれば、
当然、それまでの民間船を戦時様に改造することも行われたに違いありません。



やはりここ三井造船で建造されたこの「報国丸」については
一度お話ししていますが、姉妹船の「愛国丸」とともに

「民間船として一旦は就航したが、実は有事の場合には
徴用されることを前提でそのために建造されていた」

という船であるわけです。
海軍に徴用された後は、特設巡洋艦と呼ばれ、「愛国丸」とともに
連合艦隊第24戦隊に編入され通商破壊活動に従事しました。

そして・・・、



おいおいこれは救難潜水母艦の「ちよた」じゃないか。

そうなんですけど、この「ちよた」の先代である空母「千代田」は
「千歳型水上機母艦」の2番艦なんですね。
せっかくなので覚えていただくために写真を出してきました。



その千歳型のかつての姿。ご覧のように、この時点では水上機母艦です。



ミッドウェーで空母がいきなり4隻失われたので空母になった「千代田」。
上部構造物を取っただけにしか見えませんが何か?

という感じです。
こののっぺらぼうのような痛ましい改造のされ方を見ても、
いかに当時の日本が切羽詰まっていたかというのが窺い知れるのですが、
このときに空母に改造されたのは「千代田」だけではありませんでした。

海軍はミッドウェーで無くなった分だけ、つまり4隻の空母を
何らかの形で造ることにし、この「千代田」をいれて

「あるぜんちな丸」「シャルンホルスト号」「ぶら志’’る丸」

の4隻を何と空母に改装する予定を立てたのでした。
そんな無茶苦茶な。

「あるぜんちな丸」はもともと三井商船所有の貨客船で、
南米への移民輸送に活躍した船でしたが、この改造により

空母「海鷹」

として、ドイツから日本が買収していた客船「シャルンホルスト号」は

空母「神鷹」(しんよう)

に、そして「ぶら志’’る丸」は空母に改造されることが決まったため
輸送任務に就いていたトラックから横須賀に戻る航海中、米軍潜水艦
「グリーンリング」の魚雷を受け、戦没したのでした。




ここでもう一度、沈み往く「ぶら志’’る丸」の絵をご覧下さい。
この絵を描いたとき、「ぶら志’’る丸」が戦時徴用船であることは知っていましたが、
この後空母に改造される予定だったとはわたしは全く知りませんでした。

舳先に立つ船長は民間人です。
もしこのまま「ぶら志’’る丸」が無事に日本に回航することができていれば、
その後は軍艦となり、大野船長はこの船を降りたはずなのです。

民間人船長として、徴用船が軍所有に変わる最後の航海で戦没した場合、
軍艦とその艦長に与えられるような死後の栄誉は与えられたでしょうか。

わたしにはそうは思えません。




「グリーンリング」の砲撃によって 「ぶら志’’る丸」は機関室が使用不能となり、
まず艦体は左舷へ傾斜し、やがて船首が45度の角度で持ち上がりはじめました。

伝わるところによると、大野仁助船長は最後の瞬間ブリッジに立って
三度「天皇陛下万歳」を高唱して万歳をしたあとまもなく、
「ぶら志゛る丸」は海中に没した、とされています。

救命ボートには乗員が全部で149名移乗し、その最後の瞬間を目撃した人々が
生還したため、その話を元に三井商船ではこのような絵を制作したのでした。




大野船長は「仏の仁助」と呼ばれるくらい 温厚な人物でしたが、トラックに
回航したとき、現地の司令官に着任の挨拶をしようとしたところ
司令官が遊びに行っているということを聞き激怒したそうです。

戦地の司令官も遊びに出ることはありましょうが、大野船長はトラック到着まで
トイレ以外はずっと持ち場を離れずに任務を果たしたばかりでした。
民間人であっても海の男の挟持を持って任務に当たったと自負すればこそ、
それに引き換え肝心の海軍軍人がそんなことでは、と憤ったのでしょう。
このとき大野船長は日頃の温厚さからは考えられない激しい調子で

「帝国海軍が日本を滅ぼすぞ」

と言い捨てたと云われています。

そして海軍との間に起こったこんな事件も大野船長の憤りを
さらにあおったに違いありません。
ルオットに「ぶら志’’る丸」が回航したとき、現地の第6戦隊から

「貴船にパンを買いにいく」

といきなり打電がありました。

「もう客船でないのでパンはない」

と返事したところ、

「貴船は客船だから是が非でも焼いて欲しい」

と食い下がられたというのです。
仕方なく「ぶら志゛る丸」わざわざは船内から小麦粉とパン焼き器を探し出し、
その無理難題に応えたということですが、そんなことのために奔走させられ、
大野船長以下船員たちの腹の中はさぞ煮えくり返ったことでしょう。

そのような扱いからは、戦時徴用された「軍属」たる船に対する、
ともに外敵に対して戦う海の同胞への敬意というものは全く感じられません。

前にも一度書いたことがありますが、一般に帝国海軍の民間船、
および一般船員への扱いは、つねに格下に対する軽んじた、
時として侮蔑に満ちたものであったといいます。


戦時に徴用されたもと豪華客船だった「ぶら志’’る丸」の船長は、
舳先に立ちながら自分の運命をどのように振り返ったでしょうか。

海軍に徴用されながら栄誉どころか敬意も払われず、護衛も付けられずに
制海権の失われた海にたった一隻でその舳先を進めていった
戦時徴用船「ぶら志’’る丸」。

日本の船として敵艦の砲撃を受け、その艦体が傾き沈んでいく瞬間、
声高らかに天皇の御名を叫びながら、もしかしたら大野船長は一人の船長として
海軍のものにならず、民間船としてのままの船と運命を共にすることを
あるいは以て瞑すべしと考えていたのではないかと思えてなりません。 









 

「あるくうた」〜ボストンを歩く

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あるけ あるけ あるけ あるけ
 南へ 北へ あるけ あるけ
  東へ 西へ あるけ あるけ
   路ある道も あるけ あるけ
    路なき道も あるけ あるけ

(高村光太郎作詞 歩くうた)

「ゆうせん」で「戦時歌謡」のチャンネルを聴いていると
ほんの時々ですがこんな曲が流れます。
最初に聴いたときインパクトが強くていっぺんで覚えてしまいました。

歩けという言葉がゲシュタルト崩壊起こしそうな(笑)
しかも陰惨なメロディで、とても読んだ通りの意味には
思えない(つまりネガティブなイメージの)歌なのですが、
なんとびっくり、今調べたところ、昭和15年に
当時国民の体力増進のため「歩け歩け運動」が提案され、
このテーマとしてNHKで作られた国民歌謡であったことが分かりました。

いやー・・・・これ、皆さんどう思います?
なんだかロシアの労働歌みたいじゃないですか? 
三番なんか、

身をやく 日照り あるけ あるけ
  塩ふく 背中 あるけ あるけ
   身を切る 吹雪 あるけ あるけ
    凍てつく 目鼻 あるけ あるけ

なんですよ?
なんで体力増進のためとはいえそこまでして歩かなくちゃならんのか。

つくづくこういうセンスが今とは違うなあと
隔世の感があるのですが(昭和15年ならそりゃあるよな)、
この話題はたんなる「つかみ」ですのであまり気にしないで下さい。



それはともかく、この「 体力増進のために歩く」、
皆さん実践していらっしゃいますか?

わたしは一日のうち必ず最低4〜50分は歩くことを目標にしていて、
用事で歩かないときには公園を散歩したりするのですが、
アメリカ滞在時にはいつもより時間もあるし、
積極的にこの期間に体力を付けることを旨としています。

歩く場所を車で探しながら走り、州立公園や緑の多い地域で
気軽に車を停めてそこで歩いてみたり・・。

それがわたしにとっての「観光」ともなっています。



州立公園、という看板を見つけて車を停めてみたら、
そこは「ボート乗り入れ専門公園」だったことがあります。
駐車場からボートが引っ張れるように
こんなスロープがつけられているのです。




前にもこのブログでご紹介したことがある

「ホプキントン州立公園」。

車一台につき5ドルが駐車料として徴収されますが、
9時に係員が来るまでに入場すれば無料です。



去年からいつも同じところで見る人。
近くに車を停め、いつも無料の時間に入り、
このテーブルでコーヒーを飲みながら仕事しています。

静かでほとんど人のいない時間なので贅沢な書斎ですね。



ここでこのシマリスを見たのは初めてです。





おなじみトウブハイイロリスも発見。
テーブルの上に残された残飯を食べているようです。

このリスは、わたしに見つかったと知るとぢっと固まって
置物のようになっていました。
リスはだいたいそうやって身を守ります。
近づいてきたら脱兎の?速さで逃げます。



湖の岸の砂浜でじっとしていた二羽の白鳩。
こっちを見るのですが近づいても全然逃げませんでした。



カミツキガメが道路を渡るのを見ていたら、

「あなたこれが車にひかれないように見てなさい」

と命令したおばちゃん、ドリス・オグラディ(65・仮名)を目撃。
服装と、なんといっても体型が全く変わっていないので
遠くからでもすぐわかりました。



この「ミスター・チャン」も、三年前くらいからのおなじみです。
いつも三匹の犬を連れてこの土手に来ては右側の湖に、
そして左側の土手にボールを投げ、犬達は臆せずそれを拾いに行きます。

坂で吠えている茶色い犬は去年水に入るのを怖がっていましたが、
今年はちゃんと泳げるようになったらしく、果敢に飛び込んでいました。



今泳いでボールを取りにいっているのは茶色くんです。
近くを通ったとき、初めてミスター・チャンと挨拶を交わしました。
それはいいけど、チャンさん去年よりお腹が出てるような・・。



この湖は水泳禁止ですが、勿論そんなことを守るアメリカ人ではありません。
この5人は、お揃いの赤い水泳パンツを入って土手から入水し、
泳いでいました。
同じクラブの団体かなんかかな。 



それを岸から眺める体重1トンの女性。

さて、息子のキャンプが変わり、住むところが変わったので、
新しい「歩き場所」を求めて、少しホテルの近くを探してみました。



ホテルの隣にあったのがこのトレイル。
給水塔等のある小山なのですが、麓には幼稚園がありました。

 

住宅街にいきなり入り口があります。
ゲートには地図があり、ついでに愛犬家用の袋も完備。
アメリカではこの「落とし物」は全くといっていいほど見ません。



殺人現場発見。



頂上まで車で上がれます。
何処に停めていいのか迷いましたが、近くで赤ちゃんと小さな女の子を
遊ばせていたお母さんがグッドモーニング、と声をかけてくれたので

「ここに停めていいんですか」

と聞いてこのベンチの手前に停めました。



さっそく山道を下るコースを歩き出したのですが、
この緑のトンネルが災いして?顔の周りに虫が寄ってきます。
ここではよくあることなので、わたしは歩くときに
必ず携帯用のハーブスプレーを使って追い払うのですが、
このときはあまりに頻繁だったため、ボトルがほとんど
空になってしまいました・・。

日本では街中では望めないくらい恵まれた環境ですが、
おそらくここにはもう来ないと思います。



木の溝にはまり込んで擬態している(つもりの)リス。

 

この日は息子の行っているウェルズリー周辺を探検してみました。
オーガニックスーパーのホールフーズの周りにトレイルが出来ているのを発見。
スーパーの駐車場に車を停めて歩き出しました。
まず小さな野球場が現れます。



駐車場の出口から見た光景。
あぜ道のようなトレイルが繋がっている模様。
ここを歩いていきます。



右側は広大な球技場、左は野球場とテニスコート。
コートは無料で使えるようです。
この日は独立記念日の朝で、お年寄りがテニスに興じていました。
少し離れたコートにいる一団がやたらやかましいと思ったら中国人でした。
あの人達、たぶん嫌われてると思う。



途中に自然石に刻まれたこのフィールドの寄贈者の名前がありました。
学校の建物もそうですが、アメリカではこのように資産家は、
地域や出身校にグラウンド、あるいは校舎を寄贈して、そこに自分の
名前を刻むのをステイタスにすることがよくあります。

庶民でも簡単にできる「後世への名前の残し方」です。



この辺りの「中流くらい」のよくあるタイプの家。
ボストンの郊外でも結構経済レベルの高い地域のようです。
集合住宅がそもそもあまりないので、「庭付き一軒家」に住むのが当たり前。

加えてアメリカ人は衣食住のうち「住」を飛び抜けて重視しますから、
どこの家も外観や庭を情熱を込めて設え、手入れを怠りません。
芝生を刈るのは一家の主人の重要な役割となっています。



トレイルがどこまで続いているのか分からなくなったので、
一般道を歩いていくと、ウェルズリー高校(公立校)がありました。



道の反対側にはアスレチックタワーが。
高校のアクティビティで使用するために作られたようです。
アメリカの学校には必ずと言っていいほどこういうのがあり、
息子は前半のキャンプでもウォールクライミングをしたそうです。



また再びトレイルに戻り、角を曲がると
柵にとまっていた小鳥と目が合いました。



こっち見てますね(笑)
この小鳥の名前は分かりませんでした。

 

トレイルはこんな踏み分け道の部分もあります。
ブルックパス、という名前の通り、横を小川が流れています。
勿論護岸工事がされたようなのではなく、自然の小川。



右側が小川で小川の向こうが民家の庭です。
勿論庭に柵などありません。



1928年からここにあるらしい。
何なのかはわかりませんでした。

 

元々森だったところなので、至る所にトレイルとオープンスペース、
つまり車が簡単に停められて、湖などがあって、ピクニックも出来るような
空間がこれだけ残されているということです。

週末の朝には、「歩こう会」のようなイベントも催されるようです。



この辺ではスズメ並みにたくさんいる鳥。
これも名前は分からず。
何か御馳走をくわえているようですが、なんでしょうか。
空挺レンジャーで隊員の皆さんがかじっていたもののようですが。



逃げました。



さらに歩いていくと野うさぎ発見。
この辺は野うさぎがどこにでも生息していますが、大きさは
どれもだいたい掌に乗るか乗らないかのミニサイズ。



こっちにロックオンされたことに気づきました。



こういうとき、彼らはひたすら息をひそめてじっとしています。
それをいいことにそっと近づいていってシャッターを切りまくりました。



急に逃げたら追いかけて来られる、と思っているようです。
向こうもそーっと向きを変え、逃げる準備。



一旦立ち止まってこちらを確認。
この後文字通りの脱兎となってものすごい速さで走っていきました。

 

灰色リスが木の陰からこちらを窺っています。

 

ハイイロリスと同じところにシマリスの夫婦もいました。



トレイルはこのように緑のトンネルになっているところもあります。

 

ウォーキング中ではありませんが、ドライブ中にワイルドターキー発見。
一昨年、学校の帰りにこのつがいの写真を撮り、

「この鳥何だか知っていますか」

と聞いたところ、リュウTさんとmizukiさんに教えてもらいました。
バーボン好きならすぐわかるのだそうです(笑)

そのときとまったく同じ場所で同じ道路を横切り、
民家の庭に入っていきました。

「これ絶対付近住民に名前付けられてるよね」
「マーサとジャックとか」
「快適なんだろうね。なまじ森の中みたいに天敵がいないから」



さて、ウォーキングから帰ってきたある日、ホテルのロビーを歩くと
タップシューズのような音がするので靴底をみたら、
ナイキの独特のヒールの穴にちょうどいい大きさの石が
このようにはまり込んでいました。

この夏ここをあるいた記念に、この石は持って帰ることにします。




 

朝霞駐屯地訪問記〜コブラ・シミュレータ

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さすがにご指摘のようなサブタイトルに変えるほどでないにしろ、
最近すっかり陸自づいている当ブログです。

「遊びにきて下さい」

という言葉を真に受け、朝霞の職場まで本当に行ってしまったのですが、
こういう「物見遊山の訪問者」にも、自衛隊幹部というのは
国民への周知理解を深めるためにわざわざ時間を作ってくれるのです。

しかも、広報館を一緒に回って案内し、ガイドも努めて下さるという
破格のサービスぶり。

K1佐と一緒に館内を歩いていたら、広報館の係をしている
自衛官が、わたしたちに向かって

「元パイロットに案内してもらえばもうバッチリ詳しく聴けますね」

と声をかけてきました。
K1佐はCHのパイロット出身で、ヘリ航空隊の隊長をしていたのです。




(洗濯したての香りのする)迷彩ジャケットを羽織ったわたしたちは
そのK1佐に誘われてシミュレータの前に来ました。

なんと、ここにはコブラのフライトシミュレータがあり、
2人ずつヘリの滑空の疑似体験が出来るのです!

シミュレータは事故防止のため周りを金網で囲まれています。
自分で乗っただけなので外から動いているのを見ることはありませんでしたが、
おそらくかなりコクピット部分が大きく動くのでしょう。

乗る前に、荷物を乗降口の脇にあるテーブルに置きます。
手にカメラを持ったまま何となく乗ろうとしたら、
ここの係員である自衛官とK1佐が同時に 

「カメラは持ち込めません」

これは防諜のためとかそういうことではなく、
結構振動が激しいので、カメラを持っていて事故になっては、
という事なのだと思います。
 
シミュレータの動きは岩国の海兵隊基地で、
F−15パイロットのブラッド大尉に特別体験させてもらった
レガシーホーネットのように、非常にリアルに感じられました。
圧力までは再現できないので、こちらのヘリの動きの方が
もしかしたら現物には近いものなのかもしれません。

映像は、基地を飛び立って上空を飛び、適当なところで  
どーーーんと対戦車砲をぶちかまし、帰ってきます。

その瞬間、大変な衝撃を感じました。

このAH−1Sは、ベトナム戦争に多数投入された攻撃ヘリで、
対戦車ミサイル、ガトリング砲、ロケット弾の三種類の武器を搭載しています。

何の説明もなかったので、衝撃が実はそのどれか分からなかったのですが、
一度の大きな揺れだったのでミサイルだということにしました。

シミュレータは横並びに座るもので、操縦席という設定です。
実際の機体は幅が狭く、両手を伸ばせないくらい薄いのですが、
これはステルス性のためです。



中央に展示しているコブラのガトリング砲。

ところで、シミュレータに乗ったとき、映像の前方には
前席に座っている射手の後頭部が写っていたわけですが、
そのヘルメットから上に向かって長く細いパイプが出ているのに気づきました。

何なんだろうなー、と降りてからしばらくK1佐の説明を聞いていると、

「コブラの機銃は、射手のヘルメットとリンクしているので、
射手が攻撃目標を向いただけでそこに弾が飛ぶようになっています」

つまり、あのヘルメットから出ていたパイプは、そのためのもの?

「そちらを向くだけでいいんですか」
「射程目標に厳密に中てなくてはいけないというものではなく、
だいたいの方角にさえ飛べばじゅうぶんなんです」

これは驚いたなあ。
ベトナム戦争の時代からこんな仕組みだったのかしら。

残念なことに、この「ヘルメットとリンクしている武器」が
三つの搭載武器のうちどれか確かめるのを忘れました(笑)

でも、「だいたいそっちに飛べばOK」ってことから考えると、
対戦車ミサイルではなく、ロケット弾かガトリング砲だと思う。

これは、もしかしたら一方で戦車を狙いつつ、
横手から敵が来たらそちらをむきさえすれば同時に攻撃できる、
ってことでいいのでしょうか。



ハイドラ70ロケットランチャー。

やっぱりというか、wikiのページにはこの武器について

「ハイドラ70は、無誘導のロケット弾であり、
一度に多数発射して一部が目標に当たれば良いという使い方をされてきた」

と書いてあります。
そちらを向いただけで発射されるのはこのロケット弾のようですね。
(違ったらごめんなさい)

しかし、そのとき取り立てて疑問は感じずK1佐に聴くのを忘れましたが、
こういういい加減な方法でロケット弾を撃ちまくって、問題はないのでしょうか。
たとえば、戦闘中にふとそこを見たら非戦闘員がいたとか民家があったとか。

と思ったら案の定、それは懸念されていたようです。

しかも、wikiによると

「目標が遠距離になるほど命中率は低下する」

「搭載量の少ないヘリの携行弾の無駄な使用に繋がり、
トータルでの運用コストの増加を招いた」

やっぱり・・・。

いかにもアメリカ人らしい、

その辺りに撒いときゃいいんだよ!
どれか一つは目標に当たるって!
え?誤射?こまけえことはいいんだよ!(AA略)

みたいなノリですか。

言っては何ですが、この辺り実にアバウトですなあ。
この後誘導装置を開発したのも、主にその理由はコスト削減のためだったかも。

ちなみにこの「腕」状のものをパイロンといいます。
♪ ああ我ダンテの奇才なく♪ってやつですね。

それパイロンちゃうバイロンや。(←自分つっこみ) 

このパイロンにコブラは武器を搭載するのですが、
蜂の巣状のロケットランチャーの左、
パイロンの外側に装着されているのがTOWランチャー。
TOWとは対戦車ミサイルのことで、

 Tube‐launched, Optically‐tracked, Wire‐guided


の頭文字。

発射筒で発射され  光学的に追跡され  有線で誘導される、

という、機能の説明をそのまま省略します。

アメリカで駐車違反車をレッカー移動することをtow といいますが
こちらとは全く関係ありません。 

パイロンにどちらを外側に付けるかは厳密に決まっていないらしく、
ここのコブラはこういう配列ですが、外側にミサイル、内側に
TOWという配置をしているコブラを見たことがあります。 




コブラの操縦席(前席なので射手席でもある)。
操縦席の幅は99センチ。
人間の身長は両手を広げただけというのが平均。
つまり両手をひろげることもできない、大変幅の狭いコクピットです。

黒い検眼器みたいなものは、TOWの照準器だそうです。

シートカバーは官品でしょうか。
黄緑色をしていますが、これは外側の塗装とコーディネイトしてあります。
右と左に、肘を置くためのクッションを仕込んであるのが気配りです。



K1佐によると、これは防弾ガラスではないそうです。
その代わり?コクピットの両脇は防弾板ががっつり塡まっています。

こんなちょっとで防御できるのだろうか・・・。



「ところで、ヘリの操縦の仕方は基本的に同じなんですか?
たとえば、このコブラ、K1佐は操縦することは・・?」

それに対するK1佐の返事は、

「私はAHの資格(免許と言ったかも)は持っていませんが・・・
もし今、操縦しろといわれたら・・・・(一呼吸置いて)できますね」

おお、現役を離れて何年にもなるのに、この自信と挟持に満ちた
力強い?断言。
そういえばホーネットドライバーのブラッドも言っていたなあ。

「自転車や自動車の運転みたいなものだから、
たとえしばらく遠ざかったとしても体が覚えている」

って。




固定武装であるガトリング砲の弾薬。
そういえば零式艦上戦闘機も20ミリを搭載していたなあ、
と思い出しながらこれを見ていました。



続く。

 

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