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サンフランシスコの一日〜クリフとフォートポイント

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さっき車の中でラジオを聞いていたら、突然

「ロビン・ウィリアムズが自殺した」

というニュースが繰り返し始まりました。
昨日、黒人のティーンエイジャーが警察に撃たれて亡くなり、
黒人の暴動が起こって32人が逮捕されている、というニュースが
朝から繰り返されていたのですが、 一挙にこの話題にかすんでしまいました。

昨日はサンフランシスコに来ていたという証言もあるそうですが、
自殺とは・・・・一体何があったんでしょうね。 



さて、かつてサンフランシスコに住んでいたことがあり、
帰国してからもほぼ毎年ここに来て夏を過ごしていた我が家は
2年前から息子のキャンプの内容の充実を求めて
ここスタンフォードのITキャンプにくるようになっても
かつての懐かしい場所を求めて滞在中何度かSFに行きます。

わたしはお気に入りのブティックがあるので、それらを
一回ずつ訪れるだけでも結構な回数になります。
顔なじみで名前も知ってくれている店もありますが、
それほどでもないところでもレジで

「わたしあなたの顔覚えてるわ」

と言われたことが何度かあります。
どの店も一年に一回しか行かないのに・・・。 

ところで、その中でも最も仲良くしていて、スタッフの名前も
全部熟知している店を先日訪れたのですが、
3年くらい前から働いている70台のおばあちゃまスタッフが、
なんとジャズギタリストの

Bruce Forman (wiki)
ホームページ

のお母さんであることが判明しました。
なんてこった。
ブルース・フォアマンといえばリッチーコールのバックで
日本に来たりしている、ちょいカントリー風ジャズギタリスト。

あらためて写真を見たら、ママンと全く同じ顔をしています。
本人にそれを言うと

「そうなの。髭があるだけの違いなの」

ちなみに、彼が何歳からギターを始めたのかと聞いてみたところ、
小さいときにはピアノをやっていたのだが、20歳のときに
急にギターを始め、すぐにプロになっていたということです。
まあ、プロになる人というのはそんなもんですよね。

「プロになろうと思って音楽を始める人はいない、
なろうと思うのではなく気がついたらなっているのがプロだ」

というのは、不肖エリス中尉の名言です(笑)

母上によると現在彼は「ルート66ツァー」をやっていて、
あの「Route 66」に登場する街のライブハウスを次々に
回って演奏しているそうです。

つまり、シカゴを出発してLAまでの2000マイル、

Saint Louis
Joplin,
Missouri
Oklahoma City
Amarillo
Gallup
New Mexico
Flagstaff
Arizona
Winona
Kingman
Barstow
San Bernardino

という順番ですね。
きっとライブの一番最後にこの曲をやるのでしょう。 

ママンによるとブルースは何度も日本に来ているので、
今度行くときにはメールをくれるとのことでした。



翻って当方の息子は相変わらず機嫌良くキャンプに行っています。
ITキャンプなので合間には皆でゲームをするそうですが、
朝のドロップオフのときに

「お前が「X」か。昨日一人で勝ちまくってたという」

などといわれていて、彼が有名人であることに気づきました。
大抵100人近くのクラスの中のゲーム「2強」の一人になるそうで、
カウンセラーといわれる講師に勝つこともしょっちゅうなのだとか。
わたしとしてはそんなことで有名になられても、と思うのですが、
本人はいたって大得意。

「気がついたらゲーマーになっていた」

というのだけは親の立場からもやめてほしい、と祈る今日この頃です。

関係ないですが、彼はまた

「お前デスノートの主人公に似てるな」

とも言われたそうで、それもちょっと嬉しい様子。
どのキャラのことか知りませんが。



さて、その息子がサンフランシスコに一度は行ってみたいというので
先日、I-280で北に向かいました。
サンフランシスコ上空には今日は霧がかかっているようです。
今からあの雲の中に突入だ!
わたしも息子もパロアルトを出発するときからジャケットやマフラーで装備。



隣をまるで絵はがきのようにきれいなオールドカーが
走っていたので息子に写真を撮らせたのですが、失敗。
青い、やはりレストアカーと連れ立ってドライブを楽しんでいます。
タイヤホイールなんかもぴかぴかですね。



こだわってオールドカーに乗る人はここアメリカにも
たくさんいます。
これはサイドミラー越しに撮ったメルセデスのオープン。
カリフォルニアの人はオープンカーが大好きです。
強い陽射しは彼らにとって苦ではないようです。



280を出て太平洋沿いのスカイラインハイウェイを走りました。
パラグライダーを楽しむ人が集まる崖の上の公園があります。
いつも崖沿いや海の上を飛んでいるのですが、
見ているだけでどこに着陸するのか心配になります。
皆個人で楽しんでいるので、日本のように何かあっても
業者に責任を問うみたいなことにならないようです。



サンフランシスコの地図で言うと右上、太平洋を臨むサンセット地域。
この向こうには日本があります。



車から降りるなり激しく冷たい風にあおられて震え上がりました。
海岸を歩く人も寒そうです。

「これが8月の海岸の光景だなんて・・・」

いつ来てもサンフランシスコはクレイジーな気候です。



ここにはかつて風力発電のために使われていた風車が二つあります。
勿論今はその姿が残っているだけです。  



レストランに行くことにして車を停めました。
ここは「クリフ」と呼ばれています。



海岸の向かいにはアパートなどもありますが、
よくボードを抱えて道を横切っている人を見かけます。
近くに住んでいるサーファーも多いと見た。
しかし、冬でもやるのがサーフィンとはいえ、ここで水に落ちたら
さぞかし寒いだろうなあ・・。

風が強いので結構いいチューブが来ているようでしたが。



おばかさん発見。

サンフランシスコの海で海水浴をする、などというのは
体を張ったギャグ以外の何ものでもありません。

おそらくただウケを狙っての決死のパフォーマンスと思われます。
何が君をそうさせている。



というわけで、レストランのあるビルの近くに車を停めました。
ここは3年くらい前に長年かかって行われていた改装があいなって、
観光客や地元の人たちが訪れる人気スポットとなっています。



中のカフェはものすごい人で順番待ちが出来ていましたが、
レストランの方にはすぐに座れました。
ホテルのダイニング並みのお値段設定なので、
ちょっと休憩、という観光客などはこちらを選ばないからです。



案内された席からの眺め。
下のテラスにはしょっちゅう人が来ます。
いかにも寒そうな二人。



海岸にある岩の小山にはしょっちゅう人が登りにきていました。



どこから降りるのだろうと不思議に思って見ていたのですが、
右下の亀裂の隙間に立った墓石のような岩の上に移り、
そこから亀裂の右にさらに移って砂浜に降りていました。



そんな観察をしているうちにスープが来ました。
息子と二人でシェアした人参のスープ。



ここの売りはシーフードです。
素直にスキャロップを注文してみました。
付け合わせにはアサリとポプコンシュリンプもあって
食べ応え十分すぎるほどでした。



息子の頼んだコッドのフライ。
どちらも美味しくて、量が多いのに全部食べられました。



しかもデザートも頼んでしまうのだった(笑)
二人で一つ頼んだ「ラーバ・チョコレートケーキ」。
付け合わせてあるのはホイップクリームとピスタチオのクリーム。



ラーバ、即ち溶岩のように熱々のチョコレートが中から・・。
アメリカのデザートなのに甘さ控えめで激うまでした。



全てに満足したのですが、一点精彩を欠いたのが紅茶。
アメリカ人には紅茶の文化がないので、お湯のポットに
はいどうぞ、とティーバッグを一つ持ってきたりします。
まあ、ポットで3ドル50セントですから文句も言えませんが。



ここにはかつてStro Baths(ストロバス)という温水プールがありました。
よりによってこんなサンフランシスコで一番寒いところに、
と思わないでも無いのですが、決して泳げない海だからこそ
それを見ながらせめて暖かい室内で泳いでみたい、と
考えたサンフランシスカンが多かったということでしょう。

先ほどの水車もここに電力を供給していたのではないでしょうか。




まるで養殖場のいけすのようですが、こんなプールだったようです。

1896年、ユダヤ系ドイツ人で初のサンフランシスコ市長となった
アドルフ・スートロが世界最大の屋内スイミングプールとして建てたもので、
運転コストとメンテナンスに費用がかかりすぎたため経営は思わしくなく、
閉鎖に追い込まれました。

その後ここにはかつての遺跡だけが残っていましたが、
1966年、放火による火災で全ての建物は焼失したそうです。



ここがその跡地。
建物の基礎の跡と、プールに移動するための階段、
そしてトンネルが見えます。



ここに立つとあまりの風の強さにわたしたちはさらに震え上がりました。



そして、水槽の跡のようなものが見えています。



それがこの部分。
今ごはんを食べている建物のあるのが向こうの崖沿いです。



温室ドームは大きなもので、この下の階にもプールがあり、
吹き抜けの二階はこのようなスペースになっていたようです。



さて、息子のリクエストにより、わたしが先日車の鍵を失くしたところの
ゴールデンゲートブリッジに行ってみることにしました。



この日はサンフランシスコ中が深い霧に覆われていました。
晴れているように見えますが、真っ白な写真を加工したものです。



ゴールデンゲートブリッジのある地域をプレシドといいます。
プレシドに建っている家は殆どが築100年もので、
しかも壁や屋根の色をぬりかえることは許されません。
従ってどこにいってもクリーム色の壁にレンガ色の屋根の建物ばかり。
色彩に統一があって実に美しい一帯です。



ブリッジのたもと、フォートポイントに来ました。



ウォーキングでここにたどり着き折り返すときにタッチするパネル。
前に見たものとは違う新しいものになっていました。



下の方にある犬用はそのままです。



上空に水上飛行機発見。
アレスティングワイヤーのようなものを付けていますが・・。

 

駐車場に車を停めて釣りをしている中国人あり。
今夜中華街にある彼の店で「TODAY’S CATCH」として料理されます。(たぶん)
見ている前で瞬く間に一匹釣り上げ、観光客が周りを取り囲み大騒ぎ。
ちょっと得意そうな陳さん(たぶん)でした。



ところで、わたしの今乗っている車です。
え?
前に鍵を失くしてからダッジに乗ったといってなかったかって?
はい、乗り出して数分でGPSがないのに気づいたんです。
そして次の日またもやスイッチしにいき、
すったもんだでプリウスに代えてもらったというわけです。

つまりわたしがこの滞在で乗った車、その数8台。
平均週一回車を代えていたことになります。

このまま最後まで行けますように・・・。(切実)



ここには1800年代に作られた要塞の跡があります。
時々は公開されるのですが、入り口にあった案内によると
それは来週の土曜日でした。
最後の週末になりますが、どうしようかな・・。 


このあと、市内のスーパーで買い物をし、パロアルトに戻ってきたのが夜8時。
夜なのに明るく暖かく感じ、サンフランシスコの異常さをあらためて実感しました。

しかし、また別の日になれば行きたくなるんですよねこれが。

やっぱりサンフランシスコはクレイジーな街です。



 

 


パシフィックコースト航空博物館〜ファントムIIの星

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話が横にそれて論議になったり、本人が間違えたりで、
こういうエントリになるとなかなか波瀾万丈の進行になり、
それはそれでまた(本人が)面白いなどと思うエアミュージアム訪問記。
今日ご紹介する飛行機は?

まずは

IL-14 CRATE(イリューシン14;Ил-14イール・チトィーリナツァチ)

イリューシンとは正確には公開株式会社「S・V・イリユーシン記念航空複合体」
といい、ロシア連邦の航空機メーカーです。

クレイトというのはNATO(北大西洋条約機構)が東西対立の頃
東側の装備に対して付けたコードネーム。
零戦を「ジーク」紫電改を「ジョージ」彗星を「ジュディ」という風に、
日本軍の装備を米軍が勝手に名付けて呼んだのがコードネームの始まりです。

このイリューシンの制作したイリューシン Il-2は「襲撃機」という意味の
「シュトルモヴィーク」という名で呼ばれていた決定的な武器の一つでしたが、
第二次世界大戦中ドイツ軍には「空飛ぶコンクリートトーチカ」などと呼ばれ
恐れられたものだそうです。

イリューシンはまだ存在し、現在は「IL-76」を造っているとか。

この航空機は大変貴重なもので、元々はソ連で造られ、その後
ポーランド空軍で使用されていました。
この機体がいつ、いかなる事情でアメリカに来たかはわからないそうです。

ところでこのイリューシン、内部がまだ生きている、つまり飛行可能です。
エアショーなどで飛行させる計画をしているのですが、問題は

英語の操縦マニュアルがない
(ので飛ばせない)

ということだそうです。
IL-14が配備されていたインドとエジプトでは英語のマニュアルが配られていた、
ということなのですが、それが現存しているかどうかも分からない状態。

というわけですので、これをお読みの方の中でもし英語のマニュアルを
持っている方があれば当博物館に連絡してあげて下さい。 



F-4C Phantom II

1995年に当スタッフがこの機体をシエラ陸軍デポで
発見したとき、もう少しで砲術訓練の標的にされる運命でした。


カリフォルニアの北部にレノという街があります。
タホ湖という、冬にはスキーも出来る湖の近くにあるカジノの街で、
このあたりは普通のホテルであってもロビーがカジノだったりします。
わたしは一度カリフォルニアとネバダの州境に立っているため
「カルネバ」とまるでレバニラのような名前をつけられたホテルに
泊まったことがありますが、そのことを先日知り合った
トルコ人のエンジニアに話したところ、おじさんは

「そこはJFKとマリリンモンローの密会の場所だったんだよ」

と実にどうでもいいことを教えてくれました。
ちなみにこのおじさんはホールフーズのイートインで近くに座ったときに
声をかけてきたのでお話ししたというだけの人なのですが、
やたら懐いてきて、やれディナーをとか
やれ週末にサンフランシスコに連れて行ってあげるとか(知ってるのに)
盛んに誘いをかけてきたり、スシの話になったときわたしが

「日本に今度仕事で来ることがあったらわたしと夫が
世界で一番おいしいスシをごちそうしますよ」

とお愛想でいったところ、

「いや、わしゃあんたの旦那には別に会いたくないから
あんた一人で案内してくれ」

と言ったり、落馬の話になって手首をちらっと見せたら
いきなり怒濤の勢いで手を握ってきてものすごく気持ち悪かったので
それっきり連絡先を教えていません(笑)

せっかく前半トルコ航空の話とサビハギョクチェンの話で盛り上がったのに・・。



話がそれましたが、なにしろそのレノにある陸軍基地に
この機体はもう一機のファントムIIとともに放置されていました。
軍当局者はそれを処分することにし、その受け入れ先を探していたところで、
そこにこのミュージアムが立候補し、そのうち一機を獲得したということです。


ベトナム戦争の主力戦闘機はF−4ファントムIIでした。

冷戦期の代表的な戦闘機で、ベトナム以降西側諸国で使用され、
我が自衛隊でもライセンス生産による導入がなされました。

「野生のイタチ」とあだ名されたファントムIIも、より高速で
より機敏で、より優れたアビオニクスが搭載されたF−16sやF/A-18sに
その座をゆずって行くことになります。



コクピットの下に書かれたパイロットの名前は、この機体823の
最後のクルーであろうと思われます。



ミュージアムのクルーは、精魂込めてこの機体をレストアしました。
エアインテークのカバーに描かれたこの絵を見よ。

スナフキン?のような爆弾人間は、その旨に「II」と描かれ、
これがファントム (怪人)であることを表わしています。

ちょっとやり過ぎ、と思われるくらい、レストアクルーが
このペイントに力を注いだ様子が見て取れますね。 



説明プレートの下に

「ここはファントム専用駐車場」

というお知らせが(笑)



ところでこの823ファントム、つまり標的にされそうになる前には
こんなこともありました。



これ、どこで撮られた写真だと思います?
横田基地なんですよ。
1969〜70年に駐留していた「405TFW」として、ということですが、
この「TFW」って、戦闘機パイロットのトレーニング、
「トレーニング・フォー・ウォリアー」のことですか?

ちなみに超余談ですが。

アメリカの2ちゃんねるに相当する4channelのミームでは、
「tfw」=「that feeling when」。
「tfw no gf」だと「彼女がいないこの気持ち」となります。
何かのご参考になさって下さい。


それはともかく、いまここサンタローザで観ているファントムIIは、
かつて日本にいたことがあったというわけです。



後ろから見ると、きっかり垂直尾翼と水平尾翼が・・・・・、
いや、これは水平尾翼ではないですね。
何しろ、120度で三分されているように見えます。

こういう尾翼を「逆V字尾翼」とでも呼ぶのでしょうか。
八の字に曲げられた尾翼のは旋回する方向にローリングさせるため、
空力特性、ステルス性の両面で有利であるとされますが、
また同時に離着陸時に尾翼を損傷する恐れが高い、と言われます。

そのため尾翼が主翼よりも高い位置にありますね。

もしこの位置の尾翼が水平だった場合、迎え角を大きく取ると主翼の後流が
尾翼の効果を打ち消して急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生むため、
尾翼には大きな下反角をつけることで対処しています。



エアインテークの前にあるこの部分を

「スプリッターベーン」

といいます。
ファントムIIに使用されたエンジンは当時最新鋭の

「ゼネラル・エレクトリック J79」。

当時としては強力な推進力を生むものでしたが、それがため
エアインテーク周辺にマッハ越えのときに生じる衝撃波が、
エアインテークへの空気の吸引を妨げるという弊害を起こしました。

つまり機体表面に流れている境界層と呼ばれるごく薄い空気の層を
通常の空気と共にエンジンに吸い込んでしまうと、
エンジンの効率が下がり性能低下を引き起こすのです。


そこでスプリッターベーンという細かい穴の開いた板を
エアインテークの直前に置き、ここから境界層気流を
吸い込んで裏に流してしまう、ということが考えられました。



上の写真の一部を拡大してみました。
この無数の穴から境界層のインテークへの侵入を防ぎます。

それで衝撃波を緩和することをも防ぐことができるというわけ。



スプリッターベーンの内側に隙間があるのがお分かりでしょうか。
この隙間は50mmとされており、インテークへの境界層の進入防止とともに
境界層の吸入による振動(バズ)を防ぎます。



ミュージアムのHPを見ると、スタッフは機体の発見、獲得から始まって
渾身のレストアを施したこのファントムIIを「our baby」と呼んでいます。

さて、もう一度最後にスプリッターベーンをご覧下さい。
赤に黄色で縁取られた星が4つ描かれています。

これは元々823機に付けられていたものを、レストアクルーが
ペイントする際に復刻させました。
オリジナル塗装ではおのおのの星に年月日が書かれ
星の下部には

「於べトナム 第8TFW ロビン・オールズ少佐」

と記されています。
これはオールズ少佐が撃墜した北ベトナム空軍機の撃墜マークなのです。

撃墜マークを復活させておきながら、具体的に敵機を「いつ墜としたのか」を
機体に残すことをしなかったのはなぜでしょうか。






 

ニコン1+300mmレンズで撮るカリフォルニアジリス

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昨日こちらでFOXニュースを見ていて、オバマ大統領が

「イラクは終わった」

とかなんとか宣言したというニュースが流れたんですが、その中で

「(イラク侵攻に)911は関係ない」

みたいなことを言ったわけですよ。
それを聞いていた息子がこういいました。

「じゃ理由はなんだったの?
結局石油のためだったって言ってることにならない?
こんなことわざわざ言わない方がよかったんじゃね?」

先日コメント欄で911とアメリカの利益について話題になりましたが、
「911テロへの報復」という大義名分を否定してしまったら、
後に残るのは経済的利益しかないのですが。

撤退もシェールガスとオイルの増産が見込まれると同時に行われ、
イラクでの戦争が「石油目的だった」ことはもはや自明の理ですし、
今のアメリカが中東に望むのは、中東内での混乱がエネルギー価格の
高騰を生み、それが「シェール革命」の後押しとなることに違いありません。

いずれにしてもわざわざ911を話題に上げることは
あまり賢明な演説だとわたしにも思えません。
というか中学生にすらこんなことを言われてしまう大統領ってどんだけ。

 


さて、本日の話題です。

今回の渡米には今年始めに買った300mm望遠レンズを持ってきました。

ゴツいレンズを手荷物で持って来るのは随分迷いましたが、
ひとえにここシリコンバレーのバード・サンクチュアリで
ペリカンの飛来する写真を撮りたいという一念からです。

でも、望遠で飛ぶ鳥を落とす、じゃなくて撮るのって大変なのね。

こちらに移ってすぐにいつもの「ペリカン滑走路」にいって撮影してみましたが、
望遠レンズみたいな手ぶれの避けられないもので、
しかも航空機とは違って右から左に移動する鳥を撮るのは、
やはり三脚がないとどうも無理だとわかりました。

でもまあ、リスやシカ、遠くにいる動物を捉えることが出来たので
まあ持ってきて良かった、と自分に言い聞かせています。

何しろ手で持っているだけで重たいんですよ。
まだ負担のかかるのが左手で良かったってかんじです。



ここディッシュトレイルには、このカリフォルニアジリスのほか、
立ち入り禁止となっているトレイル以外の場所には
野生生物が多数棲息しているそうです。
トレイルというのはこの地域のごく一部にすぎません。

しかもこの地域に限らずアメリカにはこのような野生動物保護区域が
たくさんあり、関連・研究団体による調査対象となっています。
日本にも人が立ち入らないため結果的に保護区域となっているところは
いくらでもありますが、日本と違うのはこういった地域の殆どが
人間の居住地域と隣接しており、人間が自然を楽しみつつ野生生物と共存する
環境が当たり前のように整っていることです。



トレイル付近には滅多に現れないウサギ。
トレイルから見下ろした谷底を走っていました。



アメリカカケス。



リスや小動物を上空から狙っている猛禽類。
羽の内側に表れる模様が美しいですね。
この特徴で調べたところ、これは

Rough-legged Hawk

であるらしいことがわかりました。
ホークなので鷹なのだと思ったら、日本での名前は

ケアシノスリ

というそうです。
roughというのがもじゃもじゃの、毛だらけの、という意味なので

rough-legged=ケアシ

というわけですね。
ノスリというのは去年だったか、ここで撮った鳥の写真を見せて

「何という鳥かわからない」

と書いたところ、リュウTさんが
「ノスリではないか」と教えて下さったことがあります。
ノスリはタカ目タカ科ノスリ属で、

糞鳶(クソトビ)

という気の毒な別名がつけられています。
というか、何でこんな悪意の感じられる名前をつけられてしまったのか。

2年前、このケアシノスリが目の前でリスをわしづかみにして
さらおうとしたのを目撃しましたが、空中で落として、逃げられていました。



さて、自分の真後ろを横切るシカの親子に気づかず、
向かいから歩いてきた人に

「志村ー後ろ後ろー!」

と教えられてから、歩きながらも八方見張りを怠らず、
動くものがないかと注意していたのですが、おかげで見つけました。 




遥か向こうに一頭で歩いているシカを。
先ほどの子連れとは別の個体です。

 

木の茂みから出てきて、草の芽を探しているようです。
やはり枯れ草みたいなこの植物より、緑のものを体が求めるのでしょうか。



300mm望遠レンズばんざーい。
警戒心の強いシカですが、撮られていることに全く気づきません。

ただし、リスに向けると、そのいかついボディが飛び道具に見えるのか、
たちまち逃げられてしまうことが判明しました。
どんな場合にも万能なレンズはないってことですね。



たとえばこれ。
ディッシュトレイルというここの名前は、この通信アンテナ、
「ディッシュ」から来ています。

この全景をおさめようとしたのですが、この位置からはこれ以上引くことができません。
従ってどうしても端が欠けてしまうことになりました。

いろいろ撮りたければ広角と望遠2台持ちが理想ってことですね。
(広角についてはmizukiさんからのレクチャー以降、
次に一眼レフを買うことまで考えてはいるのですが・・)



ディッシュの写真を撮った直後、わたしの見張りセンサーが
またしても動くものを捉えました。
なんと、またシカです。
向こうも見張りのつもりか、一頭が木陰から出ていますが、
うしろには最低3頭のシカらしい影が見えています。



このディッシュトレイルを歩いていて今まで一度も
シカを見たことはなかったので、この日一日で三度も遭遇したのには
全く驚いてしまいました。

この日はここの「シカ・スペシャルデー」が開催されていたかのようです。



彼我の距離は約50m。
向こうもはっきりこちらを認め、警戒してずっと見つめています。
いかにも心配しているような表情。



じっと立っているうちに耳の後ろがかゆくなったらしく(笑)
後ろ足で掻いてから、



向きを変えるなりダッシュして行ってしまいました。
こういうときにも最大限の警戒をしていて、
大きな耳がきっちりこちらに向けられているのに注意。



歩いて行くと、去年なかった石積みのオブジェが。
立ち入り禁止の場所でこんなことをする奴は誰だ。



この時間になると、トレイルの周りに日陰のない場所には
リスはほとんど姿を消してしまいますが、全くいないわけではありません。



取りあえず皆朝ご飯はすんだらしく、このように
休憩している姿がそこここに見られます。



鉄条網の針金が体に刺さっているようだけど
いたくないのでしょうか。



こういう状態でいても、望遠レンズには警戒してこちらを向きます。
そして用心深い一匹が動き出すと一斉に逃げてしまうのです。



この写真を撮っていると、後ろを歩いていた人が歩きながら

「リス可愛いわよね〜」

と声をかけて行きました。
わたしと同じく、スクウェル・ラバーのようです。



手でしがみつきながら立っている様子がキュート。
尻尾の細い子ですね。



食事が済んだら日光浴をするリスもいます。
暑いのにわざわざこういうところにじっとしているのは
体の殺菌消毒を兼ねているのでしょう。

彼らの本能では面白いことが分かっていて、尻尾から熱を発するほか、
ガラガラヘビを撃退するために子どものいるメスは、
その抜け殻をよく噛んで、自分や子どもたちを舐めて、
自分たちの匂いをヘビと同じものに偽装するのだそうです。



草薮のようなところに巣があるリスは、
わざわざこうやって枝に登り、陽を体に浴びています。

かなり遠くから撮ったのですが、すぐこちらに気づき、
慌てて降りてしまいました。
邪魔してごめんよ。



日向でじっとしているのは、動くと上空から見つかりやすいからです。
その点こういう木の手すりにいるときには、
体毛が木の保護色となって見つかりにくいせいか、
木の柵に乗っているリスは陽が高くなってもたくさんいます。



柵の下の日陰も彼らのお気に入りの休憩所。



歩いて行くと消防車のサイレンが聞こえてきました。



遠くでしたが、どうやら火事が発生したようでした。



この地点はコースを歩き始めて1時間くらいのところです。
だんだんと高度が上がって、フーバータワーがもう下に見えます。



木の根元の”うろ”に巣を作っているらしいリスたち。



手前のリスさんお食事中。



手に持って食べているのは緑の葉っぱです。
どこから取って来るのでしょうか。



向こう側のリスに無駄にフォーカスを合わせてみました。
頭に何か乗せております。



手前のリスさん、食事が終わって何をするのか。



砂浴び?それとも食後の運動?



まるで茶筅をまわす茶人のような面持ちで
おもむろに土を掘り出しました。



後ろでじっとしているリスが可愛い。
つまり食後の砂浴びを始めようとした模様です。



このリスの右耳はケンカでかじられてしまったらしく、
欠けてしまっています。
どうもオスのようですね。

彼はしばし土の上を転がっておりましたが、ふとこちらに気づくと、




はっという感じで逃げてしまいました。
というか、今まで気づいてなかったのかい?






映画「浮沈艦撃沈」〜工場班長の語る「抑止力」

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今日は終戦記念日なので戦争映画の感想をお送りします。

昭和19年の松竹映画「浮沈艦撃沈」を観ました。
監督はマキノ正博。



男前である・・・。

いきなり余談ですが、マキノ監督はサッカーファンで、
あの「ドーハの悲劇」となった試合の最中、つまり「悲劇の起こる前」に、
日本の勝利を確信しながら亡くなったという話を知ってしまいました。

・・せめて「悲劇」を知らず、勝てると思ったまま逝ったのは、
こういっては何ですが、幸せな最後だったんじゃーないでしょうか。



さて、4月23日公開ということは、海軍では「竹槍事件」の後で、

「我に飛行機を与えよ」

が血の叫びであったほど戦力に困窮をきわめていた時期です。
料亭やバー、待合茶屋などの料飲施設が閉鎖され、
宝塚歌劇団は休演、松竹少女歌劇団は挺身隊になり、
夕刊は廃止されたのもちょうどこの頃でした。

つまり、国民が肌で感じるほどに敗戦色が明らかになって
歌舞音曲、映画の類いは自粛の嵐が吹き荒れたのです。

これはそんなころに制作された作品です。



タイトルの前に出て来ます。
五七五になっていますね。



マキノ監督というと「早撮り」のできる名手、
というイメージがありますが、この時期、おそらくマキノは
巷に払底し、自粛ムードの吹き荒れる映画界で、
なおかつ今映画を撮るためには、とにもかくにも軍をスポンサーに
戦意高揚ものをするしかない、と割り切ったのでしょう。

どんな制限があっても、その中で得心の行く映画を撮ることが
自分なら出来る、という挟持を持っていたのかもしれません。 



極力経費を切り詰めた感漂うタイトル。



昭和16年の晩秋のこと。

昭和精機という民間工場に社長が令嬢を伴って洗われるところから
映画は始まります。
工場まで長距離らしい汽車に乗ってやって来るところを見ると、
この工場はどこか地方(おそらく長野あたり)にあり、
オーナー社長は東京に住んでいるのだと思われます。


社長の乗った車に、警備員は勿論、社員も全員敬礼しています。
昔はそういうものだったのでしょうか。



そこに主人公の大川(佐分利信)登場。
この映画では工員Bを演じています。



全く兄に似ていない妹。
兄に弁当を二つ渡しますが、空気読まない兄は

「誰の?豪勢だな」
「あのひとの」
「あの人って誰だ」

はあ、そういう方がおられるわけですね。
しかし兄はそう言うなり妹のおでこを弾き、娘は



「兄さんのいぢわる!」

ところでお断りしておきますが、この映画映像は勿論、
音質が限りなく悪いので、昔の人の言い回しと相まって、
何を言っているのかわからないところ多数。

この場面もしょっぱなから全く意味が分かりません。



「あのひと」というのは、妹が思いを寄せている工員C、宮原。
もう一人の主人公でもあります。

大川と宮原が呼び出されて社長室に行くと、
当社の社長である東野英治郎がコートを着たまま座っています。

社長の用件は、

「海軍省の藤原少佐が増産を10割増しでお願いしてきたので、
それを受けていただけないか頼みにきた」

しかも、合格台だけで、です。



「無理です」「できません」

皆即座に反対しますが、社長は、藤原少佐から言われた

「海軍はそれだけのものを必要としているのです」

という言葉に、こころを打たれ、造って上げたい、造りたい、
と思った、としみじみと語ります。
その様子に、皆とりあえず努力してみようという空気になるのですが、
クールな大川は大反対。

「弁当箱作るのと話は違うんですよ。兵器なんですよ」



この、大川の右に座っている坊主頭の工員Cが、
大川妹の意中の人である宮原。

宮原は「引き受けてもいいのではないかと思う」
と大川に反論します。



ん・・・・・これは・・・。

安部徹じゃないですかー!
「乙女のいる基地」で、イケメン中尉役をしていた安部徹。
このころはまだ後年の悪役面ではなく、二枚目っぽい
青年を演じることが多かったんですね。

対立する大川と宮原。
宮原は

「夜業(残業)を毎晩やればいいと思う」

と意見具申し、さらに、稼働させすぎると危険な「6号機械」
も、自分が責任を持つ!と言い張ります。(ここ伏線ね)

「藤原少佐がそこまでいうからには、海軍は
本当に我々の製品を必要としているんだと思います」



議論が紛糾する中、やたらかっこいい工場長が
引き受けよう、と鶴の一声。

これで決まりです。



皆に礼をいいながら昏倒する社長。
社長は元々病におかされ、東京で療養をしていたのでした。



しかし、工員なんてその日ちゃんと働けばいいと思っていて、
何かあれば休みたがるような奴ばかり。
この工員(ばみさんと言っているので多分場見とか馬見とか)、
リューマチを理由に夜業をサボろうとしますが、班長は

「リューマチが悪いんで休ませて下さい」
「何の町?」
「町じゃなくてリューマチ!」
「ああー」(マッチを出す)
「マッチじゃなくてリューマチですよ!」
「何言ってんだよ!」
「リューマチ!!!!」

パントマイムで痛いフリまで披露するばみさん。
こんなシーンなのに長回しで、まるでコントを見るようです。



「兄さん、宮原さんにお弁当渡してくれなかったの?」
「忘れた」
「まあ、今頃お腹空かしてるわ」
「いやいや、どっかで食べてるよ」
「むきー!」



場面は変わって社長の休憩している宿。
「宮原くん、さっきはありがとう」

そして、実は・・・、と、藤原少佐から
アメリカからの工業機械が禁輸になったことを聴いた話をします。

そうなんですよね。
工業機械だけでなくね。

「日本で作るより外国から輸入した方が安くていいものが手に入る、
として、国内企業を疎かにしてきた我々資本家にも一旦の責任がある」

「我々の仲間に慧眼の士がいれば、金がかかろうとも
日本製品の研究開発を続け、改良を重ねたことだろう」

うーん・・・・。

これ、もしかしたら本作品のテーマにかかわっている部分でしょうかね。



社長令嬢は桑野通子。美人です。
この女優さんは、2年後、妻子ある男性の子供を身ごもり、
子宮外妊娠による出血多量で、死亡しています。
31歳でした。



右が、昭和精機に以来を持ち込んだ藤原少佐(高田浩吉)と
上官の栗山大佐。(小澤栄太郎)

「昭和精機が依頼を承諾してきました」
「それは『X−62』兵器の『Z部』を依頼した会社でしたね」

うーむ。
「X62」の「Z部」とな。

これは戦時中の作品なのでこのような暗号めいた言い方をしていますが、
ストーリーの後半から引っ張ってきた情報によると、
このとき海軍が依頼した魚雷がマレー沖海戦で
「プリンスオブウェールズ」と「レパルス」を沈めた、
ということなので、正解は「91式魚雷」。

「91式魚雷の信管」

とか当てはめてみると、ああ、と納得しますね。
しかし、こういう民間工場に依頼するとき、
おそらく名称は機密性のためやはり本編のように
暗号のように称していたのかもしれません。

藤原「あの兵器は実験の結果優秀な成績をおさめたので
大量製作の通達がまいりました。
出来るだけ多く、出来るだけ早くと。
それで10割の増産を依頼しました」

栗山「しかし相手は軍人ではないのだからなあ」

藤原「今はそういうことを言っている場合ではないと思います。
ただ口に出して言えないだけで・・・」

そして、引き受けてくれたことを互いに
「ありがたいことだ」と喜び合うのでした。

ここで桑野大佐は重大な発言をします。
これは海軍省が国民に向けて啓蒙したかった部分でもあると思うのですが、
資料を示しながら

「見たまえ、これが、ガソリンが一滴も入らなくなったときの
我が国のガソリン貯蔵量だ。
毎日どんどん無くなっている。
とにかく入る道がないんだからねえ。
この量を毎日眺めているとわしはいても立ってもいられん気持ちになるよ。
この事実一つ知らせてやっても国民は奮起するんだろうが、
発表できぬことだからやむをえん。
いまはただただ心を鬼にして作ってもらうより仕方がないんだ」




しかしそんな海軍の心国民知らず。
夜業を命じられた工員達は文句たらたらです。

「なんでこんな魚雷ばかりつくんないといけないんだ?」
「海軍はシナの沿岸部にいるんだろ?
まさかジャンクを魚雷で狙うんじゃないだろうな!」

どっと湧く工員達。
とにかく夜業なんてみなお断りなのです。

リューマチだといって夜業をサボった「ばみさん」などその典型。
飲み屋でくだを巻いて夜業への不満をぶちまけるのでした。
(冒頭画像)

「夜業手当!くそくらえだ!
いくらもらったて使う暇がなきゃしょうがあるめえ」



増産によるフル回転で古いアメリカの機械である6号機械は
故障と、万が一の暴発が懸念されています。
ここでも

「国産の機械を使ったほうがいいのに」

と、内需の必要性を示唆するセリフ(笑)



ある若い工員は里帰りを許され実家に帰省します。

「すごいなあ兄ちゃん、背広着てる」
「いいだろ、これ150円もしたんだぞ」



兄弟にはお土産、母親にはたくさんの現金を。
おまけになにやらいいにおいまでさせて・・。



香水です。
残業で使う暇がないのでお金がどんどんたまっているのは
この17歳の工員も同じなのでした。






宮原の父親は栗山大佐の江田島時代の教官でした。
懐かしげに思い出を語る栗山。

しかし沈んだ顔の宮原は部品が足りないこと、
工作機械も十分でないことを沈痛な顔で訴えます。

「輸入品のみに頼っていたからなあ・・・」

はい、またもや「内需の重要性」来ましたー。

なんと栗山大佐も国産機械の使用を宮原に薦めるのでした。






ところで、帰省してありあまる給金で贅沢をしているのを
百姓の兄に見とがめられた工員。
兄はもう工場をやめさせる!と怒り心頭です。

「150円もするべらぼうな服を来て胸くそ悪い匂いをさせて
手みやげ代わりにババア子供に10円札を紙くずみたいに撒きやがる」

まあ、ちょっとは嫉妬みたいなのもあるかもしれません。

「ぬかすことが生意気に、兄さんより金持ちだ と!」



そこで班長は兄を説得にかかります。
この課程がすごい。
いきなり

「今お国はシナで戦っています。
シナの後ろにはイギリスとアメリカが付いている。
このごろでは日本に対してもうけんか腰です。
たとえばですね、通商条約が破棄とか資金凍結とか」


いやいやいやいや(笑)

いきなり話がそこからいきますか。

「今までの取引も金の融通も全部やめてですよ?
日本をどうにかして困らせてやろう、そしてシナに勝たせよう、
そればかりじゃありませんよ?
ABCDという、ニッポンをこの、取り囲んでですよ?
そしてじりじりじりじりじりじり押して来る」

百姓のお兄ちゃんにABCDってすんなり理解できるのかしら。
それはともかく、これそのとおりですよね。
戦中から日本は、我が国のおかれた立場をこうやって説明していたのね。


「このままでいってごらんなさい、日本は今に干上がっちまう。
なあああにくそ、ニッポンはつおいんだぞ、と、
そんななめたことをすると今に酷い目に遭わすぞと、
脅かすのにはですね、
戦争に使う道具をたくさん作らなきゃならない」

おお!

皆さん、これどう思います?
工場の班長のセリフの今現在における汎用性。

実際はこの工場で作っていた魚雷は脅かすためではなく
実際に敵に使用されたわけなのですが、
庶民がまだ「開戦」など夢にも思わないころにさえ、
やはり武力による抑止力を持たなければいけないと
感じていた、というセリフです。

実際に開戦前夜、武力増強を「抑止力」と考えていた国民が
果たしてどのくらいいたかはわかりませんが、
少なくともこの論理は真理でもあるのです。

世界はあくまでも悪意に満ちている、という前提で語ると
いつの時代にも同じ結論が出て来るものだとおもうのですが、
どんなにその「悪意の証拠」を突きつけられても、
決して我が国は攻めて来られない、と思い込んでいる日本人が
なぜか日本にはたくさんいるんですよね・・。

班長は、

「海軍さんが2倍作れといっているので、やらなければならない。
もしだめなら首脳部は腹を切る覚悟でやっているのですから、
今三郎くん一人減られると困るんです」

と兄を説得します。
なんたる説得力(笑)



寝ている社長の元に、宮原と工場長が報告にやってきます。
病気で倒れて寝ているのにタバコを吸っている社長(笑)

このころはタバコが体に悪いと言う認識はなかったのです。



工場の様子を聴かれて口ごもり、あからさまに挙動不審な様子で
うまく行っている、と答える2人。
これじゃうまくいっていないって言っているのも同然です。



しかしながらだんだん工員達の間にもやる気が出てきました。
サボっていた馬見さんも真面目に働いていますよ。



ところが好事魔多し。
(って、まさにこういうときに使うんですね)

古くて懸念されていた6号機械が、やはり使用に耐えかね、
いきなり爆発してしまったのです。

どうなる昭和精機!


続く。 

 

映画「浮沈艦撃沈」〜沈黙の海軍

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映画の内容を全く把握せず、戦争ものDVDをまとめて購入し、
夏に渡米して鑑賞する時間が出来るまでこのタイトルの

「浮沈艦」

というのが何をさすのか考えてもみず、もしかしたら
戦艦大和が関係ある?などと薄々思っていたくらいなので、
それが「プリンス・オブ・ウェールズ」であったことに
観終わって初めて気づいた次第です。

戦争ものといいつつ、戦闘シーンは全く無く、つまりこれは

「銃後の日本」 

たる日本国民の一億火の玉精神と言いますか、撃ちてしやまんと言いますか、
まあとにかくそういう覚悟を賛美する、国策映画です。

国策映画でもいいから、フィルム払底のおり、とにかく映画を撮りたい、
そういう生粋の「映画人」であったマキノ雅広監督が、
あえて挑戦した国策映画。

国策とはいえ、長回しのシーンもいくつかありますが、
全体的にテンポが良く最後まで全くだれることなく進み、退屈しません。 

まあ、この「国民の覚悟」を説く、という意図がはっきりしすぎて、
そんなもなーゲージツじゃねえ!という向きも勿論あろうかとは思いますが。

さて、続きです。
2倍の増産体制になって、フル稼働していたポンコツかつ危険な、
6号機械が、ピンポイントで爆発事故を起こした、
ということろまでお話ししました。

現場の責任者だった宮原(安部徹)、宮原を励ますようなからかうような、
何が目的で来たか分からないままそこにいた大川(佐分利信)は
爆風に巻き込まれて共に負傷します。



工員の家族も、安否を心配して病院に駆けつけます。
大川の父親は、通りすがりの工員同士の

「2人が取っ組み合いの喧嘩をして機械が壊れたんだと」
「喧嘩してて気づかなかったそうだ」
「あの2人はやたらこのごろ仲悪かったからねえ」
「みんな働き過ぎさ」

という話を小耳にはさみ、何事かを決心します。



兄と今や婚約者となった宮原を案ずる大川妹。
医師から、大川が宮原を庇うために覆い被さって火傷を負った、
と聴かされます。



場面変わって栗山大佐の自宅。
ちびなのにやたらペラペラと達者にセリフを言うガキ、
いやお子様が走って大佐をお出迎え。
このお子様がかわいい。
もし生きていたら、この子は今74歳くらいかな。

「おとうさま、ぐんかんにのってたの?」
「いや、どうして?」
「だってちっともおうちにかえってこないんだもん」
「おやくしょが忙しかったんだよ」

お父様は軍令部だから、もうぐんかんには乗らないんですよ。

「へんだなあ、
のぼるちゃんとこのおじちゃんもおやくしょいってんだけど、
おじちゃんはばんになるとちゃんとかえってくるよ!」

大佐が晩婚で、年齢に比して若い奥さんを娶っており、
まだ小さい子供(必ず男の子)がいる、というパターンは
この映画の他にもいくつかの作品で観たような覚えがあります。

そこに来客を告げるベルが鳴ります。



何事かを決心した大川父が向かったのは栗山大佐の自宅でした。
大川父は栗山大佐の中学校の恩師でもあります。

宮原の父親は栗山大佐の江田島時代の恩師だし、
この世間、狭すぎ。
何をわざわざ言いにきたのでしょうか。


まず、工場の事故の原因が海軍の

「一見して無理な注文」

にあるとし、その目的が

「皇国を泰山の安きに護り、仇する者あらば
これを一気に撃滅せんがため」

なのであるとすれば、海軍は今何をしておるか、
というのが大川父の海軍への不満でした。
ここでも演説が始まります。

「傲慢なアメリカとの外交交渉を観たまえ。
我が国の武力蔑視があの例の強腰を生じさせている。
ABCDの包囲陣、浮沈戦艦プリンスオブウェールズの東洋回航、
彼らは嵩にかかって日本の喉を締め上げにかかっておる!」

「国民はそれをすでに感じておる。
君らにはそれがわからないのか。
ん?誰も彼も鬱陶しい顔をしておるじゃないか。
これは誰の責任だ?
5・5・3の比率がそれほど怖いか!」

5・5・3とは、ワシントン軍縮条約で日本が飲まされた
アメリカ・イギリス・日本の戦艦保有の比率です。
実はこの後に1.67・1.67(フランスとイタリア)が続くのですが、
仏伊ともに、保有数は前後で変わることはありませんでした。
つまり日本の「一人負け」状態だったのです。

当時の国民が、この軍縮条約の結果に不満を感じていたことが
こういったセリフで表されます。

一介のジジイ、いや恩師といえども民間人にそこまで言われて、
瞬間気色ばむ栗山大佐。

「過酷な犠牲を国民に要求して、海軍は何をしておる!
言いたまえ!・・・・・・沈黙の海軍か?」

要はこれが言いたかったわけですね。

こういうのを観ても思うのですが、こういった空気は作られた、
つまりお上の主導によるものではなく、
海外からの不当な圧力に、当時国民の反発は充満し、
むしろ「沈黙の海軍」に歯がゆく思っていた、というのは
実際のところであったようです。

あの朝日新聞に至っては、天皇の御意を受けた時の東条内閣が
戦争回避の道を探っていた時期に、こんな見出しの記事を書いていました。

「勝てる戦をなぜやらぬ」
「日米戦わば必ず勝つ」「弱腰東條」

もちろんそれにはそもそも世論の支持があったからに他なりません。
新聞も煽ればその方が売れるからやっていたのです。
マスコミに取っては何が真実かではなく、それによって日本がどうなるか
でもさらになく、つまり商売上の戦略というやつです。

今だって同じことです。
嫌韓が売れれば嫌韓、都議のスキャンダルが売れればそれを暴く、
マスコミとは昔からそういったもので、
「何が正しいか、正しくないか」は全く斟酌されていないのです。

さらに朝日には「身内の韓国人元慰安婦の裁判を有利にするため」
という理由で天下の公器を私事に悪用した記者もいましたね。


「戦争は軍部が起こした」ということにして、未だに
A級戦犯の靖国合祀がどうしたこうした言っている某朝日新聞は、
(もちろん朝日だけではありませんが)こういう過去を見ても
つくづく罪深い組織であるとわたしは断罪します。

話が出たついでに(笑)

「誤報については謝罪する必要は無い」

と社長が言い切ったそうですが、それが「過去のことだから」
という理由なのであれば、日本の「過去のこと」だけをなぜいつまでも
隣国と一緒になって非難し続けるのかって話なんですけどね。



話を栗山家の客間に戻しましょう。

大川父の叱責に対して何も言い返すことの出来ない栗山大佐。
何かを知っていたとしても言えるわけはありませんし、
おそらく一介の大佐では、確たる日本反撃についての情報を
知る立場にないのです。

唇を噛む栗山大佐に、大川父は追い打ちをかけるように

「昔の海軍には豪傑が揃っておった。
中牟田倉之介、樺山資紀、井出影範、赤松則良。
彼らにしてもし今生きておったなら、この情勢に
為すところ無くして手をこまねいてはいまい。
世相も変わったが海軍も変わったのう!」

皮肉まで繰り出してもう、言いたい放題。



物陰で聴いていた栗山の美人妻も辛そうです。

「あなたがお可哀想で・・・あれほど苦労されているのに」

それに対して栗山は穏やかに

「海軍は何をしているか、か・・・。
さあねえ、何かしてはおるだろうさ」

とひとりごちるようにつぶやくのでした。



「何かしている海軍」を表現するつもりか(笑)、
ここで急に海軍省提供による実写フィルムが登場します。 
戦艦の甲板に始まり、



砲座の射撃訓練?
魚雷が海に放たれる決定的瞬間もありました。



艦載機のパイロット。
この人は戦後まで無事でいることができたでしょうか。 

 

飛来する爆撃機。
これはどうやら鹿児島湾で大々的に行われていた
真珠湾を想定した爆撃訓練(のつもり?)であるようです。

 

おそらくこの通信塔の形状から、これが何か、そして
向こうを航行しているのが何か、分かる人もいそうですね。

この映画が制作された1944年4月にはすでに多くの
戦艦始め軍艦が失われていたわけですが、
おそらくこのときにまだ生存していた艦のフィルムを
海軍省は映画用に貸与したのだと思われます。

そして明らかに空母もちらっと写るのですが、
1944年4月にまだ戦没していなかった空母は

大鷹、神鷹、信濃、大鳳、瑞鳳

このどれかであろうと思われます。



最終回に続く。

 



 

 

映画「不沈艦撃沈」〜開戦

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映画「不沈艦撃沈」、最終回です。

実は前エントリの最後、実写映像の空母の写真を撮りそこなったため、
それをアップしていないのですが、それは
この時期に生き残っていた空母のどれかだったのだろうか、
と本文中書きました。

状況証拠からの推測ですね。

ところが、頂いたコメントによりますと、
このときの写真には少なくとも翔鶴か瑞鶴が映っていたようです。

何がいいたいかと言いますとね。

海軍はこのときすでに沈没してしまっていた艦の
実写映像をしれっと映画会社に供出してたってことなんですよ。
写真を撮り損なった空母もすでに現存していなかった可能性高し。



さて。


「沈黙の海軍が沈黙を破ったらお目にかかろう」

中学時代の恩師に弱腰の海軍の姿勢をなじられ、
唇を噛み締めた軍令部の栗山大佐。

艦制本部の藤原少佐から攻撃隊の殉職者を出すほどに
激しい訓練の結果

「プリンスオブウェールズに飛びかかる自信がついた」

と聞き、うなずきます。

 

残念ながら画像が粗くて肝心の内容が読めません(笑)
が、この艦政本部からの通達でわかったことがあります。

昭和精機は「二本木」に工場があるということ。
つまり、新潟県上越市です。

「海軍は腰抜けか」

と言うためにわざわざ上越新幹線もない時代、
東京までやって来る大川父って、どんだけー。



さすがは新潟県、あたり一面の雪です。
季節は12月。
そう、1942年12月8日です。

「場見さん」ら工場の勤労者が駅で帰宅のため汽車を待っていると、
突然え汽車のスピーカーが臨時ニュースを告げます。



「大本営陸海軍発表。
12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋に於いて
アメリカイギリス軍と戦闘状態に入れり」



静まり返る人々。

「やったな」
「・・・・やったね」

場見さんが唇を噛み締めてつぶやき、
相方の工員Dがささやくように応じます。



「勝つわね」「勝つよ」
「負けられん」

お互いに確認するかのように皆が声を掛け合い・・、



その緊張を破って場見さんと相方が大声で

「ばんざーい!」

皆もそれに唱和するのでした。



駅に向かう途中で放送を聞いていた組も万歳です。

そして、全員が「こうしちゃいられない!」と
踵を返し、工場に戻り出しました。



雪道を皆で走っています。
彼らが乗って帰宅するはずだった汽車が、
誰も乗せることなく駅を通過していきました。


負けられぬ戦争を自分たちも戦おうと
一致団結して全員で夜業をしようとしているのです。
何かしたい、自分に出来ることを。

そう思ったとき、彼らは自分たちの戦いが工場での勤労
そのものだと初めて気づいたのでした。

雪の中を転がるようにして走り工場に戻る皆に、
工場長は涙を拭いながら敬礼し

「ありがとう!ありがとう!」

と叫びます。



皆が真剣な表情で働いているバックには、大本営発表の
真珠湾攻撃における戦果が発表されます。

「一、戦艦2隻撃沈、戦艦4隻大破、
大型巡洋艦約4隻大破、異常確実。
他に敵飛行機多数を撃墜撃破せり。
我が飛行機の損害は軽微なり」



「二、我が潜水艦はホノルル沖にて航空母艦1隻を撃沈せるもの如きも
未だ確実ならず。

「三、本8日早朝、グアム島付近において軍艦を撃沈せり。
四、本日敵国商船を捕獲せるもの数隻。
五、本日全作戦において我が艦艇に損害無し」




この映画はほとんどインターネットでも資料が見つからず、
しかもようやく一つ見つけた感想においてはそれが

「一体何を意味していたのだろうか」

というものでした。

今日の感覚で判ずればおそらく「何を意味するのか分からない」
というレベルでの感想に終始してしまうのも「分からないでもない」
のですが、当ブログ運営者のように恒常的に寝ても覚めても「戦争」
関係の資料を見漁っているがごとき人間が見ると、
この映画の意図は手に取るようにわかりやすいものです。

このシーンのバックには、行進曲「軍艦」が流されます。
そう、つまりこれが彼ら労働者の「戦闘」なのだ、と
改めて啓蒙し、その姿を讃えているわけです。



駅から工場に向かう工員達の群れに逆行して、汽車に乗り、
東京の栗山大佐邸をまた再び訪ねる大川父。

栗山大佐が数日来帰って来ないと聞くと、
奥さんに手をついて平謝り。

「奥さん、大川大輔は老いぼれておりました!
世界一の海軍を見損なってあんな・・。
まさに万死に値する罪じゃ!
どうかこの歳に免じて許して下さい!」

これだけ言いに上越新幹線もないのに東京までやってくるなんて
どんだけー。

まあ、いいんですけどね。

この激しい爺さんが、この後日本がジリ貧になって、
ミッドウェーでは大敗し、聯合艦隊が壊滅したときには
やはり新潟からわざわざ東京まで文句を言いにやってきたのか。
そして日本が負けたときに、果たして栗山大佐にどういう態度を取ったのか。

それを考えただけで身の毛がよだちますね(笑)



そしてその栗山大佐のいる軍令部。
軍令部総長に戦果報告です。
軍令部総長ってことは永野修身ってことですね。
この永野を演じている井上正夫という俳優なんですが、ご存知でした?

わたしは今日の今まで全く聞いたこともなかったのですが、
この人物は松山の産んだ偉人で、映画界に取っては

「活動写真を映画にまで高めた功労者」

として、俳優として、そして監督として、ついでに書家としても
大変功績を残した人物であるらしいことが分かりました。
つまり大御所というやつです。



三船敏郎や大河内伝次郎などがそうですが、大御所というのはただ黙って
そこにいるだけでOK、みたいな尊大かつ省エネな演技をするものです。
わたしはこの井上正夫が大御所だとは夢にも知らなかったので(笑)
出て来るなり仏頂面で椅子に座り込み、ふんぞり返って
マレー沖海戦での戦果報告を聞き、立ち上がって一言

「参内」

というだけの簡単なお仕事をしているこの老人俳優は
もしかしたらエキストラかもしれないと思っていたくらいです。
後で確かめたら、クレジットの一番最初に名前がありました。


写真はまたもや鳴り渡る「軍艦」をバックに廊下を歩く永野修身。

そしてマレー沖海戦の戦果がまたもラジオに乗って報告され、
それをバックに工員達が働くシーンがまたもや。

全く同じ趣向ですが、まあいいでしょう。



放送を聞き、喜び合う病院の大川と医師。



増産に反対して事故を懸念していた大川、
そのしつこいほどの反対があったからこそ、
事故の損害は軽微で10割増産のめどがついたことを
報告しにきた宮原はあらためて仲直りを。



ついでに大川の妹が宮原とのことをからかわれて

「やだわ兄さんたら」

それしかいうことがないのか。

このとき、大川と宮原は

「僕たちは日本人だ。
それがこれほどまでに凄まじい働きをするとは思わなかった。
こんな奇跡をらくらくと産むんだな」

「もし我々の作っている魚雷が本当に敵艦にぶつかっているのだとしたら、
20割だって不可能ではない気がしてきましたよ」

 などとその感激を口々に語ります。

この映画が作られた19年4月にも、同じ感激を持って
彼らが仕事に当たっていられたかどうかは、
後世の我々がなにより良く知っているわけですが・・。



そんな工場に栗山大佐が自らやってきました。
皆の作った魚雷が不沈戦艦と言われたプリンスオブウェールズ、
そしてレパルスを撃破した、と熱く語ります。

大佐の皆に対する口調はあくまでも丁寧で真摯です。

「皆さんが、皆さんがその手でお作りになったX62だったのであります!
良く作って下さいました!」



互いに顔を見合わせる工員達。


そして、この数ヶ月、海軍が皆に増産を強要したことを
改めて謝罪する栗山大佐。

「海軍に腹を立てたこともございましょう」

そう言われてうつむく人間の中には、いつの間にか
東京から帰ってきた大川の父もいます。

演説に熱が入った栗山は壇上を離れ、ステージを右に左に行き来します。
この演説シーンはなんとラストまで丸々8分続くのです。




工場にだけ無理を強いたわけではなく、海軍もその訓練で
幾人もの尊い犠牲を出したことなどを語りつつ、
皆の精神力と奇跡の生産を誉め称えますが、その一方

「これでやっと同じ地点に立てたに過ぎないから、
これからは今まで以上に努力をお願いしたい」

ということも(こちらが本音)ちゃんと伝えております。

「前線の者は爆弾を込めるとき、その爆弾をなでたりさすったり、
頬ずりまでして当たってくれよと生きているものに言うように
送り出すのです。

将兵の手を離れた瞬間、魚雷はあなた方なのです。

あなた方が敵艦にぶつかっていくのです。
あなた方がプリンスオブウェールズを撃沈したのです!」



大佐の熱弁にすすり泣きが工員達の間から漏れます。
皆が泣いている中、一人

「すんません!」

と謝っている場見さん(笑)
そしていつもこういうときに音頭をとる場見さんが
手を挙げて「やります!」と叫ぶと、何人もがそれに調和し、
大佐は感激の面持ちでありがとうを繰り返すのでした。



そして「かしこき当たり」からのお褒めの言葉を
軍令部総長から皆に伝えるように言われたとし、
最後に日の丸に皆で礼をして映画は終わります。




基本的な疑問ですが、海軍省がこの時期、
わざわざ開戦時の昔語りを映画にした目的はなんでしょうか。

最初に書いたように、このころは飛行機が不足し、
空母は失われ、海軍乙事件で海軍の重要人物が戦死し、
明らかに日本軍は手詰まりというかジリ貧状態でしたが、
最後まで負けるなどと夢にも思っていなかった、という日本人が殆どでした。

そもそも「この戦争は負ける」などというのは
口に出すことも憚られていたわけですから、ごくごく一部の、
インテリだけがそういう認識でいたにすぎません。


しかし、 何としてでも戦意を高揚せねば、人々は肌で感じる戦況から
雪崩を打つようにやる気がなくなっていきかねず、
実際にも全ての娯楽が禁じられたことで、ただ事ではない、
というのは全ての国民の感じるところではあったのです。

そこで、海軍としては大戦果をおさめ、
軍事的には大成功であった真珠湾攻撃とマレー沖海戦のとき、
一億国民がどのように歓喜し奮い立ち、 やる気に燃えたかをリフレインし、
初心に帰ってネジを巻きなおしましょう、という政策意図でこのような
「銃後の人々の覚悟」を説く映画を作らせたのではないでしょうか。 


あまりにも説教臭いとさすがの戦時下の国民にもそっぽを向かれるので、
名匠マキノ監督に、マキノらしい諧謔をふんだんにちりばめさせ、
エンターテインメントとしても鑑賞に堪えうるものを作ろう、
とした、という意図までがはっきりと見て取れます。

意図が意図だけにその諧謔部分が若干浮いている、
という感もなきにしもあらずですが、とにかく娯楽作品としても
抵抗なく観られるものに仕上がっているのはさすがに
マキノ監督のプロ意識を感じる部分だと思います。



ところで、最後に涙の大演説を熱演した小澤栄太郎。
これこそ名優小澤栄太郎の本領発揮、と言いたいところですが、
小澤は実はもともとプロレタリア運動の活動家で


「左翼劇場」

への入団後、この映画の撮影の12年前には、

治安維持法違反で

当局に検挙され、1年3ヶ月入獄していた過去があるのでした。

うーん・・・・小澤、どんな気持ちでこれを演じていたのか。
プロに徹底してこの瞬間海軍軍人になりきっていたのか。

もし、内心バカバカしいと思いながら演じていたのだとしたら、
逆にその演技力は別の意味ですごいものだと感心せずにはいられません。

というくらい、この演説は真に迫っています。


もしかしたら、海軍省後援の映画に出演したら兵役が免除されるかと
期待して、心ならずもこの役を引き受け、後はプロとして完璧に演技した。

・・・・・のではなかったかと考えることは穿っているでしょうか。

どちらにしてもこの翌年の昭和19年、小澤栄太郎は応召され、戦地に赴き、
昭和20年の秋に、おそらく外地から復員しています。


俳優小澤栄太郎の戦後の思想活動について述べる資料はありませんでした。
しかし、多くの映画人のように、生きて帰ってきた小澤が、その後
バリバリの左派になっていたとしてもわたしはまったく驚きません(笑)



「糸冬」




 

平成26年度富士総合火力演習(予行演習)に行った

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朝霞駐屯地訪問記の最後に

「総火演、行きたいけどどうなりますことやら」

と書いたところ、コメント欄で何人かにご心配いただきました。
中には

「つてがあったので確保することもできたのですが」

とまでおっしゃって下さった方もおられ、ありがたさに
改めて感激した次第です。 
しかしながら、そんな方々も最後には

「尤も、中尉の幅広い人脈でもっと簡単に手に入りそうにも思いますが」

とか、

「エリス中尉にはぜひ紫チケットで総火演をみたよレポートを
していただきたい気がいたします」

という一言を付け足しておられ、内心ぎくりとしたわたしです。


というのはこのエントリ制作後、 24日本番当日、
さらには21日の夜間演習の見学の会のお誘いと、
全く別方向からチケットが奇跡のように降ってきたのです。

種明かしをしてしまうと、夜間演習の方はTOの仕事先、本番はK1佐でした。
優秀でありながら欲がなくて人間に裏表が無く、繊細で思いやりがあって、
部下からは慕われた名隊長であり、上からはかつ気配りの出来る最高の副官、
と謳われたこのK1佐は、わたしが欲しいと一言も言っていないのに、
申し込んだのに外れたというただの世間話から気を利かせ、
その後チケットを手配してくださろうとしていたのでした。

ところで帰国してすぐ(って3日前ですが)わたしたちはK1佐の元上官である
元陸幕長の職場に(フォーシーズンズからJR線路越しに見えていた、あそこです)
表敬訪問をしてきたのですが、そのとき元陸幕長の口から
上記の激賞の言葉とともに

「彼は必ず陸将になる」

と断定していたのを聞き、改めてK1佐を応援して行こうと思った次第です。


それはともかく、ありがたいお申し出に一瞬天にも昇る心地になったものの、
次の瞬間、我が家は23日恒例の大曲花火を見に秋田県まで行くことになっていて、
本番は観覧不可能であることに気づいたのでした。orz(TO) orz(わたし)

そこで、K1佐に恐縮しながらもう一度連絡し、あつかましくも
代わりに予行演習のチケットを送って頂くことになったのです。

つまり、あのエントリがアップされたときにはわたしは
朝早くの会場入りに備えて御殿場駅前のホテルにいたわけで・・・。

帰国前後の壮絶な忙しさに紛れ、内容を訂正する時間もなく、
結果的に読者諸氏のご心配まで頂いてしまったこと、
改めてお詫びする次第です。

さて、前日息子が学校の用事があることを言い出し、さらに
TOが仕事が残っていることを思い出したため、前日夜はわたし一人で
御殿場駅前に新しく出来たホテルに投宿しました。

朝は4時に目が覚め、夜は8時になると眠いというまるで農家の人のような
絶賛時差ボケ中の生活をしているわたしにとって、夜一人で
東名高速を長距離ドライブするというのは大変辛うございました。

チェックインするなりベッドに倒れ込み、夜11時くらいになって
TOがやってきたときには熟睡していたそうです。

そして翌日5時、元気に熟睡していたTOを叩き起こすわたし(笑)

「確かにKさんは早く行った方がいい席が取れるっていってたけど、
これは早すぎるんじゃない?」
「現場に行ったらもっと早く並んでる人がいっぱいいると思うよ」

わたしたちが御殿場のホテルを出たのは5時半。
そのときにはホテルのロビーにも人がいましたし、
そして御殿場駅前にもシャトルバスを待つ人の列が長くなっていました。

こういう行事に初めて参加するTOは目を丸くしています。
だいたいこの人は、



総火演にこういうスタイルで参加しようとしていました。
2時に東京で仕事があるので11時45分にタクシーにのって
新幹線で帰るということになっていたのです。
仕事があるので先に帰る、と聞いたときわたしは不安になって

「まさかスーツで総火演見るんじゃないでしょうね」
「そのまま仕事だからスーツだけどなにか?」

汗もかくし汚れるし、帽子も何もなしで戦車を見るつもりとは。
もう好きにしてちょうだい。



わたしたちは駐車券付きチケットをいただいたので、
指定された番号の駐車場に誘導されて停めました。

現地が近くなると案内の立て札があり、さらにはいたるところに
誘導の自衛官が立っているので迷うことなく到着。
さすがは気配りの自衛隊イベントです。

駐車場が曇っているのは朝もやで、アメリカから帰ってきて以来
日本の残暑と湿気にダメージを喰らっていたわたしとしては
この富士山麓の霧はありがたかったです。



駐車場もいくつかあって、会場までシャトルバスに乗るところと、
歩いて行ける距離にあるものがあったようです。



このとき確か6時過ぎだったと思いますが、
駅から運ばれてきたシャトルバスから降りてきた人たちが
なぜかものすごく長い列を作らされていました。

わたしたちはその横からすんなり入って行き、
前面シートを待つ列の前の方に(20人目くらい?)並びました。

全てのものごとにはヒエラルキーが存在するものですが、
総火演のチケットで駐車場付きはかなり「上位」であったようです。

後から知ったところによると、駐車券が無い人たちは
シャトルバスの近辺の市営駐車場などに停めてくるわけですが、
朝の4時時点で周辺駐車場は全て満車であったとのこと。
しかもシャトルバスには料金が必要とのことでした。

本番に駐車券なしで車で行こうと思っている方、
前の晩から停めるつもりでないと無理かもしれません。




ところで、チケットにはちゃんと「非売品」と書いてあるのに、
ヤフオクにはこのチケットが出回っていたそうで、
相場としては一般券は2万から3万円で取引されていたようです。

チケットの倍率が24倍ということで話題になっていましたが、
オークションに出して儲けるために応募する人がいるんですね。
無料で手に入れて万単位を儲けるたあいい根性してるぜ。

しかしそれでもそれだけ出して買う人がいるってことなんですが。



さて、スタジアムのようなスタンドは正面に向かって
右からABCDEスタンドと称します。

わたしのいただいたチケットは青で(さすがに紫ではありません)
Eスタンドか前面シート席、となっていました。
K1佐から

「スタンドから埋まっていきますが、マニアの方や
写真を撮られる方は(←)シート席に座られます」

と伺っていたので、わたしは迷うことなくシートの
前面を狙うことにしました。
TOはスーツを着ているので(笑)スタンドに座りたかったようですが、
わたしが

「じゃっ別行動で!」

ときっぱり告げると、

「いいよ・・・シートで・・」

と力なくつぶやきました。
いつもこういうことになると振り回してすまんねTO。



「守りたい人がいる 陸上自衛隊」

いいキャッチフレーズです。誰が考えたんだろう。
外側は手のひら、これはわかる。
手のひらが包み込んでいるのは・・・・

・・サッカーをする人。

なこたーない。
実はこれ、日本列島なんですって。
ボールだと思ったら四国だったのね。
足の部分が九州ってことなんですが、北海道と比べても
なんだか大きすぎないか?四国。

ところで、このロゴとマークについてHPには

「守りたい人がいる」及びロゴは陸上自衛隊の登録商標です。

と明記してあります。
変な改ざんをして社民党みたいに自衛隊を利用した我田引水の
パロディをつくるなよと釘を刺しているわけですねわかります。



外にはいっぱい並んでいましたが、スタンド近くまで
入って来られるチケットを持っている人は焦る必要がないせいか
案外スカスカしてます。

もっとも、わたしが前面シート席の列に並び出したとたん、
スタンド席の列があっというまに伸びてこの通路は
人で一杯になってしまいました。

お店もまだ開店準備段階ですが、気の早い人がもう買い物しています。
手前に「ヒトマル戦車まんじゅう」というのがありますが、
これは10式戦車の人気にあやかっているんですね。

皆さんにお見せするため(だけ)に買えばよかったかな。



さて、7時ちょうどに時報がなり、列が誘導されて
中に入って行きました。
最前列はしっかり取られてしまったので、2列目の通路近くに
(TOが途中で抜けやすいように)席を取ります。
着いてすぐにソニーのデジカメでパノラマ撮影してみました。



富士山には全く雪がありません。当たり前か。
今朝、富士山麓のどこかに大きな亀裂があって、
噴火が近いとかなんとかいうニュースがありましたが、
このように眼前にそびえる富士山を実際に見る限り
そんなことはとても起こりそうにありません。

演習会場はまさに観覧席からステージのように眼前に広がっていて、
砲撃や着弾がそのステージで全て行われるという感じ。
総火演が始まったのは昭和36年ということですから、まさに
50年の伝統ある行事として歴史とともにそのイベントノウハウも
蓄積があるのでしょう。

駐車場の設置や会場への人入れ、その他に混乱が出ないように
完璧に考えられているとみて、全てがスムーズに進みました。



このスクリーンには陸自の広報ビデオや演習の解説、
そして実施時には着弾の様子が写し出されます。
このときには誰もいませんが、本番では車の上部の囲いの上で
映像クルーが撮影をしていました。


わたしたちが到着したときにはすでに予行演習の予行演習、
直前リハーサルが始まっており、いきなり戦車の砲撃音が
耳もつんざけよとばかりに響き渡りました。



それが一通り終わった頃、どこかの地本の自衛官が、
自衛官志望(予定?)の若い人たちを連れてやってきて、
全員で戦車をバックに記念写真を撮っていました。

わたしは彼らの一人一人に心の中で自衛官の格好をさせて、
なかなか皆似合うじゃない、などと楽しんでいました(笑)

何となく自衛隊に興味を持った青年たちを
このようなイベントに招待し、目の前で縦横に走る戦車に乗り、
正確無比な着弾を決める様子を見せたなら、おそらく
そこに配置されるかどうかはともかく、

「ヒトマルに乗りたいから自衛隊入る!」

となってしまって地本の思うつぼではないかと思うがどうか。

というか地本の自衛官というのは本当に「やり手」が多いらしく、
地本の人に説得されて自衛官、あるいは防大進学を決めた、
という人をわたしは間接的にですが二人知っています。

地本は自衛隊で唯一(たぶん)ノルマのある業種ですが、
それだけに営業向きの人間を選抜するのでしょう。

ここで戦車隊に入ろうとしている少年たちの中にも
実は戦車隊より地本勤務に向いた者がいるかもしれません(笑)



自衛隊といっても職種は様々。
総火演に参加、といってもこういう警備の人もいますし。

ここに立つ警備係は、ひたすら客席の方に向かって立ち、
三脚が高すぎたり、パイプ椅子を使っている人がいれば
飛んで行って注意してやめさせたりと大変そうでした。

わたしは現地の様子が分からなかったのでエアクッションと、
高さ15センチの椅子を持って行き、本番が始まったら
使用するのをやめようと思っていたのですが、始まる前に
すでに「椅子は禁止です」と注意されてしまいました。

わたしの前の人たちは座椅子に脚を伸ばして座り楽そうです。
引き揚げるとき

「じゃ来年も」「最前列でw」

と挨拶し合っていたので、もう大ベテランなのでしょう。
というわけで、日曜の本番に行かれる方、
余裕があれば

コールマンのコンパクトグランドチェア
キャプテンスダッグのチェアマット

がシート席観覧には大変よろしいかと存じます。
わたしも来年もしまた行くならこれ買おうっと。



ちょっとちょっと!
なんで始まるなりヒトマルなんだ?と思われた方ご安心下さい。
これはリハーサルです。

リハーサルがいつから行われていたのかわかりませんが、
とにかく、わたしたちがシートの場所を決め、
せっせと陣地を構築している間、ちょうどフィールドでは
10式戦車がリハーサルを行っていたのでした。

第一陣がシート前列に案内されたばかりで
わたしたちの後ろには人が皆無だったときです。



そのとき10式の砲身が放つ轟音が朝の御殿場の空気を震わせました。
このとき後ろには誰もいませんでしたが、本番になって
初めてこの音を聞いた後ろの女性がいちいち
ど〜ん!「きゃあ」ど〜ん!「きゃあああ!」と
叫びまくるのには少しイラっとしました(笑)
しかしまあ叫ぶのもわからないでもない、と思えるくらいの音と振動です。
戦車隊の隊員がどうしていつもイヤホンのような耳当てを
装着しなくてはいけないのかが改めて実感として理解できました。

わたしはホテルで寝るのにたまたま(本当にたまたまです)
耳栓を二人分買っておいたので、まず自分の耳を保護し、
TOに「つける?」と聞いたら最初はなぜか「いい」と言っていたのに、
砲撃が連続して行われるようになると耐えられなくなったらしく

「やっぱり耳栓かして」

と言ってきました(笑)
本番当日行かれる方、特にシート席に座る予定の方は
耳栓はあってもいいかもしれません。
ご参考までに。



戦車に立っている赤い旗はこれから砲撃を行うという合図です。
砲撃が終わったら旗は緑に付け替えられます。

このシステムは総火演などの展示の際、
観客に良くわかるように、というわけではなく、
訓練のときはいつもそうしているのかもしれません。 

ただし、万が一、万が一ですよ。
戦車が実戦を行う際は、このようなことは一切しないってことです。
当たり前か。



せっかく望遠レンズを(重たいのに)持って行ったので、
出来るだけ隊員が見えるときにはズームしてみました。
途中で何度も望遠と元の10−100レンズとの付け替えをしましたが、
何となく気分でやってしまい、全体的には不満が残りました。

これは10式の砲塔から半身を出した隊員ですが、
どういうわけか何人かはこのようにブルーのカバーを
ヘルメットにかぶせていました。
ブルーと赤のカバーの違いが何かはわかりませんでした。

このときこのヒトマルは砲撃を終え、旗を緑に変えています。



87式偵察警戒車が三台並んでいます。
オートといわれる偵察用のオートバイ隊とともに
偵察教導隊の所属となります。

ちなみに、ヒトマル式戦車は

戦車教導隊第1中隊

となります。
戦車隊って何人の組織だと思います?
わたしは何十人もいるのだと思っていたんですが、
この日配られた出演部隊の紹介写真で、10式の隊員が
たった16人なのに結構驚きました。
(3人乗りなのに、隊員総数が3で割り切れないことも・・)

それはともかく、74式の第4中隊も同じく16人、そして
90式の第3中隊でも21人ということがわかりました。


さて、というわけで、全てのプロジェクトが進行中で、
まだアメリカで見たものもちゃんとお伝えしていないのにもかかわらず、
当ブログ的には全く困ったことに、
「総火演シリーズ」が幕を切って落とされてしまったのだった。



明日は秋田県の花火大会に参加するため別の話題となりますが、
それらをはさんでまた続きをお送りします。



というか、いまMarkさんのコメントを見て初めて知ったのですが、
予行演習って関係者のみで一般公開していなかったんですね。
なのにあの人の多さ・・・・。
本番はもっと多くなるということですが、参加される方、
くれぐれも陽射し対策とお尻(の下に敷くもの)対策は入念に!


それから、みね姉さんが来られることは前もって存じてましたが、
雷蔵さんもいらっしゃっていたとは・・・。




 

テスラ

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もうすぐ帰国なので今年アップル本社のストアに行ってきました。



気のせいか去年、一昨年よりも観光客が増えている気がします。
スティーブジョブズの像でも出来ているかと思いましたが
外には何も代わりはありませんでした。

ここの住所はインフィニティ1といいます。



ここに立って写真を撮るためにわざわざ造られたモニュメント。
ですが、今回は誰もやっていませんでした。

アップルとしても物見遊山の客のためにわざわざ
サービスしようと言う気はそこまでないらしく、
この直営ストアは平日の6時までしか営業していません。



こういうロゴも、社内で考えたものを製品化して
背中にリンゴを付けて売っていますが、
アップルの巧いところは、このロゴグッズを

ここでしか売らない

ということです。
ここで売っているTシャツ、マグカップ、ペン、などのロゴグッズを
中国で大量生産させ、世界中のアップルストアに置いたなら
さぞかし売れると思うのですが、アップルに取ってこの物販は
あくまでも「わざわざここに来たという記念」にしてもらうためで、
それによって儲けようとかは全く考えていないのでしょう。

この三枚は息子のために買った「今年バージョン」ですが、
真ん中のシャツには

I left my heart Cupatino.

と書いてあります。
クパチーノに来た、という記念ですね。
ついでに残りの二つは

"Siri, remind me not to wash this with whites."
「Siri、これを白い物と一緒に洗わないように思い出させてね」

"Degined by Apple in California"

以前のに比べるとTシャツの文句がいい加減になった気がします(笑)



パソコン用のバックパックを息子の学校用に購入。
色がかっこいいので喜んでいました。

 

夏の間ここロスアルトスで過ごすようになって三度目になります。

最初の夏、ここにアップルやグーグルの本社があると知ったときには
わざわざそれを見に行ったわけですが、この2社に限らず世界中が知っている会社
(Facebookとかオラクルとかebayとかインテルとかヒューレットパッカードとか)
が探さずとも目につき、
あらためてここがシリコンバレーであることを実感している毎日です。

シリコンバレー、と言う言葉は良くお聞きになると思いますが、
具体的に何処を指すかというというと、サンフランシスコから
約1時間南下した、サウスベイといわれる地域のこと。

スタンフォード大学がテクノロジーのコミュニティの中心を担っています。

なぜここにシリコンバレーが生まれたかは明らかではありません。
スタンフォード大学があるという理由だけでは、他の工学系大学、
たとえばMITとかカルテックとかの周りになぜそういう現象がないのか
を説明できないからです。

しかしわたしはここで3度の夏を過ごしてみて、その理由はまず間違いなく
この地の「気候」と「自然」であると断言します。

起業家に取って、実はその気分ややる気を左右する気候は
非常に重要な条件です。
たとえば年間降雨量が多く日照時間が短いシアトルには
鬱病者や自殺者、異常犯罪が多いという不名誉なイメージがあります。

それとは全く逆に、決して雨が降らず、一日中たっぷりと日がさし、
しかし日陰に入ればひんやりと冷たくて夜は火が必要、というような
メリハリのある気候は、多くの人々に好まれます。

何と言っても朝一番、お日様が出て空が晴れているかどうかは、
起業家たちに取って何より精神を高揚させやる気を生む
重要なファクターだからではないでしょうか。
一言で言うと、「身体にも頭脳にも快適な環境」なのです。

しかも、最先端の研究所を持ちながら豊かな自然に囲まれ、
少し、どころか隣のブロックに野生動物のある地域があったりします。
グーグルの庭にヤギがいると話題になったことがありますが、
この辺の動物たちがどんな環境で生息しているかを知れば
そんなことは何の不思議もありません。


そして、そんな地域に住む人たちにもある傾向があるようです。

先日ロスアンジェルス近郊のラグーナに住む友人とここで会ったのですが、
一緒にレストランなどに入ってそこに集う面々を見るなり

「やっぱりこの辺の人たちって独特の雰囲気があるわ」

良く言えば知的、洗練されている、余裕があるように見える、
悪く言えばお高く止まっている、スノッブ、よそよそしい・・。

田舎者をあからさまに馬鹿にするような空気もあるかもしれません。

スタンフォード大学周辺、特に今いるロスアルトスなどは
地価がそこだけ異常な高さであるというだけあって、
目を見張るような豪邸が行けども行けども軒を連ねています。
(この比喩はこの状況に全く適切ではありませんが)


全部が開IT企業関係ではないでしょうが、いずれにせよ
収入もアメリカ人の平均を遥かに超える人々ばかりが
この辺りに居を構えている感があります。

さて、去年、今泊まっているホテルの近くの、
高級外車専用ディーラーがリニューアル工事をしていたのですが、
今年行ったら新しいディーラーが出来ていました。



「てすら・・・・・?」

そのまま読んではて、と首を傾げたわたしに息子が

「ニコラ・テスラだよ」
「誰だっけそれ」

すると息子は信じられないといった調子で

「えっ!知らないのニコラ・テスラ」
「知らん」
「発明家だよ。交流電流やラジオを発明した」
「電気の発明ならエジソンしか知らないな」

さらにそれを聞いた息子はいきなり気色ばんで

「エジソンはね!テスラの発明に負けたんだよ。
で、テスラの実験結果の評判を落とすために電流で動物を殺したり」

わかったわかった。ちゃんと調べるよ。

「ていうかテスラを知らないなんて・・」

散々自分がお腹を痛めて生んだ子に呆れられてしまいましたが、
こちとら発明王エジソンの伝記を小さいときには読み、さらには

「天才は99%の努力と1%の霊感である」

なんて名言をちょっと感心したりして育った世代なんですから。

というか、どうして昔はエジソンだけが有名だったんでしょうか。
今でもエジソンの伝記が子供たちに読まれていたりするの?
なぜ、テスラの名前が全然そこに出て来ないの?


ついでですから寄り道になりますが調べたことを説明しておきますと、
ニコラ・テスラはすでに発明家として成功していたエジソンの会社に
技術者として加わり、そこで交流電流を発明し、
それを認めようとしないエジソンとの間に確執があったといわれます。

直流システムだったエジソンの工場を交流電流で動かせたら、
報償を5万ドル払う、とエジソンはテスラに約束したのに
それを成功させた後もエジソンは自分の負けを認めたくないがために報償を
冗談ですませたのが齟齬のきっかけとなりました。

エジソンは確かに実績のある発明家でしたが、
少なくともテスラともう一人の技術者、ウェスティングハウスとの間に
起こったこの「電流戦争」では結果的に完璧に敗北しています。

しかも、自分の主張のため、息子の言うところの(笑)
動物を電流で殺して「交流電流は危険である」という宣伝をやったりしました。
中でも評判が悪かったのが、象の「トプシー」を電気で殺した実験です。


ニュース映像(残酷なので閲覧には注意が必要です)

トプシーは飼育員を踏み殺してしまったかどで薬殺される予定でした。
エジソンはウェスティングハウスとテスラの足を引っ張る
ネガティブキャンペーン目的で、処刑に電気を使うことを提案し、
そのための実験と称して動物を殺処分していました。
トプシーの処刑もその一環です。

今なら愛護団体が黙っていないところですね。
というか、当時は今とは「命」の意味がだいぶ違っていたということでしょう。

しかしエジソンのネガティブキャンペーンは裏目に出ました。
エジソンは「交流は怖い」というイメージを人々に刷り込もうとしたのですが、
人々にはただ

「電気での処刑という残虐行為を首謀した恐ろしい人物はエジソンだ」

というイメージが植え付けられ、それは彼自身の評判を
著しく落とすという結果になります。

人を呪わば穴二つ。ってこういうときにいうんでしょうかね。
さて、エジソンの黒い話はともかく(笑)。


テスラという名称はこの、先見の明が有り交流誘導電動機多相交流
送電システムを考案・設計した発明家に敬意を表してその名にちなんだものです。

テスラの発明は、はるか遠方から安定した電力を送配電し提供することを
可能としました。 



気がつけば街で遭遇する確立が去年と段違いです。
というか、去年もいたんでしょうけど、わたしが気づかなかったのかも。

Tのロゴといい、このスタイリングといい、実にかっこいい。
新し物好きのシリコンバレーの人々が飛びつくのもわかります。



ところで、ここは場面変わって再びアップルの駐車場。



去年まではこんなことはなかったのですが、あまりにも昨今
「アップル詣で」の客が増えたため、アップル側は駐車場の
係員を雇い、このような二重駐車をさせることにしたようです。

大阪は北新地の名物二重駐車をカリフォルニアで見ようとは。



それはともかく、アメリカの駐車場は大抵が無料ですが、
車いす用の優先区画と並んで「電気自動車充電用」が
どこの施設にも必ず最もいい場所に備え付けられるようになりました。
どちらかというと東海岸より西の方が変革は速いようです。

どこでも必ず充電中の車が停まっていて、アメリカには
こんなに電気で走る自動車が多いものかと感心しているのですが、
(今日はニッサンを見ました)このとき、
ここの駐車場に冒頭の白とこの赤のテスラが充電中であるのを見て、

テスラが電気自動車であることを初めて知りました。

そのことを息子に言うと

「ああ、それでテスラなのか・・・」

と感動の面持ち。 

テスラモータースは、まさに今いるカリフォルニア州パロアルトに本社を持ち、
PayPalの共同創立者、Googleの共同創立者、ebayの社長などの
そうそうたるここシリコンバレーの起業家たちの協賛を受け、
さらにはかつてニコラ・テスラに出資した歴史を持つJPモルガンの
管理を受けて出発したバッテリー式電気自動車販売会社です。

テスラの燃費はプリウスの2倍で、1回の充電にかかるのは500円。
それでおよそ370kmの走行が可能です。
しかも必要なメンテナンスは極めて少なくオイル交換は不要。
またブレーキのメンテナンスは回生制動によりこれも少しでOK。
ミッションオイル、ブレーキフルード、および冷却水の交換は、
ガソリン車でないため不要、という夢のような車なのです。

写真を見てもお分かりかと思いますが、電気自動車なのに大きさは
殆どBMWやレクサス並で、高級感もあります。
おそらく静謐性に優れ、乗り心地もいいと思われます。

お洒落で高級感があってしかも先端技術。
今までメルセデスやBMW、レクサスに乗っていたシリコンバレーの人々が
次々とこの車に乗り換えているように見えるのも、
テスラの何たるかを知って見れば合点が行きます。

「次の車はテスラにしよう!」

早速そのコンセプトに感銘を受けた息子がその気になっていました。

「アメリカに住んでるならね・・・」

そう、日本にも輸入されて入るようですが、今のところまだまだ超のつく高級車。
しかも、インフラが少ないため、アメリカのようにどこででも
駐車場には専用スペースがあるような社会になりでもしない限り、
わざわざ乗ろうという物好きはいないと思われます。

今のところ希望は、トヨタがテスラと業務ならびに資本提携に合意し、
共同開発のモデルを制作するという話が進んでいることです。

日本人もこういうことにかけてはシリコンバレーの人々のような
「いい物好き」「新し物好き」なところがありますから、
何年かしたら街を電気自動車が走り回っている光景が見られるかもしれません。

わたしは車を買い替えたばかりなのですが、
次の買い替えのころには日本でテスラが乗れるようになっていてほしいな。



 


 


2014年大曲花火大会

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我が家の恒例行事となった秋田県大曲の花火大会に行きました。
アメリカから帰国して一日を置き陸自の総火演、次の日には
元陸幕長の職場訪問、そして週末には花火大会。

忙しいわー寝てないから辛いわーと(元ネタ知りません)
自慢をする気はありませんが、時差ボケや急激な環境の変化も伴い
まさに怒濤の一週間でございました。

総火演シリーズの幕が切って落とされたばかりですが、
取りあえず週末のこの花火大会についてご報告です。

昨年のこの大曲花火大会エントリは、大会2週間くらい前から
大量の閲覧数が毎日上がってきていました。
それもこれも出発の飛行機に乗り遅れた失敗談、
さらには驟雨に襲われたことからの反省点を盛り込み
「教訓付き」としたせいだと思います(笑)



今年もどうなることやら、と一抹の不安を覚えつつ、
当日の朝を迎えました(わりと本当)

朝焼けがきれいだったのでカメラのテストを兼ねて一枚。

花火の撮影は特殊なので、設定始め注意事項、コツなど、
一年経ってさっぱり脳内から消え失せたそれらの情報を
もう一度確認するだけで前日まる一日かかりました(笑)

レリーズやリモコン機能を使って撮ればよい、というのを読んで
前日にはそのリモコンボタンをアメリカからの荷物の中を全て点検し
探し出すことに3時間費やしたり・・・orz

全てを付け焼き刃で乗り切り、事が終われば速やかに忘れ去る、
という場当たり主義も少し考えものですね。



秋田行きと沖縄行きが早くも満席になっています。
搭乗した便に乗っていた殆どは花火客だったのではないでしょうか。


さて、当ブログを2年前から読んで下さっている方は、
この行事に参加した我が家が2年連続で羽田に定刻に到着できず、
いずれもわたし一人が家族に遅れて現地に到着した、ということを
もしかしたら覚えておられるでしょうか。

さすがに今年同じ轍を二度踏んで三度目を繰り返すわけにはいきません。
いくらそれがブログネタになるといっても物事には限度があります。

そこで万全を期すためわたしたちは駐車サービスを利用する事にしました。

これは、出発の前の時間を指定し、業者に到着デッキまで
車を取りにきてもらい、次の日到着したら持ってきてもらうという
繁忙期の空港利用で酷い目に遭ったことのある人には願ってもないシステムで、
しかも一泊駐車場に停めておく値段とそう変わりない料金設定。

駐車場で空きスペースを探してぐるぐる走り回り、やっと停めた場所から
重い荷物を持って移動せずにすむだけでもありがたいサービスです。

このサービスをする会社のHPを貼っておきますね。

ドリームパーキング

わたしたちは余裕を見て出発時刻の1時間半前に業者に車を渡し、
初めて無事に3人揃って飛行機に乗ることができました。

「なんだか順調すぎて・・・怖い(笑)」
「なんか忘れ物とかしてない?心配になってきた」

参加開始以来波乱続きだったので、「幸せすぎて怖い」状態。



しかしながら何事も起こらず、怖がっているうちに無事に秋田に到着。
ホテルに早めに投宿し、駅ビルにある主催者おススメの比内地鶏のお店で、
美味しい親子丼に舌鼓を打つという余裕まで。



しかもホテルの部屋で集合時間の4時まで仮眠を取り、
体調を整えて出動、という余裕ぶり。

余裕がありすぎて怖い。

待ち合わせ場所の秋田駅には早く到着しました。
駅構内で見つけた、秋田の有名なお祭りである竿燈まつりの
提灯がたくさんついた巨大な竿を持つ技が描かれた看板。


わたしたちがアメリカにいる間、TOはこれに行ってきたそうですが、
練り歩く団体の中でひときわ目立っていたのが自衛隊チームで、
何が違うというと、ただ歩いているだけなのに

全員動きに異常にキレがあり見事に統制が取れていた

ということでした。
お祭りといえばねぶた祭りにもTOは誘われて行ったそうですが、
自衛隊のねぶたを見せてもらったところ、それは
どう見ても明治時代の兵隊さんを象っていて、わたしが

「これって・・・青森第5連隊じゃないの?八甲田山の」
「あ・・・」(絶句)

ということがありました。
映画「八甲田山」にも遭難者の記憶のなかにねぶたが登場しましたが、
青森の自衛隊ですからねぶたに慰霊の意を込めるのかもしれません。



新幹線で大曲まで移動します。
車窓からは米どころらしく見渡す限り田んぼが広がり、
一羽の白鷺が飛び立っていました。



大曲に到着。
乗ってきた新幹線「こまち」。



大曲の駅から会場の河原までは約30分歩きます。
途中まではタクシーに乗ることも出来ますが、
交通規制されているところまでです。

去年わたしは日が暮れてから到着したので涼しかったのですが、
一昨年は強烈な太陽と不快な湿度に耐えながら歩いた記憶があり、
この日の涼しさは大変ありがたかったです。



途中で花火が行われる河原に流れる川の橋をわたります。



途中の酒屋さんで飲み物をまとめて購入。
最初から持つと重たいので、できるだけ会場の近くで冷たいのを買います。

酒屋さんの奥にあるサントリーの(動いてない)時計つきポスターは
もしかして、サミー・デイビスJr.?(しかも若い)



共産党や社民党のポスターもそこそこ見ましたが、
このお宅は熱心な自民党支持、しかも粋な(笑)ポーズを取る
安倍総理のカレンダーが・・・。
というか、こんなもの作っているのか自民党・・。 



もしかしたら築100年?という倉や民家がちらほら。



会場到着前から昼花火の音が聞こえていましたが、
着いたころには終わりかけていました。 



席についてまずパノラマで会場を撮影。



桟敷席は一マスいくらで購入しますが、毎年
あっという間に売り切れてしまうそうです。
わたしたちをご招待して下さるのが提供花火のスポンサーで、
こういう企業には優先的にマスが確保されます、

枡席もその周りの野外席も買えない見学者は、下手すると
何日も前から河原にテントを張って場所を確保する人もいるそうです。




2年前は早く来て昼花火もフルで観ましたが、暑い割に
あまり面白くないので主催者の方が去年からやめました。



昼花火は煙を観るようなものでせいぜいこんな感じ。

指定された枡席に陣取り、一マスを家族3人にもらって、
そこにゆったりと荷物を置きカメラをセットして待ちます。

始まる前にお手洗いに行こうとしたらものすごい列で、
わたしは仕方なく会場を出たところにある仮設トイレまで出ました。
おかげであまり待たずにすんだのですが、帰り道に
枡席のIDパスが首から無くなっているのに気づきましたorz
おかげで再入場するのに苦労しました。

(教訓)
枡席の方、会場を出るときパスは必ず衣服の中に仕舞いましょう。
それから、トイレには普通のティッシュと除菌濡れティッシュを持って行くように。

自衛隊の仮設トイレのような至れり尽くせりの設備ではありませんから、
出た後手を洗うこともできません。(わたしは万全の体制でしたが)



取りあえず2014年度大曲花火大会の始まり始まり〜。
まずは皆のシルエットを入れて適当に撮ってみました。

続いて真剣に撮った花火画像をどうぞ。



こういう形に上がる花火を「芯入り割物」といいます。
この花火大会は花火師たちのコンペティションなので、
最初にこの芯入り割物、4層以上の円を描くものが上げられます。

これはよく見ると赤の部分に乱れがありますね。



続いて「自由玉」というのを上げます。
芯入り割物と重複しない自由なものをもう一発上げます。






微妙な色に挑戦した花火もあります。



こういう一斉に小さな花が咲くタイプを千輪といいます。
ちゃんと茎も表現されているものが多い。



煙が綿毛のように糸を引くタイプもあります。
こういうものはだいたい規定の後に続く「創造花火」に
プログラムとして組み込まれます。



点数を付けるにはいい花火の基準があるのですが、
この菊と呼ばれる割物は、まず均整の取れた真円であること。

それで言うと少しこれは中心が歪ですか。

シャッターを押すタイミングも少しの差で開き方が変わってきます。
これは少しだけ早かったかもしれません。



創造花火にはテーマがあります。
これは「ブリリアントカットダイヤモンド」という演技に現れた
四角い花火。



層が三つなので「三重芯変化菊」



ブルーグレーの色が花火で表わせるとは。



これも「千輪」です。



今年はバルブ撮影、露出はF13〜16でやってみました。

バルブとはボタンを押している間シャッターが開く機能のことです。
勿論マニュアルモードでISO感度は160。(これより低くならないNIKON1(T_T))
前日苦労して探し出したリモコンですが、電池を替えたのに
作動が不正確で、しかも処理に時間がかかるため(なんで?)
全く役に立たないことが早々にわかり、結局手動で全部乗り切りました。 
来年はレリーズを購入して行こうかと思ってます。行くならですが。



創造花火では速射連発で打ち上げるものが多く、
一つの意匠に他の花が重なってきたりします。

こういうのは、いくつもの花火玉を何十本もの筒に装填し、
導火線によって打ち上げるのです。



創造花火で「氷上のプリンス〜決めろ四回転〜」
というタイトルのチームがありました。
これは間違いなく浅田真央ちゃんのことだと思うのですが、
「四回転」はこの煙がクルクルと螺旋を描くことで表現していました。



こういう何かを形作るものは「型物」といいます。
文字や星型、ひまわり、蝶、魚、スマイルマーク、
最近ではキャラクターなどもあり平面や立体構造で表わされます。

これは円の中のハート形。



並んだ小輪の花も定番です。



火花が星のように光って露を表現しています(たぶん)



いくつかのチームが必ずおこなうのがナイアガラ。
滝のように空から光の筋がなだれ落ちてきて壮観です。





小さな花が散って行く様子を表わすことも多いですが、
その表情を表現するのも腕の見せ所です。



これは大変お上手な彼岸花。



大変お上手な四重芯菊もの。
わたしがもう少しシャッターを空ける時間が長ければ
花弁の先端に光の変化ができてもっと綺麗だったのですが。

でも本当に花火の写真は難しいです。

 

綿毛のような尾をひくものを「綿菊」というそうですが、
横向きの花を表現したものもありました。 









一つ一つの線が玉のなかに組み込まれている火薬です。
この辺りになって来るとわたしも要領が分かってきて、
かなり的中率が上がってきました。



百発百中、とは言いませんが、少なくとも
規定の花火はほぼ逃すことなく撮れるようになってきます。

花火は練習ができないので、たいてい最初のほうのは
失敗が多くなってしまいます。



玉の中から光が「生えてきた」感じでこういうのは面白いですが、



これなどはもう一息広がりが欲しいところです。
バルブ撮影したのがなにぶん初めてだったので、この辺は課題です。



しかし、こういう花ものは合格かな。



 

すごいなあとおもったのがこれ。
正面から見たところと、横向きの花の組み合わせ。



小花は開いたと思ったらすぐに散りながら光を急激に失うので
シャッターを押すのが遅いとこうなってしまいます。






茎を表現したものはたくさんありますが、ここは葉を付けています。



何を表わそうとしているかは分かりませぬが・・。





下の方の光が何本かたちのぼっていきます。



三脚を立ててブレがないように撮影しましたが、
時々光の筋がこのように震えることもあります。


さて、日本の花火というと世界一との賞賛をほしいままにしていますが、
その中でも特別といわれるこの大曲花火の中興の祖である花火師が、
まだベルリンの壁があった時代、ドイツに行って花火を上げています。

西ベルリン市で行われる花火大会のその前日、彼は
記者会見でこう言いました。

「ベルリンは地上に壁があるが空に壁はない。
日本の花火は何処から観ても同じように見えるので、
西の方も東の方も楽しんで観て下さい」

この言葉を次の日ベルリンの全ての新聞がトップ記事にし、
そのため当日の観客は150万人を超したということです。





コンペティション花火のあいだにスポンサー花火といわれる
企業団体がお金を出して上げさせるプログラムは
花火師たちの腕の見せ所。

ふんだんに火薬も使えるので皆張り切ります。
前にも書いたことがありますが、こういうときに企業は
一つのプログラムに対しだいたい300万円前後をスポンサードします。
わずか数分で消え去り跡形も残らない花火に何百万円。

しかし、瞬間何百万もの人々の目をひき、心を奪い、賞賛を集め、
ついでにスポンサーの名前にも注目が集まります。

思うにこの世で最も粋なお金の「燃やし方」ではないでしょうか。






大曲花火大会〜「秋田讃歌」

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どっこい一回では終わらない大曲花火大会報告。
当日わたしは始まる前にお弁当を食べ終わり、
カメラの設定をすませて本番を迎え、始まったらほとんど
飲まず食わずでファインダーとモニターを覗きながら、そして、
実際にこの目で花火を見るのに忙しくあっという間に終わってしまいました。


そして、後半になればなるほどシャッターハイになってきて
アドレナリン出っぱなしの状態でした。
ただ見るのも勿論楽しいですが、写真を撮っていた人はおそらく
皆わたしと同じような興奮を感じていたことと思います。



帰りの大曲駅で見かけたいわゆる「撮り鉄」たち。
近くで世界的な花火大会が行われていたのにもかかわらず
こちらにはまったく興味を示さず、電車だけを撮りにきております。

電車を撮るために子供を恫喝したり桜の木を切ったり、
とにかく写真を撮るためにならどんなことでもやってのける集団として
最近何かと評判が悪い撮り鉄さん。

しかし一度だけのシャッターチャンスを逃すまいとカメラを構えたとき、
なぜか伴う重度の強迫観念が人をして非常識な言動にも駆り立て得る、
というこの現象に関しては、撮り直しや練習のできない花火や、
自衛隊イベントの写真を撮った経験が一度でもある者には理解できなくもありません。

共感はしませんが。 






このあたりになってくると、シャッターを開ける時間を微妙にずらし、
プログラムの合間に効果を確かめる余裕すら出てきました。
こうなってくるともう強迫観念というよりはむしろ陶酔の域です。

のんびり寝転んで好き勝手いいながら空を眺める、
などという本来の花火を観る楽しみとは全くかけ離れてはいますが。



くまさんの形。

本来「花火は丸いもの」でした。
丸くない花火を採用することによって「創造花火」の緒を作った
有名な花火師の佐藤勲氏がこういう流れを編み出したのは
ひとえに「いままでの通例に対する反抗心」であったとか。

「創造花火」は大曲の花火大会を通して初めて生まれたものであり、
この言葉は大会の代名詞でもあります。

そんな創造花火の技の一つがこの「型物」。
この会社は、
「動物いっぱいの森へ」というタイトルでいろんな動物を登場させました。



パンダ。



アヒル。



牛。



ぶた。
こうやって写真に撮るとわりとしょうもない(失礼)感じですが、
実際に浮かび上がる型物を見るのは本当に楽しく、
観客はおおいに湧いていました。

しかしこういうプログラムが優勝できるかというと、
・・・・・できなかったみたいですね。



この日の最も大きなプログラムは大会提供花火といって、
協議に出演した業者からいろんな「目玉花火」を提供してもらい、
ひとつの大きな作品にちりばめるという趣向です。
この日のテーマは「ボレロ」でした。


(1分20秒からどうぞ)
このときの写真もいくつかありますが、後半になると花火が派手すぎて
写真を撮っても全く訳が分からないものになってしまいます。

わたしもボレロは後半写真を撮ることをあきらめ、
その分自分の目でしっかりと観ることができました。







おそらくシャッターを押すときのブレだと思うのですが、
ちょっと面白いので。



ここからはフィナーレに上がった10号割物の30連発から、
綺麗に撮れたものを。














去年もありましたが、陰影を付けるように
右半分が濃い色になっている玉があります。
よく見るとグラデーションになっていて、
実に良く考えられているものだと思います。













ピースマークが花と一緒に何度も登場したプログラム。
目がつり目の「エイジアンピースマーク」です(笑)



これもよく見ると右下にピースマークが。



さて、というわけで花火終了。
わたしたちのグループは、主催者がずっと片手で掲げるランプを
目印に着いて行きます。
ところで、この日参加したのは総勢9人の団体。
初対面の方が多かったのですが、皆さんと挨拶をし、世間話などをしているうちに、
そのうちの一人である某輸入食品会社の方が

ある海軍中将の孫

であることが判明しました。
誰でも知っているという名前ではありませんが、大隅人事について
調べたことのあるわたしには十分覚えのあるその名前。
それを聞いたとたんわたしが激しく反応したのでその方も驚き、

「女の方でそこまでご存知だとは驚きですなあ。
僕鳥肌が立ってしまいましたよ」

と言われてしまいました。
残念ながら花火大会の間はお話も叶わず、
そもそもその海軍中将個人については、米国駐在武官であった、
ということくらいしか知識がなかったので特に話が弾んだ
というほどではありませんでしたが、そのとき

「秋山真之中将も米国駐在武官でしたね」

というと、

「ああ、よく秋山さんの話はしてましたな」

とおっしゃっていました。
そのうちお話をうかがえる機会があればいいですが。



新幹線の時間待ちをするために立ち寄った花火センター。
ここに大会のポスターが貼ってありましたが、
この写真と比べてもわたしが撮ったのは悪くないと思いません?

素人のわたしより優れている点はシャッタースピードが気持ち長いため、
先がすこし枝垂れていて違う色が出現していることです。



花火の玉が飾ってあります。
これらを筒に詰めて打ち上げるわけです。



20号玉の断面図。
これがはじけると円になり、層ができるわけですね。
この火薬の玉をどう並べるかが創造のしどころです。
赤い紐は導火線でしょう。




待っている間、大曲名物「ババヘラアイス」を主催者さんが買ってきてくれたので
皆でお茶を飲みながら頂きました。

ババヘラとは「ババがヘラで盛りつけてくれるアイス」の意。
名付け親は大曲の高校生だそうです。
ババの腕とか気分とかで形がおおいに変わるそうですが、
基本的には薔薇の形になるように盛りつけるとか。

シャーベットなのであっという間に溶けてきます。
3分以内に食べられなければ負け。なアイス。

ちなみに味ですが、美味しいかとかまずいとか、そういう評価を
あえてするべきではない、とわたしは思いました。



この日の臨時増発にはこんな名前がついています。



こちらは奥羽本線、男鹿線の臨時列車。


ところで、2年前のこの大曲花火のエントリで

「舞い上がれーおおまがりー」

という歌をわたしがいっぺん聞いて覚えてしまった、
という話をしたことがありますが、これは大曲花火大会のテーマソングで、
津雲優という秋田出身のシンガーソングライターが作曲したものでした。

この津雲さんは、なんと2年前に60歳でお亡くなりになったそうです。
2年前の花火大会のときにはまだご健在だったようですが。

この曲と「秋田県民歌」を盛り込んだ「いざないの街」は
花火のフィナーレにも使われていたということも分かったのですが、
この「秋田県民歌」が、いいんですよ。

わたしはババヘラアイスのところで売っているのを見つけ、
この「秋田讃歌II」というCDを思わず買ってしまいました(笑)


ちょっと古めかしい感じがするけど格調高いメロディは一体誰が?
と調べたところ、なんと作曲者は成田為三。


「浜辺の歌」「赤い鳥ことり」「かなりや」

などを作曲した大御所が、昭和5年に作ったものだと知りました。
秋田県民は制定以来この曲を愛唱していて、現在でも
カラオケで歌ったりする秋田出身者は少なくないという話です。
(ソースは秋田在住の主宰者)


メロディに負けず劣らず

「見渡す廣野は渺茫霞み」
「久遠に輝く北斗と高く」

などという歌詞も格調高く、3番には戊辰戦争なども盛り込まれ
実に盛りだくさんな県民歌です。

最後には大曲の花火も登場する、
観光案内の映像とともに一度聴いてみて下さい。




平成26年度富士総合火力演習〜迫撃砲の撃ち方

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先週行われた総火演の予行演習に参加しました。
前日の夜から御殿場にホテルを取り、朝の6時に状況開始したおかげで
二列目の通路側という願ってもない位置に座ることができ、撮影開始。



10時から予行演習の本番が始まるのですが、会場では
すでに予行演習のリハーサルが行われていました。
ってややこしいな。
つまりこの日の予行演習です。

このリハーサルが装備品の紹介演習なのか、それとも後半の
島嶼部に対する攻撃への対応を想定した演習のためなのか、
それは分かりませんでした。

87式偵察警戒車が三台敵の方向を向いていますが、
なんと、外側に隊員が出て不思議な姿勢を取っています。



アップにしてみました。
90式戦車は、砲塔から外に顔を出して攻撃目標を確認する、
ということを知ったばかりのわたしが想像するに(笑)、
87式という制式からも窺い知れる通りこの偵察車には
ハイテクサーチシステムやモニターがないため、おそらく
こうやってハッチの中の人に偵察内容を伝えるのではないでしょうか。

さらに調べたところ、87式偵察警戒車、通称RCVには、

車長、砲手、操縦士、前部偵察員の席の上面に各々専用のハッチがある

とのこと。
つまり、この隊員は前部偵察員で、機関砲の砲手に
現場の状況を伝えているのだと思われます。

しかし実戦でこの態勢を取るのは怖そうだな(笑)



先ほどまで前方にいた90式戦車がバックしてきました。
撃ち終わって陣地交換です。
前進のときには出ない黒煙がもうもうと上がります。



ローマ数字で「III」とあるのは、おそらくこの部隊が

戦車教導隊3中隊

であるからだと思われます。 



87式偵察警戒車ですが、ここから見ても
ハッチが二つ開けられているのに注意。
一つは偵察員用、一つは砲手用と見た。
さすがに移動中は上に乗りません。当たり前か。

正面の斜面や段に見えているマークは、
それぞれが後半の演習で実弾をぶっ放す仮想敵陣地です。
さすがにリハーサルでは実弾ではなく空砲であると思われます。



えーと・・・・この地味なジープはなにゆえに?
と思ったら、中から一人降りてきました。



走ってRCVに乗りました。
人員調整?



続いて偵察隊のリハが始まりました。
偵察用オートバイ、通称オートの偵察部隊登場。



参加人数は6名くらいだっけ?
おそらく隊員の中でも技能に優れた選抜メンバーに違いありません。



整列の合間に一瞬私語をかわしたところを撮ってやったわ(勝ち誇り)
口元を迷彩のスカーフで(暑いのに)隠しているので一見分かりませんが。



おそらくこれがオート隊隊長。
(左腕のマークから判断)

「野郎ども!いくぜいっ!」



「へい隊長ガッテンでいっ!」



一人ずつわたしの目の前のバンプをジャンプするのですが、
なかなか撮影のタイミングが合いません(T_T)
なぜ連写モードに切り替えなかったわたし?



辛うじて写っていた中で乗り手の姿勢が一番良かったもの。



全部映ったけど姿勢は上の写真の方がいいかな。

わあああ撮れない!また失敗!連写にしなきゃ!
とやっている間に終わってしまいましたorz



おつぎは96式装輪装甲車。
先日見学した広報館「りっくんランド」の庭にあった
イラク派遣のために日の丸が描かれていた、あれです。

さっきの偵察車とはホイールの数が2つ違います。
隊長らしき人がハッチから出たと思ったら、
右型のハッチが開きました。



もう一人出てきました。
右前側のハッチは操縦士で、左は車長兼分隊長であろうと思われます。
隊長は眼鏡をかけて髭を生やしているように見えたのですが
拡大したら眼鏡は透明のゴーグル(飛散物防止)、髭はインカムでした。



リハーサルですが96式は実際に砲撃をしていました。
ドンパチやって的が壊れたりしない装備は実弾でやっていたようです。
96式の武装は二種類ありますが、いま飛翔しているのは

96式40mm自動擲弾銃

の銃弾ではないかと思われます。
もう一つの武器

12.7mm重機関銃M2

とともに、社内からの遠隔操作、あるいは乗員が車外へ身を乗り出し
直接操作を行うことができます。


96式の後ろのドアが開いています。
96式装輪装甲車の第一目的は兵員輸送。
1台で輸送できる兵員数はフル装備の場合で10名、装備なしで12名。

赤や青のカバーをつけたヘルメットの戦闘員たちは
後ろのドアから走り出てきて状況を行います。



96式の中が見えるので拡大してみました。
決して狭くはありませんが、ここに12人はきつそうだなあ。
きっとエアコンもないだろうし(笑)



このときはリハーサルで何の説明もなかったのですが、
おそらくこれは発煙弾が撃ち込まれたのではないかと。

発煙弾(smoke grenade dischargers)は文字通り煙幕を張って
敵の視界を遮るものですが、この状況で発煙弾が撃たれたわけは、
随伴歩兵の進撃を援護するという意味があるのかと思われます。



掩護射撃を請け負う兵員と、銃を構え走る兵員。
彼らは81mm迫撃砲隊です。



81mm迫撃砲が撃ち込まれました。

爆発のさまを

「終わったな・・・」
「ああ・・」

といった感じで眺める隊長と操縦員。(違うと思う)



戦闘が終わり引き揚げます。
後ろのドアはステップになり、乗り込むときに便利。



終わった♪ 終わった♪

と引き揚げてくる96の隊長さんをアップ。



何もこんな大きくしなくとも・・・。

というか、隊長さん、ちょっと意外なタイプじゃありません?
戦車隊の隊長ったら、もっと獰猛な、いやなんというか
ワイルド系orガテン系or体育会系あるいはその全部、
ってイメージがあるんですが、そのどれでもないという・・。



81mm迫撃砲の陣地変換。
でもこんな無防備な車、戦地で大丈夫なのか。



迫撃砲を牽引する車も無防備といえば無防備です。
しかし迫撃砲は火力の種類としては中距離火力に属する武器で、
96式装輪装甲車などよりずっと遠くを攻撃することができます。
装甲がなくても大丈夫という設定なのだと思われます。



81mmに続いて120mm迫撃砲隊。
何となく連続写真を撮ったので

「誰にもわかる!迫撃砲の組み立てから発射まで」

まずは牽引してきた迫撃砲を車から外します。
重いので全員で協力して作業をしましょう。



ちなみに青い頭の人は旗を揚げて合図を送る係、
赤い頭の人は砲手です。
この砲手が迫撃砲を直接撃ちます。

敵陣に向けて最適な場所に動かし、セットします。



砲手を入れて5人一組で操作を行いましょう。



砲身を適度な角度に上げ、本体を固定します。
青頭の人が作業の過程を見ていますし、後ろのジープから偉い人が
見張っているので真面目にやりましょう。



3人がセッティングを続ける間に、砲手ともう一人が
右の兵員が車から出して地面に置いた木箱を取りに走ります。
このなかには迫撃砲弾が入っています。

迫撃砲弾は120mmで約18キロから20キロくらいの重さです。
これは、兵士一人で装填できる限界の大きさだと言われています。



なぜ後ろ向きの隊員が脚を掛けているのかは分かりません。
向こうの隊員は砲口に付けられた鎖のついたストッパーを外し、
右の隊員は手回しハンドルで旋回俯仰を行っているようです。

誰一人として何かしていない兵員はいません。当たり前か。



砲手がまず箱から砲弾を出します。
その間も二人の隊員が車から予備の砲弾箱を降ろします。

ちなみにこの迫撃砲を扱っているのは

普通科連隊の重迫撃砲中隊

です。



シェルが出てきました。
この黒い筒に迫撃砲が入っています。
重いので取り扱いには十分注意しましょう。



迫撃砲弾は信管が組み込まれた弾頭部分を分けた状態で輸送し、
装填直前に装着して使います。

青ヘルの右側のガタイのいい兵員はその作業をしています。



弾薬の準備が整う前に、赤ヘルの砲手が砲の前に直立します。



青ヘルがまず手を挙げて合図します。

「いまから迫撃砲撃ちま〜す」



砲の向こうに回って迫撃砲弾を装填しましょう。
青ヘルはこのとき「いまから砲撃」の赤い旗を上げます。



迫撃砲弾の部分アップ。
これだけで18キロって・・。
この段階では信管が装着されているので、万が一落としたら

・・・・・・・どうなるんですかね?

やっぱり爆発する?



砲身に迫撃砲弾が埋まるように慎重に行います。
砲身の内側にはライフリングという螺旋状の切り込みがあり、
砲弾面にはこれと噛み合わせるための突起が刻まれています。



砲撃の次の瞬間。
砲手はもうすでに起立の姿勢に戻っています。
砲の周りには熱による空気の歪みが・・・。

迫撃砲の場合はあまり耳にダメージはないのか、だれも
耳を保護するような装備はつけていません。

ただ、砲弾を装填する兵員は、いくら砲身が殆ど上を向いているといっても
発射される側に立っているわけですから何かあったら危険ですね。



装填と砲撃は二発行われました。



すぐ迫撃砲のお片づけをして迅速な陣地変換に備えましょう。
ストッパーをはめ、砲を元通りに寝かせ、
砲弾の入っていた木箱を車に乗せます。



そして砲身を機動車の後ろに牽引できるように連結し、
陣地変換となります。

よくできました ◎



平成26年度富士総合火力演習、リハーサルまだまだ続きます。





リバティシップ「ジェレマイア・オブライエン」〜居住区

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サンフランシスコは全体が半島になっていて、その半島から二つの大きな橋、
ベイブリッジとゴールデンゲートブリッジが出ています。

ゴールデンゲートブリッジは先日見学して今シリーズ連載中の
「パシフィックコースト航空博物館」のあるサンタローザやナパ、
ベイブリッジは去年見学した(まだ見学記は続いているといわれている)
空母ホーネットのあるアラメダやバークレー大学のあるオークランドに繋がります。

実質橋を渡らないと北にも東にも行けないわけで、従って
週末にもなると一斉に半島から外に出ようとする車がひしめき、
ブリッジに乗ることすら容易ではない渋滞を引き起こします。

有名なアルカトラズ島は、サンフランシスコの北に位置します。
ここにあった刑務所からの脱獄が公式には一度も成功していないのは、
この辺り特有の夏でも寒い気候と海流の強さ。

刑務所では当時にしては珍しく囚人に温水シャワーが許されましたが、
その理由というのは、温水に体を慣らされた囚人が
冷たい海を泳いでまで逃げようとする意欲を奪う目的もあったとか。

刑務所が廃止になって以来、ここはそれでも逃げようとした
勇気ある囚人たち()の物語も込みで人気の観光スポットとなっています。

フィッシャーマンズワーフのお土産店には、黒白縞柄や
「アルカトラズ・スイミングクラブ」などと書かれたTシャツが買えます。

さて、前回に続き、ここフィッシャーマンズワーフの埠頭に
停泊して稼働可能なまま歴史博物館となっているリバティシップ、
「ジェレマイア・オブライエン」のラッタルを登ったところからです。

 

いきなりトイレかいっ!

と思われた方、わたしもそう思いましたが、
なぜかラッタルを登って最初にあるのがトイレです。
右はシャワーブース。
今気づいたのですが、コンパートメントに扉無し。
用を足している間隣の人に見られる心配はありませんが、
その代わり後から入ってきた人には普通に見られるという・・。

これも「フルメタルジャケット」みたいな、つまり

「用足しを見られて恥ずかしいなどという平時の感覚」

はこの非常時にお呼びでねえ!ということでこうなったのでしょうか。

 

続いて乗員の居室。

おそらくベッドの数の少なさから見てこれは士官室ではないかと
思われるのですが、それにしても何だか・・・。

ベッドに置かれているジャケットといい、ロッカーといい、
なんだか今でも普通に使われているような気配が。

「動的展示」が売り物のJOですが、ボランティアの居室も
そのまま「動的に」展示しているように見受けられます。



かなり広い居室。
士官たちの食堂であったようです。
ここも普通に使われているらしく、薄型液晶テレビが設置済み。



黒々とした旧型の扇風機はそのままです。
というかここに停泊している限りクーラーはいりません。



おそらく艦長の個室。
ペーパータオルはセットされているし、ジャケットも掛けてあり、
手前にはバスタオルまで見えます。
実際に使っているのなら公開はせず鍵を閉めておきそうなものですが。



ついさっきまでここでお昼ごはんを食べていたような気配のするダイニング。
テーブルの上には調味料セットもございます。



ランチに使ったサンドイッチパンとホットドッグバン、
チップスアホイをデザートにした模様。

今夜のお夜食用に、日清のカップヌードルビーフ味も装備。
この雑然とした感じが動的でいいですね。
なんでも、週何日かはボランティアたちはここで食事を取るのだそうです。

こうやって「使い続ける」ことがこの船を生かすことでもあると
考えているのでしょうか。

電気冷蔵庫などの電気はジェネレーターから取っているそうです。



棚には本が並んでいます。
テーブルの縁が落下防止のため高くなっているのに注意。



ここには完全個室のトイレが。
全体的にやたらトイレの多い船だと思いました。



この生活感あふれる居室を見よ。
しかしどうしてこれを人目にさらすかな。



チーフエンジニアの個室。
電話の形が・・・。
Wi-Fiは使用できないのでしょうか。



いざとなったときに脱出用に壁やドアを叩き割る斧。

この映画はエンジン部分が映画「タイタニック」のCG素材に使われましたが、
あの映画で、ローズが地下で拘束されているジャックの手錠を
これで見事ジムに傷一つ付けず切断したのを思い出しました。

結局死ぬんですけどね。ジャック。
どうでもいい話ですが、あのとき、体脂肪の多そうなローズが
ジャックに板の上を譲っていたらおそらく両方助かったに違いないのに・・。



という話はともかく。

この部屋はきれいに片付いていて、置かれているものも
演出っぽい感じでした。



通信室。
もちろんいまも「モースコード」が生きています。
ここからDーDAYのときにも通信が行われました。
全く同じ通信器を使って・・。

先ほどタイタニックの話が出ましたが、タイタニック号の救難信号が
カリフォルニア号に届くのが遅れたのは、通信士がそのとき
ベッドに引き揚げてしまったからだといわれています。

これを受けて、全ての船舶にはオートアラームがインストールされ、
万が一のときには通信士のベッドルームにそれが鳴り響くことになりました。
JOにもそれが装備されています。

赤いものはなぜか膨らんだ状態のライフジャケットです。



チャートルーム。
樽のように見えるのは1915年に発明されたジャイロコンパスです。
シンプルに「北を探す」タイプの磁石で、鉄の影響を受けません。



操舵室。
舵輪がオールドファッションです。
ここの小さい窓からは殆ど外が見えないのですが、操艦というのは
外を見ながらするものではないということでしょうか。

右側は羅針盤。



気になった床。
なんと組木の格子です。
水はけを良くするための仕様でしょうが、
それにしてもなんだってこんなに手間のかかることを・・。



これは洗濯機ではありません。
舵輪の動きを伝達する機構がここに収められています。
折りたたみ椅子の前にあるのは速度を代えるギア(っていうのかな)。


次回はタイタニックで稼働しているところが素材として使われた
エンジンのある機械室についてお話しします。 


 

平成26年度富士総合火力演習〜人員過積載の榴弾砲

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総火演の本番は10時からということになっています。
わたしたちが到着したのは7時だったわけですが、
すでにこのときにはリハーサルは始められていました。
もしかしたら「初弾はマルシチマルマルだ!」(当ブログ過去ログより)
だったのかと思われます。



おそらく近距離火力の標的であろうと思われる敵機動車。
(ジープかな)

こういうのを見ると共産党が発狂しそうですね。
ちなみに共産党は総火演の次の日待ってましたとばかり

「国民の税金4億円が2時間で総火演のために使われた!」

と非難声明を出していましたが、これ、そうなんですか?
総火演にはわたしが知る限りわたしの参加した予行演習日、
別の予行演習日と合計3日が費やされているわけ。

2時間で4億ガー!というといかにも瞬時に消えてなくなった、
という風に刷り込めるのかもしれないけど、これもしかして
じつは、全日程合わせて4億なんじゃ・・・・。

だとしたらむしろ少なすぎないか?

たとえばわたしが先日見に行った大曲の花火大会。
これには一晩で4億近くが費やされているのですよ。
総火演と違うのはこれらはスポンサーと観客から
お金を取って賄われていることなんですが、それじゃ
たとえば入場券を販売したらあなたがた一体何といいますか?

それに、花火大会の2時間と予行本番合わせて3日分の
一国の軍隊の軍事演習実弾発射が同じって・・・・・
これはどう考えても

「こんなに安くで押さえるなんて素晴らしいコスパだ」

と褒めていいくらいだと思うんですけどね。



89式装甲戦闘車

いわゆる歩兵戦闘車です。
1989年制式ということはもう25年経っているわけですが、
これが日本が採用した最初の歩兵戦闘車。

ただ兵員を輸送するに留まらず、強力な火砲を持つ、
というのがこの歩兵戦闘車の一般定義です。



軽装甲機動車というのはちょっとハードユースなハマー、
という感じの歩兵機動車ですが、(でも愛称はラブだったりする)
一応これでちょっとコンビニ行って来る、というのは可能です。

派手なので隊員は嫌がるようですが。

武装はないのですが、このように上部ハッチから乗り出して
機関銃や小銃を据え付け、射撃することができます。



この日の軽装甲機動車からはこのように
84mm無反動砲(カールグスタフ)を構えた隊員が確認されました。

この姿勢で下半身はどうなっているのかというと、
ターレットの下にブランコのようなベルトがあって、
そこに座っているのだそうです。

結構安定が悪そうだけどいくら無反動砲でも大丈夫なのでしょうか。



無反動砲には榴弾、対戦車榴弾、照明弾、発煙弾など
4種類の弾種が運用できます。

本日使用するのは榴弾です。
これは手動で狙いをつけるわけですから、射手の能力が問われそうです。



無反動砲の的は緑に白十字?
おそらく十字の焦点に狙いをつけるのだと思いますが、
そうするとだいたいその後ろに飛ぶわけですね。



地面を砲弾がえぐった瞬間。
これものすごい大きさの穴になってませんか?
対戦車用かなあ・・。



弾着したあとも地面で赤く光っています。
これ・・・燃えてるんだろーか?(ヒロミゴー禁止)



砲撃終わりー。



このラヴの旗が赤なので砲撃待ちと思い、ずっとシャッターを構えていたのですが、



発砲。
シャッターが遅れました。
音が聞こえた瞬間はもう実際には射出された後ですからね。
音を頼りにしていて撮れるわけがないのです。



戦車隊射手の基本スタイル。
ヘルメットに赤カバー、透明の眼鏡(サングラス不可)、
そしてヘッドセット。



陣地変換。
なんか違和感のある眺めだと思ったら砲身を
敵地方向に向けたまま移動していたのでした。



これは96式装輪装甲車?
青ヘルメットは何をする人でしょうか。



203mm自走榴弾砲。
よいこのみんなは、どうして戦車みたいに隊員が中にいないのか分かるかな?

この移動中に皆が上に乗る様子はかっこいいですが、
これは実は榴弾「砲」であって人員輸送のためにできていないので、
乗り込むスペースがないってことなんですね(T_T)

wikiには5人しか乗れない、とありますが、
どう見ても8人は乗っていて過積載状態です。



この榴弾砲は航空機でも運べるように小型に設計されています。
なので、砲撃には13名必要なのに、全員乗れないのです。

通常はあぶれた8名は別の車で一緒に移動するそうですが、
この演習では最初から最小人数で砲撃を行うようです。

木の枠を持って走っている人がいますが、弾薬の枠でしょうか。



いつの間にかブルドーザーのスコップのような部分が降りてきて、
地面に設置されました。
砲撃したとき反動で車両が後ろに下がるのを防ぎます。
これを英語でspade、日本語では駐鋤(ちゅうじょ)といいます。



後ろに手を組んだ隊員が砲手でしょうか。
202mm榴弾砲は砲撃に13人も必要な割には
小さいので弾薬が2発しか携行できないそうです。



青いヘルメットの人は大きな青い旗を広げています。
これはどんな意味があるのでしょうか。
そもそも誰に向かって合図しているのか。



今から弾薬を装填するようです。



尾栓が開いています。
もちろんファインダーをのぞいているときには気づきませんでした。
写真を拡大して初めてわかることも多いです。

昔はこの尾栓が開いたままちゃんと締めずに点火すると、
先日話題になった日向の砲塔爆発みたいな事故になりましたが、
きっと今では締めないと発射できない仕組みになっていると思われます。



これも拡大してみなくてはわかりませんが、左手をハッチにかけて
立っている隊員は右手に砲尾のハッチから繋がった鎖を持っています。
これがチェーンランマ(鎖の装填装置)でしょうか。



作業が終わった隊員は順次不動の姿勢で待っています。



と思ったら155mmの砲身がいきなり火を噴きました。
どこが次に撃つか旗だけでは全然わからないんですけど。



とかなんとか焦っていたらわたしの見ていた榴弾砲が射撃。
間髪入れず赤い旗を取っています。



砲尾のハッチを開いているところ。
ほとんど砲撃が終わった次の瞬間の動作です。



一部アップしてみました。
中から白い煙が噴き出しています。
赤の旗を緑に付け替える作業も瞬時に行います。



車体からアームが降りてきて、その先端に
ネットのようなものに弾薬を入れているようです。



アームが上がって行き、そこから装填されるようです、
弾薬を上と下で受け渡しするのは危ないからってことでいいですか。



二弾目の弾込め完了。



最初に「リハーサルだから空砲に違いない」と書いたのですが、
榴弾砲も迫撃砲も全て実弾でやっています。
ここだけでなく、フィールドに配置された他の榴弾砲からも
次々に発射されるのであたりが曇ってきてこんなになりました。



煙って何をしているかほとんどわかりゃしねえ(笑)

しかし青ヘルが青い旗を片付けているので陣地変換の準備でしょう。



今まで何処にいたのか、いつの間にか11人がいます。
おそらく操縦席に後二人が乗っているものと思われます。



またしても木の枠を持って走っている人が・・。
あまりの速さに画像がブレてしまっています。

しかし、13人の共同作業とは、人出が要りすぎないか?
と思ったら、やはりこの榴弾砲はもう開発国のアメリカでも全て
引退してしまって使われておらず、日本でもそろそろ引退が
ささやかれている型だそうですね。

なんと1956年に開発が始まり、日本でのライセンス生産が始まったのも
83年ということですから、それも当然かと思いますが・・。



でもこの、兵員山積みで走って行く様子が何とも言えず
前時代的な風情があってよろしいじゃないですか。

冒頭写真なんか見てもこういうのかっこいいと思いません?
もし後継型を開発するとしても、今の技術なら13人もの砲員を
必要としなくてもすむようになるんでしょうね。

ただ個人的な好みだけで言わせて頂くと、現実の防衛という点から見て
取りあえず危急を要しない火砲に関しては、一つくらいこういう装備が
残っていてもいいんじゃないかと思います。

個人的な好みで武器を語るなと言われそうですが。



続きます。





平成26年度富士総合火力演習〜迷彩メイクで男は変わる

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平成26年度総火演のリハーサルが終わろうとしています。



リハの最後は武装ヘリの攻撃。
CHや海自、陸自の航空機はリハーサルしません。
AH−64Dアパッチが銃撃しているとき、銃弾らしきものは見えず
この写真のように機体の下部に向かって白い煙が
連続的に噴き出していました。

アパッチといえば、先日、ライブリークの映像でこの武装ヘリが
人間を(建物じゃありません)次々と狙い撃ちしている
モニターの白黒映像を見てしまい、心が冷たくなりました。

明らかに一人の人間を追いかけ回し狙いを定めて、
人一人殺すにはオーバーキルとしか言いようのない爆撃を
執拗に加えるそのやり方は、終戦間際の日本本土で
たとえば御堂筋沿いに逃げ惑う人々を掃射しながら何航過もしたという
グラマンのパイロットの仕業を思わせました。



ところで実はエリス中尉、この日の前日、丸の内にある某軍需産業(笑)に、
元陸幕長への表敬訪問をしお話を伺ったのですが、その話の中で
最も印象的だったのは、まず

「自衛隊はおそらく練度において世界一の軍隊だと思う」

ということばでした。
元陸幕長の元には各国武官や軍事関係者などもよく
色々な折衝や相談を持ってやって来るわけですが、先日、某隣国の関係者に

「我が国の戦力に着いてどう思うか」

と聴かれた元陸幕長はたった一言

「論評するに値しない」

と言い切ったのだそうです。
もし海自とこの国の海軍が戦力を交えたら、30分で勝負がつくんだって?
とある政治家が訪ねたところ海自関係者は

「さすがにそれは無理です。3時間はかかるかと」

といったという逸話もあるようですが、まあそういうことです。

「そ、それで相手はなんと・・・?」
「がっくりしてましたね」

はあ、がっくりするでしょうなそれは。

しかし、しかしです。
それに続けて元陸幕長はこのようにもおっしゃったわけです。

「某国はさておいて(笑)じゃあ中国と万が一戦争になったら勝てるか、
というとそれはわからない。
わからないけど、勝てないのではないかと思う」

わたしも、たとえばこんなアパッチの殺戮ビデオを見て考えます。

「果たして同じ性能の、同じ武装のヘリに乗っていたとして、
こんな攻撃が今の日本人にできるのだろうか」

無防備で逃げ回っている人間を執念深く追い回し、
一人に何発もの爆弾を狙い定めるなどという真似はできそうにない。

それをするのが戦争だということであっても、たとえそれをしなければ
自分がやられるかもしれないと言う状況でも。

いかに陸海空自衛隊が精強の軍隊であったところで、
どんな非道な手を使ってでも先手を打ち相手を殺戮する、
ということだけは、戦後の平和しか知らない日本人には無理でしょう。

しかし戦争はスポーツではないのです。

「守りたい人がいる」などと当たり前のことをわざわざキャッチフレーズにしてまで
武装のアリバイをしなくてはいけなくなったわれわれ戦後日本人。
そんな平和の純粋培養で生きてきた日本人に、どんな汚い手を使っても
相手を殺し自分が生きるという戦争が果たしてできるのか?

答えはNOです。

元陸幕長の「勝てない」というのも、結局こういう意味でしょう。
だからこそ、戦争回避というのは何をおいてもなされなければなりません。

ちなみに元陸幕長は、そのために一番大切なことは

「国と国との対話を途切れさせないこと」

で、経済的にすでに相互依存が深まっている現在、
日中間に戦争が起こる可能性は低いけれど、この厄介な隣人と
付き合って行くには軍同士の人事交流は特に有効であり、理想的には
合同で軍事演習をすることができれば、とのことです。
そしてこうもおっしゃっていました。

「自ら姿勢を正し隙を見せないこと」

そしてそれこそが、自衛隊を通じて我が国の護りの力を堅持することで、
総火演とはそれを内外に知らしめるものとなります。
わたしはこの日一日、陸自の実弾演習を見ながら、
前日の元陸幕長のこの言葉をあらためて噛み締めた次第です。 




という話はさておき(笑)、リハーサルは終了。



国の護りを担う陸自隊員たちも和やかに鑑賞しております。
今気づいたのですが、このスタンドからもしかしたら
赤や赤白のヘルメットを被った隊員によって砲員たちに
合図が送られていたのでしょうか。




わたしの前の列、すなわち最前列には、ものすごく気合いの入った
カメラを持参で来ている人が目立ちました。
レンズはシグマです。
でもこの隣に座っていた人はフツーのデジカメでした。



その隣の、背中が見えている人は、あるとき振り向いて

「どっかで聴いたシャッター音だと思ったらNIKON1だった(笑)」

と話しかけて来られました。

「音で分かるんですか!」
「独特の音がするし、かみさんの分も合わせて2台持ってるので」

室内でもちゃんと撮れるし何と言っても軽いから自分も町歩きには
ほとんどNIKON1ばかりになってしまった、とのこと。

今なんとなく調べたらNIKON1は6月に300mm望遠(勿論小さい)が
新発売されていたんですね。 (欲しい)


通路の突き当たりには常時隊員が一人か二人、見張りをしていました。
演習の行われているときには小さな椅子に座ってこちらを見ています。
皆の視線の妨げにならないようにだと思われます。



本番までの間に音楽隊の演奏が行われました。
最初の演奏は中央音楽隊のみの演奏です。
この日の演奏は三回、本番前と前段・後段演習の間、そして
装備品展示の準備をしている間に行われました。



「世界のマーチ」ということで、まずは我が日本国の「君が代行進曲」
に始まり、インバーカーギル(ニュージーランド)ブロックM(アメリカ)
など6曲ほどが演奏されました。

本番に備えて演習場では地面の整備が始まりました。
まずたくさんの散水車が水を巻いてまわります。



戦車や榴弾砲と同じくらいの熱心さで写真を撮るエリス中尉(笑)

ここで何枚も撮ってしまって後段演習のヒトマルが出てきたときには
持ってきた電池が二つとも切れていたと言われている(T_T)



でもわたしにとっては演習も整備も全く同等の、
「ジエイのお仕事」なんだもーん(ぶりつこ)
わたしはほら、武器オタクじゃなくて、自衛隊オタクファンですから。

それにだいたいこんな整地の仕方を見るのも初めてだし。



立って操縦している人はともかく、もう一人は
何のためにここに座っているのか?とか。



あれ?これとさっきの車は同じもの?とか。

これはグレーダといいます。
民生品(これだけ三菱重工製)がそのまま使われています。

一般的にはこの車両をモーターグレーダーと呼びますが、
自衛隊仕様は色をオリーブドラブ色にしているだけの違いです。




これら整地のための装備を操縦している人にも注目してみる。



グラウンドに立って旗を振る係。
彼が腰から下げているのはなんと専門の旗用バッグ!
袋ではなく、旗を差す丸い穴が空いているんですよー。
ちゃんと迷彩柄でこだわっています。



こういう装備こそコマツの独断場・・・?と思ったら、
案外違っていたりするわけで、これも興味深いですね。
酒井重工業はローラーを専門に製作しているメーカーです。



HPを見たついでにこの型番を探してみたのですが(笑)
どこにも見当たらなかったので自衛隊の特注かと思ったら、
どうも民生品に所定の改装を施したものであるようです。

これをロードローラーと称します。



なんと、土が減っているわけでもなさそうなのにダンプで土撒きしてます。
陸自は日頃ここで同じ状況を行うのだと思うのですが、その度に
このような整地を行っているのでしょうか。

まるで野球部が練習前と練習後、グラウンドを清め整地するように。
「スポーツではない」ではないですが、自衛隊はやはり
運動部みたいなところがあるかもしれません。

このような会場の整備を行っているのは、

教育支援施設隊

といって、陸上自衛隊富士教導団の隷下にある部隊です。
ここ、富士学校における学生教育・調査研究支援、またはここ
東富士演習場等の各種整備、工事などを行います。

施設科は道や陣地を作って部隊の前進を支える役目を担いますが、
実は災害派遣には真っ先に出動し、活躍している部隊でもあるのです。


ところで総火演には外国メディアの記者も取材に来ており、
(来てもらわないと困るわよね、そのためにやっているんだから)
元陸幕長のいうところの「論評に値しない」軍隊を持つ国の記者は

日本人が一番好きな富士山を背景に、
自衛隊の攻撃シーンを存分に楽しむようにした訓練で、
戦争できる国・日本に対する心配は見られませんでした。

などという記事を書いています。
「戦争できる国」というのはまるで日本国内の左翼みたいな言い草ですが、
(あっ、ある意味同じ人たちなのか)集団的自衛権も個別自衛権も
もともと全ての国に与えられている権利なんだし、
それが行使できるようになったからといって心配するような人は
そもそもここには来ていないと思うぞ。



最後までうろうろしていたニンジャ。
緑の丘陵に(レンズをつけかえたときに入ったらしい
ゴミが写り込んだ)夏の青空を飛ぶOH−1は実に絵になります。




スタンド席の後ろをこっそり飛ぶニンジャ。
入間の航空祭でお辞儀しているアパッチしか見たことがないと、
ライブリークの鬼畜な(といってもあれが本来の姿)姿などを見て
お花畑日本人としては結構どん引きしてしまったりするわけですが、
ニンジャの場合、国産で戦争を知らず、しかも偵察機。
安心して「萌え」ることができます。

いずれにせよ装備に萌えることができるのは平和の証拠かもしれません。



さて、前段演習が始まりました。
まずはオーロラビジョンで演習場地域の説明です。

中・遠距離火力が狙うのは後ろに位置する番号の付けられた「台」。



機関銃や無反動砲などの近距離火力が狙うのは、
手前にある色の割り振られた部分です。



場所の説明をするのにわざわざスモークを炊いてくれます。
とても親切で分かりやすい説明です。
わたしは写真を撮るのに一生懸命であまり聴いていませんでした。



演習に先立ち、富士学校校長の武内誠一陸将がご臨席。
説明しているのが本日演習の統括者で後ろは副官かな?





黒塗りの車にはえび茶色の桜4つ、防衛副大臣旗が。
なんと予行演習だというのに木原政務官がご臨席です。
防衛大学の観閲式で観閲官だったときお見かけしました。
本番にはもしかしたら防衛大臣が出席したんでしょうか。

演習は富士学校長が陸幕長に準備が整った旨報告し、
陸幕長がさらにそれを政務官に報告することで始まります。



さて、いよいよ前段演習の始まりです。
前段演習は陸上自衛隊の主要装備品の紹介となります。



87式偵察警戒車の後ろから兵員が飛び出してきました。



もう演習は始まっています。




はて、なんだかみたことのない装甲車が。

これは87式砲側弾薬車といいまして、野戦特科が装備します。
自走砲に随伴して弾薬の補給を行うと共に

兵員の輸送を

兵員の輸送を

兵員の輸送を

行うのです。
・・・ということは!

リハのとき、203mm自走式榴弾砲の上に積載超過になっていたあの人たちが
本番ではここに乗っているのでは・・・・



と思ったのですが・・、



やっぱりこっちに8人乗ってました(笑)



ちなみにこれがリハのとき。
配置は全く同じですが、本番はお化粧して臨んでいます。
どうもこの部隊では、冒頭の隊員にも見られるような

「右目部分だけを残して左半分だけ斜めにメイクする」

というメイク法が流行っているようです。

「単に右手で斜めに塗ってるだけじゃないのか」

という説もありますね。



203mm榴弾砲部隊の演習はリハで詳しくお話ししたので省略。



99式自走155mm榴弾砲も独自のスタイルで走りつつ
砲撃を始めました。



向こうでFH70が火を噴いております。
この画面にある155mmと203mm榴弾砲とこのFH70の三つを

特科火力

と分類します。



FH−70の引き上げ。
自分で走れるんですね、この榴弾砲。

チャイコフスキーの序曲「1812年」で「楽器」として
使われている映像ばかりを見ていると、この「大砲」が
自走榴弾砲であることをつい忘れてしまいがちですが。
これにはさすがに二人しか乗れないみたいです。



続いて120mm迫撃砲隊。



対人狙撃銃もここで登場します。



迫撃砲もリハーサルで説明したので省略。



機動車から降りてきた兵員がいきなり地面に!



同じ車の反対側にも同じ姿勢で伏せています。



なにやら準備していると思ったら、



二人で無反動砲を扱っています。
一人は狙撃銃を背負っているので、こちらはサブかもしれません。



ちなみにこの少し前、観客の目の前を無反動砲が通りました。



こちらは携帯対戦車弾。
歩兵が携帯する大きさでありながら戦車を破ることができるとは・・・。



観客に見せるためでしょうか、ギリースーツの兵員が
前に立ってみせてくれました。
1月の降下始めのときなら暖かくていいですが、
この8月の演習にこのギリースーツを着て、
しかも銃を持って走り回るのは大変そうです。



きっと夏用とかないだろうし・・・って何心配してるんだ。
かれもメイクは右目残し派ですね。
旧カネボウのクラシエ製品であるこのメイクパレットですが、
やはり汗で流れ落ちないウォータープルーフ仕様だと思われます。

一般的にウォータープルーフは肌に負担をかけるものですが、
本製品は比較的お肌に優しい成分で作られているんですって。



陣地変換となった87式が帰ってきました。
先ほどこのような隊長だか車長だかの写真を挙げて、



ワイルド系でもガテン系でも体育会系でもない、などと書いたのでした。
それは遠回しにらしくないというか秋葉原にいそうというか、
なにしろ自衛隊の隊長っぽくないのではないか、とか、



そんな失礼なことを考えないでもなかったのですが、本番ではこれこの通り。
何が違うってたぶんメイクしか違っていないと思うのですが、
いきなり壮烈鬼隊長みたいな雰囲気になってしまってませんか?

女はメイクで変わるというけど、男も随分変わるものです。




総火演シリーズ、続きます。



パシフィックコースト航空博物館〜「ツチブタが鷲を生む」

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カリフォルニアはサンタローザにあるパシフィックコースト航空博物館。
この日も何人かのリタイア再就職組らしい年配の人たちが
展示航空機のメンテナンスの仕事に来ていましたが、ここは
常にスポンサーの出資を受け、展示機体にペイントや展示の工夫
(胴体に穴をあけて見やすくしたり)を順番に施しているらしいことがわかりました。

ところで前回お話ししたこのクルセーダー。



公園に置かれてお遊具になるという辱めを20年受け続けた後、
(サンフランシスコに住んでいた頃、家の近くにあった公園らしいのですが、
わたしは全く知りませんでした)
当博物館に引き取られ、塗装を全部はがしてゼロからやりなおした、
というこの機体の経緯を前回お話ししました。

ゼロから塗装しなおすにあたって、修復に当たった人々が
そのモデルにしたのが、これです。



ベトナム戦争に参加したときのF−8クルセイダー。
以前もお話しした「サンダウナーズ」VF−111使用機です。
攻撃母艦CVSイントレピッドの甲板から離陸しているところです。

VF−111部隊愛称サンダウナーズについては日本語の資料がなく、
当ブログの記事がwikiの「F−14」の次に出てくるくらいなのですが(笑)
英語版で調べると、サンダウナーズの使用機は

F4F ワイルドキャット
F6F ヘルキャット
F9F-2 パンサージェット 
F11F-1 タイガー
F-4B ファントムII 
F-14 トムキャット

そしてF−8クルセイダーと、グラマンの猫戦闘機を中心に
次々と変わって行っているんですね。
クルセイダーを部隊使用機としていたときにはノーズはシャークペイントでした。
公園の遊具として朽ち果てていたF−8をレストアすることに決まったとき、
関係者一同が

「それならVF−111のサンダウナーズ仕様にしたい!」

と一決したのも旭日模様がかっこよかったからに違いありません。

 

博物館のホームページにはサンダウナーズペイントについては
特に言及していません。
ただ、この写真を見て気づいたのですが、ちょうど「111」が
わざと塗装をはがして(上から塗ったのではない)見えなくなっています。

VF−111は1993年の「レストアホープ作戦」に参加後、1995年の
「サザンウォッチ作戦」を最後に解散となったのでもう存在しませんが、
仕様を復刻させることについてもしかしたら
元サンダウナーズとのあいだに何かあったのかな、などと
お節介な心配をこんなところからもしてしまうわたしです。



GRUMMAN H-16E ARBATROS

「アホウドリ」の意であるアルバトロス。

1951年から1983年まで、沿岸警備隊に配備されていました。
飛行機や船の捜索に、水上でのプラットフォームとして使用されたり、
要請に応じて排水ポンプを投下するなどの任務に当たりました。



道路を隔てた向かい側の駐機場には現役のアルバトロスがいましたが、
基本的にシェイプは全く変わっていません。



ノーズの先のミッキーマウスの鼻のような部分は違いますね。


水陸両用であることから「アンフィビアン」(両生類)などと
いわれることもあるこの水上艇、旅客機が墜落したときの捜索や
キューバやハイチからのボートピープルを発見したとき、
または漁業パトロールにも投入されます。

1970年後半からは度重なる麻薬密輸に対し、まさに水際作戦で
マイアミ・フロリダ・カリブ海での監視も行いました。



ここに展示されているアルバトロスは,1980年まで
沿岸警備隊の艦隊に所属していました。

当機は1999年に博物館に寄贈されたものですが、その際、
視認性が高いことから採用されていた大変眼を引く
鮮やかな「沿岸警備隊ペイント」に塗装されました。

ちなみにこの博物館のレストアチーフであるコポック氏は
(HPにはクルーチーフとある)元沿岸警備隊で、
「7245」のパイロットであったと書かれています。

もしかしたらわたしに声をかけてきた偉そうな人が
この元パイロットのチーフかもしれません。



しかし、この機体は7245そのものではなく、単に
このペイントはコポック氏に敬意を表してなされたようです。




HPでは

「もしこれをご覧になっている中に、かつて沿岸警備隊で7245機の搭乗員だった、
という方がおられましたら、オペレーションディレクターに是非連絡をください」

というメッセージが書かれています。
もしそうであればコポック氏の同僚ということになりますが、
呼びかけはあったのでしょうか。



翼の下に切り取られたコクピットが置いてありました。
おそらく「コクピットデー」には乗れるのでしょう。



 GRNERAL DINAMICS F−111 AARDVARK

イジェクションシート、つまり射出席だけが展示されています。
この「アアドバーク」というのは変わった単語ですが、

「ツチブタ」

 といってアフリカに生息するアリクイに似た動物です。
何だってこんな変な動物を名称に選んだかね、と思ったら



イメージ的にわからないでもない、
というか誰が言い出したかそっくりですよね。

「これツチブタに似てねえ?」
「似てる似てる!」
「誰がうまいこと言えとw」

という感じで現場から発生した愛称らしく、
アメリカ空軍では1998年に当機が退役する日、
初めてこの名称を公式採用することを発表したそうです。

この機体があまり有名でないのにはそれなりの理由があって、
このツチブタ、戦闘爆撃機という区分で開発されたのにもかかわらず、
コストカットのために空軍と海軍で統合運用しようとし、

空軍・・・低空を音速で駆け抜けることができる機体

海軍・・・大型レーダーを装備する並列複座の機体

という両軍の要求を無理矢理飲まされたため、
請け負ったジェネラルダイナミクス社の機体は重量が重くなり、
その時点で海軍はやる気がなくなって(笑)採用を拒否します。

(あの・・・重くなったのは海軍の要求のせいなんですけど)

結局空軍だけで運用されることになったのですが、重量が災いして、
運動能力が敵機のミグにかなり劣ることになってしまいました。

(あの・・空軍じゃなくてこれは海軍で運用するべきだったのでは)

しかしご安心下さい。
ひょうたんから駒、転んでもタダで起きない、藍より青し出藍の誉れ。

これをはっきりと「失敗」として空軍がその轍を踏まぬよう
開発したのが
あの!F−15戦闘機イーグルだったのです。

まあ、戦闘機と思わなければ優秀な爆撃機だったといいますから
失敗とまではちょっと言い過ぎのような気もしますが。
いずれにせよこれを「鳶が鷹を生んだ」ならぬ

「ツチブタが鷲を生んだ」

といいます。

さて、ここにある射出席はモジュール式脱出装置といい、
コクピットごと機体から切り離されるシステムです。
パイロットだけを射出する方法は、特に高高度を超音速で飛行しているときには
大変危険なので考案されました。

しかしこんな大きな物なので落下速度も増しますし、
レーダーの発達で敵地への侵入は低空飛行するというのが常識となり、
今ではこのモジュール式脱出装置は使われていません。
 

安全のためには、高度0・速度0の状態からでも
パラシュートが充分に開く高度までパイロットを打ち上げられること、
というのが安全性の目安である「ゼロ・ゼロ射出」ですが、
モジュール式ではそれが難しいということでもあったのです。



BLUE ANGELS COCKPIT

フロリダのペンサコーラにある国立海軍航空博物館から
貸与されているブルーエンジェルスのコクピット。
ここに来た当初ははしごを二つつけて、前後のシートに
よじ上るようになっていましたが、それでは乗れない!
と泣くお子様がいたらしく(たぶん)、はしごははずされ、
そのかわりステップから乗り移ることにしたようです。



もともとは実際にヴェトナム戦争に参加したF−4Bのコクピットです。
数年間機体は砂漠地帯に放置されていたもので、
スタッフはこれをレストアしペイントするのに数ヶ月を要したということです。






ダグラスDC−6は、レシプロ旅客機の傑作とされています。
まず何がすごいと言って、このエンジン。
新型である大型エンジン「ダブルワスプ」を採用したことにより
北大西洋を無着陸横断が可能になったのです。

1927年、チャールズリンドバーグ、そして女性では1932年、
アメリアイヤハートが大西洋無着陸横断を果たしたものの、
それはあくまでも小型機での記録であって、大型旅客機は
不可能であるされていた頃でこれは画期的でした。

これで旅客は皆航空機に流れることになり、おかげで
大西洋、太平洋を航行する航路は全て敗退に追い込まれました。


・・・という罪深い、じゃなくて時代を代えた航空機、
それがこのDCー6なんですね。

このノーズ部分はDC−6Bのもので、これは民間の旅客タイプ。
信頼性があるため、何度かエアフォースワンとしても採用されています。
日本航空が最初に導入しようとしたのもこのタイプですが、
ダグラス社に「2年後でないと引渡できない」と(嫌がらせ?)され、
元フライングタイガーの構成員が創業した

「フライングタイガーライン」

のために造られていた貨物用の機体を高いプレミア込みで買い、
わざわざ改造して東京札幌間の運行にこぎつけました。

・・・・なんか、いいように足元をみられてたような・・。
敗戦国の悲哀という奴でしょうか。


ところで、このDCー6Bのノーズ部分展示ですが、
賛助企業がやたら多いです。

たかがノーズ部分に、と言う気がしますが、これはおそらく
スポンサーが皆「小口」であるためでしょう。

不動産、伐採業者、クレーン業者、肉屋、レストラン、
法律事務所、カメラショップ・・・・・。

そういった小売業者や個人事務所からの篤志を
ある程度まとめて修復に使っているのです。


何度もいうようですが、日本でもこういうのできませんか?
たとえば具体的に二式大艇の補修と雨よけの屋根のため、とならば
わたしは当ブログ運営者として喜んで寄付させて頂くのですが。

 



 


平成26年度富士総合火力演習〜ヒトマル式戦車と曳下射撃の富士山

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平成26年8月21日に行われた富士総火演についてお送りしています。
冒頭写真はこの日の「国防男子大賞・陸上自衛隊の部」受賞者です。

この日の御殿場は時々霧がかかり、都会よりはずっと涼しかったものの
それでもジリジリと照りつける直射日光で大変な暑さだったのですが、
彼はそれも一瞬忘れさせてくれる一涼の風のような青年ではありませぬか。


ところでこのイベントに予行本番問わず参加された方、
日焼けはしませんでしたか?
雷蔵さんはこの日一日で赤くなった末「皮がむけた」そうですが、
もう人生も半分を折り返し今さら一皮むける必要も感じないため、
わたしは完璧に日焼け対策をして臨みました。

日焼け止めは基本使わない主義なので、帰国直前にノードストロームの
バーゲンで見つけたヘレン・カミンスキのUV加工のつば広帽子、
あまり体にぴったりつかない(暑いので)ユニセックスのTシャツ、
(岩国の海兵隊基地でブラッド大尉にもらったスコードロンマーク入り)
それに肘上から指半分までを覆う裏メッシュのドライブ用長手袋。
下は少し暑かったけどジューシークチュールのタオル地スェットパンツ、
熱を逃がすために高分子吸収体の冷えパッドを首に巻き、
さらにひんやりタオルで時々手や顔を拭うという念の入れよう。

我ながらかっこわるいと思いましたが、背に腹は代えられません。
おかげで全く日焼けはしませんでした。ブラボー。 




さて、前段演習は続いております。
偵察教導隊隷下のこの87式偵察警戒車は、この日
全課程を通じてなにかと目立っていました。

陸上防衛構想によるところの対処態勢では
このRCVなどは先遣隊の即応展開に続き、即応機動連隊として
1次展開を行う部隊となります。

具体的にどういうことかというと、平素地域配備によって即ち
抑止態勢をとるということなんですね。

因みに海自の艦艇が統合機動防衛に投入されるのはこの次の、

「機動運用部隊などの実力部隊による緊急的かつ急速な機動展開」

の段階となります。
おそらく緊急的機動展開においては輸送艇などが投入されるでしょう。
そして最終の第3段階とはこれ即ち

万が一我が国領土の占領を許した場合

の奪回作戦を意味します。


そして、「万が一」の場合。
そう、これがこの日の後段演習のテーマとなっているわけです。 

「島嶼部の奪回作戦を想定した訓練」

ですね。



RCVから降りてきた兵員たちは89式小銃で近接目標を狙います。



草葉の陰でぼーっと立っていた人影に命中しそれが燃えております。
実際は相手はこんなにじっとしていてくれないと思いますし、
おそらく向こうも撃って来るのでこんな簡単にはいかなそうですが。



前段演習の解説で、近距離火力の攻撃目標となっていた台に
着弾しました。
着弾するたびアナウンスが「弾着!」というのでわかりやすいです。
案外シート席からは全体的な着弾状況がわかりにくいので・・。



89式か榴弾砲かはわかりませんが、ドンピシャで
着弾の瞬間を撮ることができました。
画面中央に黒い棒状のものがありますが、これは命中して
すっ飛ばされた真ん中の黒い的と同じものです。



この画面の空中を拡大してみると、着弾前の弾薬が。



これはリハでも写真を撮った発煙弾。



銃で青いバルーンを撃ちます。
これは06式小銃擲弾によるもので、射撃からおよそ10秒後(長かった)
着弾してから破裂しました。



一つ撃ち損じたのか?と思ったあなた、ご安心下さい。
これは、最後の弾着寸前にシャッターを切ったためで、
実際は全部破裂していましたので念のため。



黄色いバルーンはすべて破壊されました。
これは96式40ミリ自動擲弾銃の射撃によるもの。



87式自走高射機関砲(ガンタンク)

陸上自衛隊広報館りっくんランドにもあり、ついつい
「ハエたたき」という愛称にウケてしまったわたしですが、
このガンタンクも後継型の開発が進められているようです。
最近あるきっかけで後継型の模型を見る機会があったのですが、
あまり現行との共通点はないようなデザインに見えました。

共通しているのは「どっちもかなり変」ということくらいかなー(←)
あ、いや「変」というのは「変わってる」という意味です。(; ̄ー ̄A 

この形を特徴的にしている皿のようなのはレーダーです。
後ろに突き出しているブームの先はくるくる回っており、
こちらは対空レーダーです。

レーダーで敵機を発見したら即座に撃墜します。
「ハエたたき」の名前はだてについていません。




ガンタンクをwikiで調べると、これと全く同じ構図の
(ヘリコプターがニンジャじゃなくてアパッチの違い)
写真が掲載されています。

総火演の前段演習では、近距離火力の終了後、ヘリ火力の展示に移り、
ガンタンクはヘリとリンクしながら砲撃を行うことになっています。

この段取りは毎年決まっているため、
構図も全く同じものになってしまうということみたいです。



そして武装ヘリ、アパッチのパラパラ攻撃。
(総火演見た方、そうでしたよね?)

このパラパラはチェーンガンによる射撃だと思うのですが、
アパッチがイラクで人を狙うとき、このパラパラじゃなく
ロケット弾や対戦車ミサイル攻撃をを遠慮なく行います。



そしてガンタンクが2台同時に砲撃。
ガンタンクには35mm対空機関砲が搭載されています。
国産の装備ですが、弾薬は輸入をしているようです。

機関砲に対空とついている通り、対空火力にカテゴライズされます。




お次は74式。
前段は対空火力に続きいよいよラストの戦車火力へと。



わたしはこちらが近いので左方からの攻撃だけを見ていましたが、
広い会場の右側にも同じ数の戦車が配備されていたようです。



これは大変悩みました。
元画像を仔細に点検したのですが、これはどう見ても
ガンタンクがレーダーやらなんやらをたたんでるとしか思えません。
でもそもそもあのレーダー部分、たたんじゃって大丈夫なの?
ってところからもうお手上げです。

これはなんなのでしょうか?

乗員が戦車を見ているのも、ガンタンクが索敵レーダーで得たデータを
戦車に送って攻撃を任せている、というストーリー?だった気がするし。



ところでそのデータを送られた方の戦車ですが。

ヒトマル戦車、来たわあ〜(AA省略)

もう周りの盛り上がること盛り上がること(笑)



縦横にスラロームしながら砲撃を行うヒトマル。
これはすごかったっす。
砲塔から下は信じられないくらい激しくスラロームをしているのに、
上は目標に対してピタリと照準を据えたまま。
まるで上と下が別のようなキモい動きでした。

そして演習で披露された静止目標に対する射撃よりも難易度の高い、
動目標に対するスラローム射撃でも、百発百中の命中精度だそうです。

すごいよ。あんたすごい。



そう言えば、この前日お会いした元陸幕長は、現職にあったとき

「なぜ今どき戦車なのか」

という空気の中、導入を決めたのはわしだ!と
(一人でじゃないと思いますが、つまり制服組代表としてという意味かと)
誇らしげにおっしゃっておられましたっけ。
元陸幕長の10式に関するその他のお話は(忘れなければ)また別の日に。



目標に向かって前進し、



バックしながら(ながらですよ)砲撃を行います。

急速後退しながら正確な射撃を行うこれを「後退行進射撃」といいます。


続いて停止態勢を取ったときのときのこの車体の傾きをご覧下さい。
おそらく中の操縦員はこの瞬間ほとんど真上を向いた感覚でしょう。



そして砲撃終了。(写真撮れませんでしたorz)
旗を緑に付け替え、ものすごいスピードでバックしてきます。 



ぶほおおおっ!と噴き上がる黒煙。
どうしてバックのときだけ黒煙を吐くのかは分かりませんでした。



陣地変換となり移動して行きますが、
移動中も敵陣の方向に砲身を向けたままです。

この激しく上がる黒土を見よ。
場内にはこのとき

「10式戦車の軽快な走りにぜひご注目下さい」

と気のせいか誇らしげなアナウンスが流れました。



演習場左手にさしかかるころには完璧に砲塔だけ後ろを向いた状態。
世にヒトマルの写真はたくさん出回っていますが、
こういう瞬間のものはあまりないかと思われます。



キャタピラが巻き上げる土が砲身の下に見えるという
非常にシュールな光景です。
アナウンスの通り、軽快でありながらとてつもない力強さを感じさせます。



オーロラビジョンの車の上からカメラが回っています。
総火演の様子は毎年DVDとして自衛隊から販売されるのですが、
2012年のデビューから三回目の参加となった今年もまだ
10式に対する暑い、じゃなくて熱い興味は冷める気配もありません。

カメラマンもそのことを十分意識して撮影していたことと思われます。



それから空挺団の空挺降下がありました。
今までの総火演の記録によると、手前のグラウンドに降下していたようですが、
今年は気象条件の関係なのか、遥か向こうの降下です。
落下傘がこんな風にしか見えず、残念でした。

さて、この前段演習では火砲の発砲技術を見てもらうために、
「同時弾着」や「富士山型弾着」が行われ、総火演名物となっています。

わたしもこれを撮りたかったのですが、だめでした。
シート席というのは、案外前の人が写り込んでしまうことが多く、
最前列でもない限り結構難しいものだということがわかりましたが、
同時弾着も富士山も、ちょうど右側の最前列の人たちに遮られてしまったのです。

ですのでネットから拝借して参りました。
ネットにもあまりちゃんとした写真がないところを見ると、
綺麗に形が揃ってそれを撮ることができる確立は
案外少ないのかなと思います。 




FH−70、155ミリ、203ミリ自走砲の特科火力トリオで行います。
前方からと後方から、種類も距離も違う場所に、
弾着が一つずつ移動して行くように点火します。
まさに職人芸というべき練度です。



19日予行演習の富士山キャプチャです。

この形を成功させるのには100分の1(だったかな)の精度が
タイミングとして要求されるとアナウンスでも言っていました。


これは曳下(曳火ともいう)射撃によって空中に形作られます。
曳下射撃とは一般の砲撃のように弾着と同時に爆発するのでなく、
空中で砲撃が炸裂するという射撃です。

なぜ曳下射撃という方法があるかというと、一般的には

その方が殺傷力があるから

という物騒な理由です。
地表や目的物に破片を吸収されることなく、広範囲にそれが散布され、
伏せの姿勢でいたり、塹壕に隠れている人間にもダメージを与える。
これが曳下射撃の本当の目的なのです。

しかし我が日本国自衛隊はその曳下射撃をあくまでも
砲兵の練度の結晶を披露するという目的に運用しているのです。
しかも、皆を喜ばせる富士山を象って・・・。

これはある意味実に象徴的なことではないか、
とわたしはこの日の富士山を思い出しながら考えていました。



前段演習と後段演習の合間には富士学校音楽隊が、
陸上自衛隊のテーマソング?である「大空」や、
「富士学校校歌」などを演奏しました。


さて、いよいよ後段演習。
テーマは「島嶼部に対する攻撃への対応」です。


続く。





シリコンバレーのバーズサンクチュアリ

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ここロスアルトスに来たら必ず何回は散歩に行く場所があります。
それがここベイショアパーク・トレイル。
マウンテンビューという市にあり、グーグル本社の隣です。

今年もここについた次の週、カメラを持って散歩に行ってきました。



このベイショアパークは海沿いにありますがこのように湖もあり、
湖のほとりには広大なゴルフ場、イベントに使うテント、そして
何にも使っていない空き地が延々と広がっています。

湖ではボードセイリングなどを楽しむことができ、
夏休み中は子供たちのキャンプが行われています。





池の周りにはグースがいつも群れをなしています。
ちなみにゴルフ場にもたくさんいて、ボールがバンバン飛んで来るコースでも
おかまい無しに草をついばんでいます。



今日は300mm望遠レンズ持参で来ました。
無駄にアップにしてみるグースの顔。

 

そしてここにもいるカリフォルニアジリス。

先日ここのHDTVで「チャーリーとチョコレート工場」を見たのですが、
実を選別しているリスがこの種類でした。
ハリウッド製作なのでスタジオ近隣にはこのリスが棲息しているわけですし、
シマリスよりも大きくて、女の子を皆で引きずるなどのCG加工も
しやすかったのではないかと思います。 

あの映画の舞台は雪が積もっていましたからどう見ても
カリフォルニアではありませんけどね。

ちなみにこのカリフォルニアジリスの生息地はカリフォルニア中心に
西海岸に限られています。



後でカメラのモードを見たら「ポートレートモード」も入っていました(笑)
お肌が綺麗になり、眼に光が入るそうです。
リスさん綺麗だよリスさん。





哀愁の後ろ姿。
ここのリスはよく湖をただじっと眺めていることがあります。



キャンプでボードセイリングの授業が始まったようです。
皆ライフベストをつけ、一人一台用意されたボードに乗ります。
サマーキャンプにもいろいろあり、親はその膨大な選択肢の中から
自分の子供が興味を持つジャンルのキャンプを選んで通わせます。
大抵は1週間単位なので、いろんなキャンプを体験するのも可。

うちの息子のように、前半は水泳やフェンシングなどができる総合キャンプ、
後半はITキャンプというように、バラエティを持たせたりもできます。
高校生のためには建築や映像など、将来の職業に繋がるキャンプもあり、
自分がどんな仕事に向いているのかを知るチャンスでもあるのです。

アメリカでは大学に入った後からでも、自分が向いていないと思えば
学部を代えることができるのです。
学生で、人生経験が浅く判断を誤りがちな若い間はやり直しが利き、
また横並びを強制されることもないので飛び級も可能。

日本の教育制度も、もう少しこういう部分を取り入れればいいのにと
いつも思います。



カモメがとまっているのはなんとカヌーポロのゴール。
カヌーポロ、ってご存知ですか?
つまり独り乗りのカヤックに乗った水球です。
ポロのようにスティックを操り、カヤックを漕いで、それで
ボール(水球と兼用)をゴールに入れるゲーム。

この世で一番激しいスポーツは水球ですが、このカヌーポロは
それと同等に激しく「水中の格闘技」と言われています。



パドルで相手を叩いたら反則ということですが、これ、
どうしたって叩いてしまいませんかね?

こんな施設は見たこともないし、日本には選手もいないのでは?
と思ったあなた、ご安心ください。

日本はオリンピックのために国がお金を出さないので有名ですが(笑)
その代わりスポーツ愛好精神というのはあまねく行き渡ること裾野の広い
「文明国」でございますので、ちゃんとこの競技の選手もいます。
クラブを持っている大学や高校は結構ありますし、クラブチームもあります。

愛知万博のときには世界大会も行われており、
このときには女子が銅メダルになったりもしているのです。

今の今まで全然知りませんでしたが(笑)



ここでもリスを見ると脊髄反射で写真を撮ってしまうリス愛好家の
エリス中尉。


巣穴から顔を出しているリスを見つけました。



こちらも別の巣穴。
両巣穴は2mほど離れていますが、なぜか同じ構図。
穴から顔を出しているのが奥さんかしら。



ジリジリと近づいて行ってアップ。



こちらに気づきましたが、ここのリスはあまり逃げません。
木などの遮蔽物が多いし、タカやノスリなどの天敵に関しては、
上空に飛来したとたんカモメ戦闘機が遊撃にどこからともなく現れ、
自分より大きな猛禽類を果敢に追っ払ってしまうからです。

TOとここにきてその現場を見たとき、わたしが

「カモメでさえ体を張ってテリトリーを守るのに」

とつぶやくと、TOが

「まあまあ」

と押さえてポーズをしました。
それはともかく、おそらく彼らの天敵は蛇だけなので、
それでおっとりしているのかと思われます。

 

しばらく穴から顔を出していましたが、安心だと思ったか
穴から出てきて2匹でひなたぼっこを始めました。



湖沿いに歩いて行くと、ここの常連である

「ダイサギ」

がいました。
英語で

「Great egret」

という種類です。 
「大」がいるからには「小」もいるだろうと思いきや、
「チュウダイサギ」というのはいても「ショウサギ」はないようです。 
「チュウサギ」ではなく「チュウダイサギ」。
「ダイサギ」がすでに名称になっているからこうなるようですね。 




ダイサギは夏羽になったときくちばしも黒くお色直しします。
集団で生活しコロニーを作るということですが、少なくともここでは
一羽で行動しているのしか見たことがありません。



何か見つけた模様。



すごい。
こんな一瞬でも眼を開けています。
って、まぶたがあるんだろうかダイサギには。



三度に一度くらいはちゃんと何か捕らえているようです。
よくこんな菜箸みたいなくちばしで正確に捕らえるものです。



また何か捕らえました。
一旦くちばしの端でくわえて捕ってから、こうやって
一瞬宙に浮かせて一気にのどの奥に放り込みます。
手がない動物のくちばしの使い方はまさに名人芸。



アップにしてみました。
これ、なんでしょうね。
カニのたぐいでしょうか。

ダイサギで画像検索すると、ウサギを補食しているショッキングな写真が
出てきます。(恐怖におののくウサギの顔を見るのが辛かったです)
どうやら水鳥のくせに猛禽類並みに肉食するようです。



別の日、カメラを持った人が近づきすぎて、
(わたしではありません)彼は飛んで逃げました。
チャンス!とシャッター押しまくるその人とわたし(笑)



優雅で美しい飛翔姿です。



もう少し歩いて行くと、大詐欺よりも小さい小悪党がいました。



こちらはカモメ。見れば分かる。



こちらは少し小さいタイプ。
イグレットという名称の鳥は

great egret
little egret
chinese egret

他にもスノーウィイグレットとか、色々あるようですが、
だいたい大中小と3種類のようで、ここにいるのは
一番小さな種類ではないかと思われます。



絵になる二人。
カモメがあくびしていたのでアップにしてみました。



かわいくない(笑)



このころになると、この小さな湖(池かな)のはじっこまで、
ボードセイリングの子供たちのうち速い子がたどり着き出しました。



人間は基本的によほど近づかなくては怖くないようです。



こっちにガン飛ばしてるし。



このあと、トレイルは干潟の横を通ります。
変わった嘴の水鳥がいました。
調べたところ

American avocet

という鳥なのですが、これを辞書で引くと「ソリハシシギ」。

しかし、シギというのはsandpiperで、逆翻訳しても
アメリカンアボセットにはなりません。
シギ類にはちがいないんですけど・・。



確かにくちばしが反り返っています。
長年の間にこういう形になったのも泥の中の生物を拾いやすいようにでしょう。



これが集団で飛ぶとこんな感じ。
(ピントが合わなかったのでイメージ写真)



前にも書きましたが、この日はロスアルトスに着いたばかりで、
とりあえず300mm望遠レンズでペリカンを撮りたかったのですが・・。



遠くの対象を撮るときには手持ちでは難しいです。



ここはバード・サンクチュアリ(鳥の聖域)と言われる自然保護区域。
かなりの部分が自然のまま残され、人が入れるのはごくわずかの部分だけです。



この河を滑走路として鳥たちは飛び立ち、浅い河でコロニーを作っています。
周りは干潟に囲まれているので天敵となる野生動物も
入って来ることは出来ません。



こういう写真をバッチリ決めたかったんですけど・・。
残念ながら殆どが不本意なできでした。



前にも書きましたが、ペリカンが飛来するとき、羽の先を
本当にデリケートに操作してエルロンの働きをさせて飛びます。
よく見ると羽の一枚だけが反り返っていたりして、
すごいなあと感心させられます。



ペリカンたちが群れで飛ぶ姿。



鳥同士でもめたりすることは全く無いようです。
ここにはふんだんに食べるものがありますから、争う必要もないのです。
金持けんかせずってやつですか。



体を掻くときには大きな水かきもつかいます。



頭は掻けないので羽にこすりつけたり。
ペリカンは結構人になつく鳥らしく、ペットにしてまるで鵜飼の鵜のように
捕った魚を食べずに持って来させることも出来るそうです。

鵜飼の鵜は物理的に喉を縛られているのですが、ペリカンは
大きな嘴の袋に水ごと魚をすくい、
そのまま水だけを排出して食べるそうですから、どうやったら
食べるのを我慢させることができるのか興味ありますね。



ペリカンは基本水に漬かっているのを好むようで、
他の水鳥とは分布場所が違います。
この岸にはカモ、グース、白黒のシギ類がいました。

白黒のシギは

Black-necked stilt

という鳥ですが、このスティルト、というのは渉禽類の総称で、
食物を探して水を渡り歩く、脚の長い鳥のことをいいます。




空から降りて滑水してきたペリカン。



おもむろに水しぶきを上げ・・・



伸びのポーズ。
こういう状態のとき、くちばしの袋はほとんど見えません。
飛ぶときも邪魔にならないようにかきっちりをくちばしを閉じ、
飛んでいるときにはペリカンには見えないくらいスリムです。

この岸に立って彼らの生態を見ていると、一日でも厭きません。



白レンズに一脚持参で来ていたアメリカ人。
いつかはこんな装備でここに来てみたいな。


 

平成26年度富士総合火力演習〜機動展開とラペリング降下

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富士総火演、前段演習が終了しました。
前段と後段の間には15分間だけ休憩と整地の時間が設けられ、
その間富士学校音楽隊の演奏が行われます。



整地といっても、そう大々的なものではありません。
散水車が火砲の火力で草に火がついたりしないように(たぶん)
こういった茂みに水を撒いたり、



グラウンドにも土煙が上がり難いようにか、
水を撒いたりする程度です。



そのせいで地表からはもやもやとした水煙が立ち上っています。
その地面に片膝ついて待機姿勢をとる隊員。



こちらにも。
リールに巻かれているのは・・・・・電気コード?



この「片膝立て」がどうも待機時の基本姿勢のようです。
彼らの横にあるのは



88式地対艦誘導弾。

防衛省的には「シーバスター」、現場では「SSM」です。
「シーバスター」くらい嫌がらずに使ってあげればいいのに・・。
だって、名前を聞いただけで「対艦」ということがわかるじゃない?

まあ、本来なら「シップバスター」となるはずが、
それではあまりに自衛隊の装備名称にしては露骨ではないか、
と最後の最後で腰が引けた結果が

「海をやっつける人」

という不可解な名称になったようなので、現場が嫌がったのも
この中途半端さにあるのではないかという気もしますけど。




状況開始です。見たら分かる。



ここ何年か、といってもわたしの知る限りでは、少なくとも
陸自の訓練展示では「島嶼奪回」がテーマになっていました。
まー何というか、我々フリークェントカスタマーにはおなじみというか、
今さら感すらあるテーマであるわけですが、それも当然で、
これらの訓練は日本の領土を虎視眈々と狙っている
どこぞの国に対し(あとちゃっかり不法占拠している国もね(ゝω・)v

「我々は領土を蹂躙された場合に備え常日頃想定を行っているぞ」

ということを宣伝するという意味があるわけですからね。



と・こ・ろ・が(笑)総火演を取材に来ていた中国メディアが
先日こんな記事を書いているんですね。


「日本はいくら平和国家のふりをしていてもそうは見られない。
総火演は尖閣を中国から奪うための戦争の準備だ」


いやいやいやいや(笑)

平和国家の「ふり」って。
まあそう見えていることは認めるのね。

「日本の軍事力強化の真の意図がたちまち露呈した。
こうした奪島シミュレーションは平和促進のためでないのみならず、
戦争を引き起こすものだ。
日本の民衆は現在政府に多くの不満を抱いている。
日本の民衆はは集団的自衛権の行使容認によって
市民が戦争に巻き込まれることを憂慮している」

勿論そう言う人も、おたくとちがって言論の自由が保障されている
日本にはいるみたいですけどー。

「民衆がこの日演習を見て感じたのは、おそらく国の強大化への
自信ではなく、反対に国と自らの運命に対する憂慮だろう」

まったくはずれてると思いますー。
ていうかそれはあんたらの願望だろっていう。

少なくともわたしなんかは国の護りにこれだけの修練を積んでいる
自衛隊のみなさんの頼もしさにワクワクしましたがなにか。

というか、島嶼奪回の訓練をされるのが中国さんにとっては
不快&不安であるらしい、それはわかった。

うん、ということは、このテーマは「効いてる効いてる」ってことですね。


ついでにこの新聞が、この後段演習の解説をしてくれているので
皆さんに説明するためちょっとお借りしてきました(笑)
まとめてくれてどうもありがとうございます。


想定「敵国による島嶼占拠」

第1段階 事前配置部隊による対処

第2段階 主力部隊の機動展開・進攻

第3段階 占拠された島嶼の奪還



というわけで、始まり始まり〜。
まずは海自から二機のP3−Cが哨戒を行います。



どうでもいいことですが、わたしはアドレスにorionaを使用しています。

この「オリオン座」を意味する名前が気に入っていて、
もし将来馬のオーナーになることでもあったら、名前には迷いなく
「オライオン」とつける予定だったのですが(以下略)



オライオンが通り過ぎた直後の客席。
観客の視線と、上段の自衛隊員たちの視線の向きが全く違うのに注目。
自衛官たちは次に空自のF−2戦闘機がやってくることを知っているため、
全員が左手上空を探しています。 



F−2も2機で来ました。
奪回のための戦闘の段階で、F−2はミサイルを実際に発射します。



シーバスター、いやSSMが照準を合わせ、
ミサイル発射態勢を取りました。



ええっと・・・これは・・・

パジェロ?(←ボケ)

立てているのはレーダー的なものだと思うんですが。
正確にはここまでが情報収集の段階です。
拡大してみれば分かりますが、助手席では
大きなモニターを兵員が見ています。



とかなんとか言っていたらいきなり始まっちゃったよ。
いきなり敵艦隊攻撃が。



えーと、これはたしかF−2に登弾された爆弾だったかと。
なんとも綺麗なキノコ雲ができております。
ここは海で、たぶんこれは「遼寧」かなんか。(適当)



ヘリが投入されるのは「機動展開」の段階からです。
まずは先遣部隊として偵察機OH−1ニンジャが。



ちょっとサービスでニンジャのコクピットを拡大。



続いてヒューイがドア全開でやってきました。



拡大してみてびっくり、なんとオート2台が
ぎゅうぎゅうに積まれています。



地上に降りるか降りないうちに固定を外しています。



えと、これどうやってバイクを降ろしたんでしょうか。
ちょうど写真が飛んでいるのでわからないのですが、
ヘリ隊員が持っている長い棒のようなものは、拡大すると
ちょうどオートのタイヤがはまり込むような仕様になっています。
これをラッタルのようにして一瞬で降ろしてしまったようです。



武装ヘリアパッチが機動展開中攻撃します。

ニンジャ「アパッチ先輩、やっちゃって下さい!」
アパッチ「おうよまかせとけ」



おなじみパラパラ攻撃。
よく見ると下方にものすごい数の薬莢がばらまかれています。

しかし、アパッチ先輩が本気になったらこんなものでは(略)



ブラックホーク、UH−60JA登場。

ブラックホークダウンという映画もありましたね。
自衛隊では案の定ブラックホークではなくロクマルと呼ばれているそうですが。

あのアメリカ映画では立派な武装ヘリとして登場していましたが、
日本ではどちらかというと救難ヘリのイメージが強く、
陸自でも固定武装はご予算の関係で装備されていません。



では陸自ではこれを何を目的に運用しているかというと、
偵察と輸送、だそうです。
本想定でも何か運んできた模様。



そこにCH−47、チヌークがいきなりラペリング用のロープを投下。
降下のことを「リペリング」と書いてあることもありますが、原語は
rappelingで「ラペリング」と発音しますので、こちらで書きます。



二本のロープで二人ずつラペリングしてきます。



降下のときにいわゆる安全装置のようなものは一切使っていないようで、
訓練で慣れているとはいえ、いつもすごいなあと思います。
レンジャーならずともこれが普通の陸自隊員の身体能力恐るべし。





しかも小銃背負っているわけですからね。
地上に降り立つなり銃を背中から外して構えて走り出します。



一人ずつ降りるなんてタルいことをやっている場合ではないので、
下に人がいようが上からはどんどん人が降ってきます。
もたもたして追いつかれたら大変。

まあそんな人はこの日の想定には出て来られないでしょうが。





全員降りきったという合図を上に向かってしています。
皆の走っている姿勢を見るに、遠目には分かりませんでしたが
かなりのスピードで全力疾走しているものと思われました。


そして、わたしがCHからのラペリングにすっかりのめり込んでいる間に、



ブラックホークからのラペリングが終わってしまっていました(T_T)
こちらはロープから銃を構えて降りてきていたかもしれないのに・・。



そこにまたもやCHが着陸します。
着陸するなり隊員が一人銃を構えて飛び出してきました。
作業の援護を行う係かと思われます。
そして・・。



カエルの口(としか見えない・・)から出てきたのは、



高機動車「疾風」(はやて)!

ヘリの出口に頭を引っかけないように皆さん身を伏せています。
案の定この「疾風」というのは防衛省の押しつけ、いや考案した愛称で、
現場では「こうき」とかアメリカでHMVを「ハンヴィー」と呼ぶのを
もじって「ジャンビー」とか、あるいは愛称ではないでしょうが
「ジャパニーズ・ハマー」とか呼ばれているそうです。

やっぱり思うんですが、防衛省の愛称はかっこよすぎて
普段使いには?隊員も照れくさいんじゃないでしょうかね。

高機動車の開発はトヨタ、製造は日野自動車が担当しています。
主な用途は人員輸送用。

やっぱり人員輸送に「疾風」はどうかなあ、みたいな。
迫撃砲を牽引するのもこれですけどね。

ちなみに全車ETC対応です。



さて、これで機動展開を終え、いよいよ
島嶼部に機動展開した部隊による奪回作戦が始まります。

首を洗って待ってろよ、人民解放軍(仮名)!



続く。 

平成26年度富士総合火力演習〜状況終了

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今過去記事へのコメントを書きながら、冒頭の迷彩メイクの
隊員さんの顔を見ていて、ふと気づきました。

なぜ彼らが右目を残してメイクしているか。

そう、関係者ならもうとっくにお気づきだったと思いますが、
彼らは銃や砲撃の際

スコープや照準を見るために銃を右目に当てるから

つまり、装備をファンデの成分で汚さないように、
顔の右半分に化粧しないという慣習ができているののでは?



これ、確信を持って書いています。正解ですよね?

というか、これまでの人生で 考えたこともなかっただけに、

「右目残しが自衛隊メイクのトレンドか?」

などと追求してみたのですが、ちゃんと理由があったということに
気づいて感動しているエリス中尉です。



さて、機動展開ののちシナリオは島嶼部に機動展開した
部隊による奪回の段階に入ってきます。

水陸機動部隊がまず上陸をするわけですが、
防衛省は本年度の防衛大綱で尖閣有事に特化した

「水陸機動団」

の創設を打ち出しています。
佐世保に3連隊を配備し、新しく創設する

「陸上総隊」

の直属として2〜3千人規模を投入する予定。
島嶼(とうしょ)部が侵攻された場合、水陸両用車を
数キロ離れた海上から発進させ、戦闘部隊を揚陸させます。

この水陸両用車についてはこんな画像を拾ってきました。




戦車じゃないじゃん!船じゃん!
と思われた方、それではこれをどおぞー。



ね?戦車でしょ?

この水陸両用戦車はアメリカから中古のものが4両、調達されたばかり。
来年あたりはモニターにこの映像が出てきそうなのですが、
今回は時期尚早で、LCAC(エルキャック)が2機映っておりました。
(ちゃんと見ていないのですが、たしか)

海自艦艇から揚陸するというシナリオだったので、
おおすみ型輸送艦が投入されたという設定ですね。


ところでこの水陸機動団には米軍の垂直離着陸輸送機

MV22オスプレイも導入する予定

で、同機で前線に部隊を投入することも可能になります。
さぞ佐世保周辺のサヨクが発狂することでしょう(笑)

こうして見ると、本当にオスプレイで騒いでいる連中というのは
中国共産党の意を受けているってのが良くわかりますよね。



本日大活躍の87式偵察警戒車、全車が発砲態勢を取った瞬間。



これは、92式地雷原処理車の登弾。
広範囲に地雷の敷設された地雷原を啓開(船舶用語で障害物を取り除き、
航行できるようにすること)するためにロケット弾を発射します。

登弾されるのは「爆薬ブロック」。
これはワイヤーでつながれた26個の爆薬からなります。
総火演では危険なため、火薬を4分の1の6個か7個に減らして行います。



炸裂までずいぶん時間がかかったように思えました。

空中で末端部のパラシュートが開き、ロケット弾本体の中から
数珠繋ぎ状になった爆薬がパラシュートに引き出されます。
爆薬は縦一列に地雷原上に落下し、炸裂した爆薬は
敵が埋設した地雷を爆破し、車両が通る道を確保するのです。



そして10式戦車投入。

ちなみにわたしのNIKON1はこの時点でとっくに息絶えていたため、
仕方なくソニーのRX−100を投入しております。



10式は4基が一列に並んで手前に侵入し、それから敵陣を向いて
走行しながら台に向かって発砲。
砲身が火を噴くタイミングはほぼ同時でした。 






侵入してきて正面に向きを変える直前だったかと思います。



わたしの座っていた場所の前にはオート隊がジャンプするバンプがあるので、
そこにさしかかる前に撮らないと、あとは右手の観客に遮られてしまい
撮れなくなります。


10式戦車の導入は将来的な国防を見据えた結果ですが、何を一番
重視したかというと、なんといっても機動性。
軽量小型でありながら火力・防御力も向上していなくてはなりません。




この日の注目も主に10式戦車に集まっているように思われました。

シグマのレンズもヒトマルだけを狙っているようですが(笑)
向こうには74式が二台砲撃態勢を取っているのよ。



90式との一番大きな違いはテールの張り出しですかねー。
グンと突き出している方が90式。
10式は40トン、90式からは10トンも軽くなっているだけに
装甲もできるだけミニマイズされた結果、この違いとなっています。



大きく左右に蛇行しながら正確な行進間射撃を行う「スラローム射撃」、
及び急速後退しながら正確な射撃を行う「後退行進射撃」が可能で、
「スラローム射撃」は90戦車では行えなかった射撃方法であり、かつ
90式以上の高い砲安定化能力を有しています。

コメント欄で後退行進攻撃の意味について疑問が呈されておりましたが、
これははっきりと理由があります。

車上から無反動砲を撃った後、すぐさまそこを離脱することになっている、
と軽装高機動車の展示の際アナウンスで強調していたように、
後退(しかも急速に)しながら砲撃を行うというのは
向こうからの反撃に備えて同時に退避することが可能という意味なのです。

迷彩メイクの右目塗り残しと一緒で、自衛隊のすることには必ず合理的な
意味があるのだと考えても良さそうですね。



89式走行戦闘車。
なぜここにこの写真が入っているのかわかりませんでした。
最後に全種が一斉射撃するのでそのための走行かな。 



ふと気づくと,左手にヘリが全機ホバリング待機していました。
いつ見ても不気味な眺めです。
戦車の一斉射撃を待って一時になだれこむ準備です。



89式装甲戦闘車(ライトタイガー、通称FV)二台。

後ろのハッチや側面に3つ、丸いものが見えますが、これは
ガンポートで、ここから小銃を乗員が掃射できます。

蓋は防弾ガラス仕様ですが、装甲の弱点にもなるので
時代遅れの設備だといわれているとか。



10式に続いて90式もフィナーレ?に向けて正面に移動。



そして全車が一度に砲撃を!



決定的瞬間を撮り損なったので、YouTubeの動画を
そのままキャプチャしました。
これはこの前々日の19日のフィナーレになります。
このときはあまりお天気が良くなかったんですね。

わたしはこのあと大曲の花火大会に行ったわけですが、
今この映像を見て「まるでナイアガラ・・」と思いました。

きれいでしたよー。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓



それと同時にホバリングで待機していたヘリ部隊が侵攻してきます。
この前に座っていた人たちは、前列を背もたれ付き座椅子で脚を伸ばし、
悠々の鑑賞をしながら撮影を行っておられましたが、
フィナーレ終了と同時にさっさと席を立ち、
混雑する前の会場をとっとと後にしていました。

隣の人に「ではまた来年前列で」と声をかけていたので
かなりのベテランなのだと思われます。



一斉砲撃とほとんど同時にヘリ部隊が動きだし、上空を通過。
第一空挺団の降下訓練においても、島嶼奪回の一番最後には
ヘリ部隊の前進によって「締め」となっていました。

奪回つまり敵勢力が無力となった時点で、占拠されていた敵地に
ヘリが降り立つというのがパターンとなっているようです。



そのときフィールドはこんなことになっていました。
全車一斉砲撃のあとの硝煙?が巻き起こす真っ白な煙幕。



というわけで見事敵を制圧し、島嶼の奪回なったあと、
旗を緑に変えて移動となります。



♪ソードソードミードミード
ソミドミドソドー♪ 

という喇叭が二回繰り返され、状況終了。

息つく間のない40分間でした。

本作戦最初はP−3Cによる偵察から始まりましたが、実際にも
那覇市にある海自第5航空隊は15機のオライオンをそれこそ
フル稼働して、休みなく警戒と監視を行っています。

海自だけでなく海保の警戒も一瞬たりとも気の抜けない状況です。

1日午前10時すぎ、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の日本の領海に
中国海警局の船3隻が相次いで侵入し、巡視船が領海から出るよう警告すると、
海警から中国語と日本語で

「貴船はわが国の領海に侵入した。ただちに退去してください」

と応答があったというニュースがありました。

以前にも難破漁船を廻り人民解放軍の船が出動した、
というニュースを取り上げましたが、中国はこのように波状攻撃によって
こちらの反応を常にうかがい、試すような示威行動を繰り返しています。


何度も書きましたが、中国に対しては隙を見せないこと、
この総火演のように「いつでも即応態勢だぞ」と内外に知らしめることで
パワーバランスを取ることができます。

知ろうとしない人たちには見えて来ないかもしれませんが、
我が国はそれに対してただ手をこまねいているわけではありません。
政府も自衛隊も、常に態勢を状況によって変更し、
万が一の事態に備えてあらゆる想定を行っているのです。

総火演そのものは恒例のデモンストレーションでもありますが、
我が国が防衛態勢を先鋭化しつつあるあの地域にまさに照準を合わせ、
かつ先を見据えているということは十分伝わってきましたし、
この日一日、目の前で展開された隊員たちの素晴らしい練度は
何よりもわたしには頼もしくこの目に映りました。


続く。

 


 

平成26年度富士総合火力演習〜装備展示(準備編)

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総火演、前段演習、後段演習と全演習が終了しました。
何度も来ていて帰りの混雑を避けたい人は、ここでさっさと
出口に向かいます。

わたしは大抵の装備はなんだかんだで近くで見ているのですが、
今年は初めてなのでフィールドに立ってみたいと思い、
取りあえず装備展示の過程を見守ることにしました。



終わったとたん、皆お片づけ開始。
シート席は文字通りシートが敷いてあるのですが、
そこにそのまま座る人はあまりいません。
日本人の習性で、ちゃんとシートの上にさらに持参のシートを広げます。



ところでわたしは初めてなのでこんなことにも驚いてしまったのですが、
シート席には本当に土の上にシートが敷いてあるんです!
たとえば何も持たずに来たとしても、国民を地べたに体育座り、
などということは自衛隊の沽券にかけても絶対にさせない!

というわけで、なんと全面にわたって敷き詰められたシートも迷彩柄。
このとてつもない大きさのシートをぴったりと敷くこともまた
自衛隊という機動組織ならではの技といえましょう。



この日は「関係者」即ち自衛隊の家族、隊員の招待枠(わたしもね)、
あるいは防衛協会や国防協会、関係各社、報道、
そして地本の招待客などが観覧しました。

予行演習と本番の違いは政府から誰が来るかくらいで
内容においてはほとんど同じだそうです。



終わったとたん皆立ち上がって移動を始めるので、
2列目でのんびりと座っていたわたしの回りにはほとんど
座っている人がいなくなり、大変居心地が悪かったです。

画面右手の女性はなんとこの状況で座ってお弁当を食べていますが、
ただでさえ土ぼこりが舞い、回りの人たちはシートの上を
土足で普通に歩き回っているこの劣悪な環境下でよく・・・。
みね姉さんの知り合いの海上自衛官が

「砂入りのご飯がいやで」

陸自はパス、と言ったという話もありましたが、
・・・これ、陸自の想定中の食事より砂入ってませんか?

わたしたちはこの日の食料問題については、ホテルの近くのコンビニで
TOが適当に買ってきたものを、前段と後段演習の間に口に放り込みました。
わたしは朝7時から2時まで一切席を離れませんでしたが、
途中でTOが焼きそばを屋台で買ってきたので一口貰ったり。
どちらにしてもこの日は栄養やらバランスやら味は不問です。



このとき遠目にウケた一人の少年のTシャツ。
これ、「不当判決」バージョンも欲しいなあ。


当シリーズは、今年行き損なったけど来年ぜひ、と思っておられる方に、
ちょっとしたアドバイスも織り込んでお届けしているわけですが、
一番大切なのは「陽射し対策」そして「水」です。
水は重かったのですが多めに買っておいて良かったと思いました。

水を含ませて冷感を得るタオルは、仕事のためにスーツで来て、
勿論帽子も持っていないTOがずっと頭から被っていて、
彼が途中で現場を去ったときにはそれはすでにカラカラでしたが、
ペットボトルの水でもう一度再生することができたからです。




さて、ここで突然ですが、自衛隊みやげのご報告。



これは、今回のお土産ではありません。
夏前に朝霞駐屯地を訪問したときにショップで買いました。
わざわざネタのために買ったのに←
ブログでアップするのをすっかり忘れていたのです。

この缶詰はわたしが時々自衛隊の売店で買って来る

「パンの缶詰」。

少し前に萌え絵の自衛隊3人娘のバージョンについて
ここでご紹介したことがありますが、なんと時代はここまで来た!

自衛官3兄弟!

長男 陸人!
次男 海人!
三男 空人!

いやーそう来たか。萌えオタじゃなくて腐女子狙い?
製作元のヨコエのHPを見ても何の説明もないのですが、



照れ屋で無口だけどいざとなると優しく頼もしい長男!(陸自)

クールで知性派、ロマンチストの一面もある次男!(海自)

やんちゃで甘えっ子、茶目っ気があって天真爛漫な三男!(空自)


みたいなサイドストーリーまで見えてきそうです。
彼らのバックにはうっすらと日の丸まで仕込んであり、
腐女子狂喜、みたいな?

ちなみに次男の海人さんは現在一尉、徽章は航空にも見えますが、
眼鏡着用であることからわたしは航空医官徽章であると断定します。
つまり防衛医大卒です。
三男の空人くんは、航空操縦徽章をつけているのでパイロットですね。
長男の陸人さんは困ったことに階級章も部隊章も徽章も付けておりません。
こんな顔をしてレンジャー徽章かなんか付けていたらびびりますが、
(でも実際にこういう優男タイプがいるからなあ)
何しろ何のマークもないので、陸人さんは自衛隊に入れなかったため、
中田商店で制服を買って陸自のコスプレをしているだけと決定。 


あと、空自の空人くんは、ブルーのフライトスーツとかのほうが
いいのではないかと個人的に思います。
さらに細かいこと突っ込むようだけど、海自士官の夏の制服の場合
靴は黒じゃなくて白、これ大事。
 

ついでに個人的にわたしは次男が好みですかね(〃'∇'〃)ゝ 



さて、自衛隊3兄弟の話をしている間にも、フィールドではまず
ヘリコプターが所定位置に降りて順次展示の用意を行います。



その間、もう一度、今度は東京音楽隊と富士学校音楽隊が合同で
最後の演奏を行いました。

最後とあって思いっきり楽しく、今大流行の「フローズン」の挿入歌
「Let It Go」、なぜかキャンディーズの「年下の男の子」(なんで?)
などポップな(ポップすぎる?)曲が演奏されました。

それはともかく自衛隊のPAらしく、真面目に

「キャンディーズは昭和何年に結成された女の子3人グループで
メンバーはランちゃんスーちゃんミキちゃん以下略」

とか、

「普通の女の子になりたいといって解散し以下略」

などとアナウンスしていたのがなんかシュールでした。



その間も、ヘリが順番に離陸してきます。
つづいてはSH−60JA。
最近わたしの中で評価の高い他用途ヘリコプターです。

固定武装も、全くされなかったというわけではなく、
ドアガンを固定した部隊「ドアガン飛竜」(←)という部隊が
第1ヘリコプター団に2008年には登場しています。

うーん・・・見てみたい、ドアガン飛竜とやら。



ちょっとこれ見て下さいよ。
雷蔵さんの昨日のコメント

「ヘリのパイロットは着地するところが全く見えない」

というのを実証する画像です。

隊員が着地地点を確認するために身を乗り出しています。
太ももから上全部窓から出しているわけですが、
落ちたりしないのかなあ・・・ヘルメットで頭も重くなってそうだし。

因みに冒頭の写真は、ロクマルとコブラのローターがちょうど
並行になるときを狙って撮ってみました。
偶然じゃありません。




おつぎは愛しのOH−1ニンジャ。
この日も宙返りするようなバック転しないような、
挙動不審な態度であいかわらず人々の注目を集めていました。



偵察機、というより正式な分類としては「観測ヘリコプター」というそうです。
そういえばこの日の想定中、後段演習で確か

「無人機も出動し」

と聞こえたような気がするのですが、実際には見ませんでした。

自衛隊の運用する武装ヘリには、将来的にこのOH−1が改修される予定、
とどこかで見たことがあります。
かなり前の情報でしたが、今はどうなっているのでしょうか。

エンジン機能を向上させたニンジャに武装させたら、それこそ
スーパーコブラ並みのパフォーマンスを持つ、という話でしたが・・。




うっすーい機体は一瞬ニンジャと間違えそうですが、
いかつい武器をいっぱい抱え込んでいるのがこちら。

AH−1Sコブラ。

ニンジャはご存知川崎重工業製。
コブラはベル・エアクラフト。
創始者のローレンス・ベルはヘリコプターの開発者といっても
差し支えない(早熟の天才ヒラーJr.は彼のライバル)人物です。

現在はベル・ヘリコプターであるこの会社ですが、「エアクラフト」時代、
P−39エアコブラ、P−63キングコブラを生産していました。
ヘリにコブラを踏襲したのもこれらの戦闘機へのオマージュであったと考えられます。


ところで自衛隊では去年くらいまでは痛車ならぬ痛機塗装をして

「萌えコブラ」「痛コブラ」

などが各地の基地祭などに出現しました。
自衛官たちが渾身のペイントをほどこし、世間はおおいに湧いたのですが、
そのあまりの完成度の高さが仇となり、ついにお上(自衛隊のね)から
禁止令が出されたため、痛ヘリペイントはもう見ることはできないそうです。



このアパッチが次々に人を殺して行く様子をライブリークで見つけ、
それに比べてあまりに平和な日本の現状を鑑み、

「武器に萌えることができるのは平和の証拠」

などと嘯いてみたわけですが、

日本国自衛隊にやってきたばっかりに、コブラは武装ヘリどころか、
まるでアニオタの痛車のような恥ずかしい塗装を施されてしまった

これを「顰蹙」と考えるのか、平和の証とみるのか、はたまた、
有事に対するとてつもない平常心と見るのか。

そのうち歴史が証明してくれることでしょう。(投げやり)



このときのアパッチの写真を見て気づいたのですが、
ローターのブレードの尖端から白い線が出ています。

今まで何度もヘリコプターが稼働している写真を撮ったのですが、
こんな白煙のようなものが見える写真は初めてだったので珍しく感じました。


これ、どのような条件で写るものか分かる方おられます? 



続く。

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