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祝賀会とブルーインパルスのウォークダウン〜平成27年入間航空祭

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C-1からの空挺団降下で大盛り上がりのまま、午前中のプログラムは終了しました。
いよいよ楽しみにしていた祝賀会が始まります。 

わたしにとって初めての空自的行事、特にどんな料理が待っているのか?



招待客席の後方のハンガーが祝賀会会場となっています。
外からはわかりにくくなっているのは、どさくさに紛れて招待者以外が入り込むのを
阻止するためと思われます。

招待者はあらかじめ、祝賀会出欠の返事をハガキで送り返してありますが、
受付のときに参加費を3000円支払い、引き換えに参加券をもらっています。
会場は扉が一部だけ解放されて、ここからその参加券のチェックを受けて入場します。

わたしはその参加券の存在をすっかり忘れて、何も見せずに入ろうとしたのですが、
チェックをする隊員は、胸につけたリボンを確認しただけで通してくれました。



祝賀会の最初に入間基地司令、山本祐一空将補の挨拶が行われました。

「日本一の秋晴れとなりました!」

としょっぱなから明るく元気な第一声に、和んだ観衆から笑い声が起きます。
空将補の写真を検索してみればおそらく納得していただけるのと思いますが、
実に屈託なく笑う方とお見受けしました。(山本空将補 画像検索)

空自の将官全部が全部こんな人ではないとは思いますが、この明るさが
いかにも航空自衛隊らしい、と思いました。(イメージです)



続いて、来席を賜った国会議員の先生方。
議員先生たちは途中参加も結構あって、会場では遅れてくる議員があるたびに
紹介がされるのですが、遅れてきて(名前はあえて失念)が壇上にあがったとき、
わたしの近くにいた男性(旧知の人らしい)から、

「ああー、太ったなあ・・・なにやってんだ」

と呆れたような声をあげられていた女性議員がいました。
女性だと議員でもこんなことを言われてしまうんですね(T_T)

壇上の三人のうち二人は、航空祭なのでスカイブルーのネクタイを選んできたのかな。
真ん中の議員は柴山昌彦内閣総理大臣補佐官です。



というわけで、乾杯の発声に続き、ご歓談タイムとなりました。

とりあえず近くのテーブルのお料理をごらんください。
オードゥブルも寿司もサンドイッチも、空自厨房で作られたものではなく、
業者からの仕出しではないかと思われます。
ローストビーフも多分・・・(作ってたらごめんなさい)

海上自衛隊下総基地では、全てが基地の厨房で作られ、担当したシェフが
食材の説明やオススメポイントなどをスピーチするなどという演出付きで
参加費はこの3分の1であったことを考えずにはいられないわけですが、

とりあえずいただいてみました。

多くは言いませんが、三自衛隊で一番食べ物にこだわるのが海自、
という世間の噂が、ここでもわたしの中で実証されたかもしれない、とだけ・・。



テーブルの前菜的なもの、特にローストビーフは、しつこいようですが3000円という
比較的高額の参加費の元を取ろうと皆が集中するためか、瞬時になくなってしまいました。
そこで、「まさかこれだけじゃあるまいな?」と群衆が次に目標を定めたのが屋台です。

屋台はカレー、うどんとそば、そして焼き鳥、寿司などの種類が出ていました。
わたしが、カレーを食しその感想を皆さまにお伝えするべく並ぼうとしたとき、
それは大変な長蛇の列となっており、途中で「これカレーの列ですか」と確かめながら
最後尾を探り当てると言う事態になっていました。

そしてやっとのことでゲットしたカレー、まず量が多かったです。
海自で配られるカレーは、ほとんど一口サイズなのですが、
テーブルの料理に「まさかこれだけじゃないだろうな」と思った人たちも、
これがメインと思えば一皿で満足できるくらいのボリュームがありました。

その他の料理は、どれも自衛隊ではなく、業者の屋台ではないかと思われます。
これなら大して豪華でなくても一人当たり高額になっても仕方ないかもしれません。

で、肝心のお味は、おいしかったです。
ご飯の柔らかさは海自に軍配が上がりましたが、ルーは決して負けていませんでした。
これが空自厨房特製のものか、これも業者のものなのかはわかりませんでしたが。



わたしが立っていた近くにはミス航空祭関係者の席がありました。
年頃の娘さんを持つ近隣在住の知人が、昔、

「ミス航空祭の参加者の家族は、招待者待遇になる」

という理由から、娘にミス航空祭に応募しないかと誘って一蹴された、
とおっしゃっていたのを思い出しました。

今回、そういう理由で娘を参加させていた親も、もしかしたらいたかもしれません。
というか、親が自衛隊関係者や関連業者という例は多く、さらには
自衛官につながり(婚約者とかボーイフレンドとか)がある人もいそう、
と思ったのは、制服の左肩に白い縄を背負った自衛官がやってきて、
わたしの近くにいた家族が持っていた娘のバッグ(着物用)の中から、
白手袋を取り出して自分の手にはめたのを見たときでした。



この後、各ミスは一人ずつ白手袋をはめた空自の自衛官にエスコートされて
壇上に上がり、紹介を受けていました。
そこで誰かがミスに選ばれたのかもしれませんが、人垣に阻まれて見えず、
わたし自身はハンガー内のお手洗いを待つ列が長くならないうちに並んだので、
ミスコンがいったいどういう顛末を迎えたのかわからないままでした。
 



列に並んで待つ間、ふと気付いたホワイトボード。
柵越しに撮った写真なので、向こう側の平成26年8月1日から起算された
2万人日達成予定(現在4804人)がいったい何の数値目標なのかはわからず。
そして、

1、暑気対策の推進

2、メリハリのある勤務

というスローガンについ脱力してしまうのでした。
11月3日において暑気対策の推進はもう必要ないと思うのだがどうか。



朝一番には空席だらけだった招待者席も、昼過ぎからは
ブルーインパルスの演技を見るためか、隊員関係席はほぼ満席。

わたしは休憩時間中に招待者向けに出された物販の屋台を物色し、
目ざとくこんなものを見つけて購入しました。



接着剤不要のナノパズル。
ヒトマル式戦車F-15戦闘機とこの「こんごう」という陸海空三点を売っていたので
当然のようにこちらを購入しました。

もちろん自分で作るためにではなく、招待状をくれた方へのお土産です。
作るのがちょっと大変そうですが、喜んでもらえるかな?



ここは招待者席と一般エリアを区切る通路ですが、どういうわけか
ここに招待者のカメラ持ちが集中していました。
ブルーインパルスのウォークダウンを少しでも人垣なしで撮るためですが、
はっきり言ってここはすでに前方を隊員家族関係者が塞いでいるので、
一般席のブルーインパルス前のような写真はまず望めません。

招待者席が必ずしも写真を撮る人にとって上席かというとそうではないのです。



ここでふと、しきりに使われているプラチェーンのスタンドに注目。
このチェーンの固定の仕方・・・・うーん、なんてよくできているんだろう。
と、日本ならではのアイデアにものすごく感心してしまったのでした。



さっきまで空挺隊員を乗せたり、ここぞと派手に飛び回っていたC-1も、
全員帰投して元の位置に駐機をしています。

ブルーインパルスの演技は、プログラムによると1305から1420まで。
飛んでいる時間よりウォークダウンの方が長いのではないかと思われますが、
ここからはそれらを見ることは全く不可能です。

ウォークダウンというのは飛行に移る前の準備を含めた作業をいい、
それらの手順も全てショーとして見せることをいいます。

特にブルーインパルスのウォークダウンは見せる要素が強く、
観客を意識した構成となっているようで、エンジンをかけるどころか、
ドルフィン・キーパーといわれる整備士たちがエプロンを行進し、
各受け持ちの機体前に到着するところから始まります。



整備士の行進に始まり、パイロットの行進、パイロットが耐圧スーツをつける、
ヘルメットやマスク装着、乗り込んでシートベルト装着、
エンジン始動と動作チェック、そしていよいよタクシーチェック。 


このあとスモークチェックも行われたようですが、我々のところからは何も見えません。



それらが全て完了し、初めて離陸のためにタキシングしていきます。



ここまでの行程を、大変詳しく写真で説明してくれているサイトを見つけました。

 ウォークダウン

これによると、後席の「次期レギュラー」は乗っているだけで何もしないので、
その分手を振っていることが多いそうです。



確かに。
しかし、冒頭写真の6番機は一人で手を振っていますし、



機体番号731の1番機は二人で振っていました。
さすがにパイロットはちゃんと前を見ながらですが。

さて、いよいよ皆が待ちかねた、ブルーインパルスの演技の始まりです。


続く。






 




 


ブルーインパルス・前半~平成27年度入間航空祭

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今年の観艦式にはブルーインパルスが演技を行いました。
特にわたしが先導艦「むらさめ」に乗った12日には、ほとんど雲がなく、
風もそう強くない真っ青な空にブルーが描く軌跡が人々を魅了しました。

「海上自衛隊の観艦式」であるにもかかわらず、メインとも言えるイベントが
空自の戦技であるということについては、多少の異論もあったようですが、
この選択については、US-2の海上着水と離水がなかったからではないか、
という噂が少なくともわたしの周辺では囁かれていました。

 US-2が訓練中フロートとエンジンの脱落によって墜落したのは今年の4月。
幸い乗員は全員脱出して無事でしたが、機体は300mの海底に沈んでしまいました。
その後機体は引き上げられ、事故原因について調査が行われている最中でもあり、
他に配備されている3機のUS-2もイベントの参加は控えている状態なのです。

もしこの事故がなければ海自の誇る救難艇の着水は観艦式の航空展示の
ハイライトとなるはずだっただけに、その抜けた穴を埋めるにはもう
ブルーインパルスの力を借りるしかない、と海自が判断したのではないでしょうか。

たぶん。

いずれにせよフネの上から観るブルーインパルスの演技は素晴らしく、
護衛艦とブルーと白の機体のコンボはめったに見られないだけに観衆を沸かせました。

「あたご」に乗っていた時だったと思いますが、近くで見ていた人が
大きな声でブルーの行う演技の名前を全て連れに説明していました。

わたしもこのブログで時々取り上げる関係上、フォーメイションの名前を
幾つかは知っていますが、それでも現場で次々と説明できるほど詳しくありません。

この人はよほどのブルーファンで、おそらくあらゆるところに追っかけをしているのか、
それともご自身がブルーインパルスに乗っていた、あるいは整備をしていた人か・・。




ウォークダウンののち、滑走路右手から4機がまず離陸しました。
最初は1から4番機までが演技を行います。



チヌークのローターとブルーインパルスのコンボ。(笑)



テイクオフして最初に行われるのは

DIAMOND TAKE OFF & DIRTY TURN
(ダイヤモンド離陸と汚いターン)←直訳

です。



フィンガーチップフォーメーション(不均衡なデルタ)で離陸、
直後に4番機が機体を滑らしてダイヤモンドフォーメーションを組みます。



これがいわゆる「汚いターン」か・・・・。(意味不明)



正面を向いていると、着陸灯が点灯されているのがわかりますね?
他のはどうかわかりませんが、このフォーメイションはこれを点けて行います。



1番機はスモークを出しません。
なぜなら後続の飛行機にかかってしまうから。(たぶん)



この角度からも着陸灯が見えますね。
この演技の際、ギアは最後まで出したままです。



シャッタースピードはこれで1/2000です。
このフォーメイションは会場正面から進入し、後方にアウトします。



1番機から4番機がテイクオフしてから時間差で1機が単機離陸します。
このとき5番機が離陸してローアングルテイクオフを見せることもありますが、
本日は6番機が離陸して

ROLL ON TAKEOFF(回転塗布式離陸)←超直訳

を行いました。
離陸のときからスモークを出しつつ飛行し、バレルロール
(樽をなぞるように螺旋を描くことからこの名前がある)を行います。



これは6番機。
6番機も単機で離陸し、その後スモークを出しながらバレルロールを行います。



FAN BREAK (扇壊し)←直訳。


ファンというのは「扇」のファンでしょうね。
この密集隊形は写真で撮ると凄さがわかります。
全てのフォーメイション中、もっとも密集して飛ぶもので、
この隊形を「ダイヤモンドフォーメイション」といいます。



5番機が進入してきました。

4 POINT ROLL(4点転回)

を行います。



これは4つのポイントでロールを行うという名前の通り。
90度ロールするごとにピタリと機体を止め、それを4回行って360度回転しつつ
会場上空を突っ切っていきます。



続いて5機による

CHANGE OVER TURN

が始まりました。
こういう飛び方をトレイルというそうですが、縦並びでスモーク出しつつ進入。
 


正面に達した瞬間、こうやって編隊を組み替えます。



そしてデルタ隊形に変換し、上昇。



デルタ隊形のまま旋回を繰り返します。



自分たちの出したスモークなのか、それとも上空の霧か。
飛行機の半分にスモークがかかっている様子。



このフォーメイションのポイントは、なんどもターンを行いながら
だんだんと隊形を密集に詰めていくことです。

これが最終形ですが、最初と比べて随分縮まっていると思いません?
ずっとそのまま飛んで間隔を維持するのではなく、徐々に変わっていくというのが
ブルーインパルスの技術の高さを表していると思います。



続いては5番機1機での演技です。

INVERTED & continuous ROLL。
(ひっくり返り&連続回転)←直訳




背面で5番機が滑走路を左から進入してきて横切ります。



その後急上昇してハーフロール、ハーフキューバンエイトを行い、
進入方向と逆方向を向くように降下し、連続ロールを行いながら離脱。



続いては#1、#2、#3、#4、#6の5機による

RAIN FALL(雨滝)←直訳

です。
デルタ編隊で進入してきました。



ループに入ってスモークデター。
このとき、飛行機の機体はほぼ真下に向かって墜落していく感じです。



文字通りの「レインフォール」。
見ている間にスモークが長く長く尾を引きます。



本来のレインフォールはこのあとブレイクして傘のように開くのですが、
今回は、



降りていきながらカーブを描き、



下方で上昇に転じてそのうち1機が次の演技に移りました。

どこかで誰かに「最近はレインフォールはあまり行われない」と聞いたことがあります。
少し前に読んだ武田頼政著「ブルーインパルス」という本には、過去のブルーの事故が
創世記から事細かく書かれていたのですが、あの有名な「下向き空中開花」の事故と、
この傾向には何か関係があるのかと思ってしまいました。



フィンガーチップ隊形(不均衡なデルタ)で飛んでいた編隊のうち1機が
スモークを出すと同時に離脱して単機の演技に入りました。

VERTICAL CLIMB ROLL(垂直上昇回転)←直訳

です。



急激な引き起こしで編隊から離脱し、単機上昇しながら連続的にロールを行います。



スモークを出し終わったときにも、ロールしながら描いた煙の航跡は残っていました。

この1機が演技を終えた後、明らかにアナウンスがアドリブで

「おっと、ここにもう一機進入してきました」

と言ったと思ったのですが、どなたか聞いておられた方おられませんか。



わたしの周りはこの飛び入りの単機演技に大喜びしていましたよ。


続く。 

 

ブルーインパルス・中編~平成27年度入間航空祭

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さて、ブルーインパルスの演技、後半です。
前回「レインフォールをやらなかったのは事故と関係あるのか」
と本文中に書いたところ、事故関連についての情報を筆不精三等兵さんからいただきました。

これについて少し調べてみたところ、まず当時のニュース映像が見つかりました。

T-2ブルーインパルス事故を伝える報道各社のニュース.mpg


わたしが前回少し触れた武田頼政著「ブルーインパルス」では、
この事故についての詳細が書かれていますが、機体の不調ではなく、
ヒューマンエラー(一言で言うとブレイクコールの遅れ)であったとされています。

しかし、下向き空中開花は、教えていただいたように「判断の遅れ」を招く
意識低下を誘発するという考えによるものか、演技そのものを禁じられました。


そこで、ブルーインパルスが使用機をT-2からT-4に変えたとき、創世記のメンバーが
どうしても「下向き空中開花」系統の技を取り入れるために、
改良を加えて開発したのが「レインフォール」だったといわれます。
その時のメンバーが

「下向き空中開花をやりたいけど、できないからレインフォールで”我慢する”」

と言っていたという証言もあります。

事故機は、ループと逆側に、つまり「C」字型にリカバリーしないといけなかったので、
他のメンバーと違い、隊長のコールの遅れ(0・9秒といわれる)が致命的だったのですが、
「レインフォール」は全機が同じ駆動を行い、「C」ではなく
「S」を描くようにループを行う、と変えられています。



つづいて6番機が単機で行う

SLOW ROLL。



その名の通り、ゆっくりと右ロールしながら通過する技です。
これ、実は4ポイントのロールより難しいんだそうです。

簡単そうに見せているけど、簡単そうなのが実は番難しいんですよね。



続いて、#1、#2、#3、#4の4機による

CHANGE OVER ROLL。

こちらからの角度では並列に見えますが、トレイル編隊で進入します。



綺麗にトレイル隊形になりました。



編隊を組んだまま急上昇を行います。



この時点で1番機に後続する2機のノーズがわずかに右と左に振れていることに注目してください。
ループに入ると同時にトレイルからダイヤモンド編隊に組み直すためです。



1番機だけがスモークを出さないダイヤモンド編隊で高く高く上昇していきます。



そして背面からループ。



スモーク全体を撮り損ねましたorz

頂点からあっという間に左ロールして右側に離脱。



続いて、ソロ演技専門の5番機と6番機が入ってきてピタリとひっつきました。
ハーフスローロールといって、2機で同時にロールを行う技かと思ったのですが、
正式名はわかりませんでした。



そういえば下総基地でこんなトンボ見たなあ・・・。

ハーフスローロールよりすごい!と思ってしまうのはわたしだけ?



続いて1番機から4番機までで行う

4 SHIP INVERTED。

まずダイヤモンド隊形で進入してきました。



1番機と4番機が背面になります。



ぴたり。
続いて手前の2番機、向こう側の3番機がロールを行い、



4機全部が背面の姿勢になります。



このとき、4機の隊形はかなり密集となっています。



しかるのち密集隊形を崩して、間隔をあけてゆき、



全機同時に元に戻ります。
スモークがねじれているのがロールを行った場所。



続いては5番機が単機で行う、

360DEGREES TURN & LOOP(360度ターン&ループ)。

左手から進入してきた5番機は、そのまま平面で旋回を行います。



その際、観客席にお腹を見せるような態勢で飛びます。



それが終わると、急上昇してループを行います。



白と青の機体の翼に真っ赤な日の丸。
ブルーインパルスはなんて美しいのかと、こういうときには特に思います。



6機全機で行う

DELTA ROLL 。

この隊形をデルタ隊形といいますが、この形を維持したままロールを行います。



全機で上昇。
この角度で見ると何かに似てる・・・・と思ったらやっぱりイルカでした。

ブルーインパルスのパイロットのユニフォームの腕には
「ドルフィン・ライダー」と書かれたパッチがつけられており、さらには
彼らの乗るT-4を整備するチームも「ドルフィン・キーパー」の名称を持ちます。



デルタロールは、全機で同時にバレルロールを行います。



バレル=樽、ということで、樽の外側をなぞるような動きのロールです。



やはり1番機はこんなときにもスモークは出しません。

「下向き空中開花」の事故映像を見るとわかりますが、当時はスモークに
各自違う色が付いています。
東京オリンピックで5色の輪を描くなど、カラースモークが主流でしたが、
1998年以降、スピンドルオイルに染料を混ぜることは中止になりました。

演技前後の整備に時間がかかることと、費用がかさむことがその理由ですが、
近隣住民の「洗濯物に色がつく」というクレームもあったと聞きます。

基地の近くに後から引っ越してきて、煩いとかスモークガーとか文句を言う
「近隣住民の皆様」は、自衛隊憎ければアメリカ軍はもっと憎いとばかり、
アメリカからはるばるやってきた「ブルーエンジェルス」にさえも煩いとクレームをいれたため、
「ブルーエンジェルス」は激怒してそれ以来日本には来なくなったという話があります。

合掌。




珍しく?会場右から6機がデルタ隊形で進入してきました。



デルタ編隊で行う

DELTA LOOP

です。
デルタ編隊は右手から正面までやってきたのち、



正面で垂直に急上昇します。



そしてループ。
このループの半径は約2キロと決まっているそうです。

そのあと全機背面で飛行していたので、もしかしたらこれは
デルタループではないかもしれません。



5番機だけが90度ロールを行い、離脱を行いました。



残る5機で行う、

UPWARD AIR BLOOM (上向き空中開花)

の始まりです。



全機がスモークを出しながら垂直に上昇して行き、



まず外側の2機が90度ロールを行い、編隊に対して腹を見せる形をとります。



続いて1番機の両側も開いてゆき、



空中に花が開花するというわけです。

レインフォールが「下向き空中開花 」へのこだわりから生まれたらしいことは
今回調べていて初めて知ったことですが、上向きであれば問題無しで、
名称もそのまま使われていることに少し不思議な気がしました。

「レインフォール」を開発したドルフィンライダーは、「下向き空中開花」が
できないことをなぜか「政治的な理由」といったそうです。 

安全性を考慮して改変した新しい技の名前を、彼らは
あくまでも「下向き空中開花 」にしたかったのではないでしょうか。

事故で殉職したT-2のブルーインパルス隊員を顕彰するためにも。


続く。



 

ブルーインパルス・後編〜平成27年度入間航空祭

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ブルーインパルスの演技についてのご報告は1日で終わるつもりだったのですが、
自分でも思っていた以上に写真と実際のフォーメイションを照合し、
図解のように解析していくのが楽しくて、3日もかかってしまいました。

それもこれも雷蔵さんがおっしゃるように、一回のイベント出動で
あまりにも大量の写真を撮りまくったからといえます。

ブルーの写真を撮ったことがある人ならわかっていただけると思いますが、
他の航空機のときより、確実に何割か増しで気が盛り上がるというか、
アドレナリンの噴出度合いが違うんですよね。
写真を撮っている人はもちろんのこと、普通に見ている人たちにとっても。

わたしの後ろで見ていた初めてらしいおばちゃんが、
スローロールやタックで近い距離をブルーの機体が通り過ぎるたびに

「速いっ!!!・・・・はやいッ!!!!!!」

とそれだけをなんども大音響で叫んでいましたが(笑)、誰にとっても
ブルーインパルスとは、まさに「青い衝撃」そのものなのでしょう。



上向き空中開花が終わり、その航跡がまだ消えないうちに、

 STAR CROSS(スタークロス)

が始まりました。
5機が青空に星を描きます。



星のエッジでピタリと航跡を描き終わるのは、とても飛行機を操縦しながらでは
タイミングが確認できないと思うのですが、地上から指示が出ているのでしょうか。

スタークロスは天気の良い日にしか行われない演目で、難易度も高いそうです。
他国のアクロバットチームがこれをやろうとして空自から資料をもらい
試してみたそうですが、操縦技術の細かさが再現できなかったという噂あり。

これを行うのは世界でもブルーだけのオリジナルです。



5番機と6番機で行った演技。
フォーメイションの名前はわかりませんでした。
2機がロールしながら平行に上昇し、



同時に一気に近づきます。
直線に向かい合ってロールをしながら進み、ギリギリをすれ違う

オポジット・コンテニュアス・ロール

とはまた別の難易度に思われます。



オポジット〜の時には、視覚のトリックを用いていて、ギリギリをすれ違っているようで
実は2機の距離は会場後方に向かって50メートルとかなり離れているのですが、
これは距離を十分離していたとしても、ロールのあとのクロスなので、かなり難しそうです。



5番機が単機で侵入してきました。



そのオポジット・コンティニュアス・ロールをしている5番機。
5番機だけを追いかけていたため、6番機とすれ違う瞬間を取り逃がしましたorz



この時の機体を超アップしてみると、パイロットはどちらも向こうを見ています。



1番機から4番機までで行う

ROLLING COMBAT PITCH(ローリングコンバットピッチ)。




正面から見ると斜めの線に見えるエシュロン編隊で進入し、
その隊形の一番下にいる機から順番にロールを行っていきます。


 
すると、このような(フレミングの左手の法則みたいな?)
ねじれたシェイプが出来上がり。 



ソロを行うのは5番機か6番機とされています。
5番機は、万が一1番機に以上があったとき、代わりに残りを統率する任務を負います。

1番機と5番機には当然ですが、飛行班長クラスのベテランが搭乗します。

今回、アナウンスを聞いていてへえと思ったのは、
メンバーの中に明治大学出身のパイロットがいたことでした。

ホームページによると、隊長の2佐が防衛大学校出身である以外は
ほとんどが航空学生の出身で、一般大卒は2名となっています。

ブルーのメンバーになれるのは、技術的に特に傑出している航空要員のはずなので、
若い時から飛行機に乗ってきた航空学生が多いのは当然かもしれませんが、
一般大学出身でも、ブルーの隊員になれる可能性は同じようにあるということなんですね。



ダイナミックな航跡を描くので人気のある

WIDE TO DELTA LOOP

は、1番機から5番機までで行います。



編隊の形はデルタですが、後方から侵入してくる時には広い間隔を取っています。
そのまま観客の頭上を通過し、その後急上昇に転じます。



頂上に達する時には機体同士の間隔はかなり狭まっており、
そのまま折り返して垂直降下を行います。



お待ちかね、


CORK SCREW(コークスクリュー)。

コークというのはコルクのことで、つまりコルクの栓抜きです。
わたしが最初に入間航空祭に来た年には、演技の途中でバードストライクがあり、
そのまま中止になったため、最後の方に行われるコークスクリューは見られませんでした。

確か、そのとき事故機に乗っていたドライバーは、この日を最後に引退だったので、
なんともお気の毒、と思った覚えがあります。


コークスクリューは2機がアブレスト隊形(並列横並び)で侵入してくるとのことですが、
いつも気がついたらもうすでに演技が始まっています。



背面で航行する5番機の周りで、6番機がバレルロールを行います。
スクリューの「芯」になる5番機が背面飛行するのは、普通に飛ぶだけでは
ロールを繰り返す6番機に比べて、技術的に楽に見られるからじゃないでしょうか。

違うかな。



何回もこの演技を見たわけではありませんが、今日のロールはとても綺麗だと思いました。



スクリューの回転半径はの大きさ、つまりロールの角度は決まっています。



3回転目にはいる6番機。
コークスクリューは3回転行われます。



5番機と6番機のこのときの距離は、20mもないように見えます。
実際に飛んでいる両名には手の届きそうな位置に思われるでしょう。



2機による演技ですが、もっとも会場を沸かせるので、
大抵最後のクライマックスとして行われます。



3回転目、終わりー。
正確には6番機は3回転半、5番機の周りを回転することになります。



回転を終えた「スクリュー」の方は、背面の5番機と平行になるように近づきます。
このときのロールの角度は270度と決まっています。



これが「半周」回転しているということらしいですね。
この後、5番機と6番機は着陸進入を行い、そこまでが「コークスクリュー」です。



自分の残したスモークの航跡の中に突っ込んでいく演技後の6番機。



一生に一度でいいから、こうやって自分の出したスモークをくぐってみたい、
ブルーのコクピットからの景色を見てみたい、と憧れる人はたくさんいるのではないでしょうか。


ブルーインパルスのメンバーは立候補と指名、どちらによっても決められ、
かつては指名されるメンバーの方が多い時代もあったそうですが、
今はほとんどが志願し、かつ難関をくぐり抜けてなったドライバーだそうです。

メンバーは基本的に任期は3年間だけで、1年目は訓練待機といって修行期間ですが、
この時期に彼らはしばしばアナウンスを担当することがあるのだそうです。

この日のアナウンスを行ったのが、ドルフィン見習いだったのかどうか
確かめることはできなかったのですが、(わたしが聞いていなかっただけかも)
もしそうなのだったとしたら、ブルーが去った後、飛来したカラスをアドリブで
「一機侵入」と説明したのも頷けます。




というわけで、コークスクリューでプログラムは終了したのですが、このブログ的には
バーティカルキューピッドのハートで演技の最後を締めくくりたいと思います。

いつも思うのですが、このハートの始まりの部分、どうやってこんなきっちりと一つのところから
スモークを出すことができるのでしょうか。




フランス空軍のアクロバットチーム、パトルイユ・ド・フランスは
「ラ・クール」(そのまま心臓という意味)という大技を持っています。

なんと、3機+3機で赤青の2色ハートを描き、そのハートを
白いスモークの2機が射抜くという・・。

coeur de la patrouille de France



で、どんなものか探してみたのですが、こんなのでした。
なんかブルーインパルスの方が普通にうまくないですか?

たまたまこのときだけこんな不細工なハートになってしまったのかと思ったけど、
他の映像も大体似たり寄ったりだったし、だいたい3機で線描いてないし・・。

探してみたのですが、ハートを描くチームは、ここと韓国のブラックイーグルスくらいでした。
韓国チームがこれを取り入れたのは、おそらくブルーインパルスより後と思われますが、
何から何まで日本の真似では沽券にかかわるということなのか、
その名も「ビッグハート」で、ハートを描くだけ。それを撃ち抜く矢はありません。 




今日のハートは風が少ないのでとても綺麗です!
4番機の描く矢がまっすぐ突き刺さって行き・・・、




ずきゅうう〜〜ん!

とハートを射抜いてくれました。
ブルーインパルスの演技にハートを射抜かれた人もきっとたくさんいたことでしょう。


と、ベタな締めですみません。
続く。

 

 

外来機帰投と「やわらかC-1」〜平成27年度入間航空祭

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戦い済んで日が暮れて。
20万人の観客(プラス近隣住民と外で見ている人)の視線を
その飛翔と駆動に釘付けにしたブルーインパルスの演技も終わりました。

入間航空祭のイベントはこれを以って全て終了となります。

あとからプログラムを見ると音楽隊の演奏会や那覇基地からの「エイサー」、
入間修武太皷やわざわざ佐渡分屯基地からの「鬼太鼓」演技など、
例年どこでやっているかもわからないまま終わってしまう催し物に混じって、

「警察犬訓練展示」

というのが行われていることを知りました。
うわー、これ見たかったなあ。
入間基地には実は

中部航空警戒管制団 基地業務群管理隊 警備小隊歩哨犬管理班

という部隊があるらしいんですが、これ自衛官が犬の訓練をするわけ。
空自は知りませんが、海自の警備犬はなんと軍階級を持っているそうです。
しかもそれが「2曹ないしは3曹」。

するってーと何かい?
海自には犬より階級が下の人間様じゃなくて自衛官が普通にいるってことかい?
そしてやはりポチ3曹に海士は敬礼するのか?!

ちなみに警備犬・歩哨犬のシステムを持つのは海自と空自で、
なぜか陸自には犬はいないそうです。理由はわかりません。



さて、プログラムには一応ブルーインパルスの演技の後に

「F-15&F-2帰投」

と書いてあります。



わたしが招待者席を出てエプロンを歩いていると、
いつの間にかF-15が帰って行ってしまいました。



Fー15はこの後会場をパスしてから帰って行きましたが、
ちょうどそのとき取り込んでいて写真は撮れませんでした。



続いてF-2がタキシング。



ところで、わたしの近くに二人連れの装備がっつりカメラのおじさんズがいたのですが、
そのうち一人はなんと航空無線を傍受することのできる受信機を持っており、
管制塔とパイロットの会話を聞いたりしていました!

おじさんたちが手に持っている時には聞こえなかったので、
バッグの上に無造作に置かれている時に、わたしはじりじりとにじり寄って、
写真を撮るふりをしながら(笑)聞き耳を立ててみたのですが、
ちょうどそのとき、帰投するF-2と管制塔の交信が入っていました。

専門用語を記憶するほど聞き取れなかったのは残念ですが、最後に
管制官(女性)がお別れの挨拶をすると、きりっとした声のパイロット(若かった)が

「どうもありがとうございました。さようなら」

と飛びながら(この写真の直後)告げたのが印象的でした。
飛行機と管制塔の間でも専門用語だけでなく、こんな挨拶を交わすんですね。



さて、この後の帰投は、プログラムにないため、順不同です。
チヌークさんとチェッカーズはここの所属機だからもうおやすみモード。



F-5ドルフィンズも整備終了〜。



コクピットに梯子がかかっているのは明日の飛行作業のためかな?



大型機を牽引する車両だと思います。
さりげなく3人乗りなのがすごい。



海自のSH-60は帰投準備中です。

後ろに見えているマンションですが、去年の航空祭の時には工事中でカバーがかかっていました。



P-3Cオライオンが移動中。これから下総基地に帰ります。
多分飛行所要時間は20分以内だと思う。



ヒューイくんも帰投準備。



OH-1ニンジャももうすぐ飛び立ちます。
ヘリの帰投は手軽というか、話が早い。

これら外来機は航空展示を行うためだけにやってきます。



カイユースの周りに空自の整備員がたくさんいますが、
全員が頭につけているヘッドフォンが赤黒、黄、青と色とりどり。
ミッキーマウスみたいで後ろから見るとかわいいです。



前列のカメラ隊は一向に動きません。
このころから場内は繰り返し

「今日はブルーインパルスの帰投は行われません」

というアナウンスが流れました。
この日、どこかの飲食店でブルーの隊員の打ち上げに遭遇した、という
なんとも羨ましいご報告をコメント欄でいただきましたが、
彼らはこの日帰投せず、次の日陽が高くなってから帰ったようですね。
 

ちなみに演技が終わってから、隊員にはミス航空祭からの花束贈呈が行われたようですが、
案の定わたしの席からは機体すらみえていませんでした。



防衛大学校の学生さんが(制服なのでおそらく1年生?)いたので、
飛行点検隊のハンガーを撮るふりをして一枚。

ちなみにこの日、親に連れてこられた子供達はいっぱいいたわけですが、
「早く帰ろうよおおお!」とぐずる男の子がいるかと思ったら、

「ヘリコプター見たい!ヘリコプター見たいよおおお!」

と叫んでいる女の子がいたりして、同じ子供といっても、
趣味や指向傾向に基本男女差はないのだなあと思わされました。



さて、ヘリコプター帰投1機目は海自のSH-60Kでした。
帰投先は横須賀かな?



人垣の中から浮かび上がるOH-1。



ニンジャくんはいつもお辞儀をしてくれるんだけど、今回はどうかな。



あれ?案外そっけないのね。
テールの先のランプがキュート。



ヒューイ、UH-1が浮き上がりました。
後ろの隊員は窓から身を乗り出して後方を確認しています。



なんかいままでになく観衆が熱心に手を振ったりしているのはなぜ。
と思ったら、後方を確認していた隊員が窓を閉める前に
みんなに向かって手を振ったためでした。



OH-6、フライングエッグことカイユースも浮上。
テールについている紅白のペラがまるでリボンみたいでかわいい(笑)



カイユースなら・・・カイユースならやってくれる!



正面向いて・・・。



深々とお辞儀。
おい、みんなもう少し見てやれよ(T_T)



丁寧にお辞儀をした後はプルプルと可愛らしく行ってしまいました。



ところで、招待者は専用のバスで入り口まで帰ることができ、わたしなど
帰りは楽でいいわと思っていたのですが、写真を撮っているうちに招待者席は誰もいなくなり、
それどころか、その方向からはロープを持った隊員たちが、まるで追い込み漁で
でクジラやイルカを追い込むように、人をエプロンから出口に追いやっているのでした。

こうでもしないと、いつまでも誰も帰らないからですか。



P-3Cの帰投を見てから帰ろうと思っていたのですが、わたしも
追い込み漁で追いやられたため、帰ることにしました。

ところで、入間航空祭シリーズの初日に予告編としてアップした
あの衝撃的な画像について、もしかしたらブルーインパルスの演技より
楽しみにしていたという人も中にはいるかもしれません。



どおおお〜っ!(効果音)

この画像を上げたところ、さっそく打てば響くように

航空自衛隊の最新鋭ちょー最高機密兵器「やわらか戦車」の空自版「やわらかC1」

であるという解説を匿名の軍機でいただきました。さらしてるけど。

その機体の柔らかさは敵のミサイル・弾丸に当たっても、柔らかいので
衝撃を吸収してしまいへっちゃらだとか。
最高機密は空中で飛行機のくせして「後ずさり」ができるとか。
勿論、胴体の膨らみ部分にはキャタピラを収納してます。


♪ や〜わらかシーチのね〜がいはひとつ、
   生きのびた〜い 生きのびた〜い ♪

というテーマソングが聞こえてくるようではありませんか。



行きはバスだったので気づかなかったのですが、航空自衛隊、
こういう渾身のジオラマを入間基地総力を挙げて作っておったのです。

まず、芝生で描かれた「ENGINE」という大直球のロゴ。
なにがエンジン?

やわらかC-1の前には「イルマベース」の表示があります。
どうやらこれはバトルフィールドを再現しているのか?



夕刻の激しい風に煽られまくっていた航空機はU4と向こう側のF-2。

いましも空挺降下せんとするバルタン星人!



迎え撃つ地上軍はウルトラマン(セブンかな)が指揮隊長です。
空挺によって我が陣地を攻略しようとするバルタン星人部隊を歩兵で撃退しようというのです。



さらに詳細を見てみましょう。

あっ!パンダです!パンダが2頭います!

これは、1年間に数億のレンタル料を払ってまで中国に押し付けられたパンダを
人質じゃなくてパンダ質に、有利な交渉をしようというのでしょうか。
それとも盾に猫をくくりつけてエジプト軍と戦ったペルシャ軍みたいなものか?

パンダがかわいそうで攻撃できないあるヨー!
・・・って、バルタン星人はそもそも中国人民軍なのか?

更によく見るとTーレックスと普通のワニ、
戦場になった牧草地で草を食んでいる牛さんもいます。
自分たちの安住の場が戦場になってしまった牛さんの心痛やいかに。



ダイヤモンド隊形で匍匐前進を行う小隊あれば、
突撃の果て草生す屍となって大地に斃れる兵あり。

嗚呼・・・・・って、よく見たらなんで白くまとかキリンとかサイがいるんだよ!
ここは動物園か?群馬サファリパークか?



・・・とこのように、制作した隊員の遊び心溢れる、カオスなジオラマでした。
日本はとにかく平和であると実感できた気がします。


ここから出口にたどり着くまでの間、何人かの自衛官は来場者の求めに応じて
一緒に写真に収まるというサービスを行っていました。



片付け中、年頃の女性たちに声をかけられた空士くんたち。
こんなことがあると基地祭は隊員にとっても励みになりますね。

さて、このあと、池袋行きの西武線に乗るのに、だいたい1時間くらいかかったでしょうか。
去年より9万人、「空飛ぶ広報室」の年の32万人より12万人も少なかったとはいえ、
20万人の人々がほぼ同じところから帰っていくのですから当然です。

このあとわたしは最寄駅前に駐めた車に乗って、眠気と戦いながら帰宅しました。



そうそう、大事なご報告があります。
招待者にはもれなく(かどうか知りませんが)こんな袋をいただきました。
中にはパンフレットと、



のし紙のついたこんな箱が入っていました。
C-1饅頭かF-15撃!煎餅かしら、と思って開けてみると、



どおおお〜ん(効果音)

雷神風神と「入間基地」という文字をあしらったった豪華写真立てが!
これ、プラスチックなんかじゃないの。ちゃんと塗りなんですよー。
うう、とにかくありがとう航空自衛隊。
やわらかC-1の写真でもプリントアウトして入れて記念にしますー。


というわけで、入間航空祭シリーズ終わりです。
ご愛読ありがとうございました。







 

平成27年度自衛隊音楽まつり・オープニング

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今年も自衛隊音楽まつりに行ってきました。
ブログを始めた5年前にはそんな催しが世の中にあるとも知らず、
自衛隊関係の情報に触れると同時にこれは是非行ってみたいと熱望していたのですが、
3年前からチケットをいただけるようになり、連続参加すること通算6回目。

今回実は2カ所からお申し出があったのですが、必要なら送る旨連絡が来たのが2日前。
すぐに返事をしたものの、金曜2時からの公演にもかかわらずポストに届いたのが4時半でした。

チケット無駄にしてすみません、とお礼かたがたメールをすると、

「ブックマークかなにかにしていただければいいので、気になさらないでください」

という慈悲溢れる慰めのお返事をいただきました。
さすがはユーモアを尊ぶ海軍の末裔、この天然の破壊力には完璧に脱力です。
元海上自衛官侮りがたし。


さて、こうなったからには、土曜日の公演一本に全力投球です。
とりあえずこの場合の「全力投球」というのは、早く行っていい席を取る、
ということに他ならないのですが、一緒に行くつもりだった息子は相変わらず

「聴きたいけど並んで待つのはイヤ」

と参加を辞退したので、わたしは前回の観艦式でチケットを融通し合った
同好の士に前日になって連絡し、参加を誘いました。
自衛隊イベントには必ず参加、カメラに詳しい、自衛隊ハードウェアにはもっと詳しい、
政治思考だいたい方向同じ、歴史も勉強している、自分の国が好き。

だいたいこんな人であれば、たとえその他の部分が全く合わずとも、
オタトークだけで 何時間でも過ごせるものなのです。(経験談)

しかも相手は年季の入ったポジションゲッター、その豊かな経験から
どのイベントにはどう並んでどこを抑えればいいのか熟知する達人とくれば、
これはもう大船に乗った気で当日を迎えられるというものでしょう。



車で北の丸公園の第2駐車場を目指しました。
到着したのは11時半。公園内の車道を進むと、武道館手前でUターンさせられ、
二つある駐車場のうち一つを待つ列に並ばされます。
Uターンしてすぐ、車列整理の隊員が近づいてきて、

「今から並ばれても駐車場には入れられないかもしれません」

と窓越しに深刻な顔で言います。
わたしは、12時に終わる第一回公演に来た人の車が出て行けば、
かなりの数が入れると踏んでいましたし、たとえそれで入れなくても
第3回目の6時の入場時間までにはなんとかなるだろうと思っていました。

しかし彼はさらに

「車で来場するのは一応ご遠慮くださいとごにょごにょ」

と言い募るので、

「(持っているチケットは)6時の回なので、5時までに入れなければあきらめます」

と言って彼の進言を無視して待ち続けました。
どうやら彼は、そう言ってあきらめさせ、車の数を減らす役割だったらしく、
それからしばらくすると、何台もが後ろの列から離脱して公園を出て行きました。
まあ、2時公演の人は間に合うかどうか、この言葉で心配になったかもしれませんね。

しかし、この直後大量に1回目公演を終えた車が出て行ったので、
するすると列は進み、あっという間に駐車できてしまいました。
そこで車の中から相棒に電話したところ、驚きの返事が。

「6時公演の列の一番前にいます」

な、なんだってー!
さすがは達人、2回目公演も始まっていないのに、すでに3回目公演の列に並ぶ男。
なんでも、整理係の自衛官に言って第三回公演用の列を作らせたということでした。



観艦式の時に真っ暗な中車を走らせたのに、それでもゲットできなかった
「列の先頭」になれたというのが、今回の最大の収穫だったかもしれません。

列の先頭、だからそれが何、と思われそうですし、実際少しそう思っている自分もいますが(笑)



この日は朝から雨模様。
傘は要ったり要らなかったりでしたが、待っていたところはちょうど木の下。
公園の鳩さんたちも木陰で雨宿りしています。



あるとき大量のスズメが周りで何かをついばみ出し、皆の注目の的に。
わたしの足元にも近づいてきたのでカメラのチェックを兼ねて一枚。



二人で待っていて良いことは、代わりばんこに休憩に行けることです。
まず並びだしてすぐに交代でお昼ご飯を食べに行き、3時過ぎにはコーヒー休憩も。
九段下に抜ける門、実はここを通るのは初めてです。



皇居から続いているお堀の緑が深く目を奪われました。
九段下にはスターバックスが2軒あり、30分だけ暖をとりました。
それほど寒いという気温ではありませんでしたが、それでもずっと外にいると
冷えてくるんですよね。

こんなこともあろうかとわたしはいつもお馴染み、携帯椅子を持って行ったので、
お互い一人で待っている間に大変役に立ちました。



やっぱり屋台を出している東京地本協力本部。
雨でしたが、試着コーナーは結構人気がありました。



なんかきたー。
というか、このキャラわたし的にすごく見覚えがあるんですけど・・・。
と思ったら、

整理整頓自衛官

これだ。
このページの「陸ボーイ・タクマ君と陸ガール・ユウちゃん」じゃないか。

このゲームで73730点を叩き出し、ついコメントで自慢してしまっているのは
何を隠そうわたしの黒歴史です。

この二人ともツイッターアカウントを持っているけど、最後に呟いたのは1年前の音楽まつり。
やる気あるのか。

さて、そんなこんなであっという間に入場時間になりました。



2階の真正面・・・。(呆然)
確かにここは見やすい。前に人がいないし。
だけど、ぶっちゃけ前のマイクが邪魔だったのよね(涙)


同じところの最上段にあだちビデオさんのクルーがいたけど、
案外ここの方が適度にフォーメイションも見られてよかったのかもしれません。
ま、次回の参考にってことで。



最終的にはこの会場の、黄色いシートまでが満席になりました。



少し体を浮かせればこんな景色も見えるし・・・。
それにしてもすごいモニター装置!



どれだけ望遠でキッチリ撮れるかテスト。
ちゃんと目盛りの数字も読めますー。



モニターで開始前なんども流された音楽まつりPRビデオ。
今年のテーマソングだったエルガーの「威風堂々」2番に合わせて
音楽まつりに出場する部隊の隊員が歩いてくるものです。

市ヶ谷の儀仗広場を歩くのは302保安警務中隊の儀仗隊員。



バトンを持ち、たすきを纏って護衛艦繋留中の岸壁を歩くドラムメジャー。



そして最後に楽器や大道具の設置を行う演技支援隊の陸自隊員。
既存の部隊ではなく、このために東部方面隊から選抜されます。
ここは朝霞駐屯地かな?

このほか、ロングスカートの裾さばきも凛々しい歌手の三宅由香莉三曹や
クラリネットの女性隊員もいました。



さて、ステージ奥のバンドステージに空自の音楽隊員がつきました。
オープニングバンドの指揮は空自の航空中央音楽隊隊長だからです。



正式のピアニストなのか、専門外で上手い人かはわかりませんが、キーボードを
弾いていたのは男性隊員でした。

なんかすごく聴き覚えがある曲だと思ったら、自分のiPodに入ってる曲でした。
「ファイナルファンタジー」の名曲「ザナルカンドにて」。

【FFⅩ】名曲 ザナルカンドにて 高音質

いい曲です。



続いて「宇宙戦艦ヤマト」から、「無限に広がる大宇宙」をスキャットで。
この「空自の歌姫」のお名前はわかりませんでした。
隊長とドラムメジャー、指揮官だけしか名前を出さないプログラム・・。

YAMATO BGM 無限に広がる大宇宙


ちなみにこんな曲です。
昔のアニメの絵の雑さに思わず見入ってしまいました(笑)



オープニングでこのあと「ヤマト渦中へ」「大河ヤマトのテーマ」という、
「ヤマト」挿入曲を入れてきた自衛隊。

すでに「宇宙戦艦ヤマト」は全自衛隊公認テーマソングであるという感じです。

「誰かがこれを やらねばならぬ 期待の人が 俺たちならば」


うーん、深い・・・。



プロローグが終了し、第302保安警中隊が入場。



第302保安警務中隊隊員になるには身長始め体格審査にパスしなくてはなりません。
彼らの行進はいつ見てもぞくぞくするほどスマートです。



国旗が入場してきました。
武道館にはご存知のように天井から大きな国旗がいつも下げられているのですが、
それとは別に国旗に敬意を表するため、儀仗隊によって国旗入場があります。



国旗に対し、国歌君が代が吹奏され、観客は起立斉唱します。
指揮者のベルトのバックルからこ、光線がッ!




プロローグ並びにオープニング指揮は航空自衛隊航空中央音楽隊の隊長、
水科克夫2等空佐でした。(敬礼)


今回のテーマは「道」だということです。
いよいよ平成27年度自衛隊音楽まつりが始まりました。

続く。 

陸自の歌姫と米空軍の「ハナミズキ」〜平成27年度 自衛隊音楽まつり

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音楽まつりに出演する地方の音楽隊は年によって少しずつ違います。
陸空海のメイン音楽隊(防衛大臣直轄のもの)である海自東京音楽隊、
空自航空中央音楽隊、陸自中央音楽隊以外は駐屯地、方面隊、地方隊所属の
音楽隊ということになるのですが、それらは毎年持ち回りで出演します。



まずは陸上自衛隊東北方面音楽隊の演奏。
東北民謡である「斎太郎節」とミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の
フュージョンという面白いプログラムできました。



ドリルだけでなく、空自がよくやっている「旗振り」トワラー投入です。



前で「ブーン」している人がいる・・・。
トワラーのいでたちは着物のイメージで、旗は大漁旗でしょうか。



斎太郎節のあと、「マイ・フェイバリット・シングス」「すべての山に登れ」
など、サウンド・オブ・ミュージックの名曲がメドレーで繋がれます。



旗を投げ上げて受け取る技ももちろん失敗なし。
事前に流された練習映像では落としている人もいましたが、
さすがに本番では皆ピタリと決めてきます。



いつの間にか「すべての山に登れ」と「斎太郎節」が一緒に鳴っていました。



続いては陸自中部方面音楽隊ドリル演奏です。
伊丹駐屯地に拠点を置く音楽隊で、この制服のかっこよさは異常。

今回もしかしたらもっとも注目が集まったのではないかという理由に、
「進撃の巨人」のテーマソングを「超高速ドリルとともに」行う、
という予告があったことがあります。

音楽まつりで他国軍のドリルと自衛隊のそれを比べていて思うのは、
ドリルのキレというか、極限までステップを細かく刻むことを、日本のブラバンは
もっとも重視しているのではないかということです。 

米軍音楽隊はそういうのとはまた別のところに重きを置いているように思いますし、
ましてや他の国、今回ゲストだった韓国軍バンドなどは、全く問題外でした。

この「超高速ドリル」予告にわたしと連れは大変ウケてしまったわけですが、
その少し前に「ブルーエンジェルス」がGスーツもマスクもなしで飛ぶという話をしていて、

「伝統とはいえ、彼らは何に挑戦してるんでしょうねえ」 

と言いあったことを少し思い出したりしました。
日本のブラバンっていうのは・・・何しろ独自の体質と世界観を持っていましてね。
音楽関係者から見てもそれは時として異質なものなのです。



そして、今回注目陸自イチオシの新人歌手、鶫真衣1等陸士。
この可愛らしい「陸自の歌姫」が、「進撃の巨人」のドイツ語の部分を歌いました。



可愛らしいだけでなく、透明感のある伸びのいい声質を持った歌手だと思いました。



普通歌手の体が出来てくるのは30歳くらいからと言いますから、
20代前半はまだまだ「発展途上」です。
彼女はこの若さでこれくらい出るのですから、先が楽しみです。



しかし、わたしが本当に驚いたのは、彼女が歌い終わってすぐ
キーボードの前に座り演奏を始めたことでした。



どうやら鶫1士は専門の歌手ではなく、ピアノが本業であるようですね。
ということは、楽理を含む音楽的な基礎については完璧にできているということです。

しかし自衛隊、本当に人材豊富だなあと思います。

こういう人材が集まってくることに先鞭をつけたのは、もちろん
海上自衛隊の三宅由香莉3曹であることに疑いの余地はありません。



超高速ステップ作動中(笑)



ホーンセクションの中心でサックスのメロを取るのは女性。



「進撃の巨人」はいずれにせよどこかが取り上げたと思いますが、
真っ先に選曲した当音楽隊の機を見るに敏な作戦勝ちと見ました。



わたしは観ていないし原作も読んでいないのでわからないのですが、
話に通暁している人にはわかる演出だそうです。



当音楽隊独特のこの赤のタスキのようなスカーフのような、
これがズボンに挟んでいるだけだとしたら踏んだりして取れないか、
ということが個人的には気になりました。







アメリカ軍のトップバッターは米空軍太平洋音楽隊。
何回か音楽まつりに来ていて、空軍のパフォーマンスを見るのは初めてのような。

いかにもアメリカらしく、ジャズのチューンでのオープニングです。



「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」を歌うこの三人の軍人さん。
粒ぞろいの美人トリオをいきなり投入してきました。



センターの人が一番うまかったです。
ネクタイをシャツのボタンの中に入れてしまっているのが粋です。



この腰つき、いいねいいね〜!(ってわたしはおっさんか)
しかし、この雰囲気、どこかで見たぞ。



これだ。
アンドリューズ・シスターズ。

そういえば「ブギウギ〜」はこのコーラストリオの持ち歌。
彼女らのこのいでたちは、第二次世界大戦の時に彼女らが
ヨーロッパ戦線に頻繁に慰問に行っていた時のものでした。

この一番右のラバーン・アンドリューズは、
つい最近の2013年、94歳の天寿を全うして亡くなっています。



続いて、ここでこれを持ってきますか?いいとこ取りすぎてずるくね?みたいな文句無しの名曲。
サクソフォーンをクラリネットに持ち替えて、グレン・ミラーの
「ムーンライト・セレナーデ」の美味しいソロを取る奏者。
(サクソフォーンとクラリネットは機構が似ているので大抵どちらも吹ける)

わたしはこのクラリネットソロで思わず鳥肌が立ってしまいました。


そしてここで、米空軍から我々日本人に、心温まるプレゼントが!



なんと空軍の”アンドリューズシスターズ”が、日本語で「ハナミズキ」を
歌ってくれたのでした。



しかもその時のモニターの映像には、水害の時、出動してくれた
空軍のパイロットと少女の映像が・・・。

これは泣ける。



これもその時の写真だと思うのですが、物資を受け取っているおじいさん、
「金」と書かれたシャツ、毛沢東の写真等を貼り付けたカバンと、なんだか微妙な・・・

ま、これが日本人であると疑わないのがまたアメリカ人らしいというか。
(実際日本人かもしれませんし)



そして、最後に敬礼をするのは、小柄ながらきりりとした女性だ!
アメリカ空軍太平洋音楽隊隊長、クリスティーナ・ムーア-ウルティア少佐と仰せられます。

Major Cristina M Moore Urrutia

太平洋音楽隊というのは、横田基地とハワイのヒッカム基地に拠点を置いて
活動している音楽隊で、ムーア-ウルティア少佐の専攻はホルン。
卓越したホルン奏者でありながら指揮法とオーケストレーションの学位を取り、
軍での活動歴は1992年、ネブラスカ州州兵軍楽隊を最初に、2001年から米空軍で活動、
彼女の在職したバンドは多くの賞を獲得するなど、優秀な指揮官として評価されています。

この凛々しさから、指揮台からひと睨みしたら大の男が震え上がったり、
指揮棒でびし!っと間違えた指を叩いたり、というような妄想をついしてしまいました。
HPの写真を見ると、完璧な歯並びで(ホルン奏者ですからやっぱりね)微笑んでいますが、
目に妙に凄みがある(個人の感想です)ので、やはり厳しい指揮官なのかもしれません。



続く。










 



「花は咲く」とJ( '-`)しカーチャン〜平成27年度自衛隊音楽まつり

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二日を費やしてまだ第1章の終わりにも来ていないという、
大変先行き不安なブログ展開ですが、とにかく進みます。



鉄火お嬢さんのコメントで自分がこれに突っ込み忘れたのに気付き、
急遽写真を差し入れました。

第一部の「進撃の巨人」の時の指揮者の後ろ姿です。
目の前のマイクと一体化してわかりにくいですが、どうもこれ
電球なんかが見えていて、いかにも手作りっぽいですね。
多分どこかでこの電球が点灯したのだと思うのですが、
気付いてあげられず気の毒なことをしました。


さて。

小粋な女性ジャズボーカルトリオとグレンミラーサウンドで
古き良きアメリカにタイムスリップしたかのような ひとときを
見事に演出してくれたアメリカ空軍太平洋音楽隊の演奏が終わりました。



続いては打って変わって、日本の伝統である太鼓演奏です。
自衛隊全員で行う「自衛太鼓」とはまた別に、航空自衛隊中央音楽隊は
空自に創設された二つの自衛太鼓との融合によって、いつものスマートな空自の
ステージにちょっと複雑な陰影を生み出すことに挑戦したようです。



まず、空自所属の(といってもクラブ活動ですが)二つの太鼓軍団、
「芦屋祇園太鼓」と「入間修武太鼓」が交互に腕を披露。
彼らの着ているシャツは、まるでいなせな若い衆が入れている刺青のようです。



次の瞬間、いつものブルーと白の制服のバトントワラー登場。
空自はいつも空のイメージの選曲で楽しませてくれますが、今回は「蒼き空」と
「蒼空」というオリジナル(たまたま同じような題)を同時に演奏しました。



これもいつも通り、青と白のロングドレスの「旗ヒラヒラ系女子」投入。
こういうものを持ってマーチングバンドに参加する人を「カラーガード」といいます。
旗の色が去年と微妙に違う気がしますが、毎年作るのでしょうか。
旗の柄を空に向けているのは、



トワラー越しに向かいの人に旗を投げ渡すため。
難しそうですが、失敗がなかったのも練習のたまものでしょう。



曲はアニメ「宇宙兄弟」より「ロケットロード」。
わたしは初めて聞きましたが、実に空自好みのスピード感あふれる雰囲気です。

[宇宙兄弟] ロケットロード


そして、宇宙つながりで曲は次第にホルスト作曲「惑星」より、「ジュピター」へと・・。

 

そこですかさず太鼓隊が出てきて、「ジュピター」に合わせてドンドコドンと・・。
こんなコンビネーションが聴けるのも自衛隊音楽隊ならでは。

ここで太鼓を投入しなくてはいけない意味は、正直全く感じられませんでしたが(笑)
それはともかく、目で見る効果と相まって「音楽まつり」らしくていいと思いました。



ドラムメジャーは吉川隆一空曹長。
長手袋の赤い飾りが空自の制服の地味ーなブルーに映えて実に美しい。

蛇足ついでに言わせて貰えば、空自の制服がどうにもどこか垢抜けないのは(失礼)
デザインにポイントがないせいではないか、とわたしはファッション的観点から思っています。
画竜点睛に当たる反対色をどこかに効かせれば、ブルーも活きてくると思うんですがねえ。
たとえばそれはこの写真でも明らかなように、赤。
フランス海軍のようにブルーをベースに赤と白をどこかにちらっと見せるとかね。
何と言っても赤は日の丸の色なんですから。

でもあれかな、日本のお役所というのはデザインの良さより実用優先なのかな。
その存在さえしのごの言う連中がいる現状では、制服に「粋」など追求している場合ではない、
っていうことなのかもしれませんが。


さて、空自中央音楽隊の演奏後、その場に先ほど演奏した陸自中部方面音楽隊が
合流し、三つの音楽隊による合同演奏が行われます。



曲は、「花は咲く」。
東日本大災害で命を失った人の魂が呟くという内容の、この歌。



三音楽隊合同演奏ということですが、米空軍からは歌手二人だけが参加して、
我が陸自の歌手鶫1士と三人のコーラスを聞かせてくれました。




「ハナミズキ」に続いて、またも日本語での歌唱に観客は大喜びです。



われらが鶫さんもこういう歌にぴったりの真摯さを感じさせる声で。
しかしこうしてみると本当に美人さんですね。

 

空軍の「アンドリュースシスターズ」のお姉さんも、日本語お上手でした。



この曲については、その成り立ちと某公共放送局の一時の「ゴリ押し」に
反発する気持ちから、「似非応援曲」などと誹謗してしまったこともあります。
純粋に音楽的観点からみると、今でも同じ意見であることは変わりないのですが、
しかし、それから年月が経ち、この曲が演奏された数だけ、
数え切れない回数誰かの心に響き、誰かの悲しみを慰撫し、誰かの涙を誘い、
人々の思い出に寄り添う曲となって今日に至るということも事実です。

つまりこの曲は、そういう無数の人々の思いを受け止めてきて、
”言霊”に相当する歌としての命が吹き込まれていると思うのです。

そんなことを考えながら彼女らの透明な歌声に耳を傾けていると、わたし自身が
永遠に別れを告げた親しい人々の顔が浮かび、つい胸に迫るものを感じてしまったのでした。




「はいみなさんご一緒に〜」

そのためにモニターに歌詞が出ていたんですね・・。
しかし、わたしの周りでは相変わらず誰一人歌っていませんでした。

前にも言いましたが、聞くだけならともかく、この曲を歌うのは、
一般人には少し音楽的に敷居が高いんだと思いますよ。はっきり言って。

この「花は咲く」で第一部は終了です。



第二部には「大地と海と無限の道」というタイトル付き。
これは米海兵隊、米陸軍、そして陸自がセットになっているからですが、
毎回違うテーマをひねり出す企画の方は本当にご苦労だと思います。

第二部オープニングは防衛大学校儀仗隊のファンシードリルです。



まずは全員入場後ご挨拶。
防大はこの日開校記念祭と重なっていたため、こちらに出演しています。
彼らの優先すべきは自衛隊行事、なぜならば彼らはすでに国家公務員の身分なのです。



銃の投げ上げというのはやはり失敗しやすいポイントらしく、
公演と公演の合間の時間、彼らは外に出て各々練習を繰り返していました。



実はわたし、日曜日6時から行われた最終公演をニコニコ動画の生中継で見ていました。
プログラムのチェックとアナウンスされた内容を確認し、一応画面をキャプチャーするためでしたが、
画面のコメントが面白くて時々は切り替えていました。

運営から「敬礼の時には (`・ω・´)ゞ のような左敬礼ではなく
∠(`・ω・´) この右敬礼を使ってください」
というお達しがあったりして、各隊長の敬礼の時にはそれがずらーっと並ぶなど、
結構それだけで一人で見てるんじゃないという気になったものですが、
防大儀仗隊がステージに現れたときに、誰か一人が

J( '-`)し たかし頑張るのよ

とコメントしました。

顔文字辞典によるとJ( '-`)しとは、2ちゃんねるの発祥の顔文字であり、カーチャンであり、
不器用かつ優しい偉大なる母である、とあります。
さらに概要によると

息子の名は「たけし」、もしくは「たかし」が多い

ということですが、防大生の出演にカーチャンが声援を送るの図は
すっかり皆の心を捉えたらしく、そこからあとは J( '-`)しコメが乱舞することに(笑)

J( '-`)し たかし素敵よ  J( '-`)し たかし見てるわよ

みたいな。
たしかにこれだけいれば一人ぐらい「たかし」はいるかも・・。 



さあ、そのたかしたちの演技です。
真ん中から時間差で銃をつけてかがんで行くフォーメーション。



J( '-`)し たかし決まったわね



一人飛び出しているように見えるものも実はそうではなく、
きっちりとタイミングをあわせた動きに沿っているのです。



十字を組み回転する中心のたかしたち。
アップで撮ると、彼らがついこの間まで高校生だった少年であると感じられます。



おお、右と左のたかし、一瞬銃が完璧に手から離れている。



隊列の右から順番に銃を回し終え、左端のたかしが敬礼しつつ長回し。
これで会場はわっと盛り上がります。



そしてクライマックス、銃潜り。(正式な名称は知りません)



隊長は抜刀して敬礼、後ろ全員が銃を回しつつ敬礼。
あー、マイクが邪魔だ。



これで防大儀仗隊の演技は終了です。
ニコニコ動画の画面には

J( '-`)し たかしよくやったわ

がたくさん・・・・。

しかし実際、彼らのトーチャンやカーチャンは、そんな気持ちで見てるんです。
わたしは何年か前、当ブログで音楽まつりのファンシードリルの写真をあげたとき、
写っていたひとりの「たかしのトーチャン」からコメントをいただいたことがあります。



儀仗隊指揮官は第4学年の近藤稔将学生。
そしてドラムメジャーは第4学年の指原呂城学生でした。

この名前がアナウンスされたとき、「たかしちゃうやん」というコメとともに、
指原学生の名前に場は騒然?となり

「ろっき?」「ロッキーか」「どんな字書くの」

と盛り上がっておりました。


わたしや隣の連れ(家族構成も歳も聞いたことがないし独身かどうかも知らないけど)
からみると、きりりと軍帽をかぶりドリルを行う彼らもまるで息子みたいなもの。

「かわいいですね」
「かっこいいけど、やっぱりどちらかというとかわいいんですよねー」

などと、実際にもすっかりJ( '-`)しモードで鑑賞していました。





続く。


 


”えーる・くんばんちぇっろお!”~平成27年度自衛隊音楽まつり

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今回の音楽まつりには、アメリカ軍から海軍、陸軍、空軍
そして海兵隊と4軍全てが参加しました。
このことは近年なかったことで、ついついこういう現象に対しては
どこからかの「働きかけ」があったのかなあなどと勘ぐってしまうわけですが(笑)

日本政府が、たとえば民主党時代に壊されかけたアメリカとの関係を改善することに
成功し、先日の観艦式に着任したばかりの「ロナルド・レーガン」に対して
安倍首相が特に言及して歓迎の意を表し、さらには日本の総理大臣として初めて
観艦式の行事の一環として空母に移乗したということと、このことには関係があるのか。

とかね。

それを考えると、そこに米国以外の参加国が韓国一国であるということにも
何かしらの意図を想像せずにはいられません。
これについてはまたもう一度お話ししたいと思います。

今言いたいのは、4軍オール参加と聞いたときの当のアメリカ軍楽隊の皆さんの反応です。
これ、おそらく、互いを意識して燃えたと思いますねー。

「うちの演奏が一番だとブドーカンの観客に言わせてみせようぜ!」

みたいに・・・。
それは単に状況から想像したことではなく、実際に当日のパフォーマンスを見て、
明らかに互いを意識して張り切っていると言いたくなるくらい、
全軍が気合を入れまくっている様子が手に取るようにわかったのです。

アメリカ人の気合はどのような形で表されるのか?!



第2部に入り、防大儀仗隊のパフォーマンスが終わり、次なる登場は

米海兵隊 第3海兵起動展開部隊音楽隊

機動展開部隊となっていますが、英語の「expeditionary」の意味は
「遠征」なんですね。
つまり「an expeditionary force」は「遠征軍」。
アメリカから沖縄に「遠征している軍」ってことです。

しかし、特に沖縄は米軍を追い出そうとしている国内反日左翼と外国人がいて、
そういう輩の目に「遠征軍」などという日本語が目に止まると発狂しかねないので、
あえてその表現を避けたのだとわたしは察したのですが、どうでしょうか。





隊長はジョシュア・ストーン上級准尉、ドラムメジャーはジェームス・ホルト2等軍曹。



というわけで、海兵隊の演奏は

「ストライク・アップ・ザ・バンド」。

1927年にジョージ・ガーシュウィンが弟の作詞家アイラ・ガーシュウィンと組んで
書いたブロードウェイ・ミュージカルからのナンバーです。

ミュージカルそのものはブロードウェイで成功したというわけではありませんが、
このミュージカルの中からはガーシュウィンの名曲、

The Man I Love  

I've Got A Crush On You

Soon

といった後世に残る名曲が生まれています。

Frank Sinatra  I' ve Got a Crush on You


この中でわたしの一番好きな曲をシナトラのバージョンでどうぞー。




「ストライク・アップ・ザ・バンド」はアメリカの戦争好きを風刺しており、
チーズの輸入を巡ってアメリカがスイスに戦争をふっかけるとかなんとか。
見ていませんので知りませんが、そういう内容だからあまり受けなかったのかなあと・・。

この曲を海兵隊が選んだのにその辺の意味はあまり関係なく(笑)
単に「ストライク・アップ・ザ・バンド!」(バンドを始めろ!)という
威勢のいい感じと、ビッグバンドのホーンセクションの響きをこれでもかと
聴かせられる曲であったからに違いありません。

Strike Up the Band (George Gershwin)


このバージョンの出だしが軍隊っぽい。



ドラムメジャーというのは、こういうジャズチューンではほとんど活動せず、
置物のように佇んでいるのがお仕事。

彼の出番は、バンドを率いるときです。



この制服を着ている白人男性は皆同じ顔に見えるんですが。



ドリル演奏ですからもちろんフォーメーションもやりまっせ。



海兵隊バンドのお約束は、最後に「海兵隊賛歌」の演奏をすること。
これはいかなるステージでも変わることなく、それは海上自衛隊が
必ず「行進曲軍艦」を演奏するのとおそらく同じ理由なのでしょう。



そして隊長とドラムメジャーが二人並んで敬礼をし、並んで退場するのも同じ。
米軍の中でドラムメジャーがいるのは海兵隊だけです。
なんかそういうのにこだわりがあるのかなと思ったり。



ニコニコ動画で見ている人も敬礼∠(`・ω・´) 



続いては在日米陸軍軍楽隊です。
隊長はマーヴィン・カードー上級准尉。



おそらく三階最上席からの映像だと思われます。
「 A 」はもちろんアメリカの・・・・じゃなくて「ARMY 」のA!



陸軍の曲は「ウェストサイドストーリー」からのメドレーできました。
空軍が古き良き時代のオールドジャズ、海兵隊がビッグバンドジャズときて、
陸軍はどちらともバッティングしないミュージカルからの曲です。

そのいずれも「This Is America! 」というべきアメリカの音楽文化の代表であり、
アメリカ軍楽隊らしさを遺憾なく表すことのできるソウル・ミュージックです。 



フルートに美人発見。



おっと、ここでスキンヘッドにしたジョン・マケインが!



マケインもどきは米陸軍の歌手でした。
抜群の声量と表現力もたっぷりに歌い上げる「マリア」。



「まりーあー まりあまりあまりーあー」

昔東京音楽隊のコンサートの感想を書いたとき、

このメロディはBフラット、変ロ長調で「シ♭ミ~ファ~」という音を充てる

B♭の基本三和音というのは、シ♭・レ・ファでできているが「マリーアー」の「リ」は、
第一音と第五音のシ♭とファの間にはさまれた、不協和音をなす減5度の「ミ」である

シ♭はトニー、ファはマリアを表し、B♭の和音でいうと減5にあたる
「ミ」の不協音は、二人の間に横たわる障害」を表す


とバーンスタインの作曲の意図について説明したことがあります。

このおじさんがあまりにも身軽に踊りまくるのでつい写真をたくさん撮ってしまいました。
後ろの木管セクションの歩き方は、「ジェッツとシャークス」の最初のにらみ合いをイメージ?



楽曲終了。
腕を折り深々と腰を曲げるお辞儀をするスキンヘッドマケイン。



軽やかなステップで一人退場していくのか?と思ったら・・・、



ステージ脇から溢れ出てきた陸自東北方面音楽隊のカラーガードと
防衛大学校儀仗隊のみなさん!



ステージ左手からも。これは楽しそう。



アメリカの軍楽隊がなぜか必ずやる「その場で上半身ゆらゆら演奏」。
なんなんだろうねこれ。



皆でぴょんぴょんジャンプしながらピースサインをする防大儀仗隊。



すっかりマケインがたかしたちに同化している・・。



右手前のクラリネットのおじさん(目力強し)はバッジが人より多いぞ。



美人のフルートさんもう一度。
陸軍の制服、女性は男性のネクタイの代わりにリボンなのね。
ちなみに前のクラリネット奏者は女性です。



たかしたちとマケインが退場すると同時に袖に控えるは第302保安警務中隊。



去年は確か陸自中央音楽隊と一緒にドリルを行った記憶があるのですが、今年は
保安警務中隊だけのパフォーマンス枠がありました。
その名も「サイレントドリル」。
音楽なしで、響くのはただ彼らが扱う銃剣の立てる音のみ。



音楽の無い中行われるドリルは緊張感を生み出し、観客は
息を呑むような雰囲気で見守ることになりました。

そしていつの間にかステージ後方に現れた陸自中央音楽隊との合同演奏へと・・。



中央音楽隊のドラムメジャーは馬渡英一2等陸曹。
個人的感想なのですが、今回の陸空のドラムメジャー、
体型と顔の感じが同じ人かってくらい似ているような気がしました。

参考までに、空自ドラムメジャー。



陸自中央音楽隊の演奏は、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のメインテーマ。
それがいつの間にか「マードックからの最後の手紙」に変わります。
この「マードック」は一般にはあまり知られた曲ではありませんが、
ブラスバンド業界では名曲として誰もが一度は演奏するか聞いたことがあります。

マードックというのはタイタニック号に一等航海士として乗っていた人物で、
映画「タイタニック」では混乱する乗客を銃で撃ってしまったので自殺した、
と描かれていたため、遺族から非難されたということもありましたが、この「手紙」
の意味は、おそらくそういったこととは関係ないのではと思われます。

マードックからの最後の手紙


陸自中央音楽隊はどうも、「ブラバンの正統派曲で真っ向勝負」というのが多いと
わたしは去年あたりから思っています。



さて、中央音楽隊の演奏が終わり、合同演奏になりました。
右手に海兵隊第3機動展開部隊音楽隊が。



左手に在一米軍軍楽隊がでてきて、皆で行うは・・・



えーるるる・くんばんちぇっろろろお!(思いっきり巻き舌で)

z

ノリノリのラテン、つまり日本にもアメリカにも異国情緒できました。
ラテンはアメリカでも普通に溶け込んでいますし(移民も多いし)
日本人のフィーリングには昔からラテンが合うということになっています。
しかしそこはやはり日本人、こうしてみるとノリがどことなくどじょうすくい。



お?
ステージ左手で隊員たちが楽器でアーチを作り始めました。



「あそこを見ろよ!」「なんかやってるよ!」



アーチはどんどん伸びて行き、だれかがそれをくぐって来る模様。



隊長が楽器を持って先導するアミーゴは?!



なんとソンブレロにポンチョ(なんでこんなの持ってるんだ)のトランペッター。



そして謎の踊りを踊る中央音楽隊隊長酒井一郎3佐。



「ただいまより拙者が指揮を取らさせていただき候」

しかし酒井隊長の天下は長くはなかった。



すぐに指揮台は米陸軍に制圧されました。
深々と日本式のお辞儀をするカードー隊長。



「くっ・・・・・負けた・・・」

「少佐殿、泣いている場合ではありません。海兵隊も指揮台を狙っております!」



海兵隊のストーン隊長、なぜ自分の出番がない?とばかりに
あちらこちらにガンをつけて歩きます。



「アーミー野郎、いつまで調子こいてんだ」



ずもももももおおお~!!

「か、海兵隊が怒ったあ!」



つかつかつかつかっ

じえいたい「アーミーはん!マリンコがきましたでえ!」



まりんこ「どけ」
ずいっ



シャキーン



「見たかこれが海兵隊の指揮である!」



いかなる場合もきっちりと折り目正しく振るのが海兵隊流、と。



しかし、海兵隊隊長が終わりの合図をしても、陸軍に変わっても、
もはや勢いのついた楽隊はとどまる所を知らず、突っ走るのでした。
どうなる合同演奏。



「一人ずつやるからダメなのか!」
「よしこうなったら三人で一緒にエンディングじゃあ!」
「せえええの!」

ジャーーーン(終わり)



「はあ、やっと終わった」
「お約束とはいえなかなか大変だったですな」
「いや全く」



というわけで、三人の隊長が仲良く肩を組んで聴衆にご挨拶。
このちょっとした寸劇仕立ての演奏に会場は大喜びでした。


続く。 

伝統文化の多様性〜平成27年自衛隊音楽まつり

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誰でも知っているラテンの名曲「エル・クンバンチェロ」に乗せて、
陸自中央音楽隊、海兵隊、米陸軍軍楽隊のノリもぴったりな演奏が
大盛り上がりのうちに終わりました。

続いてはおなじみ自衛太鼓です。



自衛太鼓のステージは、全国の駐屯地にある陸自太鼓隊から11団体、(全部ではない)
そして空自太鼓隊から2団体が出演し、その総指揮を行うのは
北海道は北海自衛太鼓の主将(というのかどうか知りませんが)山城三生純陸尉です。

考えたら海上自衛隊は太鼓隊を持たないんですね。
やはり活動拠点が「グラウンド」である陸自に太鼓が発展するというのはよくわかります。



まずは全員がいろんなフォーメーションで入れ替わるように演奏を行います。



女性隊員のメンバーも毎年必ずいます。
バチが宙に舞うパフォーマンスにも一切の狂いなし。
これだけたくさんの人がいてそういうミスがあったのをわたしは見たことがありません。

「太鼓って誰もミスしませんねー。防大儀仗隊のミスも見たことない」

このように相棒に言ったところ、(自衛隊イベント追いかけ歴10年以上)

「防大の儀仗隊で銃を落としたの見たことありますよ」

とのことでした。
まあ、ワンシーズンで7、8回公演を行うのですから、長年の歴史には
一度か二度か三度くらいはそういうのもあったかもしれない・・・。



後ろに並ぶ幟がまたかっこいいんだな。
これを持っているだけの人というのもいるわけですが、見ていると音の調子に合わせて
全員で一緒に前に倒したり、旗がなびいているように支えた手と反対側で
ひらひらさせて揺らしたりと、いろんな演出を行っているのです。

だいたい、こんな大きなものをずっと支えているってそれだけでも大変。



このパフォーマンスの本当の凄さは、現場にあってこの大人数の太鼓のバチが奏でる
奔流のような振動と轟音を肌身で感じて初めてわかるものであり、
それは画面を見ているだけでは到底想像もつかない感動です。

しかし、画面を見て音を聞きその片鱗を感じただけでもそれは伝わると見え、
ニコニコ動画の生中継ではコメントが騒然となっていました。

「オリンピックではこれをやるべきだ」「オリンピックでやってほしい」

確かに。



ということで、自衛太鼓。
自衛隊がやるということにまたどこからか文句が出てくるかもしれませんが、
少なくとも日本国民と世界の人々はそれを支持するに違いありません。



全体での演奏が終わった後は、全チームが右と左に交互に現れショートパフォーマンスを行います。



そして全員によるフィナーレへと・・・。



聞いたところによると、彼ら全員で音合わせの練習ができるのは、
本番前、朝霞で行われるたった1回の合同練習だそうです。



もしかしたら全員でするパフォーマンスは毎年同じもので、
それを代々各チームで受け継いでいくのでしょうか。



なんの「芸」もない握手アイドルの児戯に等しい学芸会レベルの歌とか
日本語で「国外追放」「流刑」という名前のグループのパフォーマンス、
それはそれでお好きな方はたくさんいるでしょうが、あれが日本文化の代表だ、と思われては、
少なくともわたしは嫌だし、第一オリンピックの開会式に相応しいとは思えない。


仮に全国の自衛太鼓が集結したらその迫力はいや増し、何より古来からの伝統である太鼓は
どんな国のどんな民族にも日本らしさを伝える何よりのパフォーマンスになるでしょう。

ぜひオリンピックの開会式には自衛太鼓を!



第2章、「大地と海と無限の道」の最後に行われた陸海空自衛隊合同演奏は
なんと古典中の古典というか、ジョン・ウィリアムズのメドレーできました。

あまりにもたくさんの名曲がありすぎてどれをやったらいいのか
選曲も悩ましいところだったのではないかと思われますが、

「スターウォーズ」「スーパーマン」「レイダース・マーチ」「E.T.」

など。
宇宙に関係した曲が次々と流れます。



合同演奏なので、同じ楽器の写真を撮ると制服が4種類。
さて、演奏が「スター・ウォーズ」の「スローン・ルーム」にいくかな?というところで
音楽が突然途切れ、モニターに空自出身宇宙飛行士の油井亀美也さんが現れました。



油井宇宙飛行士については以前も、「宇亀日記」(そらかめにっき)という
宇宙飛行士としての任務を報告するブログについてお話ししたことがありますが、
今、油井飛行士は宇宙ステーション「きぼう」に乗り込んで実験や運用に関わっています。

そして「きぼう」から今回の音楽まつりに「道」という字を元にメッセージ。 
わたしはそれより、油井さんが 「自分も武道館に防大時代出演した」
といったことに注目しました。

油井飛行士は航空自衛隊でF-15のパイロットであったことが知られていますが、
防衛大学校時代、儀仗隊の一員だったということでもあるのです。


うーん、油井宇宙飛行士はかつてたかしだったと・・(もうええちゅうに)
ちなみに宇宙飛行士を目指したきっかけは映画「ザ・ライトスタッフ」だったそうです。



メッセージが終わり、合同音楽演奏は華々しくフィナーレを迎え、ここまでで
第2部は終了です。
そして問題の?第3部。、「海と未来と絆の道」。

今回のテーマと出場した音楽隊の内訳でいうと、

1部「空と大地と希望の道」・・・空自、陸自、米空軍

2部「大地と海と無限の道」・・・防大、海兵隊、米陸軍、陸自


ということだったのですが、第3部「海と未来と絆の道」では
海軍つながりで海自、米海軍、韓国海軍の演奏が行われました。

自衛隊、ことに海自と韓国海軍のつながりは決して疎遠ではなく、
ご存知のように今回の観艦式にも招聘したわけですが、
それにとどまらず海軍音楽隊まで・・・。

アメリカの4軍全部を招聘したこととともに、こちらにもなにか理由が?
でないとこう韓国ばかり呼んでくる意味がわからないのですが。 



目つきの鋭すぎる人が笛を吹きつつ登場。
隠れて見えませんが、これは「テピョンソ」というチャルメラのような笛です。



男の格好をしているけど多分女性、というダンサー登場。
相変わらず「アリラン」をブラスバンドにアレンジした楽曲で、

The Korean Folk Rapsody & The Rove

となっていたので、「韓国民謡によるラプソディと逍遥」みたいな題かと。



続いて「ライトスタッフ」に登場したダンサーがやっていた「ファン・ダンス」
みたいな大きなうちわを使ったお姉さんたちの踊りが始まりました。



ひらひらしたりくるくるしたり、はっきりいってこちらがメイン。



カップルのダンスに扇のダンス、後ろで地味ーに「アリラン」する水兵さんたち。



綺麗ですねー(棒)



それだけにとどまらず(笑)紐をつけた帽子にうちわのようなものを持ったダンサーが!
にわか知識ですが、これは韓国の農民の音楽である「農楽(ノンアッ)」の踊りで、
白い紐のついた帽子を「サンモ」というそうです。

後半、このダンサーは長い紐のついた帽子に変えて地面につけないように鞍馬したりしてました。



踊りのお姉さんアップ。



いやまあ、確かにひらひらしたりこんな傘みたいなのでお花を作ったり、
スカートにしてみたり、綺麗ではありましたが、はっきり言って海軍関係ないし。

この扇のダンスが初めて創始者によって始められたのは1954年といいますから、
はっきり言って伝統芸能というわけではありません。



軍楽隊の皆さんは陣形を変えつつ普通にちゃんと演奏しているのですが、
それでもどうして「アリラン」なのかなあと・・。
それしかない、と言ってしまえば身も蓋もありませんが、ソチオリンピックの閉会式で
次期冬季五輪開催国としてやったパフォーマンスもアリランだったというし、
マジでこの国には世界に通用する伝統芸能が「アリラン」しかないのでしょうか。

wikiの「アリラン」によると、

韓国社会では長年
「ハングルが世界中の言語学者の間で最も優秀な文字であると認定されている」という噂と同時に
「アリランが世界で最も美しい曲の1位に選定されている」という噂が信じられており、
こうした噂が真実として小学生用の国定教科書にまで掲載されている。
しかし、2011年3月韓国の一部のメディアの報道で、こうした噂が事実無根のデマであり、
検証もなしに教科書に掲載されていた事が明らかにされたことにより、
教育技術部は記述を訂正する姿勢を表明している。

ということなので、韓国の人々にとってこれがおそらく音楽については唯一無二の
誇りであることから今回の選曲になったと思われます。



アメリカ軍楽隊にはジャズやミュージカルの音楽があり、日本国自衛隊には
伝統の太鼓演奏があり、数え切れないほど地方の民謡があり、そして最近は
ポップカルチャーの旗手としてのアニメソングがあり、今回は同じ自衛隊から
宇宙飛行士を送り出し、そのメッセージを紹介するという華々しいイベントが行われました。

そういう多様な文化、特に海外に向かって発信できる独特の文化が乏しい国ゆえに、
貧困な「芸」しかもたない整形タレントやキワモノタレントにその国の言葉で
歌謡曲を歌わせることを「韓流」と称し、それに政府からの多大な資金をつぎ込み、
結果ごり押しとなって却って忌避感を持たれるということになっているのではないのかと、
わたしはこの「アリラン」と不自然な顔のお姉さんたちのダンスと、そして



最後に登場した特大韓国旗を見て思ってしまったりしたのでした。

去年だったか、タイ王国のパフォーマンスの最後に同じ特大国旗でも
日本国旗と自国の国旗を同時に広げて観衆を感動させたのと違い、
このとき会場に非常に微妙な空気が流れた気がしたのは、わたしだけだったでしょうか。



さて、続いては横須賀の第7艦隊音楽隊の登場です。
ドラムメジャーはティモシー・ディールMU2(SW)。
この英数字は階級のことだと思います。

この階級でグーグルしたら、こんなページが出てきました。

米海軍第7艦隊バンド

クリスマスコンサートや、海上自衛隊横須賀音楽隊との合同演奏の様子も。



プログラムには

Columbia The Gem Of The Ocean


ディズニーシーにある「コロンビア号」で行われるミュージカルでは

「SSコロンビア讃えよう・・」

という歌詞でおなじみの曲が書かれていたのですが、メロディに行かないうちに
グレンミラーの「インザムード」になり、あっという間にオールディーズに!



これを司会は「常に同じ姿ではない海原のように変わりゆく」と紹介していました。
時代が三段跳びで進んだ感じです。

メガネの水兵さんが歌うはテンプテーションの「マイガール」。 



それが終わるとさらに時代は近代ポップスに飛び、スティービーワンダーです。
「サー・デューク」。



この曲は、スティービーが、アメリカの音楽史でレジェンドとなった
ミュージシャンたちを讃えるために作った曲で、サビからの歌詞はこうです。

沢山の開拓者たちがいた

ベイシー、ミラー、サッチモ

彼らの王様であるサー・デューク

そしてエラのような鳴り響く声

バンドが決して失ってはいけないものだ

全身で感じるんだ 誰もが皆感じることができるんだ


カウント・ベイシー、グレン・ミラー、ルイ・アームストロング。
サー・デュークとは言わずと知れたデューク・エリントン、
エラとはエラ・フィッツジェラルドのことです。



アメリカの音楽史を駆け足で巡ったという感じの構成ですね。



トランペッターはメガネをかけたサッチモのようなアフリカ系。



第7艦隊音楽隊隊長はブライアン・S・チャブロウ大尉。
韓国海軍もそうですが、アメリカ海軍軍楽隊の制服は隊員が全員水兵服です。
下士官の制服は水兵服だからですが、士官は隊長だけということなんでしょうか。

海自は旧海軍の昔から、音楽隊に限り士官と同じ形状のものを着用しました。
士官候補生のジャケットと似ていたため、夜の巷では下士官が度々軍楽隊員に
間違えて敬礼したためトラブルになったという話を書いたことがありますが、
アメリカ海軍は隊員はセーラー服が制服なのですね。(韓国海軍も)

帝国海軍の軍楽隊が士官のような制服を着ていたのは、彼らがしばしば
天皇陛下ご臨席の式典などで演奏をしたということと無関係ではないと思いますが、
こういうのにも各国の音楽隊に対する考え方の違いが現れているようで
なかなか興味深い現象だと思います。

わたしは米海軍音楽隊のセーラー服を見ると、やっぱりこれを思い出すかな。

New York, New York - On the Town


踊る大紐育ち。
初めてのNYではしゃぎまくるシナトラとジーン・ケリー(ともう一人)が可愛い。


続く。

 

「恨」と「明日」〜平成27年度自衛隊音楽まつり

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前回のエントリをアップし終わってから、こんな記事に気がつきました。
音楽まつりに我が軍楽隊が出るということで取材した韓国の新聞に掲載されたものです。

清明な秋の日だった。
13日午後、東京千代田区日本武道館は、
‘2015自衛隊音楽まつり’を観るために訪れた日本人客で満員だった。
この日、陸・海・空自衛隊の軍楽隊、防衛大儀仗隊などが総 出動して多様な舞台を披露した。
特に陸上自衛隊中部方面音楽隊は韓国でも大きな人気を博した日本アニメ
<進撃の巨人>などの主題歌を演奏して大きな拍手を受けた。 

しかし、この日の核心は韓・米・日三角安保体制に編入されていく韓国の姿だった。
韓国政府は先月20日、韓-日国防長官会談で、今年、自衛隊軍楽祭りに
韓国海軍軍楽隊を8年ぶりに参加させることに決めた。
行事の司会者は日本国歌、君が代演奏が終了後「今回の行事には韓国を含む過 
去最大の5つのゲストバンドが参加して新しい未来の道を開く」と宣言した。 

この日の行事には、韓国海軍を含む米-日同盟の固い友情を象徴するように
日本各地に位置した駐 日米軍の軍楽隊が大挙参加した。
神奈川県座間基地の在日陸軍軍楽隊は有名ミュージカル<ウェストサイド・ストーリー>、
沖縄キャンプフォスターに本部を置く米第3海兵機動展開部隊軍楽隊は
男性的な魅力で‘海兵隊賛歌’を演奏した。 

また、駐日米軍司令部がある東京横田基地の米空軍太平洋音楽隊、
横須賀に席をおく米海軍第 7艦隊音楽隊も登場して
<スターウォーズ><インディアナ・ジョーンズ>等米国映画の主題歌を演奏した。 

クライマックスは韓国海軍が登場した最後の立会‘海、未来、連帯の道’だった。
韓国海軍は‘アリラン’等、韓国伝統民謡を演奏して扇の舞いなど多様な韓服踊りを披露した。
その後、手塚裕之2等海佐(海軍中佐)の指揮の下、
海上自衛隊東京音楽隊、米第7艦隊音楽隊と<明日>等を演奏した。 
米日海軍が前に出て歌を歌い(韓国)海軍の軍楽隊が後から支えて演奏する姿だった。 

単なる軍楽隊の行事だったが、先月18日、日本海上自衛隊の観艦式出席に続き
十分な議論なしで三角安保体制に巻きこまれていく軍の姿を象徴するような苦々しい光景だった。 

東京/キル・ユンヒョン特派員 

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 米・日軍楽隊の前韓国軍苦々しい‘アリラン’  より


わたしは何を隠そう、現在の日本のマスコミは疑うこともなく文字通り
「マス」の「ゴミ」だと思っている者の一人ですが、
韓国のマスコミというのも酷いものだと、この記事を読んで思いました。

前回韓国海軍のパフォーマンスの感想を書く際、純粋にパフォーマンスの質を
評価したならば、本来もっと手厳しい評価をすべきところ、なまじ日韓関係が悪く、
国民の「韓国疲労」が高い今、必要以上の酷評は個人的な悪感情から来たものだと思われるのが嫌で、
つい抑え気味に書いてしまいました(そうだったのよ)。

しかし、実際に現場で見ている分には周りの反応は普通でしたし、帽子に紐をつけた人の
踊りにはときおり歓声もあがり、最後には他国軍隊と全く変わらない暖かい拍手が起こり、
少なくとも観衆の日本人たちに「苦々しい」雰囲気はなかったと信じます。

まるで武道館の天井に掲げられた日本の国旗に対抗するかのような特大韓国旗が
舞台を覆った時には、さすがに微妙な空気が一瞬漂ったのは事実ですが・・。

(観艦式もそうだったけど、さすが中華思想の民だけあって、大きければ勝ち、
イコールでかい国旗、ということになるのかもしれません)

しかし、特派員として東京にいて、音楽まつりを通して鑑賞したこの韓国紙記者は、
日本人の歓迎などは当然のことという前提で、それどころか、
第3章で日米海軍のパフォーマンスを支えたのが我が韓国軍であったとし、
その姿を

「まるで三角安保体制に巻きこまれていく軍の姿を象徴するような苦々しい光景だった」

とこじつけて嘆いてみせたのです。
まず、突っ込ませていただけるなら、韓国が日米韓防衛の三角形の一角を担っている、
という、この自信過剰はなんなのでしょうか。

言わずもがな日米は同盟国であり、安保条約を結んでいます。
米韓はもうすぐ終わりそうとはいえ、一応朝鮮戦争後は同盟を結んでいます。

でも日韓は別に辺で繋がってないのよ?

それどころか韓国は今や日本の公式見解でも「価値観を共有していない単なる隣国」
にすぎず、さらには先般中国の軍事パレードに朴大統領が出たことで、
すっかり「あちら側(赤チーム)」決定されかかっているわけですが?

この記者の「苦々しい」とはつまり、日本とアメリカの防衛体制の中に
嫌が応でも組み込まれるのは不愉快だし、その結果中国に睨まれるのが怖い、
っていう意味なんでしょうかね?



最近観艦式に続き音楽まつりに参加と、「韓国づいている」自衛隊ですが、
この理由をわたしなりにいつも通り独断と偏見で考察してみます。
この記事によると、参加を決定したのは先月20日、国防次官級会談だったそうです。

20日というと、ちょうど自衛隊観艦式が終了した2日後のことになります。

自衛隊の観艦式は分刻みのスケジュールと緻密な構成により、それを行える艦隊は
世界にも数カ国しかないという練度の集大成であったわけですが、
韓国艦が外国招待の隊列の真ん中という位置でどうであったかというと、
やはり「見る人が見たらわかる」操艦であったという話を洩れ聞きました。

イメージ的に操艦が不安そうなインド海軍とともに受閲艦隊の真ん中に入り、
後ろを米海軍の「チャンセラーズビル」が固めていたのも、それが予想されたからでしょうか。
のみならず、艦長クラスがデッキでスマホ撮影しているなど、
あまり自分がどう見られているかも構わない様子でしたが、なんと韓国海軍、
それから間もなく、自分たちも観艦式を行っておったのです。

声をかけたのは日本側からでしょうけど、韓国側がそれを受けたのはどうも
この観艦式の下調べのためだったみたいですね。
韓国の観艦式の写真で、海自が毎年行う「戦術運動」、駆逐艦3隻が同時に回頭する展示を
(ただし船と船の距離が恐ろしく広い状態で)やっていることからも察せられました。

そういえば参加した韓国軍艦の甲板では熱心に写真と動画を撮りまくってたな。

そういった「下心」が見えたような気がした韓国の観艦式参加ではありましたが、
ともかく、そのように声を掛けあい互いに交流を行うのには理由があります。

一般的に他国軍同士というのは時々互いに顔を合わせておかないと、偶発的な事故から
容易に戦闘状態になだれ込んでしまう可能性があるものなのだそうです。

「暴力装置」という言葉はだてではなく、機能としての軍隊は「顔の見えない状態」
では暴発の危険性をいつもはらんでいる、というのは世界の軍を持つ国の常識でもあります。

過去、世界大戦に突入する前の時期にも、軍同士というのはそのような意味で交流しています。
もちろん一旦交戦状態となればもうそのような友誼は何の意味も持たなくなり、
日本に来て江田島や東京で歓迎されたアメリカの艦船が、その後日本軍によって沈められた、
という例は重巡「アストリア」だけに限ったことではありませんでした。

しかし、軍と軍というものは、国と国が戦争を行うその直前までは友誼を保ち続けます。
例えば自衛隊と中国軍ですら、互いに積極的に軍交流を持とうと努力しているのです。
(少なくとも自衛隊側は)

つまり、現在国同士がうまくいっていない状態であらばこそ、自衛隊と韓国軍は
留学や交歓などで「顔見知り」同士、「keep in touch」の状態を保とうとしているのでしょう。




さて、韓国海軍、アメリカ海軍第7艦隊の軍楽隊の演奏が終わり、
いよいよ海上自衛隊の演奏が行われたわけですが、それについては最終回のお楽しみとして、
その後、どの回でも行われたように、第3部のステージを飾った軍が合同で演奏を行いました。



くだんの韓国紙記者は「韓国海軍がクライマックスだった」と書いていますが、
これは何のことはない、今年海自が最後のステージを務める順番だったので、
海軍つながりでここに入ることが決まったというだけのことです。

まあ、毎年来ているわけでもないこの記者にそこまではわからなかったのでしょう。

合同演奏の曲目は「Tomorrow」。
ミュージカル「アニー」の名曲で、第3部のテーマである「未来」そして「道」とつながり、
なんといっても三宅由佳莉3曹がCDにも吹き込んでいる得意曲でもあります。
米海軍のステージで「Sir. Duke 」をパワフルに歌った歌手とのデュエットで。



この雰囲気、実に三宅さんらしいですね。

♪ 明日になれば必ず太陽は輝く

♪ 明日のこと 考えるだけで悲しい気分も晴れる

♪ 明日になれば太陽は昇る だから明日まで頑張ろう

♪ 明日 明日 大好きな明日 お前はまた明日やってくる

最後の「You're always a day away」の部分、 「明日」は「明日やってくる」
という意味だと思い、このように訳してみました。 



今これを見て、米海軍軍楽隊には軍楽隊オリジナルの制服がないらしいと知りました。
そういえばバンドも、水兵服の中に時々下士官が混じっていましたし、
そういう統一性はあまり気にしないみたいです。

彼女も、せっかく皆の前で歌うのだから一人だけでもフルドレスを着せて
あげればよかったのに、とふと思いました。

そのとき、後ろのモニターに映し出された見覚えのある顔が・・・。



武居海幕長ではございませぬか。

で、この横にいる軍人さんは、どうみても自衛隊の人ではない・・・
かといってアメリカ海軍の将官でもなさそうだし。
ってことはやっぱりこれ、韓国海軍の偉い人でしょう?
武居海幕長とは留学時代に知り合いだったとかいうんじゃないんですか? 



三宅3曹の後ろでは、韓国海軍の軍楽隊が一緒に演奏をしているのですが、
冒頭写真の水兵くんたちの中で確実に二人が、三宅さんをガン見してます(笑)
わかる、わかるよー。三宅さん可愛いもんね。

彼らがこの日ステージに立ったことで、自衛隊や日本の聴衆に対して
良い印象を持って帰ってくれればいいなと心から思いました。




とにかく、この秋晴れの一日、この韓国紙記者は、この音楽まつりを目の当たりにして、
韓国海軍軍楽隊が一生懸命演奏をし、日本の聴衆がそれを暖かく迎えたことなどより、
おそらく海上自衛隊の旭日自衛隊旗を「苦々しく」見、「君が代」斉唱を「苦々しく」聞き、
武道館の日の丸を「苦々しく」見上げて、つまり徹頭徹尾「苦々しい」思いしか抱かなかったようです。

見たところ圧倒的にメガネ着用率が多く、どちらかというと純朴な雰囲気の
韓国海軍軍楽隊の皆さんは、エンディングで全員が日本語で歌ったイグザイルの「道」のとき、
他のアメリカ軍の隊員と同じようにおそらくアルファベットか自国語の読み方をつけた
歌詞を、ほとんど全員がきちんと口を開けて歌っているのが確認されました。

音楽をする人間であれば、このような雰囲気の中で演奏し、それをたくさんの人に
聞いてもらうことは、それだけで心踊る体験であるはず。
ましてや、万座の聴衆から拍手を貰って、うれしくなかったわけがありましょうか。
それは韓国の軍楽隊であっても同じはずです。

この少し前に、宇宙ステーション「きぼう」から油井宇宙飛行士が、

「宇宙から見た地球は美しい。そして国境なんか見えないのです」

と語っていたことは、第3部の「絆」というテーマに繋がる意味もあったと思ったのですが、
こんな会場の中にいながら、一人だけ「苦々しく」こんなことを考えながら
いかにこのコンサートをネタにいちゃもん記事を書くか頭をひねっていた人がいたとは。

韓国軍楽隊の演奏した韓国最強の曲「アリラン」のテーマは「恨」だというし、
なんていうか・・・・根本的に日本人とは違うんだなあとだけ言っときます。


続く。

 

 

海自東京音楽隊とフィナーレ「道」~平成27年度音楽まつり

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第3章、「海と未来と絆の道」、韓国海軍軍楽隊と米海軍第7艦隊軍楽隊の
演奏が終わったところに戻りたいと思います。

今年度の音楽祭まつり、最終章を飾るのは海上自衛隊東京音楽隊の演奏です。



最初の曲は海自オリジナル曲「SEA ROAD」。
「道」というテーマに合わせて今回のために作られた曲でしょうか。

会場が明るくなると同時にモニターには観艦式における自衛艦旗が
その紅白の色も鮮やかに浮かび上がりました。

その響きの中ステージ後方から歩んでくるのは・・・



東京音楽隊のステージは、毎回音楽隊のバナーを先頭に、
カラーガードとドラムメジャーの一団が入場することが決まっています。

両端はカラーガードの旗であることはわかりましたが、
海上自衛隊の自衛艦旗の両側はなんでしょうか。



パープルの旗は、海上自衛隊女性自衛官、WAVEの印でしょう。
左の青い旗には竪琴が見えるので、音楽隊関係の隊旗。

この女性ばかりの一団を、「海上自衛隊艦旗隊」と称します。
ドラムメジャーは彼女らの軍に「守られて」入場してくるという形ですかね。




ファンファーレのようなドラムが終わるやいなや、ブラバン用語で言うところの
「ファーストプッシュ」、最初の盛り上がりを見せるのは、東京音楽隊の場合
常にラインで錨を描く「行進曲軍艦」の演奏です。



錨が瞬時たりとも崩れることなく完璧に回転するのは、難しいと思います(小並感)
これは、簡単に見えて実は難しい観艦式の艦隊運動とか、
回頭後の隊列の合わせ方みたいなものなんじゃないでしょうか(小並感)



いつのステージでも、切れ味のいいドラムラインの中心で、
ソロをとった後などに、かっこいい敬礼を見せてくれるおなじみの打楽器奏者。

個人名を出さない自衛隊音楽隊ゆえ、お名前は未だに存じあげませんが、
おそらく鼓隊の小隊長といったポジションの隊員ではないかと思っています。

ドリルに参加するタイコ軍団のことを専門用語で「バッテリー」といいますが、
 東京音楽隊バッテリーの使用している白のキャリングホルダー(楽器を肩から支える
ホルダーのこと)も実に凛々しく。

ちなみに、このような広い会場で離れたところ、たとえば三階で聴くと、
指揮者の棒に従って同時に発せられる音は、最終的にずれて伝わってきます。
これはどうしようもないことなのですが、ブラバンの打楽器奏者は
そういうラグや大音響の中で打楽器が埋没する危険性を避けるために
ピッチを高めの「ハイテンションチューニング」で行うのが常です。 

今年の「軍艦」は、錨が一周し終わった後、ドラムラインが前に並び、
このスネアドラム奏者の敬礼をもって終了、という演出でした。

何を隠そう、この奏者のファンであるわたしとしては、大変嬉しかったです。 



その後は、これも海自オリジナル曲「希望」。
オリジナルもオリジナル、作詞したのは三宅由佳莉3曹その人です。
海上自衛隊最新アルバム「希望ーSONG FOR TOMORROW」に収録されています。



軽やかなメロディを海自音楽隊が奏でる中、縦横無尽に舞いながら
歌声を披露する「海自の歌姫」。



もうすっかり最近は音楽まつりにおいて彼女をメインとしたプログラム、
イコール海上自衛隊音楽隊ということになっているようです。
 
彼女は自衛隊の音楽に対して一般人が興味を持つようになった最大の功労者で、
スター性のある女性によって歌われる歌というのは、それだけで聴かせる力があり、
わたし自身も彼女の歌手としてのバリューは文句無しで認めます。

しかし、あえておそらく誰も言わないであろう苦言を呈しておくと、
この「希望」という歌はまず彼女の資質にぴったりの歌とは思えません。
この歌を歩きながらとか大きなアクション付きで?歌うと、音程は甚だしく不安定になり、
とくに中低音で聞き苦しい音の狂いが生じてしまっています。

 海上自衛隊東京音楽隊 「SEA ROAD」他 2015/11/14 【東京都】日本武道館

3:10から

高音の響きと音程は安定している人なので、高音をゆっくり歌い上げる部分はいいのですが、
どうにもそこにたどりつくまでの部分、聞いていて不安で落ち着かない気持ちにさせられ、
さらに広い会場のせいか、音のズレがより目立ってしまう結果になったのも残念でした。
 

この音楽まつりのテーマに合わせてなされた選曲だったと思うのですが、
はっきりいってこういう場で「聴きたい」曲ではない、とわたしは思いましたし、
もう少し彼女の歌が上手に聴こえる曲を選ぶべきだったのではないかと正直残念でした。

何年か前の「海のお母さん」なんて良かったと思うんですけどねえ・・。

以上、音楽関係者としての本音でお送りしました。



もちろん、パフォーマンスとしてこれらのステージは聴衆を魅了しましたよ!
取ってつけたようですが、彼女が万人に愛されるボーカリストであることは疑う余地もありません。




というわけで三宅三曹をフィーチャーした海上自衛隊のステージが終了。
ドラムメジャーは喜田哲也3等海曹でした。



東京音楽隊隊長、手塚裕之2等海佐。



そしてこのあと昨日お話しした日米韓海軍の共演による「Tomorrow 」が演奏され、
フィナーレに入る前に本日のステージを設営の面で支えてきた部隊の紹介です。

大きな楽器や大道具の運搬、設定などをおこなうために、東部方面隊から
選抜された隊員によって構成されるこの日1日だけの部隊、

「演技支援隊」。

プログラムではこのほかに写真撮影やストリーミング配信を行い、
ライブ映像など演出面のサポートを行った、

「陸上自衛隊第301写真中隊」

も紹介されました。



というわけで、本日出場した全ての音楽隊が一堂に会しました。
フィナーレのために、陸上自衛隊第302保安警務中隊が、赤絨毯を通る
国旗に対して儀仗を行うための隊列を作ります。



そして日米韓参加国の国旗が、エルガーの「威風堂々」に乗って入場です。

日本では「威風堂々」で通っているこのメロディの曲は、エルガーの楽曲では
「威風堂々のなかの1番の真ん中部分の曲」であることは知られていません。
イギリスでは、この曲は

希望と栄光の国』 (Land of Hope and Glory )

というタイトルで知られ、第二のイギリス国歌のような位置付けにあります。



米海兵隊、米空軍、そして韓国海軍。



陸自音楽隊の前には陸自の歌手鶫1士が待機。



三宅三曹はあっという間に上着を着替えてきました。
本当に佇まいが凛としていて立ち姿が美しい。
ほかの歌手より年季の入っているだけあって、圧倒的な貫禄です。



手塚隊長が指揮台に上がり、演奏前に敬礼を行います。
最後の曲は、なんとEXILEの「道」。
本日のテーマ直球の題名を持つ曲ゆえに選ばれた模様。

この曲を紹介するときにアナウンスが

「エグザイルの楽曲、『道』です」

といったのにわたしは少しウケました。
まあ・・・「楽曲」には違いないんですけど。



陸海の「歌姫」三人がワンフレーズずつサビまで歌いました。



松永美智子陸士長。
オープニングのスキャットはただただ美しかったです。



鶫1士は今回が「音楽まつりデビュー」だとおもいますが、
これからの音楽まつりは、ますます楽しみになりましたね。

でも、特に陸自、今の「ブラバン魂の追求」みたいな(どんなだ)
姿勢を、今後とも追求していってほしい、とわたしは個人的に思っていますので、
いくら魅力的な歌手がいても、歌が中心になってしまうことはないように是非お願いしたい。

と控えめに言っておきます。



サビになって楽器を演奏していない者が全員で歌い始めると同時に、
音楽隊員でない者が歌いながら決められた振り付けを始めました。
防大儀仗隊の隊員たち。



そして自衛太皷の演奏者たちも。



そして2番からは、陸海空から選りすぐられた男性歌手たちと・・



女性合唱隊。
各隊から男女二人ずつ、計20人の選抜です。
歌の上手い人がいくらでもいる吹奏楽の音楽隊ならではですね。



途中で伴奏の人数が少なくなり、その代わり手の空いた人は
陸海空、さらには他の国の軍楽隊も全員が歌いました。
メモ帳とかかりっきりの人もいますが、海兵隊のお兄さんは見ずに歌ってますね。



ドラムメジャーは基本立っているのが仕事。
つまり「演奏中」なので歌いません(笑)



韓国海軍の水兵さんたちもちゃんと全員歌ってくれていますよ。日本語でね。
というわけで、皆が歌った「道」をもって、本年度自衛隊音楽まつりは終了しました。



歌が終わった直後、また再び「威風堂々」が流れ、海上自衛隊東京音楽隊を
残して全員が退場し、「威風堂々」のフィナーレが演奏されました。



フロアに形作られた「道」に沿って、陸自演技支援隊の隊員がゆっくり歩きます。
海上自衛隊ピアニストの2等海曹 太田 紗和子が演奏する「Tomorrow」が流れる中、
全出演部隊が床に映し出され、曲の終了とともに彼らが敬礼を・・・。

「音楽まつり」は実は陸自が中心となって運営しているという話を
今回わたしは陸自の中の人からうかがったのですが、縁の下の仕事をする
陸自の彼らに最後のスポットライトをあてたのは、自衛隊らしくていいと思いました。


毎年違ったテーマで、色んな顔を見せてくれる音楽まつり。
また来年ここで皆さんにお伝えすることを今から楽しみにしています。


終わり。






海軍軍人伊藤雋吉と舞鶴工廠〜軍港の街舞鶴を訪ねて

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舞鶴訪問記を終わらないうちに怒涛の観艦式ウィークに突入してしまい、
続いて入間航空祭、そして自衛隊音楽まつり・・。
それらがようやく終了したので、舞鶴で訪問した「赤れんが記念館」について
レポートをしたいと思います。


今回、忙しすぎたせいかどうかはわかりませんが、2度の予行と観艦式の合間に
データをソフトに落としたところ、トラブルがあって幾つかのまとまった写真が消えました(T_T)

その中には「むらさめ」での艦橋で撮ったものや、
舞鶴で訪問した「あたご」で艦内をエスコートしてくれた幹部の写真、
「自分が写っている」と当ブログに連絡を下さった任務中の自衛官の写真もありました。

この自衛官にはぜひリサイズ前の画像を差し上げたかったのですが、
それもできず、今でも思い出すだけで悔しくてたまりません。


また、赤れんが倉庫街を広角レンズで撮りまくったのですが、
それもどうやら消えてしまったようです。

この反省から、イベント写真を撮ったSDカードは書き換えて使いまわさず、
保存し、外付けハードデスクを取り敢えず一台購入することにしました。

というわけで、失われた中には舞鶴でのれんが倉庫の写真や、引揚記念館の写真
ほとんどがあったため、今回報告をするにも限られた写真だけになり、
また記憶もかなり不正確になっているのですが、とりあえず始めます。



赤れんが博物館は、先日お伝えした舞鶴港クルーズの発着所のある岸壁からほど近く、
このように周りもれんがの塀に囲まれた一角にあります。
建物の全体写真をお見せできないのが残念ですが、ここは、
赤れんがの建物が沢山現存する舞鶴の中でも最も古い建築を利用して
内部を「れんがの歴史」「舞鶴の煉瓦の建物」などにテーマを絞った
展示を見せてくれる、珍しい博物館となっています。

冒頭写真はこの博物館のジオラマ展示ですが、撮り方を工夫したので
ちょっと本物っぽく見えませんか?(得意)

これはご覧になっておわかりのように、魚雷庫の中の様子です。
「赤れんが博物館」の建物は昔海軍の魚雷庫でした。



魚雷の正式名?が「魚形水雷」であったことに改めて気づく(笑)
そもそも舞鶴という町が海軍の町であり、軍港として発展したので、
ここに残された煉瓦の建物というのはすなわち海軍が使用したものばかりですが、
そのなかでも最も古いのが、1903年、明治36年に建設されたこの魚雷庫。

本格的な鉄骨構造のれんが建築物としてはわが国に現存する最古級のものとされています。 



煉瓦博物館の前にはこのようなひとかたまりの煉瓦が展示されています。
これは、海軍佐世保基地施設に使われていた煉瓦の一部なのです。

海軍が鎮守府を佐世保に置いたのが1989年(明治2)。
鎮守府の建設に伴って、周囲には赤れんがの建物が建てられました。
当時の洋風建築がすべてこのように作られていたのですから当然ですね。

この煉瓦は佐世保の「赤れんがネットワーク」の会員(そんなのがあるらしい)
の手で保護され、ここに寄贈されたものです。



主役は錨ではなく、錨が叩き割っている?れんがの方。
なんですが、一応この錨も素性のはっきりしているもので、1961(昭和36)年から
1991年まで現役だった、護衛艦「いすず」のものだそうです。

「いすず」は「いすず」型護衛艦の1番艦で、舞鶴地方隊の直轄艦でした。



「れんが博物館」というくらいなので、この展示はれんがの歴史から始まるのですが、
そのほとんどの画像がなくなってしまいました。
まあ、今にして思えばれんがの古代史はここでお伝えするほどのことでもなかったので、
舞鶴工廠の資料だけが奇跡のように残っていたことをよしとすべきかもしれません。

これはれんがの歴史のコーナーにあったジオラマ。
どこかの都市でもれんがが使われていましたよ、という意味(ですよね)



万里の長城だって、れんがで作られていたんですね。よく考えたら。



舞鶴といえば海軍、海軍といえば、アームストロング社のことを抜きには語れません。
写真はご存知岩倉使節団。
左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊東博文、大久保利通の使節団メンバーです。

岩倉のヘアースタイルが奇抜ですが、この格好のまま渡米しています。
一応靴とシルクハットは洋風で、和洋フュージョンが実に時代の先駆です。
ありのままの姿見せるのよ、という日本人の矜持を持ってのことだったみたいですが、
「未開人に見られる」として、同行の日本人がそれを無理くりやめさせました。 

岩倉使節団は欧米でで精力的に造船所や工場を見学したのですが、イギリスで
彼らを案内して回ったのが、地元の産業資本家、W・アームストロング卿でした。


造船所で進水式を見守るアームストロング卿。


皆さんは「アームストロング砲」という名前をお聞きになったことがあるでしょう。
アームストロング社の大砲は、戊辰戦争ですでに官軍によって使用され、
発明後間もない時期からその圧倒的な力を発揮していました。

このときに岩倉使節団がアームストロング社を見学したことは、その後
海軍が同社をはじめとするイギリスの会社に艦船を発注するきっかけになりました。

帝国海軍はイギリス海軍をお手本に作られたということが知られていますが、
なぜアメリカでもフランスでもなく(陸軍はフランスにその組織モデルを求めた)
イギリスだったのか、というと、これは間違いなく岩倉使節団とアームストロング卿が
そのきっかけとなったということなのだと思われます。
 


伊藤 雋吉(としよし)、という名前をウィキペディアでひもとくと、

「明治・大正期の海軍軍人」

と説明がされていますが、その割に知名度が全くと言っていいほどなく、
海軍に詳しい方もこんな海軍軍人の名前は知らん、というのがほとんどだと思います。

しかし、この人物、舞鶴でたった二人爵位を受けたうちの一人で、
地元と海軍にとってはいわゆる功労者として認識されているのです。

まず海軍軍人らしいところでいうと、海軍が行ったはじめての遠洋航海の艦長として、
練習艦「筑波」の指揮をとり太平洋を横断しています。
帰路ハワイに寄港し、カラカウア王に謁見するなど親善に努めたことから、
その後の日本とハワイ間の移民渡航条約が締結され、日本人の海外移民が始まった、
となると、これは日経ハワイ移民のきっかけを作った人物ということができますね。


しかし、伊藤の最大の功績はこれではなく、明治15年にそれまで務めていた
海軍兵学校の校長を退任したあと、海軍に籍を置いたまま共同運輸という会社の
社長に就任して渡欧し、そのまま海軍のために艦船買い付けを行なったことです。

当時の日本には軍艦を造船する技術などまだありませんから、初期の海軍は
すべて「輸入艦」を買い付けてこないと海軍としての形にもならなかったのですが、
この重大な仕事を任されたのが伊藤でした。

肩書きは、海軍省艦政局長兼購買委員長。

まず伊藤が買い付けた船が、巡洋艦「筑紫」「高千穂」「浪速」でした。

浪速

「浪速」という艦に聞き覚えはありませんか?
 そう、東郷平八郎が艦長であったとき、豊島沖海戦で、停止命令を無視した
「高陞号」を国際法に従って粛々と撃沈したということがありました。

ちなみにこのとき、東郷艦長は「撃沈します」と命令したそうです。

この船をイギリスで買い付けてきたのも伊藤でした。
この豊島沖海戦は日清戦争の嚆矢となるわけですが、この直前、
海軍は予算を削減され、反発した樺山資紀が国会で行った、

「てやんでえ!薩長政府とか何政府とか言っても、
今この国が平和なのは誰のおかげだってんだ!海軍だろうが!」(曲訳)

という内容の「蛮勇演説」は有名です。
伊藤はこの樺山のしたで、主に海軍装備の充実に大変な力を発揮し、
舞鶴では数少ない爵位を授けられた人物として名士となったというわけです。


ちなみに大変達筆だった伊藤は、空母「赤城」の艦体に
「あかぎ」という字を残しましたが、それはのちに海上自衛隊の護衛艦
「たかつき」の「か」と「き」に継承されました。

「たかつき」は2002年に除籍になったのですが、その後伊藤の書いた
「か」と「き」がどうなったのかはナゾです。



伊藤が買い付けた「八島」進水式の様子。
エルズウィック造船所の船台から滑り落ちる「八島」です。




さて、ここからは舞鶴工廠に残された写真をご紹介します。
これは日本海海戦で破損した。軍艦「吾妻」の砲塔。

「吾妻」は装甲巡洋艦でフランスから買い付けたものです。
日露戦争ではあの「船乗り将軍」上村艦隊の主力として活躍しましたが、
戦闘中に敵弾を受け砲塔がこのような形になってしまいました。



こちら装甲巡洋艦「日進」 の前部砲塔。
日本海海戦では第1戦隊の殿艦を務め、一時は一斉回頭により先頭を進むことがあり、
それ故に旗艦三笠に次ぐ戦傷者を出したのが「日進」でした。

「日進」

あの山本五十六(当時は高野五十六)が少尉候補生として乗り込んだのもこの艦で、
海戦中に砲身爆発により指を失うという重傷を負っています。

高野少尉候補生が怪我をした砲身爆発がこの写真のものであったかどうかは
この資料ではわかりませんでした。




これも日本海海戦で降伏した「アドミラル・セニャーウィン」。
日本軍では海防艦「見島」となりました。
砕氷艦に改装されてシベリアに派遣されたり、潜水艦母艦となったこともあります。



初めて見ました。戦艦「三笠」の進水式の様子です。
イギリスのヴィッカー社に発注され、進水式は
バロー=イン=ファーネス造船所で行われています。



出来たばかり、装着する前の「三笠」のエンジン。
直立型往復動蒸気機関という機構のものです。



 


日本海海戦終結後、破損した日本海軍の軍艦も、それによって
捕獲したロシア艦隊の船も、とりあえずは舞鶴に寄港したようです。

これはロシア艦隊「アリヨール」(現地発音はオリョールが近い)の海戦後の姿。
これでは甲板にいたものは誰一人助からなかったのではと思われます。




「アリヨール」の砲身。

覚えやすいように日本軍人には「蟻寄る」と呼ばれていた「オリョール」ですが、
その後補修されて戦艦「石見」となり、カムチャッカ警備についていたこともあります。



この「アリヨール」の写真は舞鶴で撮られていますが、公表するものでないためか、
後ろの山などを全く消さずにそのまま残しているのが珍しい写真です。

「石見」は大正13年に除籍となり標的艦となって海に沈みました。



沈む前、「石見」からは砲身と砲弾が取り除かれました。
与謝郡岩滝町の、西南戦争以降の戦死者の慰霊碑として、小学校の庭に
「忠霊塔」と刻まれた砲塔を中心に砲弾が配置されて置かれています。

戦争中の金属供出を免れ、戦後はGHQの「軍パージ」からも不思議と逃れ、
現在もそこにあるということですが、よく小学校の庭にあったこの手のものが
戦後長い間無事だったなと驚きを感じずにはにいられません。

軍港の街舞鶴という土地柄のおかげでしょうか。



続く。

「聖将と霊艦」(とABC)〜軍港の街・舞鶴を訪ねて

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舞鶴訪問で見学した「赤れんが博物館」の続きです。
赤れんがの歴史についての写真データを無くしてしまったあいかわらずのわたしですが、
なぜかその中の「舞鶴工廠」についてのデータだけが残されていたことは、
日頃の海軍海自の知識研鑽に対するご褒美だったのではないかと、自分で自分を慰めています。



工廠関係の資料の中には、当時出版された書籍がありました。
左から

「聖将東郷 霊鑑三笠」

海軍大佐尾崎主税著、ということで東郷元帥を神格化して書いた海戦録。
東郷平八郎が聖将と言われていたのは有名ですが、「三笠」まで
霊感、じゃなくて霊艦と言われていたとは知りませんでした。

そういえば先日、東郷平八郎の曾孫で海自を退官されたばかりの人物(観艦式にも参加していた)
の講話を聞かせていただく機会があったのですが、その方によると、東郷家の子孫は
いまでも東郷会なる集まりを持ち、その偉業を公正に正しく伝えるために活動しているのだとか。
そのとき、

「東郷家の者は、東郷平八郎が指揮官だったから海戦に勝てたとは全く思っていない。
秋山(好古、真之)家の子孫と交流があるが、秋山家でも
秋山真之が参謀だったから勝てたということはないと考えているとのことだった」

とおっしゃったのが印象的でした。
しかしこれも、後年歴史を振り返って初めて言えることで、当時の日本人の総意は

「東郷元帥の神判断=丁字戦法がなくては皇国は荒廃を免れなかった」

というものだったのです。

もっともこの「丁字戦法」を編み出したのは東郷元帥ではなく秋山真之であり、
さらにその元になった「円戦法」というのを発案したのは、雅子妃殿下のひいお祖父さんであった
山屋他人大将の若い頃であったということですから、

「東郷(秋山)でなくてもあの海戦には勝てた」

というのはあながち遺族の「謙遜」などではなかったということもできます。


しかしほとんどの日本人にとって日露戦争の勝利自体が奇跡的な快挙で、
そのため真ん中にある

「参戦二十提督 日本海海戦を語る」

みたいな企画の書籍は、それこそ戦後何年にもわたって出版されていたのでしょう。
この本はなんと「日露戦争終結30周年記念企画」として東京日日新聞と
大阪毎日新聞から共同発行されています。

証言しているのは一連の作戦に参加した海軍の幹部で、その「円戦法」を発案した
秋山の先輩、山屋他人大将(やまや・たにん、皇太子妃雅子妃殿下の母方曾祖父)
佐藤鐵太郎中将、小笠原長生中将などです。

ちょっと気になったのでこれらの軍人について書いておきます。



右から二人目、佐藤鐵太郎(当時大佐)。
あらやだ、どうしてこんな男前なのかしら。渋くて素敵。
佐藤の左隣は伊地知彦次郎大将(当時少将)ですね。

佐藤大佐は日本海大戦で、ロシアの偽装転進を見破り、
意見具申したことで勝利に貢献しています。
海軍兵学校14期では鈴木貫太郎と同期。
「頭脳の佐藤」として四天王の一角だったとかで、ハンモックナンバーは4番でした。



こちら往年の俳優小笠原章二郎。
前述の小笠原長生中将の息子の一人です。(本人も普通にイケメンだった)
佐藤中将は小笠原中将の同級生で、小笠原の妹と結婚しています。
(同級生の妹と結婚というのは、終戦まで結構よくあるパターンだった模様)


息子の一人は映画監督(小笠原明峰)となって
映画プロダクションを作り、何本かの映画を残したのですが、日本海海戦を描いた
無声映画「撃滅」は、小笠原中将が軍令部参謀時代に原作を書いています。


さらにその影響か、小笠原の孫娘は戦後女優となったのですが、

牧和子

海軍中将で東郷元帥の側近だった軍人の孫が、いわゆる「ピンク」
「成人」映画専門のお色気女優となろうとは・・・・。


側近といえば、小笠原は現役時代東郷平八郎に心酔しており、そのあまり
「東郷さんの番頭」「お太鼓の小笠原」と海軍内で陰口を言われたほどで、
東郷元帥の死後もその文才を生かして本を著し、その神格化に努めた「忠義者」でしたが、
肝心の東郷元帥は小笠原を重用しつつも、軍縮問題について加藤寛治と懇談した際に、

「あの人は現役ではないから、こういう話に加えてはならない」

という発言を残しており、小笠原は戦後公開された加藤の手記によって
この事実を知ってショックを受けた、という話が伝わっています。

あんなに誠心誠意仕えた元帥は、俺のことを全く認めていなかったのか!
俺の海軍人生って、何だったの?

・・・・って寛治?いや、感じ?

ハンモックナンバーも後ろから数えたほうが早い(43人中39番)
小笠原が、鈴木貫太郎(大将)を含む同期6人の将官の一人まで出世したのは
東郷元帥の「番頭」だったから・・・とか周りには言われてたんだろうな。



写真一番右の書物は、大将12年に発行された「海軍読本」。
海軍下士官教育用の国語・一般教養の読本で、内容は日清日露戦争や、
皇室、楠木正成、吉田松陰などについての読み物が記されています。



「聖将東郷平八郎」とともに「霊艦」とまで言われてしまった「三笠」。
この写真は昭和11年著である「聖将東郷と霊艦三笠」掲載のものです。

戦艦三笠は日本海海戦勝利を象徴するものとなり、現在も全国に残る
東郷元帥の揮毫とともに全国に浸透しました。

ご存知のように「三笠」はその後記念艦となり、その時にはまだ生きていた東郷元帥が
祝辞を述べるなどしたのですが、負戦後まずソ連が「三笠」の破壊を主張し、それを免れても
米軍や当時の鉄商人などによって「三笠」は構造物を全て撤去され、水族館が
(キャバレーだったというのは都市伝説だったという話も)作られるなどの陵辱を受けます。

しかし、三笠は心ある日米の人々によって救われ、その姿を現在にとどめています。
その経緯について過去ログでお話ししておりますのでよかったらどうぞ。

「三笠」を救った人々




ところでもう一度このジオラマを出してきます。
この「赤れんが博物館」の、昔の姿がこれです。



元々は海軍の「魚形水雷庫」として、1903年に建設されました。
1903年というと?
これは間違いなく、1905年の日露戦争を見据えてそのために作られているのです。

鉄骨煉瓦造りの二階建てで、レンガは「フランス積み」という方法で組まれています。
一階には魚雷本体の保管台と調整・組み立てのための作業台、魚雷発射管があり、
床はご覧のようにレンガ敷きになっていました。
中央にトロッコのレールが敷かれているのがわかりますね。

画面中央上部から鎖が垂れ下がっていますが、これはハンギング(吊り)
のための鎖で二本あるレールから魚雷を二階にあげるために降ろされていました。
二階では部品が保管されており、調整や修理が行われていたようです。

舞鶴工廠で作られ、ここで保管・調整された魚雷。
日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅したのは、最終的には
執拗に撃ち込まれた水雷の威力にほかなりません。

5月27日から行われた水雷攻撃では、夜半6時間半にわたって、
計50本あまりの魚雷が発射され、そのうち6本が命中し致命傷を負わせています。

特に舞鶴所属の第4駆逐艦艦隊(鈴木貫太郎司令)の駆逐艦4隻は、
水雷で巡洋艦「ナヒーモフ」を、連繋機雷で戦艦「ナヴァリン」を沈没させ、
そして戦艦「シソイ・ヴェーリキー」を大破せしめました。



この写真は昭和47と比較的最近撮られたものですが、当時はこのように
「赤れんが記念館」となった魚形水雷庫(一番奥)以外にも、
大砲庫(一番右)、水雷庫(中央)がまだ残されていました。

使用もされていたと思うのですが、開発などで次々と取り壊されてしまい、
現在この写真で残っているのは魚形水雷庫だけになってしまいました。



このような模型がありましたが、「現在地」の札が立っているのが、上の写真の
一番奥の建物の辺りにあたります。

模型は、現在の舞鶴港周辺で、どのように海軍の遺跡が残されているかの説明。
手前の丘を上がっていくと平地に草を刈ったところがあり、わたしたちは
下の駐車場に停められなくてそこに車を置いた(ちなみに駐車料金要らず)のですが、
この模型によるとちょうどその部分の地下には

「第二次世界大戦末期建設の極秘司令部」

が残っていたんですね。



展示されていたこの絵画・・・・これかな?




こちら旧海軍第2船渠を建造している経過写真。
現在はジャパンマリンユナイテッドの第3ドックとして使用されています。

舞鶴に鎮守府が置かれたのは明治34年、1901年のことになります。
その年のうちに兵器廠と造船廠は発足されましたが、2年後、
二つの工廠は統合してここで「舞鶴工廠」が生まれました。

舞鶴工廠では主に駆逐艦と水雷の製造と修理が行われており、戦後、
巨大なインフラは民間の造船所に引き継がれて、舞鶴の発展を支えました。



こちらはジャパンマリンユナイテッドの2号ドック。
旧海軍で明治41年に築造された「第一船渠」は現役です。



現在JMUの第一機械工場として使われているここは、

海軍造船廠機械工場旋盤組立場

として明治36年に作られました。
その頃の建物なのにモダンなのは、アンドルー・カーネギーのカーネギー社鋼材で
アメリカンブリッジ社が設計施工を請け負ったものだからです。



旧舞鶴海軍造船廠発電場(明治39年築)

現在はやはりJMUの第二電気工場として稼働中。



横浜近郊に住んでおられる方は、もしかしたらこの光景に見覚えがあるかもしれません。

横浜は「馬車道」という地名が有名ですが、「汽車道」というのもあります。
JRの桜木町から港に向けて走っていた貨物支線の跡につけられた地名です。
廃線となってからは博覧会の一時を除いて放置されていたのですが、1997年、
その跡を利用してプロムナードが作られ、今日市民の散歩道となっています。

当時川に架かっていたこの第1橋梁、そして第2橋梁を設計したのが、
アメリカンブリッジ・カンパニー」(略称ABC)。


1907年と言いますから、舞鶴に一連の建物を建築し終わり、日露戦争後の
「勝って兜の緒を締めよ」が流行っていた?ころということになるでしょうか。
同社製品は明治30年代、多く日本に輸入されて現在でもその姿を見ることができます。

最後にアメリカンブリッジ社の手がけた有名な橋と建物を列記します。
こんなすごい会社だったとは・・・。


●サンフランシスコ−オークランド・ベイブリッジ
 など、アメリカの「5橋」すべて

●アメリカ最長のコンクリート吊り橋・サンシャインスカイウェイ橋

●世界最長のアーチ橋上位三つ全て・ニューリバー渓谷橋など

●世界最長の連続トラス橋・アストリア・メグラー橋

●余部橋梁(日本)

●シアーズタワー

●エンパイアステートビル

●クライスラービル

●ハンコックタワー

●ウォルトディズニー・ワールド・リゾート


続く。



艦橋 空母「イントレピッド」

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先日、2年ぶりにカリフォルニアの空母「ホーネット」博物館において
艦橋ツァーに参加してきたわけですが、ここニューヨークの「イントレピッド」も、
全艦これくまなく博物館であるわけですので、当然ブリッジの見学もできます。

ここは幾つかの艦内ツァーも企画されていますが、たとえばイントレピッドが
海軍の特別攻撃隊にアタックされたということをネタにした?
「カミカゼ体験」というちょっとしたショーが定期的に行われたり、
(これについては日本人としていろいろ思うところもあったので、また後日)
艦内に設えられた立派すぎるシアターで映画を上映していたりといった感じで、
「ホーネット」のような、艦橋のあちこちを説明してくれるようなツァーはありません。

それというのも、ここは「ホーネット」と違って連日大変な観光客が訪れるので、
艦橋などでツァーをしようものなら、流れが堰止められて大変なことになるからです。

艦橋の通路階段は、たった一人しか通れないようなところがあまりに多いんですね。


というわけで、ここはただ写真を撮りながら歩いただけなのですが、「ホーネット」で
ある程度説明を受けていたせいか、だいたいのことは初めてではありませんでした。

偶然ですが、「ホーネット」も「イントレピッド」も同じエセックス級の短船型で、
ほとんど構造も同じであったということもあります。

ちなみに同じ型の空母にはあの「バンカーヒル」があります。
「バンカーヒル」も特攻機2機の激突によって「イントレピッド」と
全く同じような被害を受けています。
また同型艦「ヨークタウン」は、ミッドウェー海戦において、
空母「飛龍」の航空隊と、伊一六八の攻撃に遭い戦没しました。



艦橋に入る前に、巨大なアンテナのレドームが目につきました。
左のパラボラのようなアンテナは、一部が破損しています。



ビウェアは艦橋の壁に大きく書かれており、

「ブラスト、インテイクとプロペラ(pros)に注意」

と書かれています。
ビウェアとブラストの間に明らかにもうひとつ単語があるのですが、
隠れていてどうしても読めません。

ビウェアのちょうど真上に当たるところに窓ガラスが張り出した船室がありますが、
ここは「ホーネット」で得た知識によると

「Auxiliary Conn Station」(補助操舵室)略称AUX CONN


といって、岸壁にアプローチするときキャプテンを必ず含む士官が全員集まる 
(岸壁に面しているから)操舵室だとおもいます。そうだよね?



ダジャレはさらっと流していただいて、艦橋にはここから入っていきます。

「フラッグブリッジ」「ナビゲーションブリッジ」はここから、と書いてあります。
ナビゲーションブリッジはわかるとして、「フラッグブリッジ」とは?
英語のウィキペディアで「ブリッジ」を調べると、軍艦の場合は

「アドミラルズ・ブリッジが旗艦にのみ設けられており、ここで提督は、
座乗している艦の艦長の戦術指令とは独立して艦隊指揮を執ることができる」

とあるのですが、フラッグシップのブリッジを意味してると考えていいでしょうか。

この入り口の近くに解説版があり、それには

「艦隊行動において空母は戦闘隊の”Primary offensive  weapon"であり、
旗艦となるようにデザインされています。
提督は艦隊司令としてこのブリッジレベル(フラッグブリッジ)で
艦隊指揮をとります」

とありました。


 
レーダーと航跡を記すチャートのあるチャートルーム。

「しかしアドミラルは”イントレピッド”の指揮をとるのではありません。
あくまでも”イントレピッドの艦長”が、この一階上にある
ナビゲーティング・ブリッジから報告を受けて指令を出します」


 

上の地図上に航跡を記すチャートだと思いますが名称は知りません。




 

いずれにしても、同型艦と言いながらかなり中の様子は違います。
その時の状況によって艦橋の配備も随分変更されたようです。



「ホーネット」では紙だったマニューバリング・ボードすなわち「運動盤」が、
ここでは透明のプラ板になっています。
「イントレピッド」は旗艦ですからこの真ん中にいたのは当然として、
周りに何の船がいたのか写真を撮ったつもりが、ピントが合わなくて、
拡大してみても艦隊の艦名がひとつも解読できませんでしたorz



航空管制室。
監視員がいない状態で不特定多数が見学するため、こういったところには
人が入れないようにアクリル板で囲いがしてありました。
こういうのがないと、皆で艦長の椅子に座るのはもちろん、下手すると、
窓枠によじ登って窓ガラスをぶち破りかねません。

特に近年ではアメリカ人だけでなく、中国人の観光客が増えておりまして(ため息)



その実例がまさに展開しております。
この中国人たちは団体に見えますが、実は全く別個のグループです。
「キャプテンズ・ブリッジ」にぞろぞろと入っていくのはいいのですが、



こういう、明らかに「入っちゃダメ」なところはさすがに通り過ぎるだけですが、



この「補助操舵室」の座っても構わない椅子が出てくるや、
一人一人がまず座り、満面の笑顔で写真を撮り、それを全員がやる、
しかも大きな声で騒ぎながら、という始末なので、この写真を撮るのに
わたしはそれが全員終了するまで辛抱強く待っていなくてはいけませんでした。



こんな感じ。
まあ楽しそうなんでいいんですけどね。

日本人ならそこでふと周りを見回して気をつかうだろうなというとき、
あの人たちって絶対に絶対に1ミクロンも周りに意識が向かないのね。

銀座のデパートで買い物をしている時に30センチの距離から知り合いを呼ぶために
耳元で大声でいきなり叫ばれたので、ビックリして思わず振り返って顔を見ても、
本当に気にしない。全く気にしない。自分が透明人間になったような気すらします。

本当に「人種が違う」「人間が違う」としか言いようのない越えられない壁ですね。



それはそうと、キャプテンズブリッジに備え付けのこの装備の役割は?



アメリカ軍ならではの仕様、「コーヒーカップホルダー」。
多少の揺れではビクともせず、しかもカップを取りやすい親切設計。
これがここだけでなく何箇所かあったので笑ってしまいました。

「ホーネット」には見られないものだったので、これはおそらく当艦のアイデアマンが
コーヒーがなくては生きていけない同僚のために開発設計施工を手がけたもの。



磁石に羅針盤、ふた昔前の最新型テレビモニター。



JL、JS、1JS、21JS、22JS、24JS、81JSと目盛りのついた計器。



ヒーターだそうです。
これは室温のヒーターで、クーラーはなし?

窓越しに広がる景色はハドソンリバーと海沿いの街並み。
この辺りは駐車場とかオフィスビルで、住んでいる人はいなさそうです。




補助操舵室のキャプテンチェアの横にあった計器類とパイプ。



ジャイロスコープ。
製作したのはニューヨークのジャイロスコープ専門会社のようです。



かつて「イントレピッド」で艦長と呼ばれた軍人は全部で30人。
1943年の8月16日から1974年4月22日までの31年の間ですから、
平均すれば一人の艦長の平均在任期間は1年ということになりますが、
就役から戦争終結までの2年間の間に在任した艦長は5人。
ここだけが頻繁に艦長が変わっているのは、やはり戦争のせいでしょう。

ただし、朝鮮戦争の時もベトナム戦争の時も、このような傾向は全くありません。



環境にあった特別な寝室。
フネの上でのヒエラルキーは、甲板を基準とすると、甲板に近い方から
船底に向かって階級は少なくなっていくものですが、
甲板のさらに上、艦橋ともなると、そこで寝られるのは艦長か提督だけです。
部屋に応接用の椅子までおいてあることろをみると、ここは艦隊指令の部屋でしょう。



ここは先日「ホーネット」で母艦搭乗員だったウィル元海軍中尉の案内で
艦橋ツァーをした時、わたしが「ここに立ってください」と操舵を任された()
メインの操舵室。

わたしが立たされたのは左側のドラムのようなのの前です。



艦橋には本当にたくさんの部屋がありますが、乗組員はよくこれだけ
入り組んだ迷路のような艦内を迷わずにあるけるものだとおもっていたら、
やっぱり乗組員でも迷子になったり迷ったりするのだとか。
特に着任してすぐの頃には皆艦内を「旅行」して覚えようとするそうですが、
とりあえず迷ったら甲板に一度出てみるのが確実だそうです。



「イントレピッド」の帽子が置かれてる机は艦長の机。
艦長ですから、おそらくここに座るよりCICにいる時間の方がずっと長かったと思いますが。


続く。 

 


掃海母艦の補給〜海上自衛隊掃海部隊訓練

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夏の帰国以来、総火演、舞鶴地方総監部訪問、観艦式、入間航空祭、
そして音楽まつりと切れ目なく参加した自衛隊行事についてお話ししてきました。
これで本来ならば終わりとなるところ、実はわたしにはもう一つ、
自衛隊体験行事が控えていたのです。

掃海部隊の機雷処分訓練です。

一般人に見学をさせるという「公開行事」ではないため、
掃海艇に乗り込んでこの訓練を見学するということは本来不可能ですが、
今回ふとしたつながりから毎年行われる全国規模での参加訓練があることを知り、
そのときにたまたま話をさせていただいた自衛隊の偉い人(いつもいつも”偉い人”
で済ませていますが、これも姓名のみならず役職も上に行くほど数が少なくなって
特定しやすくなってしまうのでこういう言い方でごまかしております)が
に伺ってみたところ、やはり掃海隊の偉い人に話を通してくださり参加が叶ったというわけ。

一般人は観艦式などで護衛艦や輸送艦、潜水母艦や掃海母艦に乗ることができますが、
まず間違いなく潜水艦と掃海艦、掃海艇にのるチャンスはありません。
乗るだけでなく訓練を見学できるというのですから、わたしは狂喜しました。

喜び勇んで掃海関係だった”偉い人” に訓練参加の報告をしたところ、
2冊の関連書籍を参考までにとご紹介くださいました。

「世界の艦船」の掃海隊特集号と、大久保武雄著「海鳴りの日々」 です。

前者は、これまで行われた掃海隊の機雷処分訓練のレポートと、
戦後日本の、つまり自衛隊の掃海の歴史についての元群司令による考察など、
後者は元海上保安庁長官であった大久保氏が、当時初めて世に掃海隊の存在を
知らしめた歴史的記録でもあります。

どちらも初めてこういった訓練の内部に足を踏み入れるために必要な情報なので、
イベント参加とブログのエントリ政策の合間を縫ってなんとか一応目を通し、
当日に臨みました。



当日はソラシドエアの早割を利用。

「窓の下に雪をかぶった富士山がご覧いただけます」

というアナウンスに、一番窓際(わたしの座った列は全部空いていた)に
移動して覗いてみると、こ、これは!



飛行機から富士山を見ることはあっても、富士山「しか」見えないというのは
めったに見られない光景なのではないでしょうか。
この日の宮崎の天気予報は雨。おそらく富士山周辺でも山の下では曇りでしょう。

せっかくの訓練参加なのに過酷な1日になりそうだと覚悟していたのですが、
この光景を見て幸先がいいような気がしてきました。

宮崎空港でレンタカー(ホンダの四角い軽自動車)を借り、高速一本で
約1時間走り、掃海部隊の艦艇が寄港している港のある日向市に向かいます。

掃海訓練というのは一年に基本的には4回行われます。

2月に伊勢湾で行われる機雷戦訓練。

6月中旬から硫黄島で行われる実機雷処分訓練。

7月陸奥湾で行われる機雷戦訓練・掃海特別訓練。

そして11月、日向灘で行われる機雷戦訓練、並びに掃海特別訓練です。 

この4回以外にも例えば24年度だけ八代海で行われた訓練のように、
何かの目的で不定期に行われることもあるようです。

さて、日向市の駅前のビジネスホテルで、わたしは今回の訓練に参加する
きっかけを作ってくださった恩人と落ち合いました。

これらの訓練に何年も前から必ず参加し、掃海部隊の写真を撮り続けている
ミカさん(仮名)、掃海隊近辺でおそらく知らない人はいない有名人です。

自衛隊、ことに掃海隊の存在を知って以来、興味を持ち、
彼らと掃海部隊艦艇の写真を撮るとともに、彼らの存在を愛し、世間に
自分の写真を通してその活動を広報することをライフワークとしている

「得難いファン」(掃海隊の偉い人談)でもあります。

今回は右も左も分からないわたしにとって、頼もしいナビゲーターでもあります。
えき着いたのは10時くらいだったでしょうか。


本来、参加することのできる訓練は1日だけなので、前日の夜でもいいのですが、
ミカさん(仮名)の提案で前日朝から掃海部隊が入港してくるところを見ることにし、
朝0600時の便で入宮?し、翌日の0730の便で帰ってくることにしました。

超ハードモード。
翌日は丸一日、小さな掃海艇に揺られるのに大丈夫なのか?

しかし気力とこの貴重な機会をぜひこの目で見たいという気持ちさえあれば、
船酔いなんて、船酔いなんて絶対しないはずです!(伏線)


ミカさん(仮名)はなんと掃海母艦「ぶんご」が入港したら、中の人が
艦内ツァーをしてくださるという話をしてくれていました。
もしかしたらそれってわたしのために、わざわざ?
もうありがたくて嬉しくて涙が出そう。
これだけでもはるばる宮崎までやってきたかいがあったというものです。

しかし、自衛艦、ことに掃海隊の船の予定は基本的に未定。
艦内ツァーの件も前日まで決められなかったということでしたし、
しかもその当日の今日になって、「ぶんご」は入港がいつになるかわからない、
という連絡をミカさん(仮名)は中の人からラインで受け取っていました。

わたしは自衛官というのは任務中は携帯など全くできず、
下手したら勤務が終わるまで持つこともできないのかと思っていましたが、
今は決してそんなことはなく(教育隊でそうだったので、皆そうだと思っていた)
普通に作業の合間にラインを見たりすることも可能みたいですね。

「これからどうしましょう」

「ぶんごは洋上で子供たち(掃海艇・掃海艦)にご飯をあげてるので、
それをどこか岸からみれるといいんですけどね」

わたしが車で来ていたので、彼女のアプリで「ぶんご」の現在位置を見つつ、
どこに続いているのかわからない山道をぐるぐると走りました。



ようやく「ぶんご」が見える山の中腹のポイントを発見。

「もう少し海岸沿いに行けたらいいんですけどね」



とりあえずここから彼らの「餌やり」を見守ることにしました。



左手には宮崎牛の牧場あり。



牛さんがのんびり草を食んだり日向ぼっこしていました。



口蹄疫などの病気を食い止めるためか、柵の中に立ち入ることを禁止する札。
前のロープには電流が流れているという札もありました。
そうは見えなかったけど、確かめる勇気はありませんでした。



この日空を覆っていた雲の上から轟音が響き、新田原基地から飛んでくるらしい
飛行機が(これなんだろう)あきらかに「ぶんご」の上を旋回していました。
ご挨拶に来たのかな?



「ぶんご」お母さんは、両舷に子供を寄せて給油などを行います。
わたしたちが行ったときにご飯をもらっていたのは
「すがしま」型の6番艦、佐世保地方隊所属の「うくしま」。



「うくしま」が補給を終えて出て行く前に、「ぶんご」の右舷から子供が出て行きました。
なんと、同時に両舷で餌やり作業をしていたようです。

むこうにいたのはやはり「すがしま」型の4番艦、「なおしま」。
呉からやってきています。



次の「子供」が「もりもり近づいて」(ミカさん談)来ています。
「やえやま」型の3番艦「はちじょう」。



「はちじょう」くん、「ぶんご」に接近中。
掃海群第51掃海隊の所属で、横浜が繋留港です。



「ぶんご」の後ろ側のハッチが開いてボートが乗っていますが、
これは人が乗り移るときに使われていました。



なぜハッチに上がっているのかというと、この日は波がうねって
(というか、日向灘はこの季節いつもこのような状態らしい)高く、
ハッチからボートに乗り移ることができないので、乗り移ってから海面に
ボートを押し出すようにしたのだそうです。(後からぶんごの人に聞いた)



いつの間にか向こう側にいた子供が出航。
「すがしま」型の5番艦、「とよしま」、MSC-685で佐世保所属です。

「すがしま」型は今の海自掃海の主流で、もっともたくさんいるタイプです。



先ほどの艦番号303「はちじょう」くんのお兄ちゃん(船は女性ということになっているけど、
どういうわけか掃海艇は母艦が母で子供たちは男の子のイメージ)「つしま」くん。 

「やえやま」「つしま」「はちじょう」はいずれも掃海隊群第51掃海隊。
皆横須賀から来ています。

弟の「はちじょう」が左舷に先に付いているところにお兄ちゃん到着。
「ぶんご」お母さん大忙しだ。



子供たちはお腹がいっぱいになると、右回頭して寄港する港を目指します。
今日は着眼して上陸できる船が多く、おそらく隊員たちにとっては
貴重な時間なのではないかと思われます。



写真で見るとのべつまくなしに進んでいるようですが、実はそうではなく、
わたしたちがここで給油を見守っていたのは、もっといい場所を求めて
さまよっていた時間も含めて大体3時間くらいでした。

近くまで来ているのに、なぜか長時間待たされる船もあり、
「ぶんご」が一向に入港できないわけがよくわかりました。

「ぶんごの入港、夜になるそうですよ」

「た、大変だー」

「とにかくお腹が空いた。何か食べに行きましょう」

とりあえず何隻かの給油を見て気が済んだわたしたちは、
山を降りて自分たちの補給をすることにしました。

 

車の入っていけない道で見つけた謎の建造物。

「トマソン?」



野菜など売っているお店でみかんを買いにたちよったところ、
ブイを利用したかえるらしきものが。

 シュール。



朝から何も食べておらず、3時になって最初の食事にトンカツ。
山盛りのキャベツからいただくという配慮だけはしましたが、
この幹線道路沿いにあったトンカツ屋「不二カツ」、美味しかったです。

言うてはなんですが、山形県の発祥で今都会に進出している「ひらぼく」より
肉はやわらかく、衣は薄くさっくり、そして安い!
この定食(ヒレカツレディースという量少なめ)が1000円だったかな。

おまけに食後にはデミタスカップでコーヒーがサービスでいただけます。



ミカさんのいつもの(笑)
前回スカレーくん二羽だけだったのが、インコが増えておる・・・。



普通の定食はキャベツの山がこの通り。

さて、これからしばらく掃海隊訓練についてお話ししていくことにします。
そう、このわたしに一息ついている間は全くなかったのです。 



続く。
 

寄港する掃海艇(とゴミチェック)~日向灘・掃海隊訓練

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日向灘で行われている海上自衛隊掃海部隊の参加艦艇では、
約2週間行われる訓練の間、当然ですがずっとその中で隊員の食住が行われます。
どこに行こうとも、どこに寄港しようとも、彼らの寝床は自分の艦艇。

こんな当たり前のことですが、わたしたち外の人間には驚くことばかりです。
艦で起床し、任務の合間に食事も入浴も睡眠もその中で行う生活が2週間。

「当然、隊員の皆さんは2週間うちに帰れないんですね」 

特に海上自衛官の船乗りと結婚すると、奥さんは文字通り「船乗りの妻」状態で、
いっぺん出て行くとなかなか帰ってこないものらしいですが、そのことを
あらためて最終日に案内をしてくださった第41掃海隊の司令に伺ってみますと、

「2週間どころかわたしなど2年間単身赴任ですよ」

とのことでした。
司令が特別なのではなく、こういう勤務の自衛官は普通に散見することができます。

海自艦艇というのは究極の職住一体なので、そこでの人間関係を含めて
さぞかし過酷な任務なのだろうなと想像せずにはいられません。

旧海軍の頃から「上陸」というのは大変貴重で彼らの精神的支えとなっていました。
一番キツイ罰直が「上陸禁止」であったり、ネズミを捕まえたら上陸を増やしてもらう
という褒賞としての「ねずみ上陸」という制度があったり、という史実からも明らかです。

海軍が自衛隊となり、軍艦が自衛官となっても、上陸が彼らの熱望であるのは同じ。 



後から調べると、わたしたちが掃海母艦「ぶんご」の給油を見守ったのは、
日向灘を臨む「桃源郷岬」というところからでした。
ちょうどこの岬の先に「檳榔島」という可愛らしい島があるのですが、
給油の写真にはその島影がちゃんと写っています。

普通なら決して見ることのできない掃海母艦の海上給油の光景を、
少し遠いとはいえ何時間も見守ることのできたこの半島は、
わたしたちのような人間にとって、「桃源郷」とまではいきませんが、
わりといい線いっているネーミングであると後で意見を確認し合いました。

写真は「ぶんご」お母さんからご飯をもらって出航したあとの「つしま」ですが、
このあと、わたしたちは「つしま」と岸壁で遭遇しました。



宮崎ってやっぱり食べ物最高、と認識したトンカツ屋での食事後、
わたしはミカさんの案内で、彼らの繋留してある細島岸壁に車を向けました。

すると先ほど見たばかりの「つしま」と再会。

山の上から見たときは小さく見えたけど、こうしてみるとやはり掃海具を積んで
60人以上の乗員で任務にあたり、住居となっているフネだけのことはあって大きいです。



入港作業はかなり前に終わってしまったようで、甲板には
警衛のための隊員がいるだけでした。

ミカさんは掃海隊員を見ると必ず挨拶の声をかけ、何人かは
顔見知りらしく会話を交わしていましたが、「つしま」のような横須賀の掃海艇は、
やはり都会のフネのせいなのか、皆さん対応が比較的「クール」ということでした。



この「うくしま」の補給作業も山の上から見ていましたっけ。
「うくしま」の前には、近所の保育園の先生たちが子供を連れて
入港した掃海艇を見に来ていました。

ミカさんの作品で、昼間に入港してきた掃海隊を、子供たちが自衛艦旗を振って
お迎えしているという大変感動的な写真をみたことがあるのですが、
毎年秋に掃海部隊の訓練が行われるこの地域では、町をあげて彼らの入港を
歓迎するのが恒例となっているそうです。

自衛艦というのは究極の自己完結団体ですから(笑)、帰港しても
旅館に泊まったりするわけではありませんが、その代わり彼らは必ず
寄港地で上陸してそこで飲み食いするわけです。

7つの部隊、20数隻の自衛艦(大きな掃海母艦2隻含む)に乗っている
隊員の数だけでざっと1000人の人間が2週間の間買い物や飲食をおこなうので、
受け入れる町の方も経済効果的にも結構ありがたいイベントであるわけです。

何より、11月後半の2週間というのが暦の上で決まっているため、

「ああ、また今年も掃海隊がやってきたか」

と風物詩のように地元の人々にはとらえられているのかもしれません。




子供たちと自衛官とで「うくしま」前の記念撮影です。
制服の自衛官のうち腕章をつけているのは次の日報道陣の
アテンドをしてくれた広報の隊員であったと記憶します。

翌日の訓練終了後、この方がカートを引いて駅前を歩いているのを目撃したのですが、
どうやらメディアツァーのためにわざわざどこかからか(多分横須賀)来たようでした。



写真を撮り終わって、「ばいばーい」しながら帰っていく保育園軍団。



右側の可愛らしい軽自動車は、わたしが駅前で借りたものです。
Jーネットレンタカーといって、楽天の画面で決算できる業者で、
まるまる1日半借りて8000円くらいでした。安い。

しかし、片側一車線の高速を走行していて、追い越しゾーンが来たので
いつもの癖で追い越しをしようとしたら、全く加速しないのには驚きました。
軽で追い越しなんかするもんじゃないですね。(´・ω・`)

タクシーが何台か泊まっていますが、上陸の隊員待ちだったり、
隊員が町に出るために電話で予約したりした車です。
タクシーにとっても、交通に不便な港と繁華街の往復に隊員が利用するこの時期は稼ぎどき。

おばあちゃんに抱っこされて船を見に来た女の子は、なんとバイキンマンの被り物。
あえてアンチヒーローのファンになるあたり、将来有望(何が)かもしれん。



「クール」(もう少し違う言い方だったけど)と評された「つしま」の艦上には
二人しか人が見えません。

皆もうすでに上陸してしまって、当直以外はいないのかもしれません。



防眩物も、掃海艇のそれはとってもミニサイズ。
観艦式の時に目撃した護衛艦の防眩物の5分の1くらいでしょうか。

「つしま」は掃海「艇」ではなく、掃海「艦」です。
何が違うかというともちろん、大きさ。
「えのしま」型掃海艇が排水量570トンに対して「やえやま」型掃海艦は満載排水量1200トンですから、
ざっと二倍違うことになります。

乗員定数も「やえやま」型が60人、「えのしま」型は48人。
掃海艇はまさに学校の「1クラス」より少し多いといった規模ですね。




艦腹の木目が綺麗に見えていますが、「つしま」の艦体素材は
ベイマツ・ケヤキ・タモなどです。
いうまでもなく機雷に感応しないように木材が使われているわけですが、
「えのしま」型掃海艦からはFRP素材が使われています。



こちら「ひらしま」。
「えのしま」型の少し前の型で、木製の掃海艇ですが、途中で
「えのしま」のFRP素材に移行することが決められたため、3隻で調達は終わりました。

「ひらしま」の名前の由来は沖縄本島と屋久島の間にある「平島」ですが、
旧海軍の敷設艇(機雷や水中用具を敷設する)「平島」から見て二代目ということになります。



戦後自衛隊の敷設艇にあたる掃海艇の命名基準が「島」であることと、
海軍の敷設艇が「平島」であったということは関係があるのかどうかわかりません。

岸壁では地元の人が隊員をつかまえて話に興じています。
今回、訓練を見学することだけは決まっていたのですが、日程が決まったのは
わりとぎりぎりのことでした。
いくつかある漁港と商業港、どこに自衛艦が寄港するのかを含めて、
すべて自衛隊が現地の漁協に地元の船の都合などと照らし合わせて
決めることになっているので、こうなのだそうです。

訓練をするのも、地元の協力なくしては何も進まないということのようです。



掃海隊を撮った写真集をミカさんが下から渡し、皆で拝見。
このあと、紺色の作業服の偉い人の「鶴の一声」で写真集納入決定!



「すがしま」型の11番艦、「ししじま」の横に、同じ佐世保の12番艦「くろしま」
が入港して付けてきました。
末っ子二人同士なのでこういうところでも並べて繋留するんですね。



護衛艦は入港の時に曳船の協力を必要としますが、
掃海部隊は基本的に母船以外は曳船いらずです。
それというのも彼らにはバウスラスターという動力装置が付いていて、
横に動くことができるからです。

掃海艇のスラスターは、この写真を見てもわかるように、波が横一線に出ている
この部分にトンネルのようなスクリューが縦についています。

ちなみにクルーズ客船などはスラスターを大量に付けていて、着岸の際
できるだけ時間をかけないようにしているそうです。
そりゃ客船で護衛艦の時のような着岸をやっていたらお客さんはイライラするし。


今回の訓練では、参加鑑定の間で戦技を競って優秀艦を決めるのですが、
その点数の付け方というのは各部にわたり、例えば服装の乱れがないかとか、
出される食事がどうとか、衛生面はとか、そういうことまで採点されるのだそうです。



驚いたのがこれ。
ゴミの出し方、みたいなアナウンスが聞こえたと思ったら、瞬く間に
ゴミ袋が大量に岸壁に降ろされてきました。

これには写っていませんが、このゴミ出しの一団の中に、黒い服を着て
チェックリストみたいなのを持った人たちが混じっています。

後から聞いたのですが、このリストを持っている人は横須賀の
そういった専門部署の採点官のような人たちで、出されたゴミが適切に
まとめられているか、地方(ここでいうと宮崎市)自治体の規定通りに
ちゃんと分別仕分けできているかをチェックするためにいたのだそうです。

「え・・・もしかしたら、ちゃんと分別されているか、中も見るんですか」

わたしが大いに驚いてこれを話してくれた司令に聞くと

「もちろんです。中を開けてチェックします」

とのことでした。
まるで町内会の口うるさいおじさんのようなことを任務の一環で行っている、
というのも驚きですが、ゴミの出し方に点数をつけられる世界だったとは・・。

自衛隊、まだまだ外の人間には計り知れないことがありすぎのワンダーランドです。


続く。

入港フタマルサンマル( ; ; )~日向灘・掃海隊訓練

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わたしが今まで見たことのある自衛艦は、一般公開のために用意されているか、
見学しても差し障りのない時間に案内していただいたものなので、
今回のように入港したあと皆が日常の作業を行っているところを間近で見るのは初めてです。

今回セッティングしていただいたのは翌日のメディアツァーだったのですが、
前日入りしてこんな「素」の掃海隊の姿を見ることができたのもミカさんのおかげ。

最初に航空隊基地でお会いした時には、通り一遍の挨拶で終わったのですが、
その後横浜で偶然会って、一般公開艦艇の見学をご一緒したことをブログに書いたところ、
偶然そのエントリを読んでくださった方が、ミカさんの知人だったことから、
彼女も当ブログに目を通してくれて、とりあえず安心していただいたようです。

自衛隊にとって「得難いファン」というだけあって、メディアやその他の団体の
自衛隊に対する扱いやことに無理解には大変厳しく、普通の人なら大人の態度でやり過ごすことも
面と向かってはっきりと抗議する、という激しい部分を持った人なので、
実はそんな彼女に今回お誘いをいただき、あまつさえ個人的な艦内ツァーをセッティングして
いただいたことには、何か試験に合格したような気持ちになりました。



隅々まで磨くべきところは磨き上げる。
海上自衛隊の海軍伝統をこんなところで目の当たりにします。
この海曹さんが磨いているのはなにか真鍮の部品でしたが、他の海軍なら
真鍮であっても機能に何の関係もないところは磨いたりしないに違いありません。



作業といいながらもこういう時間は彼らの様子にもまったりというか、
和気藹々とした和んだ表情が見て取れます。
「ししじま」の皆さん。

「ししじま」というのは「獅子島」で、鹿児島県にある人口1000人ほどの島が由来です。
佐世保地方隊沖縄基地隊第46掃海隊の所属、ということは
沖縄のうるま市からここまでやってきているのです。

ミカさんによると、「ししじま」「くろしま」の沖縄組は、次の日の訓練が終われば
もう宮崎には寄港せず帰って行ってしまうということでした。
訓練を消化したということなので、この雰囲気も納得です。

もうちょっとで帰れるぞー!ってところでしょうか。



こちら「くろしま」の甲板。
赤いヘルメットをつけているのは、「危険作業中」だから?
こちらを見ている海曹さんの表情も、心なしか和んでいるように見えます。



ミカさんとお話中、「ひらしま」の偉い人。
足掛け7年、掃海隊を撮り続けているというだけあって、彼女を知らない人はいなさそう。

岸壁を一緒に歩いていると年配の海曹のおっちゃんが、わたしを見てミカさんに

「お、弟子ができたのかい」

まあ、カメラは門外漢だけど、掃海隊については弟子みたいなもんかな。
しかしミカさんは

「そんなじゃないです。偉い方なんです」

・・・・いえ、ちっとも偉くなんかないです。



着岸作業のときには赤いヘルメットをつけると決まっているのでしょうか。



舷悌が急勾配、という雷蔵さんの指摘がありましたが、
これはその舷悌を設置しているところ。

「くろしま」の後部甲板は低いのでそこに掛ければよさそうなものですが、
一般公開の時の写真でも同じようなところに掛けているのを見ました。
後ろは掃海具の関係で舷艇が掛けられないのかもしれません。



海曹が真鍮を磨いている「ひらしま」の後部には、ラッパのようなものがあり、
その真ん中をオレンジのコードが通っています。
これは掃海作業を行う機雷処分具のための電線のケーブルで、ラッパはコードを通すもの。

正式には「誘導電線射出装置」というそうですが、一般公開ではこのように
実際にコードがラッパに通されているというのはまず見ることはできません。



「やくしま」の後部で腕組みをして海(隣の艇かな)を見つめていた隊員さん。

誘導電線射出装置に、誘導電線がどのように通されるかがよくわかる画像です。



この隊員さんもミカさんの顔見知り。

「どうもっす!」



艦首旗は日の丸のようですが、これは国旗ではありません。
あくまでも「艦首旗」です。

これをこう言い張るのは、自衛艦の上においては一番「偉い」というか、
至上の旗が「自衛艦旗」で、識別のためのこの旗は「国旗」であっては都合が悪いから、
とわたしはこの「艦首旗」の謎についてかつて推論を挙げたことがありますが、
結局正しい答えはわからずに今日に至ります。

え?そんなことを気にしている人間は誰もいない、って? 



「うくしま」「とよしま」共に隊員の乗り降りしかしないので、
舷悌は細い板のようなものをちょいと掛けただけです。

自衛官でも上陸してお酒を飲んで帰ってきた時に海に落ちることがある、という話を聞くと、
(海軍でも舷門で怒って舷悌を踏み外した人が確かいましたが)
猿も木から落ちる、という言葉をつい思い出してしまったりするわけですが、
こんなテキトーなもので乗り降りしているのでは、そりゃそんなこともあるだろうと・・。



多分本当に「EOD」、機雷処理を行う水中作業員なのに違いありません。
しかし、「爆発物処理班」という名称の任務は実は自衛隊にはありません。

この名称を用いるのは警視庁の「爆発物処理班」で、英語名称は同じく「EOD」
(Explosive Ordnance Disposal)を用います。

つまりこのTシャツは、この隊員が「洒落」で着ているということになります。
ちなみに、海自のEODは「水中処分員」が正式名称で、「水中処分班」ではありません。

ミカさんによると、横須賀港の軍港めぐりクルーズで、その説明アナウンスがEODのことを
「水中処分班」と言っていたので訂正を申し込んだのにも関わらず一向に変わる様子がなかったとか。

そういえばこの横須賀軍港めぐり、わたしが参加した時にも「そりゃ違いまっせ」と
当時のわたしにでもわかる間違った情報をアナウンスしていた記憶がありますが、
彼女によると、たとえば「あたご」が舞鶴から入港していた時には、わざわざ衝突事故の話を振るなど、
自衛隊(と米軍)の艦艇を見せてお金を取っているのに、好意どころか全く配慮の感じられない
解説を行って恥じないということで、彼女は怒り心頭でした。



この黄色いくじらみたいなのが、水中処分具。
最新型のSー10型機雷掃討具です。
次の日の訓練公開では、この発進から揚収までを見ることができました。

小さくて見にくいですが、クジラの口のようなところの上に目が付いています。
掃海艇によっていろいろと工夫をするのだそうで、隊員が愛着を持って
この掃海具を扱っているということなのです。

クジラくんからやはり黄色い電線のコードが出ていますが、これも
次の日の訓練を控えているからこそ見ることのできた、貴重な光景。




岸壁にはときおり上陸して「シャバ」に向かう隊員の姿が見られました。
車で今回港の近くを走っていると、誰もいない港湾の道路をどうみても自衛官、
みたいなジエカジの人が一人で歩いているのを何度か見かけました。

「基本的にどこにでも歩いて行くみたいですね」

時々ランニングしている人もいました。

「掃海艇は狭いので、陸に上がると無性に走りたくなる自衛官が多いそうです。
フネの生活が続くと”運動不足になってしまう”のだとか」

さすが・・・・。 



さて、時間は少し巻き戻ります。
掃海艇がたくさん寄港していたこの岸壁を「細島岸壁」というのだそうですが、
ここに向かう途中に、こんな場所がありました。
降りると、向こうに積み上げている丸太から加工される木屑のいい香りがします。
ここから冒頭写真の「くろしま」の入港してくるところをみたのですが、
わたしはふと生き物の気配に気づきました。



「あ、犬がいる」

この白っぽい犬がまずわたしをみて「をんをん」を吠え、近づいてきました。

「野良犬かな」「首輪してませんねえ」



一匹は真っ当な?犬なのですが、もう一匹、何か動物が・・・。



「確かに顔は犬であるが・・・」



どおおお~~~~~ん(衝撃音)

「な、なんなんだこの犬わ~」

「うーん、全てが変だ」

「いやー、体型といい、この尻尾といい、キャラ立ってますねー」




なんかポメラニアンのような痕跡はあるものの、犬種は謎です。
わたしも犬の種類には詳しくないのですが。

おまけにこの犬、「わ゛う゛っ、 わ゛う゛っ」というしゃがれ声で
(多分太っていて声が出にくいんだと思う)鳴く声がまたなんとも・・。

飼い主がどうも近くの漁船の中にいるようだったので、あまり大声は憚られましたが、
とにかくわたしとミカさんは二人でこの犬を肴に散々盛り上がりました。



どうも体型が体型なので、こういう態勢でいるのが楽なようです。

「何を食べたらこんな太るんだろう・・・」

「フネに住んでいてお魚を食べ放題なんじゃないですか」



おっと、後足で顔を掻き出した!
・・・・が、顔に足が届きにくい!

途端にミカさんのカメラマン魂に火がついたようで、二人同時にシャッターを切りました。



この後、埠頭で犬を散歩させている人に出会い、わたしたちは声をかけて
この犬の頭を撫でさせてもらったのですが、

「うーん・・・・普通の犬だ」

「あまりに普通ですね」


何が普通なんだ。



とりあえず肝心の「ぶんご」が一向に入港してくる気配がないので、わたしたちは
この近くのイオンタウンに休憩に行きました。
ミカさんにお付き合いしてサーティワンのアイスクリームを楽しんでいると、
「ぶんご」の中の人からラインが来ました。

「入港は8時半になるそうです!」

ラインを見せてもらうと、中の人のメッセージには「泣き顔」マークが・・・・。
あの調子で給油を全掃海艇、掃海艦に行っていたら、そりゃ時間もかかるよね。



とりあえずホテルの部屋に帰り、仮眠をとって出かけることにしました。
外はすっかり暗くなり、駅前のイルミネーション?飾りが灯りました。

おっと、これは明らかにどんぐりの森のあのおばけだ!



右側はどうみてもアメリカの某国際的組織、D社のキャラクターのクマ!
左はわかりにくいけど、毛布を持った男の子の出る漫画の飼い犬! 



これは明らかに日本の生んだ国際的なポケットに入る怪物キャラ!

いいのか?著作権的に、これは全てクリアしているのか?
それとも田舎であるのといいことに、気づかれなければそれはそれでよし、
気づかれても「似ているけど別物」で押し通すつもりか?!

いやー、なんかのんびりしてるっていうか、このゆるい感じがたまりませんわ。


続く。



 

夜の入港作業〜日向灘・掃海隊訓練

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最初午前中ということになっていた「ぶんご」入港が、午前どころか
夜の8時30分になるという話には心底驚愕しました。

自衛隊の部隊行動というのは基本きっちりと予定が決まっているようで、
海は広いな大きいな月は登るし日は沈み風は吹くし波が立つものですから、
予定はいかようにも変更される、ということを今回あらためて知ったのです。




この日わたしは、午前中の入港を待って、そのあとは艦内を見学させていただき、
その後美々津にある「日本海軍発祥の地」という碑を観に行こうと思っていました。

神武天皇が大和地方に向かって“東征”を行ったとき、美々津の港から
船に乗り、瀬戸内海を経て紀伊半島に向かったとされていますが、
即ちこれが、天皇のもとで行動をした最初の海軍であったということから、
ここを「海軍発祥」と定め旧海軍時代に建造された碑があることを、
宮崎行きが決まったことを報告した「偉い人」が教えてくださったのです。 


このほかにも、お賽銭の代わりに素焼きの「運玉」を、海岸沿いの岩場にある
注連縄を張った霊石亀石のてっぺんの穴に投げ込んで願い事をする、という
日南市の鵜戸神宮や、飛行場近くの海軍航空隊の碑にも行くつもりをしていたのに、
結局「ぶんご」の入港待ちでそれどころではありませんでした。

まあ、計1日半の滞在では最初から無理だったという噂もありますが。


入港が夜の8時半ということにどうやら決定したらしいという報を受けて、
わたしたちは体力を温存するために各自ホテルの部屋で休憩をしました。
さすがに当日朝5時に起きていたので、横になるなりうとうとしたのですが、
何分も寝ないうちに電話がかかってきてしまい、そのままホテルを出ることに・・。

しかし、夜の自衛艦入港作業を見ることができるのは
わたしにとって最初で、もしかしたら最後の機会かもしれません。

期待に眠気も疲れも取りあえずさておいた状態で、車を岸壁に走らせました。



「ぶんご」が入港するのはあの「変な犬」がいたところ、「ひらしま」「ししじま」
「くろしま」などが繋留していた岸壁とはまた別の、「つしま」のいた岸壁です。

岸壁に着くなりさすがはプロ、ミカさんは三脚を設置。
そこで初めて、夜景を三脚なしで撮ろうというのが大間違いであることに気付くわたし。

折しも入港し、岸壁に寄せてきている「ぶんご」を迎えられたのは感激でしたが、
ニコン1でこの写真を撮ってみて「こりゃだめだ」と悟り、
ここからあとはコンデジの「カメラ手持ちで夜景」というモードに全てお任せしました。



おお、なんと幻想的なイメージ写真。
しかしこんなことになると少しでも予想していたら、
ホテルでカメラの設定を研究したのに・・・。

それはともかく、この日1日掃海艇と掃海艦を間近で見てきた目に、
全長141m、基準排水量5,700トンの「ぶんご」は超巨大艦に見えました。

以前このブログでお話ししたことのある2002年の国際潜水艦救難訓練
「パシフィック・リーチ2002(Pacific Reach)」では、旗艦として参加し、
艦橋内の多くの士官居住区を、参加各国海軍連絡士官や取材陣に提供したように、
居住性を備え艦隊での指揮能力を有するのですから、この大きさも納得です。

2011年の東日本大震災発災のときには、他の多くの艦艇と同じく救難活動に参加し、
物資の輸送や被災者に対する入浴支援を行いました。
また、「ぶんご」の水中処分員は、行方不明者の捜索と遺体回収作業を行っています。


このときの掃海隊の初動を記した報道記事を見つけたので掲載しておきます。

今回掃海部隊を指揮した掃海隊群司令の福本出海将補は
発災時、庁舎内にいて尋常ではない揺れに危機感を覚えた。

津波の被害を回避するため直ちに横須賀船越港内にいた
掃海艦「やえやま」に出港を命じるとともに、
シンガポールで実施される西太平洋掃海訓練に参加するため、
すでに沖縄に進出していた掃海母艦「ぶんご」、掃海艦「はちじょう」、
掃海艇「みやじま」を呼び戻すことを決意し、上級司令部に進言した。

また、平成5年の奥尻島地震の災害派遣で得た教訓から、
水中処分員(EOD)の必要性を感じ、
隷下部隊から2チーム(8人)を召集するとともに、
災害派遣の正面ではない、呉、佐世保、舞鶴の
各地方隊所属の水中処分員の応援を要請した。

掃海隊群旗艦の掃海母艦「うらが」は発災時造船所で修理中であったため、
掃海隊群司令部は陸上で業務を行っていた。

沖縄から横須賀に到着した「ぶんご」に救援物資などを搭載するとともに、
司令部を「ぶんご」艦内に移転し、三陸沖に向け横須賀を出港した。


続きは残念ながら、定期購読対象の記事だったのでここまでですが、 
この記事から、「ぶんご」が 東日本大震災における旗艦を務めたことを知りました。

しかし、この記事は少し問題があるように思えます。
下線を引いた部分、「水中処分員の必要性を感じ」というのは、まるで
掃海隊司令がこの危急の際にふと思いついたことのような印象ですが、
自衛隊ともあろう組織が、常日頃から地震災害を想定して、津波発生には
水中処分員が派遣されるということを予め決めていなかったはずがありません。

その判断を実際に下したのが掃海隊司令であったということだとしても。

それともう一箇所の下線部「災害派遣の正面ではない」の意味もわかりません。
要するに理解が足りない状態で記事を書いているという感じです。



今回、わたしはメディアツァーの一団に加わる形で見学をしたのですが、
報道のみなさんを見ていて、「なんじゃあこりゃあ」と思うことが少々ありました。



下調べしたり勉強したうえで記事を書いている様子はなさそうでしたし、
実際にこのときの取材が、結局どのような報道となったかをテレビで観ましたが、
はっきり言って、取材など必要なかったのではないかというくらい表層的で、
しかも本質を理解せず、時局柄、政権批判に繋げようとする意図さえみえるものでした。


掃海隊の任務を見学しながらも、わたしはメディアの様子も観察し、
ある「確信」を得たのですが、それはまた後述します。 



三脚代わりに港の舫杭の上にカメラを乗せて撮った写真。
「ぶんご」のオトーメララのシルエットが対岸の灯に浮かび上がっています。

「ぶんご」の影から煌々と灯をつけた曳船があらわれました。
「あたご」「むらさめ」「ちょうかい」と、わたしが今回の観艦式で乗った護衛艦は
いずれも曳船2隻で出入港を行いましたが、全長は20mしか違いません。
もしかしたら、搭載している人数が多いと曳船も2隻になるのでしょうか。


それにしても、いつ見ても曳船の無駄のない機敏な動きは惚れ惚れします。

「曳船、かっこいいですよね」

掃海艇が母艦に給油されているのを「ご飯をもらっている~」とキュンキュン萌える、
こんなわたしたちにとって、曳船は鯔背で鉄火肌の粋なお兄いさんって感じ。



岸壁に近づいてくる「ぶんご」を待っている何人かの人影。
もやいを受け取って杭にかける作業をする人員で、こういうときには
隣に停泊している自衛艦から作業する隊員を動員することになっています。

艦が単体で入港するときには、地元の地本が入港作業を手伝ったりするので、
そんなときには陸自の制服を着た人が、もやいを引っ張ったりする光景が見られます。

これは隣の「つしま」の乗員であると思われます。



まず艦尾から一本のもやいが杭に掛けられました。



一つの杭に計3本のもやいを掛けていきます。



作業を行うとき、もやい杭に艦上から探照灯で光をあてるので、
まるで舞台の上のスポットライトのようにドラマチック。



このように、夜間の入港作業も彼らにとっては日常。
全てが無駄なく的確に、笛の音だけが機関の立てるエンジン音の伴奏のように
一定のリズムと規則正しさを持って夜の岸壁を背景に行われます。

粛々と、という言葉が浮かんでくるほど、それは無駄のない一連の作業でした。



今回の訓練参加では、一般の内部公開では見ることのできない
海上自衛隊掃海部隊の日常の風景を見ることができたのですが、
特に夜の自衛艦入港というのは、掃海隊の写真を撮り続けてきた
ミカさんにとっても、そう経験できることではないらしく、
彼女は写真を撮りながら、

「これはとても貴重なシーンに出会えましたね」

と言っていました。
わたしも、入港が遅れて、「ぶんご」の艦内ツァーができなくなったのは
とても残念ではあったけれど、その代わり、こんな幻想的な夜の入港が見られて、
それだけでも長時間待って、わざわざホテルから出直してきた甲斐があったと、
満足していました。

そして疲れもあってほぼ何も考えていない状態で、
ぼーっとミカさんについて歩いていたら、いつの間にか降ろされていた
舷悌から、これもいつの間にか降りてきた海自迷彩の自衛官が
シャキーン! ∠(`・ω・´) と前に立つではありませんか。
ミカさんが艦内ツァーをお願いしてくれていた「ぶんご」の副長でした。


「今から艦内をご案内します」

えっ!? ええええーっ!?

当初の予定である午前中の入港後ならともかく、遅れに遅れた入港の結果、
いまなんじですか?
・・・・はい、9時30分すぎくらいですね。
わたしの記憶によれば、 海上自衛隊ではもうすぐ消灯時間だったような。

「 大丈夫です。乗員は10時から上陸です」

入港が遅れたので、上陸時間も配慮して消灯時間無視で許可されたようです。
ちなみに門限は (帰艦っていうのかな)は12時。夜中の0時です。

こんな夜遅くに、しかもたった2時間上陸するだけなんて、という気もしますが、
ちょっとの間でも陸に上がって「シャバ」の空気が吸いたい、
と思う乗員は結構多いのかもしれません。

それはともかく、そんな貴重な時間に、いくら約束していたからといって、
しかも隊員が生活する艦内をこんな超門外漢に見せてもいいのでしょうか。

「構いませんよ。どうぞ」

こんな時間に、しかも1日波のうねる日向灘で補給作業をしてきたのに
にこやかな笑みを浮かべた副長は、疲れなど微塵も感じさせない様子で
先頭に立って舷悌を登っていきます。


というわけで、わたしたちは「ぶんご」の夜の入港を見守り、次いで
夜の「ぶんご」艦内に潜入(ってかんじ)することになったのでした。


続く。 

 

ジュージャンと上陸〜日向灘・掃海隊訓練

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艦艇の一般公開は常に昼間にしか行われません。
1日を艦上で過ごす観艦式でさえ、下艦はどんなに遅くとも夕刻で、
日が沈んだ後、船の中はどのような状態になるのか、乗員は何をしているのか、
そんな様子は本来ならば想像すらしないのが一般人というものです。

海上自衛隊と関わるようになって、特に最近は、普通の人が目にすることのない
部分をそれなりに目にしてきましたが、今回のように夜の、しかも消灯前の
自衛艦の中を体験できることになろうとは、全く予想していませんでした。

これというのも「ぶんご」の1日の補給作業が長引き、入港が夜になったからで、
さらにこんな時間にツァーを決行してくださった副長のS2佐ののおかげにつきます。
もとより自衛隊公式の一般公開などではなく、ミカさんが

「せっかく遠いところからこのためだけに来たので、中を見せてあげてほしい」

と頼んで、すなわちこのわたし一人のために計画されたにすぎないものでした。
ただでさえ予想外の入港遅れで、深夜といってもいい時間に着岸したのですから、

「お約束してましたが、こんなに遅くなってしまったのですみません」

と体よく断られたとしても当然ですし、わたしは実のところそうなるだろうと思っていたのです。
それだけに副長が迎えに来てくれ、いよいよ「ぶんご」に潜入するとき、
わたしはいつも自衛艦に乗り込むときの倍以上、ワクワクドキドキしていました。 

外の人に見せるためではない、自衛艦の夜の顔、乗員の夜の日常を
皆さんにここでご報告できることは、冥利に尽きるというものです。



最近では自衛艦見学も数を重ね、はっきりいってオトーメララなど、
珍しくもなんともなくなってきたという今日この頃のわたしでございますが、
夜の艦内灯に照らされているとなると話は別です。

舷悌を上がっていくとまず前甲板なので、副長はまずここから始めたのですが、

「これはイタリア製の主砲です」

という説明に対し、わたしが

「オトーメララですね」

と相槌を打つと、それだけで、わたしがどの程度の予備知識があるかを悟った副長、

「あ、この辺りは説明しなくても大丈夫ですね」

と心なしかほっとしたように次を急ぐ構え。
たいした違いはないかもしれませんが、全く基礎のない人にゼロから説明するよりは
ちょっとは気が楽、と感じていただけたのだとしたら幸いです。



甲板の上には先を岸壁に掛けられたもやいが長々とあちこちにうねっています。
巨大な艦体を係留しておくものですから、岸壁のもやい杭には引っ掛けているだけでも、
艦の側は幾つもの杭に6重にもやいを巻きつけています。



しかもそのもやいをたぐっていくと、甲板の下の階から来ているという・・。
つまり繋留中、この丸いハッチは開けっ放しってことですか?

停泊中大雨にでもなったら、この部分には傘をさすのかが気になります。



わたしたちが甲板をあとにするとき、甲板の上で作業していた人たちが集まりました。

「全員いるかどうか確認するんです」

このような作業は大変危険を伴うものなので、作業中人しれず海に落ちていたとか
そういう事故が起こっていないかを確認するために行う点検です。

「舫は切れることもあるんですよ」

そういえばコメント欄でもそんな話題になったことがありましたね。

引っ張る際、もやいにはかなりの張力が掛かります。
側で見ると、あの太いもやいが明らかに伸びるのがわかります。

張力が掛かった状態でもやいが切れるとものすごい早さで跳ね回り、
足に当たると切断を余儀なくされる程のダメージを負うので(略)
実際にそういう事故も起こっています。(雷蔵さんコメント)

副長がおっしゃったとき、わたしは瞬時にこのコメントを思い出しました。
しかし、このもやいそのものの素材は昔と変わっていないのでしょうか。
「もやい 素材」で検索しても、モアイの写真がでてくるばかりで(´・ω・`)
結局わからなかったのですが。

重量と扱いのことを考えると切れる可能性があってもせいぜいナイロン素材など、
復原性の高いものにする以外はないのかもしれません。



前甲板から左舷側を(さげんではなくひだりげんといいます。
なんでも省略する海自ですが、この件については長くなっているのが面白い。
右舷もうげんではなくみぎげん。多分聞き間違いしないようにだと思います)
艦尾に向かって歩き出したところで、なにやらおもしろそうな光景が。

「今から補給を艦上に積む作業が始まります」

「ものはなんですか」

「ジュースですね」

そういえば、舷悌を登る前、岸壁で業者らしい人が自衛官と
納入のようなやり取りをしているのを見ましたっけ。
このジュース納入業者も、午前中に入港と聞いていたのに、結局
こんな遅くまで待たされていたということになります。

自衛隊、ことに海上自衛隊相手の納入業者は大変だー。 


 
床に白線で囲んだ楕円状のハッチが持ち上がりました。
なんとこれ、エレベーターだったのです。



手すりのない板状のリフトが下の階に見えています。 
舞台のセリみたいな感じですね。



見ている間に床がセリ上がってきました。
艦内に荷物を運ぶのは全てこのようにエレベーターを使うんですね。

戦艦「長門」の艦長だった海軍中将の息子という人から、
艦長が外地で購入したスタンウェイのアップライトピアノを長門で運ばせて
それが家にあったという話を聞いたことがあり、そのときに
ピアノなんてどうやって戦艦に乗せたんだろうと不思議でならなかったのですが、
当時の戦艦にも空母のようなエレベーターがあったとすれば納得できます。 

 

ぴったりと気持ちよくせりあがったリフトに、これからクレーンで
岸壁から積み込まれた荷物を置いていきます。

「あのクレーンを操縦している人は特別な資格がある人ですか」

「乗員が訓練して操作できるようにします」

この隊員さん、上陸してクレーンゲームをしたらものすごくうまかったりして。
クレーンで持ち上げた荷物には風で揺れたりすることを制御するためか、
どこかに結びつけたロープが繋がれています。 

 

荷物が無事にエレベータのパレットに乗りました。
どれどれ、中身は何かな?と近寄って写真を一枚。全部お茶の模様。



荷物が下ろされたら、素早くクレーンの先のワイヤから荷物を外します。
考えたら、艦内で使用する消耗品、食料や日用品は毎日のようにこうやって
クレーンで搬入するのですから、彼らにすればルーチンワークなんですね。

でも、わたしたち外の人間にとっては全てが珍しいことばかり。



こちらは何かと見てみたら、缶コーヒーでした。

「これは自動販売機に入れるんですか」

「そうです。ジュースやアイスクリームの搬入は大切なんですよ。
じゃんけんで負けた人が参加者におごるという習慣がありまして」

おお、それは噂に聞く「ジュージャン」「アイジャン」というやつですか。
陸海空自衛隊全てに深く浸透しているこの「賭けじゃんけん」、
自衛隊発祥なのかどうかは知りませんが、副長がこういうくらいですから、
「ぶんご」でも毎晩誰かがじゃんけんに興じているのでしょう。

この「ジュージャン」、参加人数はだいたい3人から多くて7人くらいですが、
何かのはずみで数十人単位(50人くらい)で行われることがあり、その時には
艦内の自動販売機がいくら安めに設定されていると言っても、運の悪い人は
一瞬にして数千円ぶんをおごるということになるそうです。

任務がそのまま生活と直結している海自の隊員たちは、このように
なにかというとじゃんけんで生贄を決めておごらせるというゲームをするのですが、
ジュースやアイスクリームだけでなく、飲み会の時のビール、
上陸の時の回転寿しなどもその対象になるのだとか。 

ビールやお寿司で負けると痛いよねえ・・。

いい大人がジュースやアイスを賭けて真剣にじゃんけんをする職場というのも
おそらく日本で(たぶん世界でも)自衛隊ぐらいではないかと思うのですが、
それも、職住一体の極めて閉鎖された環境の中では、
こんな他愛もないちょっとした賭けごとが気晴らしとなり潤滑油ともなるのでしょう。

ちなみにこういったものは先任海曹の管轄下で管理されるということでした。



さて、この作業を興味深く見守っていると、副長が

「これに乗って下の階に行きましょう」

とおっしゃいます。
ミカさんは後ろ向きでないとラッタルが降りられないそうですし、
今日はカメラに三脚まで持っているのですからありがたい話です。

何よりこんな機会、またとありません。
ちなみに彼女がラッタル昇り降りの時には、同行の隊員さんが三脚を持ってあげていました。



ジュースとともに地下に運ばれていくわたしたち。
こういうときには「サンダーバードのテーマ」がBGMにいい感じ。

ミカさんはカメラではなく携帯の動画を撮影中。
わたしのように艦内の説明を受ける必要がほぼないという人なので、
ツァーの間じゅう独自に写真を撮っておられました。



そして下の階に到着。
すでにそこには一個連隊ぶんくらい?の乗員が待ち受けていました。

「目的まで一歩も歩くことなく荷物を受け渡しして運びます」

このジュースの箱の山が全部搬入を終えるのにおそらく何分もかからないかもしれません。

ところで前回書いた「深夜10時から2時間だけの上陸」というのが 、多くの人々に
ちょっとした衝撃を与えたようですが、艦内を少し見る限り、自衛艦のなかは
年中無休で24時間誰かが必ず任務に就いているのが普通です。

ここでジュースのリレーをしている隊員さんも、もし入港が遅れず、
午前中に作業が終わっていれば、今頃全く違ったことをしていただろうし、
そもそも夕刻からなら上陸できていたに違いありません。

 つまり、たった2時間であろうが深夜であろうが、可能な時に上陸しておかないと、
特にこのような訓練の間は次いつ上がれるかわからないということです。

少しの時間も惜しんで陸に上がろうとするのも、ハーロック三世さんのおっしゃる

 艦艇も飛行機も乗っている間は逃げ場もなく、閉鎖された空間でであるから、
その状態から精神を一気に解放して平衡を保つ為の時間

が彼らにとって真に必要であるということなのでしょう。 

 

続く。




 

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