ボストンのウォーターフォール市にある「バトルシップ・コーブ」。
自称世界一の充実した戦艦博物館ですが、その中でもメイン展示であり、
ここの目玉でもある戦艦「マサチューセッツ」の見学もようやく
艦内の主要施設に到達しました。
戦艦の心臓部が機関室だとすれば、頭脳に当たる、
CIC、コンバットインフォメーションセンターです。
しかしその前に、CIC周辺にあった施設を見ることにしましょう。
ここは「キャプテンズ・オフィス」です。
戦艦という社会単位における行政の中心となります。
というわりになんだかスカスカした間取りのような気がしますが、
いわばここは艦長の秘書室みたいなところですから、広々とした部屋で執務を行うべし、
ということかもしれません。
それとも、体重120キロだった最後の艦長シャフロス中将のための特別仕様?
部屋には執務机がいくつかあるのですが、これは艦長以外では
副官とか事務官なんかのオフィスワーカー専用であろうと思われます。
この入り口にあった説明には、
「フネが一つの市だとすれば艦長は市長、そして乗組員は市民。
ただしこの市民は全て市長のために雇われていて、衣食住、
給料から教育、交通や娯楽、訓練などのために働くことを求められます。
乗員にはキャプテンズ・オフィスに対して敬意を払うことが常に求められ、
艦長はこのオフィスに対して幾つかの権限を委任するのが一般的でした」
と書いてありました。
壁にはルーズベルト大統領の写真がありますね。
ところで権限が与えられていたわりに、彼らはこんなベッドで寝ていたようです。
まるで収納棚のような高いところにあるベッド、どうやって登るのでしょう。
仕事が終わったら机の上から靴のままよっこらせ、ってか?
この事務所の役割は、無線、下達された命令の全て、補給に関すること、
告知や通達の全てを記録(スコア)することでした。
海軍の活動についての広報も全てこのオフィスを通して行われました。
「Warrant Officer's Stateroom」
ベテランの専門職集団である准士官は下士官の特権階級です。
彼らの居住区(カントリーという)はセカンドデッキの一隅を占めており、
各々が個室を与えられていました。
英語では士官を「コミッションド」、下士官を「ノン・コミッションド」オフィサー、
といいますが、この「ウォーラント・オフィサー」というのは、いわば
「コミッションドとノンコミッションドの間」の地位にあたります。
現代の自衛隊では「准尉」がこれにあたります。
去年の観艦式で朝開場を待って並んでいたら、出てきた自衛官の一団が
そのうちの一人に「◯◯准尉」と呼びかけていたので、
海自にも准尉っているんだなあと思った覚えがあります。
海自では、准尉とは
掌船務士等(艦艇において副直士官として当直士官を補佐)
海上訓練指導隊指導官(艦艇乗組み幹部等の術科指導を実施)
司令部の班長等、特技に関する専門的事項について幹部を補佐する職
となっており、
「特技職における熟練者としての高度の知識及び技能並びに
海曹士としての長年の経験を背景に幹部を補佐する職」
「分隊士及び係士官として特技職に係る専門業務及び業務全般について
幹部を補佐する職」
やはりこちらも専門職であることを限定されています。
ここでふと気付いたのは、自衛隊の規範には「幹部(士官)の補佐」
とあるのに対し、アメリカの准士官はそれだけで5階級に分かれており、
非常に独立性が高い専門職であると明言されていることです。
このためアメリカでは、ベテラン准士官が将校よりも高給であることも
珍しくないそうですが、自衛隊がこの点どうなのかはわかりません。
その准士官の居室の机の上を見てみましょう。
コーヒーにオレンジジュース、そして灰皿にはパイプ。
パイプを嗜むというのは結構手間のかかることのように聞きますが、
准士官とパイプ、というのはというのはイメージが合うのかもしれません。
机の上に置かれた木箱の「ダッチマスター」というのは、
今でも手に入れることのできるアメリカ製の葉巻のメーカーです。
読みかけの本はベテラン船乗りらしく、艦船のグラフ雑誌ですね。
部屋には二つのバンク、(あれ、二人部屋?)洗面所、
机、電話も備えてあり、これが典型的な当艦の准士官室の仕様でした。
手前の陸軍ちっくな軍服はおそらく「タン・ドレス・ユニフォーム」でしょう。
軍服といえば、廊下にいきなりガラスケースがあってそこに展示されていた
刺繍入りの下士官用軍服。
全貌はよく見えないのですが、裏地に縫い取られた刺繍の意匠は
どうみても、ドラゴン。
裏地に龍を刺繍で入れるなんて、まるで日本の堅気でない人みたいですが、
これには
Chief Carpenter's Mate Uniform Jacket
と説明がありました。
カーペンターズ・メイト、とは19世紀から1948年まで存在した海軍の所属です。
大工仕事をする小隊でCMと略称がありました。
所掌する任務は、艦内の換気、水蜜制御、塗装、そして排水に関わる全て。
戦闘時には砲撃の補助を行い、いざどこかが破損したとなると、
木材などで破口を塞ぐなどのダメージコントロールを行いました。
1948年にはこの名称は、「ダメージ・コントロールマン」と変わりました。
このジャケットはカーペンターズメイトのチーフであった
ジョン・フランシス・ドネリーが着用していたもので、彼は第二次世界大戦の
終わり頃、上海にいて船舶の修理に携わっていた人物です。
彼はタバコを吸いませんでしたが、配給品を必ず受け取り、
上海の路地にあった刺繍屋で煙草と引き換えにこの龍の刺繍をしてもらいました。
軍の規則があるのでジャケットの裏地にしてもらうしかなかったのですが、
戦争が終わり、帰ってきた彼を抱擁した彼の妻は、その刺繍の手触りを
制服の下にコルセットと包帯をしているのだと勘違いして動揺したそうです。
そのドネリー兵曹の職場であった「カーペンターズ・ショップ」。
平削りかんな、糸鋸盤、テーブル鋸など、木工に必要な道具があります。
また、ここは同時に「シップフィッター・ショップ」 でもありました。
シップフィッターとは、配管やダクト、溶接に関する仕事のことです。
これらの作業のためのツール・ショップは艦尾にだけありました。
GEやシルバニアなど各社の電球のスペアが棚に並んでいます。
木工する際に必要な大きなテーブル。
向こうには電動糸鋸も見えます。
戦艦の中は一つの社会。
というわけで、乗組員は「ワーカー」ですから、当然お給料が出ます。
ここは「ペイ・オフィス」、給金を配布する事務所です。
このオフィスの責任者は”distributing officer”というのですが、
自衛隊で言うところの「会計隊長」といった感じでしょうか。
その下には、会計課の隊員がいて、業務をこなします。
どうでもいいですが、このオフィスのドアの前のパイプ、
どうしてこんなところに突き出しているのか・・・。
大きな金庫が右側に見えています。
この金庫には100万ドルの現金が常備されていました。
「ペイデイ」というお菓子がこの頃あったという話をしましたが、
この給料日は海軍の艦船の場合、半月に一度となっていました。
月二回ペイデイがあるというのも、なんだか得した気分ですね。
あったらあるだけ使ってしまう人にはありがたいシステムと言えます。
給料はチェックか現金で支払われました。
余談ですが、アメリカはチェックでしか払えないという場面があるので
(家賃などは必ずチェックを封筒に入れて支払ったりする)
わたしも口座を開設したときにパーソナルチェックを作りましたが、
数字は改ざんの恐れがあるので必ず、
eleven hundred forty five 50/100 dollars
(1145ドル50セント)
という書式で書かないといけないのです。もちろんその場でね。
よく映画で、金持ちがさらさらっと一瞬で書いて、
ピリッとチェックを切ってますが、あんな早く書けるわけないじゃん、
といつも思います。
ところが、ネイティブが切っても結構時間がかかるこれを
スーパーマーケットのレジでやおら書きだす人がいるんですわ。
今まで見たそういう人たちはまず間違いなくご老人(おばあちゃん)
なのだけど、そのせいで余計に時間がかかってしまうのが常で、
レジの前の老人がチェックブックを広げ出したら、わたしは
ああ・・・と絶望したものですよ。
と、全く関係ないですが、そういうチェックで給料を払う事務所。
全員の家族手当の記録や口座などの記録もここで保管されていました。
奥にあるグレーのスチール棚などにその記録が保管されていたのでしょう。
万が一、乗組員が危急の場合には、エグゼクティブ・オフィサーの許可のもとに
特別にお金が支払われるということもありました。
危急といえば、この「マサチューセッツ」のペイオフィスの金庫が
一度壊れて開かなくなったと言うことがあったそうです。
中には100万ドルが入っているというのに、押しても引いてもドアが開かない。
あらゆる手を使って開けることを試みたものの、結局ダメだったので、
仕方なく金庫を取り外して外で壊す羽目になったということです。
飾り付け?はしていませんが、これは士官の居室(ステートルーム)
であろうかと思われます。
ベッドの下に引き出しがたくさんあって収納は便利そうですね。
通りがかりに見たこの辺りのトイレ。
以外と広々しています。
機材が新しいところを見ると、今でも使っているのかもしれません。
ビナクル BINNACLEとはなんぞや。
たとえばヨット用語によると、
「ラットを保持する円柱状のポスト。ステアリングペデスタルと同じ」
となっていて、さらに意味がわかりません。
ここの説明によると、ビナクルは艦橋の、舵輪の正面に据え付けられており、
一つかそれ以上のコンパスとそれを夜間視認するための小さなライトでできています。
海事用語では「羅針儀架台」となっています。
ビナクルはナビゲーションを素早く見るためのもので、かつ繊細な機器を
保護する役目を持っています。
それは内部にジンバルを備え、これによって波の動揺などの干渉を受けず
磁石を保持する仕組みになっています。
速度を推定する砂時計(サンドタイマー)が格納されていることもあります。
左右にボールを支えて持っているようなデザインですが、このボールのことを
イギリスでは「ケルビンのボール」といいます。
木造の船の時には普通に使えていた磁石ですが、鉄でできた船の出現によって
狂ってしまうという問題が生じてきました。
そこで、この二つのボールの中に
compensating magnets、補償磁石?というものを入れて問題を解消した
ロード・ケルビンという人が特許を取り、こう呼ばれていました。
アメリカではシンプルに「ナビゲーターズ・ボール」と呼んでいます。
ビナクル、という言葉を探しても不思議なくらい日本語では出てこなかったのですが、
日本では単にこれを「磁気コンパス」と称しているからみたいですね。
ちなみに現在、日本の企業によって売られている磁気コンパスは
このようなものですが、昔のビナクルとほぼ変わりのないシェイプをしています。
それもそのはず、この磁気コンパスとケルビンのボールのシステムは
現在でも船舶用のコンパスに使われているからなのです。
続く。