この写真を見ていただければ、
「PROJECTILE FLAT 」(砲弾室)
に到達したのがこの戦艦「マサチューセッツ」見学の白眉であり、
とりもなおさず、アメリカで訪れたすべての軍艦見学の中でも最も感激し、
また興奮した瞬間だったというのがわかっていただけるでしょうか。
当たり前ですが、これらはすべて本物のつまり砲弾です。
プロジェクタイルは直訳すると「発射体」となります。
迷い込むように狭い通路から、まるで梯子のような階段が続いているのを、
ドキドキしながら一人で登っていってこの砲弾の林のような光景を見たとき、
わたしは思わず、
「すごい・・・・何これ」
とつぶやきました。
ここは、16インチ砲を格納しておくフラット(階)。
ちなみに平面図はこうなっています。
丸いものがもちろんここに格納されている砲弾。
戦艦には常時この砲弾が1300発ストアされていたということです。
線が引いて説明してあるのは、すべて配置されている砲員です。
「シェル・マン」(砲員)が全部で9名、巻揚げ機のオペレーターが4名、
下士官が1名(おそらくここの指揮官)。
二重になった砲郭の、さらに内側にエレクトリシャン(電気係)が1名。
こんな布陣でここでは任務が行われました。
一般に16インチ砲塔には二箇所の砲弾置き場が下階に設けられていますが、
「マサチューセッツ」の3基の砲台のうち、もっとも背の高い第2砲台には、
それとは別に「バルコニー」と称するもう一つのフラットが併設されていました。
それがこの、わたしが現在立っているところだったわけです。
戦艦の砲は艦首から順番に1、2、3と番号が振られますから、ここは
艦首から2番目にある16インチ砲であったことがこのとき初めてわかりました。
あらためて見ていただきたいのですが、手前のが第1、後ろに見えるのが第2です。
第2砲台のターレットが3つの中で一番背が高いというのがお分かりですね。
1942年の「カサブランカの戦い」(仏海軍の駆逐艦ジャン・バールに発砲されて
撃ち返したのが第2時世界大戦初の軍艦の砲撃だったというあれ)の時には、
砲弾はここから前方の第1砲、艦尾の第3砲までモノレールで移送されました。
モノレールは、セカンドデッキ(甲板下階)とサードデッキ(その下)を
砲弾の運搬を目的に敷設されていました。
そして説明板のせいで大変見にくいのですが、中央には弾丸を
上部の砲のあるところまで運ぶための機構が見えます。
上にはかつてモノレールのレールだった部分がそのまま残っています。
それにしてもみなさん、驚きませんか?
わたしはこのフラットの通路を、一周することができたのですよ。
横にずらりと並べられた砲弾も、触り放題です。(ちょっと触ってみました)
その気になれば(なりませんが)、こっそり油性ペンで自分の名前を落書きできるし、
さらにその気になれば、持って帰ることも・・・・。
もちろんこれを抱えて細い急な階段を降りねばなりませんし、
そもそもそれぞれの砲弾はしっかり根元を固定されていますし、
これを持ってゲートを出ることは物理的にも不可能ですが。
あまりの気前の良さ?に唖然としてしまう前に、これらの砲弾が
すべて火薬が抜いてあるのか心配になったくらいでした。
するとやはり、しばらく行ったところにこんなお知らせが貼ってありました。
お客様へ
わたしたちバトルシップコーブに展示されている軍事装備は、
海軍及び陸軍のEOD(爆発物処理班)によってすべてを確実に無力化
(不発化、不燃化)されております。
一般に、弾丸、砲弾、手榴弾、小型爆弾などの爆発の危険のあるものが
まるで記念品のように扱われることもありますが、これは大変危険です。
このようなものは、扱い方によってある日突然何かに反応して
爆発する可能性があるということです。
あなたがもしこのような爆発の危険のある装備を持っていて、それが
EODのような専門家に鑑定を受けたものでなかった場合には、
所轄の警察か地元の役所に届け、万が一爆発の危険があればそれを
処理してもらうのがよいでしょう。
間違っても自分で処理しようとしたり捨ててはいけません。
高い専門知識を持ち訓練を受けた者だけがそれをすることができます。
生きている爆発物ほど価値のない記念品はないのです。
ここにずらりと並んだ砲弾がすべて安全なものであると安心させるついでに、
しっかり啓蒙を行っています。
それにしても、古い弾丸や手榴弾などがそんなにあちこちに出回って
家に持っている人がいる、ってことなんですよね。
さすが銃が州によっては合法な国だけのことはあります。
このフラットからはもちろん透明のアクリル板越しにですが、下の階である
パウダーハンドリングルーム(火薬取り扱い室)を見下ろすことができます。
艦内に監視員や説明員を一切置いていませんが、見学者の不慮の事故を
できるだけ防ぐための気配りはそこここに見られ、この点においても
他の記念艦より格段に上のように思われました。
この写真で右に見えている長方形の塔が、砲弾のエレベーターである
ホイストです。
このスリットの内側は、砲が旋回すると同時に回転します。
16インチ砲の旋回角は「ー145°から+145°」だったといいますから、
290°も稼働したということになります。
実際の戦闘のときには砲撃をする方向がそんなに目まぐるしく変わる、
ということはありえないので、この床がニューオータニのスカイラウンジのように
ぐるぐる終始回っているわけでもなかったでしょうけど、それにしても
床が回転する戦闘中には、どうやって砲弾の運搬が行われたのでしょうか。
中央にキャプスタン(糸巻き状のもの)が見えていますが、
これには「ジプシー・ヘッズ」(ジプシーの帽子みたいだから?)
という名称があり、砲弾をホイストまで運搬するときに使われました。
どうやってホイストを使ったのかの説明はありませんでしたが、
この当時の写真を見ると、引き出す予定の手前の砲弾に鎖を巻き、
さらにその鎖を対面に渡してキャプスタンに掛け、引っ張っています。
大の男一人でも持ち上げることすらできないみたいです。
これではなおさら持ち帰るのは無理ってことです。
赤で線を引いておいたのが、プロジェクタイル・フラットです。
ここに書いてあることは全て今まで説明してきたことばかりですが、
一回の射撃につき、パウダーバッグが6個必要であるとあります。
バーベット断面図。
こちらは「バルコニー」のない砲塔です。
戦艦「マサチューセッツ」の設計は
"All Or Nothing Armour" (0か100かの装甲)
と言われていました。
いわゆるバイタル・エリアだけを重点的に分厚い装甲で守っていたけれど、
その他は非常に脆弱だったという意味です。
結果的にそれは砲塔と砲弾庫だけが異常に守られていたということでした。
人間でいうと頭だけを守り、手足の防御は薄くするようなものです。
「攻撃は最大の防御に通ず」
をそのまま地でいっていたということなのかもしれません。
しかし、彼女がそうならざるを得なかった理由というのは、
1922年のワシントン海軍軍縮会議の結果にありました。
上がマサチューセッツ、下は戦艦「アリゾナ」です。
「アリゾナ」が建造されたのは「マサチューセッツ」の26年前。
この間、戦艦の設計思想がどう変わったのか一目でわかりますね。
「マサチューセッツ」に搭載されていたMk 2 16インチ砲は、
それまでアメリカ海軍の戦艦で用いられてきた50口径14インチ砲を
凌ぐ威力を有するものとして開発されました。
最初にこれを搭載したのがサウスダコタ級戦艦(3連装4基12門)
及びレキシントン級巡洋戦艦(連装4基8門)。
「マサチューセッツ」はサウスダコタ級の4番艦です。
つまり「マサチューセッツ」の装甲が砲塔に集中したのも、
これが当時の最新兵器であったからということが考えられます。
ターレット周りの装甲という点から二つの艦を比較してみますと、
アリゾナ 正面:18 サイド:9 後ろ:9 上部:5
マサチューセッツ 正面:18 サイド:9.25 後ろ:12 上部:7.25
で、特に背面の強化をしているのが目に付きます。
「アリゾナ」のバーベットの厚さは13インチ。
「マサチューセッツ」は11.6インチでしたが、セカンドデッキから下の部分は
「アリゾナ」の場合4.5インチしかありませんでした。
これに対し、「マサチューセッツ」の砲塔下部の厚さは17.3インチと、
とんでもなくこの部分を強化していることがわかります。
それにもかかわらず軍縮条約で重量を制限されてしまったので、
「オールorナッシング」でその他を薄くせざるを得なかったというわけです。
このように重量を削減し、16インチ砲を搭載したサウスダコタ級の建造によって
アメリカは海軍史上最大最強かつ最速の戦艦を作ったつもりでした。
しかしながら、八八計画によって建造された帝国海軍の戦艦と比較すると、
砲力や防御力は同等かそれ以上でしたが、速力において大きく劣り、
また、イギリスのN3型戦艦と比較した場合でも、砲力において下でした。
(イギリスは18インチ砲を採用していたため)
これらのことから、
アメリカは世界最強の海軍を実力で築くことが容易でないことを悟り、
ワシントン海軍軍縮条約によって政治的に築く途を取る事になるのである。
(wiki)
軍縮条約では世界一のイギリスには遠慮しつつも食い下がり、同等の権利を得て、
その分他の国、ことに日本にしわを寄せまくったってことですねわかります。
砲塔の「エレクトリック・デッキ」図。
三つある砲の「レイヤー」が備わっています。
ここで各砲の電源を管理していたということなのでしょうか。
どこにもこのデッキについての説明がなく、残念ながらこれ以上のことは
わかりませんでした。
続く。