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乗艦と士官室〜護衛艦「あきづき」体験航海

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さて、丘の上から軍港佐世保を見下ろすために取った
今回の佐世保のホテル「弓張の丘」でございますが、 

シングルルームなどございませんので、ツインルームのシングルユースです。 

最近のホテルには珍しく、外のバルコニーに出ることができます。

館内にはこの絶景を望める天然温泉もあり、他に誰もいなかったので、
のびのびと湯船でくつろぎ、ついでに隣のエステルームで
明日に備えて脚と背中のアロママッサージもしてもらいました。 

三脚がないため結構苦労して撮ったボノムリシャールとアシュランド。
「ボノム」の後部はあかあかと照明がついて何やら作業中!

今度一度、尖閣への模擬上陸でも演習でやってはくれまいか。 

というわけでこの日はぐっすりと眠り、夜が開けました。
今日最初の太陽の光が佐世保の軍港街を明るく照らしていきます。 

 

自衛艦は6時に起床ラッパだそうですので、わたしも同時に目覚ましをセットしました。
「あまくさ」は支援艦なのでこういう警備のゆるいところに停泊しているのかな。 

日米海軍の皆さんの朝も始まっているはず。
米海軍の人たちが正確には何時に起きるのか知りませんが。

せっかくの機会なので、「ボノム・リシャール」の後ろ部分を拡大してみました。
引き出しのように右舷からテラスが突き出していますが、
収納可能な作業用の台なのだと思われます。

艦橋と前部。
「いずも」より9m長くて幅は4m細い甲板です。
「いずも」と違って甲板が四角く、こちらの方がずっと空母っぽい。

ところで「ロナルド・レーガン」の艦載機部隊の根拠地は厚木基地ですが、
「ボノム」の飛行隊はどこに駐留しているんだろう・・・。

こちらは「アシュランド」の甲板。
こちらもさりげに揚陸艦だったりするわけで・・・
アメリカさん、本気だね?

ここから見る限りはそうでもないですが、2005年にギリシャ航行中の
彼女を見ると、遠目にも錆が浮きまくりで日本ならば
標的艦になるのを待っている状態、みたいな佇まいです。

まあ、アメリカさんは基本軍艦の錆とか気にしないですからね。
しかし、これが

「アメリカ人は車でも皆錆びてても平気な人種だから軍艦も」

というのは、アメリカに住んだ経験から、なんか違う気がしています。
一般的にアメリカの中流層以上は皆日本車なんかをこぎれいにして乗っていて、
錆を放置したり窓が壊れた車に乗るのは貧民層の証とされています。
(そしてそれは黒人やヒスパニックが多いという印象) 

というよりこれは、彼らの受けた教育に関係している気がしますね。
アメリカの学校は日本と違って生徒が掃除せず業者を入れるのが普通です。
つまり彼らが掃除を当たり前のこととして「教育」されていないから、
という方が近い気がします。


覆いをかけている部分は、おそらく武器関係の補修で、
こういう高いところから中国人に見られるからでしょう。

今日これからお世話になる「あきづき」の甲板には
もうすでに人影が見えています。
もう護衛艦の一日は始まっているのです。

現地まではホテルの前からタクシーに乗ったのですが、
この運転手が「俺語り」する人でねえ・・。

なんで朝っぱらから全く縁もゆかりもない他人から
自分の結婚式には六百人を招待したとか、
30歳で部長だったけど後進に道を譲るためにやめたとか、
(なぜタクシーの運転手をしているのかについては説明なし)
東京でアパレルの仕事をしていたから未だにファッション雑誌を見るとか、
マイレージで海外旅行したとか、そんな話を聞かされないといけないのか。

最初は相槌を打っていたけど、だんだん面倒になって
憮然としていたら倉島岸壁にやっと到着。 
おまけにこっちがいうまで後ろのトランク開けないしさ。

 

そして、車から降りて入り口で名前を申告していたら、
自衛艦旗掲揚のラッパが聞こえてきました。

入り口からキャリーを引っ張って歩いている呑気な人
(にしか見えない)はわたし一人。

もう旗の掲揚が終わってしまったので、 急いでも仕方ない、
と写真を撮りながら歩きました。

なんだか猛烈に湯気の出ている謎の一角とか。

「あきづき」後甲板には人が整列しています。
乗艦時間は7時半から8時半の間なので、遅刻ではありませんが、
学校時代教室に入ったらもうホームルームが始まっていたみたいな気分。

しかもその時、わたしは後ろにあの艦の姿を見つけてしまったのでした。

「く、くらまさん・・・・・」

 ちなみにわたしがいただいた大量の海上自衛隊カレンダーのうちの一つは
二月に「くらま」の観艦式における勇姿をあしらっています。

「これが最後の勇姿であった」

なんて説明があるのですが、ここで退役する日を待っていたのね。

カレンダー情報によると、彼女の引退は今年三月。
つまり、おそらくわたしが見る最後の彼女の現役の姿です。 

急いでいたものの、逆光のその姿をカメラに収めました。

ちなみに、彼女の後、観艦式で観閲艦を務めるのは・・・
誰だと思います?

これは中の人に聞いたので間違いないと思うのですが、なんと
「いせ」なんだそうです。

首相が参拝する「伊勢神宮」とのご縁で選ばれたのかしら。

だとするとどこに総理観閲の「お立ち台」を作るんだろうと不思議ですが、
そういう計画を進める部署ももう立ち上がってるのかもしれませんね。

 

さて、「くらま」の写真を撮り終わって、「あきづき」の舷門に急ぎます。
朝礼でもしてるのかな?

おお、陸軍軍人が敬礼してるー!

出席していなかったのでわかりませんでしたが、どうやら
昔で言うところの善行章授与みたいなことをしているようです。

一佐から賞状を受けるのはWAVEさん。
こんな変な角度からの写真ですみませぬ・・・。

PCを落ち運びするため どこに行くにも引っ張っていくキャリーを
護衛艦の中で特に階段をどうやって持って上がろう、と不安だったのですが、
こちらがよいしょっとバッグを持ち上げた途端、

「お持ちします」

と乗員の方が運んでくださいました。

そこで改めて山の上を眺めると、さっきまでいた弓張の丘ホテルが。
わたしの部屋だったのは一番右の上から三番目です。

遅ればせながら格納庫に到着して鉄火お嬢さんと合流。
知人の「泊まりんさい」というお誘いを軍艦旗掲揚を見届けるために断り
現地入りしたと言う彼女には、開口一番、 

「エリス中尉ともあろう人があの時間にいなかったなんて」

と言われてしまいましたが、全くその通り。
そう見えないかもしれないけど、痛恨の遅刻だったんだよ!

 

その後、二人でお誘いくださった高田艦長にご挨拶をしてから
今日の控え室である士官室に案内してもらいました。

「士官室」。

海自はいまだこういうところに海軍残渣であるはずの
「士官」という言葉を堂々と残していて、嬉しくなってしまいます。

こんなところにまで気を遣って「幹部室」とかにして、英語では

「wardroom」

としれっというのはナシね、とわたしは思っておりますので。
余談ですが、

「ワードルームの住人」=「ワードルーム」

つまり候補生以上の士官をメタノミーで「ワードルーム」と呼ぶこともあるそうです。

士官室のファブリックは圧倒的にブルーが多いという印象ですが、
特にそうと決まっているわけではなく、姉妹艦の「てるづき」 は
床もテーブルクロスも椅子もディープレッドを使用しています。

カーテンで覆われている壁の向こうにはホワイトボードがあり、
一般人が入ってくるときにはこうやって閉めて機密保全を行います。

写真を見ていてあっと気づいたのは、士官室の天井に無影灯があること。
これ、いざという時にここが手術室にもなるということですよね。

「つき」型の士官室の絨毯は赤が基本のようです。
腰板は天然木ですし、軍艦の中でありながら士官室は
応接間も兼ねているのでインテリアには気を遣っています。

「平成壬辰歳弥生月」

みづのえ辰とは2012年、「あきづき」が就役した年です。
揮毫者名は、「〇〇庵◯月」 としか読み取れませんでした。

「人員確認」

人員の確認は航泊を問わず確実に実施すること。
※空報告はしない。
※面倒くさがらない。

先任伍長

積み残してたー!とか海に落ちてたー!とかいう事故を
未然に防ぐための先任伍長の厳しくもありがたいお言葉です。

「面倒くさがらない」がリアルです。 
そういうときに限って・・・という事故は昔から後を絶たないのでしょう。

に活用されているようには見えませんが、とりあえず必要そうな書籍一式。

「あきづき」の内規、守則、防御処置の手引きや
佐世保地方隊の何やら分厚い本、指導指針やハンドブックなどなど。 

陶板のミミズクが立派な額に入って飾られていました。
ちなみに英語ではミミズクとフクロウはどっちも「OWL」(アウル)といいます。
どうでもいい話ですが。 

出港準備が始まるまでの間、コーヒーを出していただきました。
出港作業は0800から始まり、0900が出港です。

ここで一息ついた後、鉄火お嬢さんに

「出航の時には艦橋行きますよね?」

「もちろんです!」(力強く)

ということで、いざ艦橋。

 

続く。 

 

 

 


出航と内火艇揚収〜護衛艦「あきづき」体験航海

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「あきづき」の体験航海、わたし的にはいきなりクライマックスキタ^^
というべき出港作業が始まりました。

窓の外には既に曳船が作業を始める様子。
そこであらためて艦橋を見まわすと、

「あきづき」のシンボル、エスペランサ猫がお出迎え。

これ・・・異質というかユニークというか、少なくともかっこいい系、
中二系、自然礼賛系、記憶にある自衛艦のマークのどれとも違う。
さらに巷のゆるキャラ系のような狙った感じでもない・・・・。
実にほのぼのと素人っぽい、手作り感溢れるイラストではありませんか。

なんでも前艦長が猫好きで、艦長という絶対の権限を強権的に行使し(多分)
自分の猫(アメショ)をモデルに新しくマークを作ってしまったという話です。

まあ、偉い人の鶴の一声で部隊のマークが変わるという例は、わたしも
とある掃海隊群で聴いたことがあり、自衛隊では珍しい話でもないみたいですが。

というわけで「希望の猫」と名付けられたあきづきにゃんこは、この通り
潜水艦を押さえ込み、尻尾にミサイルを巻き取ってVサインをしております。

猫好き艦長はその後別の艦に転勤されましたが、そこのシンボルが
猫化したという話は、今のところ伝わってきておりません。

そう、今のところは・・・・((((;゚Д゚)))))))

 

さて、艦橋では淡々と出航作業が行われています。

関係ない素人がうろうろしていても写真を撮られても
彼らが意に介す様子は微塵も感じられません。
こういう時、わたしはまるで透明人間になったような気さえします。

とりあえずこの写真は手前の書類冊子を写してみました。
♪きらめくー海に捨てようー航泊日誌〜♪がありますね。

ちなみに言っておくがJASRAC、これはユーミソの歌の歌詞ではない。
一字違いで大違いというやつだ。 

操舵手席に立つのははどんな艦でも渋〜い海曹と決まっております。
右側の少尉さんは航海士でしょうか?

手前には女性もおりますね。

艦長、航海長と航海艦橋の仕事を行う乗員たち。
フラッシュを焚くのが邪魔にならないかと憚られたので 、
写真は大体ご覧の通り。

右舷ウィングから後ろを見たところ。
曳船が頑張ってお仕事しています。

 

65式12cm双眼鏡の横は発光信号機。

昔でいうと「洗濯板」マークがベテラン海曹の袖に燦然と輝いてます。

曳船は押したり引いたりの細かい作業を繰り返して、自力で横移動できない
「あきづき」の巨体をいつのまにか岸壁から出港させてしまいます。

この間は危険なので一般人の甲板への立ち入りは禁止されます。

左ウィング側の艦橋後部のスペースには、
掃除道具や喇叭などが整然と整理されてあります。

喇叭をどこに置くかなども艦によって全く違います。

艦長からはメールによる詳細のお知らせに当たって

「あきづきの航海長は女性です」

と伺っていたのですが、おそらくこの方ね。

艦橋で出航作業の掛け声を聞いていると、二人艦橋に女性隊員がいるので
当然のことながら女性の声が頻繁に聞こえてくるのですが、
これがなかなか良いものなのです。

甘ったれた響きなど微塵もない、むしろ潮枯れしたかのような力強い声。

凛とした厳しい佇まいと相まって、自衛隊にとって「女性の船乗り」は
決してもう特殊なものでもなくなってきたという感を受けました。 

この女性海曹は、出航喇叭の吹鳴も行なっていました。
このとき艦長は右ウィングで指揮を執っておられます。

 

石井艦長は去年12月末に「あきづき」艦長に就任されたばかり。
自衛艦の艦長は(自衛隊に限らず旧軍も、そして海外の軍艦も)
1年、どんなに長くても2年も行かぬうちに転勤になります。

この理由はやはり「艦長職を待っている者がたくさんいるから」
だとこの日艦長直々から伺いました。

喇叭が吹鳴された後は、いつも驚くほど早いスピードで
艦体は岸壁から離れて行きます。

 

そのとき、内火艇が全力で近づいてくるのが見えました。
「あきづき」に追いつこうとしているようです。 

「あきづき」の方ではデリックを動かし始めました。

この部分が動くのは初めて見ます。

舷側で索を繋ぐ作業をするために待機している乗員。
寒いので目出し帽のようなものをかぶっていますね。

あっという間に右舷下に追いついた内火艇は、「あきづき」と
同じ速度を保ったまま、引き上げのための結索を行うようです。

「あきづき」は右舷着岸していたため、哨戒のために出動していたボートは
繋留中艦の後部に繋がれており、出航してから揚収することになったのでしょう。
よくあることなのかどうかはわかりませんが、これはなかなかの見ものです。

前に立っている人は、内火艇をスティックで操舵しているってことでおk?

三人のうち二人が結索を行います。

あっという間に引き上げのために索が4箇所にとりつけられ、
デリックが上がって行きます。

引き上げ中は船上の3名は天井のないところ(万が一落下したら頭を打つから?)
に屈んで隠れているような姿勢をしています。

この作業の間は「あきづき」は微速かあるいは停止しているように見えます。

 

ゆっくりとデリックが直立?して行き・・・、

後はロープが降りて、下の「船底受け」部分に固定して終わりです。

ボートが停止したら、乗組員がひょこっと出てきました。
デリックに備えられたケージに乗り移り、これで甲板に戻ります。

 

索を全部片付けるまでがお仕事です。

ウィングからはチャフ・フレアランチャーがよく見えます。

正式名はMk.137 Mod2。
敵から撃たれたミサイルの命中を回避する「ソフトキル」手段として
チャフ・フレアが用いられます。
具体的にチャフはアルミ箔などを詰め込んだコンテナを空中へ散布し、
レーダー誘導型ミサイルの目標を誤誘導するのです。

赤外線誘導のミサイルに対しては、高熱源体であるフレアを用いますが、
敵のミサイルがどちらのタイプかは撃ってくるまでわからないので、
とりあえずどちらも一緒に撃つ仕組みがこのチャフフレアランチャーです。 

出航していきなりのイベントにわたしたちは大盛り上がり。
わたしはyoutubeに上げるために一連の作業を動画に撮ったのですが、
そうとは知らずに喋っていた鉄火お嬢さんの声がバッチリ録音されていて、
どうしてもこれだけ削除する方法がわからなかったので断念しました。
(鉄火お嬢さん、責めてませんから) 

作業が終わり、「あきづき」は船速を上げていきます。
これは「航路3」と書いてあり、航行する船舶への目印のようです。

この「SLNC PAX」というのはアメリカのオイル/ケミカルタンカーです。
米国船に給油をしにきたのでしょうか。

ちょうどこれも米軍のらしい曳船が押して出航するようですが、
この後すぐ彼女は岩国(ということは海兵隊基地)に行ったようです。

さらに、「ルート予測」(こんなこともわかるのよ)によると、
彼女はこの後横須賀に向かい、海軍基地に寄港する模様。 

昨日ホテルの窓から見ていた「ボノム・リシャール」と「さわぎり」。
そして、「さわぎり」と並んでいた「はるさめ」はというと・・・、

こちらも出航したばかり。
こちらに向かってくる「はるさめ」の姿に惚れ惚れしつつ一枚。 

そのとき、猛スピードで横を疾走していく米国の警備艇が2隻ありました。   
なんのために・・・?


それはこの後すぐにわかることになります。


続く。



 

米潜水艦との遭遇〜護衛艦「あきづき」体験航海

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前回、作業艇のことを旧軍残渣で内火艇内火艇と思いっきり
繰り返してしまったことを、お詫びはしませんが訂正します。

「士官室」がアリなら、内火艇もOKだと思ったんだようー!

その内火艇じゃなくて作業艇が揚収されるという、いきなりの
大イベント(一般人的に)が終わった後も、何やら緊張する艦橋。

赤青のカバーがかかった艦長席から石井艦長が前方を指し示し、
全員がそれに注意を向けている瞬間です。

右ウィングにある測距儀を頻繁に覗く海曹。

先ほど艦長が指し示したのはこの漁船でした。
航行中艦橋にいると、必ず周辺を航行する船舶を指し示し、
注意するように指示があるのがわかります。

ちなみにこの漁船は岬の手間にあるブイ周辺が「釣りポイント」らしく
そこに向かっており、そのことを知っているカモメがすでに
海域で待機しているという状態でした。

前甲板の舳先には、これでもか!というくらい人が固まっています。
確認できるだけでワッチが6名、メガホンを持っているのが2名。
前方からやってくる艦船に備えて皆で状況を監視しているのでしょうか。

確かアナウンスを行なっていた女性隊員。

作業艇揚収の時に横を全力で駆け抜けて行ったアメリカの警備艇。
ウィンドには「セキュリティ」と書かれ、舳先には機銃が供えてあります。

この機銃はどうやって撃つのでしょうか。
座って?寝転んで?それとも取り外し可能?

・・・あ、操縦席から普通に撃てるのか。
 

この警備艇がすっ飛んで行った理由はすぐにわかりました。

「アメリカ海軍の潜水艦とすれちがいます」

艦内放送に、おお、と周りがどよめきました。
いや、それは単にわたし一人が盛り上がりそのような気がしただけだったかも。

遠くから潜水艦が海上航行でこちらに近づいてくるのが見えてきます。

悠々と進む潜水艦の周りには、先ほどすっ飛んで行った警備艇が2隻、
そして小型の船舶が2隻取り囲むようにやや後ろを航行しています。

一般船舶との衝突や、最悪の場合体当たりしてくる怪しい船から
潜水艦を守るための2重のガードです。

小型船舶は何かと思ったら、なんと我が海保の巡視艇でした。

CLというのはCraft Largeの略でつまり大型の巡視艇です。
これに対して小型のPC型は「パトロール・クラフト」のこと。
米潜水艦を警備しているのはCL123の「つばき」とCL126 「ことざくら」。
「すずかぜ」型の巡視艇です。 

CLクラスの命名基準は95番艇までは「かぜ」だったのですが、
つける「かぜ」に事欠くようになったらしく、96以降は花の名前が主流です。

最近のプレジャーボートや漁船の速度が増したのに伴い、
巡視艇もそれに対応するべく速力を向上させているそうです。

で、この潜水艦なんですが、なんか妙な形のフネですね。
セイルに何もフィンがないというスッキリしすぎみたいな。
これは、おそらくですが

ロサンゼルス級原子力潜水艦のIII期「サン・フアン」以降 

ではないかと思うんですよ。
現在アメリカ海軍は22隻の同型潜水艦を保持しているそうですが、
その1隻がここにあってもまあ不思議はないかもですね。

セイルの上にもハッチからも人が出てきています。

ところで我が海上自衛隊の潜水艦が搭載している「X舵」について
先日最新型の潜水艦を見学した当ブログでは話題になったのですが、
アメリカの潜水艦の舵は基本これなのね。

というかX舵を採用しているのは日本国自衛隊だけってことですか?


ネームシップの「ロスアンゼルス」の就役は1976年、
1期と2期のロスアンゼルス級はほとんどが引退しています。
VLS搭載艦である本艦も一番新しい「シャイアン」ですらもう20才越え。
彼女がかなりのお歳であることは間違いなかろうと思います。
(わたしの特定が間違っていなければですが) 

見ていると次々と人が出てきました。
「ロスアンゼルス級」だとすれば乗員は130名くらい。

この下にそれだけの人数が今もいるというのは信じられません。

「あきづき」から、見るからに一般人らしき人が
物珍しげに見たり写真を撮ったりしているので、潜水艦乗員も
いつもと違う雰囲気を感じてこちらを見ています。

前方の人が赤い十字型の機具で何かしてますね。

セイルの上には防寒着に身を固めた人たちがやはりこちらを見てます。

わたしはつい最近までアメリカ海軍の潜水艦について書くために、
結構集中していろんな資料を見たり、伝説のサブマリナーについて
英語のサイトを当たったりしていたので、必要以上に親近感湧きまくりです。

「フォーティワン・フォー・フリーダム」

なんて君たち知ってる?

「テイク・ハー・ダウン」

と言って自らを犠牲にした潜水艦艦長って聞いたことある?

とか聞いてみたいなあ・・・。
(あ、こんなだから鉄火お嬢に”マニア”って言われてしまうのか)

自衛官が案外昔の、海軍のことはもちろん自衛隊のことを知らないというか、
興味もない人がいる、というのは今までの経験で感じていることですが、
アメリカ海軍は、そういう教育はきっちりやっていて、
わたしが知っている程度のことは皆知っているものだと思うのですが。

望遠レンズでのぞいていてびっくりしたのは、一番右の人の格好。

「ショートパンツの人がいるんですけど!」((((;゚Д゚)))))))

鉄火お嬢さんに教えたところ、彼女も驚いて

「アメリカ人って、寒さを感じる皮膚感覚が鈍いらしいですよ」

という話に二人で頷きあったりしたわけですが、これよく見ると
ショートパンツなんじゃなくてウェットスーツじゃないかな?

右足にはズボンの下にシークレットサービスが仕込むような
ホルダーみたいなのを付けてるし、 背中にはどう見ても
ホースみたいなものを背負っているし・・・・潜水艦勤務のダイバーですかね。

で、ハッチの周りの人が何をしているかというと、このシルエットから
上陸に当たって荷物を出しているという気がするの。

哨戒活動に出て、しばらくぶりに地上に上がるのかもしれませんね。
何しろ、アメリカの潜水艦は何ヶ月でも無浮上で海底に居るらしいから。
きっと基地に帰れてみなさんウキウキなんじゃないでしょうか。

ところでこの角度からは、船殻を覆っている素材がよくわかります。
これはいわゆる吸音タイルで、アクティブソナー対策です。

 

「バージニア」クラスなどであれば

非船殻貫通型潜望鏡

を搭載しているのですが、本艦は普通の潜望鏡搭載のようです。


余談ですが、従来型の光学式潜望鏡に代わる非船殻貫通型潜望鏡は、
3種のテレビカメラで外部を撮影し、その信号が発令所のディスプレイに送信されます。

テレビカメラは可視光線域の高解像度カメラと光量増感式カメラ、
赤外線カメラが2本のマスト先端に取付けられ、360度の視界が得られます。

「そうりゅう」型潜水艦見学の時にもお話ししましたが、
従来の光学式潜望鏡では、潜望鏡を覗けるのは一人か二人だけです。

しかしこちらだと昼夜を問わず大型ディスプレイによって
艦内の必要な人員が同時に見ることができ、さらには
画像を録画して解析したり、艦外への情報提供も可能となるというわけです。

 

お仕事中で忙しいのにもかかわらず、こっちから一般人が
一生懸命手を振っていると、手を振り返してくれました。

この写真だと一人だけが不承不承お愛想してくれているようですが、
一応手の空いた人はちょっとだけ振ってくれていましたよ。

日米友好〜! 

 

ところで、軍所属の船舶は、港湾内で本名ではなくニックネームで呼び合うようです。
なぜそうわたしが思ったかと言いますと、「あきづき」の艦橋のモニターに
明らかにこの潜水艦のことのはずなのだけど「ニックネーム」として

「エー×スト×イ×ー」(一応気を遣って伏字)

と書いてあったもんですから・・・。

やはり本名で交信すると、セキュリティ上何かと問題があるので、
パイロットのタックネーム(どの機に誰が乗っているのか撹乱するためのあだ名)
のようにニックネームを使用するのかもしれませんね。

 

いわゆる「ホームスピード」の潜水艦ですが、驚くほど波が立ちません。
海上でこれですから、海中での静謐性にも優れているのでしょう。


ところで、これが「ロスアンゼルス」級のVLS装備タイプだとしてですが、
わたしはあることに気がついてしまいました。
同じ「ロスアンゼルス」級に「グリーンビル」SSN-772というのがいます。

みなさん、この名前に聞き覚えはありませんか?

そう、2001年、今日の「あきづき」のように民間人を乗せていて、
操舵席にその民間人を座らせた上で急浮上し、海上に居合わせた日本の水産高校の
練習船と衝突してこれを沈没させた、あの「えひめ丸事件」の潜水艦です。

あれの全く同型艦が日本に配置されているのだとすれば、これは何というか
アメリカさん、あまりにもこだわりがなさすぎるぜ!という気がします。
まあ、アメリカ人がこんなことを配慮する連中でないことも重々承知ですが。

時々大外れするわたしの艦種特定ですが、
今回だけは間違っていてほしいと切に願っております。


 

続く。 

 

 

 

 

第56回海上自衛隊東京音楽隊 定期演奏会

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「あきづき」体験航海の体験記の途中ですが、昨年末、
ジャズやクリスマスソングなどを含む楽しいプログラムで楽しませてくれた
東京音楽隊の定期演奏会に行ってまいりましたので、そのご報告です。

第56回定期演奏会。

ファミリーコンサート、ふれあいコンサートなどの文字どおり
間口の広い、敷居の低い親しみやすさを打ち出したコンサートを行うことは、
自衛隊音楽隊の大事な任務ですが、一方プロの演奏家集団として
研鑽してきたその成果を世間に問うことに重きを置いて行われるのが
この定期演奏会ではないかと、わたしはここ何年かに行われた
海上自衛隊を中心とする音楽隊の演奏会を聴いてきて感じました。

わたしが自衛隊音楽隊の演奏を聴き始めてから今日までの間に
東京音楽隊の隊長は三代代わったわけですが、三人の隊長が率いる
演奏会を何度か聴いて思ったのは、演奏メンバーは同じであるはずなのに
隊長によって特に定期演奏会はその印象がガラリと違っていたことです。

自らが作曲家でもある河邉一彦隊長の時には、自作を取り入れ、
プログラム構成はオリジナルカラーとなっていましたし、手塚裕之前隊長は
かつて軍楽隊が演奏した軍楽曲を再現するなど、
海軍軍楽隊の末裔である海自にしか行えない歴史再現の試みをされました。

樋口隊長については、前職の横須賀音楽隊時代に見せた
大変意欲的かつ攻めの姿勢に瞠目していたのですが、今回は
東京音楽隊長となっての本格的な定期演奏会となるわけですから、
いろんな意味で大変楽しみにしておりました。 

 

さて、軍艦や自衛艦の艦長は、多くの人間に艦長職を経験させるために
1年が平均的な在任期間であるという話をここでしたばかりですが、
それでは音楽隊長の任期はどれぐらいだと思われます?

音楽隊員は一般の自衛官に比べて退官が遅く、すべての階級で60歳。
(一般の隊員は2曹・3曹の53歳から1佐の56歳まで4段階)

そして、音楽隊長の在任期間は短くても2年、長くて4年以上。
東京音楽隊の場合すべての隊長は定年まで勤めて退官と同時に退職するようで、
「後職」 のあるのは防衛大の音楽顧問となった第14代渡仲郁夫隊長一人です。

一つの楽団を、平均3年は率いるのですから、その間音楽隊が
「隊長カラー」になることは間違いないことと思われますが、
精鋭部隊である当音楽隊をどういうカラーで染めていくかは、
定期演奏会のプログラム構成に見えてくるといっても過言ではないでしょう。 


去年もそうでしたが、第56回定演は東京オペラシティで行われました。
木の素材が会場全体に暖かい色合いを与える内装で、
特に小編成のオーケストラを聴くのに適しているわたしの好きなホールです。

シグナルズ・フロム・ヘブンー二つのアンティフォナル・ファンファーレ
  武満徹

 

事前に配られていたパンフレットに武満徹のこの曲名を見たとき、
この演奏会の方向性がなんとなくわかるような気がしました。

12名の金管奏者によって演奏される短い二つのファンファーレで、
「アンティフォナル」(交唱、ミサで詩篇と交互に歌われる)という表題は
2曲目の「ナイト・シグナル」で10人の奏者が右と左の二手に分かれ、
掛け合いをする=交唱ということからきているタイトルだと思われます。

 

天国の島 佐藤博昭

わたしはテレビを見ないので初めて聴いたのですが、テレビ番組
「ザ!鉄腕!DASH!!」の「DASH島」BGMというかテーマらしいですね。

オーボエのメロディが奏でられた後はまんま大河ドラマのテーマ風に。
「天国の島」とは北海道の天売島だそうです。

で、驚いたのですが、曲終了後、隊長がコールすると、わたしの近くに
座っていた若い方が客席で立って挨拶をされました。

この曲は2011年の吹奏楽コンクールの課題曲ともなっているのですが、
この曲に学生時代の思い出がぎゅっと詰まっていて、
作曲者の指導を受けて感無量だった若い隊員ももしかしたらいたかもしれませんね。

貝殻のうた 伊藤康英 詩:和合亮一

和合亮一さんの解説、朗読と共に

ここで歌手の三宅由佳莉三曹が登場し、この東日本大震災後に書かれた
悲しみに寄り添う祈りの曲を歌い上げました。

「あなた あなた 大切なあなた 命の儚さを知って 泣いているあなた」

聴きやすいメロディですが、特にクライマックスを感情に溺れすぎることなく
制御するのが歌手にとっては結構難しいのではないかと思われる曲です。

 

貼ったyoutubeはオリジナルのピアノ伴奏ですが、この日はおそらく
ご本人のアレンジによるブラスでの伴奏で、これがオリジナルより良かったです。

そして、曲が終わるとまたしても隊長が客席コール。
なんと、作曲者の伊藤氏もすぐ近くに座っておられました。

土蜘蛛伝説〜能「土蜘蛛」の物語による狂詩曲

このバージョンは短縮版です。
土蜘蛛の精である鬼神と武者の壮絶な戦い、という能からとったテーマで、
前半のクラスターの混沌から立ち上がってくるフルートのフラッター、
これは蜘蛛がゆっくりと脚を蠢かしてるところだよね、とか、後半、
派手に戦ってるところ、とかがありありとわかる表題音楽となっておりました。

表現力の変化に富んだ内容で曲としての完成度も高いのですが、
日本ではこういう曲を中学生がやってしまうんですよね。

中学生アンサンブル
 

こういうのを見ると、日本の吹奏楽って、コンクールが盛んなせいで
やたら低年齢化しているなあと思います。
 

そしてなんと、この曲の作曲者もコールされて立ち上がりました。
一曲目の亡くなった武満徹以外、(このホールはタケミツメモリアルですが)
すべての作曲家を呼んでその前で演奏するという企画? 

斐伊川に流るるクシナダヒメの涙 樽屋雅徳

と思ったら、この作曲者はさすがに来ていませんでした。
ここだけの話、わたしはこの曲が一番気に入りました。

 

 ヤマタノオロチ伝説で、スサノオが大蛇に食われる予定のクシナダヒメを

「助けてやるから嫁によこせ」

と両親に約束して(これさりげにすごい話だよね。クシナダヒメの意向は無視)
ヤマタノオロチをやっつけるという話。

鼓、拍子木、そして鈴を効果的に使って「和」を表現、現代的で叙情的な旋律を
(やっぱり)戦いのクライマックスへと持っていき、最後は静けさのうちに終わる。
これもまた伝承を題材にした起承転結で、日本の作曲家の普遍のテーマ?です。


というところで前半が終わったわけですが、前半のプログラムは全曲が
現代日本人作曲家の作品で、しかも一曲の中に音色の変化に富んだ
情景の移り変わりを感じさせる、ストーリー性のある曲ばかりです。

音楽的な解釈の点で言うと、どれも決して安易なだけの作品群ではないので、
前半が終わったあと近くに座って居た女性が

「どれも難しかった」

と言っているのも耳にしました。
日頃クラシックのコンサートに足を向けない層には、難解と感じられたかもしれません。

 

フォスター・ギャラリー M.グールド

 6曲版(編曲:建部知弘)


 youtubeはダイジェスト版です。

フォスターの曲を楽しく聴けると思ったのに、
おなじみのメロディがなぜか4/4と3/4で繰り返されたり、
変なコードに変わっていて呆気にとられる、という仕掛けです。
実態はフォスターのメロディを素材に使ったコラージュといったところでしょうか。

ただこの作品は1938年には初演されていますし、技法的にも
現代音楽というには古典的なアプローチで、そこまで分かりにくくもなく、
特に「金髪のジェニー」はため息が出るほどの美しさです。 

この吹奏楽アレンジをした建部知弘氏も、この日会場に来ておられました。

フォスターといえば、教育実習で母校の中学に行ったとき、
「峠の我が家」が教科書に出て来たので話をしていると、一人の生徒が

「フォスターの最後の死に方は、酔って倒れたら釘があって頭にグサッと刺さって」

みたいな話を始め、クラスが騒然とした覚えがあります。
本当はどうだったんだろうと思って今ウィキを見たら、フォスターは
旅行先のホテルで病気になり朦朧としていて洗面台に頭をぶつけて死んだ、とあり、
わたしはあの生徒のおかげでずっと間違った死因を信じていたことを知りました。

フォスターといえば代表的なアメリカの作曲家で、

「アメリカ音楽の父」

と呼ばれています。
ここでフォスターを持って来たというのは、前半の「日本」に対し
後半は「アメリカ」の近・現代音楽がテーマだからでした。

交響曲第7番「交響的レクイエム」J. バーンズ 

 Symphonic Requiem, Op 135

南北戦争はアメリカの歴史でアメリカ人同士が戦った
最初で最後の戦争らしい戦争ですが、当時はアメリカという国は
一つではなく、「アメリカ合衆国」と「アメリカ連合国」が戦ったので、
これをアメリカ人同士といっていいのかどうかは謎です。

この曲は南北戦争150周年記念に双方の戦士たちの鎮魂のために
作曲されたレクイエムで、と言いながらいくつかの大きな戦いを
戦闘の経過などを盛り込んだ表題音楽風交響曲となっています。

コンセプトとしてはチャイコフスキーの「1812年序曲」の
南北戦争版、とでもいったらよろしいでしょうか。

例えば上のyoutubeの14分くらいのところ、進軍が続くのですが、
時折進軍ラッパが聞こえて来たりします。

もっとも「1812年的」だったのは、11分のところから始まる
「両軍のラッパの掛け合い」部分。

トランペット奏者が楽団の右端と左端に立ち、独自に
北軍と南軍のラッパ譜を繰り返している間にも混沌は深まります。
(この部分の楽譜を是非見てみたいものだと思いました。
指揮者は全く棒を下ろしていたので) 

17分からのコラール風のメロディは、祈りに満ちてただただ美しく、
木管に始まり金管の重みを増し、そしてまた再び高みを目指すかのように
幾度となく繰り返され、そして両軍の勇士たちの栄光を讃えながら終焉に向かいます。 

わたしはこのような音楽を聴くと色々とこみ上げて来てしまうのが
常なのですが、この日もフィナーレでは視界がぼやけておりました。

そして、この大曲を定期演奏会の終局に選び、演奏してくれた東京音楽隊に
心から感謝したのです。

 

今定期演奏会はわたしがこれまで聴いた中で最も挑戦的で意欲的でもあり、
しかしながら決して聴衆を「置いてけぼりにしない」絶妙のさじ加減で
充実度においては一番高いものであったと個人的に思いました。

何と言っても、可能な作曲&編曲者をすべて会場に呼び、その前で
演奏する(おそらく練習にも立ち会ってもらったのではないでしょうか)
というのは、自信と意欲の表れであり挑戦でもあります。

そして、個人個人の優れた技能が各曲のソロ部分に発揮され、
アンサンブルも安心して聴いていられること(特に打楽器群!)とともに、
彼らを率いる隊長の指揮ぶりは、視覚的な点から言っても
ただカッコよかったということも言っておかなくてはいけません。 

そして、さらに唸らされたのが、この曲に続いてアンコールで現れた
二度目の登場になる三宅三曹が歌ったのが、

アベマリア グノー 

であったことです。
この前の曲が「レクイエム」であったからこそこの選曲なのだろうと
わたしは一人で深く頷いておりました。

彼女の使い方も、全面的に押し出すでなく、しかし肝心なところ、
ここで聴きたいというところで効果的な登場をさせるあたり、
心憎いというか、本当に旨いなあと思わされました。

 

東京音楽隊は樋口新体制になってちょうど半年が過ぎました。
これからのますますの発展を確信せずにはいられない演奏会を
こうやって観る機会をいただいたことに、心から感謝いたします。 

どうもありがとうございました。


 

 

 

ミサイル艇急襲!〜護衛艦「あきづき」体験航海

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前回、アメリカのロスアンゼルス型潜水艦と遭遇したことを
ここでご報告した時に、艦橋のモニターに潜水艦の「ニックネーム」
が書かれていた件について裏の人に教えていただいたので書いておきます。

海上自衛隊では海上の艦船同士は、お互いコールサインで呼び合います。
わたしが推測した通り、こちらはパイロットのタックネームみたいなもので、
外部者に聞かれた時にも特定されないようにする「偽名」ですが、
何とこれ、機密性保持のために毎日変更するのだそうです。

昔は陸空自衛隊に驚かれたりしたものらしいですが、今では
共同で動くことも多いので認知されているかもしれない、とのことでした。

しかしわたしが艦橋のモニターで見た「ニックネーム」がこれかというと違いまして、
その日の「あきづき」のように、一般人やあるいは広報の人間を乗せている時には
コールサインとはまた別にニックネームを使うのだとか。
わたしみたいに目ざとく見つけてブログにアップする人対策ですね。

つまりニックネームは特定秘密ではない_φ( ̄ー ̄ )と。

というわけであらためてすれ違った潜水艦のニックネームをご紹介しておきます。
その名も

「エースストライカー」!

うーん、かっこいいっすね。キャプ翼か?

さて、潜水艦とのすれ違いイベントが終わりました。
艦橋のチャートデスクでは、三角定規を使ったり電卓を叩いたり。

わたしが出港を見送り、帰国をお迎えした昨年度の遠洋実習航海で、
厳しい半年の訓練を経てここに配置された、新三尉のお仕事ぶりです。

何となく艦橋を出たり入ったりしていると、右舷側を白波立てて
ミサイル艇が通り過ぎて行くのに気がつきました。

こんなに急いでどこに行くのでしょうか。 

艦番号829、「しらたか」さんであることが判明。
「はやぶさ」型ミサイル艇の末っ子である6番艦です。

それにしても、この白波の立ち方をご覧ください。
全速力で航行したときの「はやぶさ」型ミサイル艇の速度は時速80キロ強。

先ほどアメリカの潜水艦をガードしていた海保の「すずかぜ」型警備艇で
さえ30ノット(時速55キロ)だそうですから、桁外れの速さです。

追い抜いて行った・・・と思ったら、先の方でUターンして戻ってくるではありませんか。
「きよみ丸」という漁船(ボート?)は停止してミサイル艇が過ぎるのを待っています。

すると右ウィングからミサイル艇に向かって、発光信号を送り始めました。
発光信号機は、レバーをカチャカチャ手動で動かします。

こういう時にはどんなことを通信するんでしょうね。 

向きを変えた「しらたか」は、瞬く間にこちらに近づいてきました。
マストの先端に翻る自衛艦旗が鮮やかです。
そして自衛艦旗の下に揚がっているのは回答旗です。 

「 回答旗は信号を解読したら全揚する」

そうですから、これが先ほどの発光信号に対して揚げられたものでしょうか。
そしてその下には「ご安航を祈る」の信号旗が!

わーい、ご安航を祈られてしまったよ。


それにしても驚くのはこのスピードです。

その舳先が分ける波の形が他では見られないものであることにご注意ください。
「はやぶさ」型は速度を時速44ノットに決めたとき、 艦首に、吃水線下を痩せさせた
ディープV系のハイブリッド船型を採用しました。

つまり、海を楔で切り裂きながら進んでいくようなイメージです。 

こちらは我が「あきづき」甲板上の乗員たち。
ハッチを開けて出航の時に使用した索を片付けていると見た。 

「しらたか」はわたしたちの右舷側横まであっという間に到達すると、
見ている前でドリフトを始めました。

初めて見たよ。船のドリフト航行。

我が国のマスコミ的には輸送艦「おおすみ」にプレジャーボートがぶつかった時などには
「大和」とほぼ同じ大きさの「おおすみ」がドリフトしたことになってるみたいですが(嫌味)、
これは船体が軽くスピードがあって小回りのきくミサイル艇ならではです。 

急ターン中の「しらたか」の雄姿。

「はやぶさ」型の船体は軽さを追求した結果アルミ合金となっていて、
同じ小型の艇でも掃海艇とは全く違う素材を貼っていることが
この写真の「829」の付近を見ていただければわかりますね。

なお、船体が小さくスピードが速い「はやぶさ」型はピッチング(前後が縦揺れ)が
どうしても避けられないので、人員の居住区は船の真ん中に集中させてあります。 

シートベルトは必須で、操舵室にいるときはもちろん、食堂の椅子にもあるのだとか。
キッチンはありますが、火が使えないため、調理器具は電子レンジと電磁調理器のみ。
従って航海中の食事は、弁当またはレトルト食品が基本だそうです(T_T)

ミサイル艇は基本長時間の航海はしない、ということなのだと信じたい。

艦内には「しらたか」とその後ろに「おおたか」が航過することが
アナウンスされました。

「しらたか」「おおたか」は共に佐世保地方隊所属です。
ちなみに6隻のミサイル艇が配備されているのは舞鶴と大湊、そして佐世保。
これらの基地の共通項は”外敵との対峙の可能性”・・・かな?
 

ウィングには艦長も出てこられ、そこにいたみんなに向かって

「手を振ってあげてくださいー!」

艦長はこの写真でも帽振れしておられますが、他の乗組員たちは
基本任務中にはそういうことは行わないようです。 

「しらたか」はドリフトを撮るのに一生懸命になってしまい、
艦長と隊員一人(カメラ記録係)、そして女性のラッパ吹きが
登舷礼しているのを撮り損なってしまいました。 

ミサイル艇にも女性自衛官が乗り込んでるんですね。

後ろに交差するような形で設置されているのが、90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)。
三本煙突の形が面白いですね。
微妙に角度がついているのはこれもステルス性のためでしょうか。 

「はやぶさ」型は全部で6隻しかないので、観艦式には
この「しらたか」も「おおたか」もよく出演?しています。

海自 ミサイル艇 平成27年度 観艦式

観艦式では高速走行しながらIRデコイを発射するのがおなじみとなっています。
この観艦式では「しらたか」「おおたか」と大湊基地から「くまたか」が
三隻で行動展示を行いました。

「しらたか」の後ろの「おおたか」とすれ違う時には撮影に集中させていただきました。
艦長ともう一人(海曹)が敬礼、一人がラッパを構え、
そしてもう一人が写真を撮っています。 

「御安航」の信号旗が鮮やかです。

肉眼では見えませんでしたが、写真に撮って見たところ、
「帽振れ〜!」の掛け声がかかった瞬間でした。

そして「おおたか」のカメラマンは今わたしたちを撮影中。

まず艇長の帽振れ。

「帽振れ」と「ラッパ振れ」(笑)

ちなみにミサイル艇の乗員は21名です。

艇長、さらに両手振れ。
なんかこの方超渋くないですかー? 

掃海艇の艇長もこういう侍を思わせるきりりとした雰囲気の方が多いですが、
率いるフネの種類によって艦長の佇まいも微妙に違っている気がします。 

というわけで、「しらたか」に続き「おおたか」も高速走行で行ってしまいました。

・・・・・と思ったら・・・・

帰 っ て き た し(笑)

横でUターンして「あきづき」を追い抜き、前方に行ったかと思うと
こちらの航路を横切る形で3回目のUターン。

あとで「あきづき」艦長に伺ったところ、このようなことは
ミサイル艇以外にはできないということでした。 

今度は「あきづき」の左舷側をすれ違って行きます。
直前を横切り、対面ですれ違うのはもうあっという間でした。

これも艦長に伺ったところによると、このミサイル艇急襲は
「あきづき」艦長ご自身が体験航海に参加している人々に見せるために
確か同期であるミサイル艇艇長に頼んでくださったのだとのこと。 

ところで、冒頭話題にした「一般人向けのニックネーム」ですが、

「おおたか」は「ジェットストリーム」。
「しらたか」は「ミステリーホワイト」。

となっておりました。

ついでに、先ほど出港を見た

「はるさめ」は「スプリングドリズル」。

・・・・・なかなか粋な直訳ですね。 

潜水艦との遭遇に続き行われた、滅多に見られない海上のイベントに
わたしたちはすっかりテンション上がりまくりです。

「さあ、それでは続いて艦内見学にでも参ろうか!」

意気揚々とデッキから艦橋に入ろうとしたら、なんと、「しらたか」「おおたか」
が、後ろでもう一度Uターンして、最後に右側を追い抜いて行きました。

一番手前の最初の、そしてその向こうの、追い抜いていったときの航跡が
どちらもまだまったく消えていないというのに・・・。

おそるべしミサイル艇。

 

続く。

 

 

 

艦内見学〜護衛艦「あきづき」体験航海

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「あきづき」体験航海について今日もお話ししようと思いますが、
その前に、ぜひ書いておきたい、皆様に聞いてほしいことがあります。

なんと!今年防衛大学校に見事合格されたという方が、
この度このブログ宛に、ご丁寧にこんなコメントをくださったのです。

「こちらのサイトで、とにかく色々な情報を得させていただき、
モチベーションを維持し続けてきました。
色々とお世話になりました! 」


海上自衛隊並び各自衛隊を独自に応援してきた当ブログですが、
こういう形でお役に立てる日がやって来るとは・・・・。
このご報告をいただき、わたしは喜びと感動で思わず胸が熱くなりました。

4月からの防大での新生活と、自衛官としての第一歩に
心から声援を送るとともに、幸多かれとお祈りしております。
おめでとうございます。 

  

 

さて、アメリカ潜水艦との遭遇、そしてミサイル艇2隻のパフォーマンス。
出航作業から息つく暇もなく次々にイベントが続きます。

8時半から出航作業が始まって以来、ここまでで1時間半くらい。
次の大イベントである昼食までにはまだまだ時間があるので、
わたしは鉄火お嬢さんと艦内見学をすることにしました。

おっとその前に、ミサイル艇「おおたか」の写真を。
「しらたか」のターンばかりあげて、「おおたか」の全体像を
アップしないと不公平ですからね。

鉄火お嬢さんもコメントで言っておられますが、この登場で
わたしはミサイル艇のカッコ良さに悩殺されてしまいました。

この日の乗客には地本が連れてきた入隊志望の若者がいたそうですが、
実際にこういうのを見てもらうことって、リクルート的にも効果大よね。

さて、とりあえず艦橋から出たのですが、そこでこんなものを見つけ
喰いつくわたくしたち。 

艦橋で使用するテッパチ(鉄じゃないけどこういうのか・・・)が
ラックに収納されている、護衛艦ではおなじみの光景ですが、
注目したのはこの順番。

いつも乗っているわけではないのに隊司令が一番上←わかる

その下が艦長←わかる

以下隊付隊信船務士←ほうほう

副長、一番下←? 

まあこれも訳はわかりませんが、海自のことだから何か理由があるのでしょう。

下に降りていく途中にあった艦長、副長、先任伍長、艦三役の御真影。
こういうところに飾る写真は、アメリカ軍のように定型があるわけでなく、
(椅子に座って袖の階級章を見せるようにし、歯を見せる)
艦や部隊によって微妙に違っています。

こちら隊司令、群司令は壁の前で撮ったようで、自衛艦旗なし。
ちなみに下の海士長役付きの写真は、露光を3段階で変化させた例。

艦内の注意喚起にも活躍するあきづきキャット。
何に手を添えて熱気をシャットアウトするのかはわかりませんでした。 

艦内神社もちゃんと科員食堂の近くに御坐す。
「あきづき」艦内神社の勧請元は宗像大社らしいですね。

宗像大社は福岡県宗像にある海上・交通安全の神威であり、
全国7000に及ぶ宗像神社、厳島神社の総本社です。

神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢と呼ばれたり、
「宗像三女神」の一がおわす沖ノ島は 「海の正倉院」とも呼ばれ、
今年7月には世界遺産の審査が行われる予定でもあります。 

関連業者から贈呈されたらしい錨の置物。

 

というところで、公開日でオープンされていた機関室にやってきました。
動力、電力などをコントロールする操縦室で、応急指揮所になることもあります。 

隊員が向かっているのは電源関係のコンソール。
電源関係だけでこれだけ統括しなくてはいけないくらい、
現代の護衛艦は電力を必要とするということでもあります。

 

電話の下にマグネットで留められた紙には

「体験航海時配置」

とあり、本日の1直と2直の運転分掌指揮官や操縦員長などに
割り当てられた名前が書かれています。

これらを全て統括するのが機関長。
護衛艦では三佐が行います。 

そしてここが機関長の席。
せっかくなので一瞬機関長気分を味わうために座らせていただきました。

デスクには定規、消しゴムすら机と平行にきっちり並べられております。 
広げられた大きな「機関日誌」には、0530から始まって、
刻々と起動準備、試運転、ブレーキ試す、出航準備、出航用意
(出航準備と出航用意の違いとは?)などが書き込まれています。

ここにきた時には時計は10時20分でしたが、出航してからは
その後何も書き込まれていません。

それにしても、海自の職場って、どんなものぐさでもここで働けば
いつのまにか几帳面な人にならざるを得ない感じですね。 

機関室に一般人が入る時には上部パネルを隠します。
左のモニターには艦橋にあるカメラから見た前甲板の様子が。

鉄火お嬢さん(の右腕部分)の向こう側に二人が座っているコンソールは
応急監視・ダメコン用で、艦内各部の火災、浸水状況をワッチするものです。 

ところで、護衛艦内の椅子はどうやって揺れに対処しているのかな?

座っていてふと気になったわたしは、足元を確かめて見ました。
わたしが今座っているハーマンミラーのアーロンチェア
(TOがアメリカで衝動買い。もう15年経つけど全く劣化なし)のように、
5本の足が出ているのは同じですが、
その先がローラーではなく、床に吸い付くような素材なのです。

「これは時化の時に動かないようになってるんですね」

と説明してくださっていた機関長にお聞きすると、
さらに時化た時にはこれを使うのだ、と見せてくれたのが床の仕掛け。
ここには椅子を中央で固定するための器具が収納されているのだとか。

「今まで、そんなことに気づいた見学者はいません」

まあそうだろうなあ。(だから鉄火お嬢さんにもマニアと以下略)
 

さて、世界基準で必ず立派な表札がかけられている先任海曹室。
アメリカ海軍の場合は、やたら凝ってペイントを施したりします。

中に先客がいたので、入ってもいいのかな?とお邪魔して見ました。
遠慮して写真は撮りませんでしたが、中では、先ほど

「あきづきの猫帽子が欲しいんだけどどこで買えるのかしら」

と乗員に聞いていた元女子会がお買い物中でした。
グッズを扱うのは先任海曹室なんですね。

おお、「あきづきにゃんこ」帽子、欲しい〜〜!

とわたしも脊髄反射で思わずおサイフを取り出したのですが、
次の瞬間冷静な鉄火お嬢さんが、

「縁に金の模様の入ったのはありますか」

うむー、鉄火お嬢、いきなり士官用を所望するか。

「それは最初になくなってしまいまして」

海曹長がおっしゃるもので、次の機会にしようと購入を断念しました。
わたしも自称とはいえ一応中尉なんで、カレー付きが欲しいです。

先任海曹室の並びには専用の小さなキッチンがありました。
ドアの横にかかっているのは専門のコックコートで、
袖にはブルーの5本線が入っているものです。 

一旦廊下に出たところで、医務室がオープンになっているので見学しました。
説明のために寝台には訓練用のマネキン(女性)が寝かされています。

ここで待機していたのは護衛艦乗組の海曹で、インタビューさせていただいたところ、
彼は「技術海曹」という区分の任用で、二等海曹以上が受験できる資格。
救急救命士の資格を持っているとのことです。
この辺りも陸海空で微妙に精度が違っていて、陸空自は救急救命士は
准看護師の資格がないと受けられませんが、海自はそうではないようです。
 

余談ですが、音楽隊員の任用区分だと音大卒は2曹、音楽短大卒は
3曹からの入隊試験が受けられるということになっています。

医官は全体数が少なく(引き抜きもあって”医師不足”気味なのだとか)
航海に乗り込むことは観艦式の時などを除き滅多にないということでした。 

医務室の片隅にお母さんと子供が二人いたので聞いて見たところ、
海曹のご家族だということでした。
医務室なのでお父さんと一緒に航海中まったりできますね。

ちなみに奥様は夫の職場と仕事を見るのは初めてということでした。
この日はべた凪で、船酔いもなさそうでしたし、見たところ
けが人も病人もなかったようで、何よりです。

 

この時、先の観艦式の時に練習艦「しらゆき」で急病人が出て
ヘリ搬送された話になったのですが、
艦長以下隊員が迅速に対応を図り、館山航空基地所属の「UH-60J」が
救急搬送を行うも、その方が病院で亡くなったということを聞きました。

病人が無事病院に搬送され手当が実施されたとのアナウンスが流れた時、
「しらゆき」艦内では大勢の参加者の拍手と安堵の歓声が湧きあがった、
とニュースでも見た覚えがあったのですが、そうだったんですね・・。

この方は持病の発作を起こしたということですが、あの観艦式でわたしは
ラッタルを渡るのも覚束ない足取りのご老人を見たりすると、

「自分だけは大丈夫だと思ってるのかもしれないけど、
万が一があったら大変なことになるのだから、自重すべきでは」

と内心思ったものです。


ちなみに空母「ロナルドレーガン」の見学は65歳以上不可で、どうしてもという場合、
「何があっても自己責任で。裁判など起こしません」という念書を取られます。 

先任海曹室の入り口にあった自衛艦旗格納箱!

そもそも先任海曹室に入ったのが初めてだったので、
このようなものがここにあるのも初めて知りました。

今航行中で自衛艦旗は揚がっているんだからここにはないと
思っていても、つい好奇心で蓋を開けて見たら、
中には予備が(多分)一旒入っていました。

先任海曹室にには自衛艦旗のスペアがある_φ( ̄ー ̄ )と・・・。

 

昼間航海中でも先任海曹は寝ることを許されるのか!
と驚いてしまった先任海曹の居室。

寝てます

↑うむ。

航海中の ドアの開閉は静かに!!

↑これはわかる。

↑結局どうせいっちゅうねん。

 

続く。

 

 

「あきづき」カレー〜護衛艦「あきづき」体験航海

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体験航海、わたしたちが艦内探索をしている間にも
「あきづき」は佐世保から一路南に向かって進んでいきます。

艦橋付近にあった「走錨検知法」なるもの。

「走錨」ってなんですか、って話ですが、我々にはわかるようでわからないこの現象、

嵐や潮流などで船舶が受ける外力が錨と錨鎖の抵抗力やプロペラの推進力を上回ると
錨が錨鎖と共に引きずられる。
この時、錨が傾いたり反転現象によって把駐力が小さくなり錨が移動し続ける事を
「走錨」と言う。

とwikiにはあります。

一度、走錨状態になると錨の姿勢が正常に戻らなくなるので、
船舶を止めることは難しくなります。
嵐などの荒天時では、引きずっている錨と鎖揚錨機では引き上げられなくなり、
操船が出来ずに海難事故に至る危険性が非常に高くなるというわけです。

大変船にとって怖いことなので、体感的にそれを察知できるよう、
このように指導しているというわけ。

壁に靴跡はつけないようにしましょう。
って書いておかないと壁を蹴る人がいるんだな。 

朝乗艦したら最初に格納庫に案内されました。
観艦式の時のように乗客が使うために毛布が出してあります。

救難機材の入ったロッカーの前には防火用のスーツが出してありますが、
航海中、乗客に向けて防火作業の展示も行われていました。
(他のところをうろうろしていてたどり着けず見そこないました)

格納庫の中ではやっぱりこういうものに目がいってしまうものです。
「あきづき」就役時には最新型だった(今も?)ベアトラップ。

ASIST Mk.6という型番の着艦拘束装置です。

これもなかなかすごくって、この写真でいうと右側に当たる
「コ」の字の内側にはクロウ(爪)があって、
機体側のプローブをセンサーで感知するとクロウが飛び出して
プローブを摑まえるという頭のいい仕掛けになっています。

着艦するのはSH-60で、理論上は最大2機搭載することができます。

士官室で流れていた「あきづき」というDVD(あだちビデオ制作?)
では、このベアトラップがごおおおお!と動いているのが見られました。
実際に動かしているところを一度見て見たいものです。 

格納庫内部から見た飛行甲板。
飛騨側に見えているのは格納庫のシャッターを二枚に分ける柱。
この柱は跳ね上げて収納してしまうことができます。

こうしてみるとベアトラップの軌条が2条伸びているのがわかりますが、
「あきづき」型が最初に取り入れた方式なんだそうです。

ただし、こちら(右舷側)のベアトラップは開店休業状態?
噂では「ベアトラップは左舷側のみしか動かさない」ということです。

ということは、ヘリも2機は実際には載せないってことになりますね。 
どうりで写真でも見たことがないと思った。 

写真で気がついたのですが、二階部分に幕が張ってあるのは風除け?
それとも目隠し?

観艦式の時もそうですが、航行中一般人はオランダ坂には立ち入り禁止。
ここを坂にするのは、甲板を高くしつつ、入港作業を容易にするための工夫です。

転落防止柵に見える黄色いのは「フックアップ灯」。
他にも緑や赤のライト、甲板を照射する照明もあり、
これらは発着艦するヘリからの目印となります。 

「あきづき」型は格納庫が後部構造物と一体化しているのが特徴です。

右側にはLSO(発着艦指揮所)といって、ここから
ヘリの管制を行うブースがあります。
ベアトラップの操作もLSOシャック内部で行うとか。 

甲板の下には「オランダ坂」の下部分となりますが、ここにも
ハッチが設置してあって甲板下への乗降口となっています。

クローズドフェアリーダー上に掲揚された自衛艦旗が
穏やかな海を渡る風に吹かれてなびいています。
雲ひとつない空に翻る自衛艦旗はまことに美しいものです。
ちなみに自衛艦旗を降ろした後、旗竿は折りたたんで甲板に固定するのだとか。

この写真には三本のホイップアンテナが確認されますが、これは
ヘリの発着艦時には邪魔にならないように倒すことができます。 

左上に見えている島は大立島か小立島か・・・。 

さて、一通り外を見ているうちに昼食の時間となりましたので、
士官室に戻ることにしました。
壁にかかっていたこれはダメコン時に使う木材ですよね?

士官室に帰ってきました。

「すずつき」のデザインがいいですね。
わたしは「ふゆづき」の就役記念(進水記念と同じデザイン)を持っていますが、
こうしてみると他の三姉妹に比べて手を抜いた感は避けられません。

ちなみに「あきづき」「てるづき」「すずつき」は三菱造船。
「ふゆづき」だけが三井造船・・・・・あっ。 

メンタルケアは特に艦船勤務のような閉塞された職場では
一体になって取り組むべき問題です。

米海軍の施設にもいたるところにこのような相談員の顔写真が
掲示されていましたが、身近な上官なら相談しやすいということで、
ボランティアのような相談員制度を設けているのです。

ちなみにセクハラ専門の相談窓口も専門に設けてありました。

ここにもさりげなくあきづきにゃんこが海賊コスで登場。

「守秘義務守ります!もちろん批判もしません!」

お、おう・・・。

ハードデスクかなんか?
それより赤紙の「 想定搬出済み」の意味が色々とわかりません。

少し早めですが、すでにテーブルには食事の用意がしてあります。
実は鉄火お嬢さんにお話をいただいた時から、本日艦内でいただける昼食は
カレーであることを聞いており、それは楽しみにしていのですが、

あれ・・・?カレーじゃない・・・?

しかしこのお皿の手前の空間を見ているうちに意図がわかってきました。
エビフライとゆで卵はおかずなのだと。
今やカレーにはつきものの牛乳のパックも添えられています。

というわけで今回はカレーじゃねえええ!と絶叫せずに済んだ模様。

席に着くとカレーを自分で取りに行くように勧められました。
というわけでこちら、本日のメニュー、牛スジカレーでございます。

自衛隊の中でも海上自衛隊が特に食事が美味しいのは有名です。
確かに海自主催の艦上レセプションや基地での祝賀会など、
凝った料理が出され、しかも給養員が祝賀会席上で紹介されるなど、
三自衛隊の中でも海の食へのこだわりには並々ならぬものを感じます。

さらに海自は海軍時代からの伝統「金曜カレー」を踏襲、
さらにその食文化を進化させてきた結果、いつのまにか

「海上自衛隊=カレー」「金曜日はカレー曜日」

というイメージが広く人口に膾炙するに至りました。

体験航海に来た一般人の昼食に、金曜日でもないのに敢えて
カレーが選ばれたのは、ひとえに「あきづき」の心遣いでしょう。
そんな気持ちを踏まえ、心してこれをいただいてみました。

うーん・・・。

牛スジのカレーというのは初めていただきましたが、
長時間煮込まれているせいか、 こっくりとルーと馴染んでまろやか。
適度な中辛で、添えられた牛乳パックが強力な効果を発揮します。
ご飯は少し固めですが、このまろやかカレーには合っていると言えましょう。

「おかず」のエビフライはカレーの上に乗っけてエビフライカレーにするもよし、
そのままサクサクの衣を楽しんでもよし。

ゆで卵は、写真をご覧になればお分かりかと思いますが、
彩りの効果を与え、さらに食欲をそそります。

そして全てを食べ終わると、ちゃんとワッチしていた給養員が
デザートと食後のコーヒーを運んできてくれるという至れり尽くせり。

長テーブルの一番端は艦長の指定席です。

卓上には鉄火お嬢さんが調達したわたしたち連名でのお礼として
一日違いのバレンタインデーチョコレートを置いておきました。

「これを皆さんで」

とお渡しすると、艦長はご自分が取らずに皆に渡してしまうであろう、
という予想に基づいて、鉄火お嬢さんはそれとは別に

「熱き者」 

という刀をあしらった「つわもの向けバレンタインチョコ」も用意してくれたのです。

てっきり皆さんが揃ってから艦長が「いただきまーす」と
声をかけて食事をいただくのかと思っていたら、地本の方などが
先に食べ始めたので、わたしたちも食べ始め、それがほぼ食べ終わる頃、
艦長が着替えを済ませて入室してこられました。

大きなグラスに入れられたミルクは、艦長のご所望でしょうか。

その後お話を伺いながらテーブルを囲んだのですが、

「とにかくここは食事が美味しい。何を食べても美味しい。
しかも、今まで全く同じメニューが出てきたことがない」

つまり、金曜の恒例カレーも毎回違うということですか。
「ぶんご」を見学した時も、当時の副長が

「食事が美味しいので今とても雰囲気がいい」

とおっしゃっていましたが、やはりこれは士気も上がりますね。
「そうりゅう」型潜水艦でも

「うちの食事はとても美味しい」

と胸を張っていましたし・・・。
検索したら「美味しくないフネもあるにはある」ということですが、
今まで見て来た限りでは、圧倒的に美味しいフネが多数派です。
 

この日は体験航海ということで、11時くらいには乗組員の皆さんは
科員食堂前に並んでいたのですが、横を通りすぎながら、
鉄火お嬢さんが彼らに

「どんなメニューが好きですか」

とインタビューしたところ、(こう臆せず声をかけられる人が羨ましい)

「カレーです」「カレーです」「カレーです」

皆さんやっぱりカレーがお好きなのね。
「そうりゅう型」潜水艦の皆さんもカレーの日は朝から楽しみだと言ってましたっけ。

「カレー以外では?」

「たくさんメニューがあって毎日違うのでどれとは言えませんが、皆美味しいです」


上から下までこれほど熱い支持を集める「あきづき」給養員長ってどんな人?
と思っていたら、なんとこの後、長崎に到着して下艦したとき、
三菱造船所の門まで案内してくれたのが噂の給養員長でした。

手が空いている時には配置に限らずいろんなお仕事をするんですね。

詳細は忘れましたが、この給養員長がいた前のフネは
佐世保のカレーグランプリで優勝したとかいうレジェンドなんだそうです。


さて、我々は食事をしながら艦長の前歴などについてもお聞きし、
(こちらについては鉄火お嬢さんのブログに詳しいのでそちらをどぞ)
和気藹々のうちにランチタイム終了。

それにしても前の「ぶんご」の群司令とのお食事の時にも思いましたが、
自衛隊の人ってとにかく食べるのが早い。

向かいの地本の方はさっさと二皿目のお代わりを済ましていましたし、
艦長もずっとわたしたちと会話を続けながら、あっという間に食べ終わり、

「それでは現場に戻ります。
お二人とも、後で艦長室をご案内しますのでいらしてください」

とにこやかにいいつつも颯爽と去って行かれました。 

さて、それではわたしたちも行動開始だ!

 

続く。 

 

「初志」〜護衛艦「あきづき」体験航海

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この度、ご自分の知人がおそらく「あきづき」に乗っている(と思う)、
という一般の方、Bさんからご丁寧なコメントをいただきました。

非公開ご希望ですが、差し障りのない程度にここでご紹介させていただきます。
まずBさん、激励のお言葉誠にありがとうございました。 
大変励みになるとともに、ブロガーとして発信する内容への責任も感じます。
 


さて、Bさんはあくまでも周りから聞き及んだ情報であると断りつつ、
「現場における幹部と曹士の意識の乖離があまりに大きい」
という現在の海自の問題点を指摘しておられますね。

まあ、どんな組織にも組織である以上大なり小なり問題点はあるものですが、
特に海上自衛隊は艦船の操作に携わるという性質上、技術的に
海軍から踏襲しているシステムが多くあり、それが組織の形成にも及んだ結果、

「伝統墨守 唯我独尊」

と言われる一種の硬直を生んでいるのかもしれないと思うことはあります。 

 

さて一方当ブログですが、現場で自衛隊を考察していると言ってもそこは
極端に一隅的なレポートとなってしまうのは否めません。

しかしその点について、Bさんからは

「ブログを拝読して、士官の方はこういう志で物事を考え、
行動されているんだなということもわかりました」

というご感想もいただき、少しは何かのお役に立てているのかなと思いました。

 

階級間の乖離のような問題は中にいなければ決して理解(わか)ることではなく、
また外部者が触れるべきでもないことではあると思っていますが、
やはりこれほど再々自衛隊関係のイベントに参加し、同好の士と
意見を交換していると、やはり聞きたくないことも聞こえてきます。

まず噂(先日の日南市長の自爆案件に類するものもあり〼)。
上に対する中からの不満、非難の声。

不満に関しては、トップの立場からお話を伺う機会がある者からは
親の心子知らずというか、それはそういうことではないと思うんだがな、
と思われる(もちろん一人心の中で)ことも多々あるわけですが、
逆にそれは不満を持っても無理もない、と思うことももちろんあります。

何れにしても、第三者には永遠に真実はわからないことです。
 

ただ、わたしは、どんな人にもどんな組織にも理想とは程遠い「現実」はある、
もちろん問題もあるということはもはや達観しております。

その上で言うのですが、

今まで自衛官一人一人との出会いを通じて幾度となく感銘を受けてきた結果、
ひいては自衛隊という組織の健全性と明日を信じるに至り、さらに理解し、
これを少しでもたくさんの人々と共有したいという思いから、
今日もまた東奔西走をし、自分の目で見た自衛隊の姿を発信しているのです。

 

 

 

さて、昼食後、わたしたちは早速艦長室を見学させていただくことにしました。
艦長室は観艦式ではまず公開されることはありませんので、貴重な機会です。 

「艦長室」であると誰が見てもわかる艦長室の表札。

「式年遷宮時 神宮より賜」

とプレートで説明されていますが、これはどこの神宮でしょうか。
「あきづき」就役の年にはまだ伊勢神宮の式年遷宮の年ではなかったので、
平成の大遷宮が行われていた出雲大社でしょうか。

ちなみに、先任海曹室の表札も全く同じものでした。

艦長室、入って右側の応接コーナー。

艦長ともなりますと、こういうところに賓客を招くという必要もあるわけで・・・。
万が一、総理大臣や防衛大臣が乗艦するようなことになれば、
こういうところで接遇するためのスペースでしょうか。

加湿器もありますが、海の上でも冬は乾燥するものなんですかね。

壁掛け電話の下には艦長の携帯が充電中。
艦長であっても勤務中は携帯を持たないようです。

なおデスクの上には艦長と愛妻のツーショット写真。 

「わたしには勿体無い妻だと思っております」(〃'∇'〃)ゝ

(あ、書いてよかったのかな) 

医務室でお見かけした衛生隊の海曹妻も美人さんだったし、
統計的にみて自衛官の妻はしっかりした可愛らしい方が多い気がします。

ロッカーにも引き出しにも鍵付き。

まるで板のように畳まれた寝具。

「やっぱりこういうのも艦長が自分でたたむのかな」

と鉄火お嬢さん。
そうなんですよ。
自衛官は最初からこれを叩き込まれるのでどんなに偉くなっても
起きた途端頭が動くより先に体が動いて「バームクーヘン」を作ってしまうのです。

それにしてもシーツも全くシワがなくてすごいですね。
清潔と整頓は海軍から踏襲された美しい慣習の一つです。 

その点アメリカ人は、ベッドメイキングは「しつけ」の範疇ですので、
海軍に限らず、ちゃんとしたうちに育ったら皆普通に行います。
こんな風に寝具を折りたたむ作法はないと思いますが。

居室と水回りの境はドアでなくカーテンで仕切られています。
さすが艦長専用の浴室、足は伸ばせないものの、一人で浸かることのできる
バスタブが用意されています。

「しかし、湯を張ってゆっくり湯船に浸かったことはありませんね」

と艦長。
やはり重責を担う艦長ともなると、なかなかそんな時間もないのでしょうか。

ちなみにふと気になって湯船用の水は海水かどうか聞いてみました。

「違うと思います」

艦長はほとんど湯船に浸からず洗い場のシャワーで済ませてしまうとのこと。
シャワーは奥のスペースでシャワーカーテンを引いて使います。 

丸窓は基本開けたままにしてカーテンだけ開け閉めするようです。
ベッドの横に壁をくりぬいた物入れ棚があるのが工夫ですね。

現代の護衛艦には舷窓はほとんどないのですが、外から見ると
01甲板のレベルに二つだけ窓があるのが確認されます。

その二つがどちらも艦長室の窓であるということで、
これは艦長の艦における地位の特別さを意味しています。 

洗面所には専用の洗濯機も備えてあります。

「昔であれば従兵というのがいて、艦長はなんでもやってもらえましたが、
自衛隊は基本自分のことは自分でやります」

そういえば、井上成美大将が艦長だった時代、艦長付きの従兵が
部屋のお掃除をしていてベッドで眠り込んでしまい、気がついたら
横に艦長が寝ていたという話をここでしたことがあります。

戦後の民主化された自衛隊では、その階級、身分差は海軍時代に比べると
なきに等しいといってもいいかもしれません。(あくまでも比較で) 

艦長のデスクに、「初志」と書かれた写真がありました。
一目で江田島の教育参考館前の階段で撮られたとわかりますが、
見たことがないこの7つボタンの制服は・・・・?

「カンセイブ(?)の制服です」

少年術科学校は1970年(昭和45年)〜1982年(昭和57年)まで存在した
海上自衛隊生徒の教育を行うための機関です。

艦長がこの制服を着て江田島で写真を撮った頃には、
少年術科学校は規模を縮小されて「第1術科学校生徒部」となっていたはずです。

「カンセイブ」とは「幹部生徒部」の略でしょうか。
幹生部は2011年には廃止されてしまったので、この制服も無くなりました。 

「初志を忘れないために、今でもこの写真を飾っているんです」

 

ちなみに、少年術科学校の歴代学長は、全員が旧海軍の海軍兵学校、
海軍機関学校卒の海将補で、中には佐近允尚敏海将の名も見えます。 

艦長室の見学を終えたころ、甲板で主砲の動的展示があるという
アナウンスがあったので、甲板に出ました。

今までの艦艇体験からいうと、伊勢湾の掃海隊訓練と並ぶべた凪です。
艦種部分には観艦式の時と同じように立ち入り禁止のロープが貼られています。

三々五々、見学者が集まって来たころ、一人が解説をはじめました。
ぶっつけ本番だったらしく、

「えー・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

頑張れ。 

展示は何をするかというと、この動かざること山の如く見える
主砲の5インチ砲を動かしてお見せしよう、というわけ。

ちなみに5インチは127ミリのことです。

横浜のみなとみらいであったMASTという展示会では妙にスタイリッシュな流線形の
イスラエル製かスェーデン製かなんかの家具調主砲が(忘れた)目を引きましたが、
このアメリカ製(BAE 日本がライセンス生産)はシャープでスッキリしてます。 

まず横向きー。

「こいつ・・・動くぞ!」

上むきー。

正確にはMk.45 Mod4 62口径5インチ単装速射砲といいます。
Mods4ということは今まで0から始まって5代目ということですが、
開発が始まったのは1960年でも、戦前からアメリカ海軍は
5インチという口径を標準にしていましたので、わたしが今まで見た
アメリカ軍艦にも5インチ砲は珍しくありませんでした。 

俯仰角は 65/-15度ということなので、おそらくこれが最大俯仰状態。
真上に撃ったら弾が落ちてきたとき危ないから?(小並感) 

観客の方にも向けてしまうのだった。

このタイプ、イージス艦に搭載されていたもので、護衛艦では
「あきづき」が最初に搭載されたということでが、この後就役する
「あさひ」型にも同じタイプが採用されることが決まっています。 

観客「はえ〜」

対空砲を撃つこともありますからね。
最大射程は110キロメートルを超えます。 

この角度になるってことは、理論上自艦を撃つことが可能ってことか。

VLSのセル越しに撮ってみました。
危険ですから昇らないでくださいというのは高いところにあるから?

展示が終わってから、速射砲を艦首側から撮ってみました。
なんかこうして見るとノーズが長く見えますが。

と思ったら、このタイプは62口径(157-8cm)で、従来型に比べると
砲身を延長して砲口初速を上げてあるのだそうです。 

速射砲の薬莢が床に落ちた跡がありありと・・・・・。

砲弾の装填、などは完全自動となっていて、実際に飛んでいく部分
(弾頭)には水上弾、榴弾、対空弾、照明弾を装填します。

陸自の一般公開などで空砲を撃つ時には装薬包を装填して射撃しますが、
このタイプはセンサーが弾頭の未装填を感知すると「エラー」と判断し、
撃つことができなくなるため、空砲射撃も行うことはできないということです。

 

ところで映画「亡国のイージス」の中で、同じ味方だったはずの護衛艦から撃たれた
ハープーンミサイルに対して護衛艦「うらかぜ」が、主砲で撃ち落とす場面がありますが、
2発目は間に合わずに撃沈されてしまいました。

そこで疑問です。
追尾も全自動のこのタイプなら、2発目の撃墜は可能だったんでしょうか?(独り言です)

 

 

続く。

 

 


「海のさきもり」へのオマージュ〜呉音楽隊第47回定期演奏会

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「あきづき」体験航海記がでれでれと続いている最中ですが、
またしても一旦中断して自衛隊音楽会の話題を挟みます。

と言いながらこのタイトル写真は一体なんなの?

ってことなんですが、今回、呉音楽隊の演奏会を拝聴する貴重な機会をいただき、
またしても来てしまった、呉市。

前回の来呉の時に火がつきかかっていた「呉氏」アピールが
今回は結構すごいことになっていたので、少しご報告しておきます。 

呉氏というこのスポンジボブ+オカザえもん÷2的な物体が呉の新キャラに制定され、
プレスリリースされたのは、今年の2月1日のことでした。

なんの因果かわたしはちょうどその2月1日、翌日の幹部候補生学校卒業式のため
呉に来ており、夜の街を歩いていて、妙なポスターが貼ってあるのに
はて?と思っていたのですが、呉から帰る飛行機の待合室でこのニュースを見て
この偶然に只事ではないわたしと呉の因縁というものを感じたのです。

【公式】広島県呉市PR動画「呉ー市ー GONNA 呉ー市ー」Music Video

テンポのいいダンスとちょっぴりほろ苦い恋愛ストーリーが
おなじみの呉の街をバックに繰り広げられます。

なぜか彼女にレストランで水をかけられる呉氏。
水をかけられるようなどんな鬼畜なことをしたのか呉氏。

「♪潜水艦は明日も 必ず潜るよ」

「♪温めた海自カレーも 知らせなきゃ冷めるだけ」

実際に呉に住んでいた方は

「♪星が降る灰ケ峯」

などという歌詞にグッとくるようですね。

そして何より今回のテーマにふさわしく、クリップには呉音楽隊のメンバーが参加、
呉氏とまさかのキレッキレのダンスを繰り広げており、最後には燦然と

撮影協力 海上自衛隊呉地方総監部

の文字が・・・・。
クリップ冒頭が呉地方総監の建物から出てくるシーンですからね。 

 

 

さて、今回の来呉は2時間の昼間のコンサートのためだったので、
飛行機で往復したのですが、ちょうどいい空港リムジンがなく、
考えた末、激安レンタカーを利用しました。

真っ赤なデミオを借りて走り出したのはいいのですが、
単線で追い越しができないのに、後ろにぴったり付かれたとき
アクセルを踏んでも踏んでもスピードが出ないのには焦りました。

広島空港から呉までは直通の高速で一本です。

バスで何度も通っている道ですが、自分で運転して初めて
こんなところだったのかとわかった気がします。

飛行機が早く着いた関係で、お昼ご飯を食べることにしました。
コンサートの行われる文化ホールの位置を確認してから車を走らせて
どこで食べようかなと楽しく悩んでいたところ、市営駐車場の前に
「けんりゅう」カレーが食べられるらしいうどん屋さんを発見。

その名も「りゅう」。 

なるほど、それで「けんりゅう」カレーなのか。

 

ここの入り口にも「呉氏」のポスターが!。
なるほど、呉氏とは、呉の海を「切り取った」という設定なのね。

呉氏です。

初めまして。ボク、呉市の新キャラクターの「呉氏」っていいます。
この顔はどう見ても呉市のキャラクターですよね。
自己主張が激しくてすみません。
名前もどう聞いても呉市のキャラクターですよね。
わかりやすくてすみません。
でもこの美しいターコイズブルーの体はふわふわのファーでできていて
一度触ったらやみつきって評判です。
だからもしどこかで僕を見かけたら触ってみてクレ。
デビューということで緊張して色々言ってしまいましたが、言いたいことはただ一つ、

全力で可愛がってクレ!

 

全く言っていることに意味がありません(断言)
しかし、 結構わたしこいつが気に入ったので、呉氏を陰ながら推そうと思います。
そのうち小村市長から表彰されるかもしれません。

駐車場の料金精算方法にまで出演している呉氏でした。


さて、

けんりゅうの「ソードドラゴン」(直訳)カレーは単品850円。
海自カレーラリーに参加するお店は、必ずレシピを忠実に再現し、
給養長からのお墨付きである認定書をもらっています。 

カレー皿は船型、ご飯が型取りしてあるのは潜水艦に見立てているから(多分)
けんりゅうカレーはシーフードがふんだんに入っているのが特徴。 

何も言わなくても付いてくるカレーラリーのスタンプシール。
集めようと思っていなかったけど、これで二つ目ゲットです。

呉に行くたびに地道にカレーを食べてみるのもいいかなと思い出している今日この頃。 

「海軍カレー」と書かれたカレー皿もあり、こちらは
「海自カレー」という名前で出しているおそらくビーフカレー。
シーフードの苦手な人向きです。

もともとうどん屋だったのに、行きがかり上カレーも出すようになったと・・。

それでも時間があったので、少し歩くとなんと駅前でした。
呉の街って本当にコンパクトなのね。

おなじみ呉阪急ホテルで食後のお茶をいただきました。
ロビーには早くもお雛様が飾られています。

そして、冒頭写真の「呉氏」ポスターも・・・。 

車を駐車場から出すときに前に停車していた車には制服の自衛官が。
こういうのが呉という街なんだなあと思いつつ一枚。

昔はこれが海軍軍人だったんでしょうね。 

そして呉文化会館に到着。
いただいたチケットを見せると、席まで自衛官が案内してくれました。
階段を登って行くと、そこに金びょうぶが設えてあり、なんとそこに
呉地方総監ご夫妻がまるで新郎新婦のように立っておられるではないですか。

今まで演奏会でこんなお出迎えを受けたのは初めてです。

二階席から見下ろした呉文化ホール。

日本は自治体の箱物行政の恩恵で全国津々浦々まで立派なホールが
どこに行ってもあるというのは有名な話です。
それでなくても裕福な住民が多いという噂の呉ですので、
このホールも古いながら大変立派なものです。

二階に案内されたとき、近辺の招待客の座席表をいただきました。
これによると先日来呉の自衛隊イベントに来るたびにお見かけしていた
アフリカ系の軍人さんは、アメリカ陸軍第10地域で
支援群弾薬廠長を務めておられる方だったことが判明しました。
アメリカ陸軍がここに駐留していたとは全く知りませんでした。

あとは衆議院議員の寺田先生とか、呉市長、市議会会長、
商工会議所関係、水交会などなど。

去年の自衛隊記念日で表彰されていた自衛隊基地理髪店の
理容師さん(女性)もちゃんと招待されていたようです。

今回はTOも縁あって同席することになり、わたしは自分の夫と
呉の文化ホールで久しぶりに会いました(笑)
彼は怒涛の忙しさでずっと家に帰ってこられず、わたしたちはこの日も現地で

「いやー元気だった?」

「うん元気。 『ユーニャン』のyoutube見たよー。教えてくれてありがとう」

「あれ感動するよね」 

などという会話を交わしたのですが、コンサートが終わるとわたしは空港に、
彼はまた仕事で他の地方へ・・・。 

それはともかく、TOはコンサート開始前に関係者から

「今日は大変特別の試みがあるプログラムなので楽しみになさってください」

と聞かされていたようです。
なんだろう。特別の試み。 

 

それでは当日演奏された曲です。

平和への行列  戸田顕

2001年度のコンクールの課題曲。
ロシアっぽい勇壮かつ憂愁を帯びた旋律で、軍楽曲のような雰囲気ですが、

「タイトルにある平和は戦争解決のみを意味するものではなく
地球環境問題や身の回りで起こる争いごとなどの解決も含めての平和であり」

別にこんな言い訳っぽい解説はいらん、と思ってしまったのはわたしだけ?
(特に地球環境問題のところ)

スピリティッド・アウェイ 久石譲

おなじみ久石譲の「千と千尋の神隠し」挿入曲からのアレンジ。
久石ナンバーはそれこそ数え切れないほどのアレンジ版があり、
演奏形態も様々なバージョンが出ています。

「スピリティッド・アウェイ」は「千と千尋」の英語タイトルで、
挿入曲を盛り込んだアレンジにこの題を採用したのでしょう。

いいなあと思った後半の「仕掛け」は、「いつも何度でも」が
ハープ、チェレスタ(いずれも男性隊員が担当)ザイロフォンで
演奏されるのに、全く別物のように「ふたたび」がかぶさってくるところ。

いつも何度でも/千と千尋の神隠し【Cover】

Spirited Away OST - Reprise / Again [HQ]

言葉の説明だけではわからん、という人は、上のyoutubeを再生して、
ワンコーラスが終わった時下のyoutubeをクリックし同時再生すると、
少しだけでも雰囲気が・・・わかる・・かもしれません。(弱気) 

どっちもよく知っている曲なのですが、タイトルがわからなかったので
会場でメロディを階名でメモして持って帰り、苦心して調べていたら
ちゃんとそのことがプログラムに書かれていましたorz

どちらも三拍子なのに全く関係なく重なり、しかも「ふたたび」の後ろで
ずっと「いつでも」が鳴り続けている感じが粋で斬新なアレンジでした。 

雲のコラージュ 櫛田胅之扶 〈改訂版〉 

これも最近のコンクール課題曲です。

三つのジャポニズム  真島俊夫 

東京佼成ウィンドオーケストラの依頼によって作曲された、
日本らしいメロディの作品で、鶴のダンスを表現しているとか。

真島俊夫氏は日本の吹奏楽界に大きな足跡を残しましたが昨年四月逝去しました。 

オマージュ〜海の守り詩 八木澤教司

そう、これだったのです。
TOが聞いたところの「特別な企画」というのは。

呉音楽隊が創設60周年記念に委嘱した作品で、なんと、
海上自衛隊の儀礼曲「海のさきもり」がモチーフとして使われています。 

海上自衛隊儀礼曲 「海のさきもり」 護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式

初演ですので、実際の楽曲をお聞きいただくことはできません。
というわけで、わたくしが「ふゆづき」引き渡し式の写真とともにアップした
唯一のyoutubeをご覧いただければと思います。

自慢ではありませんが、わたしがアップするまで、「海のさきもり」は
youtube等ネット上動画に一度も上がっていなかったのです。(いまでは多数)

「海のさきもり」作詞者の元海軍兵学校卒、戦後は自衛隊にも在籍していた
江島鷹夫(もちろんペンネーム)の関係者と知り合ったことが
実はこのわたしが各種防衛団体の末席を汚すきっかけになったのですから、
会場でこの曲が初演されることを知った時にはまさに胸熱でした。

作曲を依頼するにあたって、呉音楽隊隊長野澤健二一尉は

「海のさきもりをモティーフとして使用してほしい」

と要望したそうです。
曲は、護衛艦が岸壁に停泊している時にも聞こえてきそうな、
風が索を揺すり艦体がかすかに軋む様子や、喇叭など、
あらゆるシーンを彷彿とさせる効果がコラージュ風に散りばめられ、
最初は後ろの方でちらっとその形を見せるだけだった「海のさきもり」が
最後には全ての音を包括して立ち上がり、壮大な響きとなって現れます。

会場には作曲者の八木澤氏もきておられ、最後に挨拶をされたそうですが、
わたしは残念ながらその時には会場を後にしておりました。 

ベールマン アダージョ海上自衛隊東京音楽隊

ちょうど同じ曲を東京音楽隊のクラリネット奏者がやっているyoutubeがありました。
クラリネットは管弦オーケストラでいうところの第一バイオリンであり、
コンサートマスターも務めるパートです。

この日のソロも、呉音楽隊のコンマスが務めました。

これは先日の幹部学校卒業式で「勝利を讃える歌」を演奏する呉音楽隊ですが、
指揮者の正面で演奏しているのがコンサートマスターの小村英生2曹です。

ベールマンという作曲家はクラリネット奏者として軍楽隊にもいたそうです。

ガイーヌ ハチャトリアン 

誰でも知っているのが「剣の舞」ですが、そのバレエ音楽「ガイーヌ」から
8曲が抜粋されて演奏されました。
この曲、案外新しくて初演が1942年だそうです。

耳馴染みが良く、聴いていて楽しいこれらの曲を交え、新しい曲ばかりでもなく、
古典あり、久石作品ありと、なかなか人を惹きつける構成の演奏会で、
この日集まった聴衆の広い層の耳を楽しませることができ、さらには
呉音楽隊やひいては海上自衛隊の魅力を伝えることもできたのではないでしょうか。

わたしとしては「海のさきもり」への「オマージュ」世界初演を聴けたことに
心から満足して文化ホールを後にしました。 

最後にTOとの会話に出た「ユーニャン」もついでに貼っておきます。
犬好きにもオススメ。 

ねこ勉〜Cats Learning〜

 

帰りは安いレンタカーのせいかカーナビに広島経由を案内され、遠回りしてしまいました。
ここはどこー! 

 

というわけで、印象深い呉訪問&呉音楽隊演奏会となりました。
参加にあたってご配慮をいただきました全ての皆様に感謝いたします。

本当にありがとうございました。

 

 

 

軍艦島〜護衛艦「あきづき」体験航海

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「あきづき」体験航海記に戻ります。

一般公開の日にはどこにでも潜り込む人間対策に、こんな風に立ち入り制限します。
確かに、これをしていなかったらわたしも入らずにいられたか自信ありません。 

「あきづき」型に乗るのは初めてなので、武装も紹介しておきましょう。
3連装短魚雷発射管です。 

国産の68式 HOS-301の改良型で、現地の説明にはMk.32と制式が書かれていました。

舷側はステルスシールドになっており、
使用時はこのシールドを開いて、発射管を斜め45度にして
あとは「テー!」とやります。(多分)

魚雷は精密機器なので、特製のキャニスターに収納されて保管されています。 

 

こちらはその近くにある自走式デコイ。
これは今まで見た護衛艦にはなかったような気がします。
(あったかもしれませんがわかりません)

4連装のランチャーが右舷側だけに一つ装備されています。
 

使用方法。
魚雷と一緒で、これも旋回させて「テー!」とやります。(多分)

「デコイ」と言っているのは、より接近した敵魚雷に対して使用され、
その際音響を発生させながら敵魚雷を欺瞞、誘引して、
自艦から離れたところまで誘導し、そこで誘爆させるからです。

頭いい〜!

溺者救助訓練用の人形もしっかりチェック。
他の艦に比べるととっても脚が長くてスタイル抜群、モデル体型です。 

画竜点睛と言いますが、溺者人形には何処の艦のものも必ず
油性マジックで顔が描き込まれます。
簡単なところではへのへのもへじの顔の時もあります。
そして必ず名前がついています。 

彼女(多分)の名前は近辺に隊員がいなかったので確認できませんでした。 

こちらVLS垂直発射機の発射装置。
ここには32セルがあります。

このタイプが今の海自の護衛艦の標準装備と言っていいでしょう。

セルのある台の側面にあった VLS弾庫。
とっての類が全くないのですが、どうやって開け閉めするんでしょう。 

回廊の一部で見つけた「海水吸入箱」のプレート。
海水吸入箱なんて初めて聞いた言葉です。

船舶は、主機関を初めとする各種搭載機器等の冷却に海水を使用するので、
船外の海水を船内に取り入れる海水吸入箱(シーチェスト)があります。

海水吸入箱は、船底外板あるいは喫水線下の船側、外板に接して設けられた
「箱」で、船底外板、あるいは船側外板に開口する海水入口から
海水を導入して取り入れる役目をします。
そうして取り入れられた海水はポンプで冷却対象の機器に送給されるというわけ。

問題はこの写真のどこにも箱らしきものがなく、プレートがあるのが
船底でも喫水線下でもないことですが・・・。
 

 

さて、「あきづき」乗艦について艦長からお知らせいただいた情報に

「当日は艦上から軍艦島が見える航路を航行します」

とあり、今まで噂の軍艦島を見たことがなかったわたしは
当日軍艦島が見えてくるのを大変楽しみにしておりました。

速射砲の動的展示が終わった時、 VLSセルの写真を撮りましたところ、
(高いところにあるのでカメラを持ち上げて) 

んん?向こうに見える島影は・・・・?

見たことがないわたしでもわかる、これはあの軍艦島ではありませんか。
いやー、本当にコンパクトな島ですわ。
こんなところに人がひしめき合い学校や遊戯場まであったなんて信じられない。

「軍艦島ですよね、あれ」

もしかしたら艦内ではその旨放送があったのかもしれませんが、
わたしたちはずっと外にいたので、なんの心の準備もなくいきなり遭遇した形です。 

カメラを望遠レンズに取り替えて島を撮りました。

島の周囲を取り囲む防波堤が、一つの島をまるで軍艦のように見せています。
島の中央の小高いところには給水塔や灯台の形もまだはっきり確認できます。

近年世界遺産に指定され、長崎港からはいくつものクルーズが出ていますが、
2009年からは島への上陸が天候など条件付きで可能となりました。

アップした写真をさらに一部拡大してみます。
こりゃすごい。

廃墟や古い建物が大好きなわたしには垂涎の眺めです。
兼ねてからTOに行こうよと言われていたのですが、
これは是非一度上陸してみたくなりました。

ところで、端島が世界遺産に、というニュースは皆さんもお聞きになったと思いますが、
あれ、「軍艦島が世界遺産」というよりは

軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」

が世界遺産に指定されたというのが正確なところです。

 

ところでその際、日本が脚光を浴びることが何であれ許せない隣の某国が、
これを国ぐるみで妨害してきました。

「日本の帝国支配に関連する世界文化遺産を登録する日本の試み」

を非難するとともにこれに異論を唱え、登録に反対してきたのです。
その後日本は韓国政府とバーター条件(日本も百済遺跡を世界遺産に推薦するという)
で合意するも、韓国側は翌日合意を破棄しなかったことにしてしまい、
日本側が煮え湯を飲まされるという経緯を経たことも、
今では多くの日本人の知るところとなっています。

韓国側の非難の論拠は、朝鮮人が強制連行され苦役についたということでした。
これは徴用と強制労働を意図的に曖昧にし、政治利用したと言わざるを得ません。

その宣伝も子供向けの絵本にまで及び、「恥ずかしい世界遺産」という本では
少年の労働者を長崎の爆心地で労働させ被曝させたと書かれているそうです。

まあしかし、慰安婦問題などを見ても、あれはそういう国だと思っているので
多くの日本人同様わたしにはなんの驚きもありません。

そして得てしてこういう情報を検証せず、彼らのいう通りに伝播するのが
彼らのいうところの「良心的日本人」であるということも。

 

今回、わたしと鉄火お嬢さんが艦上で知り合った参加者の一人がそれでした。
軍艦島の話になった時、 この人は

「上陸したら朝鮮人の墓があった」

「強制連行されてきた朝鮮人だった」

「来るのが嫌だから途中で海に飛び込んで死んだ」

ああ、これが無自覚のデマゴギーというやつだなと思いました。

まず、軍艦島には墓がないというのは有名な話です。
島で人が亡くなったら、上から三つめの写真にも写っている小さな島に
遺体を運び、荼毘に付してそこにある墓地に葬ったのです。

狭い島内に島民の遺体すら葬ることはしていなかったというのに、
朝鮮人の遺体を荼毘にも付さず島に埋めて墓を作ったというのでしょうか。 

そして「強制連行」というのを「徴用」と混同していること。
(韓国の意図的な誤用をこの人は信じているというわけです)
慰安婦の問題もそうですが、軍艦島の炭鉱労働者として、朝鮮人も給与を得ていたこと、
特に戦後は日本人と朝鮮人の子供が学校で机を並べていたことなども
実際の元島民が証言していることなのに・・・・。

そして最後ですが、これなんといっていいのやら。
連れてこられる途中で海に飛び込んだ人間の墓がどうしてここにあるのか?

時と場所と立場を考えなければ、これらを突っ込ませていただきたかったのですが、
その話を聞いていた周りの人間は、もちろん誰も相槌も打たず返事もしませんでした。 

わたしは、そのおじさんを一日エスコートして、何を聞かされても
ハイハイとお説を拝聴しなければいけない自衛官に心から同情した次第です。

ちなみに、このおじさん、下艦する時にわたしと鉄火お嬢さんを
前に行かせてくれたまでは良かったのですが、鉄火お嬢さんが
ラッタル途中で写真を撮っている間それを待って立ち止まると、
後ろから「早く行かんね」といって背中を強く押すということをしてくれました。

繰り返しますが、船から降りるラッタルの途中です。
わたしは旅行用の重いキャリーバッグを手に持っていました。

危ないだろうがあ!(激怒) 

軍艦島の近くにある島だと思うのですが、高島でしょうか。
高島には学校、スーパー、診療所、海水浴場があります。
 


 

最後にはブリッジの下を通過すると聞いていたので、これかと思ったら
右手に見たまま通り過ぎてしまいました。
これは伊王島と三菱重工のある香焼を結ぶ「伊王島大橋」。
橋長876mもあって、歩いて渡ることもできるとか。

調べていたら「恋する灯台No7」とあるので何かと思ったら、 
日本ロマンチスト協会と日本財団「海と日本」の共同企画で、

恋する灯台プロジェクト

灯台を「ふたりの未来を見つめる場所」として定義することで
「ロマンスの聖地」へと再価値化していきます。
日本全国の灯台から、ロマンスの聖地にふさわしい灯台を「恋する灯台」として、
灯台がある地域を「恋する灯台のまち」として認定し、
地域の観光資源としての灯台の価値を見直すことで、
灯台に訪れる老若男女を増やして海への関心を高めていくことを目的とします。

という灯台の7番目にこの伊王島の灯台が指定されているのだとか。
(それにしてもこのHPの文章はなんとかならんのか) 

ちなみにこれは「いおうじま」と読みます。

 

恋する灯台といえば()わたしたちは動的展示の後、
甲板から海を見ながらまったりしていたのですが、
例によって鉄火お嬢さんが甲板にいた隊員とその家族に話しかけ、
しばらく立ち話をしていたところ、(主にお母さんとお嬢が)

なんと!

お母さんによるとこの隊員さんの奥様は、テレビのお見合い番組で
ご縁があって結婚に至ったという方なんだとか。

もしかしたらテレビを見ていた人には覚えのある隊員さんだったのかも。


続く。 

 

 

造船所到着〜護衛艦「あきづき」体験航海

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観艦式と違い、佐世保から長崎への護衛艦クルーズは
あっという間に目的地に近づいて来たという感じがします。

前回最後にお話しした「恋する灯台N07」が見えます。

そしてあっという間に目的地である長崎の三菱造船所のガントリークレーンが見えて来ました。
何気なく使っているこの言葉ですが、ガントリー(gantry)とは、
複数の高脚の上部に水平な梁を備えた門型の構造物という意味があります。

 

三菱マークがクレーンのアーム中央にはっきりと。

入港作業を見るために、わたしたちはまた艦橋に登って行きました。
すると、出港時には被っていなかった黄色いヘルメットを全員が着用しています。
後ろから写しているので見えませんが、正面に海自のマーク入り。

副長の後ろ姿。

艦橋横右のウィングから甲板を望む。
潜水艦とすれ違った時のように、艦首舳先に数人が固まって立っています。
この頃にはすでに甲板には一般人の立ち入りを禁止されていました。

左の航海員が双眼鏡で監視を行い、右の乗員は通信中。
左にスイッチみたいなのを持っています。

今甲板の人たちは、これから橋梁の下をくぐるために
異常がないか艦体と進行方向の見張りをしているようです。

艦橋を横切るときに気づいてしまった黒板。
「ネザ」!「ミザ」!「コクザセリザチョリザヒリザ」! 

・・・・呪文かな?

基本的に昔から狭いスペースで生活するために敬礼の肘の角度や、
万歳のやり方をスペース省略して来た海軍は、その時代から
先任参謀を「セサ」と呼んだりして言葉も省略して来たのですが、
その結果がこれ。

「ネザ」=燃料在庫量

「ミザ」=真水在庫量

「コクザ」=航空燃料在庫量

「セリザ」=生糧品在庫量

「チョリザ」=貯糧品在庫量

「ヒリザ」=非常用糧食在庫量

こういうの、ちゃんと上の方が通達で決めてくるんですよー。
ちなみに昔「先任参謀」が「セサ」だったせいか、自衛隊になっても
「先任幕僚」のことは「セバ」とは言わず、「セサ」というらしいです。

したがって、例えば「運用幕僚」だと「ウヨサ」になります。
自衛隊になってからできたのではないかなと思う略語に

「サブサ」=潜水艦幕僚

「ロジサ」=広報幕僚

がありますが、海軍は基本英語オーケーだったのでどうだろう。

こういうのを見ていると面白くて時間が経つのを忘れてしまうのですが、
ちょっとウケたのが、

「トサカ」=統裁官

「ウシ」=運用士

「カバ」(カパじゃない)=甲板士官

「スシ」=水雷士

「ホシ」=砲術士

まあ面と向かってそう呼ばれるわけではないので牛でもカバでもいいんですが。 

こんなものの写真も撮ってしまうのだった。

「缶は洗って捨てろさぁ〜。」

長崎弁でしょうか。
それはともかくこんなところでどうやって缶を洗うのかと。 

ここには「カ」「フ」「コ」とか「ツシ」「セシ」などが働いているというわけ。

女性の「コ」。 

艦橋の窓から今からくぐるという橋が見えて来ました。
甲板の見張りはきっちりと等間隔で舳先に立っています。

長崎湾から三菱重工造船所のある浦上川の大きな河口に
入って行くとき、ボトルネックのような部分をつなぐ橋、

「女神大橋」(愛称ヴィーナスウィング)

です。 

女神橋は建設の際、造船所がこの中にあることや大型の客船が出入りすることを考慮して、
水面から非常に高い場所を人や車が通行する斜張橋(しゃちょうきょう)にしました。
斜張橋とは、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のものです。

 

それは、この写真を見てもお分かりいただけるかと思います。
護衛艦とはいえ、艦橋の高い部分にいても、これだけ上部に余裕があります。

 

かつて世界最大級の客船クィーン・メリー2などもこの下を通過したことがあるとか。

たった今橋の下を通過ー。
女神大橋は歩いて渡ることもでき、 長崎のランドマークとして
観光資源ともなっているそうです。

あっという間に橋の下を通過。
昔観艦式の時に「ひゅうが」で横浜のベイブリッジ下を通過した時、
最先端部と橋の下が7mあると聞きましたが、それでも下からはギリギリに見え、
皆が息を飲むようにして上を見ていたことを思うとあっさりしたものです。

双眼鏡のレバーに赤いリボンがつけられていますが、
これも体験航海乗客がぶつからないようにという気遣い。

こんなところ、ぶつかる方が悪くね?と思いますが、
自衛隊的にはそうはいかないのでしょう。

ブリッジ下を通過すると、両岸に造船所が見えてきました。

三菱造船所で建造中の船も色々と見えてきました。
なかなかの豪華客船、名前は

「AIDA Perla」 

調べたところドイツの「アイーダ・クルーズ」社の船で、
一番船の「アイーダ・プリマ」が引き渡されたのは最近。 

ただし、度重なる設計変更などで納期は1年遅れ、さらに3度の不審火に見舞われるなど
災難を経ての引き渡しだったそうです。

これは2番船で、全長約300メートル、12万5,000トン、
客室数1,643室で約3,300人を収容でき、プールやスケートリンク、カジノなど
豪華な設備を備え、さらに最先端の省エネ技術も採用しているとのこと。
ニュースによると、 

これら2隻の豪華客船建造がもたらす結果が、長崎市の基幹産業である
造船業の今後を占うといっても過言ではない。
三菱重工業は「工程の最適化と改善で建造を加速させる」とするが、
これ以上の遅延は許されない。わが国の造船技術の真価が試されている。

ということです。

こちらはアメリカのクルーズ船「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」。

今はアジアクルーズがメインなので、母港は上海だそうです。
つまりこの乗客のほとんどが中国人なわけか・・・・。 

漁船などが繋留する岸壁のようです。
ちなみに一番向こうの白い船は「やまと」だそうです。 

横浜で「鳥海」だか「金剛」を見たことがあるけど、
船の名前って言ったもん勝ちみたいなの? 

こちらはどうやら軍艦島見学ツァー。
「ブラックダイヤモンド」 という船は、乗艦料が3600円。(子供半額)
島に上陸するのには見学料が大人300円、子供150円必要です。

なんかこれ安くない?

あとは、船上から長崎市内に点在する世界遺産を見学するクルーズもあり。 

 

これも曳船でしょうか。

建造中の船体。
まだ上部構造物が全くない状態です。

もう一隻曳船が向かってくる方を見ると、艦番号176、
忘れもしないわたしが前回の観艦式本番で乗った「ちょうかい」が。

千葉県木更津港から乗艦し、駿河湾を一日クルーズした艦と
長崎で再会することになろうとは、なんとも不思議な感じです。

イージス艦である「ちょうかい」に乗ることが決まっていたのはいいけれど、
その直前に北の坊ちゃんのミサイル騒ぎで、

「何かあったら観艦式には出ませんからその時は諦めてください」

と言われていたんだったわ。
今調べたら「ちょうかい」は石川島播磨島の生まれ。
なのになぜ三菱でドック入りしているのかと言いますと、
「こんごう」型の姉三人を三菱に造らせたあと、石川島播磨にも
技術維持の機会を与えるために「ちょうかい」だけを造らせたのですが、
その後石川島播磨はIHIになり、「ちょうかい」の古巣東京工場が
閉鎖されてしまい、結果として彼女は現在のところ

唯一の非三菱ミサイル護衛艦

となってしまったのです。
というわけで、メンテもここで行っているんでしょう。

こちらには「ありあけ」さんがいます。
「むらさめ」型の9番艦なので、これも「あめ型」と呼ぶのかな。

旧軍では「春雨型駆逐艦有明」「初春型駆逐艦有明」、
そして自衛隊になってからは「ありあけ型護衛艦ありあけ」に続く4代目です。 

「ちょうかい」の真正面を通過した時を狙って一枚。
塗装をやっているらしく、CIWSや手法、レーダーの類が全て覆われています。

「ちょうかい」の後ろは・・・・ええい、艦番号が見えーんっ!
どうも今乗っている「あきづき」と同じ形に見えるんだが。
もしかしたら「すずつき」かな? 

「あきづき」に先駆けて「すずつき」もドック入りしているのでしょうか。

「あきづき」の接岸作業はこのコンビが担当する模様。

そこでふと甲板の上を見ると、全ての乗員が右舷側に固まっているのに気づきました。

ところで、また作業艇を海面に下ろす用意をしていたので待っていたら、
ブリッジの下を通過しだしたのでそちらに気を取られているうちに
作業はあっという間に終わってしまい、降ろすのを見損ないました。 

「あきづき」はこれからこのドックに入渠する模様。

ふと気づくと、作業艇はいつの間にか着岸する予定らしい岸壁に近づいています。
遠くて見えなかったのですが、着岸するための何か準備を行ったようです。

曳船がお仕事を始めました。

こちらの名前は白鷹丸。

こちらは「鶴翔丸」なんですが、こちらから見ると・・・

「丸 ”翔鶴”・・・・・」

「これは、おそらく故意犯というやつですね」

わたしと鉄火お嬢さんは目を見合わせ、頷きあったのでした。

 

続く。

着岸と下艦〜護衛艦「あきづき」体験航海

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佐世保から長崎までの護衛艦「あきづき」クルーズも、入港の瞬間を迎えました。
曳船が「あきづき」の向きを変え、徐々に着岸していきます。 

定位置についてからはさらに結索、防眩物の設置など
山ほどしなければならない作業があり、 待っている身には
結構な待ち時間となります。

わたしは入港作業を最初は左舷側から見ていました。 

朝は反対側のチャフフレアランチャーの写真を撮りましたが、
この筒一つ一つに番号が打ってあるのはこの時初めて気づきました。 

ところで、これなんですが。

ブリッジの下を通過して、造船所が見えてきたときに遠くから写真を撮りました。
艦番号、119。

「あきづき」型は118までですから、それよりも新しい護衛艦・・・・? 

そう、わかる方には瞬時にお分かりになったことでしょう。
なんとこれ、

「あ さ ひ」DD-119

だったんですよ。
去年の10月19日、ここで進水を行い、艤装中の最新鋭護衛艦、「あさひ」。

恥ずかしながら、わたしはここに「あさひ」がいることに思い及びませんでした。
え?いつ気づいたのかって?

それはあなた、下艦して岸壁に降り、振り向いてその艦尾に

「あさひ」

と書いてあるのを見たときですorz 

まあそれはよろしい。よくないけど。

着岸したあとの作業が行われている間というのは艦に動きが全くないので、
わたしと鉄火お嬢さんは一旦士官室に荷物を取りに戻りました。

鉄火お嬢さんがどうしてもキッチンを見たい、とその前から言っていて、
しかし食事中だったり人がいたりでなかなかチャンスがなかったのですが、
全員が着岸に気を取られている?この隙に、こっそり忍び込むことにしたのです。

というと人聞きが悪いですが、キッチンまで行ってその辺にいた自衛官に
中を見ていいかどうかちゃんと断りましたのよ。

「うわー、誰もいない!」

昼ごはんが終わり、食器も全部綺麗にしてしまったあとで、
無人のキッチンには「嵐の後」の静けさが漂っていました。

ざるには洗った生野菜がラップをかけられて置いてあります。
晩御飯用だな。 

この清潔さ、きちんと片付けられている様子をご覧ください。
食材用のポリバケツやざるはきっちりと積み重ねられ、
シンクの水分も一滴残らず拭き取られています。

炊飯器、調理器の上部には調理用具が頭の高さに掛けられて
大変使いやすそう。

ここから「あきづき」乗員約200名の旺盛な食欲を満たす
美味しい料理が毎日、毎回生み出されるのです。 

科員食堂にも誰もいません。
入港作業の時にすることがなく休憩したりする乗員はいないってことですね。

四人掛けのテーブルは作り付け、椅子はテーブルの天板の下に差し込んで収納。

食堂を出たところには各種お知らせのポスターなどがありました。
これはいわゆる一つの出会い系パーティー。

実は先日、所属防衛団体の偉い人から電話がかかってきて、

「あなた自衛官の婚活パーティみたいなことしてませんでした?」

「してませんが・・・・どうしてですか」

「いや、今度、うちの支部でもそういうことをするのでお知恵を拝借できればと」

お知恵も何も、それは誰か別の人と間違えているのではと。

それはともかく、自衛官の結婚問題については自衛隊全体の問題ともなっていて、
海曹会などが主催するパーティもあり、もちろんこの「ラ・ジバンシー」(仮名) 
のように民間の業者の主催もあるわけですが、所属する防衛団体主催でも
こういうことをやっているのを初めて知った次第です。 

さて、少し時間を巻き戻して、入港作業の様子を。
「あきづき」はじわりじわりと進んで、建造中の「あさひ」に近づいていきます。

ちなみにこれは「あきづき」側の上部構造物。

煙突側壁から二本突き出したホイップアンテナは、根元が赤いのが高圧用です。
その向こうの丸いアンテナは衛星通信用の USC-42だと思われます。

一番向こうはヘリ格納庫の上ということになりますが、 
この上にアンテナアレイ室を設け、FCS-3Aを装備しているのが
「あきづき」型の特徴の一つでもあります。

赤い籠状のものは何度もここで説明していますが、速力標。
上下の位置の組み合わせで現在の速力を僚艦に伝えることができます。 

近づくにつれ、隣の艦の何にもなさにびっくりしました。
主砲は梱包された状態で既に定位置に置かれており、その形から
「あきづき」型と同じ5インチ速射砲だろうと思われますが、
VLSのセル部分には周りにやぐらが建てられ、見えないようになっています。

体験搭乗者を乗せた「あきづき」が横付けするからというより、
武装の取り付けはこのようにして見えないように行うものなのでしょう。

アンテナ類はお皿のようなTACAN(戦術航法装置)、リングのような対空レーダー、
そしてCIWSみたいな形をしたヘリコプター用データリンク装置と、
おなじみのものがもう既にここからも確認できます。

ブルーシートのかかっている部分はちょうどFSC-3Aなどがつくはずですが、
工事中で艦橋そのものの部分を隠してあります。
 

ドアの内側とか、塗装がまだできていませんね。(もちろん床も)
ウィングの手すりもよく見たらまだ全くなく、仮設です。 

そしてこんなの初めて見た!何も乗っていない台座! 
ファランクスCIWS(高性能20ミリ多銃身機関砲)は一番最後に載せるのかしら。 

アメリカの中古車センターでよく道路沿いに踊っている「風船人形」
みたいな赤のチューブは、排気チューブであろうと思われます。 

ブルーシートのかかっていない上部構造物艦橋のさらに上部分。
航海艦橋の横に長い窓部分はこの下にあります。

さらにその上部分となるわけですが、ここは一体何?

さらに煙突と上部構造物中央部から後部にかけて。
これも随分従来の形とは違っているようですね。

覆いがかけられているのがすなわちどれも武器関係ってことでしょうか。
写真を撮られてネットに上げられても大丈夫なように。

しかしもし、この日のエントリが後日いきなり消えたとしたら、
それは自衛隊からクレームが来たときですので、その時には
これらの写真は公開してまずかったんだなと解釈してください。 

 

防眩物を挟んで、「あきづき」と「あさひ」がぴったり並びました。
こうしてみると、両艦の構造の違いがよくわかります。

んー、なんか煙突が小さくないですか? 

甲板の、上部構造物を出たすぐのところで溶接作業をしていた人。
火花が出ているところは撮りそこないました。
自分の体につけた命綱を手すりに掛けて作業しています。 

岸壁には参加者がチャーターしたタクシーの運転手や、自衛官らしき人が待っています。
わたしたちもタウシーを頼むかどうか聞かれたのですが、バスを選択しました。 

艦を降りると(降りる時の『はよ行かんね事件』については前回お話しした通り)
「ありあけ」がすぐそばにいました。

ちなみに「ありあけ」という字の右側に二つあるラッパみたいなのは、
デコイランチャーで、 ホーイング魚雷の攻撃を受けた場合、
艦艇の推進音に似た音源を発し、ホーミング誘導の感知するターゲットを
誤認させて魚雷の目標を欺き、攻撃をそらせるためのものです。

これを「曳航具4型」と呼ぶそうです。 


ここで初めてわたしたちは「あさひ」の文字を見てびっくり。

「あさひだったんだ・・・・」

といまさらのように感動したのでした。

入港したらそこが艤装中の「あさひ」の隣だったなんて、
ある意味、今回の航海でわたしが一番ワクワクしたことだったかもしれません。 

せっかくなので少し拡大してみるのだった。

ふむ、どうやら後部格納庫上の CIWSはもう設置されているようです。
改めて思うんだけど、もしかしたら、つまりわたしたちって、

「あさひ」の甲板を歩いた最初の民間人

(工事関係者以外で)だったのではないか?

 

 

ところで、「あさひ」が進水した時、中国はそのこと大々的に伝えました。
もし中国の中国版イージス艦052Dと戦ったら、「あさひ」など鎧袖一触、
必ず我が軍は勝つだろう、などと人民も盛り上がっていたようです。

「その前にそうりゅうに沈められるんですけどね」

「なんで1対1で戦わなきゃならんのだ」

「052Dの対艦ミサイルはこんごうが迎撃します 」

「中国の潜水艦はあさひに阻まれて日本艦隊に近づけません 」

「中国艦隊はそうりゅうに攻撃されて一方的な展開になります」

「なんで対空能力を強化したあきづきの後に 
対潜能力を強化したあさひを造ってるのか考えないのかね 」

「どう防御できるかが現代では重要だろ 
おまえら対艦ミサイルや潜水艦の攻撃防げるの」

などと日本側ではそれを受けてこちらのネットも盛り上がったようですが。

高いソナー精度でレーダーや電波発信源を全てカットでき静音性にも優れているので、
特に音に関してなんの配慮もしていない中国海軍の空母や潜水艦にとっては
脅威だと感じているからこそ、人民も高い関心を持つのでしょう。

やっぱり武力装備は抑止力に通じるってことですよ。

岸壁からは門までなぜかエスコート役を行っていた給養長に連れて行ってもらいました。
(わたしは二人の後ろをついて行ったので話はしていません)

さすが船会社、「船装課」なんてのがあるんですね。
トラックに「動くぞ!!」と書いてあるのがじわじわ来ます。 

 出口近くに菊の御門のレリーフがありました。
これはもしかして創業時の・・・・? 

「明治7年創業同10年?功」
という文字、二つの菊の紋章と三菱。

この碑が建立されたのは昭和43年のことだそうですが、その際、明治年間に
この「立神ドック」に掲げられた菊の紋章や三菱を集めているのです。

三菱マークが取り付けられたのは明治28年だったそうです。 

そういえば戦艦「武蔵」もここで進水したんでしたっけ。
船台は計算を重ね、その結果武蔵の巨体が対岸にぶつかるギリギリにピタリと止まり、
関係者は胸をなでおろしたとかなんとか。

その話も実際に立神ドックを見れば納得です。

というわけで、三菱造船所の立神ドックの通用門を出ました。

バスの車窓から撮った写真。
行けども行けども三菱の関係の施設が続きます。 

というわけで、バスで長崎駅前までやって来ました。
さすがは長崎、こんな建物が・・・ってこれは何?
グラバー邸?(いきなりいい加減) 

鉄火お嬢さんと駅ビルのアフタヌーンティーのティールームに入り、
バスの時間までおしゃべりをしました。(いわゆる硬派なガールトーク)

アフタヌーンティーセットを一つ取り、仲良く半分こ。

鉄火お嬢さんはなぜか福岡空港、わたしは長崎空港へ。
長崎駅から空港までは小一時間くらいかかります。

空港のビル天井には長崎らしい龍のモチーフのステンドグラスが。

タイル絵の天草四郎時貞と島原の乱における一揆軍の行列。
カリスマ的人気で一揆軍の総大将になった天草四郎ですが、
当時まだ十代半ばで、神輿として担がれていたというのが実態だったとか。

それにしても、

幕府側には天草四郎の姿や容貌の情報が全く伝わっておらず、幕府軍の陣には
四郎と同じ年頃と見られる少年たちの首が次々に持ち込まれた(wiki)

って酷すぎない?


わたしにとって初めての長崎は造船所と駅と空港だけでしたが、
今度こういう歴史遺跡をめぐるために来てみたいものです。
もちろん軍艦島見学も! 

それでは、艦長からいただいたエスペランサ・キャットのメダルを自慢しながら
「あきづき」体験航海記を終わりたいと思います。 

体験航海にお誘いくださった鉄火お嬢さん、何かとお気遣いをいただきました石井艦長、
そして「あきづき」の乗員の皆様、本当にありがとうございました。

 心からお礼を申し上げます。


「あきづき」シリーズ終わり

 

 

海上自衛隊 横須賀音楽隊 第51回定期演奏会 @ 横浜みなとみらいホール

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東京音楽隊、呉音楽隊と今シーズンの定期演奏会を立て続けに聴きましたが、
今回、怒涛の定演めぐりの最後となる横須賀音楽隊の定期演奏会に行って来ました。

横須賀音楽隊の春の定演はこれで51回目となります。
東京音楽隊が56回目、呉音楽隊が47回目と、微妙に
定演の回数が違っているのに気がつきましたが、 
海上警備隊時代にはすでに組織されていた音楽隊が前身である
東京音楽隊(発足は1951《昭和26》年)の回数が多いのは当然ですね。

ちなみに横須賀音楽隊の発足は1954年、舞鶴、佐世保音楽隊は55年、
 呉、大湊音楽隊は56年となります。

(それにしても、『呉音楽隊』で検索すると

『呉音楽隊 イケメン』

『佐世保音楽隊』で検索すると

『佐世保音楽隊 かわいい』

と出てくるのは一体なに?) 

昨年の第50回定演も聴かせていただき、チャレンジングなプログラムを
果敢に攻めるその音楽的姿勢に刮目しさらに相待せずにはいられない
注目の音楽隊、横須賀音楽隊ですが、昨年タクトを振った樋口隊長は
その後東京音楽隊長に就任され、新体制での定演を聞くのは初めてです。

昨年と同じく、今回も会場は横浜みなとみらいホール。
独立した建物ではなく、クィーンズのモールに組み込まれた形のホールなので、
ロビーなどが狭いのが少し難点ですが、便利です。

周りにずらりとどこかで見たことのある頭じゃなくてお顔が。
周りから聞こえてくる会話も「元中の人」多めと見た。

わたしの隣の席二つは、最初から最後まで空いたままでした。

 

会場に着くと、コントラバス奏者が出て来て、その後少し楽譜をさらっていました。

こちらの方も楽譜チェック。
何度乗っても本番前は緊張するものなのかもしれません。

みなとみらいホールは立派なパイプオルガンがあり、以前、
ワンコインランチコンサートと称して昼間にオルガン演奏が聴けましたが
今はどうなんでしょうか。

指揮者の譜面台のところにいるのはもしかして、まりちゃん?

 

言葉から音楽へ〜from Words to Music〜

さて、コンサート開始です。
前半と後半のテーマを分けて、指揮者も前半と後半で別という異例の(ですよね)
形態で行われました。

前半の指揮は森田信之2等海佐。
森田2佐は横須賀音楽隊副隊長です。


オーバチュア・ファイブ・リングス  三枝成彰
1985年度課題曲(A) Overture FIVE RINGS

「ファイブリングス」というからチューブラー・ベルズみたいな近未来ものかと思ったら、
「ファイブリングス」=「五輪」、つまり宮本武蔵の五輪書のことだそうです。

テレビドラマ「宮本武蔵」のタイトルのために作ったモチーフで構成された、
いかにもヒーローもののテーマらしい勇壮な曲で、
冒頭のピッコロは「お通のテーマ」、序奏の後に金管で演奏されるのが
「武蔵のテーマ」で、クラリネットの上下によるスケールで伴奏されます。

第一部のテーマは

「作曲家が詩や文学から触発された曲」

だそうですが、三枝氏は五輪書からインスパイアされたわけでもなく、
ただテレビドラマ「宮本武蔵」のタイトルのために原曲を書いたにすぎません。

曲そのものも一昔前の東映映画みたいというか、良くも悪くもテレビドラマのテーマ、
という感じで、個人的にはあまりこの曲そのものは評価できませんでしたが、
本日のテーマに観客を引き込むことはできたのではないでしょうか。
(わかりやすいし) 

ところで、この演奏中から右側ステージ寄りのファゴット奏者の動きが
大変目立つので、見ている側としては大変気になっていたのですが、
実はこの関水正智三曹がコンサートマスターであることが後でわかりました。

前回、「ブラスオーケストラのコンマスは通常クラリネット奏者である」
と書いたのですが、早速通常ではないケースです。

 

それから、前回の呉音楽隊の時にはエキストラとして、佐世保音楽隊から
何人かの奏者が乗っていましたが、今回はクラリネットに一人、
鍵盤と打楽器に一人ずつ、民間のトラが来ていて少し驚きました。

他の音楽隊から呼んでくるということはしないのかと思ったら、
何人かは東京音楽隊、大湊音楽隊からのトラだったようです。

 

交響的詩曲「蜘蛛の糸」 福島弘和

これはもうテーマそのものでしょうね。
ちなみに作曲者の福島氏は、

交響的詩曲「走れメロス」 交響的詩曲「蜘蛛の糸」 交響的詩曲「羅城門」 交響的詩曲「地獄変」 という芥川作品シリーズを作っています。
会場では、司会者が「蜘蛛の糸」のストーリーを
誰もが作品の中に入っていけるように紹介してから演奏が始まりました。   「お釈迦様があるく天国の様子」   「生前の極悪人たちが蠢く地獄の情景」   「カンダタの生前の唯一の善行」   「垂らされた一本の蜘蛛の糸」   「それに群がる地獄の人々、追い払おうとするカンダタ」   「ぷつりと糸が切れ、再び地獄に落ちるカンダタ」     こんな調子で大体ストーリーを追うことができる仕組みです。

平和で退屈な天国から地獄を見てふとした気まぐれから
蜘蛛の糸一本降ろして想像されうる大騒動を引き起こし、挙句は
地獄落ちしたとはいえ他人の感情を試し弄んだ末 「ふっ」とため息を漏らす、
・・・・あんたいったいなに様?   あ、お釈迦様か。     曲は、天国の様子を表した後、エンディングとして「蜘蛛の糸が切れる」
様子をあえて一番最後に持って来たように聞こえました。

音楽的に「荒ぶる」部分が何度も出て来てどれが本当のクライマックスかわからないのですが、
これは作曲者に意図を聞いてみたいところです。
前半の感情表現は少し溜めて、後半のいよいよ、という時に
放出してもいいかもしれない、と感じました。   ふるさとの空『啄木によせて歌える』 越谷達之助

前回のアンコールで啄木の詩による「初恋」を
横須賀音楽隊歌手である中川麻梨子士長が歌い、満場にため息を吐かせたものですが、
今年は同じ歌集から、「ふるさとの空」が歌われました。   ふるさとの空遠みかも 高き屋に
ひとりのぼりて愁いて下る
相変わらず中川士長の声は人の心を惹きつける説得力があります。
微塵も不安定な要素のない、艶のある高音部。 低い音域もくぐもることのないクリアな発声。    ステージングもすっかり堂にいって貫禄も出てきたように見えました。   からたちの花 山田耕筰   この後、中川士長の歌で続いてもう一曲、「からたちの花」が演奏されました。   ミュージカル 「レ・ミゼラブル」より  クロード−ミシェル・シェーンベルク 
  個人的には去年の夏ブロードウェイでミュージカルを観て、
全曲詳しく知っていたということもあって、とても楽しめました。 

兼ねてから名前を見て気になっていたのですが、調べて見たら、やはり
大伯父(祖父の兄)はあの12音技法のアルノルト・シェーンベルグなんだそうです。


というわけで、小説、詩などを題材にした曲を集めた前半が終わりました。


Music to Heroes 〜英雄たちへの音楽〜

休憩を挟んで、後半のテーマです。
しかし、音楽まつりなどでも、自衛隊音楽隊の企画というのは
毎回よくこれだけいろんなことを考えるものだと感心させられます。

漫然といろんな曲をやるのではなく、必ず一貫したテーマのもとに
関連する音楽を集めて紹介するというのは、聴きにくる聴衆にも
理解しやすく、楽しむことを容易にする工夫と言えます。

後半はタイトルにもある通り、英雄たちへのオマージュがテーマとなっていて、
まずは大航海時代の世界一周のチャレンジャーマゼランに捧げる曲、

マゼランの未知なる大陸への挑戦

海上自衛隊東京音楽隊 Tokyo Band 
  

テーマがテーマなので、海上自衛隊がよく演奏する曲となっています。
youtubeは8年前の第49回定期演奏会で同曲を演奏する東京音楽隊。
隊長はもちろん、メンバーもかなり変わっているように見えますが、
8年も経っているのですから当然でしょうか。

後半からは横須賀音楽隊隊長である植田哲生三佐が指揮台に上がりました。
三佐ということは、大変若い隊長です。

アメリカの騎士より 選ばれしもの S・メリロ

 

開演前に、コントラバスの奏者がさらっていたのはもしかしてこの曲だったのかな?
オリジナル譜では、ベースはエレキベース指定らしいですね。
ドライブする16ビートが基本なので、エレベ指定で書かれたベースラインは
コンバスには実際なかなか大変だったのではないでしょうか。 

コンバスにとってのみならず、ブラスバンドオケにとって難曲であるので、
これにあえて挑戦し、普通に聴かせてしまっている横須賀音楽隊は
やはり実力があるのだと改めて思わされました。 

そしてこの場合の「英雄」とはなんとびっくり!宮本武蔵なんだそうです。

宮本武蔵はアメリカの騎士とちゃうでー。

と普通に思うのですが、武蔵はメリロにとっての「スーパーヒーロー」でもあったのでしょう。

アメリカ人にとって宮本武蔵は、日本におけるキングアーサー程度には有名です。
息子に買ってやった「ニンジャ」の本に『アナザー侍』として載っていましたっけ。

マン・オン・ザ・ムーン 清水大輔

この曲におけるヒーローとは、月面着陸を目指したアメリカ人たち。
・・・というか、「人類」でしょうか。 

4度〜4度で上昇するメロディ、要所要所で打ち込まれる鐘、
「タン・タタタ・タン・タタタ・タン・タタタ・タタタタタタ」という
おなじみの前進のリズム。

まさに宇宙飛行士たちを描いた映画「ライトスタッフ」のテーマのような要素ですが、
最初の部分は、

 JFKの演説、「困難だから挑むのです」

から始まります。
3分ほどのところには混沌とした部分がありますが、これは
ロケットの噴射、そして飛行、または飛行士たちの不安や
飛行中のアクシデントなどを表現しているということです。

管楽器のアンサンブルもよかったですが、何と言っても打楽器が大活躍の曲でした。
(打楽器奏者の一人はいくつかの楽器を掛け持ちで、
あちらこちらに移動していましたが、彼女に是非殊勲賞をと個人的に思う) 

そしてなんと、会場には作曲者の清水氏が来て紹介されました。

曲が終わった時、周りに座っていた誰か(きっと海自の元偉い人)が
一人は「うん!」とつぶやき、一人が「後半よかったね」と
隣の人に話しかけているのが聞こえて来ました。

初めての曲ばかりなのにこれだけ楽しめてしまうというのは
何と言っても企画の良さであり、難曲をこなす同音楽隊の実力の賜物でしょう。

そして極め付けにアンコールで登場した中川士長が

「或る晴れた日に」歌劇「蝶々夫人」より ジャコモ・プッチーニ

を見事に歌い上げました。
すごかったです。
この曲をこれだけ歌える歌手は、全自衛隊で彼女だけだとわたしは断言します。

 

すっかり引き込まれた後半の締めくくりとして彼女の歌が終わると、
エキストラの民間人が舞台の袖から出て行き、恒例の行進曲「軍艦」が始まりました。

拍手する人としない人は半数。
わたしは「しない派」ですが、周りの元海自さんたちも半々くらいです。

わたしの近くには元海将とその奥様が座っておられたのですが、
「軍艦」が始まってすぐ、元海将が右手でずっとタクトを降るように動かし、
時折左手で拳を握り、「ぐっ!」としているのにわたしは目が釘付け。

いつまでするのかなと思って見ていたら、最初から最後までずっとでした。
海上自衛隊入隊以来、何回も何回も何回も聴いて来て、さらに
退官してからも何回も何回も聴いて来た曲に対して、このアクション。

あまりの微笑ましさにわたしはもう少しで萌え死ぬかと思いました。

 

最後まで楽しんだ横須賀音楽隊の演奏が全て終わり、皆が会場を
外に出るのを、一列に並んで口々にありがとうございました、と
声をかけながら一人一人にお見送りのお辞儀をする隊員たち。

そう、これだからわたしは自衛隊を愛さずにはいられないの(笑)

 

今回の演奏会参加に際し、ご配慮いただきました全ての皆様、
植田隊長と横須賀音楽隊の皆様に心からお礼を申し上げます。

どうもありがとうございました。 

 

 

 

 

「日本勤務はエリート搭乗員の証」〜在日米軍基地見学記

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地球防衛協会(仮名)で米軍基地内の見学をしました。

お話をいただいたとき、わたしは勝手に「沖縄の」だと思い込んで、
あの”どじん”と図星を指された連中のどじんぶりを実際に見られるのかと
思わず血湧き肉躍ったものですが、よく考えたら、
そんなややこしいところに今どき日本人の見学を入れるわけないですよね。

見学者のふりをして中で暴れる輩がでてくるかもしれないし。

というわけで、沖縄ではなく、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる
米軍と自衛隊が共同運用している航空基地に行ってまいりました。

訪問団は10人ほどの集団。
まず、藤沢駅(だったかな)の前で待ち合わせです。
乗り換えた町田の駅の大きなのにはびっくりしましたが、そこから
数駅行った藤沢はご覧の通りの駅舎で、駅前ものんびりした佇まい。

ここに迎えの車がやってくるのでそれで基地まで行きます。

最寄りの駅というからすぐだと思ったら、結構遠いのに驚きました。

参加を決めたとき、パスポート通りの氏名住所の提出が要求され、
当日はパスポートを持ってくるようにとくどいほど念を押されていたのですが、
ゲートではそれらは一切チェックされることはありませんでした。

あとで現地の広報の方に

「チェックなかったですね。いつもこんなものですか」 

と尋ねると、いつもそうではなく、チェックをすることももちろんあって、
パスポートを忘れた団体の一人だけが入れず、
外で待っていなければいけなかったこともあった、とおっしゃっていました。

団体の身元がしっかりしているため、信用されたのかもしれません。

ゲートをくぐるととたんに見えてきたスプリットベーン付きの飛行機。
米軍ではすでに退役したF-4、ファントムIIです。

車から降りることがなかったのでこの角度からしか撮れませんでしたが、
尾翼の色から、第5空母航空団の第27攻撃隊所属ではなかったかと思われます。

アメリカではホーネットと置き換えられていったので海軍では86年、
海兵隊でも92年、空軍では96年に全て退役した機体ですが、
これらをライセンス生産したこともあって自衛隊では未だに現役です。

F-35が運用になるまでですから、あと少しは日本の空を飛ぶのを
見ることができるというわけです。

アメリカの軍人さんが日本に来てF-4が元気に(アップデートしてますが)
飛んでいるのを見たら、結構嬉しかったりするんだろうな。

基地敷地内にはいたるところに航空機が展示してあります。

別に柵で仕切っている様子もありませんし、のどかなものです、
夜にはライトアップするみたいですね。

こちらもF-4。
緑の機体は、第195戦闘攻撃飛行隊のマーク。
機体には

"CHIPPY HO!"

と書いてあります。
編隊のコールサインみたいですね。

チッピーは多分自分たちのことで、「チッピースパロウ」(雀)の
愛称、「ホー」は呼びかけ。
おそらく「雀ちゃんたち、いくぜい!」みたいなノリかと思われます。

内部見学はそれほど頻繁に行われるわけではないそうです。
防衛省の見学にも事前の登録と当日の身分証明が必要ですが、
それでも中国人観光客が「見せろ」といって押しかけてきている現場を
わたしは目撃していますし、ここでも内部を公開することは非常に慎重です。

しかし、内部見学には一定のパターンがあるようでした。
まず、見学者は司令塔のある建物に案内され、そこで
基地についてのブリーフィングを受けることが決まっています。

ブリーフィングの行われた会議室がずらりと並ぶフロアには、
日米国旗、アメリカ海軍旗と各部隊の旗が整然とならべてありました。

全部調べたわけではありませんが、ここには海上自衛隊旗はなかったと思います。

マホガニー調の壁にフカフカの絨毯。
自衛隊の施設にはちょっとありえないくらい豪華な内調の
会議室に、我々は案内されて目を見張りました。

「はえ〜」

冒頭に貼った木彫の基地章を中心に、幾つかの写真が飾ってあります。
ホーネットに手を振る女子たち。
もしかしたら、外地から帰ってきたパイロットを迎える家族でしょうか。

 

一部しか写っていませんが、このローターでわかるオスプレイ。
反対派の標的となって久しいオスプレイですが、地元住民には
ホーネットほどの騒音は感じられないと言われています。(当然)

厚木基地で騒音を理由に反対運動してた連中が気付かぬうちに
背後でオスプレイが離着陸していたとか、オスプレイに気付かず、
後から来たチヌークやブラックホークに向かって叫んでいたとかいう
ほっこりする話もあるようですね。

重厚なテーブルに革張りの椅子。
座ってみたらとんでもない座り心地良さでした。

正面に大小3つ(!)設置されたモニターには

「ようこそ米軍基地へ」

我々もしかしてすごく歓迎されてるー? 

テーブルに謎の切れ目発見。
テーブルの下を覗いてみたら(覗くか?) 照明器具が収納してありました。 

各自の前には基地のパンフレットと友好バッジ?が。
男性の参加者の中にはその場でジャケットの襟に付けている人もいました。 

そして、ブリーフィング開始。
レクチャーしてくれるのは当基地勤務の広報担当の女性です。
彼女は民間人で基地には外から車で通勤してきているそうです。

最初はアメリカ軍の指揮系統図から。

在日米軍司令官の下に空港施設司令であるブッシー大佐が、
この基地の最高司令官となります。

基地全体の使用状況が一目でわかる色分け地図。
米軍単独使用の部分は案外少ないという印象です。

緑の共同部分はほとんどが滑走路。
海上自衛隊の単独使用部分はないみたいですね。

第51海洋攻撃ヘリコプター飛行隊のマークは、
ポセイドンの銛を持ったサムライです。 

関東ではここが唯一の米海軍基地なので、
ここが第5空母航空団などの任務を支援する根拠地となります。
西太平洋地域での兵站支援の一端を担っているのです。

米海軍第7艦隊所属の空母艦載機の修理、補修、偵察基地として
ここに航空基地が開設したのは1950年(昭和25年)のことです。 

第5空母航空団は、空母「ロナルド・レーガン」に艦載される
航空団のことで、地上基地をここに置いています。

4つの戦闘攻撃飛行隊、電子攻撃飛行隊、早期警戒飛行隊、
ヘリコプター部隊、後方支援飛行隊で構成されます。

画面に「ミスひとつが大惨事を招く」とありますが、そのため
空母の離着艦を行う第5空母航空団に所属するパイロットは
本国で厳しく選抜された特に技量の高い者ばかりだそうです。

この航空基地が住宅街の真ん中にあることも、彼らが
パイロットの技量を厳選する理由だそうで、米軍搭乗員の間では
第5艦隊勤務は「スーパーエリートの証」といわれているとか。

米軍と硫黄島の関わりについても説明がありました。
エリート航空隊に選ばれたパイロットといえど、このように
日本に来てからも着艦訓練を弛まず行っているのですが、
海上自衛隊はその訓練支援をしているという話です。

かつてこの島で血で血を争う戦いを行った両国海軍が・・。

右の写真を見ると、島の面積に比して滑走路が大きな部分を占めていますが、
これだけ大きければ、この地域で戦死した人たちのご遺骨など
滑走路建造時に考慮されることはなかったろうなと思われます。

「滑走路の下にまだご遺骨が」

という問題について聞いたとき、まさかこんな大きいとは思っていませんでした。
これを見る限り、コンクリートの下のご遺骨はかなりの数なのでは・・。



さて、あとで、この見学をお膳立てしてくださった防衛省の方から
かつて仕事で行ったという「硫黄島の想ひで」を伺う機会があったので、

「砂や小石でさえも持ち帰らないようにと言われるそうですね」

と水を向けてみると(笑)

「いや、それがですね。わたし恐ろしいものを持ち帰ってしまいまして」

「え・・・・っ」

「硫黄島から帰ってからアカアリが一匹見つかったんです」

「(なんだアリか)でも一匹でよかったですね」

「それが、退治したつもりだったのに、しばらくして魔法瓶の蓋を取ったら」

「蓋を取ったら?」

「口の周りに び っ し り とアカアリの集団が」

「いやああああ〜〜〜〜」

検閲を逃れたアリが暖かいところを求めて魔法瓶の口にたどり着き、
なんとそこで繁殖していたというお話。 

もしかしたらこちらの方がずっと怖いかもしれない。

ちなみにこの方によると、硫黄島には現在ヤギが生息しているそうです。

「ヤギなんてもともといたはずはないし、
海兵隊が持ち込んだとしか思えないんですよねー」

そうなのか海兵隊。


在日米軍見学記、続きます。

 

日本に民主主義をもたらしたのは誰か〜米海軍基地見学記

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在日米海軍基地の見学記、ブリーフィングが続いています。

                                                                         

さて、地域との交流を通じて日米の友好を促進し、
両国民の相互理解を深めるのも在日米軍の大事な任務です。

いざ日本が災害に見舞われたときを想定して、在日米軍は
いつも自衛隊を始め近隣都市自治体、消防、医療、警察と連携を取り、
航空事故などを想定した訓練や会議を密に行っています。

例えば大災害が起こったとき。
米軍が艦艇で運んできた物資は、オスプレイなどの大型輸送ヘリで
海軍基地に送られてきます。

ここから横田ベース、座間キャンプ、木更津にある陸自基地、そして
成田・羽田空港まで輸送してそこから空輸することもできます。

陸自の木更津飛行場がここに書かれているのは、 同飛行場は現在も
日米安保条約に基づく米軍提供施設であるからです。

wikiからの要約によると、

1968年基地返還が検討されたが、米軍が

「不可欠の任務のため当施設を継続的に使用する権利を有する」

ことになり、現在まで全面返還していない。
1975年に米海軍の部隊が横須賀海軍施設に移転したのちは、
米軍の使用実態はほとんど無いものの、
現在も日米地域協定では米軍管理・自衛隊共同使用施設・
区域という位置づけとなっている。

そして、この説明でも米海軍は木更津飛行場を

「Kisarazu ALF(Auxiliary Landing Fieldの略)」

と呼称していることがわかります。
朝日新聞が2014年に

「米軍機が2014年度ここに1113回着陸していたことがわかった。
訓練などが目的とみられる。」

という実に非難がましい記事を書いているようですが、
米軍にすれば別に返還していないのだし、訓練や
輸送の中継地とするのに問題ないと双方でしているようですね。 

2014年に着陸したからといって、今更ケチをつけている朝日新聞界隈ですが、
実際にはトモダチ作戦のとき、アメリカ軍はここを経由地として活用し、
参加部隊11によるこの基地からの飛行回数は377回に上りました。

災害発生とほとんど同時に基地内の公共施設には、寄付のための
大きなダンボールが置かれ、瞬く間にそれは物資で埋まっていったといいます。

その後地元自治体、企業から基地に寄付された物資は、トモダチ作戦によって
被災地に運ばれていったというのはみなさまご存知の通り。 

基地ぐるみでの地元との交流も積極的に行われています。

写真上は、小学校の英語の授業に迷彩服で先生を務める基地の軍人さん。
この他、基地を開放しての春祭りや盆踊りも行われていますし、
地元の盆踊りには自衛隊と合同で参加しているのだとか。

うちのTOが、どこかのお祭りで異様にキビキビした団体が来たと思ったら
地方の自衛隊からの参加だった、と話していたことがありますが、
さぞ日米合同の「Operation Bon-odori」は目立ったことでしょう。

女性陣もお揃いの浴衣をきて、楽しそうです。 

春祭りでお茶のお点前を披露する軍人の奥さん(か軍人本人)。
お着物は自前かしら。 

当基地は海上自衛隊との共同運用でもあるので、何かと連携があります。
一緒に餅つきをするのは恒例行事みたいですね。 

今にして思えばGHQ司令官としてダグラス・マッカーサーが
降り立ったのは、ここだったのです。

この銅像はパンフにも書いてあるように、

「日本に民主主義をもたらしたマッカーサーを讃えるため」

地元市民が贈ったというのです。
・・・・ここで、口の悪いわたしが何かをいうのを
読者に期待されている気もするのですが、今は控えます。

ただ、この銅像寄贈が、毎日元帥の元にファンレターが届き、
「マッカーサー神社」を建てるとかいった声があがったという占領中の
「マッカーサーフィーバー」 に日本人が浮かされていた頃ではなく、
1995年の出来事だった、というのに思わずわたしは

「うーん・・・・・」

と首をひねってしまいました。
マッカーサーが日本に民主主義をもたらしたと本気で信じている人というのは、
とりもなおさず占領政策によるWGPの洗脳を受けた人と同義であるとしか
わたしには思えないのですが、そんな人たちが現在の米軍基地に
友好的であるというのも、なんだか矛盾するような気がしただけです。 

これを贈った人々の立ち位置が是非知りたいものです。

 

 

当基地の司令官、ジョン・ブッシー大佐の下は、この時
基地を案内してくださった広報の方。

肩書きは

「ホスト・ネイション・リレーションズ・オフィサー」 

受け入れ国連絡官という感じでしょうか。

というあたりでブリーフィングは終了しました。
会議室を出たところの床には基地のマーク。 

やっぱり鳥居。
なんかアメリカ人って鳥居好きだよね。
ちなみにNAFとはNaval Air Facilityのことです。

トモダチ作戦に参加した当基地への被災者からの感謝をあらわす千羽鶴。

わたしは日頃、被災地に千羽鶴を送ることは一種のテロ行為であるとみなすものですが、
このお礼に贈られた千羽鶴は本当に良いものだと思いました。

グラデーションの鶴の美しさもさることながら、添えられたメッセージの
いくつかは、米軍軍人に見てもらうために英語で書かれています。

「Thank you very much! We are helped.」

「Thank you for your warm support.」

「How do you do? Thank you for your support.」

簡単な英語ですが、一生懸命お礼を言おうとした心が伝わってきます。 
米軍の方もわざわざこれを飾るためのガラスケースを特注したんですね。

千羽鶴の飾ってあった一階のコーナーに、
福利厚生コーナー?みたいなのがあり、このあたりに
たくさんのパンフレットが積んであったので、
カウンターの人に断ってめぼしいのをもらって帰りました。 

 

「遅くなる前に」

みたいな水兵さんのパンフレットは、 NFAAS、

「Navy Family Accountability and Assessment」 

海軍家族責任&評価システム?
たとえば日本にいる時に地震などの災害が起こったとき、
赴任している家族の安全確認や連絡 、避難指示などを行う組織です。

特に日本に赴任することに不安を持つ家族のニーズに応えたものです。

こちらは「Sexual Assault Prevention 」
性的犯罪防止のパンフレットです。

「性犯罪は防げる!」として、「何ができるか」は
性犯罪を誘発する行為として、

「不適切な接触」「挑発的な態度」「境界をわきまえない」

「不適切な親密さ」「特定の人物と二人きりになる」

「お酒を強要する」「暴力的な態度」

などを注意していおります。
また、そういう場面を目撃した時のガイドラインや、
性的犯罪の被害者になってしまった時のサポートをする
連絡先が最後に細かくジャンル分けされて記されています。 

赴任地にペットを同伴することも、サポート体制がしっかりとあります。
輸送の仕方や、予防注射の受け方などが書かれたパンフレット。 

スターズアンドストライプスもあったのでもらってきました。 

ニュージーランドの地震で被害を受けたカイコウラに、
海軍がまずP3-Cを飛ばして被害状況を確認し、
USS「サンプソン」が救助活動のため向かったというような話です。

2015年12月13日、横田基地で「オペレーション・クリスマス・ドロップ」
(というプレゼント投下作戦?)に参加していた22歳のハワイ出身兵士が
機内で「ハートフェイリア」、つまり心不全で亡くなったという記事。

亡くなる前に「変な臭いがする」と言っていたという証言があるものの、
事故ではないので不思議だねー、という記事。 

こちら三沢エアベースのメアリー・ザンダー大尉。
迷彩服を着ているものの、医療隊の心理療法士です。
彼女の任務に対する取り組みを紹介するとともに、
三沢ベースのメンタルヘルスの診療時間などが書かれています。 

スターズアンドストライプスの日本版。
つまり在日米軍の軍人さん達のためのS&S紙です。

「ロストイン新宿」というのは新宿のホテルが舞台だったあの映画
「ロストイントランスレーション」のもじりだと思われます。

このほかにも「日本のお漬物研究」なんていう記事もありました。 

敷地内で見かけた築年数の古そうな建物は、思った通り昔
武道場だったのを教会にしているのだそうです。

「アメリカ人って建物を絶対に壊して建て替えないんですよ。
外を補修し、中の壁を塗り替えて使い続けます」

ええよく知ってますとも。

「幾つかの建物はシロアリにやられてしまって、さすがの彼らも
壊すことにしたみたいですけど」

それにしても、聖母マリアの立像を立てるコーナーを併設した
元武道館、教会と言われればそういう雰囲気に見えてきますね。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


主力戦闘機「F/A-18」の稼働率?〜在日米海軍基地見学記

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さて、在日米海軍基地の見学ツァー、ブリーフィングが終わりました。
いよいよ、滑走路に出て飛行エリアを見学です。

ところで、基地見学にあたってはわたしたちはくどいくらいに

「写真を撮ってはいけないところは前もって言ってくれ」

と米軍側に念を押してありました。
ところが、蓋を開けてみれば航空機の写真も滑走路もOK、
航空機のコクピットもOKならわざわざ蓋を開けてエンジンを見せてくれ、
それを撮るのもOKといった具合で全く拍子抜けしてしまいました。

まあ、ロナルドレーガンにどれくらい航空機が勤務しているかなんて 
隠していることでもないし、基地公開の時には航空機の写真も許されるし。
意外だったのは自衛隊機の駐機している部分を撮らないように、
といわれたことだったでしょうか。
同行した防衛省関係者によると

「自衛隊の方がそういうことに関しては色々と厳しいです」 

ということでした。

そういえば今日までの間に、ホーネットに関してはこんなニュースもありました。


厚木のFA18、6割飛べず? 在日米軍、東京新聞の「憶測」記事に遺憾表明

東京新聞は2月17日付朝刊で
「厚木の米軍機FA18 6割飛べず? 部品なし修理不能 米専門紙惨状掲載」
と題する記事を掲載した。
これに対し、在日米海軍司令部(神奈川県横須賀市)は23日、
「記事には多くの憶測が含まれており、日本国民の皆様の誤解を招き、
誤った情報を与える恐れがある」として見解を発表。

艦載機が厚木航空基地に配備されている第5空母航空団は
「常に日本を防衛する即応態勢にある」と説明し、
「米海軍に事実やコメントを求めることなく
東京新聞がこのような憶測を掲載されたことは残念」
と遺憾を表明した。

同司令部の広報部長も日本報道検証機構の取材に応じ、
厚木に配備されたFA18戦闘攻撃機のうち約30機が稼働できないという憶測は
「誤りです」(false)と明言した。

記事の後半では、この問題が在日米軍に与える影響について
「62%が稼働不能という数字を神奈川県の横須賀基地を事実上の母港とする
原子力空母『ロナルド・レーガン』の艦載機が配備された厚木基地にあてはめると、
FA18は約五十機のうち約三十機が稼働できないということになる。
圧倒的な航空攻撃力を誇る空母機能の半減を意味し、
日本防衛に資するはずの米軍の戦力に疑問符がつく。
飛行時間の不足は事故に直結するおそれもある」
と記していた。

記事には、米海軍や専門家に取材した形跡はなかった。
ただ、市民団体が昨年11月から今年1月までFA18の飛行状況を調べた結果から
「稼働する機体が少ないことを裏付ける結果になっている」
と自らの推測の妥当性を印象づけていた。

 

おいおい、つまり東京新聞は市民団体に基地周辺で監視させて、飛行が少ないとか言ってるわけかい。
この季節、アメリカ人はクリスマス休暇というものがあってだな(略) 

 

在日米軍はこの憶測で書かれた悪意の記事に反論し、

「第5空母航空団が完全に任務遂行可能であり続け、空母ロナルド・レーガンの艦上から展開し、
地域に安全と安定を提供し、常に日本を防衛する即応態勢にある」

と強調したということです。

というわけで、我々はちゃんとホーネットが滑走路に並んで、
即応体制にあるということを確認してまいりましたので、ここで写真をあげることも
おそらく向こうの望むことであろうと思い、取り上げることにしました。

もし米軍からのクレームが来たらこの日のエントリは取り下げますので、
突然消えたらそうだったんだなとご理解ください。

(と、いつも見切り発車するわたしであった) 

 

 

 

滑走路始め航空機を見学するために、車で別棟に移動すると、
そこには海上迷彩服の偉い人(飛行隊の司令)が説明とエスコートのために待っていました。 

移動中に通り過ぎたコーナーには空港にあるような金属探知ゲートが。
横には手荷物をチェックする台があり、全く空港の待合室と同じです。

直接アメリカと航空機が行き来しているってことですか?
それともハワイ経由かな?

パスポートのチェックはどこで誰がするんだろうとか、
それは日本側の入国管理なんだろうとか、考え出したら疑問だらけです。

障子をあしらった日本情緒あふれる部屋に通されました。
ここから一歩外に出ればそこはエプロンです。

例えばアメリカ本国や日本の要人が基地に来て見学する時には、
この待合室で待機して基地司令の説明を受けるそうです。

開設以来ここで撮られた白黒写真が飾ってありました。
調理人二人が持っているのはわかりにくいですが

「基地開設一周年」

と書かれ、基地のマークをあしらったケーキです。
ということは1946年に撮られたものということでしょうか。

それにしても、こんなに立てても下に落ちないケーキって一体。 

 

'DISTINGUISHED' という言葉を使うからには、
待合室といっても特別な、そう、「貴賓室」という位置付けです。

「ほー、ということはわたしたち特別扱いってことですか」

と同行の誰かがいうと、打てば響くように米軍の偉い人、

「もちろんです。我々はみなさんを特別に歓迎しておりますから」

「お・も・て・な・し」の心は在日米軍にもすっかり浸透しております。

国旗以外はなんだか全くわかりませんでした。
アメリカ海軍と基地のフラッグかと思われます。 

外に出るとそこにはホーネットの列線が!

尾翼にはテールコードの「NF」が書かれています。
テールコードとは 2つのアルファベットからなり、機が所属する基地と、
部隊マークからなる所属部隊を表す形で構成されています。

「NF」で第5空母航空団を意味します。
なぜNFなのか、 NFが何を意味するのかはわかりませんでした。 
これもアメリカの国認識番号『N』と関係あるのかな? 

空軍のエドワーズ基地は「ED 」とかわかりやすいんですけどね。

このブログでもお話ししたことがありますが、わたしは
岩国の海兵隊基地でレガシーホーネットを見せてもらったことがあります。
あのとき案内してくれたドライバーのブラッド(仮名)はもう帰国したかな。

日米通じてわたしが今までお近づきになった唯一の戦闘機パイロットが
このブラッドだったわけですが、彼はとにかく知的でクールで爽やかで、
人当たりも良く社交的でジェントルマン、おまけにイケメンという
ありえないくらいの高スペック・ガイでした。

おかげで以降戦闘機パイロットはみんなこのレベルの人なんだろうと
無条件で思うようになってしまったというくらいです。

ここのドライバーたちも、イケメンかどうかはともかく、技量的には
本国でも高い技術を持った生え抜きばかりだと聞いています。

まだ午前中だったので、飛行訓練が行われているようでした。
こちらのCH-130は何度もタッチアンドゴーを繰返していました。

 

向こうにビーチクラフトのスーパーキングエア、
こちらはセスナC-35サイテーション。

サイテーションには星のマークが付いていますが、
ちょうど陸軍軍人の男女が歩いていくのを見てもおわかりのように 
当基地で唯一の陸軍が運用する航空機です。

下で見たのはこれだけで、わたしたちは別の入り口から建物に入りました。
立ち止まる雰囲気ではなかったのでこれがなんなのかわからず。

建物の中にはなぜか螺旋階段がありまして、そこを登っていくと
滑走路が一望できる展望フロアがありました。

エプロンに立った時特有の航空燃料の匂いもしてきます。
待合室でわたしたちは一人一組ずつ大型の耳栓を渡され、
建物の外に出る前にこれを装着しました。

そういえば昨年末、当基地の騒音被害を訴え、飛行差し止め並びに
損害賠償を求めた第4次訴訟の上告判決で住民側が逆転敗訴し、
のみならず

「同小法廷は騒音被害による将来分の損害賠償も容認した
2審判決を破棄し、将来分の請求を退けた。」(産経) 

ということです。
米軍艦載機は岩国に移駐するという話もありますが、
それもこの判決に影響しているのでしょうか。 

上から眺めていると牽引車に引っ張られているライノくんが。
こんなお宝シーンが見られるのも基地見学ならではです。

翼が片方だけ立ててありますね。

こちら機体の上で整備中。

 

海上迷彩を着用しているこのメカニックは日本人です。
(もしかしたらアジア系アメリカ人かもしれませんが)

騒音をカバーするためのヘッドホンとゴーグルをつけています。

移動するホーネットには前後左右に一人ずつ人が付いて歩いています。
なんで左だけ翼が立っているのか気にかかる・・。

 

もしかしたらこれ燃料補給中ですかね。

この日はまさかここまで撮らせてもらえるとは思っていなかったので
デジカメだけしか持ってきませんでした。
こちらのシーホークも演習中。

牽引されていたホーネットが定位置についてパイロットが見えました。

機体整備中。
一応のことを考えて、内部にブラーをかけておきました。

他の航空機と比べてグラウンドセーフティピンのついた赤いフラッグ、
「REMOVE BEFORE FLIGHT」 が大きくて長いような気がします。

このフラッグ類は、ドラッグシュート(着陸時のブレーキになるパラシュート)が
開かないようにするためとか、ピトー管や、AOAトランスミッターなどの突起系、
射出座席、爆弾やミサイルなどに付けられています。

これらはプリフライトチェック(飛行点検)の時に整備員が外し、
引き抜いたピンは操縦席の搭乗員に見せるため高く掲げられます。
一旦操縦席に乗ってしまったら外が見えないので、
確実に外したことをこうやって確認するのです。 

翼の上の二人の整備員もお仕事中。
なにやらボトルの類がたくさん置いてありますね。

さて、同行の防衛省の方は、当然ですが基地事情だけでなく
武器航空機に大変詳しい方で、いろいろと説明をしてくださっていましたが、
それに対し合いの手を打つようにいちいち返答を返していたら、

「もう立派なオタクですね」

とひとこと言い放たれ、わたしは狼狽しました。

いかーんっ!

実は昨年の音楽まつりのとき隣に座った男女のうち女性の方が、いわゆる

「自衛隊オタクひけらかし系」

だったのです。
この女性、開場前に並んでいるうちから大きな声で防衛費がどうしたこうした、
と演説を打つがごとき勢いでアピールする人だったのですが、席についても
その勢い一向に衰えず、そのオタク知識(武装系ではなく自衛隊トリビア系)
を相変わらず大きな声でしゃべりまくり。

それはあたかも、若い美人を連れて歩いている不釣り合いなおっさんとか、
ブランド品をこれ見よがしに持つ女性と同類でした。
(その心は、本人が得意なわりに誰も羨ましがったり感心していない)

のみならず、これははっきりいってかなりみっともないというか、
周辺の人に不快感を与える振る舞いだと認識し、
人のふり見て我がふり直せという賢人の言葉をかみしめたばかりなのです。

こんなブログであれこれ書いているわりに、わたしは現実社会では
なにも知らないというふりをしてきました。(実際知らないのも事実だし)
んが、こんな宝の山みたいなシーンに遭遇して、つい舞い上がり、
興奮して必要以上に反応してしまったのでした。

「立派なオタク」

この一言ですっかり我に返ったわたしはその後極力おとなしく、
質問だけをしておりましたとさ。



続く。 

 

スーパーキングエア(LR-2)に搭乗〜在日米海軍基地見学記

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在日米海軍基地見学記の続きです。

本日の防衛団体による見学は、コースでいうと松竹梅の松コースで、
航空機見学だけではなく実際に機体の中を見せてもらえ、
基地内のレストランでお食事を楽しんでいただけます、というものでした。

どの飛行機に乗せてもらえるのかな?
まさか・・・ホークアイ。、E2-C(早期警戒機)ではないとは思いますが。

ところでご覧のように、このプロペラの羽は8枚あります。
プロペラは2枚より4枚、4枚より6枚と数が増えるほど
その速度に安定性が出てくるのは素人でもわかりますが、
8枚になればこれはもう最強というべきパフォーマンスだそうです。

これをニュープロペラと称し、羽が増えるほど速くなるだけでなく
燃費が向上し、騒音も減るので利点だらけなのですが、
自衛隊のE-2Cは4枚羽のままです。

実は羽を製造しているハミルトン社での4枚羽の製造は終了していて、
アメリカでは民間機ですら6枚羽を調達しているという関係上、
米海軍は空母艦載機であるホークアイに8枚羽を導入しているのです。

自衛隊は導入機数が少ないのでまだ4枚羽のままですが、
何れにしても羽そのものが生産中止になっているので、そのうち
8枚羽のホークアイが日本にも登場すると思われます。 

 

その辺に売るほどいるこれに乗せてもらいたいものですが。

ところで、この列線に並んでいる飛行機を指して、わたしはとりあえず

「これは・・・スーパーホーネットでしょうか」

と案内の方に聞いてみたところ、言下にそうだとおっしゃったのですが、
「NF」のテールコードをつけたこの「スーパーホーネット」の機体を仔細に見ると、

VAQ-141

と書かれているのです。 
つまりこれは第141電子攻撃飛行隊 の『シャドウホークス Shadowhawks』
使用機であるEA-18G「グラウラー」。

「スーパーホーネット」ではないということに写真を見て気づいたのでした。

グラウラーはここの読者にもそういう名前の人がいますが、
電子戦機「プラウラー」(うろうろする人)EA-6B の後継として
複座型の「スーパーホーネット」をベースに開発されたものです。

見かけは全くホーネットと同じなので解説の方も間違えてしまったのでしょう。

電子戦機は非常に高度な電子情報技術の集積が必要なため、
先進国の軍隊しか所有することはできません。

米日英露中伊仏独以外ではイスラエルと台湾。
電子戦機を所有しているのは現在世界でこれら10カ国だけです。 

ビーチクラフトのスーパーキングエアと並んでいた陸軍所有の
セスナC-35サイテーションがタキシングを始めました。

先ほど男女二人の陸軍軍人が乗り込んでいくのを目撃しましたが、
彼らはどちらもパイロットで、これから離陸するようです。 

わたしたちはハンガーに案内されました。

給油用の移動式タンク。

格納庫の中は一機を残して全て稼働中。
残っているのはこれから見せてもらうスーパーキングエアです。 

中身を公開してくれるスーパーキングエア。
ビーチクラフト社の名作で、その高品質と信頼度はもはやこのジャンルの
「デファクトスタンダード」(結果として事実上標準化した基準)
とも言われており、日本でも陸自がLR-2として人員輸送用に使っています。

実はわたくし、昨年、航空機整備会社としてはトップ企業であるJ社で
工場見学をしたのですが、自衛隊機などの整備などを手がける同社工場は
当然のことながら写真の類は一切禁止、写真を出さずとも下手な記事を書いて
ご迷惑をかけない自信が全くなかったので、ここではご報告を断念しました。

今にして思えば、そのJ社工場の整備中の機体の一つに陸自のこれ、
LR−2がありまして、案内してくださった社員の方が

「このビーチクラフトの飛行機は本当に優秀なんですよ」

とおっしゃっていました。

この機体のパイロットがエンジン部分を開けて公開してくれました。

「え、まさか写真撮ってもいいんですか?」

「どうぞどうぞ」

おおー、アメリカ海軍太っ腹ー。
まあ、人員輸送機のエンジンくらい見せてもなんてことないでしょうし、
そもそもこの機体を採用している国は世界でも50カ国以上に上り、
先進国どころか後進国でも軍用機としてほとんどが持っている状態です。 

それではお言葉に甘えまして。

エンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダ社製で、

最大速度:584 km/h=M0.48(高高度)
巡航速度:558 km/h=M0.46(高度24,000 ft)
実用上昇限度:10,670 m以上
航続距離:3,672 km

となっております。


 いよいよ中を見せてもらうことになりました。
パイロットが一番先に乗り込んで、会長が真っ先に。
わたしはその場にいたので三番目に乗り込みました。

「中は狭いので一人ずつ乗り込んでください」

下で案内しているのは航空隊司令だったりします。
米軍さんって気さくー。 

パイロットが席についているところを先に乗った人が撮っています。
機内は立って歩くことはできませんが、座席に座ってしまえば
セダンの車なんかよりずっと快適に過ごせそうな広さです。

ちなみに定員は16名。
サッカーチーム(レギュラーのみ)なら余裕で運べます。

機体後方もちゃんと写しておきました。
荷物格納室などないので、後方に押し込んでネットをかけるだけ。
16人分の荷物くらいなら余裕で運べそうです。 

パイロットが操縦席に座っていいよ、と言い出しました。
おそらく最初からそういう風に上から言われていたのでしょう。

見ていると、彼はシートの間の計器の部分に
後ろから板をはねあげて足場を作ってくれるようです。

彼の腕には袖のところにまで刺青が入っているのにご注目。

アメリカ人は男女を問わずファッション感覚で刺青を入れます。
テレビでは「インク・マスター」という彫り師を追った
シリーズドキュメンタリー番組があるくらいです。

しかし、彼のこの袖からチラッと見える刺青は、どう見ても
日本の「和彫」ではないかという気が・・。

わたしが前に乗り込むと、案内してくれていた女性の広報官が
お撮りしましょうと言ってくれたので素直に?カメラを渡しました。

席に乗りうつる時、いつもの癖で?

「 Hello! Nice to meet you! 」

というと、

「Nice to meet you too!  What your name?」

と返って来て、ああ、アメリカ人だなあと思いながら
自分の名前を言うと同時に相手にも訪ね(これをしないと失礼)たところ、
返って来た答えは 

「トリスティン」

おお、それで君のイゾルデはもう見つかったのかね、
と思わず聞きそうになりましたが、多分彼は今までの人生で
50回くらいは同じことを聞かれて来たに違いないと思い直し、

「いい名前ですね」

と言うに留めました。
それにしてもトリスティンくん、ものすごく若くないか? 

こちらは思った通りそのまま聞いて見たら答えはなんと

二十歳。

なんでも彼は17歳から入隊してパイロット一筋なんだそうです。
アメリカという国は、日本みたいに誰でも当たり前のように大学に行き、
大学を出るときに自分が何をするか決める人が多い社会ではなく、
自分の進路をかなり若い時から決める人たちも結構な数いて、
その結果トリスティン君のような若いプロフェッショナルが生まれます。

自衛隊だと、航空学生出身者の場合、概ね22~23歳(一曹~曹長)
で実戦部隊に配備されるということですから、やはり米軍とは少し違います。

空母の操舵室にいる乗員の平均年齢も10代だと聞いて驚いたことがありますが、
これもリクルートの形態の違いによるものかもしれません。  

グラウラーのパイロットらしき二人がお昼ご飯のために
飛行機から降りて来ました。 

この機体はエプロンを牽引されていたものですが、
操縦席に人が乗っていたので撮ってみました。

機体に「マコーリッフェ」という字が見えますが、日本ではここには
機付長といって整備責任者の名前がくるものです。
しかし、パイロットの名前を書くことになっているらしいです。

そもそもこれがパイロットなのか整備員なのかがわからないので、
彼がマコーリッフェさんかどうかもわかりませんが。

滑走路と航空機見学はこれにて終了です。
最後にエプロンと滑走路を写真に撮りました。

ちょうどタッチアンドゴーを繰り返していたE-2Cが着地しています。

 

滑走路の向こうには格納庫がありますが、この格納庫、名前が

WARLORDS

と書かれています。 
これは「否定的な意を持った軍事的指導者、指導者、将軍」の意味で、
特に中央政府が弱い場合に、誰に対しても説明責任がなく、
一つの地域で内政権力を行使する軍事上の最高指導者であり、
軽蔑的な意味で使われることが多い言葉なのですが、
格納庫がこの複数形であるという意味が日本人のわたしにはどうもわかりません。

どなたか解読できる方おられますか? 

 

というわけで、司令官に敬礼で送られて航空部門の見学終了。
この写真を見てここが「エアターミナル」であることに初めて気づきました。

さて、この後はお待ちかね、レストランに移動して昼食をいただきます。

 

続く。

 

米海軍基地で昼食を〜在日米海軍基地見学記

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在日米海軍基地見学記、続きです。

滑走路で航空機を見学し終わり、「エア・ターミナル」と名付けられた棟を
司令官の敬礼に送られて後にしたわたしたちは、車で基地内を移動しました。

明かり取りの三角屋根がついたこの建物が、基地のレストランです。

広い基地なのでレストランはいくつかあるのだと思われますが、
ここは隣にゴルフコースがあるので、クラブハウスのように使われているようです。

大きな岩には字だけでなく基地のマークまで彫り込まれております。 

最近できたように真新しい感じのするスチール製のベンチにもマーク。
富士山に鳥居、そして航空隊を表す翼が盛り込まれたデザインです。

この基地は、かつて帝国海軍が、主に帝都防衛の拠点として1938年に着工、
1942年に完成したものです。

完成が戦時中であったとはいえ、石灯籠があり松の木を築山に植えた
池を作る余裕はあったのに違いありません。 
しかし、この松の剪定方法は、いわゆる普通の日本庭園にある松とは
シェイプが微妙に違うという気がしないでもありません。

そういえば、カリフォルニアの富豪の造った庭の木が、
こんな感じに刈り込まれていたような記憶があります。

 

戦時中、ここは東京に最も近い海軍の航空拠点となっていました。
厚木海軍航空隊、大東亜戦争後期には防空隊である302空が開隊し、
このブログで一度取り上げたこともある森岡寛大尉がF6Fとの戦いを行い、
終戦時には有名な小園少佐の「厚木事件」が起こったところでもあります。 

まるでゴルフコース付きのホテルのショップみたい。

わたしは全くゴルフには不案内なので通り過ぎただけでしたが、
お店に入り、基地のオリジナルデザインのティーやゴルフボールを
たくさん買い込んでいた同行の方もおられました。

支払いはドルでなければカード、日本円はお釣りが出せない(ので使うな)
ということでした。 

レストランの入り口には今月のメニューが掲示されています。

フランクとは牛のわき腹から切り取った切り身のこと。

その下のソールズベリーステーキとは、我々日本人が「ハンバーグ」と呼ぶ
ひき肉を寄せて焼くあの料理とほとんど同じようなものです。
発祥がはっきりしていて、ソールズベリー博士という医師が、
炭水化物をカットするダイエットのために考案したとかなんとか。

「adobo」も「caldereta」もタガログ語で、アドボはマリネした肉を焼いたもの、
 カルデレータはルソン島の料理で、フィリピン風のビーフシチューといったところ。

アメリカにはフィリピン人の労働者がヒスパニックほどではありませんが多く、
ここのキッチンにもフィリピンからの労働者が多く働いているのでしょう。
そういえば山口の海兵隊基地のレストランのウェイトレスもフィリピーナでした。

英語が喋れる彼らにとって、在日米軍基地は魅力的な職場なのでしょう。 

食堂の一番奥には会席用の別室があり、わたしたちはそこに通されました。
白地に赤いランナー、青いナプキンで星条旗カラーの食卓が用意されています。

ここでランチをいただくんですね。 

いくつかみたことのある自衛隊基地とは装飾の点で段違いにお金がかかっていて
かつ飾っているものも一味違っているといいますか。

この大きな額にはアイヌの民族衣装(年代物)がプレスされて入っています。
「アットゥシ」 と説明がありますが、これはアイヌ語で

オヒョウニレ(att)の木の皮(rusi)

という意味だそうです。
北海道のアイヌが作っていた樹の皮でできた衣です。

ちなみにアイヌは部族によってはサケなどの魚皮をなめしたものも
衣服にして着ていたそうです。

窓の外はまさにゴルフコース。
ここが軍基地であることが信じられない眺めです。

グーグルアースの基地をこうやって見てみると、飛行場に沿って
住宅地と基地を隔てるようにゴルフコースが作られています。

結構広大なコースで、昔は森林であったところを切り開いて
全てゴルフ場にしてしまったらしいことがわかるのですが、在日米海軍としても、
異国で暮らす在留軍人の気晴らしのために必要な施設だと考えてのことだったのかも。 

在日米軍内にはレストラン、バー、ショッピングセンターはもちろんのこと、
映画館、ボウリング場などの遊技場を備えているのが普通です。
その気になれば基地を一歩も出なくてもすむのです。 

テーブルセッティングはされているものの、食事はみなさんと同じようにバッフェ式で
自分の好きなものを好きなだけとることになっていました。

前述のメニュー表によると、この日のメインはレモンチキンステーキと例の
ソールズベリーステーキとなっていましたが、あくまでもそれは「メイン」で、
肉と言ってもビーフ、チキン、ポークと選択肢があります。 

 

ランチバッフェは大人が8ドル95セント、子供が4ドル25セント。
食べ放題でスープ、サラダ、デザートも種類がふんだんにあるランチが
1000円くらいで毎日食べられるのだからなかなかリーズナブルです。 

個室の外側もインテリアは普通のレストランと全く変わりません。
いくつか見たことがある自衛隊の隊員食堂とは随分趣が違います。

敷地内はどの施設も利用可らしく、海自の自衛官がご飯を食べに来ていました。 

アメリカの街角にある、コインを入れるとドアが開けられる仕組みの
ニュースペーパースタンドの中にはスターズアンドストライプスが。

どちらもここでは無料となっています。

昼ごはんを食べたら移動です。
次の予定は、海上自衛隊の資料室を見学させてもらうことになっています。

歩いて行く途中に黄緑色の消防車が停まっていました。
アメリカでは消防車は絶対に赤でなくてはいけないというわけではないようです。
大抵は赤ですが、都市によって赤以外の色を採用する消防署もあり、
特に空港では夜間でも目立つ蛍光ライムグリーンの車体を使うこともあります。 

ここには普通に赤い消防車とライムグリーンがどちらもあります。

米軍施設内には当然のように結構な規模の消防署があります。
下総の海自航空隊基地には海自組織の一つである消防部門がありました。

ここに勤務する消防士たちの身分は海軍の軍属ということになるのでしょうか。
それとも自衛隊のように海軍軍人?

 

海上自衛隊のビルディングも「エアターミナル」でした。

この入り口で案内をしてくれる自衛官が出迎えてくれました。
全般的な案内は米軍との連絡係をしているという士官で、
内部についての歴史を含めた説明をしてくれたのが年配の自衛官です。

同友会というのは自衛隊協力会の一つだったと記憶します。
その会長が作ったという戦艦「三笠」のフルハルモデル。

自衛隊資料館はこのターミナル内にあり、大変充実したものでした。
あの「ポセイドンの涙」、そして「永遠の0」 のポスターがあります。

ポスターがあるということは、自衛隊が撮影協力をしたのでしょうか。

ちなみに、テレビ版の「永遠の0」撮影には、水交会を通じて
実際に零戦に乗っていた搭乗員が取材協力を行なったそうです。

ターミナルの二階はガラス窓を通して滑走路がよく見えました。

面白かったのは、米軍側にいた時には、

「ここから自衛隊機は撮らないでください。米軍機なら構いません」

だったのに、自衛隊側に来ると、

「ここから米軍機を撮らないでください。自衛隊機なら構いません」

と言われたことです。
誰かがそれを指摘すると、

「そこは大人の事情で・・・」

ということでした。
どっちもダメってことなのか、どっちもいいってことなのか・・・

大人って、難しい(笑)

 

続く。

 

 

海上自衛隊資料館〜厚木航空基地見学記

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在日米軍基地見学記、最終回です。

在日米海軍基地見学は午前中で終わり、基地内で昼食後は
海上自衛隊のターミナルにある資料館を見学させていただきました。

 

資料館に入ると、大きな当基地の俯瞰模型がまず現れます。
赤いプレートの部分が海自の建物で、先ほどエプロンに出たのは
この写真でいうと赤い印より下の建物からです。

案内の人は、これを見ながらまず基地の全容について説明をしてくれました。

赤い線で囲まれたところが基地の敷地となります。
この基地は大和市と綾瀬市にまたがっており、その名の厚木市とは
全く接していないので、なぜこうなったかにも諸説あるのですが、
案内の自衛官(喋るのが得意でこの仕事一筋みたいな人)によると、

完成当時、飛行場は

「高座郡大和村・綾瀬村・渋谷村」

の境にあったが、「大和」「綾瀬」「渋谷」どれを取っても
他に「本場」が存在する地名だったため、いっそどれでもなく
他に有名な地名と重ならないのが無難だということになって

厚木村の厚木が採用された、ということでした。

ところで、この日のアレンジをしてくれた防衛省の方が、

「あくまでも都市伝説ですが」

と断った上で、厚木基地の地下には坑道と地下工廠がかなりの規模であって、
どこか遠くまでつながっているということをおっしゃっていました。

その「どこか」については諸説あり、横須賀だったり皇居だったり。
(ちょっとそれは遠すぎるだろうという気もしますが)
実際に地下に通路があったのだけは間違いないようです。 

厚木航空基地は昭和17年に海軍が建設した飛行基地です。
昭和19年に第302海軍航空部隊が横須賀から移転してきて、
「本土防衛における日本最強の戦闘部隊」と言われていました。


第302空は、首都圏を主に夜間爆撃に来る爆撃機に挑み、
各地に隊員の派遣も行なっていました。

本土を防衛する主力である陸軍にも、第302空ほどの戦力、
そして威力を発揮した部隊はなく、最後まで戦意は衰えることはありませんでした。

しかしながら、南方から物量に任せて次々と飛来し、
1万mの高高度から爆撃を繰り返す米軍の前に、
自らの操縦技術だけで立ち向かわなければいけなかった彼らは
重責に苦しみながら終戦を迎えることになりました。

彼らの後ろにいるのは、雷電21型であろうかと思われます。

その雷電のモデルがガラスケースの中にあったのですが、どうもこれ、戦時中のものみたいです。
説明がないので由来はわかりませんでした。 

第302空の零戦隊長、森岡寛(ゆたか)大尉についての記事。
森岡大尉については「わたしたちは負けていない」という題で
左手の義手でスロットルを握るその姿を絵に描いて記事にしたことがあります。

第302航空隊の夜間戦闘機隊「月光」隊。

ご存知(ご存知ですよね?)小園安名中佐が発案した「斜め銃」
搭載の夜間戦闘機、「月光」を乗機とする夜戦部隊で、
高高度の敵には苦戦しましたが、ルメイが照準爆撃のために低空で
Bー29を飛行させるようになってからは、
この斜め銃によってかなりの戦果を上げることができました。 

現存している「月光」は案の定日本ではなくスミソニアンにあるそうですが、
ここに部品だけが残されて展示してあります。 

前縁(ぜんえん)スラットと言われましてもどこのことかよくわからんですが、

主翼の前縁に張り出しを設け、キャンバーを大きくして揚力を確保する一方、
翼との隙間(スロット)によって大迎え角時の失速を防ぐもの。(航空辞典)

だそうです。
つまり主翼の前縁の張り出し、ってことだと思います(いい加減) 

写真展示の下にはガラスケースがあり、パラシュートや物入れが納めてあります。

スチール製の行李のような作り。
金属部品を入れていたのでしょうか。 

プロペラのマークが入っているので、航空部品が入っていたのだと思いますが、
その名も「火星内部用具」。

「火星」って、なんか他に意味ありましたっけ。 

パラシュートの横の木には墨でなにやら書かれていますが、
経年劣化と写真のピンボケのせいで()「第八分隊」がかろうじて読めるだけです。 

金属の腐食が進んでいる爆弾。
こちら側の航空機の写真は紛失しました(´・ω・`) 

第302空は何人もの伝説のパイロットを生みました。
遠藤幸雄大尉は「月光」で一晩に5機のB29を撃墜したこともありました。

迎撃待機中の第302航空隊。雷電みたいですね。

そして終戦。
この厚木に降りて来る瞬間の自分の姿を、マッカーサーは
計算しつくしていたと言います。

ところが、こんな有名なシーンなのに、ここが実際にどこだったのか、
今の基地のどこに当たるのかははっきりとしていないのだそうです。 

敗戦となり、全て処分された海軍基地の飛行機。
「零戦燃ゆ」という映画を思い出しますね。 

そして海上自衛隊が生まれ、自衛隊旗が採用された時の写真。
この写真は有名ですが、この人物が誰かがわかりません。

彼の足元(靴を脱いでいる)には、「防衛大學校」「防衛廳」と
いずれも旧字体で書かれた紙があり、これらは
それぞれの門に掲げる表札のための書ではないかと思われます。 

ここから先は、自衛隊の活動についての写真が掲示されていましたが、
見学時間のほとんどを入ったところの説明で終わってしまい、
あとは急いで行くつか写真を撮るだけに留まったのは残念でした。

これは南鳥島のヤシの実。

南鳥島は戦前からアメリカと領有を巡って事件があったりしましたが、
戦時中は何度も空襲を受け、戦後はアメリカの軍政下にあり、
その後返還されて、現在は 飛行場施設を管理する海上自衛隊硫黄島航空基地隊の
南鳥島航空派遣隊や気象庁(南鳥島気象観測所)、
関東地方整備局(南鳥島港湾保全管理所)の職員が交代で常駐しています。

最近は高濃度のレアアースが発見されたことでもニュースになりましたね。 

海自の救命装備品。

包帯、ガーゼや止血帯はもちろん、右側の緑のものは航空機用の救命糧食5食分、
その左の銀色パックのものは一食分ずつの救命糧食です。
カロリーメイトみたいなものでしょうか。 

展示場には大きなパネルを引き出すようになっていて、そこに海上自衛隊の
各制服が一体ずつ展示されていました。

制服の展示というと、マネキンを置くしか見たことがありませんが、
これなら場所を取らずに全ての制服を見ることができます。 

やっぱり夏の水兵さんの制服はいいですねえ。
デザインとして完成されきっているという感があります。

ところで、冒頭の写真は、この坂井三郎氏の揮毫した書が米海軍から
海上自衛隊に寄贈された時のものです。

零戦パイロットとして戦後日米に有名だった坂井三郎氏が、
2000年に米軍に訪れた時に寄贈した「努力は勝利なり」の書を、

「我々が持っているよりも多くの日本人に見てもらうべきである」

と考えた前基地司令パーカー大佐が、海自に書を譲渡しました。

坂井氏はこの書を寄贈した米軍主催の夕食会の直後、体調に異変を感じ、
運ばれた病院先で死亡しているので、おそらくは氏がこの世で書いた
最後の文字ではないかと言われています。
 

 

かと思えばこのカオスなポスターも健在。
サンダーバードと自衛隊のコラボシリーズ。

サンダーバードが戦っていたのは災害というよりは地球の敵、
地球外生物のミステロンだったんすけどね。 

というわけで、全ての行程を終えて海自を後にしました。

左は米軍との連絡係をしているという1等海尉、右側は
自他共に認める「しゃべくりのうまい」資料館で解説してくれた海曹。

お二人のおかげで、大変楽しく充実した見学をすることができました。
ありがとうございます。

 

米軍基地シリーズ終わり 

 

潜水艦「せきりゅう」引き渡し式

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3月12日、神戸は川崎重工業株式会社において、
自衛艦「せきりゅう」の引き渡しと就役の式典が行われました。
ご招待いただいて出席してまいりましたのでご報告いたします。 

「せきりゅう」は「そうりゅう」型潜水艦。

蒼龍雲龍白龍剣龍瑞龍黒龍仁龍

に続く8番艦となります。

通常動力型(原子力を使わないタイプ)としては世界でも
トップクラスといわれる日本の技術力の結集である「そうりゅう」型。

潜水艦の保有数が18隻と決められている日本では、毎年一つのペースで
潜水艦を調達しており、今年もまた一つ、自衛隊に引き渡されたわけですが、
ますます厳しさを増す近海の防衛のために、仮想敵国(もはや仮想じゃない?)
の海軍も恐れる「そうりゅう」型、しかも日進月歩の最新機材を搭載した
潜水艦が防衛に加わることは、我々にとっても頼もしい限りです。

後になるほど細部がアップデートされていくため、先年見学した「はくりゅう」も
「せきりゅう」から見れば古い部分があるということです。
さらには、3代後の11番艦は進化を遂げ、1番艦とはほぼ中身が別というくらい
大幅に性能が変わってくるという話です。

 

ところで名前のことを言うと、せきりゅうとは赤い龍で、
色としては蒼白黒赤と4色が揃ったことになります。

「今後色ものが出るとしたら・・・きんりゅう?」

「ラーメン屋みたいだからそれはない」(断言)

今回のイベントは日帰りにしたため、羽田神戸往復をスカイマークで取りました。
スカイマークが初めてなら神戸空港を使うのも初めてです。

ガルウィングの先にハートマークが!

離陸しました。
東京湾の「風の塔」(アクアラインの換気塔)が沖に見えます。

そしてわずか1時間ちょいで神戸に到着。

空港で発見した神戸のゆるキャラらしきもの。

「なにこの手抜きな感じ」

「ねえ、この続きどうなってると思う?」

「おたまじゃくしみたいににょろーんってなってたら嫌だな」

そんな会話をして通り過ぎたのですが、実態は予想を上回っていました。

神戸ー関空ベイシャトル、イメージキャラクターキャプテントビー

うーん・・・そうきたか。

タクシーの中から神戸税関の建物を見かけて。
神戸生まれの神戸育ちであるわたしにとって、
小さい時から見慣れてきた懐かしい光景です。

この辺りも昔とは随分変わってしまいましたが、古い建物は
変わらず残してくれていて、嬉しくなります。

海岸ビルヂングはカフェになっている模様。

神戸郵船ビルは大きいサイズ専門のブティックに。
その辺を歩いているのも日本人じゃなかったり。

あの地震でもほぼビクともしなかったビルです。

こちらは「海岸ビル」。「海岸ビルヂング」とは別です。

商船三井ビルディング。

東京の丸ビルがなくなってしまった今、大正期の大型オフィスビルで
現存する日本で唯一のものとなっています。
現在修復工事が行われているようですね。

これらのビル群は近代化産業遺産に指定されています。

おまけ。
玉ねぎかな?

さて、式典まで少しだけ時間があったので、途中のホテルオークラ神戸で
朝ごはんを食べることにしました。

私ごとですが、実はこのホテルには懐かしい思い出が(〃'∇'〃)ゝ 

神戸の市章をつけた警備艇が走っています。
震災の時この辺一帯の岸壁は壊滅的に崩れてしまいましたが、
慰霊のための鐘や、メモリアルを備えて復興し現在に至ります。

オークラのティールームから見える遊歩道になにやら潜水艦のようなものが・・。

そして案の定ここで食べたものなどをアップしてしまうのだった。
朝ごはんに温野菜メインのセットがあるなんて、神戸オークラ最高。

さて、少し早めにタクシーで現地入りしました。
造船会社の内部は写真が厳しく禁じられていたりするので、
ここでとりあえず一枚だけ。

紅白の受付台に向かって歩いて行くと、途中にこのような碑がありました。
同じ筆跡で明治29年起工、明治35年竣工とあります。

川崎重工業の神戸工場第1ドックのドック壁だったんですね。 

2007年にドックの役目を終え、現在は当時の形のまま「埋め戻して」
保存している(それを保存と言うのなら)ということです。

第1ドックが111年の歴史に幕 

受付を終えると、建物の中の会議室に通されました。
ほぼ一番乗りとなりましたが、この後続々と人が来て
この椅子が満席になるくらいになりました。

「いずも」の時に比べると人数も少なく、やはり艦艇の大きさで
来賓の数も随分違ってくるものだと思いました。

さて、この後時間になったらバスで岸壁まで向かい、
岸壁に繋留された「せきりゅう」とその前に整列している乗組員の前で
紅白の垂れ幕のかかった観覧席に座り、待つことしばし。

約30分で引き渡し式が始まったのですが、この間の撮影は禁止。
待合室で他の方が自衛官と話をしているのを聞いていたら、

「みんなが写真を撮ると収拾がつかなくなりますので」

とその理由を説明していました。
「ちよだ」の進水式の時と同じです。

確かに、出航の時には写真が許されていたので皆がそれぞれ
スマホを出して撮ったりしていたのですが、中には
ものすごい連射音の出る機種を持っている人がいて、

「こんなんだから写真禁止になってしまうんだなあ」

と心から納得したものです。

式開始にあたっては、防衛副大臣である若宮けんじ氏がまず
儀仗隊の閲兵を行いました。

引き渡し式は実質5分です。
川崎重工業の社長が

「 潜水艦せきりゅうをお引き渡しいたします」

といい、引き渡し書を渡すと、

「潜水艦せきりゅうを受領しました」

と受け取った防衛大臣(代理)が言って、終わり。
ちなみに引き渡し先は「防衛大臣 稲田朋美殿」でした。

続いて自衛艦旗授与式が行われました。
防衛大臣が自衛艦旗を艦長に渡すと、艦長はそれを受け取り、
列に戻ると艦長に渡すのです。

この時に奏楽されるのが、そう!「海のさきもり」です。

1 あらたなる光ぞ
  雲朱き日本(ひのもと)の
  空を 富嶽(ふがく)を
  仰ぎて進む
  われらこそ海のさきもり

2 くろがねの力ぞ
  揺るぎなき心もて
  起(た)ちて 鍛えて
  たゆまず往かん
  われらこそ海のさきもり

3 とこしえの平和ぞ
  風清き旗のもと
  同胞(とも)を 国土を
  守らでやまじ
  われらこそ海のさきもり 

 

わたしは「ふゆづき」の引き渡し式、「いずも」の引き渡し式に
参列するという栄誉を得ておりますが、いずれの場合もこの自衛隊儀礼曲は
音楽隊によって歌なしで演奏されるのみでした。

ところがここ最近、「海のさきもり」そのものが
演奏会でも歌付きで取り上げられる機会が増えてきて、さらに少し前から
自衛艦旗の引き渡し式で奏楽されるときには、
三宅三曹の歌が加わるようになって来たなと感じていたのですが、
この日は三宅さんではない女性歌手が堂々とこの歌を歌い上げました。

彼女が歌い出した途端に

「こんな上手い人が呉音楽隊にいたの?」

と驚いてしまったのですが、後から聞いたら中川麻里子士長でした。 
まさか横須賀音楽隊から来ているとは思わなかったので・・。

「海のさきもり」が終わると、乗組員乗艦です。
自衛隊旗を片手で掲げ持った副長を先頭に、軍艦行進曲に乗って
岸壁に整列していた乗組員が紅白のラッタルを渡って乗艦しました。

潜水艦ですので、「いずも」「ふゆづき」のように時間はかからず、
軍艦も最後まで行かないうちに全員が艦上に整列を終えました。

 

そして、艦長乗艦。

サイドパイプの

ホーーーー、ヒーーーーー、ホーーーー、 

ホーーーー、ヒーーーーー、ホーーーー、 

が鳴り響く中、艦長が乗り込みます。

男と生まれ(とは最近では限りませんが)海上自衛隊に入ったら、
艦長として万座の注目の中、こうやって自分の潜水艦に乗り込む瞬間は
自衛官冥利につきるというか本望というか・・・・、
とにかくどんなにか高揚することであろうと他人事ながら胸が熱くなります。

特に潜水艦の艦長というのは、「はくりゅう」の見学の時にも書きましたが、
常に単独行動を取り、海中においては司令部と通信することもできないので
全ての判断を一人で行うという重責を担っています。

ですから、決断力、判断力を複合した統率力はもちろんのこと、
自分の艦を知悉し技能も併せ持っていることが求められるのです。

そもそも体質的な適性もさることながら、実技、筆記、後述試験を受け、
狭き門をくぐり抜けてさらに実地教育で絞り込まれた、
生え抜きでないと潜水艦には乗れないわけですが、さらにそのなかで
艦長になるというのは、とにかく凄いことだとしか素人には思えません。

 

さて、続いて若宮防衛副大臣が執行官である呉地方総監、
そして防衛省の人々と乗り込み、自衛艦旗を「君が代」に乗せて掲揚します。

艦首には日本の旗の形をした日の丸もいつの間にか揚がっているのですが、
こちらは護衛艦的には「識別旗」という位置付けなので、
こういう場合には自衛艦旗を国歌に乗せて揚げるということが優先されるのです。


続いて防衛大臣訓示。
いつものような出だしの後、若宮氏はこのように続けました。

「我が国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しています。
北朝鮮は度重なる弾道ミサイル発射と核実験を繰り返しており、
3月6日には4発もの弾道ミサイルを発射しました。
北朝鮮の一連の行動は我が国及び地域の安全保障に対する
明らかな挑発行為であり断じて容認できません」

「中国は東シナ海や南シナ海で力を背景にした現状変更の試みなど
高圧的とも言える行動が我が国の安全保障上の懸念ともなっています」
 

つまりそういう中、戦略的にも敵の大いなる脅威となる潜水艦の皆さん、
国土防衛を自分が担うという気概で頑張ってください、という感じです。

この訓示で面白いなあと思ったのが、

「フネの伝統は初代の乗員がつくると言われます」

という一言でした。

日本の潜水艦の基礎というのは、戦後初の潜水艦であった
「くろしお」(実はアメリカのガトー級ミンゴ)の最初の乗員が作り、
それが現代にも継承されているらしいと最近思ったことがあったのですが、
またこれについてはいずれお話ししたいと思います。

 

そして防衛副大臣は訓示の後、なんと潜水艦の中に入っていってしまいました。
あのハッチを降りて艦内を視察するのですから、これは何分かかることやら。

すると、みんなの心の声があたかも聞こえたように、
来場の人々に向けて解説が始まりました。

 

続く。

 

 

 

 

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