Enlist、という単語はそのまま訳すと
「軍隊などに進んで入隊する」
という意味があります。
enlisted manとは〔男性の〕下士官兵のことで、省略形はEM。
enlisted personnel
enlisted soldiers
という言い方も同じく下士官兵のことです。
それでは女性はどうなるかというと
enlisted woman
階級的には将校(commissioned officer)の一つ下、
准尉(warrant officer)のひとつ下までを言います。
ここからは、その下士官兵の制服が展示されています。
まず、この制服はレイティングではなく赤十字を付けています。
医療関係であることが一目見てわかるようになっています。
首からボースンズ・パイプ(サイドパイプ)を吊り、胸ポケットに入れています。
ボースンズパイプとは、日本語では号笛といい、マイクを通してお知らせの前に
その内容を告知する意味で使われたり、舷門では艦長や艦隊司令など、
「偉い人」が乗るときに吹鳴する笛のことです。
それからこの制服を見て初めて気がついたのですが、米海軍のセーラー服の
袖カフスのライン、横に長〜〜〜い「日」の形をしています。
わたしの出た中学はセーラー服だったわけですが、ラインは端まで伸びていました。
日本は帝国海軍の時代から袖にカフスがなく、したがってラインもありません。
現在の海自の海士の制服も昔と同じです。
左はどちらも1864年当時ですから、南北戦争時代の水兵服です。
アメリカ史では北軍・南軍という用語の代わりに、この時代のアメリカ合衆国を
特にユニオン(Union)、その軍隊をユニオン軍といいます。
「Petti Officer Union Navy」
は北軍の海軍下士官、ということになります。
そして右側のSeaman(水兵)は"Confederate Navy”。
これはアメリカ連合国海軍、南部連合軍の海軍という意味です。
当然ですが、南北に分かれていたため軍服は二種類あるわけです。
右側の額の二人は1905年、日露戦争当時の下士官兵で。
左はCPO (上等兵曹)、右は Coxswain(舵手)です。
どちらも第二次世界大戦の頃のユニフォームで、
真ん中の人は喇叭手(Bugler)です。
なぜか冬服と夏服の水兵さんが一緒にいる光景。
なぜか張り切って指を立てる下士官。(人差し指ですので念のため)
左袖二の腕部分に付いているラインは「年功章」といい、
一本につき3年勤め上げたことを表します。
これを「フル・ドレス」または「パレード・ユニフォーム」と言います。
ブルーの「ジャンパートップ」、ズボンのボタンは13個。
セーラー服のタイと靴は黒。
映画「ペチコート作戦」でボタンが13個のわけ(建国時の州の数が13)
についてわざわざ言及するシーンがありましたね。
そしてこのパンケーキのような帽子を「ホワイトハット」と言います。
メダルの類は左のスラッシュポケットに縫い付け、
リボンなどが付いたものは公式の場に着用しました。
このアフリカ系のシーマンはまだ勤続3年以上5年以下です。
彼は航空徽章を付けていて、レイティングも「エアー・クルー・マン」です。
オペレーター、メカニック、ナビゲーションに提出するレーダーでの探査、
電子機器での操作などを行っている部署の水兵さんです。
このユニフォームを「サービスドレス」「ホワイトユニフォーム」と言い、
検査と航海中の穏やかな天気の時に着用しました。
軽量の「ダッククロス」(キャンバス地)でできていて、熱帯地域でも
快適に過ごすことができる工夫がされていました。
これもメダルをリボン付きに変えることで、フォーマル仕様になります。
素材が「ダンガリーシャツ」なので「ダンガリー・ワークウェア」。
この作業用の軽いシャンブレーのシャツは長袖、半袖とあり、
下にはダークブルーのズボン(ジーンズに見えますが違います)。
このスタイルは作業中灰色か白の艦体から見分けやすい色となっています。
ブルーの野球帽には必ず艦名が入り、白い帽子とはデッキの天気で
使い分けられました。(軍人は傘をささないのでこの選択は重要です)
これに黒のベルト、作業靴、(ブーツ)を合わせると完璧な水兵スタイルです。
我が日本国自衛隊でも作業服は日常着にしては鮮やかなブルーを採用していますが、
一にも二にもこれは艦上で見分けられる事を目的としています。
「 BOOTCAMP LOCKER INSPECTION」
海上での生活環境というのは、狭さとの戦いです。(多分)
1970年ごろ、CPO以下の下士官兵は一つのロッカーに
全ての個人携帯物を収納しなくてはなりませんでした。
もちろん今でも似たようなものだと思います。
このロッカーはその一例ですが、全ての水兵たちにとって、
自分の持ち物を収納する空間を見つけることはちょっとしたチャレンジでした。
物を持たなければいいんですが、勤務上どうしても持っていないとならない、
必要最低限のものを直すにも、大変な苦労だったのです。
一応はよく考えられていて、海の男として勤務に必要な最低限の荷物は
きちんと治るように設計されていました。
そして、これが一人の水兵の荷物全て。
新兵教育(Boot Camp)の一つに、荷物の整理の仕方、というのもあります。
ご覧のグッズは、彼らがどのように衣類などを収納したか、私物をどのように
検査されていたかということを見本で示しています。
これを叩き込むことで、新兵は
「フネの上で暮らすとは、狭さとの戦いであり、それをどう克服するか」
の初歩段階を知ると言われます。
これだけしか荷物が持てないのに、洋服ブラシ、靴墨に靴ブラシは一人1セット。
洋の東西を問わず、海軍というのが身だしなみにいかにうるさかったかの証でしょう。
自衛隊ではどうか知りませんが、アメリカ海軍のおしゃれな若者は、
艦が港に入るとそれこそ目一杯着飾って上陸するのだそうです。
もっとも、わたしは「着飾っているアメリカ人の男」というのをこれまで
あまりというかほとんど見たことがありません。
どこに行っても、夏はTシャツに半ズボン、ベースボールキャップにサンダルという
基本のセットに若干のバリエーション(タンクトップに運動靴とか)があるのみです。
ですから、この「着飾る」の意味がわからないのですが、艦隊勤務の場合、
乗員は起きているときは作業服、寝ているときは下着というアイテムの繰り返しなので、
普通のアメリカ人よりはフラストレーションが溜まるのに違いありません。
というわけで、彼ら基準で言うところのおしゃれな若者は、ネックレスをつけたり、
指輪をはめたり、香水を振ったりしてめかしこんで上陸するのです。
寄港している時には上陸という楽しみがありますが、出航して長期の航海に出ると、
海軍では乗組員たちのために時々は気晴らしを企画します。
艦上での慰問コンサートだったり、映画スターの慰問だったり
(ミッドウェイには一度ブルック・シールズがヘリで飛来したことがあるらしい)
「スチールビーチ・ピクニック」(鉄のビーチでのピクニック)
と呼ばれるフライトデッキでのパーティだったりするのです。
このスチールビーチ・ピクニックは、必ず出航して45日目に行われる、
ということが決まっており、大抵は一回だけで済むのですが、
一度、「ミッドウェイ」がどこの港にも入らず、111日間、
航海を続けた時には、二回行われたということです。
スチールビーチ・ピクニックは、艦載機を全て艦首に集めて、
中央から艦尾にかけての部分を「ビーチ」ということにし、
特設ステージを用意してバンド演奏(おそらく皆乗員)が行われ、
乗員たちはあちこちで歌ったりビールを飲んだり、あるいは
その辺に用意されているビニールプールに入って本当に「海水浴」をします。
一階下のハンガーベイではその間ボクシング大会やバレーボール大会が行われ、
勝者にはちゃんとトロフィーも用意されます。
そしてメインはやっぱりバーベキュー。
アメリカ人のピクニックはバーベキューがなくては始まりません。
ということは、「ミッドウェイ」にはバーベキューセットが
一つならず搭載されていたということでもあります。
グリルはデッキ最後尾に用意されて、ハンバーガーやホットドッグ
の具を次々と焼いていきます。
(アメリカ人のいうバーベキューとはハンバーガーとホットドッグのこと)
こんな時だからビールも飲み放題かと思ったらとんでもない。
一応アメリカ海軍は「艦内での酒禁止」を公的には謳っているいるので、
スチールビーチでしか出てこないビールも、一人二本だけと決まっています。
乗員には前もって二枚のビール券が渡され、それ以上飲めないのですが、
そこはそれ、名前が書いてあるわけではないので闇の取引が行われ、
ビールを飲めない者も高値で売る目的でビール券を購入するというわけ。
(せこい)
甲板では冷え冷えのビールなど望むべくもないのですが、それでも
若い連中はそんな生ぬるいビールを最高で20ドル出して
闇取引で購入していたということです。
ちなみに、スチールビーチ・パーティは問答無用の全員参加。
なぜならその日は艦内の食堂は全て閉鎖、
お腹が空いたらフライトデッキでバーベキューを食べる他ないからです。
この日ばかりは、艦長もこわーい副長も、水兵と同じ場所で
同じハンバーガーやホットドッグにかぶりつくというわけです。
続く。