海上自衛隊呉史料館、てつのくじら 見学記続きです。
実はここに来るのは思い出すだけでも数度目。
来るたびに同じ展示物の写真を挙げているわけですが、
どっこい来るたびに当方のカメラが進化しているので、
最初の頃には低画質でお伝えすることができなかった細部を
ここでご紹介できることが嬉しくて仕方ありません。
その度に視点が変わり、新たな発見もあるはずなので、どうかお付き合いください。
といいながら、冒頭写真の深海用スーツの
「触手厳禁」
という注意書きに、つい心の中で
「触手はないだろう、触手は・・・」
と前回と同じツッコミを入れてしまうのでした。
先ほど博物館の体験コーナーにあったのと全く同じベッドが現れました。
この階にある寝台は全て士官用で、この個室っぽいベッドのある一角は
副長、航海長と行った「長」のつく士官の専用だと思われます。
昔「はくりゅう」の内部を実際に見学したことがありますが、
ちょうどこの位置にキッチンがあり、そこでは「はくりゅう」の給養員が
今まさにキャベツをスライス中で、大きな山ができていたのを思い出します。
アメリカの軍艦は大抵士官用、下士官用、兵用とキッチンが別ですが、
自衛隊ではその辺りはあまり分け隔てなく、同じところで作るようです。
もちろん食事をするところは別で、食器なども違い、士官は
ちゃんと誰かがご飯のトレイを持ってきてくれるようですが。
こちらの寝台部分は、夜間を表す赤い照明になっていました。
水上艦以上に外の明るさがわからない潜水艦内では、
夜間を表すために赤い照明を点けておく時間があります。
しかし照明を赤にする本当の意味は、外界の暗さに目を鳴らすため。
潜望鏡を除くとき、外が夜なのに室内が明るいと何も見えないからです。
アメリカで、とある潜水艦を見学した時、食堂に置いてあるトランプの
赤いハートやダイヤに全部黒の縁取りがされていたのを思い出します。
赤色灯の下でトランプをすると、赤の札が見えなくなるからです。
「はくりゅう」のように、最新型のデジタル潜望鏡の場合、従来のように
艦長一人が潜望鏡を覗き込むのではなく全員で画像を見ることにもな理、
ナイトビジョンでモニターの画像もよく見えるのかもしれませんが、
それでも潜水艦における赤色灯の習慣は変わらないに違いありません。
それから日照にあたる時間が少なくなるのも潜水艦乗りの宿命でしょう。
そろそろ我が海上自衛隊でも女性のサブマリナーが誕生しそうですが、
お肌の美容のことだけを考得た場合、潜水艦勤務だと水上艦より
日焼けの心配がないのでUV化粧品を使わずにすむかもしれません。
これらのベッドも、アメリカで見た潜水艦とそっくりですが、
バラオ級「パンパニト」や原潜「ノーチラス」よりは、こちらの方が
内部に余裕があって広々しているように見えます。
あちらの潜水艦は、第二次大戦中の潜水艦「パンパニト」が狭いのは当然ですが、
原子力潜水艦「ノーチラス」の居住区が狭いのには驚かされます。
全員がもう身欠きニシンのようにコンパートメントにぎっちり収まるかんじで、
ベッド周りなど絶対人がすれ違えないどころか、体を横にしないと歩けません。
原子炉部分のスペースが人間より優遇されていたのも狭い原因だと思います。
もちろん今の原潜はもう少しマシになっているのかもしれませんが。
しかし「あきしお」も実際はこんなに広かったわけではありません。
稼働時にはここにこんな手すりやスロープはなく、そのスペースに
士官用のベッドがぎっしりと並んでいたのです。
展示用にいくつかのベッドを取り外し、(あ、博物館フロアにあったのはそれか)
改装してこのように見やすくしていると説明に書かれていました。
そしてベッドの下が物入れになっていて私物をここに収納する、
というのは全世界、全艦艇共通だと思われます。
こちら食堂もグロトンで見た原子力潜水艦「ノーチラス」のとそっくりです。
海上自衛隊は、最初に訓練用として受け取った「くろしお」を
たたき台にその後の潜水艦を作ったということですが、これを見る限り、
食堂テーブルの配置や色などもアメリカ式を踏襲しているのではないかと感じました。
いざ戦闘となった場合、このテーブルが寝台になるというのも同じです。
テーブルの上にはアクアラングのマスクと、個人脱出用の
スタンキーフードが置いてあります。
大昔、たとえば佐久間艦長の第六潜水艇の頃などは、沈没鎮座してしまったら、
助けを待って、潜水艦ごと引き上げて救助するしかなかったわけですが、
たとえば沈没した伊ー33の時のように、ハッチを開放して脱出したとしても、
深海から生身で海面に上がるまでに溺れるか、潜水病で結局死ぬかだったのです。
伊ー33で海中に脱出して助かった人がいましたが、奇跡中の奇跡かもしれません。
現代では映画「ハンターキラー」にも出ていた小型救難艇を潜水艦のハッチに接続し、
以上させて救出する方法が主流ですが、深度があまりない場合には、
このスタンキーフードを被って海に脱出します。
顔の部分だけを覆うため、スタンキーフードでの脱出は低体温症になりがちですが、
全身を覆うことのできるタイプが「そうりゅう」型に装備されているということです。
艦長室。
我が潜水艦では個室が与えられるのは艦長だけ、となると、住環境においては
第二次大戦中のアメリカの潜水艦の圧勝と言わざるを得ません。
艦長室はもちろんですが、チャプレン(従軍牧師)が乗っている艦の場合、
彼らは必ず一人部屋を与えられていました。
従軍牧師はその職務上軍隊の位は高く、士官待遇でした。
ベッドサイドに計器類が景気良く装備されておりますね。
これは進度計、電話、艦内交話装置、ジャイロレピータなどです。
アメリカ海軍では水上艦・潜水艦問わず、せっかく個室があっても
「艦長は寝ない」というのが合言葉らしいですが、我が自衛隊においても
潜水艦長は出航中本当にあまり寝ていないらしいです。
たとえベッドに横になっていても、意識はいつも
深度計とジャイロに向かっているのに違いありません。
さて、「あきしお」の士官居住区を通り過ぎると、
コンソールなどが並ぶ潜水艦の中枢部分が現れます。
護衛艦のチャートルームに当たるのがこのテーブル。
電源パネルは現在でも照明などに使われているので生きています。
下から二段目の緑のランプは警報音のオフスイッチで、
左から
「A音」「B音」「C音」そして「OFF」
バラストコントロールは
「潜航」「浮上」
そしてもう一つのスイッチがあり、「浮上」が点灯していました。
先日見た「ハンター・キラー」でも、昔ここで取り上げた映画
「イン・ザ・ネイビー」でも、潜水艦の操舵席に座っている二人には、
コンビといってもいいような連帯感で結ばれていました。
こんなところで並んで同じようなハンドルを操作するのですから、
この二人が仲が悪いとちょっと具合が悪いのではないかと素人なりに思います。
ただし、右と左では役目は違います。
右席は
「第1スタンド (潜舵・縦舵)」
(潜舵はセイルから水平にでた舵、縦舵は艦尾の垂直舵)
左は
「第2スタンド(横舵・おうだ)」
(横舵は艦尾の水平舵)
と第1スタンドでは深度と針路、第2では深度調整を行います。
この階の床は穿たれ、透明のアクリルによって階下を見ることができます。
前回来た時も写真を撮ったけど、こんなにクリアじゃなかったので嬉しいです。
魚雷発射室の様子がよくわかりますね。
上から見せるだけではなく、前から後ろから見た写真も。
第二次世界大戦時のアメリカの潜水艦なら結構たくさん見てきましたが、
その頃とは装填前の魚雷の状態が当たり前ですが全く様変わりしています。
原子力潜水艦ともずいぶん違います。
いつも誰かが必ず独占していて写真をちゃんと撮ったことがなかったのですが、
今回はこんな近くから潜望鏡そのものを激写してみました。
その結果、初めてこれがNikon製であることを知りました。
海自イベントで一眼レフを持ち歩いていると、たまにわたしもNikon持ってます、
と自衛官に声をかけられますし、海自のカメラマンは全員がNikon持ちです。
艦橋にある個人用双眼鏡もNikonが多いですし、
(高いのでトキナーとかケンコーを置いている、という艦もありましたが)
「海のニッコー・陸のトーコー」
の時代から今でも海自ではNikonが主流なんだなとわかります。
わたしがNikon持ちになったのも、海軍御用達だったからです。
ところで、階下の魚雷を見ていて、あらためてこの魚雷は
具体的にどこから搭載するんだろう、とふと思ったので、
近くにいた説明の方に聞いてみると、
「こちらです」
と少し離れたところに案内されました。
指差された天井を見ると、ハッチと斜めの魚雷搬入用の孔が。
ラッタルはついておらず、人の出入りはできません。
孔の途中に監視カメラがありますが、もちろんこれは最近付けられたものです。
さて、「あきしお」艦内見学はこれでおしまいです。
続く。