映画「日本破れず」最終回です。
冒頭画像は、天皇陛下の御聖断を受けて御前会議で早川雪洲演じる
阿南惟幾が涙を流すシーン。
映画では「川浪惟幾」となっているのですが、この映画の謎なところは
関係者を全てわかりやすい仮名にしていることです。
今と違って検索回避などという理由もないのに、なぜこんな配慮をしたのか。
予想されうる理由は、初めて終戦と終戦に向けての長い一日が描かれた
この映画が制作されたのはまだ戦後10年で、関係者が存命だったこと、
そして映画のストーリー上創作があったことなどですが、
例えば誰でもこれが阿南であると理解して観ている映画で、仮名を使うのに
なんの意味があるのかという気もします。
近衛兵を動かして本格的に反乱を起こそうとしたものの、
森師団長に拒否され、これを殺害した反乱将校たちは、
天皇陛下の終戦の御詔勅が録音されたということを聞き及び、
もう寸時の猶予もならぬと行動を起こしました。
彼らがなまじ?小中隊を動かせるクラスの軍人だったことが、
事件を拡大させたということもできるでしょう。
ちなみに、森師団長は映画ではきっぱりと拒否していましたが、
流石に実際は殺気立った若い将校たちを目の前にしては身の危険を感じ、
「明治神宮を参拝した上で再度決断する」
と約束したそうです。
ところが、畑中少佐と上原大尉はおそらくそれを口実と判断し、
無言で師団長を殺害したというのが事実です。
そして史実と大きく違うのが、彼らが玉音盤を奪取する為にNHKに乱入、
局員に拷問まがいの尋問をしたというこのシーンです。
陸軍部隊が職員をホールに集め、玉音盤の在り処を聞くという設定ですが、
実際にはこれは終戦後8月24日に起こった
をよりドラマチックに創作として挿入したものだと思われます。
ただ、実際にも近衛歩兵が第一連隊の中隊が放送会館に派遣されています。
彼らは近衛師団長が決起し、陸軍大臣もこれを認めたことにして
近衛歩兵第二連隊を動かそうとしていました。
劇中では滝川となっている徳川義寛侍従。
録音が無事に終わり、日本放送協会の幹部と明日の放送が無事に行われることを
互いに祈念し合うのですが・・・。
徳川が皇居から送り出したNHK国内局長の矢部謙次郎らは
上原大尉(実際は近衛歩兵連隊長)によって拘束されてしまいました。
彼ら(実際は数名)が近衛司令部に監禁されていたのは史実です。
畑中は矢部に録音盤のありかを聞きますが、矢部はすでに手元にない、
宮内省に渡した、と答えます。
「誰に渡したか名前は知りません」
と答えた矢部は、宮内省の職員を集めたところに連れて行かれます。
つまり名前を知らないなら顔を見ればわかるだろう、というわけです。
前列の徳川と矢部の間に視線が交わされました。
立ち止まってじっと一人を眺めていれば、すぐ気づかれるよ?
目を上げて矢部の顔を凝視する徳川。
目だけで合図を送る矢部。
だからそんな顔していたらバレるってば。
「ここにはおりません。多分録音後交代したのでしょう」
詰め寄る椎崎に毅然と拒否の態度をとり、突き飛ばされる徳川。
実際にも徳川侍従は第一大隊の軍曹に殴られていますが、後日この軍曹は
「周囲の人間は殺意をもって徳川侍従を包囲しており、
このままでは侍従が殺されてしまうと思った。
それを防ぐためにとっさに本人を殴り、気絶させることで周囲を納得させた」
と親族に語っており、直接の殺意や害意は無かったと説明しました。
さて、こちらは阿南惟幾邸。
映し出されているのはどうも小松宮彰仁親王の書だと思われます。
上衣、正帽、軍刀を綺麗に揃え、遺書を認める阿南のもとに、
義弟の竹下中佐が訪問してきました。
映画では竹下は決起を早々に断念したように描かれていますが、実際は
畑中に言われて阿南の決心を翻すように説得しにいったところ、
阿南はちょうど自刃しようとしており、結果として彼は
これを止めずに見守ることになった、ということのようです。
阿南の自決については、これを見ていた竹下が「大本営機密日誌」として
これを書き残し、文芸春秋社の半藤に閲覧を許したところ、半藤が
それをもとに「日本のいちばん長い日」を書き上げたので、
同作品に書かれていることが最も真実に近いところにあるのは確かですが、
この映画製作時にはまだ同著は影も形もありません。
この頃(1954年)にも確かとされていた事柄は、
●阿南割腹の現場に義弟の竹下がおり、井田正孝も来たが帰らされた
(井田は自分も自決すると言ったところ往復ビンタされたという話も)
●一緒に直前酒を飲んだとされる
●飲みすぎを心配する竹下に「血の巡りがよくなった方が上手く死ねる」と言った
●竹下が介錯を申し出るが断る
●遺書「一死以って大罪を謝し奉る」
●割腹後阿南は長時間苦しんで絶命した
これくらいでしょうか。
竹下は次の間に下がらされており、こんなに近くにはいなかったと思います。
また、映画では竹下は苦しむ阿南に手を合わせていますが、ここは
やっぱり敬礼ではなかったでしょうか。
また、この最後のとき、阿南は
「米内(光政、海軍大臣)を斬れ」
という言葉を残したとされ、今日までいろんな解釈を生んでいるようです。
さて、もう一人の本作の主人公のようになっているのが藤田進演じる
田中静壱大将で、この人は実質的に終戦の反乱を止めた男、とされています。
森師団長が畑中らによって殺害され、宮中が占拠されていることを知った田中、
自らが立ってこの混乱を収拾する決意をしました。
そして陸軍大臣阿南自決の知らせが。
この映画での田中にはそぐわないとされたのか、採用されませんでしたが、
実際田中は自殺が割腹であったことを聞いたとき、
「腹を斬るのは痛そうだな」
と呟いたとされます。
田中は川口放送所占拠事件を鎮圧した後、拳銃で命を絶ちました。
録音盤の在り処を吐かせようと焦る上原大尉は、徳川侍従に
「たとえ知っていてもあなたたちに話すつもりはない」
と言われて、ついカッとなり、
徳川侍従を射殺してしまいました。
このシーンを観たとき、わたしは本作に実名を使っていないわけがわかりました。
実際の徳川侍従は生きて戦後事件の顛末を書き残しています。
こちらもしつこく尋問を続ける畑中少佐ら。
そこに怒りの田中大将が乗り込んできました。
入ってくるなり、
「貴様らに話がある!みんなを集めろ!」
とお怒りです。
「陸軍の特色は天皇統率の下に厳正なる軍紀を維持することにある。
陛下のご意思に背き師団長を射殺、軍の統制を乱すことは、
国軍の最後に最大の汚点を残すことになるぞ!」
そして。
「陸軍大臣は先ほど自決されたぞ」
呆然とする将校たち。
実際にこの時の田中の働きは凄まじく、報を受けるや否や、
近衛歩兵第2連隊司令部に
「師団命令は偽物なので従うな」
と伝達、すぐさま反乱将校は駆逐されていますし、
その後数名の護衛のみで近衛第1師団司令部へ乗り込み、今度は直接
「その命令は偽物なので出動中止」
を伝えて、電話でチャチャっとNHKの占領も解除したため、首謀者は
完全に行き場を失い、クーデターはほぼ未然に解決を見たのです。
この功績のため、8月15日の午前中に天皇陛下から拝謁を賜った田中は、
然し乍ら24日、つまり川口放送所占拠事件を収束させた後、自決しました。
決起を抑えきることができず、その結果帝都が陥った混乱の
責任を取ったのだろうといわれています。
辞世の句は、
聖恩の忝(かたじ)けなさに吾は行くなり
この映画の田中と将校たちの会話は次のようなものです。
「わしも軍人としてどこまでも戦い続けたい。
しかし、陛下が大和民族の存続を熟慮されてのご聖断となったのだ。
我々軍人の至らなさ、陛下と国民に対して誠に申し訳ない次第だと思っておる。
ことに命令一下死んでくれた部下やその家族に対して、
我々が腹を切ったくらいではお詫びにならんのだ。
な。わかってくれ。お前たちの命をわしにくれ。
お前たちばかりを死なせはしない」
「閣下!」
「お前たちは往生際が悪い。
負けたとなると潔く責任を取るのだ。
それが真の日本の武士道だ
お前たちは今後の行動を誤ってはならんぞ。いいか」
言葉の終わらぬうちに一人が走り出たと思うと、拳銃の音が・・・。
いや、だから行動を誤ってはならんと何度言ったら(略)
実際の椎崎と畑中は、田中の説得にも関わらず最後まで諦めきれなかったのか、
球場周辺でビラを撒いたそうですが、結局、二重橋と坂下門の間の芝生
(それってもしかして皇居宮殿前ってことなんでは)で自決しました。
わたしの知り合いの、当時陸軍士官学校を卒業したばかりの人は、
8月15日の午前中、つまりご詔勅のまだ降らない頃から、皇居前で
二人どころか、驚くほどたくさんの軍人が自決しているのを見た、
と証言しています。
映画ではまだ夜明け前のようですが、実際は玉音放送の始まる
1時間前の11時が二人の自決の時間だったといわれており、
知人の見た自殺する人たちの中に彼らもいたかもしれません。
そして玉音放送が始まりました。
この頃は玉音放送をそのまま使うことは憚られたのか、
テープの使用許可がまだなかったのか、放送は役者にご詔勅を読ませています。
なので、「忍び難きを・・・・忍び」というあの「間」がありません。
そのことに違和感を感じることで、我々日本人はあの玉音の音声を
何度も何度も耳にしてきたのだということを改めて思いました。
それにしてもエキストラが集まらなかったのか、人が少ない。
日本中の人々が、いろんな場所でこれを聞きました。
映画では、陸軍病院の負傷兵たちが立ってこれを聞く様子や、
靖国神社の石畳に、正殿に向かって座る「愛国婦人会」の女性たち、
南方の戦地で整列した航空部隊の兵士たちの姿も描かれます。
他の映画と違うのは、玉音放送が最初から最後まで全て朗読されることでしょう。
そして、その音声にかぶせて、焼け跡のトタン屋根のあばら屋で
新しい命が生まれ出たことが語られます。
そして10年。
この映画製作時、終戦に生まれた子供達は10歳です。
「彼らこそ日本再建の担い手だ」
映画は戦後生まれの子供たちに未来を託すかのようなエンディングを迎えます。
が、しかし、この後の占領期間を経て、このころの子供たち、すなわち
団塊の世代が受けてきた戦後教育によって、また近年再び、多くの日本人が
国家観を見失ってしまっているという苦い現実を認識している目には、
このシーンはある意味皮肉なものとして映ります。
ともあれ、あの大東亜戦争が終わるに至る長い長いあの一日に、
様々な人々が己の信じるところに向かって行動しました。
しかし、いかなる考えで行動を挙したにしても、各自の思うところは
日本の国体を将来に残すためという一点に変わりはなかったのだろうと思います。
本作は宮城事件といっても反乱将校を非常に限定して描いているため、
「日本のいちばん長い日」のようなエクストリーム展開はありませんが、
阿南惟幾、田中静壱の二人に焦点を当てることで、決起した反乱将校の
心情にも寄り添う努力がなされていると思われました。
一言で言って、阿部豊の阿南と田中に対する愛が溢れている作品。
この二人の軍人を演じた早川雪洲と藤田進の演技を見るための映画です。
終わり。