というわけで、わたしにとって初めての
「生(なま)総員起こし」
見学は終わりました。
朝起きるなり一連のルーチンを問答無用でこなす集団生活。
幹部になるという目的のために自ら志望してこの場にいるとはいえ、
一般人のなかでも自他ともに認めるユルい毎日を送っているわたしにとって、
そんな彼らの姿というのは、見ているだけで、
「生まれてきてすみません」
と我が身を省みて罪悪感に苛まれるほどに眩しいものでした。
ネイビーブルーに恋して幾星霜、それなりに内部潜入体験を重ねてきた結果、
決して自衛隊というものに必要以上の美化も理想化も加うるものではありませんが、
それでも、このような精神教育によって日々人材が錬成される組織が
我が国の国防の任についているということを、わたしは心から頼もしいと思うのです。
さて、甲板清掃と言われる掃除を終えると、候補生たちは朝食をとります。
朝食の時間は30分と短いですが、まあ普通の人もそれだけあれば十分でしょう。
わたしたちも一旦見学を中断して、校内の控え場所で朝ごはんを頂きました。
部屋に、今回のエスコート役である三佐が、シルバーのトレイに乗せて
持ってきてくれたのは、昨日のうちに買っておいてくれたらしいサンドイッチと飲み物で、
料金については宴会代等とともにもう徴収されているとのことでした。
ちなみにこの三佐はアメリカ(企業)での駐在経験を持ち、その経歴からも
相当優秀なのではないかと思われる幹部でしたが、ただ優秀なのではなく
不断の努力もされているようで、たとえば、スカイプで
英会話のレッスンを毎日25分欠かさず続けているということでした。
「今朝もお迎えの前に(レッスンを)済ませてきました」
ちょっとまて。
あなたがばりっとシワひとつない制服を着込んで
ホテルにお迎えに来たのは確か6時25分ではなかったか。
一体朝何時に起きているのだ。
まあ、そんな人でなければ偉くなれない世界とはいえ
(というかこのあたりは一般の会社と全く同じかも)
その向上心がやっぱり幹部と言われるだけのことはある、と感心しました。
わたしなどそれに刺激されて、自分もスカイプでの英語レッスンを受けようかと
今真剣に検討しているというくらいです。
朝食を食べ終わると、控室から出たところにお迎えの車が停まっていました。
それに乗って今度は大講堂前に移動です。
●整列
大講堂前の階段の上から、今度は朝礼を一部始終見学することになりました。
先ほど甲板清掃によって目立てが付けられたグラウンドには、すでに
幹部候補生が全員整列して再び点呼を行っています。
よくわたしたちは、式典などの自衛官が長時間立ち続けているだけで
その忍耐力に目を見張りますが、彼らにとっては立ち続けることなど
教育訓練時代から日常的に行っている「普通のこと」なのです。
彼らの整列が整ったころ、大講堂と赤煉瓦の間から学生隊の幹部が現れました。
階級は学生隊長の一佐を始め、二佐が前列にいて、あとは二尉です。
学生隊は第1、第2、第3と3隊に区分されます。
1=A幹(防衛大学校卒、一般大、医科歯科幹部候補生、公募幹部)
2=B幹(部内選抜、航空学生、)
3=C幹(幹部予定者=海曹長以上准尉以下)
であり、この隊を統率するのは第1学生隊長(一佐)と、
慣例的に第2・第3兼務となっている学生隊長(一佐)です。
この二尉のなかには、いわゆる「赤鬼・青鬼」と呼ばれる幹事付、つまり
候補生たちにとって怖い「アルファー・ブラボー」もいるに違いありません。
「女性もいますね」
「女子隊員もやはり女性の上官にしか言いにくいことなどがありますから」
そういった説明をしてくださっていたのは実は何を隠そう学生隊幹事。
全学生隊の生活から規律、服務を指導するのがこの学生隊幹事で三佐です。
「幹事付」というのはこの幹事の下で働く「実行部隊」というわけです。
ということはあれだな。
赤鬼青鬼の上司と一緒にわたしたちは歩いていたということか。
道理ですれ違う候補生たちの態度がシャキーン!となると思った。
まあ、誰と一緒でも彼らはきちんとふるまうのだとは思いますが、
鬼の親分となれば緊張感も増し増し、ってところでしょう。
そして、整列が整ったところで幹部候補生学校長が登場します。
しかし、普通の学校の校長先生とは違い、ここの校長は
「こうちょうせんせいのおはなし」は行いません。
まず、日本国自衛隊の部隊として、大事な任務、国旗掲揚を行うのです。
●国旗掲揚
前日の宴会において、幹部候補生学校として明日はわたしたちに朝礼と
国旗掲揚を見ていただく、という話をしていたときでした。
「あっ、明日は休み明けなのでラッパ隊がいません」
一人の幹部が言いました。
休みの日には寛大にも江田島では外泊が許可されており、したがって
休み明けには国旗の掲揚は生ラッパではなく君が代は放送になるのです。
うーん、せっかく初めて見る朝礼なのにそれは残念。
するとハイボールをお飲みになっていた第一術科学校長が、
「今から呼び戻せ」
そんなこといくらなんでも無理に決まっていましょうが(笑)
それに、わたしはこの間のオータムフェスタで、フル喇叭隊付きの
国旗降下を間近で観ているので大丈夫でございます。
国旗掲揚が始まる前にそれまで大講堂前にいたわたしたちは、
候補生たちの左側をまわって掲揚竿の比較的近くに移動しました。
そして「時間」。
国旗を掲揚しているのは海曹一人で、放送の「君が代」が流れ、
高い竿に日の丸が揚っていくとき、わたしは、わたしたち以外の
すべての人々が国旗に向かって敬礼していることに感動していました。
わたしの感動の源泉は、そう、ここがあの江田島であるということです。
同じ場所の同じ時刻、同じ喇叭譜によって、明治21年から
戦後の10年をのぞき毎日、同じ儀式が行われてきたということ。
今日という日もまた、その重ねられてきた歴史に加えられる
あらたな一日であることを、実際にその場にいて音を聞き、
朝の芳しい空気の中国旗に敬礼する制服をまとった人たちを観て初めて、
わたしは実感することができたのでした。
「国旗が掲揚された後、校長があそこに立って『おはよう!』といいます」
前もって説明を受けていたわたしたちは、学校長に注目しました。
普通の学校の校長先生はもちろん、大会社の社長であっても、
「おはようございます」といいますが、ここでは違います。
学生幹事が先ほどから敬礼する候補生たちに返していた、独特の
「おはよう!」は自衛隊ならではの上官からの部下への挨拶だったのです。
「おはよう!」
決して張り上げているのではないけれど、広いグラウンドの隅々まで
響きわたるような深みのある声で、学校長が挨拶をしました。
根拠はありませんが、代々幹部候補生学校長に補職された幹部自衛官は
この「おはよう!」をいう瞬間、格別の想いを持つのではないでしょうか。
そしてこの朝の挨拶も、いつからかここ江田島で行われ、
受け継がれてきた海軍の遺産に違いありません。
●5分間講話
海上自衛隊には(陸空自衛隊でもやっていると思いますが)朝礼の際、
5分間、分隊の前で決められた一人が講話を行うという行事があります。
これは、幹部自衛官として部下に命令などの意思伝達を行うための
技術(言葉遣い、内容、論旨の組み立て、姿勢や言語の発音等)
を習得するというのが大きな目的であろうと思われました。
内容は基本的に自由ですが、よくあるパターンは、部隊を長年経験した
部内選抜や予定者などの候補生が、A幹部に、自らの体験した
現場での出来事やそこでの任務について講話するというものだそうです。
「このグループの講話者がそうです」
学生幹事はわたしたちをそのグループの横に連れて行ってくれました。
「すみません、話の内容も聞かせてもらっていいですか」
TOが言い、わたしもグループの前の、少々年配の候補生が
A幹部に対して、自分の出身である潜水艦隊における初期訓練について
話しているのを聴きました。
そしてそれが終わると、その講話を講評する係が出てきて、
トータルの時間を発表し、内容や話し方について評価します。
これも、聞いたことに対し自分の考えを口にして発表する、
というトレーニングの一環であるわけです。
日本の学校教育に足りないものはスピーチだと、わたしは
かねがね思っているのですが、ここでは学校教育で行わなかった
人前で話すという(実は大事な)訓練が補完されているのです。
●行進
朝礼が終了しました。
候補生たちが課業はじめで校舎まで行進していきます。
最初にグランドに黄色い旗が立てられ、これは行進の際
学生隊長に敬礼をするポイントとなります。
候補生たちがずっともったままのカバンには、これから始まる
課業に必要な教科書や人によってはパソコンも入っています。
「重そうですね」
それに、右手で敬礼するので左手がかなり辛そうです。
「昔は本だけだったのでもっと重かったと思いますが、
最近はペーパーレスが進んでいますから」
でも、パソコンが入っているとそれだけでかなり行きそうです。
ちな海軍の昔は彼らが教科書を包むのは風呂敷だったんですよ。
台上に立っているのが第一学生隊長です。
各隊の最前列右側で行進をリードする候補生は、
黄色い旗の手前にきたら旗通過時にピシッと敬礼を行い、
全体が頭右をおこなうように号令をかけるのです。
これは日常的な行進と観閲官への礼の仕方の訓練でもあります。
この様子を教官たちは皆じっと見ていて、黄色い旗に
少しでもタイミングが合わないと、とたんに
「遅い!」
などという注意が飛びます。
もしこの日の行進になんの瑕疵もなければ、わたしも知ることはなく、
普通の行進だと認識していたと思いますが。
またこのとき一人、全員が頭中しているのに、号令を欠けた本人が
敬礼をせずに通過しようとしてしまい、わたしの横の学生幹事が
「〇〇、敬礼しろ!」
と大きな声で注意するというシーンを目撃しました。
初めての役目で緊張してしまったのでしょうか。
学生幹事の話によると、やはり候補生学校においては、特に行進などは
初体験となる一般大学卒と、4年間みっちりと体に叩き込まれてきた
防大卒とでは大きな「差」があるのだそうです。
そんな両者を合同で訓練し、1年間という決して長くない期間で
同じゴールにたどり着かせるのですから、幹部候補生学校というのは
預かる方にとっても大変な重積だということになります。
もちろん、任官して長い自衛官人生を歩む上で、どちらの出身かは
昇進に影響がなくなっているというのが現状で、現に現在の
第一術科学校長は、一般大学(大阪外語大学)の卒業です。
黄色い旗と号令のタイミングがちゃんとしているか見るのは週番です。
真横の至近距離から、足の踏み出しをじっと見ているのです。
最後に行進してくる団体は、予定者といわれる部内選抜の候補生です。
わたしたちはこの後、幹部候補生学校長みずからの案内で、
江田島ディープツァーを行っていただきました。
続く。