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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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海の騎士道〜帆走フリゲート「コンスティチューション」

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帆船「コンスティチューション」については、中に入っていかないまま
総火演シリーズに突入し、随分昔に話をしたような気がします。
一つのテーマについて書いているときにはそれなりに知識がつき、
資料を読むのも数字を調べるのも当社比で随分楽なのですが、
いったん中断してしまうと記憶からさっぱり細部が消えてしまい、
もう一度調べるのが二度手間ですね。(単なる愚痴)



二度目に家族と一緒に来たとき、前回は立ち入りを禁止されていた
甲板下に降りられることに気づきました。
見学客用に手すりが付いて滑り止めが施されたラッタルで下へ。



これがラッタルを降りた下の階部分。
ここから下に行く階段も同じところにあります。



今いるのが上甲板の一階下ですから、ここより下にまだ船底まで3階ありますが、
一般に公開されているのはここまででした。



ついにやってきたコンスティチューションの第2甲板。
この時代の船もそういうのかどうかはわかりませんが。

天井は大変低く、日本なら3m置きに「頭上注意」の指導が入るところですが、
コンスティチューションは海軍の記念鑑でまた現役鑑ですから、
この鑑内で起こることすべては見学者の自己責任となっています。

2mおきに立っている柱は結構新しいものに見えました。
当時このようなものは多分ですがなかったと思います。
左側の窓から砲口を出し、相手を攻撃する場所だというのに
こんな邪魔なものを作ったりするわけがありませんね。



こちらは左舷側の砲門というか砲眼。
大砲の砲口を出すところです。

コンスティチューションは「フリゲート」という艦種で、
このフリゲートには

小型・高速・軽武装で、戦闘のほか哨戒、護衛などの任務に使用された船

という定義があります。
バトルシップ=戦艦、クルーザー=巡洋艦、デストロイヤー=駆逐艦、
と翻訳した日本ですが、どういうわけかフリゲートは訳さなかったので、
未だに「フリゲート」とそのまま呼んでいます。

フリゲートの語源は「フレガータ」(fregata )という小型のガレー船
(人力で櫂を漕いで進む軍艦)で、イギリスで発祥しました。
帆船時代の海戦においては、索敵などを行うのがフリゲートの役目です。
艦隊戦では主に戦闘を行う戦列鑑 (ship of the line )の外側に就きました。
ちなみに中国海軍ではフリゲートを「護衛艦」と翻訳しているそうです。
 
この戦列鑑というのもまた、同じように砲で戦闘を行う軍艦ですが、
帆船時代の砲が甲板ではなく艦内の「砲列甲板」(ガンデッキ)にあるのは
甲板は帆船の帆を張るための舫だけでいっぱいだからじゃないでしょうか。


帆船時代の軍艦による海戦はすなわち船腹の撃ち合いでした。

大変脆弱な弱点だった船首と船尾を敵の攻撃から守り、
船腹に沢山並んだ砲口を相手に向けるのです。

舷側には重い砲が並んでおり、砲門の穴が開いているので
ただでさえ強度は落ちますし、さらには発砲の衝撃が凄まじいため、
「オールド・アイアンサイズ」(鉄の船腹)ならずとも、一般に
軍艦の船腹はもっとも強度が考慮されていました。



コンスティチューション・ミュージアムにあったカロネード砲と
砲門を模したもの、そして拳を固めなにやら言っている人。


この写真で砲につながっている索を「タックリング」と称します。 
右側に赤い柄のモップみたいのがありますが、これは「スポンジ」で、
大砲の筒の中を掃除することは、砲員たちを危険にさらさないためにも
大事な作業の一つでした。
大砲は、撃つ都度、新鮮な火薬を詰め変えなくてはならないのですが、
古い火薬が残っていると、火花から暴発する危険性がありました。

ちなみにこの乗組員のフキダシには

「鍛錬は完璧を生む(Practice makes perfect)」

毎日俺たちは、我らが「ビッグウィル」で弾込め、照準、発砲の
正確さ、速さなどのスキルを磨いてきた。
砲の周りには9人のメンバーがいて各々の任務を行う。
お互いにエキスパートとして協力し合うことで
俺たちは(戦いのあと)生き残ることができるのだ。

事故の危険性以上に、相手を殺らなければ全員一緒に死ぬわけですからね。



この人の言っている「ビッグウィル」とは、9人の砲員が自分たちの
使っている砲につけていた愛称です。
各砲門は専用になっていたらしく、この「ブリムストーン」のように
名札が付けられていました。

 

こちらはバンカー・ヒル。
もちろん独立戦争以降の命名だと思われます。



10インチの弾丸実物がミュージアムに飾ってありました。
19世紀に用いられた砲丸には穴が空いていてボウリングの玉みたいです。

まず底に火薬、続いて砲丸を入れて、ヒューズに火をつけて爆発させます。
当時の大砲というのは、物理的に弾丸を飛ばしてぶつける、という仕組みで、
当時の技術では筒と砲丸の間に隙間ができてしまうため、発射効率が悪く、
そんなに遠くにまで弾丸を飛ばせたわけではありません。

したがって、戦闘とは常に至近距離で行われました。

 

大砲周りのグッズいろいろ。
手前のものはわかりにくいですがグレープショット=ぶどう弾といいます。

白いものは帆布製の袋で、ここに子弾を9発詰めてあります。
帆船における近接戦闘で索具類破壊と人員殺傷を目的に考案されました。
名称は小弾が詰まっている様がブドウに似ていることに由来しています。

向こうの筒状のものは「キャニスター爆弾」。



手前右の丸いのは「ラウンドショット」。
これがいわゆる普通の弾丸ですね。
その上の鉄アレイみたいなのは「ダブルヘッデッドショット」。

棒が繋がったみたいなのが「バーショット」(ショットバーではない)
あと、熱くして使う「ホットショット」なんてのもあったようです。

木製の金魚すくいの枠みたいなのが、丸い弾丸を載せるもの。
これを持って走り、一番早い人が勝ち・・ってそれは玉すくい競争だ。

手前の「match stick 」はその通り火をつける棒だと思います。



ところでこの博物館には、いたるところに当時衣装をつけた人のパネルがあり、
それぞれのフキダシによるセリフから色んなことを知る仕組み。
漫画的ですが、こういう展示は外国人や子供にもわかりやすくていいですね。

例えば手前の人は

「”ブリッツ”に勝ったからバケツにいっぱいお金をもらったぞ!」

と言いながら政府から発行された褒賞の証明書を掲げており、
奥のカップルの女性の方は

「もし船乗りに志願したら、この人酒場でクダ巻く時間もなくなるわね」

飲んだくれダンナを水兵にして長期間外に放り出す(もちろんお金も稼いでくる)
ことを考えております。



ここには敵であったイギリス海軍についての展示もあります。
その場合はパネルの人に当時の英国国旗をつけてくれているのでわかりやすい。

銃の手入れをしているこのシーマンは、
これまで長い長い時間沈黙に耐えて待った結果、やっと敵が見えた、
さあ戦いの準備だ、と言っております。 



こちらもイギリスの場合。

当時、同じ船乗りになるとしても、セイラーとマリーン(海軍士官)が
待遇面でどう違っていたかを表にしてあります。

面白いのは、セイラーには身長制限がありませんが、マリーンは
身長170cm以上ないとダメだったということ。(音楽隊は別)
セイラーが要実務経験に対し、マリーンの方は「経歴不問」。

制服もセイラーが「自分で調達」に対し、マリーンは

「たいへん目を引く(アイ・キャッチング)デザインの軍服が支給される」

うむ。 



こちらコンスティチューションの乗員。
なにやらシリアスです。

戦争の恐怖

初めての出撃で僕が見て感じたことを想像できるか?
ぞっとするようなうめき声と傷つき死んでいく人の姿・・。

イギリス船と戦ったあとの甲板の上には、血と脳みそ、
歯や骨のかけら、指、そして肉片で覆われていたんだよ。

これは、実際にコンスティチューション乗員だった人の回顧です。

彼の後ろにいる白衣の人物は医師。

「人間性が非人間性の後を付いていく」

として、戦闘後、倒れている人々から敵味方を問わず
生きているものを見つけて手当てをした、と言っております。



しかし、手当てといっても船の上でできることは限られていました。
当時、命に関わるような大怪我の場合、傷を負った手足は
腐敗しないように切り落とすしかなかったのです。

ここに展示されているのはそれを行ったといわれる大型のナイフ。
医師はさらにのこぎりで骨を切ったわけですね。

左上は、コンスティチューションの艦長であった
アイザック・ハル(Captain Isaac Hull)の述懐です。

「 戦いの日々にあってもわたしは冷静で、むしろそれに心沸き立ったが、
何より恐ろしいのは、日が経っていくことだった。
それにつれて傷つき苦しむわたしの部下が増えていくのを見ることになった」

右下は命と引き換えに脚を切られてしまった乗員のリチャードさん。

「あんたらまるで肉屋みたいだな」(意訳)

ためらいもなく怪我した手足を事務的に切り落としていく医者に、
ついついこのように言ってしまった模様。 


まあ、さっきの医者などは、切り落とした手足の骨で椅子を作った、
なんてことも言ってたみたいですから・・・。gkbr(AA略)




こちら旗を見てお分かりのようにロイヤルネイビーのキャプテン・ダクレス。

降伏

わたしは、ハル艦長の指揮とその乗組員たちの勇気について
言及する義務があると感じる。

わたしの部下たちは最も少ない犠牲で最大限の敬意と手当てを受けることができた。

おお、ここにも海の武士道ならぬ「海の騎士道」が存在したと。

しかも騎士道といえば、ハル艦長は、ロイヤルネイビーの士官に
捕虜になった後も帯刀することを許したという話がここに書いてあります。

降参するにあたって自分のサーベルをその印として
ハル艦長に渡そうとしたHMSゲリエール艦長。
それに対して、ハルはこう言いました。

「貴官は降参されるとおっしゃる。
そしてご自分の刀を本官に渡そうと・・・・。
いやいや、いけません。
本官はその使い方をわたしよりよく知っている人間から
それを取り上げるつもりはありませんよ」


いや、どちらもイングリッシュスピーカーで話が早くて良かったです。



しかし、勝てば官軍、負ければプリズナー。
勝ったコンスティチューションの乗員たちには栄誉が与えられます。

ハル艦長は敵を敬意を持って扱いましたが、ただしそれはマリーン(士官)のみ。
ゲリエールの水兵たちはその後、ボストンに帰るまでずっと甲板に繋がれたままですごし、
アメリカでもまるで罪人のような処遇を受けたのでした。

ただ戦闘に負けただけなのに。



ゲリエールの乗員。

「負けた・・・・」


海の男同士響き合うものがあったとしても、戦争は過酷で勝負は現実。
当博物館の展示はそんな戦士たちの悲哀にも光を当てております。(適当)


続く。




 


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